よく聞かれる事ですが、〝これから世界はどうなるのだ。戦争はあるものか、ないものか。つまり原子爆弾の戦争、これはなくても済むものか、どうしてもあるのか〟という事を時々聞かれるのです。それについてザット話をします。一応は心得ていてよいと思います。これからの世界の動向を見る時に、一番の急所はソ連の考え方です。とに角今世界をアメリカがリードしているようですが、そうではないので、本当はソ連がリードしているのです。ソ連次第で平和にもなり戦争にもなるのです。ソ連というのは世界のダダッ子です。これが暴れるか大人しくなるかという事で、世界中の人間が不安なわけです。では、一体ソ連の考えはどういう考えであるかという事をザットお話します。勿論伝統的に世界制覇が国是のようになっている国です。これは前のロマノフ朝時代からそうなのです。その点は、共産主義になってからも変りがないのです。ただ手段が違うわけです。これは説明の要はありませんが、大体共産主義というものは、マルクスが唱え始めた主義です。そこでそれをレーニンが具体化と言うか、実行に移したわけです。その根本は世界制覇であって、ただその手段が、ナポレオンとかヒットラーのような暴力ではなくて、思想によって世界を制覇しようというわけです。そこでその背景としての軍備であって、どうしてもやむを得ない時には軍備を使うが、しかしそれは損だから、できるだけ思想を使うということになっているのです。その方法として学者と労働者ですが――これは共産宣言にもありますが――。この学者と労働者をおどらしてやるというわけで、これは日本に一番に現われてます。学者というのは学校の教授連です。特に大学の教授が中心になってます。だから学校の生徒を共産カブレと言って騒ぐのは滑稽なのです。生徒は先生次第です。だから生徒をつるし上げたところで仕方がないのです。つまり学校の教授なのです。これについて一昨年でしたか、今の木村保安庁長官が、長官にならない時分に箱根の美術館に来て、私は一時間ばかり会って話をしました。その時に――あの人は共産主義がばかに嫌いなのです。共産主義に対する非常な反感を持っているので、それがあの人が保安庁長官になった一つの理由だろうと思っているくらいです――私は、共産主義をやっつけるのは、結局新聞と大学教授……これだけの頭の切り替えができれば何んでもない。という事を言った事がありますが、そういうようなもので、結局大学教授と新聞特に大新聞が、共産主義を蔓延こらせないような頭になれば、そう心配する事はないです。今一番心配するのは大学教授と大新聞の中にいる赤の分子で、これだけを気をつければよいのです。他には何も力になるものはないのです。大学では、京都大学に根強いメンバーがあるのです。だから京都大学には今もって始終ゴタゴタがあるのです。では、一体大学教授なるものが、なんでそんな宣伝をするかというと、日本が共産国家になれば政府が変りますから、その政府になれば、日本をそうするのに骨折った人の論功行賞がある場合に、大学教授は少なくとも知事くらいにはなれるのです。中には国務大臣ぐらいになるでしょう。それが一番出世が早いのです。それでなければ、教授連中が正直に講義して、安月給をもらったところで、大した出世の道はないのです。大学の総長になるという事は大変ですから、一番手取り早い出世は日本を共産国にして、その政府の重要な職になるという事なのです。ですから、つまり日本の国家とか国民という事は頭にないので、自己が出世する事だけです。それには政府を変えてしまうという事が主なる目的なのです。それはすっかり話し合って、通じてやっているのです。それはごく中心ですが、その他に、良い考えでやっているのもあるのです。本当に世の中を良くするというのには共産主義が一番よいという考えです。これも理窟はあるのです。それは、神はないと、神を無視する無神思想とすれば、理窟よりないから、理窟でゆけば共産主義が一番よくできているのです。〝最大多数の最大幸福〟というのですから、つまり中以下の下層階級が一番多いのですから、それを幸福にするというのが共産理論の根本です。しかし事実はまる呑みにはできないのです。というのは、中共などが共産国家になったところで、人民全部が菜っ葉服を来(着?)