三月二十四日(春季大祭二日目)

 春の大祭も、来年は新しく出来る会館でやる事になりますが、会館は前にも話したとおり、今年の秋の予定だったのですが、神様の方ではどうも春でなければいけないというお知らせがあったので、落成式は来年の三月三日という事に決まりました。第一に数字上の関係があるのです。今年の二十九年というのは、どうも数字が一番悪いようです。それで、ミロクという事は、今までは五六七で、火水土がミロクの基本的条件と言いますか、根本的の意味だったのです。火水土という事は、世界をミロクの世にするという事の、あまり直接的ではなかったのです。そこでこれからは三六九という数字になるのです。そうすると、これは直接世界の経綸という数字になるのです。というのは、あらゆるものが三六九になってゆくのです。つまり世界の新しい文明がそういう組織になるわけです。そういう意味で、熱海の経綸、地上天国というものは、世界の現界の経綸の雛形(ひながた)になるわけだから、開館式もそういう意味になるわけです。

 それから最近霊界が非常に変って来たのです。つまり霊界における今までの神様や仏様、そういう霊達が、だんだん救世教の事が分って来て、みんな、御手伝いしたいという事と、それには出来るだけ自分が浄まらなければならないというわけです。神様仏様というと偉い御方のように思われますが、なかなかそうではないのです。神様や仏様が沢山罪を作りもし、犯しても来たのです。けれども、ただ人間と違うのは、ああいう方達は意識が悪ではないのです。根本、動機は悪ではないので、善です。しかし本当の事が分らなかったために誤まったのです。善いと思っていた事が善くなかったという事が神様仏様の罪なのです。だからその罪を御詫びして、救世教のために大いに働きたいという気持にだんだんなって来て、それで現界においてはそういう働きが非常に盛んになって来たのです。それで現界において今活動している人達、アイゼンハウアーとかマレンコフとかネールとか、そういう人達の霊も霊界でいろいろ動きましたが、それは生霊です。それで私の生霊も大いに活動したわけです。それで私の生霊というのは、私の代理をやる神様がいろいろあるのです。それでその神様がやられたわけです。そういう記録が出たのです。これは今度の地上天国にも相当出しますが、その中で特に深い意味と興味と両方あるようなところを選って、今読ませます。

 (御報告)

 こういうような工合で、これからそういう霊達が大いに働き出しますから、余程面白くなって来たわけです。それについて一昨日、或る信者の若い妻君で、去年精神病的なようになって、私が治してやったのです。それで時々浄霊してやっているのですが、一昨日来た時にキリストが憑っていたのです。今まで磔になっていて、それを治す神様がなかったのです。それで相当長く苦しんでいたのです。幾らかずつは良くなっていたが、なかなかすっかりは良くならないのです。ところが私が時々浄霊するためにすっかり治ったのです。それで、非常に嬉しいという事と、キリストが言うには〝懐かしい天の父に御目にかかれた〟というような事を言って、ポロポロ涙をこぼして嬉し泣きに泣くので、口がきけなくなって、泣き止むのを待っていたぐらいです。そういうような工合で、今の神憑りとチャンと合っているわけです。そういう時期が来たわけです。私が前に歌で〝神や仏を救わなければならない〟という事を始終言いましたが、そういった救われる時期がいよいよ来たのです。やはり神様仏様が元ですから、神様仏様が救われなければ、人間は救われないのです。つまり今までの神様や仏様というのは本当の事を知らなかったために間違った教えや事を説いたわけです。バイブルにしろ経文にしろ、随分間違った所があるのです。そのために幾ら研究しても本当の事が分らないからして、覚りを開けなかったわけです。又そのために、人間が本当の事を知らなかったのです。つまり文明というものが間違って、それで人間が苦しみ抜いて来たわけです。例えば医学にしろ、全然間違った事をやっていたという事など、そのために人間が病気で苦しんだり、早死にしたりするという事なども、元は本当の事が分らなかったためです。という事は、本当の事が分ってはいけなかった主神の経綸なのですから、それでよかったわけです。それをもう本当に分らせて本当の文明を作らなければならないという時期が来たという事も、やはり主神の経綸なのですから、やはりそれでよかったのです。これからの人類、人間は、本当の幸福というものを得られるわけです。その役目が救世教です。ですから〝来たるべきものが来た〟というわけです。今までの間違った世の中が続いてはいけない経綸からそうなったのです。だからそれがどうこういう事は人間には分らないのです。今丁度、何時も言うとおり、夜の世界が昼間になる、その分れ目なのですから、実に重大な時期であると共に、その役目に選ばれたる救世教の人達は、まず大変な仕合せなわけです。人類始まって以来ない幸福と言ってもよいわけです。そういうようなわけで、(いちじる)しい霊界の変り方が最近非常にはっきりして来たわけです。

