昨日面白い事がありました。この間の春季大祭の時に〝今まで五六七のミロクの世だったのが、今度は三六九になる〟と言いました。ところが昨日の参拝者は三六九名なのです。春季大祭の後は昨日が初めてですから、そこにそういう数字が出たという事は、実に神様は自由自在という事が分るのです。神様はよくこういう事をやられるのですが、これは神様の茶目です。つまり〝神様の力はこんなものだ、どんな事でも訳なくやる〟という事を御見せになるわけです。だから、あなた方が参拝するのも、神様の方で、今日は誰、今日は誰、という事はチャンと決っているのです。
それからこの間ちょっと話した、若い婦人でキリストが憑ったという話をしましたが、今までの事を書いて来いと言ったものですから書いて来たので、それを読ませます。
(御報告)
これは別に何かのいたずらなどは入ってないので、本当です。この中にいろいろな意味がありますが、私が一番感じたのは、キリストの言う事がおそろしくくどく、丁度バイブル的に言われているのが面白いです。バイブルは弟子が書いたのですが、キリストの不断のお説教や何かが、こういったような言い方だとみえるのです。それで一番面白いのは〝神ならぬ神〟と言ってますが、これは非常に面白い言い方と思います。実際、今まで神様と言っていたのは、本当は神様ではなかったのです。神様の代理とか弟子とか、そういう意味だったのです。ですから、キリストも〝自分は神だ〟とは言わなかったのです。〝神の子だ〟と言ったのです。そこであの時代に一部の者はキリストを救世主と言ったのです。いよいよ待望の救世主が現われたと言ったのです。ところが実は救世主ではないのです。そこでかえってそれを誤まるといけないから十字架にかかったという意味もあるのです。そこでこれは人間でも神様でもそうですが、特に神様は厳正ですから、その位にピッタリしないと苦しいのです。そこで今読んだように、自分をあまりに讃えた歌は苦しい、だから歌う歌を自分が作って、そうして言わせたのです。なかなかよく出来てます。これを今度のメシヤ会館に使おうと思ってます。曲はヘンデルの「救世主」ですが、歌詞はこれにしようかと思っているのです。ここにやっぱり大変な意味があるのです。私が造ってみんなが歌うという事は嘘なのです。つまり私についている神様自身が作って自分を讃えるという事は理窟に外れているのです。そこで歌う人の一番偉い人が作って、そうしてみんなが歌うという事が本当です。それが合理的です。キリストがこういうふうに歌ってくれと歌詞を作ったわけです。なかなか良く出来てます。神様を讃える気持が実によく出てます。これを歌詞にしようと思ってます。まあ、私の方で助かったわけです。御讃歌などもそうですが、あれはみんな私が作ったけれども、お蔭をいただいて有難いというような事を私が作るという事は本当ではないのです。まあ、信者さんの代りになって作ったようなものですが、ああするよりしようがないからああ書いたのですが、本当から言うと、今言ったとおりが本当なのです。
それから右に関することは、この間京都の或る婦人が、やはりキリストやその他いろいろな人のことについて出たのと、同じようなのです。それが東京と京都と、こんなに離れて、別に話しあった事もない知らない人が、同じようにチャンと合うのですから、これも面白いと思います。
それからその後まだいろんな霊が出ました。なかなか面白いのです。ヨーロッパ方面、アフリカ方面の各湖水、池、海というような所にも居る龍神が、それぞれ御詫びやら、大いに働かしてもらいたいという願いやら、いろいろありました。
神様でも仏様でも全体の霊が、一番に光を欲しがるのです。ですから今も読んだとおり、マホメットなども非常に光に憧がれているのです。又その後出た龍神やいろいろな神仏も、少しでも光に浴したい希望です。というのは、今までの人間で神様の光というものを持った人はなかったのです。そこでヨハネなどが二千七百五十年間地獄に居られたわけです。それからキリストでさえも、そういった人でも、つまり救われなかったのです。というのは光なのです。光に浴する事ができなかったのです。ところが私が出て、霊界が明かるくなり、それから又光に浴する事ができたために救われたわけです。だから理窟は簡単なのです。