二月二十六日

 この間ハワイの本部の落成式があって、その時の模様が「ハワイ報知新聞」に出たのを読ませます。ハワイにある二つのしっかりした新聞の内の一つですが、割によく書いてあります。

 (ハワイ報知二月十五日付掲載「世界メシヤ教布哇教会落成式」【註 栄光二五二号】

世界メシヤ教布哇教会落成式

(ハワイ報知二月十五日付)

 写真も出てますが、見たい人は後で見たらよいです。

 最近になって隣地の相当の坪がうまく手に入ったので、いずれ其処にはもっと大きなものが建つ事になるでしょう。そういうような工合で、ハワイ布教を始めたのが去年の今月ですから、丁度一年です。それまではあっちには別に何も無かったのです。本当に縁もゆかりもない所に、言わば突如として行ったようなもので、それが一年たつかたたない内にこれだけになったという事は実に早いです。つまり時期が来たわけです。何時も時期がありますから、時期をみるというのが一番肝腎です。うまくゆかなかったり失敗するという事は、時期に当嵌(あてはま)らないからです。植物の種を蒔くにも、野菜や米の種を蒔くにも、やっぱり時期があります。今度の特集号も非常に売れて、足りなくはないかというくらいなのですからして、これも時期なのです。丁度去年あれほどの凶作で、これからどうしてよいか分らないと、迷ってどうにもならない時に〝これだ〟という事を見せるのですから、飛び付くわけです。食物が無くて腹が減ってフラフラしているところに御馳走をやるというわけで、飛び付いて来るというわけです。ですから骨折って無理にやるという事は、時期が来ない時に無理をやるから骨が折れるのです。私は骨が折れる事はよせと言ってますが、楽に楽しみながらやる事がよいのです。そうすればうまくゆくに決まっています。ですから楽にスラスラゆくのは時期が来ているからうまくゆくのです。苦しまなければうまくゆかないという事は苦痛の迷信です。苦しまないで、普通にやるというのが一番よいのです。それが本当です。

 これについて一番分るのは、絵の展覧会などに行くと、画家というのは、大いに苦心惨澹(さんたん)しなければ良い物が出来ないと思っているのです。そのために非常に苦しむのです。その苦しむのが画面にチャンと出ているのです。我々が行って見て、楽しもうとするのが、そうでなくて苦しみが現われてるから、苦しみがこっちに迫って来るのです。見ていて楽しみな良い気持にならないのです。要するに苦痛を移されるようなものです。これはみんな苦痛迷信の結果です。今の人はその点なども大いに知らなければいけないのです。ところが、どういうわけでそういう苦痛迷信が起こったかというと、つまり今までは夜の世界であったから暗闇ですから、暗闇で物を(さぐ)ったり物を見ようとするから苦しいわけです。どうしてもそういう事になるわけです。ところが昼の世界になると一目で分るから、掴まえようと思えば、直ぐに掴まえる事ができるというわけなので、そこが大変な違いです。

 エリス・グリリという人より最近箱根美術館を管理している野木さんに手紙が来たので、あの人が翻訳したのです。私は、これだけ訳する事ができるという事は初めて知りました。

 (グリリ夫人からの御礼状)   【註 栄光二五一号】

グリリ夫人からの御礼状

(栄光二五一号)

 このグリリという人は非常な日本好きで、去年ですか家を買って日本人と同じような生活をしているのです。畳で、坐って、日本食を食べるのだそうです。何時か私が会った時に聞いたことですが、「日本人の中には非常に勝れたところがある、他の民族にない良いものがある。それを自分は研究したい」。それで、自分は一生日本で暮すという覚悟だという事も言われていたくらいですから、日本のために将来非常に良い仕事をされる方と思ってます。これから大いに救世教のために世界的に紹介もし、観光外人などに対するいろんな仕事をされるだろうと思ってます。

 今一番の問題は汚職問題です。とに角後から後から社会的に相当有力な人達が引張られる……まだまだもっと大物が引張られそうな事が出てますが、なかなか、自由党の方で防ごうと思っても防ぎきれないような事になるのではないかと思います。どうも問題はもっと一層大きくなるのではないかと思うけれども、そういう偉い人達の様子を見ると、あべこべをやっているのです。これが本当から言えば、正直に〝こうこういう悪い事をした、申訳ない〟と言って出ればよいのですが、それだけの勇気のある人は、おそらく今の世の中にはないと思います。何処までも、どうしたらうまくごまかせるかという事を一生懸命にやっているわけです。というのは、つまり「神が有る」という事を信じないからです。だから人間の目さえごまかせばうまくゆくと思っているのです。それについて書いてみました。

