浄霊の原理については、今までも随分書いたり話してありますが、最初全然知らない人に言うのは、なかなか分り難いのです。しかも智識階級の人はどうしても、信仰的でなく科学的に説かなくては承知しないわけですから、科学的に説いてみたのです。そうすると、浄霊が科学で、医学の方が非科学という事になるのです。それを〝なるほど〟と思うように書いてみたのですが、これはなかなか難かしいのです。これはそれだけを書いたのですが、徹底させるにはその次を書かなければならないのです。それは今書いてますから、この次あたり出来るだろうと思います。とに角浄霊の意味だけを読ませてみます。
御論文〔浄霊は科学療法なり〕 【註 栄光二四三号】
浄霊は科学療法なり(1)
(栄光二四三号)
これは以前からよく信者が新しい患者を扱う場合、浄霊の原理を訊かれるので、簡単に分りやすく説明をしたいという希望を聞くので、私はここにかいてみたのである。というのは散々医療を受けても治らない病気が、浄霊を受けるやアッ気ない程速かに治るので、驚くと共にその理由を知りたいと思うのは無理もない話である。もっとも浄霊をする方にしても、一度はそういう経験が必ずあるであろうが、今までのところ時期尚早の関係もあって、私は余り徹底的には説かなかったから、ここに詳しくかくのである。ところで昔から病気は医者と薬で治すものと相場が決っているばかりか、今日の人間は何事も科学ならでは信じられないという科学至上主義になり切っている以上、解するに苦しみ、訊きたいのも当然であろう。それについて最も肝腎な事は医学と科学との関係であって、これをまず知る事である。なるほど他のあらゆるものは科学で解決出来るのは言うまでもないが、独り医学に限ってそうはゆかないどころかむしろ見当違いもはなはだしいのである。というのは人間と人間以外の一切とは根本的に相違している事である。それを詳しくかいてみよう。
そもそも人間なるものは万物中最高級なる生物であって、実に神秘霊妙到底人智では計り得ないものがある。ところが科学はそのような深い点は全然未知なるがため、人間を以って単なる一個の動物とみなし、物質である肉体のみを対象として来たのであるから、病気をもって肉体の毀損と解し、薬剤や機械等の物質をもって修理しようとするはなはだ単純な考え方であった。しかし事実はそんな簡単なものではない。人間は肉体以外生命力というむしろ肉体以上重要な霊的個体なるものが存在しており、それが体との密接不離な関係にあって、人間は生きて活動出来るのである。しかし霊は無に等しいものであるため、唯物科学では発見されなかったのである。という訳で科学は肉体のみの研究に耽っていたのは、彼の死体の解剖などを見てもよく分る。従って何程進歩したといっても、両者の一方だけであるから跛行的進歩でしかない以上、いかに努力したとて結局徒労以外の何物でもないと言えよう。
以上のごとく人間は霊と体との両面から成立っており、霊が主で体が従となっているのであって、これが万有の法則である。そうして病気なるものは体にある保有毒素が霊に移写して曇りとなる、それへ自然浄化作用が発生して曇りが解消すると共に、それがまた体に写って毒素は溶解し排除されるので、その苦痛を言うのであって、つまり前者は霊体一致の緯の作用であり、後者は霊主体従の経の作用であるのであって、この理を充分知る事が肝腎である。では一体曇りの本質は何かというと、これこそ無色透明である霊に不透明な部分が発生するそれをいうのであって、これが真の病原であるから、これを払拭すれば病気は治るに決っている。この方法が浄霊であるから、浄霊とは読んで字のごとく霊の曇りを浄める手段で、これが真の医術である。従ってこれ以外の療法はことごとく非医術である事を知るべきである。以上が病原と治療との根本原理であって、一言にしていえば病気とは外部に現われた症状であり、病原は内部にある曇りである以上、この解消こそ真の治病法である。ところがその理を知らないがため医学は現われた症状さえ除けばいいとしているので、たとえ効果があってもそれは一時的で、必ず再発するのは医師も常に経験しているはずである。