て、ああいう着物を着ようとか、こういう着物を着ようという個性は非常に圧迫されているわけです。丁度昔の朝鮮が白い一定の形をした服を着てましたが、それを中共が真似したようなものです。食うだけは心配なく、学校は只で行けるし、教課(科?)書も只でもらえるし、税金なども日本のようにビクビクする事はないです。だから、大多数の者は相当幸福です。その代り、少し頭のある者や腕のある者は困るのです。どうしても政府の重要な人間にならなければ個性を発揮する事はできないのです。しかし理窟から言えば、多数の人間が幸福になるのだから、理窟はよいです。その点においては、この理窟を壊すという事は難かしいために、今もってああいった学者階級、学生というものが共産主義を非常に讃美するわけです。これはわれわれの方で宗教的に言えば全然違いますが、物質的にはそうなるのだから、そこでどうしても若い学生などがそれに乗りやすいわけです。そういう意味と、それから労働者階級ですが、これは賃金だけの事です。今までよりも賃金を増やせというわけなのですが、それには資本家を困らしてウンと賃金を上げる、それにはお前達共産主義になれというのですから、これはどっちかと言うとたわいないもので、根強いものではないのです。しかし、一つの外郭団体として、なにしろ数がありますから、相当大きな役目はしているわけです。この間の新聞にも出てましたが、武力革命で相当根強くやっていて、以前は密輸してましたが、今は製造しているのです。何処か山の中に籠ってやっているのでしょう。とに角武器の製造という事は大分関心を持ち始めたようです。そうして結局日本の武力革命をやろうと思っているのです。今話した事は、ごく根本的ではない枝葉的の事で、根本はどうだというと、これはソ連です。共産主義というものも一つの宗教で、これは無神宗教です。だから本山はつまりクレムリンですから、本山の意向というものは、これはスターリン時代からそうですが、アジヤを鉄のカーテンの中に入れようというのが大方針なのです。そのキッカケとして朝鮮問題を起こして、北鮮から南鮮を併合してその形態によっては……アメリカがあれほど腰を入れなければ……日本を侵略するつもりだったのです。急にアメリカがあれほど一生懸命にくい止めをやったので、あれはソ連の方の見込違いなのです。あれほどアメリカが急に力を出してくい止めるとは思わなかったのです。釜山まで押込めて、それこそ海の中に落してしまって、朝鮮全土はソ連の勢力範囲に入れるという事が九分九厘まで成功したので、いい気持になっていたところが、アメリカが連合軍を作ってくい止めるばかりか、アメリカの方で積極的に中共の方をやっつけてしまおうという政策をとったのがアイゼンアウワーで、そうしてアイゼンハウワーは大々的軍備にとりかかって、南鮮、日本とやって、蒋介石は勿論、遂には中共を包囲して大攻撃をやろうとしたのです。それで、中共は今まで散々やって疲れているから、大攻撃をやられては大変だから、アメリカの手を緩めなければならないので、あの時の大使マリクが休戦会議を唱え出したのです。そうしてとに角アメリカの鋭鋒をくい止めなければならないという事で遮二無二平和攻撃というのをやったのです。だから、アイゼンハウワーなども非常に計画が違ったのです。だからそれを最初のとおりにやろうとしても、なにしろ英国からフランスあたりが、とても戦争を嫌うからにして、アメリカに対して猛運動をやったわけです。チャーチルなども随分やったようです。そのためにアメリカは、世界の與論がピッタリ合わないとしっかり腰を入れてできないから、それではというわけで、とも角も緩めたわけです。その点はソ連の方は成功したわけです。しかし幾ら平和攻勢をしても、平和にしようというのではないし、平和になったのではないのです。つまり引延ばしで、時を稼ぐためです。そこで朝鮮会談にしろ、今やっている四国会議にしても、中共を入れろという事を頻りに言ってますが、それは中共を入れないという事は分ってますから、それをそういう事を言っているのは、引延ばしです。そうして引延ばしをやっていて、中共が疲れているのを回復しているわけです。今回漸やく疲れが治ったので、方針を変えたわけです。