 御論文〔疑獄も浄化作用なり〕   【註 栄光二五二号】

疑獄も浄化作用なり

(栄光二五二号)

 標題ひょうだいの如く、今度の汚職問題にしても、病気と同様どうよう一種の浄化作用である。信者は知る通り病気の原因は、たまりに溜った薬毒が或る程度に達するや、ここに浄化作用が起り、その汚物排泄はいせつの苦痛であるから、病気を除くには原因である薬毒を排除はいじょし、それと共に新しく入れないようにする事であって、これが汚職問題と同様の理である。故にこくに溜っている汚物排除の苦痛が裁判さいばん沙汰ざたである。只違う処は、病は体的苦痛であり、事件は精神的苦痛である。これに就いては大体書いたから、今度は別の角度からはんしてみようと思うのである。それはこの事件に限らず、凡ゆる疑獄問題でもそうだが、これを根絶するとしたら、敢えて難かしい事はない、まことに簡単である。今日只今ただいまからでもその気になれば、効果百パーセントは勿論である。処が孔子の言われた如く〝言うは易く行いは難し〟で、実際上中々容易ではないのである。

 要するに、この世に神が有るか無しかが問題のかぎである。そこでよく考えてみて貰いたい事は、若しもこの世に神が無いとしたら、ズルイ事をするだけとくになるから、仮令たとえ国家に損害を与えても人々を苦しめても、法にさえ引掛らなければいいとして、出来るだけやる事になる。つまり、自分さえよければ他人はどうなってもいいとする利己的観念で、金を儲け、出世をする。今日、こういう人間が到る所にノサバっており、これが利口者りこうものとされているのであるから、厄介な世の中である。従ってその反対である正義や道徳など、黴臭かびくさい事を言う真面目な人間は、仮令たとえ、儲け話や出世の道を聞かされても、ビクビクもので手を出さないから、馬鹿か意気地なしに見られ、折角せっかくの運もにがしてしまい、年中下積になってろくな生活も出来ないのである。

 というように、今の世の中で偉いとか成功者とか言われる程の人間は、三角流さんかくりゅうで腕もあるから、忽ちして一角ひとかどの地位を得られる。又それを見た野心家は俺でも出来ない事はないと思い、そのイミテーションも続々出来る有様ありさまである。従って今度の事件にしても、手繰たぐれば手繰たぐる程いくらでも出てくるので、そういう人間が如何に多いかが分るのである。そこで考えてみて貰いたい事は、どんなに巧妙こうみょうにやっても虚偽きょぎ虚偽きょぎであるから、いつかは暴露ばくろしない筈はない。というのはさきにも書いた如く、人間の眼はふさげても神の眼をふさぐ事は出来ないからである。処がそこに気が附かないのが無神むしん亡者もうじゃである。それを今想像してみると、こうであろう。俺は随分巧くやったつもりだが、今度という今度は失敗した。今まで随分危い処をきりけて来たので、大いに自信は持っていたが、到頭とうとう駄目だった。実に残念だが仕方がない。そこで、この事件だけは何とか罪の軽くなるよう骨折ると共に、巧くいって有耶無耶うやむやにでもなれば勿怪もっけの幸いと思っているであろうが、そうは問屋でおろさない。何故なれば、神様の御眼は厳然げんぜんと光っているからである。

