この事に就いてはよく訊かれるから、茲に詳しくかいてみるが、成程現在相当名の知れた宗教は、残らずといいたい程病院を経営しているか、或いはこれから建てようとしているのは衆知の通りである。処が我救世教に限って病院を造らないので、不思議に思う人も世間には随分あるであろうが、これには大いに理由がある。それは本教の浄霊療法は、医療に比べて比較にならない程卓越しており、病院の必要がないからである。これに就いていつもいう事だが、本来宗教なるものの地位は科学以上であらねばならないもので、其処に宗教としての尊い価値があるのである。といっても形式だけで実が伴なわないとしたら、単なる観念の押し売りにすぎないといえよう。そこへゆくと我救世教は観念などの必要はなく、どこ迄も現実一本で進んでいる。この事に就いて特に言いたい事は、人間の生命を救う力が宗教よりも科学の方が勝っているとしたら、宗教は科学以下になるのは当然であるから、無神論を非難する訳にはゆかないであろう。その結果理論や御説教、祈りなどでお茶を濁すより致し方ない事になり、現実生活とは掛離れた存在となってしまうから、識者から無用の長物扱いされるのも止むを得ないであろう。これも全く宗教の罪であると思う。
とはいうものの実は誰も知らない処に大いなる理由が潜んでいるので、今それをかいてみよう。先ずその根本であるが、これはどうしても霊的に説明しなければならないから、そのつもりで読まれたいが、何といってもキリスト教始め、今日尚命脈を保っている多くの宗教は、開教当時は相当病気が治ったと共に大なり小なり奇蹟があったに違いないと思われる。でなければその宗教の発展もなければ、今日まで続いている筈がないからである。吾々の知る限りに於ても、天保時代に生まれた彼の天理教始め、明治、大正、昭和の初め頃までの新宗教にしても、開教以来相当病気が治った事実はよく耳にするのであるが、今日それらの宗教が揃いも揃って病院を造る事である。成程時世の為とは言い乍ら、実をいうと病気が治らなくなったのが真の原因である。この事は当事者と雖も気附かない筈はないが、その原因も分らず、どうしようもないので、病院を造らざるを得ない羽目になったのであろう。
それに就いて詳しくかいてみるが、いつもいう如く長い間世界は夜であったが、霊界の事とて人間には分らなかったのである。それが愈々時期到来夜と昼との交替が始ったのである。それに就いては先ず霊界に於ける黎明期であるが、以前もかいた通り、昭和六年六月十五日をエポックとして、漸次昼の世界に転換しつつあるので、この現われとしてその頃から各宗教に於ては、漸次病気が治らなくなって来たのである。では何が理由かというと、これこそ今日までの凡ゆる宗教は夜の時代の救いで、月の神の守護であったからで、病気に対して月の光は薄いので、或程度以上の効果は困難であったのである。其処へ我救世救出現に及んで俄然一変したのである。というのは本教は昼の宗教で日の神の守護であるから、日の光は月の六十倍に当り、その効果の絶大なる、歴史上にも嘗てない医の業であるからである。然も日が出れば月の光は漸次消えるから、本教の治病力は年と共に効果を増し、最近に到っては奇蹟相次ぎ、殆んどキリストと同様な治病報告は頻々と来るのである。これによってみても、霊界が昼となり火素が増え、浄化力が強くなった事は疑う余地はない。然もその影響は宗教許りではない、医療に迄も及ぼして来た。近来医師がよくいう、以前は随分効いた薬だが、近頃はサッパリ効かなくなったといって嘆いている。併し吾々にはよく分る。それは医療は、排泄されんとする毒素を固める方法としての薬である以上、火素が増えるに従い薬では固らなくなるのは勿論で、つまり溶ける力の方が強くなるからである。そこで益々毒を強める結果一時的効果があるという訳で、近頃の如く新薬が続出するのである。処が益々浄化が強くなり、遂には如何なる薬でも効かなくなり、行詰ってしまい医学の一大危機が来るのは当然であるから、茲に初めて本教浄霊に頭を下げざるを得なくなるのは、各宗教に於ての病院も同様であろう。故にこの事を今から予言しても間違いないのである。
(栄光 一八一号)
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