というのは、ホー・チーミン軍が印度支那を攻撃してますが、それが今度は相当強いのです。これには中共が相当武器を援助したのです。今まで無いような武器を使っています。そこで、たまらないのはフランスです。フランスは七、八年あれをやっているので、大変な金を使って、将校などを殺し、フランスは今ヘトヘトです。だからフランスの内閣が変るのはそれが最もの原因という事になってます。そういうわけで、ソ連の目的は印度支那をやっつけて、今度はタイ国をやろうとしてます。ですから最近タイ国は国境線に非常な軍備をしてます。タイ国をやっつけて、今度は印度を狙っているのです。そこで印度は、いずれはやられるという事が分っているから、ネールは余程以前からお世辞をつかってます。ですから、そうなったらインドとは平和的の条約を結ぶという事になるでしょう。そうしておいてイラン、アラビアの方に進出するわけです。そこまでゆかないまでも、あるいは印度ぐらいまでで一時止めて、今度は再び南朝鮮と日本ですが、或るいは南朝鮮の方は後にして日本の方を先にするかもしれません。だから、今はまだまだですが、いずれは日本は非常に危ないのです。それが薄々分っているから、そこで日本の軍備を大いに充実しようと思って、アメリカなどが非常に吉田内閣にやってます。それで渋々ながら政府も軍備をやりつつあります。ところが、ソ連の方が来るそれまでは日本に軍備を充実させてはいけない、日本を弱らせなければならないというのでやっているのが社会党左派です。共産党はそうでもないが、とに角表面立ってやっているのが社会党左派です。しかし左派は、とに角日本をやっつけようというばかりでなく、日本はソ連にくっつけておこうというわけです。ですから鉄のカーテンの中に入る、要するに第二の中共になれば、ソ連は日本を攻撃する事はないのだから、そこで軍備の必要はないと、再軍備反対を一番唱えてますが、社会党左派の方針でゆけばそれには違いないです。ところが、そうすると日本は共産国になりますから、日本人で共産政治の方を喜ぶ人はずっと少ないと思います。やはりアメリカのやリ方に賛成する人がずっと多いです。そこで共産主義の方もそう急いではいないのです。今これからやろうというのは、今言う中央アジヤ方面をすっかり手に入れておいて、日本と南朝鮮を孤立的に形にして、できるだけアメリカが援助しないような妨害をするという事や、何んとしても日本はアジヤの急所ですから、肚の中では一番に日本を目掛けているのです。又それが分っているから、アメリカは日本を非常に援助しているのです。ところがアメリカが援助しては工合が悪いから、アメリカを非難するような宣伝も大分してます。そういうようで、これからの世界の動きは、そういうふうに動いて来るわけです。これは霊的の事ではなくて体的の方です。むしろ常識的の方で、丁度ラジオのニュース解説のような話ですが、大体それだけを知っておけば、これからの見当がつくわけです。神様の方の、霊的の方は違うのです。これはだんだん分りますが、神様の方はなかなか神秘明かすべからずなのです。しかし救世教の進み方によってだんだん分って来ます。そして今言った事も、結局神様の世界の御経綸ですから、それでよいのです。共産主義というのは、神様の大きな御用をしているのです。大本教のお筆先に「細工は粒々、仕上げをごろうじろ」というのがありますが、そういうようなものでしょう。
次に今騒がれているのは汚職問題ですが、これについて書いてみました。これは無神連中とすれば、汚職問題が出るのが当り前です。神様が無いとすれば、できるだけずるい事をして、自分が贅沢したり出世した方が得です。私でも、若し神様が無いと知ったらそういうふうにします。その方が得です。ところが神様を知ったらそういう事はできないので、損です。やっぱり神様の言われるとおりやっている方が得ですから……。信仰を算盤上からゆくようですが、それでも結構です。結局人間は算盤上からゆけば一番よいのです。一番間違いないです。日本が戦争に負けたのも、つまり算盤の失敗です。実に算盤上から言って合わない事をやったのです。しかし、算盤と言うと大変卑しく聞こえますが、神様の方でも算盤です。つまり大中小と比べて、やっぱり神様は大の方に一番力を入れるのです。丁度医学や薬が悪いと言ってますが、それがために失業したりして苦しむ人よりも、病気が無くなって健康になる人がずっと多いですから、多数の人の方の利益を図った方がよいわけです。〝小の虫を殺して大の虫を助ける〟というわけで、これもやっぱり算盤です。