 その事について、よく分る事は、最近美術品の素晴しい物が安く入って来るのです。到底手に入らないような物がパッパッと入って来るのです。それはどういう訳かというと、霊界において、いろいろな名人とか或いはそれを集めた大名とか、権力者という人達がだんだん分るにつれて、救世教にそういう良い物を納めたというわけで、大いに活動しているわけです。これは実に気の毒な話ですが、仮にこういう物ならこれを、私が欲しいと思い、美術館に無くてはならないと思うが、なかなかそれを手放さないのです。そうすると手放さなければならないように、財政を苦しくしたり、売らなければならないようにさせるのです。それはその人の祖先がそういう美術品を珍重していたとか、拵えたとかいう意味で、私に売らせようとして活動します。そこで金に困るようにするのが一番ですから、金に困らせるのです。しかしそのために金に困って売ると、そこの家は本当の良い事をすることになるから、それからは其処の家は本当に仕合せになるということになるからして、困るというのは一時的のものです。そういう事が近来非常に著しくなって来たのです。近頃買う物は、道具屋より安く買えるのです。道具屋が驚いて、それなら自分も買いたいというのが沢山あるのです。それは事情がそういうふうになるのでしようがないです。そういうわけで、今度出来る熱海の美術館も、天下に得られないような品物が相当出ると思ってます。この間も光悦の或る物が手に入ったのですが、そうすると〝あれは絶対に売らない事になっているから、そんなはずはない〟〝しかし入ったから仕方がないではないか〟と言ったのですが、その人も長い間欲しいと思ったが、どうしても売らないという事になっていたのだそうです。だから〝不思議だ不思議だ〟と言ってました。そういう事がよくあるのです。そういうわけですから、無論この美術館は世界的の素晴しいものになります。東京からも、見たがる人が非常にありますから、神様は便利なように、これから熱海・小田原間の道路は改正になります。拡げて、今まで熱海・小田原間は一時間半かかりましたが、半分ぐらいでよい事になりましょう。そうすると東京から一時間半乃至二時間で来れますから、美術館だけを見に、日帰りで来られます。それでその道路が美術館に行くような事になって来て、私の方でも大分手伝いますが、神様のやる事ですから寸分隙がないです。時期に応じてチャンとそういう工合にやってゆくのです。それで駅からも、もっと広い道路になってバスが自由に行けるようになります。そういうようで、熱海の地上天国が出来るとなると、それを見物するために来る人が大変なものだろうと思います。

 それから、あなた方は見られたでしょうが、会館はやっと外郭が出来たのです。ああいう建築は外側が非常に難しいのです。初めてああいう様式をやるについて、あれだけ高い大きなものですから、見本を拵えるという事はなかなかできないのです。小さい物しかできないです。そこで私は、横の寸法と縦と、それから柱形、柱の太さ、柱の厚さ、そういう事が全体的によく調和したもの、それから、なにしろコルビュジエ式というのは、世界でも実用的の建築ばかりです。無論宗教的のものなどはなかったのです。そこであの式を宗教的にというと荘厳みですが、荘厳な感じを受けるような、そういうものにしようと思ったところが、出来たのを見ると私の思うとおりに出来たのです。それで私も非常に満足しているのです。ですから建築界の話題にもなると思ってます。私は世界的の「国際建築」という雑誌を前から●●(とっ?)てますが、外国の新しい建築は写真で紹介してます。無論会館のようなああいう様式というのは全然ないです。今まで出来た様式とは全然離れている様式ですから、いずれ世界に知れたら、世界の建築界での問題になるだろうと思ってます。それで、外の前の方の柱形の様式から横の方に白い壁で大きくとりましたが、あれは普通ならどうしても窓をつけなければならないものです。私には窓無しの広い場面を白の無地にしてしまったのです。ああいう大胆さも、今まではあまりなかったわけです。しかし近代は随分大胆な建築はありますが、それとは少し意味が違うのです。それから、足場は今月一ぱいにすっかり取れるそうですから、取れたら、周囲に木を植えたり、下は砂利を敷いたり芝生を植えたりして、全体を調和するようにします。それから展望台から行こうとする、曲った所に、チャボシバという木を二本植えてありますが、あれは見本に取寄せたのです。あれが会館の廻りにずっと植わる事になってます。それで段々からずっと向うに道がつき、その廻りが芝になって、その周囲に丁子(ちょうじ)を丸くしたものを植えます。そういうのがすっかり出来上がると、それこそ〝なるほど〟と思うような景観ができます。それから美術館の方も、今、行く道路を拡げました。非常に大きな道路が出来て、あそこがこれからまだ非常に変るのです。これは今チョット想像もつかないほど変ります。そこの美術館の設計も、会館とはまるっきり違った様式にするつもりです。これは尚更世界にはないと思ってます。建築の色から様式から、それは西洋と支那と日本の三つを調和させたようなデザインです。ですから今後大いに楽しみにしてよいと思います。大体美術館は来年の秋あたりまでに造るつもりです。若し遅れればその翌年の春になります。そこに陳列する物も、持品と、他から借りる物も相当あります。その方は神様の方でチャンと手を廻してありますから、出来たら、とに角大変なものが出来ます。だからアメリカのトリビューンの記者などは非常に待っていて、出来たら一番先にアメリカに紹介すると言ってウズウズしてます。それから、いずれアメリカのロックフェラーなども来る事になってますが、無論アメリカにもこういう物を拵えてもらいたいという事を言うに決まってますから、そうしたら私が設計してアメリカに拵えてやろうと思ってます。金は余っているから、ウンと金をかけてやります。アメリカの各都市に地上天国の模型というものを拵えてやろうと思ってます。そうすると、それを見たヨーロッパの方でも負けずになって、イギリスでもドイツでもイタリヤでも、拵えてもらいたいと来ますから、それだけでも救世教というのは世界的になります。そういったお手並を見せておいて、そうして医学とかいろいろな間違い、文化的の間違いを指示すると、非常に楽にゆくわけです。つまり腕前を見せておいてやるわけです。日本でもそうですが、今の世の中は、理窟でも、理窟でなくて相当な事をしても、分るのになかなか骨が折れて簡単には分らないのです。そこでああいったような地上天国という、物で見せるのが、一番早いです。日本も地上天国でまず度肝を抜いて、大いに感心させて、そうしてそれからやってゆくわけです。尤も自然農法はそれほどでなくて、もうじき分りますが、一番難しいのは医学です。それもだんだん、そういうものから分るようになるわけです。

