癌は簡単に治る

 左の御蔭話は、医師から不治と断定された癌が、短期間で確実に全治した例であるから、本当からいえば、世界医学界の大問題になるべきである。にも拘らず恐らくこれを読んだ当局者も専門家も、例の如く雲煙過眼視し、それでお仕舞であろう。いつもいう通り宗敎なるが故にという理由だろうが、この心理こそ全く解するに苦しむので、斯うまで科学迷信に捉われてしまった頭脳は、手の施しようがないと思うのである。そうして世界中どこの国にも種々な迷信があり、それを嘲笑しているのが科学者であるが、実は御自分の方こそ科学迷信特に医学迷信に(はま)りつつあるのに気が附かないので、病気は医学以上治るものはないと自惚(うぬぼれ)れているそこに問題があるので、これを文化的丁髷(ちょんまげ)といってよかろう。

 

二十年来の皮膚癌全快

福岡県福岡市吉塚明町

光宝大教会  蘭 祐次(62)

 明主様謹みて御守護の御礼を申し上げると共に御報告させて戴きます。

 私は四十二歳頃、鼻の下に小さいニキビの様な物が出来、痛みは全く無いので、その儘過して居りましたところ、年々大きくなり、二十四年の暮頃より少し変化し始めましたので、二十五年一月、九大病院に診せましたところ、皮膚癌と診断を受け、その時私の失望は筆舌にあらわせぬ程でございました。その後はラジウム治療二ヵ年程続けて居りましたけれども、少しも固りは取れぬ故、度々係の医師に「ラジウムで全治するものか」と尋ねますと「再発せぬ様に押しつけて行く丈で、根が切れるという事は難しい」との事でした。その折、佐世保に嫁っている長女喜代子が内耳炎で佐世保の医師より見放されたとの通知に接し、福岡へ呼び寄せ、大学病院や専門医に診せましたところ、一日も早く手術を勧められ、二十六年九月根治手術を受け、その後一ヵ月程経過する内、頭がふらふらする様になり、終には神経衰弱気味となり、この有難き御道を知らぬ私達は彼方此方の神様と迷い続けましたが、一つも効果なく、家庭は暗黒となり苦しみの連続でございました。その時近所の野口様や成川様よりこの有難き御道の御話を承り、早速教会へ御参りさせて頂き、私丈教修をお願い申し上げ、二十六年十一月に有難き御守様を拝受させて戴きました。併し娘は医学より外に信用せず、御浄霊を戴かず、私は教会へお参りしながらも、彼方此方の病院をあさり歩く娘について廻り歩く不甲斐ない私でございました。私の心は晴れたり曇ったり、先生の有難い御導きも耳に入らない私でございました。二十七年七月の初め、佐世保より娘婿来福致し、酒の席上、お父様が盲愛の為、喜代子の病気は解決せぬ様申されましたので、私はこれ丈心配して居るのにと、娘婿の態度に立腹、早速娘を佐世保に連れて帰らせ、その後私は静かに考えますに、先生より日頃お導き戴いて居ります様に、娘の事は明主様に一心に御守護御願い致し、第一親の私が浄まらせて頂く事に気付かせて頂きました。その頃私の想念の変化により佐世保の娘も気分丈は平常通りにならせて頂きました、との便りに接し、七月二十三日、鳥栖御本部月並祭に御参拝させて戴き、私達親子の場合と一致する御話を承りましたので、より以上感激させて頂き、その日より私は一心に明主様にお縋り申し上げる事が出来る様にならせて戴いたのでございます。

 八月二十日妻も入信の御許しを戴きますと同時に私の癌の御浄化が始り、血や膿となって溶かして頂き、只今では不治と断定されました癌もきれいにあとかたもなく全快させて頂きましたのでございます。この有難さ嬉しさは筆や言葉では申し上げ尽くせないものでございます。明主様有難うございました。そしてあれ程分らず反対しました我が儘な娘まで只今ではお許し頂き、私の入信後一年目、早岐の支部でお守様を拝受させて頂きました。御救い賜わりました只今にしてその頃を省みますと背筋に冷水の思いでございます。今更お詫び申し上げ様もございません程でございます。

 明主様深く御詫び申し上げます。何卒御許しの程お願い申し上げます。早速御守護の御礼を申し上げさせて頂かねばと思いつつも筆のたたぬまま延々になりまして誠に申訳もございません。何卒御許しの程御願申し上げます。

 昨今は地上天国御建設の為一人でも多く御導きさせて頂けます様お念じさせて戴きつつ日々を過させて戴いて居ります。

 明主様数々の御守護の程厚く御礼申し上げさせて戴きます有難うございました。

(昭和二十八年四月七日)

 

 

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