 処で、反対派の側にしてもポチポチであろう。愈々いよいよ時が来たとばかり、何とかして内閣ないかく瓦解がかいにまでぎつけなければならないと、あの手この手の策略を考えているので、ここ当分は双方そうほう智慧比べといった処であろう。ここでぜひ言いたい事は、はやそういう嘘は止めて、国家人民本位に、心の底から悔改くいあらためる事である。何となれば、神は正義にくみするものであるからである。処がこれを読んで、なるほどと感心はするであろうが、すぐに切替えられる人は果して何人あるであろうか、あやしいものであろう。併しこれは御説教ではない、事実が示している。それは、彼等が随分一生懸命にやったつもりでも、今回こんかいのように水の泡となり、ほね折損おりぞん草臥くたびれもうけとなってしまった事である。然も、揚句あげくはてに社会的信用は落ち、仕事はやり難くなるばかりか、しばらくの間泣かず飛ばずで、手をこまねいて時を待つより仕方ないであろう。勿論起訴きそは免れまいし、何れはヤレ公判こうはん、ヤレ証拠しょうこ集め、ヤレ弁論べんろん等々、弁護料や雑費ざっぴだけで相当な支出となり、オマケに無収入と来ては、その苦しみはおさっしする。然もこの種の事件は案外長引くもので、恐らく数年はかかるとみねばなるまい。その間毎日憂鬱ゆううつな日が続くのであるから、全くやりきれない事は、私の経験によってもよく分る。それもこれも無神主義の為の神罰しんばつであるから、往生おうじょうするより仕方がない。こうなった以上、大低たいていな人は目が覚めるであろう。それは因果律いんがりつの法則にある事である。それは、何事でも最初から有神観念を以て進んだとしたら、凡ては順調にゆき、苦しみはなく、楽しみつつ成功出来るから、天下は泰平たいへい、世間の信用は厚く、地位も向上するというわけで、信仰抜きに算盤そろばんから言っても、そのプラスたるや予想外であるのは断言する。

 これに就いても思い出されるのは、私が若い頃の政治家である。その頃正義の士も幾人かはいたが、そういう人達は自己の利益などかえりみず、国家本意によって断乎だんことして正義を貫いたもので、自然社会の尊敬も大きかったのである。当時毎日新聞社長島田しまだ三郎さぶろう氏、あしの鉱毒問題で有名な田中たなか正造しょうぞう氏、万年議員の尾崎おざきゆき氏などもその組であった。併しこの種の人は数は少ないが、議会内の空気を清浄にした功績は、今でも忘れられないのである。処が知らるる如く、今日の政界と来たら、そういう人は殆んどないと言っていい。大部分の人は利口者で、融通ゆうずうき、綱渡りや官界ゆうえいじゅつの達人等が多く、政界のさびしさは誰も同じであろう。というように、今日最も不足しているものは、千万人と雖も吾かむの硬骨漢こうこつかんである。然も、そういう人物こそ神から愛せられるから守護も厚く、失敗などあろう筈がない。

 これに就いては、今迄の宗教にも罪がある。というのは、正直や正義は自分だけ守ればいいとしている一種の自己愛である。その結果国家社会に於ける不正不義なども、見て見ない振りをしているかのようで、何事に対しても無抵抗主義的である。この点私は大いに間違っていると思うのは、そういう消極的考え方であればこそ、社会悪はいつになっても減らないので、これでは宗教の理想たる地上天国は、いつになっても出来る筈はあるまい。この意味に於て私は、昔から悪に屈せず、随分悪と戦って来たものである。併し、一時は負ける事はあっても、最後には必ず勝つ。これは名前は発表出来ないが、社会的知名人や、財力、権力のある人達とも戦って来たが、一度も負けた事はない。いつも正義を立通たてとおして来たのである。勿論神は善であり正義である以上、神が味方みかたするからである。従って私の過去は悪との戦いの歴史であり、勝利者でもある。処が一般人特に宗教家は、えてして悪に抗する事を好まない傾向がある。その為悪を許容きょようするわけになるから、言わば善意の罪悪である。これでは世の中は良くなる筈がなく、悪人は益々増長ぞうちょうし、善人はしいたげられ、頭が上らない事になろう。それは兎に角、最後は至公至平な神の裁きによって、悪は厳しい愛のむちが加えられるのは勿論であるから、一日も早く改心されん事を望むのである。

 この中に前号と前々号という事を書いてますが、前々号というのは書いてありますが、前号というのは次のが出るのです。順序が逆になりましたが……。

 御論文〔再び汚職の母体〕   【註 栄光二五一号】

再び汚職の母体

(栄光二五一号)

 この題の下に前号に色々書いたが、まだ言い足りない点があるので、再び書いてみようと思うのである。というのは、目下ジャーナリストがこの問題に対する批判として、各新聞に出ているのを見ると、尤もらしい理屈は書いているが、その実平々凡々何等新味(しんみ)はなく、その言う処、相も変らず法規上こういう点を改めよとか、罰則を一層重くしろとか、選挙に金がかかりすぎるからだとかであって、その何れもが的外れであり、これなら確実に効果あると思うような案は、一つもない事である。何しろ唯物観念が土台となっている以上、これより外に考えようがないからであろうが、このような方策を何遍繰返したとて駄目なのは、已に試験済となっている。何よりも肝腎な無神思想を度外しての方法である以上、気の毒ながら徒労以外の何物でもあるまい。

