農業特集号を延ばしてきましたが、その後報告が二、三十通来たようです。全部は見てないが、初年度から五割増産というのが大分あるようです。この特集号も頁数を増やさなければ追い付かないだろうと思ってます。予定の百万部を出したら、大いにセンセーションを起こすだろうと思ってます。
熱海の地上天国について、この三カ月間に随分詳しく話をしましたが、今日は同じような話もあまり気が入らないから、それはいずれ栄光に出すとして、今日は浄霊の原理について、新しい人から聞かれた場合に説明をするその材料として、できるだけ詳しく、分るように書きました。今まで説かなかった点もありますから、そのつもりで……。二章になってますから一章の方から読ませます。
御論文〔浄霊は科学療法なり〕 【註 栄光二四三号】
浄霊は科学療法なり(1)
(栄光二四三号)
これは以前からよく信者が新しい患者を扱う場合、浄霊の原理を訊かれるので、簡単に分りやすく説明をしたいという希望を聞くので、私はここにかいてみたのである。というのは散々医療を受けても治らない病気が、浄霊を受けるやアッ気ない程速かに治るので、驚くと共にその理由を知りたいと思うのは無理もない話である。もっとも浄霊をする方にしても、一度はそういう経験が必ずあるであろうが、今までのところ時期尚早の関係もあって、私は余り徹底的には説かなかったから、ここに詳しくかくのである。ところで昔から病気は医者と薬で治すものと相場が決っているばかりか、今日の人間は何事も科学ならでは信じられないという科学至上主義になり切っている以上、解するに苦しみ、訊きたいのも当然であろう。それについて最も肝腎な事は医学と科学との関係であって、これをまず知る事である。なるほど他のあらゆるものは科学で解決出来るのは言うまでもないが、独り医学に限ってそうはゆかないどころかむしろ見当違いもはなはだしいのである。というのは人間と人間以外の一切とは根本的に相違している事である。それを詳しくかいてみよう。
そもそも人間なるものは万物中最高級なる生物であって、実に神秘霊妙到底人智では計り得ないものがある。ところが科学はそのような深い点は全然未知なるがため、人間を以って単なる一個の動物とみなし、物質である肉体のみを対象として来たのであるから、病気をもって肉体の毀損と解し、薬剤や機械等の物質をもって修理しようとするはなはだ単純な考え方であった。しかし事実はそんな簡単なものではない。人間は肉体以外生命力というむしろ肉体以上重要な霊的個体なるものが存在しており、それが体との密接不離な関係にあって、人間は生きて活動出来るのである。しかし霊は無に等しいものであるため、唯物科学では発見されなかったのである。という訳で科学は肉体のみの研究に耽っていたのは、彼の死体の解剖などを見てもよく分る。従って何程進歩したといっても、両者の一方だけであるから跛行的進歩でしかない以上、いかに努力したとて結局徒労以外の何物でもないと言えよう。
以上のごとく人間は霊と体との両面から成立っており、霊が主で体が従となっているのであって、これが万有の法則である。そうして病気なるものは体にある保有毒素が霊に移写して曇りとなる、それへ自然浄化作用が発生して曇りが解消すると共に、それがまた体に写って毒素は溶解し排除されるので、その苦痛を言うのであって、つまり前者は霊体一致の緯の作用であり、後者は霊主体従の経の作用であるのであって、この理を充分知る事が肝腎である。では一体曇りの本質は何かというと、これこそ無色透明である霊に不透明な部分が発生するそれをいうのであって、これが真の病原であるから、これを払拭すれば病気は治るに決っている。この方法が浄霊であるから、浄霊とは読んで字のごとく霊の曇りを浄める手段で、これが真の医術である。従ってこれ以外の療法はことごとく非医術である事を知るべきである。以上が病原と治療との根本原理であって、一言にしていえば病気とは外部に現われた症状であり、病原は内部にある曇りである以上、この解消こそ真の治病法である。ところがその理を知らないがため医学は現われた症状さえ除けばいいとしているので、たとえ効果があってもそれは一時的で、必ず再発するのは医師も常に経験しているはずである。
