―― 新約聖書(全27巻)の主な内容 ――

  • マリアの受胎告知 (『マタイ』1章18-25節、『ルカ』1章5-66節)(BC6年頃)

ナザレに住む娘マリアのところに、大天使ガブリエルが現れて、イエスの誕生を予告した。一方、ダビデの子孫でマリアの婚約者ヨセフは、マリアが結婚前に妊娠したことに悩み、縁を切ろうとしていたが、ヨセフの前に天使が現れ告げる。

「マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタイ1・20-21)

イエスとは、神は救いという意味。

神の使いから、年をとった不妊の女・親類のエリザベトがすでに妊娠6ヵ月と聞いたマリアは、エリザベトのもとを訪れた。マリアが神の子を宿したと告げると、エリザベトは聖霊に満たされ、その胎内の子も喜び踊った。こうして二人は共に神を賛美した。

やがてエリザベトの産んだ男の子は、イエスのさきがけの洗礼者ヨハネとなり、ついで、イエスも誕生する。

  • イエスの降臨 (『マタイ』1章18-2章12節、『ルカ』2小1-21節)(BC6世紀頃)

ナザレの町で暮らしていたヨセフとマリアだったが、ローマ帝国(皇帝アウグストゥス)が行った住民登録令により、ヨセフの出身地ベレツヘムへ帰郷する。ベレツヘム滞在中、マリアは赤ん坊を出産するが、あいにく宿がなく、馬小屋の飼い葉桶に、子供を産み落とした。紀元前6世紀頃のことと言われる。

ちょうどその頃、野宿をしながら夜通し、羊の番をしている羊飼いたちに、光が輝いた。すると、主の使いが告げた。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである」(『ルカ』2・11-12)

ベレルヘムに向かった羊飼いたちは、乳飲み子を探し当て、天使の言葉を人々に知らせた。そして、皆で祝福し、神を崇めた。

さらに、東の国で不思議な星の光に誘われた3人の占星術の学者が、はるばる砂漠を越えてエルサレムにやってきた。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」(『マタイ』2・2)

この地方を支配していたヘロデ大王が、祭司や律法学者に、メシアはどこに生まれるのか聞くと、ベレツヘムだと言う。学者たちは、星に導かれてそこへ向かった。母マリアと共にいる幼子を見つけると大いに喜び、幼子の前にひれ伏した。そして、宝箱の中の黄金、乳香(にゅうこう)、没薬(もつやく)などの貢物を捧げ、帰っていった。

※ イエス誕生の地とされる場所に立つ。聖降誕教会(ベレツヘム)。6世紀、ローマ皇帝ユスティニアヌスによって再建され、現在の姿になったとされる。

※ 聖書には、「占星術の学者たち」と書いてあるだけだが、6世紀に創作された書物の中で、人数は「3人」と決まり、それぞれガスパール、メルキオール、バルタザールと名付けられた。さらに後世になると、3人の王に格上げされ、三王と呼ばれるに至った。そのため、「三王礼拝」とよく使われるが、原語では占星術の学者たちはマギなので、「マギの礼拝」という言い方もある。「三博士の礼拝」という言い方もまだ残っている。

  • イエスの幼年時代 (『マタイ』2章13-23節、『ルカ』2章39―52節)(BC6年頃)

東方の学者たちの「イエスは〝ユダヤ人の王〟」というお告げに驚いたヘロデ大王は、自分の地位が危うくなるのではと恐れを抱く。そこで彼らに「そのことを詳しく調べ、見つかったら知らせよ」と言うが、彼らは「ヘロデのもとへ帰るな」という夢のお告げで、そのまま帰ってしまう。

その後、イエスの父ヨセフに、夢の中で天使が告げる。

「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている」(『マタイ』2・13)

「学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベレツヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、ひとり残らず殺させた」(『マタイ』2・16)

「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地に行きなさい。この子の命をねらっていた者どもは、死んでしまった」(『マタイ』2・20)

ヘロデ王の死後、イエスの家族は無事ナザレに帰還する。

※ 「エジプトへの逃避」は『マタイ』が触れているだけ。『ルカ』には、イエスがユダヤ人の宗教儀式を行った様子で、生後8日目の男の子の急所の包皮を切除する割礼をして、生後40日目には、エルサレムの神殿に行ってお参りしたと、わずかに記述がある。また、『ルカ』には12歳のエピソードもある。過越しの祭りを祝うため、エルサレムに出かけていたイエス一家だったが、帰途につくときイエスがいない。そのとき、イエスはエルサレムの神殿で、ユダの学者たちと論戦を交わしていた。そして、心配して探し回っていたマリアに、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」(『ルカ』2・49)と答えたという。イエスが言う父の家とは、神の家、神殿を指し、イエスが神の子であることを示唆している。

 

  • 洗礼者ヨハネ 

(『マタイ』3章、『マルコ』1章1-8節、『ルカ』3章1-20節、『ヨハネ』1章19-28節)(AD27年頃)

ガリラヤのヨルダン川ほとりの荒野で、洗礼者(バプテスマ)ヨハネは懸命な修行を続け、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と説き、人々の心を揺り動かした。ヨハネは彼を慕ってくる民衆に向かって、正しい生き方を説き、神の許しを得るための、悔い改めの悔い改めの洗礼を行った。

「まむしの子らよ、神の怒りは迫っている。今こそ、自分の罪を詫びて悔い改めなければ、救いはやってこない」

「まむしの子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか」

「悔い改めにふさわしい実を結べ」

「神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる」

このヨハネこそ、イエスの親類エリザベトの息子だった。預言者イザヤによって言われたイエスの先駆者だった。

「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れの野で叫ぶ者の声がする。〝主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ〟」(『マルコ』1・2-3)

待ち焦がれていた救い主はヨハネではないかと信じる者も多かったが、ヨハネは「あなたたちに水で洗礼を授けているが、私の後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。」(『マタイ』3・11)と言った。

イエス誕生時、ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスが、当時のガリラヤとペレアを治めていた。彼は異母兄弟の妻ヘロディアと密通し、その後結婚。ヨハネはこのヘロデ・アンティパスの不倫を、「兄弟の妻と結婚することは許されない。近親相姦の罪である」と厳しく糾弾した。

嫉妬深く狡猾、猜疑心が深い性格だったといわれるヘロデ王は、ヨハネを激しく憎んだが、人望高いヨハネに手を下すことはできない。だが、ヘロディアは、王をそそのかしてヨハネを捕らえさせ、牢屋にぶち込んだ。その後ヘロデ王の宴で、得意の舞を披露した美しいサロメ(ヘロディアの連れ娘)の「ヨハネの首を盆に載せていただきたい」という望みで、ヨハネは首を斬られてしまう。

※ ヨハネは洗礼者として、人々の崇敬の対象となっている。エンカレムには、ヨハネ生誕教会がある。

やがて時が経ち、領土を奪われたヘロデ王と王妃、娘サロメはガリアに流され、憐れな余生と悲惨な最期を遂げたと伝わる。

  • イエスの洗礼とサタンの誘惑 

(『マタイ』3章13-4章11節、『マルコ』1章9-13節、『ルカ』3章22―22節、4章1-13節)(AD27年頃)

30歳を過ぎたイエスは、ヨルダン川で、ヨハネの洗礼を受ける。そのとき、不思議な光景が現れた。イエスが水から上がると、天が開かれて神の霊が鳩のように下り、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(『マタイ』3・17)という神の声が聞こえてくる。

それからイエスはすぐに荒野に行き、40日40夜の修行に入る。イエスは神の祈りを続け、断食し、最後に左端の誘惑と戦った記述は、『マタイ』『ルカ』(共に4章)にある。サタンは「神の子なら」と前置きしながら、パンや世界の栄華といったこの世の欲望を引き合いに出して、イエスを試した。だが、イエスは、いずれの誘惑にも屈することなく、きっぱりとはねのけた。