 玆で一層突き進んでこの問題を解剖してみるが、分り易く言えばこのスキャンダルは、丁度動物の智能が進み、法の檻を破ろうとしたのを番人に見つけられ、遂に大問題となったのである。そこでこれを見たジャーナリストは、これは大変と、今迄よりも一層頑丈に、容易に壊されないようにと、その作り方を工夫して教え、注意を与えたのが昨今の新聞論評であろう。それやこれやを考えてみると、全く文化国家としての一大恥辱ではないかと思う。勿論この根本は全然見当違いである事は已に述べた通りであって、原因は檻ではない。檻を破ろうとする動物的本能にあるのである。従ってその本能を抜いてしまえば、檻を必要としない真の人間になるのは当然であり、この役目としての宗教である。以上を読んだら、随分酷い言い方と憤慨するかも知れないが、これが真理である以上、何人も否定は出来ないであろう。つまり問題の核心は人間の魂にあるのであるから、この向上こそ真の解決法であり、これ以外にない事は勿論である。茲で今一つの(たと)えを書いてみるが、有神観念と無神観念と両方並べて、どちらの方が政界を腐敗させるかという事で、これ程明白な話はあるまい。処が、遺憾乍ら日本の指導階級の殆んどは、無神族で占められている以上、汚職問題や社会悪が絶えないのは致し方ないのである。これに就いての例をアメリカにとってみよう。即ち、同国に於けるこの種の事件も偶にはあるが、日本と比べたら問題にならない程少ないのは誰も知るであろう。又社会批判の厳しい事も同様であるから、実に羨ましい限りである。その原因こそ、同国に於けるキリスト教の為であって、これに就いて近頃私の処へ時々訪問されるアメリカ各社の特派記者にしても、(だん)偶々(たまたま)信仰問題に触れるや、驚く程適切な質問や意見を吐かれる事で、その信仰に対する理解や神に対する敬虔な念は驚く程で、私はいつも敬服させられるのである。同国政界の明朗な事や、政治家に対する人民の信頼感などにみても成程と頷かれる。これに比べると、日本のそれはアメリカに比べたら、少なくとも半世紀は遅れているであろう。いつぞやマ元師が日本を十二歳の子供と評したのも宜なる哉である。というわけで、失礼乍ら日本のジャーナリスト諸君も、大いに発奮の必要ありと思うのである。それは今度のスキャンダルに対する日本新聞の論調がよくそれを語っている。というのは、神の言葉など一言半句もない事である。故に、この問題が若しアメリカで起ったとしたら、どんなに物凄い輿論が捲起ったか知れないと思うのである。

 これ等によってみても、日本文化の低さもそうだが、特にジャーナリストの無神観念が大いに原因している事も、否とは言えまい。何よりも、今日の社会を見れば分る如く、(かん)公吏(こうり)の汚職、一般的社会悪、政界の腐敗、派閥争い、労資の軋轢(あつれき)、危険思想、経済難、生活不安等々、数え上げれば()りがない。勿論一切は原因があって結果がありとすれば、その原因こそ無神思想であるのは言う迄もない。然も、右の原因のその又原因がある事も知らねばならない。即ち、無神思想をして有神思想に導くだけの力ある宗教は日本にない事である。そこへゆくとアメリカはキリスト教一本で都合がいいが、日本は八宗九宗(はっしゅうくしゅう)その種類の多い事も世界に例がない程である。それというのも、国民全体をリードする程の偉大なる宗教が出なかったからではある。ではそのような立派な宗教はこれからも出ないかというと、決してさに非ずと私は言う。それは今や現われんとする超宗教である。故にジャーナリスト諸君は巨眼を開いて、この宗教を見出されん事であって、必ずや発見されると共に、或いはキリスト教以上かも知れなのである。