御論文〔汚職の母体〕 【註 栄光二五〇号】
汚職の母体
(栄光二五〇号)
周知の如く、昨今次から次へと芋蔓式に出てくる汚職事件には、誰しもウンザリするであろう。恐らくこんなに汚職問題が一度に重なり合った事は、未だ嘗て例がないように思う。勿論司直の厳正な裁きによって、何れは白黒判明するであろうが、それだけで済まされない処にこの問題の重要性がある。というのは、今回のそれは別としても、昔から年中行事のようになっているこのスキャンダルは、現われただけを裁いても、根本的解決とはならない以上、どうしても徹底的根絶をしなければならないのである。丁度ゴミ溜に蛆が湧くようなものであるから、そのゴミ溜の清掃であって、これ以外根本的解決はないと共に、国民も大いに要望しているに違いあるまい。只困る事にはその原因である急所が分っていない事である。
では、その急所とは何であるかと言うと、それこそインテリ族の最も嫌いな有神思想であって、実は汚職問題と雖も、その発生の母体は有神思想とは反対の無神思想であるから、始末が悪いのである。言う迄もなく無神思想とは、ズルイ事をしても、人の眼にさえ触れなければ済むとする怪しからん考え方であって、然も人智の進む程それが益々巧妙になると共に、出世の第一条件とさえ思われている今日である。これを実際に当嵌めてみると、そうはゆかないのが不思議である。何故かと言うと、成程、一時は巧くいったようでも、早晩必ず化の皮が剥がれるのは、今度の事件をみてもよく分る。併し乍ら、彼等と雖も或ある程度は分っているであろうが、根本的観念がこの世に神は無いと固く信じている以上、心の底から分らない為、仮令今度のような結果になっても、真に悔改める事の出来る人は、果して何人あるであろうか、疑わしいもので、大部分の人々は〝こうなったのは行り方が拙かったからだ、智慧が足りなかった為だ。だから、この次の機会には一層巧くやって、絶対引掛らないようにしてみよう〟と思うであろうが、これが、無神族としての当然な考え方であろう。従ってこの根性骨を徹底的に叩き直すには、どうしても宗教によって有神観念を培う事で、それより外に効果ある方法は絶対ない。
然も今日、以上のような無神族が上に立っている限り、官界も事業界も古池と同様、腐れ水に溝泥や塵芥が堆積しているようなもので、何処を突ついても鼻持ならぬメタン瓦斯がブクブク浮いてくるように、今度の事件の経路をみてもそう思われる。故に、今迄分っただけでも、或るいは氷山の一角かも知れないが、これが国家に及ぼす損害や、国民の迷惑は少々ではあるまい。それ処か、国民思想に及ぼす影響も亦軽視出来ないものがあろう。言う迄もなく上層階級の人々は、蔭ではあんな悪い事をして贅沢三昧に耽り、政党や政治家などが湯水のようにバラ撒く金も、みんな国民の血や汗の税金から生み出すとしたら、真面目に働くのは嫌になってしまうであろう。従ってお偉方が口でどんなに立派な事を言っても、もう騙されて堪るものかという気になり、今までの尊敬は軽蔑と変り、国家観念は薄くなり、社会機構も緩む事になるから、これが国運に及ぼすマイナスは予想外であると思う。
以上によってみても、この問題の根本は、最初に書いた如く無神思想の為であるから、何よりもこの思想絶滅こそ解決の鍵である。それには何と言っても宗教家の活動によって、神の実在を認識させる事であって、仮令人の眼は誤魔化し得ても、神の眼は誤魔化し得ないとする固い信念を植附ける事である。そうなれば汚職事件など薬にしたくも起りようがあるまい。そうして今度の事件の立役者は、高等教育を受けた錚々たる人ばかりで、地位、名望、智慧など申分ないであろうが、何故あんな事をしたかという疑問である。これこそ無神思想のためであるとしたら、この点教育、学問と、道義感とは別である事が分る。そうして、このような立派な人達が精一杯巧妙に企らんでやった事だから、知れるわけはなさそうなものだが、蟻の一穴で、一寸した隙から、それからそれへと拡がって大問題となったのであるから、どうみても神の裁きとしか思えないのである。