では一層突進んで浄霊の根本原理を科学的に説明してみよう。それには便宜上科学の方程式に則り、理論科学と実験科学との両面から検討してみるが、今のところこれが最も正しい方法であるからである。そこで霊の曇りとは何であるかというと、これこそ薬剤の毒化したものであって、その本質は不純水素である。不純水素とは水素中に毒粒子が混入されたもので、この毒粒子を潰滅すれば純水素となり、病原は根絶される訳だが、これには非常な高熱を要する。それによってこの毒粒子を焼尽出来るからである。しかしこの高熱は地球上未だ嘗て存在しなかったところのXであるが、幸いなるかなこの説明に最も好都合な一事が発見された。それが彼の原子爆弾であって、人も知るごとく原爆の高熱も今まで全然なかったもので、二十世紀の今日初めて発見されたもので、この点よく共通しており、偶然の一致というよりももちろん神意の表現である。ただ異うところは原爆の熱は体の熱で、浄霊のそれは霊の熱であるから、その強力さは比較にならない程のものである。すなわち体熱の方は限度があるが、霊熱の方は限度がない程の高度であって、もちろん科学では発見出来なかったのである。もっとも発見出来ても人為的には作り得ないから、この点から言っても原爆とは比べものにならない程の性能である。しかし科学が現在より数層倍進歩した暁、あるいは発見出来るかも知れないが、それは今のところ未知である。ではこの本質は何かというと、これこそ太陽の精であって光と熱の霊である。私はこれを名付けて火素といっているが、この火素が不純水素に向って放射されるや、水素中の毒粒子のみ一瞬にして焼尽される。つまり病原を焼いてしまうのである。というのは体的不純物と異い、霊的の方は霊熱でなくては焼けないからである。その方法としてこれも私は一紙片に「光」の文字を書き、それを希望者に頒ち与える。するとこれを御守として懐中へ入れるや、太陽から不断に放射されている火素が、私を通じて御守に伝流され、その人の掌から放射される。ちょうど太陽が放送局とすれば私は中継所であり、術者は受信機と見ればいい。それによって毒粒子は全滅し純水素となって漿液中に吸収され、かくして病気は全治するのである。これを一層分りやすくいえば、例えば痛む個所に向って手を翳すやたちまち痛みは去る。それは患部の曇りが間髪を容れず解消し、体に映るからであって、しかも毒粒子は結核菌でも伝染病菌でもあらゆる菌の発生原であるから、それが全滅するとしたら、これこそ万病治癒の理想的医術である。以上で大体判ったであろうが、これを大雑把に言えば、医療は溶けかかった毒素を固める方法であり、浄霊はより溶解し排除させる方法であるから、前者は病気保存法であり、後者は病気解消法である。としたら公平に見ても、治る方が科学であり治らない方が非科学であるから、私は医学は非科学であるというのである。その例として医学の説明をみればよく分る。なるほど徴に入り細に亘ってはいるが、ことごとく枝葉末節的で、根本には触れていない以上、実際に合わないのは医師も認めているはずであろう。ちょうど枯死せんとする樹木は、原因が根にあるのを知らず、枝や葉を研究するようなものである。
これで病理と医学の大体は理解されたと思うが、要するに現代医学は根本が不明であるため合理性がない低科学である。これに反し浄霊医術は合理的高度の科学であり、未来の科学である。その証拠として低科学の頭脳をもって浄霊の驚異的効果を見る時、奇蹟として驚歎するが、実は奇蹟でも何でもない。治るべき理由があって治るのであるから当然である。これについて何人も知りたいであろう事は、一体太陽の精などという素晴しい力が、なぜ私という人間を通じて万人の病を治すのかという事で、全く世紀の謎である。しかしこれを説くに当っては深奥なる神秘を露呈しなければならないから、次に譲る事とする。
御論文〔浄霊は科学療法なり〕 【註 栄光二四七号】
浄霊は科学療法なり(2)
(栄光二四七号)
