誰も知らるるとおり、今年は世界的に大分明かるくなったような気がします。私は去年の正月の栄光の新年号に「世界夢物語」というのを書きましたが、あれは最初「これからの世界」という題で買いたのですが、出そうと思っている時に、急に「夢物語」をつけなければいけないというようなお知らせがあったわけです。それで「夢物語」としたのですが、やはりあれが夢物語になったわけです。あの時のああいう考えは、スターリンとアイゼンハウワーの計画だったのです。それが私に分ったからああ書いたのです。するとスターリンが死んだために変ったわけです。そこで、スターリンが死んでから間もなく、京都に行きがけに名古屋の中教会で話しましたが、もう共産主義の方は、これからずっと勢いが落ちる。スターリンが居る時とは全然違うという事を言いましたが、これも前に型で神様から知らされていましたからそう言ったのですが、やはりそのとおりに、ソ連のマレンコフのやり方が大分平和的になって来たのです。余程前のソ連とは不気味さがなくなって来ました。柔らかみと言いますか、そういうような点が大いに現われて来たのです。これは非常に結構です。しかしこのまま平和的になるかどうかは甚だ疑問なのです。しかしとに角仮に第三次戦争としても、ああいう大きな戦争は英雄が好むのです。ヒットラーとかナポレオンという英雄です。スターリンなどは一個の英雄だったです。世界制覇の野望を抱いていたのですから……。ただやり方が割に派手でなかったのです。どっちかというと陰険なやり方です。それだけに余計不気味さがあったのです。ですからスターリンが亡くなってからこっちは、その不気味さは一番取れたようです。この正月早々のマレンコフの宣言なども、余程当り前の、国家的ゼスチュアというか、そういう点が大いに見えていたのです。
世界の情勢はそれとして、救世教も大分明かるくなって来ました。特に今年はいろいろな希望、楽しみが大いにあります。メシヤ会館と水晶殿も秋には出来ますし、それから箱根の美術館も大分充実して来た上に、今年は近代名品店というのを六、七の二カ月やるつもりです。それから八、九、十を浮世絵展覧会にして、これは別館の方でやるつもりです。それから本館の方は桃山展を通してやるつもりです。近代名品展というのは、明治以後のいろんな美術品ですが、これは今まであまり世間に知られない物が多いのです。隠れていた物です。それで今までは、多くお寺の物とか大名の物とかそういった古くからの物が名品となっていました。明治以後は、財閥とか成金といった民間人の方に多く集まったのですが、それが終戦後どうしても出さざるを得なくて出て来た物ですから、あんまり人の目に触れてない物が多いのです。ですから案外人の注目をされるだろうと思ってます。それから浮世絵展覧会は、去年やった時の中途から後になかなか良い物が集まったのですが、それは出さなかったのです。あんまりみんな出してしまうと、来年のお楽しみがなくなってしまいますから、そういう物はとっておいて出さなかったわけです。それで今年は毎日新聞社が主宰で浮世絵展覧会をやりたいというのです。方々から集めるのでなくて、箱根美術館のもののみです。適当な名称をつけるでしょういが、とに角企画は毎日新聞社です。博物館なども手伝うでしょうが、そういうようで、三越の七階の大ホールで、元特別食堂になっていた所です。丁度百五十坪ありますから、随分広いです。大体肉筆を主にしてやります。今まで浮世絵展覧会というと版画が主で、肉筆は殆んど出さなかったくらいですが、今度は肉筆専門ですから、これも初めての企画です。大いに人気を呼ぶだろうと思います。開催の時も、いろいろあったが、私はどこまでも三月を主張して三月という事になったのです。二月は寒いし、四月はお花見にとられますから、三月が一番よいです。やっぱり、浮世絵というのは春が一番適当してます。寒風吹き荒ぶ時に浮世絵と言っても感じが出ないです。そういうようで、とに角大いに箱根美術館の宣伝になるわけです。よく聞いてみると、日本で一番集まっているのは箱根美術館だそうです。ですから日本一になったわけです。これが僅か一年もかからないくらいでした。日本で一番という位に集まったのですから、実に神様のスピード、早業――と言っては、どうも安ッポイ言い方ですが、とに角その早さというのは驚くのです。