玆で今一つ重要な事は、日本は法治国と言って誇っているが、よく考えてみると、これは飛んでもない間違いである。何となれば、法のみで取締るとしたら、法さえ巧く潜れば罪を免れ得て、悪い奴程得になる訳である。というように、法という檻で抑えるわけだから、人間も獣扱いであり、万物の霊長様も哀れ形無しである。これが文化国家としたら、文化は泣くであろう。私は常に「現代は半文明半野蛮時代」と言っているが、これを否定出来る人は恐らく一人もあるまい。又これに就いての一例であるが、今仮に目の前に財布が落ちているとする。誰も見ていないとしたら、普通の人なら懐へ入れるであろうが、断じて入れない人こそ神の実在を信じているからである。処がこういう人を作る役目が宗教であるが、これに対して、当局もジャーナリストも甚だ冷淡で、宗教を以て無用の長物視しているかのように、兎もすればインチキ迷信扱いで、民衆を近寄らせないようにする態度は実に不可解である。これでは無神思想の味方となり、汚職問題発生の有力な原因でもあろう。
如上の意味に於て、為政者はこの際豁然として心眼を開き、善処されん事である。でなければこの忌わしい問題は、いつになっても根絶する筈もなく、これが国家の進運を阻害する事の如何に甚だしいかは言う迄もあるまい。処で、これを読んでも例の通り馬耳東風見過ごすとしたら、何れは臍を噛む時の来ないと誰か言い得るであろう。そうして今日国家が、教育その他の機関を盛んにして、人智の開発、人心の改善に努力しているが、肝腎な無神思想を根絶しない限り笊水式で、折角得た智識も善より悪の方に役立たせるのは当然であるから、その愚及ぶべからずである。何よりも、文化の進むに従い、智能犯が増えるという傾向が、それをよく物語っている。敢えて世の識者に警告する所以である。
これは新しいお説教ですが、汚職問題などで騒いでいるのは滑稽なくらいです。それで、汚職問題の原因は無神思想に決まっているのですから、その無神思想を少しもやっつけないで、結果である汚職だけを騒いでいるのです。これを二十一世紀ぐらいになったら、二十世紀の奴らはなんて馬鹿だったろうと……丁度われわれが徳川時代の封建時代の事を見るのと同じような感じがするだろうと思います。今よく歌舞伎芝居などを見ても、屁のような事で腹を切ったりしてますが、ナンテ馬鹿々々しい事かと思います。しかしその時分はそれが立派な忠臣として讃美されたわけです。ですから汚職問題も、もう五十年か百年たつと、やっぱりそれと同じように見られると思います。
それから、医学についても今まで随分書いて来ましたが、今まではあんまり思いきって言うのは、誤解したりいやに目をつけられたりするから、こっちもなるべく柔らかくしてましたが、もう時期も変って来たし、そういう事を言っていては追付かないから、思いきって医学について批評してみました。
御論文〔私は告白する〕
私は告白する
(昭和二十九年二月十五日)
私は之迄医学に対しては、随分思い切ってその欠陥を挙げたつもりだが、何しろ滔々たる今日の医学迷信を目覚めさせるには、今迄のようなかき方では、まだまだ生温い感がするので、玆に一層赤裸々に実体を暴露してみようと思うのである。何しろ神示の鏡に照らし実際を見る時、医学の迷蒙が如何に多くの人間を犠牲にしつつあるかは、到底想像もつかない程であって、到底我慢は出来ないのみか、人類の将来を思う時、慄然として肌に粟を生ずるのである。故に之を第三者が読む時、その余りの意想外な説に唖然として分りかけが出来ないであろうが、之が永遠不滅の真理である以上、心を潜めて熟読すれば、分らない筈はないと思うのである。
そこで先づ結論からかいてみるが、即ち医学は根本から間違っている事と、薬は全部毒である事との此二点であって、その証拠として若し医薬で病気が治るものなら、人間は祖先以来今日迄用いた薬の量はどの位に上るか分らない程であるから、疾の昔に病人はなくなっている筈である。又個人にしても罹病するや、早速医師に診て貰うのが常識となっており、手後れなどは滅多にあらう筈はなく、而も昔からの有名な薬や、近頃のやうに次々出て来る新薬にしても、効能顕著なりと医師も推奨してゐる位だから、病気はドシドシ治り、病人は減るばかりで、医師も売薬業者も失業者となり、病院もガラ空きとなって、閉鎖の止むなきに至る筈である。
