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三輪山祭祀から、天照祭祀へ
高天原から伊勢への道は、日本の古代における国家イデオロギー形成の一環をなし、また民族的アイデンティティー創出の動きの表現でもあった。
三輪山の麓で発達した大和の王権は、やがて全国支配への道を歩み始め、王権のシンボルは聖なる山、三輪山に代わって、万人が仰ぎ見る太陽となる。太陽の女神を祀るにふさわしい聖なる場所として、大和の東方にあたり、大和人が旭日の昇天するのを見るのに最も近い土地・伊勢が選ばれた。
<伊勢神宮>
三重県・志摩半島の北岸に川口をもつ四本の川、西から櫛田川・宮川・勢田川・五十鈴川の流域約20キロ平方の地域に分布。内宮は五十鈴川の上流、外宮は宮川と勢田川にはさまれた氾濫原にある。
古くは「大神宮(おほかむのみや)」(延暦式)と呼ばれていたが、今日の正式名称は「皇大神宮」。
- 神宮
神の宮、つまり宮殿のこと。ミヤは「美家」の意味だといい、とくに豪奢な家を指す。つまり、天皇が住む立派な家がミヤで、そのような家に住むのにふさわしい神は天皇家の皇祖神で、日本の祖神(おやがみ)でもある天照大御神。だから神宮は、古くは天照大御神をまつる伊勢神宮にだけ許された名称だったが、時代が下ると、熱田神宮や石上(いそのかみ)神宮など、伊勢神宮以外にも用いられるようになった。
- 伊勢
太陽の昇る地である伊勢は、「是の神風の伊勢国は、常世(とこよ)の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり」とされ、常世(海の彼方の理想郷)からの浪が打ち寄せる、常世に一番近い国と見立てられた。また、「傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり」とあり、常世の国に続く「うまし国」――風光の美(うま)し国と、古代人が何より珍重したアワビの産地に近い美味(うま)し国――とされた。
伊勢はもともと志摩国も含んでおり、化外の民の住んでいた異郷と、常世に近い異界とを二重に併せ持っていた。常陸の国が開拓されたのは畿内に比べてずっと後であり、〝常世〟は来世の意味をはなれて現実的な色彩を強める。常陸には東方聖地観があり、天照大神が鎮座する伊勢神宮が朝廷によって重視されてはじめて、伊勢は東方の聖地という考えが起こった。
・常世
海の彼方にある、永遠の生命を保てる理想郷。日本人の他界観は、高天原と、現世の中津国、死者の黄泉国という垂直的な概念と並存して、水平的な彼方に神々の国、母の国が存在した。常世の国の伝承地は、常陸、熊野、朝鮮の済洲島や伊勢志摩などだが、いずれも常世の国の霊的シンボルであり、常世の波の贈り物といわれるアワビの産地。アワビは古代の中国で石決明、不老貝の名で延命若返り、不老長生の仙薬的食べ物とされた。特に九穴貝という貝殻に穴が七つか九つあるアワビを食べると永遠の生命を授かるという伝説がある。
常世が蓬莱思想にかぶれる以前、常世の波の打ち寄せる常陸は、トコ(床)ヨ(世)として、土中・地下の世界を意味した。
- 伊勢神宮の内宮の起源
「日本書紀」によると、第10代の崇神天皇(大和王権)のとき国内に病気がはやり、住民の半ばが死んだ。天皇は、アマテラス大神と倭大国魂神(やまとおおくにたまのかみ)(三輪山伝説に由来する倭の土地神)の二神を自分の住む御殿に一緒に祀っていたが、神と人が共に住むことははばかりありとして、両神をそれぞれ皇女に託し、御殿の外に祀らせることにした。皇女・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)にアマテラス大神の御霊代(ご神体)を託し、大和の笠縫邑(かさぬいむら)に祀らせた。
次の垂仁天皇のとき、倭姫命がさらにアマテラス大神を祀るのに最適の地を求めて、莵田、近江、美濃と20数ヶ所を巡り、60年かけて現在の伊勢の地にたどり着き、神言に従い祠を建てたとされている。ご奉地の経路について「日本書紀」には大まかな記述しかないが、延暦の「皇太神宮儀式帳」や中世の「倭姫命世記」では詳しい。
しかし、内宮の起源は「日本書紀」にあるように垂仁天皇のときではなく、もっと後の雄略天皇のときとする考え(7世紀前後)が有力である。また、倭姫放浪の説は「日本書紀」にはあるが、「古事記」にはない。
遷座は、大和王権が皇祖神であるアマテラス大神を奉戴しながら、その勢力範囲を周辺に広げていったことを示唆しているのではないかと思われる。
- 伊勢神宮の外宮(豊受大神宮)の起源
外宮の創建は、雄略天皇23年(478)と伝承するが、外宮の起源は、「古事記」にも「日本書紀」にもはっきりとは出てこない。平安時代の初め9世紀初頭にできた「止由気宮儀式帳」によると、雄略天皇の夢枕に天照大神が立ち、自分は伊勢の国に鎮座しているが、一神だけであるため大変にさびしく、日々の食事もままならない。丹波国の比治真奈井(ひじのまない)に鎮座する私の御饌都神(みけつかみ)(食事を用意する神)の、等由気大神(とゆけのおおかみ=豊受大神)を迎えてほしいと告げられた。驚いた天皇は、さっそく度会(わたらい)の山田の原に外宮を造立し、お祭りしたという。以後、豊受大神は天照大神の食堂ともいうべき外宮の御饌殿で、天照大神のための朝夕のお食事をつかさどるようになった。天照大神はお食事のとき、外宮御饌殿においでになられる。
当時、丹後の国は大陸文化流入の玄関口として栄え、古代王朝が存在したとの伝承があった。
・外宮を先に祭る理由
稲荷山古墳の鉄剣銘にみえるワカタケル大王(雄略天皇)の時代にあたる5世紀後半、内宮・外宮の二宮はセットとなって成立し、祭祀は常に「外宮先祭」を例とした。これは、外宮の御饌つ神である豊受大神を祭って、神の霊威を高め、最上の御饌を天照大神に差し上げるための、祭祀の本義に関わる。
<アマテラス大神>
アマテラス大神は、太陽神また皇祖神として伊勢神宮に祭られる。
※ 皇祖神・・・・・・〝天皇〟という独自な称号をもつ君主の祖先神。
アマテラス大神が石窟(いわや)にかくれると暗闇になり、石窟から現れると明るくなるという天石窟(あめのいわや)の神話は、「記紀」に共通な「日神」という表現にふさわしいこの神の太陽神としての神格を物語る。
- 国号〝日本〟へ
記紀には、〝日本〟の成立について記載がないが、大宝律令の公式令の例文に「明神御宇日本天皇・・・・・・」とある。中国の歴代王朝によって書き継がれてきた正史を参照すると、唐王朝(618~907)の時代、少なくとも西暦670年~701年(大宝律令の完成)には、国号が〝倭〟から〝日本〟に変わったと考えられる。
「日神」として太陽神的な神格をもつアマテラス大神の成立は、新国号〝日本〟の成立と関係があるのではないか。「新唐書」の引用文には、新国号の命名の理由について、日本からの使者の言葉として、「国が日の出る所に近いので、日本と名付けたのです」といった意味の文章があり、〝日本〟という国号が、国土と太陽とのかかわりを強く意識して選ばれていること、その際明らかに、太陽が肯定的な価値の担い手として意識されていることなどが読み取れる。
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