つまり罪穢れにより……しかしああいう神様が罪穢れというのはおかしいですが、大体キリストが十字架にかかったというのも、前の世に非常に大きな罪を犯したその犠牲になっての贖罪です。そこで十字架にかかったわけなのです。それだけではすっかり救われないのです。そこで長い間苦しんでいたのが、光に会うとその罪である曇りが溶け、消えるのです。それで救われるのです。だからとても光を憧がれているのです。それともう一つは、今度罪を消されないと永遠に残るのです。それは軽い罪は昼間になると消えますが、しかし軽い罪の人は殆んどないので、みんな重い罪の人です。丁度あなた方が浄霊して、幾らでも毒があるようなもので、チットやソットのものではないのです。重い罪の人は永遠に消えないのです。今の内に早く光に浴して助からなければならないというので、あせって急いでいるわけです。というのは、霊界がドンドン昼間になりつつあるからです。だからそれを知った人はよいが、知らない人は実に可哀想なものです。それで面白いのは、この次に読ませますが、いろいろな龍神の中で〝自分は破壊の役だからして、それを一生懸命やる〟というのです。これは破壊と言ったところで、悪ではないのです。つまり掃除です。掃除というのが破壊なのです。悪いものはブチ壊して片づけてしまうというわけです。大掃除の時に壊れかかった物や役立たない物はブチ壊してハキダメに捨ててしまう、という役の龍神があるのです。自分は破壊の役の龍神だから、それを一生懸命にやるという事がありますが、そうしてみると、大いに破壊の時も来るわけです。どういうふうにして破壊するかという事は神秘です。今大問題になっているのは水素爆弾ですが、これらにしても大変な役をするのだろうと思います。あれくらいの物が出来なければ、地球の掃除はできないでしょうから……。とに角その大掃除に助かるには、光をいただいて、そうして穢れを無くさなくてはならないというわけですから、とに角救世教信者になった人は、その幸福たるや、とても大変なものなのです。それもだんだん分って来ます。だからキリストやマホメットなども救われたという事は、先に述べた婦人を浄霊している内にキリストや何かが助かってしまったわけです。だからとに角浄霊という事が如何に偉大なものであるかという事は、霊がみんな証明しているわけです。
それから今度来たハワイ通信の中にちょっと面白い一駒がありますから、読ませます。
(ハワイ通信 十八) 【註 栄光二五七号】
ハワイ通信 十八 (栄光二五七号)
これは英語教修の時のことです。四十人ばかり英語教修をしたのですが、その中に十人ばかりアメリカ人がいて、その中の一人で、将来非常に働く人らしいです。
その人の曰く〝明主様が八人目の聖者に当られる〟というのです。この〝八人目の聖者〟という事は古くから伝説にあるのです。八人目というのは仏教の方では釈尊だという事を言ってますが、釈尊は七人目というわけです。それは仏教の方でお釈迦さんに値打をつけるために言ったのだろうと思いますが、この人の言う事が合っているわけです。
それから四、五日前に例のグリリ夫妻が、駐留軍の機関紙の星条旗(英語で言うとスターズ・アンド・ストライブス)の主筆で、陸軍大尉相当官を案内して来ました。私もちょっと合う(会う?)つもりだったのですが、話が面白くなって、大分長く、一時間以上になりました。その際大いに共鳴して、今度は司令官の夫人を連れて来ると言ってました。それからグリリ夫妻もだんだん熱心になって来て、今度は大いに救世教のために働かれるというわけで、それには日本語が出来なければいけないと言って、最近日本語を始めたのです。この人は今に非常に大きな働きをすると思ってます。いずれロックフェラー氏とかカーネギー氏を、日本に来たついでに寄るというのでは面白くないから、態々救世教の地上天国を見るべく呼ぶというような事を言っているそうです。そういうような工合で、なかなか面白いと思ってます。アメリカ人の間では相当有力な人のようです。なかなか信用もあるようです。そういったアメリカ人がだんだん増えてますから、いずれアメリカの方が先に、救世教と私の事が分るのではないかと思ってます。それについて書いてみました。
御論文〔迷信非迷信〕
迷信非迷信
(栄光二五八号)