では一層突進んで浄霊の根本原理を科学的に説明してみよう。それには便宜上科学の方程式に則り、理論科学と実験科学との両面から検討してみるが、今のところこれが最も正しい方法であるからである。そこで霊の曇りとは何であるかというと、これこそ薬剤の毒化したものであって、その本質は不純水素である。不純水素とは水素中に毒粒子が混入されたもので、この毒粒子を潰滅すれば純水素となり、病原は根絶される訳だが、これには非常な高熱を要する。それによってこの毒粒子を焼尽出来るからである。しかしこの高熱は地球上未だ嘗て存在しなかったところのXであるが、幸いなるかなこの説明に最も好都合な一事が発見された。それが彼の原子爆弾であって、人も知るごとく原爆の高熱も今まで全然なかったもので、二十世紀の今日初めて発見されたもので、この点よく共通しており、偶然の一致というよりももちろん神意の表現である。ただ異うところは原爆の熱は体の熱で、浄霊のそれは霊の熱であるから、その強力さは比較にならない程のものである。すなわち体熱の方は限度があるが、霊熱の方は限度がない程の高度であって、もちろん科学では発見出来なかったのである。もっとも発見出来ても人為的には作り得ないから、この点から言っても原爆とは比べものにならない程の性能である。しかし科学が現在より数層倍進歩した暁、あるいは発見出来るかも知れないが、それは今のところ未知である。ではこの本質は何かというと、これこそ太陽の精であって光と熱の霊である。私はこれを名付けて火素といっているが、この火素が不純水素に向って放射されるや、水素中の毒粒子のみ一瞬にして焼尽される。つまり病原を焼いてしまうのである。というのは体的不純物と異い、霊的の方は霊熱でなくては焼けないからである。その方法としてこれも私は一紙片に「光」の文字を書き、それを希望者に頒ち与える。するとこれを御守として懐中へ入れるや、太陽から不断に放射されている火素が、私を通じて御守に伝流され、その人の掌から放射される。ちょうど太陽が放送局とすれば私は中継所であり、術者は受信機と見ればいい。それによって毒粒子は全滅し純水素となって漿液中に吸収され、かくして病気は全治するのである。これを一層分りやすくいえば、例えば痛む個所に向って手を翳すやたちまち痛みは去る。それは患部の曇りが間髪を容れず解消し、体に映るからであって、しかも毒粒子は結核菌でも伝染病菌でもあらゆる菌の発生原であるから、それが全滅するとしたら、これこそ万病治癒の理想的医術である。以上で大体判ったであろうが、これを大雑把に言えば、医療は溶けかかった毒素を固める方法であり、浄霊はより溶解し排除させる方法であるから、前者は病気保存法であり、後者は病気解消法である。としたら公平に見ても、治る方が科学であり治らない方が非科学であるから、私は医学は非科学であるというのである。その例として医学の説明をみればよく分る。なるほど徴に入り細に亘ってはいるが、ことごとく枝葉末節的で、根本には触れていない以上、実際に合わないのは医師も認めているはずであろう。ちょうど枯死せんとする樹木は、原因が根にあるのを知らず、枝や葉を研究するようなものである。
これで病理と医学の大体は理解されたと思うが、要するに現代医学は根本が不明であるため合理性がない低科学である。これに反し浄霊医術は合理的高度の科学であり、未来の科学である。その証拠として低科学の頭脳をもって浄霊の驚異的効果を見る時、奇蹟として驚歎するが、実は奇蹟でも何でもない。治るべき理由があって治るのであるから当然である。これについて何人も知りたいであろう事は、一体太陽の精などという素晴しい力が、なぜ私という人間を通じて万人の病を治すのかという事で、全く世紀の謎である。しかしこれを説くに当っては深奥なる神秘を露呈しなければならないから、次に譲る事とする。
大体これで分る筈ですが、若し分らなかったら、読み方が足りないのだから、何べんでも読めばよいです。結局この急所ですが、霊体一致で、体の毒素が霊に写るという事は、今言ったように緯の作用です。それからそういったのを治す場合に、霊を浄めて、それが体に写って毒素が出るというのは経の方法なのです。こういう事にも、非常に面白い事は、経の方の霊主体従は、言い変えると善主悪従であるわけです。善の働きです。それから緯の方は悪主善従になるわけです。要するに今の世の中は悪主善従です。だから薬という毒をのんで霊に写すというやり方になっているのです。それで、こういう点にも経と緯がよく現われてます。そこで霊主体従という事が本当のやり方になるわけです。