 来月の二日に発会式があるのですが、農林省の役人で十数人の人が自然農法研究会という会を作ったのです。これは一番よいと思います。なにしろ農林省の役人がそれほどに認める、しかも十数人の人が認めたという事は、〝これは確かに立派なものだ、信用おける〟という事になりますから、これからの農民に分らせる上において大変な力になると思います。その趣意書を読んでみると、なかなかよく出来てますから、読ませてみます。

 〔自然農法の一大朗報〕(趣意書)   【註 栄光二五六号】 

自然農法の一大朗報

(栄光二五六号)

 本農法について数年前から実地調査研究されていた、農林省食糧業務第二課長山川達雄氏が主唱者となり、今回八名の共鳴者諸君によって左のごとき自然農法研究会が結成されたのであるから、国家のため慶賀の至りである。何しろ同省は農業界の本山ともいうべくこの方面の専門家がこれだけ認識されたという事だけでも、本農法がようやく軌道に乗ったと言うべきである。従って今後の進展は期して待つべきものがあろう。これによって普及会会員諸氏にしても、百万の味方を得た感があると思う。

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農林省自然農法研究会趣意書

 現代日本農業は、政府・学者・技術者及び農民等の懸命なる努力にもかかわらず、正に危機に直面している。

 このときに当って肥料代不要、農薬代不要、労力節減かつ風水害・冷害・かんばつ・病虫害等の被害軽微にしてしかも年々増収となり五カ年にして五割以上増収という画期的農法が出現し、すでに全国各地の農家において着々とその実効を挙げつつあり、新聞・雑誌・ラジオ等でも報道され問題となっているが、学者や技術者は到底あり得べからざることとして研究することなく、政府も又これをとりあげるに至っていないのであります。

 一方において自然農法普及会は、この全国的組織をもって各都道府県に地方本部をおき、大々的にその普及に進出し、今や実施農家は数万の多きに達しているといわれるのであります。

 ここにおいて我々農林省に勤務する者、拱手(きょうしゅ)傍観するに忍びず実地について調査の結果、理論はともかく、増収となることが厳然たる事実であることを知ったのであります。
 我々はかかる事実の存するところ必ずや合理性のある何物かが存在することを確信するものであります。かかる観点から農林省内においてこの農法に関心を持つ者相図り、自然農法とはいかなるものであるかをあらゆる角度より研究する必要のあることを痛感し、本会を結成した次第であります。

 右の趣旨に御賛成下され志を同じゅうする者は速かに本会に入会し、相共に研究せられんことをおすすめ致します。

 昭和二十九年三月       農林省職員有志自然農法研究会発起人一同

 各 位

   会  則

 (名称及び事務所の所在地)