40日間飲まず喰わずにいたため、体が衰弱し空腹となったイエスに、まずサタンは「神の子なら、石をパンに変えよ」と囁いた。しかし、イエスは「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」とはねのけた。

サタンはさらにイエスをエルサレムの神殿に連れて行き、神殿の屋根に立たせると、「神の子なら、ここから飛び降りてみろ」と促すが、イエスは「あなたの神である主を試してはならない」と答えた。

それから高い山に連れて行かれ、世界中の国とその繁栄振りを見せられたイエスは、「ひれ伏してわたしを拝むなら、全世界の栄華、権力と繁栄をお前に与えよう」とそそのかされる。しかし、「退け、サタン。〝あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ〟」と、3度の誘惑にも惑わされなかったイエスに、さすがのサタンも葉が立たず、退散していった。

こうしてサタンの誘惑に打ち勝ったイエスは、天使たちと共にガリラヤの地に戻っていく。

  • イエスの宣教 

(『マタイ』4章12―22節、『マルコ』1章14-20節、『ルカ』4章14-15節、5章1-11節)(AD27年頃)

イエスが宣教を始めたのは、紀元27年頃とされている。

当時のユダヤ教は主として、サドカイ派、ファリサイ派の2派に分かれていた。D妻子や上流階級が主流のサドカイ派は、支配者ローマと手を結んで政治的特権を得ようとしていたし、より民衆に近いファリサイ派(律法学者など)は、律法の遵守ばかり固執し、信仰は形骸化していた。

神の教えに背き堕落した世の中と民衆に向かい、「もうすぐ神の裁きがある。メシアを通して神の支配が行われる。悔い改めよ」と説教した洗礼者ヨハネが、ヘロデ・アンティパスの命により逮捕されたことを知ったイエスは、ガリラヤに戻り、故郷のナザレより来たのカファルナウムに移り住み、宣教生活に入る。

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(『マルコ』1・15)

洗礼者ヨハネの言葉とほとんど変わらないようだが、ヨハネが神の怒りや裁きを鋭く説いたのに対し、イエスは神の国の福音(よき訪れ)をやさしく訴えた。愚かで罪深い人間に、神は怒りの矛先を向けているのではなく、限りない愛や喜び、光明を与えてくださると、イエスは教え説いた。

 o十二使徒たちの召命

ガリラヤ湖北岸の町々をめぐりながら、イエスは漁師たちを弟子として招いていった。

湖畔の貧しい漁村で福音宣教に歩いたイエスは、漁師の兄弟シモンとアンデレに出会う。不漁だった彼らに、沖で漁をしなさいとイエスが言い、豊漁となった。イエスは、「わたしについてきなさい。これからは人間をとる漁師にしよう」と言い、2人は最初の弟子となった。シモンは一番弟子となったペテロ。

さらに、舟の中で網の手入れをしていたゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネも、父ゼベダイを残してイエスについていく。

人から金を取るという、裕福だが忌み嫌われる徴税人だったカファルナウムのレビは、「わたしに従いなさい」とイエスに言われ、職やお金、家などすべてを捨てて弟子となった。レビがイエスのために盛大や宴会を開くと、ファリサイ派の招待客がイエスに、なぜ徴税人や罪人と一緒に食事をするのかと問う。イエスは「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(『ルカ』5・31-32)と答えた。レビは、その後マタイとなって、福音書の一つを記した。

こうして弟子の数は徐々に増え、12人となった。

 

  • カナの婚礼とイエスの奇跡 

(『マルコ』1章40-2章12節、『ルカ』5章12-26節、『ヨハネ』2章1-12節)(AD28年頃)

イエスは神の教えを説いただけでなく、さまざまな奇跡を行った。

 oイエスの最初の奇跡

ガリラヤのカナで、イエスと母と弟子たちは、婚礼に招待された。ところが、宴もたけなわのころ、肝心のぶどう酒がなくなってしまう。そこでイエスは、その家の、ユダヤ人がお清めの儀式に使う大きな石の水がめ6つに水を満たさせると、宴会の幹事のもとへ持っていく。

味見をすると、立派なぶどう酒に変わっていたが、いきさつを知らない幹事は驚き、花婿に、「誰でも、始めに良いぶどう酒を出し、人々が十分に飲んだところで悪いものを出すものだが、あなたはよいぶどう酒をとっておいたのですね」と褒め称えた。

※ この奇跡はイエスが行った〝最初のしるし〟だが、『ヨハネ』(2章)にしか記されていない。

※ 聖書の中で、ぶどう酒はキリスト(救世主)の血に例えられる。ユダヤ教の清めの水がこれに変わったことは、古い信仰を超えて、イエスの新しい教えに生まれ変わったことを意味する。

 o病気治癒の奇跡

あるとき、重い皮膚病の人がイエスのもとにやってきて、「主よ、お心があるならば、わたしを清くすることができますように」と願った。当時、重い皮膚病とは、らい病を意味し、汚れた病と嫌われ、患者は隔離されて暮らしていた。

この人を憐れんだイエスが、手を差し伸べて「清くなれ」と言うと、皮膚はきれいになっていた。そして、「このことは誰にも話さないようにしなさい。祭司に体を見せ、モーセがやったように神に捧げものをして、人々に証(あか)しなさい」と告げる。治癒の奇跡が広く知れ渡ることを、イエスは恐れたのだが、いつしか病を癒してほしいと願う人々が、イエスのもとにたくさん集まってくるようになった。

イエスが家に帰ると、4人の男が中風で寝たきりの男を担架で担いできた。群集に囲まれた男は、屋根をはがして家の中に運ばれ、イエスのものへ出た。その信仰の強さを知ったイエスは、「子よ、あなたの罪は癒される」と言葉した。その場に居合わせた律法学者たちは、「神でもないのに、なぜ、罪を赦すことができるのか。神を冒涜している」と心の中であざけった。

それを知ったイエスは、「人の子が地上で罪を赦す権利があるのを知らせよう」と憤りながら、男に「起き上がって、床を担いで家に帰りなさい」といった。すると、寝たきりだった男は起き上がって、家に帰っていった。

※ イエスは重い皮膚病を患う人、中風のローマ軍将校の部下、発熱した弟子ペテロの姑、寝たまま担がれてきた中風の人を治癒する等々、数々の病を治した。

o死者の復活

イエスが門の前に近づくと、ちょうど、ある母親の一人息子が死んで、棺が担ぎ出されるところだった。・・・・・・近づいて棺に手を触れると、担いでいる人たちは立ち止まった。イエスは、「若者よ、あなたに言う。起きなさい」と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。(『ルカ』12-15)

  • 山上の説教 (『マタイ』5-7章、『ルカ』6章20-49節) (AD28年頃)

o山上で弟子たちに語る

イエスは世間的、物質的な貧富ではなく、一貫して霊的な豊かさ、貧しさを訴えた。謙遜の心や、悲しみを抱えている人ほど幸いであり、地の塩、世の光だと言った。

「心の貧しい人は、幸いである。天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは血を受け継ぐ。義に飢え乾く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。・・・・・・」(『マタイ』5.3-10)

※ 「心の貧しい人」とは、神の前で自分がいかに精神的に貧しいかを知った者、神の前でへりくだることのできる人を意味する。

イエスのこの言葉で始まる「山上の説教」は、キリスト教の真髄とも言ってもよい。

※ 『マタイ』では、5~7章までがこの説教に費やされ、『ルカ』はそのダイジェスト版のような記述となっている。おそらく、一度に語ったものではなく、弟子たちに何度も語り継いだ言葉をまとめたのではないか。

   山上の教訓で述べられたその他の名言

「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(『マタイ』5-39)

「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である」(『マタイ』6-34)

「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量るはかりで量り与えられる」(『マタイ』7・1-2)