それから熱海の地上天国もだんだん出来て来ましたが、メシヤ会館と水晶殿は秋として、美術館はそれが出来てからかかろうと思ってます。来年は出来上がるだろうと思ってます。この美術館は箱根の倍以上になります。そして凡てが箱根で経験しましたから――あれは初め見本に造るという事になってましたが――今度はいろいろな点もよく分りました。それで、箱根美術館だけでさえ、近頃アメリカやヨーロッパの人達にも大分知れて来て、現についこの間フランスの大使とポルトガルの公使が是非見たいと言って来たのですが、とに角閉館中で無理だからと言って断りましたが、そういうようなわけで、外人間に大分知れて来たのです。それで、熱海が出来たら一層注目される事になります。おそらく世界的の話題に上るだろうと思ってます。それらの事を考えると、とに角神様の早さというのは驚くべきものです。去年来たアメリカの新聞記者でエリス・グリリという人は、美術評論家でなかなか有名だそうで、世界中の美術館を見て、箱根美術館と比べてみると、イタリヤのヴァチカン宮殿は、宗教的で美術館になっているので、その点は丁度救世教に似てます。それからフランスのルーヴルと、箱根美術館の、この三つが見た感じが大体同じようだというのです。それで私は驚いたのです。ヴァチカンとかルーヴルというのは世界的に有名な大したものなのです。それと箱根美術館が同じレベルに見られるという事は、随分大したものだと思ったのです。ただ箱根美術館の特長は、美術館に入って美術品を見ながら、窓の外を見ると遠くに山が見える。だから自然美と人工美とであり、又庭はいろんな草木や岩の、自然のものを人間の芸術で巧に表現したという特長は他では見られないと言って褒めました。その後主人公が来ましたが、この人はNHKの英語放送の主任ですが、その人は熱海の地上天国を見て、〝実は書くつもりだったが、あまりに雄大なので書けない。しようがないから実地を見よという事だけ書くつもりだ〟と言って、そのくらい驚いてました。その人が言うには、この間も話したとおり、日本を東西に分けて西の京都・奈良が、古い、西における文化都市だ。そうすると箱根・熱海がすっかり出来上がると、東における文化都市という事になる。しかも箱根・熱海は一時間で行けるというくらいに接近しているという事は非常に珍しい。そういうような事を言って絶賛してました。ですから熱海の地上天国が出来上がると、とに角世界の注目を引く事になると思います。勿論日本でも今さらのように喫(吃?)驚して〝救世教の奴はなかなかなものだ。今まで馬鹿にしていたが、そうでもない。随分うまく儲けやがった〟と言うかもしれません。何んでもよいから、とに角、〝普通いろんな新宗教とは違う〟〝大体岡田という奴は案外腕のある奴だ〟というような事になり、一つの〝岡田研究をする必要がある〟というような空気になりやしないかと思います。岡田研究という事がいずれ出ます。そうすると、〝まず奴を研究するには、奴の書著を一通り見なければならない〟というので、そうなるとみんなで大いに救世教の本を読むという事になり、そうすると医学や自然栽培の事、大体医学ですが、そういう事がとに角何んとなく分って来ますから、そこで栄光も地上天国なども、一つとって読もうという事になり、これが大変なよい事なので、神様は随分うまくやられると思ってます。この地上天国とか美術館というものは……安ッポイ言い方ですが、客呼びです。そうして、それによって本当のものを読ませる、頭に入れるというような政策を神様はとられたわけです。そういうようなわけで、〝これだけの素晴しいものが短期間に出来るという事は、大変な金が要る。そういうような金がどうして集まったか〟というと、〝それは命がないような難病が治されるから、感謝のあまりどうしても金をあげる、そういう金が集まってこれだけのものが出来たのだから、如何に素晴しく病気が治るかという事が分るではないか〟というように書きますから、〝なるほど確かに病気が治るに違いない〟というその一つの理由になります。そういうようなわけで、箱根は規模が小さいが、熱海は規模が大きいのと、凡ての点において世界中をアットさせるような価値があるわけです。というのは、日本で言えば京都や奈良ほど広くはなく、狭くはあるが、鉛と金……と言ってはあまりに酷いが……銀と金くらいの差があり、こっちは今までに無い、今まで想像もつかないような物を造るのですから、そこに魅力があるわけです。それから日光は確かに大したものですが、外国の人はあんまり注目しないのです。又日本でも、どっちかというと大衆向です。芸術眼ではあまり価値がないわけです。ただ金をかけて立派に造ったというだけです。ですからどうしても奈良・京都と箱根・熱海という事になるわけです。ところが奈良・京都は千年以上たってます。京都は平安朝からですから八百年ぐらいたってます。