 それから、さっき読んだ時に話をしようと思ったが、ハワイと、最近ロスアンジェルスの方にも大分開けて来たのです。それで、あっちが早く開ける一番の原因は病気が非常に治りよいのです。治ると共に、治りきりになって再浄化がないのです。これは日本と大変な違いです。それは何が原因かというと、こういう訳なのです。日本の病人と言うと変ですが、特色は、薬毒の量が多いのです。だからして固まりを溶かして其処だけは出てしまうが、後の後続部隊が溶けたりする浄化作用が起こるのです。ですから長いのです。しつこいのです。ところがあっちの方はさっぱりしているのです。というのは日本人は漢方薬のためなのです。漢方薬は量が多いですから、そこで量は漢方薬より西洋の薬の方が強いかもしれないが、量から言うとずっと少ないので、百分の一か千分の一です。そこで治りがよいのです。あっちのお蔭話を見ると、何年間も病んだ者が四、五回の浄霊で治るのです。ですから分り出したら日本とは比べものにならないスピードで発展してゆくと思います。大変結構です。そこで、日本人の再浄化というのは、漢方薬を沢山飲んでいるためとみれば間違いないです。なにしろお茶の代りに飲むというのがあります。よく浄霊しても、痰が出る洟が出る、下痢や嘔吐という事がひっきりなしに出ているので、それでだんだん衰弱して参ってしまうという事があります。再浄化というのはそれです。近年日本人の寿命が延びたという事も、それと同じ原因なのです。つまり以前は漢方薬を沢山飲んだのが、近来殆んど西洋の薬になったからして、害が非常に少ないのです。それだからして、どうしても寿命が延びるのです。面白い理由ですが、寿命が延びたというと医学が進歩したというように思いますが、そうではなくて、薬の飲み方が少なくなったというわけです。ですからそう考えると、むしろ漢方薬を方が恐ろしいです。それが今度ハワイやアメリカの病気の治り方で実にはっきり分ったのです。丁度農作物の肥料と同じ事です。尤も自然栽培というのもこの理窟をおしていって発見したものですが……。そういうようなわけで、これから浄霊の場合に漢方薬に注目して、どういう薬をどのくらい飲んだかという事を、時によっては聞く必要があります。けれどもただ漢方薬の方が毒が緩慢な性質であり、鋭くないです。しかし神経痛などは西洋の薬です。だから近来神経痛が非常に多いという事は西洋の薬の関係です。注射などは尤も神経痛の原因にもなるし、それから何時も言うとおり、消毒薬というのは必ず痛みになります。痛みの病気はまず殆んど消毒薬と思っていれば間違いないです。ところが消毒薬でも、此処なら此処が痛むから此処に消毒薬を入れたかと思うと、そうでもないのです。例えば頭の痛い人が、手足を手術した時の消毒薬が頭に上っていって、其処に固まるのですから、とに角痛みのときは一通り手術を聞いてみるのです。そうすると一番よく分ります。この頃大分聞きますが、歯の痛い人は必ずと言いたいほど盲腸を取ってます。盲腸の手術が歯痛に一番現われるのです。これは思いもつかない事です。ですから歯が痛くて浄霊して、一回か二回で治るのなら其処だけのものです。大体歯の痛みの原因というのは、歯を抜く時や或いは歯にセメンや何かをつめる場合に、その前に消毒薬を塗りますが、それが原因です。これは前に何かに書いた事がありましたが、歯医者に行って歯につめる場合、必ず前に消毒をしますが、そうすると必ず痛みます。その消毒薬が腐って出ようとするからです。それが痛みになるのです。だから何も消毒をしないですれば決して痛みはありません。これも実に馬鹿なものです。ところが一回や二回で治らない場合には盲腸の手術を聞いてみるのです。この盲腸を手術した時の消毒薬がだんだん上って行って、胸を通じて歯から出ようとするのです。これは、歯の痛みの原因が盲腸の手術という事は、世界的の大発見です。ノーベル賞以上です。ですから私が今までのいろんな発見を数えてみるとノーベル賞を何十という事になります。ところがあっちは、現代の科学を審査する方で、こっちはその科学では分らないですからしようがないです。審査員を教育しなければ駄目です。そういうようなわけで、漢方薬の悪いという事をよく知らなければならないのです。ところが漢方薬を薬と思わないような人が沢山あります。よく患者に〝これは薬毒だ〟と言うと、〝私は子供の内に飲んだきりで、飲んだ事はありません〟〝あなたは漢方薬はどうですか〟と言うと、〝それなら飲みました。それもやっぱり薬毒があるのですか〟という人がよくあります。というのはお茶代りに飲むからです。中には波布草をお茶代りとして飲みますが、これも毒があります。一番毒が強いのはゲンノショウコです。そういうようで、非常に長くかかったりしつこいのは、まず漢方薬とみて間違いないです。

 

 

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