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(『マタイ』7-7)

 o日常生活で守るべき規範

イエスは、律法の掟を越えた、6つの日常生活の規範を語った。

「腹を立ててはならない」「姦淫してはならない」「離縁してはならない」

「誓ってはならない」「復讐してはならない」「敵を愛しなさい」

例えば、律法では「殺すなかれ」と言うが、実際に殺さなくても、人を怒り軽視すれば、殺したのと同じことであり、姦淫しなくても情欲を抱いた時点ですでに姦淫していると言う。つまり、人間をとことん愛し、尊重することが神の意志であるという。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。・・・・・・自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか」(『マタイ』5・44-46)

「もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない」(『マタイ』6・14-15)

神を求め、敵を愛し、自分が人からして欲しいと思うことを人にすることを、神は望んでいる――これがキリスト教の黄金率。

  • ガリラヤ湖の奇跡

o尽きなかった群衆の食料

宣教に歩き疲れたイエスと弟子たちが、舟に乗ってガリラヤ湖の向こう岸へ行って休もうとしていると、群衆たちが後を追ってきた。5000人以上の大勢の人々に囲まれたイエスは、神の話をし、病を癒した。そこは辺鄙な場所で、食料もなかったため。夕方になって日も暮れてきたので、弟子たちは人々に解散するように求めた。

「あなた方の中で、何かを食べるものを持っているものがあるか」というイエスの問いに、200デナリ分(1デナリは1日の労働者の賃金)のパンを買っても足りないだろうと、弟子たちは困惑する。そこには、5つのパンと2匹の魚しかなかったが、イエスは、群衆を50人ずつに分けて草むらに座らせた。

そして、5つのパンと2匹の魚に祈りを捧げ、裂いて分け与えていくと、不思議なことに次々に増えていく、なんと、すべての人々の上を満たした。その後、残ったパンくずを拾い集めると、12籠もあった。人々は驚き、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」(ヨハネ6・14)と、イエスの持つ信仰の力を実感する。

※ 5つのパンと2匹の魚の給食は、4つの福音書すべてに書かれている奇跡。人間は食べ物がなくては生きていけないが、イエスが同時に、霊的な乾きも満たしたことを意味していると思われる。

※ イエスが出かポリス地方にいたとき、同じような奇跡が、同じような状況のもとで行われた。このときは、7つのパンと数匹の魚だったと、『マルコによる福音書』(8節8章)は述べている。

※ 最初の給食は、ユダヤ人の国で、二度目の給食は異邦人の国で行われた。これは、ユダヤ人、異邦人かかわらず、与えられる福音を象徴している。

oガリラヤ湖を歩いたイエス

その後、イエスは弟子たちを舟に乗せて対岸に向かわせ、自分は神に祈りを捧げるために、ひとり山に登った。

周りを山に囲まれた盆地に位置するガリラヤ湖は、時として突風が起こり、嵐となることもあった。突然、強風が襲い、船は難破しかけた。水の扱いには慣れているはずの弟子たちも、手の施しようがない。

ところが、夜中の3時頃になって、山から下って嵐の湖の上を歩いて来るイエスの姿があった。

※ 舟のないイエスは、湖面を歩いて弟子たちに追いついた距離は、『ヨハネ』によると、25~30スタディオン(約4.5~5.5km)。

真夜中の闇の中を進むその姿は、まるで亡霊のようであり、恐ろしさのあまり泣き出す者もいた。

「恐れることはない、私だ」というイエスの言葉に、ペテロは「主よ、もしあなただったら、私に水の上を歩いてここまで来いとおっしゃってください」という。ペテロは水上を進もうとするが怖気づいて沈みかけた。「主よ、助けてください」すぐにイエスが手を差し伸べ、2人は船に乗り込むと、嵐は嘘のように静まっていった。

イエスは、ペトロをさとした。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」

風や荒波をも鎮める力を持ち、自然さえも、イエスの前ではひれ伏す。この光景を目の当たりにした弟子たちは、イエスの力に畏れを抱きながら、本当に神の子であると信じた。

  • イエスに対する非難 

(『マタイ』12章1-8、13章53-58)(『マルコ』2章23-28)(『ルカ』4章10-30) (AD29年頃)

o断食と安息日の掟は守られるべきか

洗礼者ヨハネの弟子が、「自分たちやファリサイ派は断食をするのに、イエスの弟子たちはなぜしないのか」と質問する。すると、イエスは「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか。しかし、花婿が奪い去られる日には、彼らも断食するだろう」と前置きし、新しい布に古い布を継ぎ当てするだろうか、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるだろうか、と続けた。

イエスの教えは禁欲的なものではなく、断食するよりも共に食事することで、神の恵みを喜び分かち合ったのだ。その教えは、細かい戒律の遵守にこだわる一部のユダヤ教徒とは相容れなかった。

また、安息日に麦畑で弟子たちが麦の穂を摘んでいると、「安息日なのに、なぜ、してはならないことをするのか」とファリサイ派は糾弾した。安息日に会堂で説教するイエスのもとにきた人の、なえた片手を元の状態に戻した。人々は、イエスが果たして病を癒すかどうか注目していた。

「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」

休息のための安息日なのに、いつのまにか本来の目的を見失っていた。病を治し、人のためによいことをするのは、安息日か否かには関係ない。戒律を重んじるためにあまりに本末転倒となった人々を解放するのが、イエスの教えだった。

o故郷ナザレで歓迎されなかったイエス

イエスの評判は国中に伝わり、故郷のナザレでも噂されるようになった。

ナザレの母のもとに戻ったイエスは、安息日に会堂へ行って、イザヤ書を読む。

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである」(『ルカ』4・18)

「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」(『ルカ』4・21)

人々は恵み深い言葉に感銘するが、声の主がイエスだとわかると、「あれはヨセフの子だ。大工の子が何を言っているのか」と騒ぎ出した。「預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ」というイエスの言葉に人々は怒り、彼を町から追い立て、崖の上から突き落とそうとする。

イエスは迫害にもくじけることなく、神の国を述べ伝えた。

「道端に落ちた種は鳥に食べられ、石だらけで土が少ない土地にまかれた種は、すぐに芽を出しても根が深く、すぐに枯れた。茨の間にまかれた種は成長しない。良い土地にまかれた種は、実を結んで何十倍にも増える。だから、耳のある者は聞きなさい」

  • イエスの変容 

(『マタイ』16章13節-17章13節、『マルコ』8章27節-9章13節、『ルカ』9章18-36節)(AD29年頃)

 o弟子たちを驚かせた受難と復活の予言

ガリラヤでの宣教に行き詰まったイエスは、弟子たちを連れてガリラヤ湖の来たにあるフィリポ・カイサリヤの村へ出かけた。途中、弟子たちに向かって、「人々はわたしを何者だと思っているのか」と尋ねた。

「洗礼者ヨハネと言う者もいれば、預言者エリヤ、または預言者の一人だという者もいます」

「それではあなた方は、わたしを何者だと思っているのか」

「あなたはメシア(救世主)、生ける神の子です」と答えた一番弟子のペテロに、イエスは、天の父が私をつかわせ、あなたに現した。あなたの名はペテロ(岩の意)。わたしはあなたの上に教会を建て、天の国の鍵を預ける」と言い、自分がメシアであることを口外するなといさめた。

※ 鍵がペテロのシンボルとなった由縁。

このときからイエスは、自分は多くの苦しみを受けて死に、3日後に復活することになっていると語るようになる。

痛ましいイエスの死など望んでいないと、悲しむペテロに対して、イエスは「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」と言い、厳しい言葉を投げつける。

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」(『マタイ』16・24-25)

o変貌の山でモーセやエリヤと語り合ったイエス

6日目にイエスは、直弟子のペテロ、ヤコブ、ヨハネの3人だけを連れて、パレスチナの北限にあるヘルモン山へ登った。

※ ヘルモン山・・・・・・ガリラヤ湖南西のタボル山という説もあるが、直前までいたフィリポ・カイサリヤが近いことから、ヘルモン山説が有力。標高2830mの山頂付近は、年中雪に覆われるが、ヨルダン川の水源としての役割を果たしている。