前にかいたところの太陽の精なるものは、もちろん太陽の霊であるのは言うまでもないが、ではなぜ今日まで地球上それが現われなかったかというと、これには大なる神秘的理由がある事であって、それを詳しく書いてみよう。すでに述べたごとく人間は霊と体との両原素から成立っていると同様、地上といえども霊界と現界との両面から成立っており、その霊界もまた二つの原素から成立っている。その一つは霊気界、今一つは空気界である。そうして前者の本質は火主水従であり、後者のそれは水主火従であり、すなわち陽と陰である。この理によって万物は太陽の精と月の精が抱合一体となって地球を哺育している。つまり父と母が協力して子を育てるようなものである。というように日月地の三位一体によって生まれるこれが自然力であって、これによって一切万有は生成化育されているのであって、これが宇宙の真相である。しかもその中心としての王者が人間であるから、人間なる者は神を除いての最高位の存在である。この故に万物は人間のために存在し、人間を哺育する以外の何物でもないのである。
以上は人間と宇宙との関係であるが、ここに驚くべき大異変が近づきつつあるのである。それは史上空前の一大驚異であって、今日までの世界は夜の世界であったのが、今や昼の世界に転換せんとする、その黎明期が現在であるといったら、恐らく何人といえども何が何やら見当がつかないであろう。そこで言うであろう。昼と夜とは一日の内にあるだけではないか。それを時代的に結びつけるなどは荒唐無稽もはなはだしいとして一笑に付するであろうが、それも無理はない。私といえども真相を知らないとしたらそう思うのはもちろんである。しかし私は神示によって知り得た以上、信ぜざるを得ないのである。しかもこれは真理である以上、この文をよく読めば必ず納得がゆくはずである。
以上のごとく火主水従の霊気界、水主火従の空気界の両素が渾然融合し大気界が構成され、この地球を囲繞しているのであって、五感で分る一日の昼夜なるものは、言わば体的昼夜であって、これとは別に時間を超越した霊的昼夜のある事を知らねばならない。これこそ最も重要な意義であり、宇宙の大神秘である。すなわち現界の昼夜を無限大に拡げたようなもので、空と同様であるから人間には分らないが、しかし規則正しく流転しつつある。しかもそれが十年に、百年に、千年、万年といったように大中小になっている。その一期間は三、六、九合計十八になっており、これが宇宙の実相である。彼の釈尊が唱えた五十六億七千万年後ミロクの世が来るとの説は、文字通りとすれば、余りに長過ぎて実際上無意味であるのは、全く右の数字を示唆したに外ならないのである。そこで前へ戻るが、今までの夜の世界は月の主宰であり、月は水であり体であるから、物質文化が発展したのであるが、それに反し昼の世界は日の主宰で、日は火(霊)であり、精神的である。またこれを善悪に別ければ体が悪となり、霊が善となる。これが真理である。従って今までの世界は悪主善従であったのが、今度は善主悪従の文明世界に転換するのである。つまり悪主善従のため現在のごとき地獄世界が生まれたので、これが長く続くとしたら、結局人類の破滅にまで及ぶのはもちろんで、彼の原子爆弾の発見もその一つの示唆に外ならないのである。このように神の経綸の深奥なる到底人智などで窺知し得られるものではない。以上によって世界の今後の動きはほぼ分ったであろう。彼のキリストのいった世の終りと、そうして天国は近づけりとの予言もこれであり、私の宣言する病貧争絶滅もその基本的条件である。そのまた基本が病気の解消であるから、神はこの鍵を私に与え給うたので、私は現在病の解決を主眼としているのである。
以上によってみても、この大経綸たるや破天荒的大偉業であって、この結果文明は革命され、第二紀元の誕生となるのはもちろんである。これは余りに驚異的な説で、この著を読んだだけでは茫然として理解は困難であろうが、事実は飽くまで事実であり、しかもその時は迫っている以上、一日も早くこれに目覚められん事である。
ここで今一つの重要事がある。それは前記のごとく物質文化発達の途上長年月にわたって犯した悪主善従による罪穢の堆積である。これを人間についていえば、体的には薬毒であり、霊的には悪による曇りである。これが霊界における火素の増量によって、浄化作用も旺盛となり、最後は決定的清算が行われるのである。これがまたキリストのいった最後の審判でもあるとしたら、この難関を切り抜けなければならないが、それに失敗したら何人を問わず永遠の滅びとなるのである。この事は今私が唱えるのではない。すでに幾多の聖者、賢哲が幾千年前から予言された事であって、これを信ずる信じないはその人の勝手だが、私は信じられる証拠としての奇蹟を現わしつつある現在、何ら疑うところはないはずである。
