標題の如き疑問に就いてよく質かれるから茲に説明してみるが、抑々観世音菩薩の御本体は、今は時期尚早の為深くは発表出来ないが、一流の神様には違いないのである。
茲で神と仏に就いて説明するが、何千年前世が変った時があって、総ての神々は仏として化現された。例えば月読尊は阿彌陀如来となり、天照大神は大日如来と、稚姫君尊は釈迦如来と、伊都能売神は観世音菩薩となったようにである。この期間が夜の世界で、所謂真如の世であった。よく仏教では真如実相というが、真如は真如の月即ち夜の世界で、実相は昼の世界であるから、今までは真如を上に実相を下にしたのである。真如とは読んで字の如く真の如しで真ではない。釈尊が仮の娑婆といったのもそういう訳である。仏滅の世が来るといわれたのもその意味である。故に今度霊界が転換すれば昼の世界即ち実相世界となるのである。
右に関連し、法華経の意味を説く必要がある。法華経は読んで字の如く仏法を華に例え一度華を咲かせると言う意味で、それによって実を結ぶのである。法華経二十八品のうち二十五番目の観音普門品がそれである。
本教出現の理由も茲にあるのであって、仏華散って生まれた実が我観音教団であるにみて、本教の出現の密意は窺知されるであろう。実に生まれるべくして生まれたのである。この事だけにみても、本教は決して人造的宗教ではなく天の時愈々熟して世の転換期における人類苦悩の救済の為呱々の声を挙げたのである。この事だけでも既存仏教が本教の真相を認識されたとしたら、本教を援助すべく起上るであろう事も予想されるのである。勿論釈尊と雖も、霊界の極楽浄土に於て満足され給う事は勿論である。
話は横道へ外れたから本論へ戻るが、前述の如く主なる神仏として化現し給うたのであるから、昔から神仏同根といい仏神一如ともいわれたのである。今は丁度諸々の仏霊は本来の神格に復元されつつある大転換の過渡時代であるから、本教に於ては神仏両様の御扱いを実行している所以である。
(光 一一号)
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