彼らが祈っていると、突然、目の前のイエスの姿が変わる。顔は太陽のように明るく、服は光を放って真っ白になり、神の姿のように光り輝いた。やがて、モーセとエリヤガ現れて、イエスと共に語り始める。

この衝撃的な光景に、ペテロは思わず、「お望みでしたら、ここに3つの仮小屋を建てましょう」と叫ぶが、雲が湧き出して3人を包み込み、神の声がした。

「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」(『ルカ』9・35)

弟子たちは地にひれ伏して恐れ入るが、ゆっくりと顔を上げると、そこにはイエスひとりが立っていた。

山から下りると、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことを告げてはならない」とイエスは釘をさす。

  • ガリラヤからエルサレムへ 

(『マタイ』19章、『マルコ』10章13-31節、『ルカ』18章15-30節、『ヨハネ』4章1-42節) (AD29年頃)

o金持ちが神の国に入るのは非常に困難

イエスは一旦、ガリラヤのカファルナウムに戻った後、エルサレムで過越祭を迎えるため、湖の東岸デカポリスを通って、ユダヤ地方に向かった。イエスにとって最後の旅だった。

旅の途中、イエスは度々、群衆に取り囲まれた。弟子たちは、人々が子供や乳飲み子までつれているのを見ていい顔をしないが、イエスは違った。

「子供たちをわたしのもとに来させなさい。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決して入ることができない」

ある時、ひとりの男が「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいのでしょう」と質問した。イエスが「なぜ善いと言うのか。ただ神のみが善いものなのだ。あなたは掟を知っているはずだ」と言うと、男は、子供の時から律法の掟を守ってきたと言う。しかし、男は、イエスが言った言葉を聞いて、悲しみに打ちひしがれた。(男は金持ちで、たくさんの物を持っていた)

「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすればあなたは天に徳を積むことになる。それからわたしに従いなさい」

「金持ちが神の国に入るのは、なんと難しいことか。らくだが針の穴を通るほうがまだやさしい」

「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ」(『マタイ』19・29)

それは物だけではなく、この世のしがらみを捨てることでもあった。

oイエスへの質問

・弟子たち「天国で一番偉いのは誰なのでしょうか」

――自分を低くして、子供のようになれる人間が天国で一番偉い。そもそも、心を入れ替えなくしては天国に入ることもできない。

・ペトロ「兄弟が私に罪を犯した場合、何回までなら赦すべきでしょうか。7回ぐらいですか」

――7の70倍でも赦してあげなさい。あなたが他人の罪を赦せないのなら、(罪を犯している)あなた自身も神から赦されはしないだろう。

・パリサイ派の人々「夫が妻を離縁することは、律法に適っているのでしょうか」

――妻と結ばれれば、二人はもはや別々ではなく一体である。神が結び合わせてくれたのに、人間が引き離してはならない。

・金持ちの男「永遠の命を得るためにはどうすればいいのでしょうか」

――財産・所有物を貧しい人々に分け与えなさい。この世ではつらい思いをするが、後の世では幸福になり、永遠の命も受けられるだろう。

oサマリアの女との会話

サマリアを通るとき、イエスはかつてヨセフがヤコブに与えた土地の近く、「ヤコブの井戸」で休息をとった。

※ ヤコブの井戸・・・・・・旧約聖書に登場したヤコブが掘ったとされる。

イエスが、井戸に水汲みにやってきた女に、水を飲ませてほしいと声をかけると、女は驚く。当時、ユダヤ人とサマリア人は敵対し、口もきかなかった。

「この水を飲むものは誰でもまた渇くが、わたしが与える水を飲む者は、渇くことがない。その水はその人の内で泉になり、永遠の命に至る水が湧き出る」

サマリアの女は信仰心が篤く、イエスの言葉を信じ受け入れた。

女「主よ、わたしにその水をください。わたしは救世主(キリスト)が来ることを知っています」

「それはあなたと語っているわたしだ」

イエスはユダヤ人にもサマリア人にも、神を信じるすべての人に、永遠の命を約束すると語った。

  

  • イエスの喩え話、放蕩息子の帰還 (『ルカ』15章11-32節)(AD29年頃)

o99人の正しい人よりも1人の罪人の改悛

あるとき、イエスは、こんな喩え話をした。

ある豊かな家に、2人の息子がいた。弟は父親に財産分与をねだり、自分の取り分を手にすると、遠い国へ旅立ったが、あっという間に全財産を使い果たしてしまった。その土地に飢饉が起こると、食べる物もないほど惨めな情況に陥り、豚の餌を食べても飢えをしのげなかった。息子は帰って、父に自分の過ちを認め、もう息子と呼ばれる価値もないと赦しを乞うた。父親はかわいいわが子との再開を喜び、祝賀会を開いた。

その後、帰ってきた兄は、その騒ぎに怒り出す。「わたしはずっとお父さんのそばにいて、いつも言うことを聞いて、従ってきました。わたしが友達と宴会をするときは、子山羊さえ食べさせてくれなかったのに、あなたの財産を遊んで食いつぶした弟に、こんな贅沢をさせるなんて・・・・・」

すると父は、「お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが弟は、一度死んだのに生き返ったのだ。喜ぶのがあたり前ではないか」と答えた。

この喩え話は、過ちや罪を犯しても、その罪を素直に認めて神のもとに帰る者を、神は赦されることを示している。厳格に生きる兄は、弟に対して、寸分の憐れみもやさしさも持ち合わせていない。兄は、形式的な律法の遵守にとらわれ、しんの人間理解を深めようとしないパリサイ派や、旧態依然のユダヤ教徒たちを示した比喩だ。

同様の話は、「見失った羊」(『ルカ』15・1-7)にもある。100匹の羊を買う人が、たとえ1匹でも見失ったら、99匹の羊を置いて迷った1匹を探しに行くだろう。もしその1匹が見つかったら、喜んで皆に話すに違いないと。

「悔い改める一人の罪人は、悔い改める必要のない99人の正しい人よりも大きな喜びが天にある」

oその他、有名な喩え話

・「種を蒔く人」の喩え(『マタイ』13章1-9節)

イエスが語った。

「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ないところに落ち、そこは土が少ないのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の中に落ちた。すると、茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは30倍、あるものは60倍、あるものは100倍になった」

弟子たちがこの喩えについて尋ねると、イエスはこう答えた。

「「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。道端のものとは、こういう人たちである。そこに御言葉が蒔かれ、それを聞いても、すぐサタンが来て、彼らに蒔かれた御言葉を奪い去る。・・・・・・また、ほかの人たちは、茨の中に蒔かれるものである。この人たちは御言葉を聞くが、この世の思い煩いや富の誘惑、その他いろいろな欲望が心に入り込み、御言葉を覆いふさいで実らない。良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて受け入れる人たちであり、ある者は30倍、ある者は60倍、ある者は100倍の実を結ぶのである」

・「毒麦」の喩え(『マタイ』13章24-30節)

「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中にどく麦を蒔いていった・・・・・・主人は言った。〝刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい〟」

この喩えは、毒麦と良い麦の選別は、収穫(世の終り)のときに始めて行われることを意味する。

・「ともし火と秤」の喩え(『マルコ』4章21-25節)

  • ふたりのマリア (『ルカ』7章36-50節、10章38-42節)(AD29年頃)

oイエスをもてなした姉妹

エルサレムに近づいた一行は、均衡ベタニアのマルタとマリア姉妹の家に泊まった。

※ 『ヨハネ』によると、このマリアはイエスの友人ラザロの姉妹とする。

ラザロは病で亡くなった後、4日間、墓に葬られていたが、イエスが訪れ、「私を信じる者は、死んでも生き返る」と予告した。その言葉通り、墓石を取り除いて名を呼ぶと、全身を布で巻かれたラザロが、自分の足ででてきた。