又ヴァチカンにしても、ローマ時代に盛んになったのですから、とにかく中世紀(期?)以前ですから千年に近いです。東洋では支那の北京城ですが、これも立派には違いないです――私は写真で見ましたが、北京城の全般を写した厚い大きな本があり、よく出来てます。植物は非常に立派なものですが、庭園がないのです。殆んど木がないと言ってもよいです。いずれ私が其処を経営するような事になるでしょうから、そうしたらウンと木を植えるつもりです――それも何百年とたってます。ところが箱根・熱海の地上天国は、まず十年でしょう。本当に始めたのは、終戦の明くる年の昭和二十一年頃ですから、再来年になって丁度十年です。その頃には充分完成しますから、そうすると人間が千年かかったものを、こっちは十年で出来るとすると、そのスピードは実に驚くべきものです。そういうわけで、つまり神様の経綸の早さというものには驚きます。
もう一つは、一昨日ハワイから報告が来ましたが、生誕祭の参拝者が千百人あったそうです。去年の三月に縁もゆかりもない所に樋口さんと安食さんの二人で行って宣伝を始めて、ホノルルに本部が出来たのです。この本部も、五万弗、日本の金にして千八百万円です。それで、修繕をする所があったが、修繕は生誕祭までに出来上がらなかったが、どうやら参拝はできるようになった。――すっかり出来上がるのは一月の末頃だそうですが――その本部にしてもこっちからは一文も出さずに、みんなハワイで出来た信者さんが奉仕してできたのです。そういうようで、十カ月間でとに角千百人の参拝者があるくらいだから、如何に早いかという事が分ります。そのくらいの早さでなければ、とに角私の目の黒い内に地上天国を世界的に、とに角基礎だけを造らなければならないのですから、その割でいっても、決して不可能ではないのです。実に神様の早さというものは驚くべきものです。まだ京都とかいろいろ計画してますが、それが、二十二年八月から宗教法人になって宗教的にやり始めてから、実に僅かの間にこれだけになったという事は、私自身が驚いているのです。なにしろ最初の頃というのは、まるっきり足掛もない所に行ってやるのです。考えると、十九年に箱根と熱海を買って来ましたが、最初箱根を買った時には、確か金は六万円ぐらいしか無くて、あとはその時の病気の治った人などがみんな出したのです。それを、今日の事を考えてみると、どうしてこうなったか自分で分らない内に、急になってしまったわけです。しかしその間には随分官憲や言論機関とかの、知ってのとおりのいろいろな迫害があったにかかわらずですから、それがなかったらもっと素晴しかったです。しかしそういう事があってさえこれだけになったという事は実に人間業ではないです。別にそういうように計画してやったわけではなく、ただ神様の御指図……というと〝お前はこうしろ〟という事になりますが、そういうのではないのです。そういう点についてはいずれ話をしますが、それは随分神秘でいろいろ面白い事があります。そういうようで、この分でゆくと、到底見当がつかないくらいです。まだいろんなお知らせと言うか、そういうようなものがありますが、それは夢のような話で、本当にできないような話ですから、本当にできるような程度になってからだんだんに話してゆく方がよいわけです。今年からの御神業の大体の様相は今話したようなわけです。
それから、もう一つ面白い事があります。これも私が書いてますが、此処(掌)から出る力は一体何かという事は一番知りたいと思います。それを知ると共に、人に聞かれて、どういう訳で治るかという事をどうしても説明しなければならないし、それには充分肚に入れておかなければならないから、それを話します。これは、一番分りやすく言うと、霊的原子爆弾なのです。というのは、原子爆弾というものは非常に熱度が高いのです。これは今まで地球上に現われた事がない熱です。つまりピカ・ドンですが、そのピカ・ドンで地上にある物は全滅してしまうのです。それは何かというと、火力ですから、火力で焼けてしまうのです。原子爆弾の説明には、つまり太陽の小さいものを造るのだという事を言ってますが、そういうものなのです。太陽熱というものは熱の体ですから熱いとか光るというわけです。ところがこの霊というのは目に見えず五感に触れないものです。何時も言うとおり、霊の方が力が強いのです。ですから太陽の火力の霊が私の所に、つまり伝わると言いますか、これも説明し難いのですが、とに角太陽と繋がっているわけです。これもいずれ詳しく書きますが、その説明はなかなか難しいのです。