これを説くのは、なにしろ足掛りがないのですから、なかなか難しいのです。全然新しい理論と、新しい説です。それで、最初のはどうやら分るでしょうが、後のは、もう少し分りやすく書くつもりですが、とに角まだ出来たてですから、なかなか分り難いのです。一番分り難いのは、夜昼の関係です。霊界における段階、つまり大・中・小に分けると、何万年・何千年・何百年・何十年・何年・何カ月と、それがみんな五・六・七、五・六・七と三段になっているのです。それで、大きく分けたのが三段階なのですから、それでみると歴史の治乱興亡、そういった事も大体分るのです。それでこれを本当に言ったら、なかなか切がないのと、それほど奥深い事を知る必要もないのです。ただ夜の世界が昼の世界になるという事で、それになれば、今まで水素が多かった霊界が、今度は火素が多くなる。そうすると、暗かったのが明かるくなる、夜が昼になるというわけで、そこで浄化が強くなるという……これは何時も説いている事ですが、それだけの事を知ればよいのです。そこで、病気の治る原理という事が分ると、それだけでよいのです。信者の人は大体分ってますが、未信者に大体の事を分らせるために書いたのですから、これを幾度も読めばだんだん分って来るわけです。つまり、これは何事もそうですが、急所がありますから、それが分れば、後は自然に分るのです。そのつもりで読めばそう難しい事はないのです。
時間がありますから、地上天国について少し話をします。今まで出来ただけは幾度も見られたでしょうが、まだこれから、秋には会館と水晶殿が出来ます。美術館の方は来年になるつもりです。ですからまだ非常に変ります。変るという事は、まだまだウンと良くなります。それに美術館も漸く設計が出来ました。と言っても頭の中に出来たのです。これは箱根の美術館とは又全然違っているのです。様式も周囲の工合も素晴しいものです。今度の熱海の美術館が出来ると、箱根の美術館はバラックぐらいに見えるようになります。これを見たら、アメリカの人も驚くだろうと思います。とに角そういうような工合で、全部出来上がったら一大驚異で、大いに問題になると思います。それも、日本ばかりでなく世界的問題になると思います。外国でも、写真入で大いに紹介するだろうと思います。そうすると、取敢えず、日本の人口の三分の一は是非来なければならないような事になります。去年の日光見物人の統計が出てましたが、年間二百四十万人です。ですから今度の熱海の地上天国がだんだん知れるに従って、一年間にその半分は大丈夫ですから、百万以上は必ず来ます。この間もアメリカの新聞記者が言ったとおり、西では京都・奈良、東では箱根・熱海が、まず日本の見るべき文化財という事になります。ですから外人も大変なものです。二、三日前に、去年の外客の統計なども出ており、今後の見込という事も出てましたが、年々増えつつあるのです。今のところは幾らでもありませんが、今に熱海の地上天国を見物したいというそれが主な目的で来る外客も随分あるようになると思います。それほど期待を持ってよいと思います。そうなると〝救世教というものは一体何だ〟〝随分素晴しいものだ〟という事になります。そして又これが出来ると、無論美術館に陳列すべき物も大体用意してありますが、これは開館になるまで、できるだけ秘密にしておくつもりです。そうして一ぺんにパッと見せた方が値打がありますから……。素晴しい美術館が出来るわけです。そこで、そんな美術品などが集まるのは、人間的に考えれば実に不思議です。しかし神様がそういうふうにやっているのですから、私は別に何も心配してないし、あんまり手数もかからないのです。一人(独り?)でに来るようなものです。その一例として、今年の三月に三越で、浮世絵展覧会をやりますが、これは私の方が一手でやるのです。これは毎日新聞社の企画ですから、毎日新聞社が大いに骨折るわけです。私は肉筆を主にして集めました。世の中は外国の影響によって版画が浮世絵のように思って、肉筆というものに関心を持たなかったのです。そこで良い物が割合に安く入りました。そうすると時期が来て、美術館の別館を計画した頃から約半年ぐらいでバタバタと集まってしまったのです。面喰うぐらいに集まってしまったのです。ところが集まってしまってから、博物館の人も、その方の専門家も、日本一だというのです。