標題のごとき迷信、非迷信について、私は是非一度は言わねばならない重要な事があるので、ここにかいたのである。それは何かというと、私は随分長い間現代医学と農業について鋭い批判のメスを揮って来たが、それは前者の医学が病気を作り、悪化させ、生命をも脅かすものであるという事と、後者の肥料によって地力を弱め、虫害、倒伏、不作等の原因を作るというこの二つを二大迷信として、極力啓蒙宣伝に努めて来たが、それに気付くどころか現在政府はじめ学者、専門家等は益々援助奨励している事である。しかもこれは日本のみではなく、世界共通の文化的理念となっている今日、これを分らせる事は難事中の難事である。
そのような中へ、私の説たるやこれまでの常識から言っても余りに飛躍しすぎているので、到底理解は困難である。何しろこの問題に関しては、国家的最重要事である以上、年々巨額の国帑を支出し、多数の大学、専門学校等を設立、生徒を養成すると共に、大仕掛な設備、研究機関等、至れり尽くせりの方法を講じており、世界各国の文化水準より後れじと大童になっている現在、それを私は根本的迷信であり、有害無益な存在として警告を与えていると共に、事実を以って立証しているのであるから、当事者としては反対は出来ず、といって今直に取上げる事も事情が許さないというのが現状であろう。
これを分りやすくいえば昔の切支丹バテレンと同様、今日の文化がいまだ低級であるため気が付かず、既成科学を唯一無上のものとしている。という訳でおかしな言い方かも知れないが、私は科学封建として、この丁髷思想をして、第二の文明開化の風に吹飛さねばならない事を痛感するのである。もっともこの事は洋の東西を問わず、昔から時代を超越した新発見、新宗教等発生の場合、一度は必ずと言いたい程当時の有識者から誤解の洗礼を受けるのが御定りとなっており、これが先駆者の悩みと言ってよかろう。故に私といえども予期はしていたが、それがため時を遅らす事が遺憾と思っている。そうしてよく考えて貰いたい事は、もし私の説が異端であり、迷信であるとしたら、そのような文化の反逆行為は許すべからざるものとして、断乎弾圧し抹殺すべきであるが、それは恐らく不可能であるどころか、反って薮蛇となるおそれがあろう。何となればこの私の説の信奉者は日に月に増えつつある現状をみれば、そこに動かすべからざる根拠があるからである。
察するに当事者は私の説が余りに桁外れで容易に信じられないが、そうかといって理論上からは反駁の余地なく、事実の立証はいかんともなし難いので、一種のジレンマに陥り、静観の止むを得ないのであろう。もしそうだとすれば、この考え方こそ実に無責任もはなはだしく事なかれ主義の姑息的態度としか思えない。何しろ国際競争劇甚な今日、これほど人類に対する超文化的救いの偉業はないのであるから、これこそ日本の誇りとして大々的世界に向って推奨すべきであり、しかも我が国現在の行詰りを打開するに最も有力なものである以上、一日も早く取上げ調査研究に取掛るべきであろう。その結果私の言にいささかでも誤りがあるとしたら、断乎制圧を加えるもよし、もし真実であり、確かに世界にも国家社会にもプラスであるとしたら、速かに援助すべきが至当であろう。それと共に既成文化の誤謬も発見されるに違いないから、是正すればいい訳である。ところが当事者は呑気千万にも、本教を以って世間並の新宗教と同一視し、何ら積極的態度に出ないのは、怠慢が進取的情熱の足りないためか、理解に苦しむのである。故に私は言う、何よりも大乗的見地に立って白か黒か、迷信か非迷信かを速かに決定する事であって、これが根本である。そうして私がこの事を急に言い出したのは、外でもない、近来アメリカのジャーナリストが私を訪問し、私の説を聞きたがり、私の事業を研究する人達が、漸次増えつつある事実であって、このまま進むとしたら、近き将来アメリカの識者間に相当問題となるのは予想されるからで、その時になって肝腎な御膝元の日本の識者が茫然自失するような事があっては、一種の国辱でもあろうから、今の内に警告する次第である。
これは私の臆測ではない。目下有力な米国のジャーナリストで、重要な責務のため数年前から日本に在住している某氏の言によれば、最近日本の外務当局や有力な幾人かのジャーナリストに、私の事業が世界平和建設に大なる貢献の価値ありとして推奨したところ、ほとんど歯牙にもかけない態度には唖然としたとの事である。これでも分るごとく、米人間には、漸次私と私の事業に注目を払うようになりつつある事は、喜びに堪えないのである。
