悪の世の中

 現在世界のどの民族もそうだが、戦争と病気の不安、思想問題、経済難等、何(なに)や彼(か)やで苦しみ抜いているのは、誰も知る通りであるが、茲では先ず日本の一々に就いて書いてみよう。その中での大きな悩みである経済難から書いてみるが、政府は固(もと)より、民間に於ての経済的行詰(ゆきづま)りは事新しく言う迄もないが、この原因に就いては殆んど誰も気が附かない処にある。それは言わずと知れた悪の影響である。

 先ず政府事業であるが、これは官(かん)吏(り)の悪の観念が大いに災(わざわ)いしている。若し官吏諸君が出来るだけ悪を避(さ)けるとしたらどうであろう。一切の支出は国民の血と汗で納めた税金である事を考えるから、無駄な金など使う気になれないし、又執(しつ)務(む)時間の浪(ろう)費(ひ)も慎(つつし)むから大いに能率も上り、役人の数も今日の半分位で充分間に合うだろう。然も誠意を以て事に当る以上、万事スムースにゆき、国民の気(き)受(うけ)もよく、今日のように役人を恐れたり、軽蔑(けいべつ)したりするような風潮(ふうちょう)はなくなるであろうし、親しみ深く、尊敬も受けるようになるのは勿論である。

 その上御(ご)馳(ち)走(そう)等の暗い面などもなくなるから、汚(お)職(しょく)問題なども起らず、安心して任せられる。としたら、調査監督(かんとく)の必要もなく、裁判問題も起らないから、国家経済上どの位プラスになるか分らない程であろう。又個人的にも、御(ご)馳(ち)走(そう)酒(ざけ)の飲過ぎや、無意味な不(ふ)衛(えい)生(せい)もないから、健康も増し、生活も豊かに、家庭円満(えんまん)となるのは勿論である。その他政府事業に附物(つきもの)の裏(り)面(めん)運(うん)動(どう)もなくなるから、総てが非常に安(あん)価(か)となり、この点の利益も予想外なものがあろう。以上並べた事だけでも実現が出来たとしたら、政府の予算は今の半分でも余る位で、税金も大減額(だいげんがく)となるから、国民はどんなに喜ぶかしれない。

 次に民間の事業会社にしてもそうである。従業員全部が悪の精神から脱却(だっきゃく)出来れば、どうなるであろう。何事も誠意を以て仕事に当る以上、対外的にはコンミッションや御(ご)馳(ち)走(そう)政(せい)略(りゃく)、運動費等の支出もなく、駆引(かけひき)や誤魔化し等も極く稀(まれ)になろうし、取引は円滑(えんかつ)となり、余計な暇もかからず、気持よく商売が出来ると共に、生産も増すから、コストも低くなるので大いに捌(さば)け、殊に輸出方面は世界無敵となるであろう。然も最も喜ぶべきは今日の如き労(ろう)使(し)の軋轢(あつれき)は影を没(ぼっ)し、円満(えんまん)協調(きょうちょう)、和(わ)気(き)藹(あい)々(あい)として、楽しみ乍ら生産に当る以上、能率は素晴しくよくなり、その結果収入も大いに増し、生活の心配など消し飛んでしまうだろう。そのような社会となったら、金(きん)庫(こ)番(ばん)も要らず、帳(ちょう)簿(ぼ)にしても、今のように二重三重などの面倒もなくなるし、五人も六人もの税務官吏と、毎日のように、不快な交渉の必要もなく、一人か二人で二、三時間話合えば事(こと)済(す)みとなろうから、双方の利益も大きなものであろう。

 そんなわけで万事能率がよくなり、勤務時間も今より半分位で済むばかりか、儲(もう)けも多いから、慰(い)安(あん)設備なども充分に出来、生活の楽しみは今とは比べものにならないであろう。又重役や幹部にしても、社員の面従(めんじゅう)腹背(ふくはい)などの不愉快は消えてしまうから、気持よく明朗となり、事業の繁栄は請(うけ)合(あい)である。

 次に政治の面を見てみると、これは又如何に巧妙な悪が行われているかは、誰も知る通りで、心から国家本位、人民本位など考えている役人も党員も、寥々(りょうりょう)たるものであろう。成(なる)程(ほど)国家人民の利益も考えない事もあるまいが、利己的観念が強く、何事も自己本位、自党本位であるのは事実がよく示している。そうして反対党の意見となると、是が非でも必ず反対する。全く反対せんが為の反対で、その見苦しさは御話にならないが、今日は当然のようになっている。又議場での反対党に対する彌(や)次(じ)、暴言(ぼうげん)、喧燥(けんそう)等も浅ましいばかりか、果ては腕力(わんりょく)沙汰(ざた)に迄の醜態(しゅうたい)で、丸でナラズ者の喧(けん)嘩(か)を見るようである。

 処で総選挙も一カ月後に決定したが、これに就いても聊(いささ)か書いてみよう。今(こん)日(にち)迄(まで)大部分の議員は、公明選挙ではなく、金銭や情(じょう)実(じつ)の為が殆んどであろうから、前記のような逆選良(ぎゃくせんりょう)が多いのである。従って民主日本となった今度こそ、恥ずかしからぬ人物を出したいものである。尤も、今度は公明選挙などと言って、大分自覚したようだから、今迄よりはよくなるであろうと思う。政治面はこの位にしておいて、次は一般社会を見てみよう。

 知っての通り、何処(どこ)も彼処(かしこ)も悪ならざるはなしの現状で、どこの家庭を覗(のぞ)いても大抵は、夫婦は固より、親子兄弟の争い、朋輩同志の啀(いがみ)合(あい)などお定(さだま)りで、円満な家庭は洵(まこと)に少ない現状である。その他親戚(しんせき)知人などとの仲違(なかたが)い、裁判沙汰(ざた)等もよく聞く話であるが、近来流行(りゅうこう)の親(しん)身(み)の殺傷(さっしょう)沙汰(ざた)に至っては、情ないのを通り越して、恐ろしい気がする。その他空(あき)巣(す)、掻払(かっぱらい)、強(ごう)窃盗(せっとう)、詐欺(さぎ)、横領(おうりょう)、万引(まんびき)、掏摸(すり)、タカリなども毎日の新聞を賑わしている。ザッと書いただけでこの位であるから、世の中の悪ときたら底なしの泥沼(どろぬま)のようなものであろう。要するに今の世の中は、お釈迦(しゃか)さんの唱えた通りの苦の娑婆(しゃば)には違いないが、その苦を生む因(もと)は悉(ことごと)く悪であるから、現代は悪による被害者ばかりの社会と言っても過言ではなかろう。全く一日と雖(いえど)も安心して生活出来る人は、万人に一人もあるまい。その中で、不安の一番大きなものは、何といっても病気である。いくら泥棒(どろぼう)が怖(こわ)いと言っても、戸(と)締(じまり)さえ厳重(げんじゅう)にすれば先ず防げるし、貧乏も健康で働きさえすれば解決出来るし、処世上充分注意をしていれば、裁判(さいばん)沙汰(ざた)なども先ず起さずに済むが、只病気と戦争だけは今の処絶対不(ふ)可(か)抗(こう)力(りょく)である。併しこれも深く検討してみると、悪から発生したものである以上、帰する処(ところ)一切(いっさい)の災いは悪が因(もと)である以上、これを除くのは宗教より外にない事は余りに明らかである。処が世の識者(しきしゃ)たる者、これが分っているのか分っていないのか、我等には判断がつき兼(か)ねるが、どんなものであろう。

(栄光 一七四号)

 

 

Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.