これから書くのが、私に、そういう太陽の力が来るという事は、何時も言うとおり、夜の世界が昼の世界になるという時機が来たという事なのですが、そうすると今までの長い間夜の世界が続いて、そうして夜から昼になる意味という事も今書いてます。これはなかなか難かしいのです。霊界の変化ですから……。そう言う事は人類の経験にも何もない、新しい説ですから、これを〝なるほど〟と思うように説くのはなかなか難しいのです。それも予備智識のある人ならよいですが、初めてそういう事を聞いたらテンデ見当がつかないです。しかし大体は出来ました。そういうようなわけで、今まで昔から偉い人が沢山出ましたが、他の事は非常に偉いですが、ただ一つ足りないものがあったのです。それが太陽の力です。というのは、夜の世界だったから、一番力のある人で月の力なのです。だからはっきり分らない事と、力が弱かったです。そこで太陽の力でやるのが、つまり救世教なのですから、いろんな理窟もありますが、力という事が、とに角今まで無かった力です。
その力を一番分るのは、非常にスピードが早いです。それについて、正月の三日間は主に地上天国について話をしたのですが、今日来た人は、お正月の三日間に来られなかったわけですから、大体同じような話をします。同じような話でも、もっと詳しく、よい話になるかもしれません。大体熱海の地上天国は、知っているとおり、この秋にメシヤ会館と水晶殿が出来ます。それから美術館は来年になります。それで、美術館もすっかり設計は出来てます……と言っても頭の中だけではありますが……。これは素晴しいもので、到底箱根の美術館とは比べ物にもならない勝れたものです。箱根の美術館は、今までのありきたりのようなやり方を、割合に廻りの風景にマッチした、調子がよいというぐらいのものですが、今度の熱海の美術館は断然新しい、ちょっと想像もつかないようなものが出来るはずです。箱根の美術館でさえ、アメリカのシカゴ・トリビューンの記者のシモンズという人は――婦人記者で、美術の方では相当名のある評論家ですが――去年の秋に見た時に、今まで世界中の美術館を見たけれども、一番良いと思ったのは、イタリヤのヴァチカン、フランスのルーヴル、それからこの箱根美術館だと言うのです。この三つが共通した点がある、その受ける感じが同じようだと言うのです。ただ箱根美術館の方が一つ勝れた点がある。それは、美術館で美術品を見ながら、目を窓の外に向けると、自然の山・海、天然の風景がある事と、庭は岩石・植物というものを芸術的に組合せて効果を現わしているという事は、これは他にないという事です。庭はそうではないが、箱根の美術館はちょっと試験的にやったものですが、それですらそれだけに認められるのですから、今度熱海の美術館が出来、熱海の地上天国が完成すると、とに角素晴しい話題に上るだろうと思います。それは日本ばかりではないのです。アメリカは勿論ですが、いずれはヨーロッパの方にも大いに評判になるわけです。その次に来たのは、婦人で、ニホン・タイムスの記者をしているエリス・グリリという人です。主人はNHKの英語放送の主任ですが、この人は、これから大いにアメリカに紹介するという事を言ってます。それから、シカゴ・トリビューンの方には出たそうですが、送ったのが暇がとれるとみえてまだ着きません。そういうようなわけで、とに角世界的に認められ、むしろ熱海の地上天国を見たいとして、相当の外客がそれを当に来るだろうと思ってます。そういうようなわけですから、日本内地は、無論大変な評判になると思ってます。去年の日光見物に行った客の統計を見ますと、二百四十万人というのですから、少なくともその半分は大丈夫だと思ってます。そうすると百二十万人が来るとすると、随分大変だろうと思ってます。そうしてそれを見て、信者以外の人は今さらのように喫(吃?)驚するだろうと思ってます。今見たところで、まだ半分出来てないのですが、今でさえみんな相当喫(吃?)驚しているのですから……。グリリという夫婦の記者は、見た感想を書くつもりだったが、あんまり思ったより雄大すぎるので書けない。