尚その時のいろいろな話の中に〝美術館のあれだけの品物を集めるにはまず五十年はかかるだろう〟と言ってました。〝実際にはどのくらいかかったか〟と言うから、私は〝戦後ボツボツ集め始めて、本当に集まった期間はまず三年だろう〟と言ったところが、喫(吃?)驚して〝とても信じられない。それはどういう訳だ〟と言うから、〝どういう訳かと言えば、奇蹟と言うよりしようがない。つまり神様がそうされたという事より他に言いようがない〟というように言ったのです。でも、はっきりは分らないのです。そこで私が言ったのは〝兎に角集まるという事は、やっぱり金が集まらなければ品物は集まらないのだ。それで金はどうして集まったかというと、医者に見放された病気や死ぬような病気が治る結果、そこで感謝のあまり金を献げるというために金が集まって、これだけの美術品が買えたのだ〟と言ったのです。それで側から阿部さんが〝なにしろ今までと違って、一人対一人ではなくて、明主様のお書きになったものを懐に入れると、誰でもそれで病気が治るという、そういうように信者がキリストと同じような事ができるのだから〟と言ったので、これも驚いたのです。〝自分は今まで世界の偉人の事を聞いたり、会ったり、歴史によっても、キリストや釈迦と同じだとか、或いはそれに近いとか、そういうような事を言ったという人の事を聞いているが、キリスト以上だというような、そういう大きな事を言う人はなかった、明主様が初めてだ。これは実に驚いた〟と言うのです。だからそう言う方に対して批評はできないと言うのです。何故なれば〝若し明主様のような人を批評するとしたら、自分が同格かそれ以上でなければ批評はできない。しかし人間の方は下なのだから、ただ事実を認める以外、批評は不可能だ。批評するのは間違っている〟と言ったのは、さすがに米国のジャーナリストだと思いました。実に有りのままを正直に表現する事が、日本人はあんまりそういうふうには言わないのです。だから実によいと思うのです。どうも日本人はそういう場合にも、何か色をつけたがるのです。日本のジャーナリストの色たるや、すごい色をつけます。自分よりも下のように言うのです。茶化すのです。〝岡田茂吉ナンテなんだ、救世教ナンテなんだ。あれは時局に便乗してうまく儲けた〟というような、軽蔑したように見るのです。だから米国のジャーナリストと日本のジャーナリストとの見方は天と地の違いさです。一方は〝それほどの人は批評できない〟と言い、一方は、批評どころではないので〝オレより下だ、あれに瞞される奴はヨッポド間抜だ〟と言っている、そのエラがり方との違いさは大変なものです。だからそうなると、失礼ながら日本のジャーナリストは、やっぱり豚に真珠としか思われないです。日本の文化程度の低さというものは実に困ったものです。汚職問題が起こったり、いろいろ変な、社会がゴタゴタして、テンヤワンヤなのは当り前だと思います。
この間の二重橋事件で目が見えなくなった子供の事はこの前話しましたが、あれはない出血が眼の裏に固まっただけのものですから、ウッチャラかしておけば治るのですが、浄霊すれば何んでもない事です。最近、十三年間底翳だったのが手術によって見えるようになったというので、新聞に出てましたが、あれも何んでもないのです。それに見えたと言っても一時的のもので、又見えなくなります。これも眼の裏に固まっていたのですが(という事は医者が固めていたのです。即ち薬をつけたりして裏を固めて見えなくしていたのです)これもウッチャラかしておけばだんだん見えるようになるのです。底翳というのは放ッタラかしておけば、大抵治るのです。浄霊なら簡単に治ります。それを世界的の大問題にしていますが、丁度子供がオモチャを拵えて親に自慢しているようなものです。私が言っている〝医学は子供瞞し〟というのは本当なのです。一事が万事で、今の米国人の話と日本人とを比べてみてもそのくらいなのです。けれども医学だけは米人はやっぱり子供瞞しの組ですが、これも今にだんだん分らせようと思ってます。
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