処が事実はその反対であるとしたら、斯んな理屈に合はない話はないではないか。斯んな分り切った事でさへ気がつかず、相変らず盲蛇的に進んでいるのであるから、何と評していいか言葉はない。之も全く医学迷信の虜となっているからである。それ処か当事者は反対に医学の進歩を誇称し、偶々子供騙し的手術の成功や、一寸した療法の新発見でもあると、鬼の首でもとったように有頂天となり、大袈裟に発表すると共に、新聞やラヂオなども特ダネ的に扱うのだから、何も知らない大衆は丸呑みにして了い、益々深みに嵌り込むのである。処が事実は皮肉にも病人は益々増えるばかりで、人々は病気の不安に脅えつつあるのが現在である。
では此様な医学の根本的盲点は何処にあるかというと、之こそ問題の核心であって、即ち医療を受けるや一時苦痛が治まるので、之で治ると思うのであるが、此考え方は大変な間違いであって、実は治ったようにみえてもそれは一時的で、日の経つに従いその殆んどは持病か慢性か再発かの何れかになり、根治する者は先づないといってよかろう。然し偶には本当に治る者もあるにはあるが、それは医薬の為ではなく、人間本来の自然良能によるのである。
それを知らない医師は、医療で治ったものと錯覚するのであるが、実は医療の妨害に対し自然良能の方が勝ったまでであるから、最初から医療を受けずに放っておけば、自然良能は完全に発揮され、一層順調に而も速かに治るのである。そればかりか自然治癒であれば、薬毒も入れず反って減る以上、それだけ健康は増す訳である。といっても勿論根治とはならない。
何故なれば今日の人間悉くは、先天性及び後天性薬毒(生まれてから入れた薬)を驚く程多量に保有しているからで、全部除去するには普通人でも恐らく数十年はかかるであろう。然し自然治癒なら発病の都度軽く済むようになるから、寧ろ喜ぶべきである。そうして之で気の付いた事は、それ程多量な薬毒があり乍ら、尚生きているという人体は、如何に強靭に造られているかであって、此点造物主に大いに感謝していいと思うのである。
以上によってみても、世の中に薬が無くなれば同時に病もなくなり、百歳以上生きらるる事は断言するのである。而も死の直前までピンピン働けるから不安はなく、安心立命者となるのは当然である。故に今日の如く百歳以下で死ぬのは、悉く薬毒の為であるから、薬程恐ろしいものはなく、寧ろ戦争以上といっても過言ではあるまい。従って此事を知っただけでも、一歩幸福の門に入ったのであって、之こそ人類救済の第一歩であらねばならないのである。それがどうだ、此様な医学を礼讃し信頼し、不幸を作っているのであるから、その無智迷蒙驚くの外あるまい。
以上私は思うが儘をかいたので、随分極端な暴論と思うかも知れないが、之が真理である以上、やがて目覚むる時の来るのは必然であって、その時の歓喜たるや筆舌には現わせないと思う。世間よく惚れりゃ菊石も笑窪に見えるというのと同様、医学に惚れ込んで盲目になっている現代人としては、絶世の美人ともいうべき私の説が目に入らないのは無理もないのである。
然し浄霊によって不治といわれた難病が治り、目醒めた人々が医学迷信当時を省みて、残念がる心境はよく分るのである。従って当事者は之に目覚め、私の説を実行するに於ては、その時から病人は減り始め、遂には病なき世界実現となるのは何等疑う処はないのである。
故に若し私の説に些かでも誤りがありとすれば、怪しからん人間として、当然社会から葬り去られるべきは勿論であるから、そんな自殺的行為をする筈はないのみか、此事たるや人智や学問の産物ではなく、最高神の啓示である以上、私は胸を張り、正々堂々と天下に豪語するのであって、之が世界全般に知れ渡るとしたら、その結果人類の最大悩みである病は解消し、玆に文明は百八十度の転換となり、人類待望の光明世界実現は期して待つべきである。
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