家にやってきたイエス一行をもてなそうと、かいがいしく働く姉のマルタとは対照的に、マリアは家事を手伝おうともせず、イエスのかたわらに座って、じっと話を聞いていた。(『ルカ』10・38―39)

マルタがイエスに向かって、「主よ、妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何とも思いませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」と不平を訴えると、イエスは「マルタよ。あなたは多くのことに思い悩んでいるようだが、必要なものはただ一つだ。マリアはそのよい方を選んだ」と、イエスの言葉に耳を傾けるマリアは、正しいことをしたのだと答える。

oイエスに香油を捧げたマリア

場所はまちまちだが、いずれの福音書にも、イエスが弟子たちと一緒に食事をしているとき、高価な香油を持ったマリアがやってきて、イエスの足元にひざまづき、足に香油を塗って髪でぬぐった。

そんなマリアの行動を「摘みある女」と感じた弟子たちは、口々に、「香油は高いものです。なぜ、そんな無駄なことをするのです。これを売ってお金に換え、貧しい人たちに分けてやったほうがいいではないですか」と非難する。

だが、イエスは、非難を打ちけるように愛に満ちた言葉をかける。

「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。・・・・・・あなたの罪は赦された。・・・・・・あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」(『ルカ』7・47-50)

※ 以上は、『ルカ』にある話だが、他の福音書では、ベタニアのマリア(ラザロの姉妹)、あるいは名前の記されていない女がそれぞれのやり方でイエスに香油を注いでいる。

・1969年、撤回表明

裕福な家庭に生まれながら娼婦に身を落とした罪の女、イエスが愛した唯一の女、7つの悪霊にとりつかれていた女など、マグダラのマリアほど、新約聖書の中で謎に満ちた女はいない。

1969年、カトリック教会は、ミサ典礼書を全面改訂。その一環として、『ルカ』の罪深い女と、ベタニアのマリア(ラザロの姉妹)と、マグダラのマリアを正式に別の人物とし、秘めやかに撤回を表明した。しかし、それが会衆に浸透するのには時間がかかっており、今も全キリスト教界で、悔悛した元娼婦というマグダラのマリア像が教えられている。

  • エルサレム入城 

(『マタイ』21章1-22節、『マルコ』11章、『ルカ』19章28-20章8節、『ヨハネ』12章12-19節)

o自らの死と復活を、3度にわたって予言

「わたしは都で十字架にかけられ、3日後に蘇るだろう」

1.フィリポ・カイサリア地方(ガリラヤ湖北)「『マタイ』(16章21-28節)」

2.再びガリラヤに集った時「『マタイ』(17章22-23節)」

3.サマリア地方からエリコへ向かう途上「『マタイ』(19章17-19節)

o神殿の屋台を叩き壊したイエス

30年4月、その年の過越祭が近づいていた。過越祭には、メシアが来臨するとも言われている。救い主はろばに乗ってやって来るという預言者の言葉を実現するため、弟子たちは近くの村でろばを借りた。

4月3日、ろばに乗ったイエスが都の城門に現れると、群衆たちは、道に自分たちの衣服や木の枝を敷いて、「ダビデの子にホサナ。主の名によって、主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」(『マタイ』21・3)と、歓呼の声をあげた。

だが、イエスは、聖なる神殿が両替商や物売り、人ごみでごった返す光景を見て、激しい怒りにかられていた。そして、屋台をひっくり返して店を叩き壊すと、言葉した。

「〝わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。〟ところが、あなたたちは、それを強盗の巣にしている」(『マタイ』21・13)

このころ、ユダヤ教の大祭司カイアファが、エルサレムの指導者だったが、人気の高いイエスに手を出せないでいた。カイアファは密かに、ユダヤ教に盾つく危険分子、イエスの殺害計画を企てていたが、一番の恐れは民衆の暴動だった。

o祭司たちとの挑発的な論戦

エルサレム入城後のイエスは、それまでの穏やかな口調とは打って変わり、ユダヤ教の祭司や長老たちを激しく糾弾し、攻撃的な論戦を繰り広げた。

説教するイエスに、祭司たちが「何の権威で、このようなことをしているのか」と問うと、イエスは「では、洗礼者ヨハネの権威はどこからのものだったか。天からか、人からか」と問うた。天からの権威なら、なぜ信じなかったのかと言われ、人からと言えば、群衆が怒るため、祭司たちは答えに窮した。

やがて、姦通の現場をおさえられた女が連れてこられた。「この女は現行犯です。モーセの律法によれば石打ちの死刑です。あなたは、どう考えますか」と問われるが、この問も、イエスを陥れるための罠だった。死刑執行の権利はローマにあって、ユダヤ人にはない。

「あなた方の中で、罪を犯したことのない者から、女に石を投げなさい」

イエスの言葉に、罪のない者などいるはずがなく、彼らは無言で帰っていった。

  • 最後の晩餐

(『マタイ』26章17-35節、『マルコ』14章12-31節、『ルカ』22章7-34節、『ヨハネ』13章21-38節)(AD30年頃)

o弟子の足を清めるイエス

過越祭を祝う食事のときがやってきた。AD30年4月6日木曜日、その夜、イエスは12人の弟子と共に食事の席に着いた。

※ このときを再現した儀式を、カトリックではミサまたは聖体拝受、プロテスタントは聖餐式と言う。

『ヨハネ』(13章)によると、晩餐の前、たらいに水を汲んで、イエスが弟子たちの足を一人ひとり洗っていった。食事前、召使が主人の足を洗うのが本来の習慣なため、ペテロは自分の番になったとき、「主よ、あなたがわたしの足をくださるのですか」と、主であるイエスに洗ってもらうことをためらった。

「わたしのしていることは、あとでわかるようになる。わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」

イエスの言葉に感じるものがあったペテロは、「では、足だけでなく手も頭をお願いします」と言う。エルサレム入城後、常に群衆や敵に囲まれ、イエスの身辺は殺気立ち、慌しかった。死を予感したイエスは、別れのしるしに弟子たちの足を洗い、愛の模範を示したのだ。

さらにイエスは、この中の一人が自分を裏切るだろうと告げる。弟子たちは動揺し、「まさか自分のことでは・・・・・・」と、口々にどよめきたった。

「それは手で鉢に食べ物を浸した者だ」

ユダは、すでに祭司長のところに行って、「イエスを引き渡せばいくらもらえるか」と駆け引きしていた。ユダはイエスの命を銀貨30枚と引き換えにしたが、それは奴隷の値段と変わらなかった。(「『マタイ』26・14-16」

oパンとぶどう酒の儀式

食事が始まると、イエスはパンを取って賛美の祈りを捧げ、「これを取って食べなさい。これは私の体である」と、裂いて弟子たちに与えた。また、ぶどう酒を注いだ杯をとって感謝の祈りを唱えると、「これは多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」。

※ イエスの体と血をパンとぶどう酒になぞらえた神聖なこの儀式は、今でもキリスト教会で聖体拝領の儀式として受け継がれている。

さらにイエスは、「今夜みなわたしにつまづく」と言う。ペテロだけは、どんなことがあってもつまづかないと主張するが、イエスは、「あなたは今夜、鶏が鳴く前に、三度渡しのことを知らないと言うだろう」(『マタイ』26・34)と告げる。

