抑々、現代文化は数千年以前の原始時代に比べると驚くべき進歩発達を遂げ、又遂げつつある事は、今更贅言を要しない処であるが、こうなるまでには人類は如何に苦心努力して来たかは、彼の天災、戦争、病魔等に対し、惨澹たる苦闘を続けつつある人類史がよく物語っている。
斯様に、人類が進歩発達を目指して来た裏には、この世界をして恒久平和な、万人がより幸福な世界たらしむべき意図であったのは言うまでもないが、その理想実現の手段として、何でも彼んでも物質文化さえ進歩発達させればいいとして、唯物科学を唯一のものとし、脇目もふらず進んで来たのである。新発見や新発明が生まれる毎に人類は称讃し、謳歌し、これによって人類の福祉は増進されるとなし、一歩一歩理想に近づきつつあるを思い、幸福の夢を追うて来た事は誰も知る処である。
然るに、科学の進歩は、遂に原子核破壊の発見にまで及んだのである。この大発見は、本当から言えば大いに祝福すべきに拘らず、意外も意外、逆に一大恐怖的発見であった。
天国だと思って歩いて来た道は、豈計らんや実は地獄の道だったのだ。一瞬にして幾十万の生霊を奪うという物質が出来てしまったのだ。恐らく、歴史上これ程人間の予想と食違った事件があったであろうか。人類、特に文化民族がこの戦慄を生んだ以上、その脅威から何が何でも逃れなければならないという大問題が起ってしまったとは、何たる皮肉ではなかろうか。併し乍ら退いてよく考えてみると、この物質そのものは聊かも恐るべきものではない。寧ろ幸福に役立つべきすばらしい福音だ。恐れるという事は、戦争の道具として使うからであって、平和に使ったとしたら、右の如く人類にとっての大発見である。そうしてこの物質を戦争に使用するその根本は悪であり、平和のそれは善である。とすれば、善か悪かによって、仏にもなれば鬼にもなるという訳である。
この意味に於て、この物質を駆使する人間が善であればよい訳だが、それはそう簡単にはゆかない事は勿論である。故に実際上から言って、悪を善に転換する事で、これが宗教の尊き使命である事は言うまでもない。
そうして、今日までその役目をして来た処の宗教、道徳、教育、法律等も成程或程度の功績は挙げ得たが、今以て予期に反し、悪の跋扈によって善は虐げられている。前述の如く原子物質が悪に使用されるという憂慮がよくそれを物語っている。ここで別の面から今一層深く考えてみなくてはならない。例えば、原爆による悪魔的破滅行為がもし許されるとしたら、人類滅亡の運命は当然来るであろう。とすれば、森羅万象を造り給い、これ程文化を進歩させられた造物主が黙認され給う筈はあるまいではないか。
こう説いて来ると、キリストが予言された〝世の終り〟とはこれでなくて何であろう。と共に、この事だけの予言としたら人類は只滅亡を待つにすぎない事になる。処がキリストは又言った、〝天国は近づけり〟と。これだ、この二大予言が世界の将来を示している事は明らかである。とすれば、世の終りも来ると共に天国も出現するという意味になる。然もこれに付随してキリストの再臨、メシヤの出現をも予言された。そうして今一つ考えなければならない事は、原子の破壊から絶対免れんとすれば、前述の如く悪を善に転化する事である。この力こそメシヤの力でなくて何であろう。唯併し、善悪の大転換が行われるとしても、善化しない悪人も多数あるに違いないから、このような見込みのない者は清算されるより致し方ないであろう。この事をキリストは〝最後の審判〟とも言われた。これによってこれを見れば、善悪転換、破壊と建設、旧文化と新文化との交代が、今将に来らんとする直前である事を知るべきである。
そうして、新文化の構想は已に充分用意されている。これは人間の智慧や力でのそれではない。神が数万年以前から、着々準備され給いつつあった事である。然もそれは霊的のみではない。物質的事象によっても、私は現実的にみているのであるから、絶対誤りはない事を保証して憚らないのである。
(栄光 六八号)
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