普通では浮世絵を日本一と言われるぐらいに集めるというのは、何年、何十年かかるか分らないのですが、それが僅かの年で集まるという事は、実に神様がやられているという事が分ります。そういうわけで、神様の腕前と言うか、それは実に素晴しいものです。それに、そのスピードたるや、実際私がやっていながら、ウカウカやっていても、それを振返ってみて、あんまり早いので驚きます。なにしろ熱海の地上天国が完成すれば、これは世界的に有名なイタリヤのヴァチカンとかフランスのルーヴル美術館と匹敵する事になります。それで、アメリカにはそういったものは問題にするものがないのです。二、三日前に、湯川博士と誰かの対談が時事新報にでてましたが、それによると、湯川博士の話では、アメリカは文化財的には見るものが全然ない。要するに機械文明ですから、ただ大きな家とか、そういうものは素晴しいが、美術的に観賞するというものは殆んど無いそうです。そういう事になるとやはりヨーロッパです。ヨーロッパとすると、まずローマのヴァチカン、フランスのルーヴルとになり、支那では、古くて汚れてしまってはいるが北京城でしょう。そのくらいなものでしょう。それらに匹敵する事ができるのは熱海の地上天国です。そうすると、私の方は出来るのに十年です。工事にかかったのが終戦の明くる年ですから、二十一年からとしても、三十一年で丸十年ですから、再来年で十年です。そうすると、他は全部何百年……千年近いです。しかも大勢の人がかかったのです。当時の主権者、王様とか、金持という者がやったのです。ところがこっちは、私一人の力です。それも、別に日本銀行の大株主に叔父さんがあるわけではなく、何の金力の後援もありません。なにしろ十九年に箱根に神山荘を買った時には金が六万円しかなく、後は何も無かったのです。それが僅か十年の間にこれだけのものが出来てしまったのです。とは言っても、私がやったのではなくて、神様がやったので、私は番頭で御指図どおりにやったのですが、その早さというものは驚くべきものです。
それについて、この頃は御守の「光」の文字を書くのが又早くなって、六秒で一枚になりました。六秒で書いたもので何百何千という人を救えるのですから、その早さと力というものには私自身が驚いてます。
そういうようなわけで、熱海の地上天国が出来てから、だんだん世界に知れるようになると、結局、〝救世教は大変なものだ〟〝一体誰がやっているのか〟〝岡田茂吉という人間だ〟〝岡田茂吉という人間は今まで新宗教の教祖だったが、ではどうしても研究してみよう〟という事になって、〝岡田茂吉研究〟という事になり、〝それには奴の書いた本を読まなければならない〟というので、そこで私が書いたものが大いに売れ、みんな読むだろうと思います。それがこっちの大いに狙う所です。そうすれば医学とか自然農法……大体医学ですが……そういう事が自然にすっかり分るという事になると、前には色眼鏡をかけて見たのだからどうしても色眼鏡の色に見えますが、今度は今のように余程色眼鏡が薄くなるからはっきり見えるというので、本当に考え出すという事になりますから、そうなると少し分り出すと大変な発展をする事になります。神様はいろいろな手を打ちますが、人間の考えと違って、奇想天外です。地上天国や美術館がそういうような効果を生むような事になるという事は思いもつかないわけです。そうでないと、一人々々病気を治して、そうして知らせるとしたら、何時の事になるか分りません。この地上天国の出来上がってからというものは一ぺんに世界に知れますから、この地上天国の完成という事は大変な大きな意味になるわけです。私の頭に出来ているものは来年あたりになると生まれますから、そうすると、あまりに素晴しいので、信者の人でも喫(吃?)驚します。そこで、今までいろんな誤解や圧迫やいろいろな事で、大いに気がはっきりしなかったのが、日本ばかりでなく世界的に一ぺんに、思ったように、理想の実現化――夢の現実化――といったような時期が来るわけで、それが今年から非常に近寄って来たわけです。だから、今度は本当に、言わば檜舞台――本舞台――というわけで、本舞台に上るわけになりますから、働き甲斐があるというわけです。
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