だから書くのをやめて、ただ箱根を見ろという事だけを書くつもりだという事を言ってました。その時に放送局の古垣会長は来たかと言うから、来ない、おそらく知らないだろうと言うと、それはけしからん、大体これだけのものが日本に出来ているのに来ないという事はない。おまけに古垣という人は熱海に居るのです。大いに言ってやらなければならない、と。それで言ったとみえて、昨日その報告がありました。近々にその外人が古垣連れて来る、だから会って話をしてもらいたいという事でしたから、きっと来るでしょう。しかし、見て〝なるほど〟と思っても、放送局で特に救世教を紹介するという事はなかなかできないのです。何かしかるべき方法を考えるだろうと思ってます。それが日本の社会状態がアメリカあたりとは全然変ってきます。アメリカは、良いと思えばどんな事をしても早く社会に知らせようとして発表するのです。それが日本では、特に宗教というのは、宗教宣伝という事は特に悪いような一種の不文律のようなものがあります。だから言論機関とか放送局というのはそういう事を嫌うというよりか、いけないとしてあるので、妙な話です。宗教でも、良ければよいのです。国のため社会のためになれば結構なのですが、どうもそれがいけないらしいのです。だから今まで幾度か放送がありましたが、必ず救世教だけの放送はないので、必ず他の宗教をお付合に出すのです。そうすると新宗教を批判するとかいう意味になるからよいのです。この間の放送なども、お付合に出された新宗教はお気の毒だと思ったのです。一番終いの交成(佼成?)会は話をしかけでおしまいになって切ってましたが……。ですからアメリカのそういう話を聞いてみると、実によいです。全くアメリカが隆盛になるという事がよく分ります。それから又、いろいろ宗教的の意見を聞いたので話してやりましたが、日本人からこういう話を聞いたのは初めてだ、自分は四年ほどずっと日本に居るが、他の日本人は私の言う事と違うと言って非常に褒めてました。それで私は、アメリカの人は大きなものを大きな目で見るから分るのだ、日本の新聞記者は大きなものを小さな目で見るから見えないのだと言ったのです。アメリカの記者はそういうふうに私の考えている事とよく合う。ところが日本の新聞記者などはこれを見ると〝救世教の奴なかなか金儲けがうまい〟とか〝どうしてこれだけのものを造るだけの金を儲けるのか〟と、それだけぐらいなものだと思うと言ったところが、大笑いをしたのです。とに角日本人の、そういったジャーナリストなどは、どんな良い事があっても、それよりか、何か欠点を見ようとしているのです。それが一つの習慣みたいになっているのです。それはそれとして、熱海の地上天国が出来ると、世の中は驚くと共に、〝では一体これは何者だ〟〝これは救世教の教祖だ〟〝では一体その教祖という人間はどういう人間だ〟という事になりますから、〝岡田茂吉という人間だ〟〝それでは一つ研究してみよう〟というので、〝岡田研究熱〟というものがきっと起こると思います。なにしろ最初の内は、〝とに角岡田という奴は怪物だ〟ぐらいのところですが、その後は〝あいつは曲者だ〟という事になるから、〝怪物〟から〝曲者〟になります。それからだんだん出世して来て〝奴もやはり一個の人物だ〟という事になります。それで〝奴を研究するには著述が一番だ、書いた物を読むのが一番だ〟というそのために私の書いた物が非常に売れると思います。そうなると結構なのです。いろいろ読めば結局、もっと肝腎な医学――しかしそれまでには農業の方が実際的に拡がりますから大した事はないが――と、いろいろな新しい説なども頭に入りますから、そこで非常なよい結果になると思ってます。それもこれもみんな神様がチャンとそういった計画をされているのだからそつはないのです。けれども地上天国、美術館などがそんな素晴しい役目をするという事なども、ちょっと考えられなかったわけです。