第一条 この会は農林省職員有志自然農法研究会と称し、事務所を農林省内におく。

 (目的)

第二条 この会は自然農法をあらゆる角度より調査研究し、あわせてその調査研究の結果を発表するをもって目的とする。

 (会員)

第三条 この会には農林省職員は誰でも随時入会することができる。入会の際金五十円を納付するものとする。

 (役員)

第四条 この会に次の役員をおく。

   委 員 長   一 名

   副委員長   二 名

   常任委員   二 名

   委  員   若干名

第五条 委員長・副委員長・常任委員及び委員は会員中より互選し、その任期は一カ年とする。但し再選を妨げない。委員長は会務を統括し、副委員長は委員長を補佐し、常任委員は庶務及び会計を掌り、委員は各局におき相互の連絡に当り会務の運営を図る。

 (顧問)

第六条 顧問は委員会の決議に基き学識経験者の中より推薦することが出来る。

 (事業)

第七条 この会は第二条の目的を達成するため次の事業を行う。

  一、自然農法の原理の研究

  二、自然農法の効果の研究

  三、自然農法実施方法の技術的研究

  四、自然農法実施農家の現地調査研究

  五、自然農法の実地試験委託研究

  六、自然農法以外の農法との比較研究

  七、自然農法に関する座談会の開催

  八、自然農法に関する資料の蒐集

  九、その他自然農法と関連のある諸問題の研究

  十、機関誌の発行

 (月例研究会)

第八条 この会は毎月一回適当な日を定めて月例研究会を開く。但し委員長が必要と認めたとき、又は会員五名以上の要求があったときは臨時研究会を開くことができる。

 (会計)

第九条 この会の経費は会費及び寄付金によって賄う。但し会費は委員長が必要と認めたとき、過半数の同意を得て徴収するものとする。

第十条 この会の会計年度は四月一日に始まり翌年三月三一日に終る。

 (総会)

第十一条 この会は毎年三月総会を開き、その際役員の改選を行う。委員長が必要と認めたときは臨時に総会を開くことができる。

第十二条 定期総会においては委員長は会務を報告し、常任委員は決算報告をしなければならない。

 (会則の改正)

第十三条 この会則を改廃するには会員三分の二以上の同意を要する。

付帯決議事項

 一、役員は発起人において責任者を推薦し本人及び会員の同意を得て決定するものとする。

 二、顧問は委員長決定後委員会にて決議の上推薦するものとする。

 三、月例研究会は毎月第二火曜の午後五時より開くものとする。

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 今読んだようなわけで、非常に結構な企てだと思っています。

 それから、さっきの霊の話で言い忘れた事があります。キリストが憑った婦人が、この間中キリストの磔の像、そういうのが部屋の所々に時々見えるのだそうです。ですからはっきりしているわけです。その前にヨハネが憑ったのです。いずれヨハネの事も聞くつもりですが、一昨日の事ですから私も急いでいたので、ただヨハネという事だけを聞いたので、それ以上は聞かなかったのです。ヨハネとキリストとは切っても切れない関係で、旧約聖書はヨハネが言った事で、新約の方がキリストです。それでヨハネがキリストが現われるという一つの予言が一番の中心です。この事なども別に大して詳しく知る必要はないが、いずれ知れたら地上天国に出します。そういうようなわけで、ヨハネとキリストが本当に霊界で働き出したら、外国の方が分り出すのが早いです。神様は抜目なくやっているわけです。

 それから世界紅卍字会というのが、近頃私の方でも関係して、月に一度ずつ集まりがあります。紅卍字会の主宰者の神様は至聖先天老祖という神様ですが、この神様は、何時かも話したとおり、扶乩(ふうち)と言って不思議な事をやって字を書くのですが、その時に文字を書かせるのは老祖さんの指図によって、キリスト、釈迦、孔子です(そういった七人か八人かですが)それを指図して書かせるのです。扶乩は私は一度見た事があります。そういうわけで、つまり私がこれから至聖先天老祖の役をするわけです。ですからその指図で働く神様が、さっき読んだとおり現れて、さっき読んだとおりの事を喋ったわけです。これは支那を救うためのごく基本になるわけです。西洋はキリスト、マホメットがこれから骨を折って、東洋は今言ったような釈迦、マホメット、孔子というような霊が働くという事に、これからなるわけです。そのために今度憑って、それで憑った人は娘さんが二人です。それですからそういう事に全然無関心で知らない人がかかるのですから、かえってよいです。そういう事を知っているような人だと、やっぱりその人の腹で作ったように思われますが、神様は如才(じょさい)なく、そういう事を全然知らない人を選んでやるわけです。

 

 

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