弟子たちは、イエスが何を考えているのか、全く想像もつかなかった。

  • オリーブ山での祈り

(『マタイ』26章36-75節、『マルコ』14章32-72節、『ルカ』22章39-62節、『ヨハネ』18章3-27節)(AD30年頃)

o祈りながら苦しみもがくイエス

食事後、イエスは弟子たちと共に、エルサレム郊外のオリーブ山に向かった。夜は更け、明日から始まる過越祭に向けて、人々は眠りについていた。

ゲッセマネの園と呼ばれる一帯の静寂の中で、イエスは地にひれ伏して、神に祈った。

「主よ、できることならこの杯をわたしから取りのけてください。しかしわたしの願いではなく、御心のままに」

迫り来る死に対するイエスの深い悲しみと孤独な苦悶を、弟子は誰一人として気付かなかった。目を覚ましているようにイエスに言われたにもかかわらず、すぐ側にいながら、彼らは疲れに眠りほうけていた。

※ オリーブ山での祈りの場所には、ゲッセマネ教会が建てられている。その側には、マグダラのマリア教会がある。

oユダのイエスへの接吻

そのとき、ユダヤの祭司長や長老たちの手下の者たちが、松明や剣、こん棒を手にして群れをなして迫ってきた。先頭には、弟子の一人、ユダがいた。「先生、こんばんは」ユダヤイエスに近づいて接吻をしようとした。接吻が裏切りの、そして逮捕の合図だった。

人々がイエスを取り囲み、手をかけた瞬間、弟子の一人が祭司の手下に切りかかって、耳をそぎ落とした。だが、イエスは「剣を取る者は剣で滅びる」と言って制止する。弟子たちは目の前の出来事に脅え、ほうほうの態で逃げ出していく。

こうして逮捕されたイエスは、大祭司カイアファの家に連行され、集ったユダヤ教の祭司長や長老たちの前で、最高法院にかけられた。

逃走した弟子たちだが、ペテロだけは、イエスの後を追ってカイアファ邸までやってきた。屋敷の中庭にいると、召使に見咎められるが、ペテロはシラを切った。

「この人もイエスと一緒にいました」「わたしはあの人を知らない」

他の者たちも言った。

「おまえもあの男の仲間だ」「そうではない」

「確かに、この人も一緒にいた」「あなたの言うことはわからない」

ペテロが、あれほど慕っていた師イエスを3回も否定したその直後、鶏が鳴く。イエスが最後の晩餐の席で予告したとおりになった。ペテロはその言葉を思い出し、イエスを裏切った自分のふがいなさと悲しみに胸がしめつけられ、号泣した。

  • イエスの裁判

(『マタイ』26章57-27章26節、『マルコ』14章53-15節、『ルカ』22章54-23章25節、『ヨハネ』18章13-10章16節)(AD30年頃)

o死刑宣告

4月6日、大祭司カイアファ邸では、イエスを死刑に陥れるための裁判が、夜を徹して開かれた。何人もの承認がイエスの言動を列挙したが、罪を犯した証拠は得られなかった。

しかし、最後の証人が「この男は〝神の神殿を打ち倒し、3日あれば建てることができる〟と言いました」と言った。大祭司は、イエスに詰め寄った。

大祭司「お前は神の子、メシアなのか」

イエス「それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り、天の雲に乗って来るのを見る」

イエスの言葉尻をとらえ、「メシアを自称するイエスは、神を冒涜した。死刑にすべきだ」と人々は口々に叫び、イエスの顔に唾を吐きかけ、殴ったり暴行したりして侮辱を与えた。(『マタイ』26・57-68)

o総督ピラトの前で審問されるイエス

翌日の4月7日(金)、イエスは、ローマ提督ピラトの官邸に連れて行かれた。ローマの属州ユダヤでは、死刑執行の権限はローマ人にあったため、ピラトの承認が必要だった。

※ ポンティウス・ピラトゥス(ピラト)・・・・・・AD26~36年の間、第5代ユダヤ総督だった。

ユダヤ人たちがイエスの罪を訴えるが、イエスは何も答えようとはしない。「お前に不利な証言が聞こえないのか」イエスをどう処遇すればいいのか、ピラトにはわからなかった。

「わたしはこの男に、何の罪も見出せない。いったい、どんな悪事を働いたのか」

「この男は、ガリラヤから都に至るまで、ユダヤ全土で民衆を扇動したのです」

だが、ローマにとって、ユダヤ人の宗教的な問題などどうでもよかった。

ところで、過越祭には囚人を一人釈放する慣わしがあり、その候補として反ローマ一揆を起こした政治犯バラバが注目されていた。「バラバとイエス、どちらを釈放してほしいか」とピラトが民衆に答えを委ねると、ユダヤ人たちは、バラバを釈放してイエスを十字架につけろと言う。

「神の子の自称は律法に反する。ユダヤ人の王と名乗るこの男を釈放したら、あなたは皇帝の友ではなくなります。王と名乗る者は、皇帝に背いているのです」

ローマ総督の地位を失いたくないピラトは、民衆の暴動を恐れ、ついに、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」(『マタイ』27・24)と、寺分にはかかわりがないことを強調した上で、バラバを釈放し、イエスを兵士達に渡す。こうして、イエスが十字架につけられることになった。十字架の刑は、死罪の中でも最も重いものとされていた。

  • 十字架の道行き

(『マタイ』27章27-34節、『マルコ』15章16-32節、『ルカ』23章26-31節)(AD30年頃)

o十字架を背負うイエス

十字架刑が下ったイエスは、ローマの兵士たちに体中を鞭打たれた。さらに。頭に茨の冠を被せられ、服の代わりに紫のマントを着せられると、「ユダヤ人の王、万歳」とののしられ、嘲笑された。そして、元の服を着せられると、痛めつけられた体に70キロもの十字架を背負わされ、城外の処刑場ゴルゴタの丘まで歩かなければならなかった。

7日9時頃、「されこうべの場所」と言われるゴルゴタの丘までの〝十字架の道行き〟は、辛く苦しい、まさに「受難」への道だった。

※ 今でもその道程は、ウィア・ドロローサ(悲しみの道)と呼ばれている。

裸足のイエスは、曲がりくねった坂道を、よろめきながら歩いた。傷だらけの体は、十字架の重みに耐えかね、道中、何度も倒れた。そこで兵士たちは、通りがかったキレネ人のシモンという男を捕まえて、無理に十字架を担がせた。(『マタイ』27・32-44)

o共に歩いた母マリアや女性たち

ユダを除いた11人の弟子たちは、恐ろしさのあまり逃亡し、エルサレム近郊に身を潜めていた。代わりに、女たちがイエスに従った。母マリアはもちろん、マグダラのマリアや、ガリラヤからついてきた女たちが、沿道の群衆の罵声と嘲笑。憐れみの声が交錯する中、悲しみの涙をさめざめと流しながら、イエスの後に従った。

その光景を見たイエスは、告げる。

「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け」(『ルカ』23・28)

そのとき、汗と埃で血みどろになっているイエスを見かねて、一人の女がイエスに駆け寄って頭のヴェールで顔を拭いたという言い伝えがある。不思議なことに、そのヴェールにイエスの苦渋に満ちた顔が、写し出された。その女は、イエスに血漏病(けつろうびょう)を癒してもらったという。(『ルカ』8・43-48)

  oユダの最後

その頃、イエスの死刑を知ったユダは、自分の罪の大きさを知って愕然とし、後悔の念にさいなまれていた。(『マタイ』27・3-10)

「わたしは罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と、銀貨30枚を祭司たちに返そうとするが、「われわれの知ったことか。お前の問題だ」と突き放されてしまう。

良心の呵責に耐え切れなくなったユダは、銀貨を神殿に投げ捨てると、首をつって死んだと言われる。(『マタイ』27章5節)すべてを清算して、自ら裏切り者の汚名を来た。

さすがの祭司たちも、イエスの命の銀貨「血の代金」を神殿には収めずに、「陶器職人の畑」を買った。この土地はその後、外国人墓地「血の畑」となった。

※ ただし、最近発見された「ユダの福音書」によれば、ユダこそがイエスの意図を最もよく理解していたことになる。

  • イエスの磔刑と死

(『マタイ』27章35-56節、『マルコ』15章323-41節、『ルカ』23章32-49節、『ヨハネ』19章17-27節)(AD39年頃)

o磔刑となったイエス

ようやく、十字架を背負ったイエスは、ゴルゴタの丘にたどり着いた。裸にされたイエスは、手と足と腹に杭が打たれ、十字架につけられた。頭の上には「ユダヤ人の王」と罪状を記した札が掲げられた。