これはやっぱり科学なのですが、科学というと見えるものばかりを言うが、そうではないので、これは見えない霊科学です。それが、霊の火力が患者の病気の所に放射すると治ってしまう。治ってしまうという事は、霊体の曇りを溶かすという事になってます。曇りというのは不純水素という事を私は言いますが、不純水素というものは、水素の中に毒粒子……薬毒が固まったものです。薬毒は、最初の、薬をのんだり注射をした時は霊全体に拡がっているのですが、だんだん固まって、つまり硬化作用ですが、そうして此処なら此処が痛いとか、腫れるというのは、其処に固まったわけです。それで固まったその不純水素というものは、つまり毒粒子が沢山其処に集まってしまうのです。ですから肩が張る、此処が固くなるという事は、今の毒粒子がだんだん固まってしまうわけです。それで、浄霊すると、此処から出る殆んど計算ができないくらいの強い火力……原子爆弾よりずっと強い……それがゆくと、毒粒子が焼けてしまうのです。要するに粒子ですが、粒子と言っても、非常に細かいもので、顕微鏡などで摑まえる事はできないくらい細かいものですが、それが焼けてしまうのです。毒粒子が焼けた後の灰――生物とすれば死骸――それがいろんな排泄物、膿とかになって出るわけです。ですから放射して、痛みなら痛みが無くなりますが、痛みはなくなっても灰は其処にあるのです。あっても痛くないという事は、みんな死んでしまって活動力がなくなるからです。それが、活動力があると動くので、痛みとかいろいろあるのです。それで死骸になると人間の神経を刺戟しないから痛くなくなるのです。しかしまだあるのです。ですからこれはどうしても排泄しなければならないのです。そこで人間には、邪魔者は其処においておくわけにはゆかないという活動力がチャンと備わっているのです。よく、お腹の子供が死んだ場合に、医者は切開して出しますが、これは浄霊すると死骸は出てしまいます。それは、其処にあってはならない物はどうしても出るという作用が起こるのです。ですから、お蔭話になるとおり、針をさして、これを浄霊すると、結局出るのです。この間のお蔭話にも足に針をさして、それが何カ月かたった後に、針の先がだんだん移動して行って、反対側から先の方から出てしまったというのがありましたが、そういうようで、人間の体にあってはならない物はどうしても出る事になっているのです。それで、今言う曇りの中にある毒粒子も、死ねば必ず出るのです。それを殺すという事は焼き殺すわけです。それが此処から出る火素で、この火素というのはそういうものなのです。では今までそういうものがどうしてなかったかというと、それは時期の関係で、それについても私は今書いてます。これは丁度二回にわたって栄光に出します。とに角丁度原子爆弾を発見したのと、この浄霊が出たのと、大体同じです。二十世紀後半ですから、時期は大体同じなのです。そうすると一方は体の素晴しい強力な熱であり……原子爆弾の熱は二万度とか三万度とか言ってますが、水素爆弾になるともっと強いのですから、これは測定はできないというわけです。此処(掌)から出る火素はもっと高いので、到底原子爆弾どころではないのです。ただ霊ですから、そういった物質的なものはないわけです。この火素の火力というものは無限と言ってもよいのです。この間も無限力という事を言いましたが、とに角無限力です。それで病原は、今言ったとおり、霊の曇りが病原とすれば、霊ですから、それを治すとすれば、霊をもって治すのが本当です。ところが、それを体の物質で治そうとする医学は全然見当違いなのです。霊ですから、それを治すとすれば、霊をもって治すのが本当です。ところが、それを体の物質で治そうとする医学は全然見当違いなのです。そこで治らないというわけです。大分難かしい話になりましたから、このくらいにしておきますが、私は原子爆弾は殺人光線、霊の方の火素は活人光線と名をつけたのです。片方は殺す光線で、こっちは生かす光線で、反対なわけです。それが丁度同じ頃に地球上に現われたという事は非常に意味があるわけです。何時も言うとおり地上天国というのは創造=建設ですが、つまり破壊と創造です。ですから原子爆弾は破壊の力です。それで火素の方は建設の力、創造の力です。だから浄霊によって、滅ぶべきものを生かす、破壊さるべきものを創造するという事になりますから、その点から言っても破壊と創造という事がよく分ります。医学が病気を作り人間を破壊し、こっちは浄霊でそれを治すのですから、これも破壊と創造という事になります。
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