そういった美術によって教えを弘めたという事は聖徳太子が大いにやったわけですが、それで地上天国について考えてみると、なるほど日本で今まで、秀吉が大阪城を造るとか、家康が二重橋とか……尤もこれは太田道灌が大いに拡張したものに違いないですが……日光にしても三代将軍が当時の美術家を動員してあれだけのものを造ったには違いないが、その目的たるや、つまり徳川の権勢を維持する事と、それによって大いに国民を威圧的に勢力を植付けるという事と、又一説にはまだあの自分には秀吉の残党が相当潜んでいたから、それに対して当時の大名が気勢があるので、それには金を捲上げ、懐を減らすのが一番よいというので、ああいう金のかかるものを造って、金を吸い上げるのが一つの目的だという説がありますが、何処まで信をおけるか分らないが、それも幾らかあったでしょう……。それであれだけのものを造ったので、そうしてみると芸術的のものはないので、ただ立派だというだけで、外国人は大して感心してないです。そういうようで、日本のそういった大きな建築物にしても、自己の権勢を誇る事と、戦争の方の防備という意味が多分に含まれていて、本当に大衆のためにという事は殆んどなかったです。それから世界的にみると、ヴァチカンにしても、宗教的に自然にああなってしまったのです。そして美術としても絵画・彫刻が主な物で、他の物はあんまり無いです。絵画は素晴しいもので、私は写真で見ましたが、それは驚くべきものです。ルーヴルは大体絵画です。尚彫刻・陶器とかいうような物であっても、フランスだけの美術です。他には美術館だけで言えば英・米ですが、これも東洋美術は支那陶器と銅器だけで、後は大した物はないようです。そういうようなわけで、本当に大衆に楽しみを与え、それによって人間の思想を良い方に導き、向上させるというような目的で造られたものはまだ世界にないのです。今度私が造る地上天国が初めてでしょう。これからはこの真似をしてやる者もできるでしょうが……。そういうようで、公平に見て素晴しいものだと思います。では出来たらどうかというと、さっきも言ったとおり、何んと言うか、実際を見なければちょっと分らないようなものなのです。それでこの間も言ったとおり――アメリカの新聞記者が言った事でもあるが――日本を西と東に分けると、西は京都・奈良、東は箱根・熱海が、日本における文化財の見るべきものだという事です。これは私が思っている事と同じで、結局そういう事になるに違いないと思ってます。京都・奈良は、奈良は千年以上で、京都は大体平安朝が一番で、それから桃山にかけですから、四、五百年から七、八百年という年数がたってます。そうして大勢の人が大変な金をかけたに違いないです。ところが私が此処を始めたのは終戦後ですから、二十一年からで再来年で丁度十年です。十年間でそれに匹敵するものを造ったのですから、その早さにおいては、実に私も驚いてます。しかし神様がやっているので、私はただ案外楽々とやってますが、何時かしらこんなものが出来てしまったわけで驚いてます。又、この間の生誕祭をハワイのホノルルの本部でやったのです。本部はまだすっかりは出来てないが、人が入れるぐらいに出来て――今月一ぱいで出来るそうですが――参拝者が千百人あったのです。昨日の報告を見ると千二百幾らかになってますが、それが去年の三月に始めたので、それまでは足掛りも何もなかったのです。そのくらい早いです。早いという事は、神様の力があるという事です。まだいろいろ話もありますが、とに角それで大体分ったでしょう。
一言いうべき事は、この地上天国が世界的に、今言ったように、一つの話題になるとすれば、日本における救世教という宗教と、岡田という人物というものは知れるだけは知れますから、それから神様は、勿論最初はアメリカですが、アメリカをドンドン開いてゆきます。そうすると無論ヨーロッパにも開けますし、これはまだ発表しませんが、東洋におけるつまり中国における一つの根拠が出来て救世教が発展するという……最初からそうもゆきませんが、とも角一つの種をまくという事が、最近始まっているのですが、これはもう少したったらもっと具体的に話せるようになるでしょう。そういうように、こっちの目的である「世界人類を救済する」「地上天国を造る」という事も、全然夢ではない、案外早くそういう形になるという事が分るのです。それがもう一、二年たつと大分はっきりとなる事は大丈夫です。
Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.

-1-scaled-2.jpg)