※ I.N.R.I.・・・・・・磔刑の際、イエスの頭上に掛けられた罪状札。“Iesus Nazareus,Rex Iudeorum”(I.N.R.I)「ナザレのイエス、ユダヤの王」

この日、ゴルゴタの丘には3本の十字架が用意され、2人の盗賊も一緒に処刑される予定だった。十字架が地面に立てられ、ぐったりとしたイエスの体が2人の強盗の間で宙に上げられたのは、朝の9時ごろだった。

そのとき、イエスは言葉した。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(『ルカ』23・34)

ユダヤ人の祭司や長老、大勢の兵士たちや群衆が、十字架の周りを取り囲んだ。マリアや女たちは嗚咽しながらも、まだ最後に奇跡が起こって、イエスが助かるのではないかと一縷の望みを託していた。イエスの表情は、苦しみと悲しみに満ちていた。

群衆や兵士たちが、「お前が神の子なら、十字架から下りてみろ」と、イエスをあざけった。共に磔となっていた罪人までもが、「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」と罵った。

だが、もう片方の罪人は、「お前は神をも恐れないのか。われわれは自分のやったことの報いを受けているが、この方は何も悪いことをしていない」と言い、イエスに向かって、「あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」(『ルカ』23・42)と言葉した。十字架上で回心したこの罪人に、自分と一緒に楽園にいると、イエスは約束する。

o太陽が暗くなり、地響きが起こる

昼頃、突然、太陽は光を失い、あたりは暗くなった。それが3時ごろまで続いた。イエスは、もうろうとした意識の中で、「わが主よ、どうしてわたしを見捨てられるのですか」と、祈りを捧げながら言った。そして、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」と最後の言葉を発して、3時ごろ息絶えた。その後、ローマの兵士が槍で右の脇腹を突いて、死んだことを確認した。

そのとき、地震が起こって、神殿の垂れ幕が真ん中から引き裂かれたという。イエスを見上げたローマ軍の百人隊長は、「本当に、この人は神の子だった」とつぶやく。(『マルコ』15・39)

その場に居合わせた者はみな、イエスの死に、深く心を打たれた。

※ イエスの処刑は、AD30年4月7日、金曜日のことと言われる。

イエスの宣教活動は、27年頃からの、わずか3年余りだった。

oローマの十字架刑

手足を釘で打ち付けておくだけだと、肉が裂け皮が破れて体が落ちてくる恐れがあったため、足の下に横木を添えたり、十字架をやや後ろに傾けて立てたりした。それでも、手足の釘に体重がかかって、耐えがたい激痛が死の時まで続いた。出血と、裸で日にさらされていることで、十字架につけられた者は喉の渇きにも責めさいなまれた。体力のある者ほど、いつまで経っても死ぬことができず、4日も5日も責め苦にあえぎ、「早く殺してくれ」と哀願したという。

  • 埋葬と消えた死体

(『マタイ』27章57-28章10節、『マルコ』15章42-16章8節、『ルカ』23章50-24章12節、『ヨハネ』19章38-20章18節)(AD30年頃)

o墓から消えたイエスの死体

イエスが処刑された日の夕方、アリマタヤ出身で身分の高い議員のヨセフが、ローマ提督ピラトに申し出て、イエスの遺体を引き取った。ひた隠しにしていたが、ヨセフはずっとイエスを信奉していた。

ヨセフは、十字架から遺体を降ろすと、香料で清めたきれいな亜麻布で包み、岩を掘って造った墓に手厚く葬った。

その墓はもともと、ヨセフが自分のために用意した新しい墓だった。そして、人が出入りできないように、墓の入り口に大きな石を置いた。その光景を、イエスの受難を見届けた女たちが見守っていた。

イエスの死後3日目、遺体に香油と香料を塗るために、女たちが墓に向かった。すると、墓の入り口の大きな石が、わきに転がっていた。中に入っていくと、なんと、イエスの遺体が消えているではないか。そこに、白い衣を着た若者が二人現れ、告げる。

「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方はここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられた頃、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、3日目に復活することになっている、と言われたではないか」

女たちは驚きのあまり震えだし、このことを弟子たちに告げるため、急ぎ、走った。だが、彼らはこの話を信じようとはせず、ペテロだけが墓に行き、もぬけの殻となった墓の中で、亜麻布を確認した。(『ルカ』24・1-12)

oマグダラのマリアの前に現れたイエス

『ヨハネ』(20・11-18)には、復活したイエスが最初に現れたのは、マグダラのマリアだったと記されている。

香油を塗りに向かったマリア。イエスの遺体がなくなっているのを見て、途方にくれて、墓の外で泣いていた。そこに男が現れて、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と声をかけた。

「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしにはわかりません。・・・・・・あなたがあの方を運んだのなら、どこに置いたのか教えてください。わたしがお体をお引き取りします」

「マリアよ」自分の名を呼ばれた瞬間、ようやく、マリアはその声の主がイエスだとわかった。

※ イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。(『ヨハネ』20―16)

この3日間、まんじりともしないで思い続けていたイエスその人だったのだ。駆け寄るマリアに向かって、イエスは語りかけた。

「わたしに触ってはいけない。わたしはまだ父のところに上がってはいないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、わたしが神のもとへ上がると伝えなさい」

o14の留(りゅう)

  1. 死刑の宣告
  2. 十字架を背負う
  3. よろめき倒れる
  4. 母マリアに会う
  5. キレネ人シモン、十字架をかつぐ
  6. ベロニカ、イエスの顔をふく
  7. 再び倒れる
  8. 泣く女性たちを慰める
  9. 3度目の転倒
  10. 衣服をはぎ取られる
  11. 十字架にかけられる
  12. 磔刑による死亡
  13. 十字架から下ろされる
  14. 墓に埋葬

※ 死刑宣告から埋葬まで、イエスに関係する逸話とその場所を示した〝14の留〟というものが、古くから伝統的に伝えられている。

  • イエスの復活

(『マタイ』28章16―20節、『マルコ』16章12-18節、『ルカ』24節13-49節、『ヨハネ』20章19-21章25節)(AD30年頃)

oエマオの巡礼(弟子にパンを与えたイエス)

2人の弟子が、イエスに起こった出来事をあれこれ論じながら、エルサレム近郊の村エマオに向かって歩いていると、1人の男が近づいてきた。

「何の話をしているのか」と話し掛けてくる男に、2人はイエスの死を嘆き、遺体が消えてしまったことや、自分たちのしたことについて話した。すると男は、聖書の中のモーセや預言者たちの話を、よどみなく話し始めた。

目的地に着いた弟子は、一緒に止まって食事をしようと、男を誘う。食事の席につくと、男は賛美の祈りを唱えてパンを裂き、2人に与えた。まさしく、最後の晩餐の、イエスの行為そのものだ。はっと胸をつかれた弟子たちは、やっとその男がイエスだと気付いた。だが、その瞬間、イエスの姿は消えていた。2人は、歩きながら聖書の話を聞いたとき、心は熱く燃えていたと、感動を新たにした。(『ルカ』24・13-35)

その後、エルサレムに集まった弟子たちの前に、「あなた方に平和があるように」イエスが現れた。亡霊ではないかと一同は恐れおののくが、「なぜ、疑うのか。わたしには肉も骨もある」とイエスは手足を見せ、共に食事をした。

このとき、トマスひとりが欠けていた。主にお会いできたとみなが喜びに沸き返る中、「十字架上で受けた手や脇腹の傷口に指を差し入れるまで、わたしは信じない」と、あざ笑った。

※ 「不信のトマス」の由縁。トマスは、イエスの脇腹に指を入れている姿が、トレードマークになった。トマスは、インド方面にキリスト教を教え、チェンナイに墓があると信じられている。後、ポルトガル人がその墓の上に、サン・トーマ大聖堂を建立した。

数日後、イエスは再び弟子たちの前に現れた。

「わたしの脇腹に手を入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」

イエスに諭され、ようやくトマスは、復活を信じた。さらにイエスは「みないで信じる者たちは幸いだ」と言葉した。(『ヨハネ』20・24-29)

oペテロに愛を確認したイエス

ペテロ、トマス、ゼベダイの子(ヤコブとヨハネ)、ナタナエル、他の弟子2人は、いったんガリラヤ湖畔に戻った。

一晩、網を張ったが、何も収穫できないでいると、イエスが現れ、その指示に従うとたちまち大漁となった。はじめはイエスだと分からなかった弟子たちも、ようやく気づき、釣った魚とパンで共に朝食をとった。

イエスはペテロに尋ねた。

「お前は今もわたしを愛しているか」

「はい、主よ、あなたを愛しています」

「では、わたしの羊を飼いなさい」

イエスはペテロに、同じ質問を3回繰り返した。天の国の鍵を授けられていながら、死の直前、イエスを裏切ったペテロ。だが、イエスは彼を赦し、名誉を回復させ、福音宣教のリーダーとなることを約束させたのだ。

復活は単なる幻ではなく、イエスが今なお生きていることを、弟子たちに実感させたのだ。一度は信仰を失った弟子たちだったが、再び信仰心を取り戻した。(『ヨハネ』21・1-14)

  • 弟子たちの宣教活動 (使徒言行録1―8章)(AD30年頃)

o弟子たちに聖霊が降り注ぐ

イエスの復活はおよそ40日続き、弟子たちの前に何度も現れた。しかし、ついに天に召される時がやってきた。

逮捕直前に向かったオリーブ山で、彼らが見守る中、「あなたがたに間もなく聖霊が下り、力をうける。そしてエルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤ、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」

と言って、イエスは沸き立つ雲の中を天に昇っていった。

イエス昇天の後、弟子たちはエルサレムに戻り、ユダの裏切りで11人になった仲間の欠員に、マティアという男を選び、再び12人になった。(「使徒」1章21-26)

そして、イエスの受難から50日目、再び、最後の晩餐の家に集って祈った。と突然、聖霊が天から火のように注ぎ、弟子たちに神の霊が授けられた。

イエスの復活こそ、キリスト教の原点だった。死を超えてなおイエスは生き、神の子であることを確信した弟子たちは、復活したイエスを証明するために、精力的に宣教活動をスタートとさせていく。こうした使徒たちの活動は、「使徒言行録」に記されている。

oペテロの説教から教会設立まで

最初に、ペテロは人々に向かって、大胆に説教をした。(「使途」2・22-24)

「ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしとによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。・・・・・・しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです」

ペテロの説得力ある言葉に、3000人もの人々が洗礼を受け、エルサレムの共同体が出来上がった。そして、ここを中心として、各地に教会が造られて行く。

※ ペテロの故郷であるカファルナウムには、ペテロの家の跡が残っている。

その宣教活動は、イエスと同様、神の教えを述べ伝え、癒しの奇跡を行うというものだった。同時に、ユダヤの祭司や学者、長老たちは、彼らに憎悪を抱くようになっていく。

そんなとき、民衆の間に入って、多くの奇蹟としるしを行うステファノという人物がいた。彼の説教に、ユダヤ人指導者は神への冒涜だと怒り、非難する。イエスの時とまったく同じだった。信仰心が篤いステファノは、彼らから石で打たれ、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」(「使途」7・59)と、静かに死んでいった。

37年に起こったステファノの殺害を機に、ユダヤ人たちの迫害と弾圧はより一層、厳しくなっていく。それに耐えかねた弟子たちは、各地に散り散りになっていった。

  • パウロの回心 (使徒言行録9章22-27章)(AD38年頃)

oパウロの前に現れたイエス

『ルカ』には、サウロが、ステファノが石打ちの処刑に直接加担したとある。

小アジアのタルソスに生まれ、裕福な家庭に育ったサウロは、エルサレムに出てパリサイ派の学校に学び、旧態依然のユダヤ教信者となった。そのため、使徒たちが説くイエスの教えを撲滅しようと奔走する。そして、彼の地の信者をとらえるため、祭司長の手紙を持って、シリアのダマスコに向かった。

ダマスコの近くまできたとき、突如、サウロに天から光が降り注ぎ、地に倒れた。このとき、イエスの言葉が彼に下った。

「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」

「主よ、あなたはどなたですか」

「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる」

3日間、サウロは目が見えず、飲み食いができなかった。だが、サウロは、主に選ばれた人だった。元通りに目が開き、元気を取り戻したサウロは洗礼を受け、数日後には、ダマスコの会堂で、「イエスこそ神の子である」と述べ伝えた。紀元38年の出来事だとされる。

サウロは十二使徒の仲間でもなく、生前のイエスに、一度も会ったことはなかった。キリスト教徒の迫害者だったのに、イエスの声を聞いて回心したのだ。

サウロこそが、キリスト教を世界中に布教した、最大の功労者パウロである。

oパウロの宣教活動とその後のキリスト教

サウロ改めパウロとなった彼が、聖霊の力を得て、「イエスこそメシアである」と論証して歩くと、今まで味方だったユダヤ人が彼の命をねらった。

その頃、シリアのアンティオキア(トルコのアンタキヤ)に、バルナバという弟子が中心となって、異邦人のための教会が設立された。ここに送られたパウロは、ギリシャ語を話すガイ人たちへの宣教に尽力する。その後、小アジアやギリシャへの宣教旅行に3回出かけ、イエスの教えを広め、最後にローマへ向かった。

各地で出会った信者たちへの、パウロの励ましの手紙は、新約聖書の中で13書簡にも及ぶ。

※ パウロは、キリスト教に対する弾圧や自らの健康問題と闘いながら、異邦人に教えを広めた功績が尊敬の対象となっている。

一方、ペテロも宣教のため、ローマへ渡ったとされる。だが、ローマ皇帝ネロの時代、キリスト教への迫害が強まり、パウロ、ペテロと共に処刑され、殉教したと伝わる。

そして、ペテロの墓の上に教会が建てられ、現在のヴァチカン、サン・ピエトロ寺院となった。これらのことは新約聖書にはなく、伝承集と言われる外典に記されている。

また、紀元66~70年にかけて、エルサレムのユダヤ人とローマ帝国との間で、「ユダヤ戦争」が勃発。キリスト信者の多くは、これを機に、ユダヤ教と決別した。

  • 殉教した弟子たち

・ステファノ

民衆に説教や癒しを施していたが、37年、エルサレム郊外で石打の刑に処された。キリスト教最初の殉教者とされる。

・ナタナエル

インドなどに宣教した後、アルメニアにたどり着いた。その地で皮膚を剥がされるという悲惨な殉死を遂げたとされる。

・ヤコブ

・紀元43年頃、ユダヤを統治していたヘロデ・アグリッパにより、斬首された。十二使徒では最初の殉教者とされている。

・アンデレ

ギリシャで病に苦しんでいた総督の妻を癒し、改宗させたが、総督から非難され、磔刑に。X字型の十字架につけられたという。

・ペトロ

紀元63(64)年、キリスト教の迫害者として有名な皇帝ネロによって、処刑にされる。自ら望んで、逆さ十字で葬られた。

・マタイ

エチオピアやペルシャなどを布教のために訪れるが、ペルシャ皇帝に迫害され、最後は処刑されたと伝えられる。

・パウロ

紀元61年頃、ローマで処刑され、殉教したとされる。

 

 

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