汚職の母体

 周知の如く、昨今次から次へと芋蔓(いもづる)式に出てくる汚職(おしょく)事件には、誰しもウンザリするであろう。恐らくこんなに汚職問題が一度に重なり合った事は、未だ嘗て例がないように思う。勿論司直(しちょく)の厳正(げんせい)な裁きによって、何れは白黒(しろくろ)判明(はんめい)するであろうが、それだけで済まされない処にこの問題の重要性がある。というのは、今回のそれは別としても、昔から年中行事のようになっているこのスキャンダルは、現われただけを裁いても、根本的解決とはならない以上、どうしても徹底的(てっていてき)根絶(こんぜつ)をしなければならないのである。丁度ゴミ溜(だめ)に蛆(うじ)が湧(わ)くようなものであるから、そのゴミ溜の清掃であって、これ以外根本的解決はないと共に、国民も大いに要望しているに違いあるまい。只困る事にはその原因である急所が分っていない事である。

 では、その急所とは何であるかと言うと、それこそインテリ族の最も嫌(きら)いな有神思想であって、実は汚職問題と雖も、その発生の母体は有神思想とは反対の無神思想であるから、始(し)末(まつ)が悪いのである。言う迄もなく無神思想とは、ズルイ事をしても、人の眼にさえ触れなければ済むとする怪(け)しからん考え方であって、然も人(じん)智(ち)の進む程それが益々巧妙(こうみょう)になると共に、出世(しゅっせ)の第一条件とさえ思われている今日である。これを実際に当(あて)嵌(は)めてみると、そうはゆかないのが不思議である。何故かと言うと、成程、一時は巧くいったようでも、早晩(そうばん)必ず化(ばけ)の皮(かわ)が剥(は)がれるのは、今度の事件をみてもよく分る。併し乍ら、彼等と雖(いえど)も或る程度は分っているであろうが、根本的観念がこの世に神は無いと固く信じている以上、心の底から分らない為、仮令(たとえ)今度のような結果になっても、真に悔改(くいあらた)める事の出来る人は、果して何人あるであろうか、疑わしいもので、大部分の人々は〝こうなったのは行(や)り方が拙(まず)かったからだ、智慧が足りなかった為だ。だから、この次の機会には一層巧くやって、絶対引(ひっ)掛(かか)らないようにしてみよう〟と思うであろうが、これが、無神族としての当然な考え方であろう。従ってこの根性(こんじょう)骨(ぼね)を徹底的に叩(たた)き直すには、どうしても宗教によって有神観念を培(つちか)う事で、それより外に効果ある方法は絶対ない。

 然も今日、以上のような無神族が上に立っている限り、官界も事業界も古(ふる)池(いけ)と同様、腐れ水に溝(どぶ)泥(どろ)や塵芥(じんあい)が堆積しているようなもので、何処を突(つ)ついても鼻持(はなもち)ならぬメタン瓦斯(ガス)がブクブク浮いてくるように、今度の事件の経路をみてもそう思われる。故に、今迄分っただけでも、或るいは氷山(ひょうざん)の一角(いっかく)かも知れないが、これが国家に及ぼす損害や、国民の迷惑は少々ではあるまい。それ処か、国民思想に及ぼす影響も亦(また)軽視出来ないものがあろう。言う迄もなく上層階級の人々は、蔭ではあんな悪い事をして贅沢(ぜいたく)三昧(ざんまい)に耽(ふけ)り、政党や政治家などが湯(ゆ)水(みず)のようにバラ撒(ま)く金も、みんな国民の血や汗の税金から生み出すとしたら、真面目(まじめ)に働くのは嫌になってしまうであろう。従ってお偉方(えらがた)が口でどんなに立派な事を言っても、もう瞞(だま)されて堪(たま)るものかという気になり、今までの尊敬は軽蔑(けいべつ)と変り、国家観念は薄くなり、社会機構も緩(ゆる)む事になるから、これが国運に及ぼすマイナスは予想外であると思う。

 以上によってみても、この問題の根本は、最初に書いた如く無神思想の為であるから、何よりもこの思想絶滅(ぜつめつ)こそ解決の鍵である。それには何と言っても宗教家の活動によって、神の実在を認識させる事であって、仮令(たとえ)人の眼は誤魔化(ごまか)し得ても、神の眼は誤魔化し得ないとする固い信念を植附ける事である。そうなれば汚職事件など薬にしたくも起りようがあるまい。そうして今度の事件の立役者(たてやくしゃ)は、高等教育を受けた錚々(そうそう)たる人ばかりで、地位、名望(めいぼう)、智慧など申分(もうしぶん)ないであろうが、何故あんな事をしたかという疑問である。これこそ無神思想のためであるとしたら、この点教育、学問と、道義感とは別である事が分る。そうして、このような立派な人達が精一杯巧妙(こうみょう)に企(たく)らんでやった事だから、知れるわけはなさそうなものだが、蟻(あり)の一(いっ)穴(けつ)で、一寸(ちょっと)した隙から、それからそれへと拡がって大問題となったのであるから、どうみても神の裁(さば)きとしか思えないのである。

 茲(ここ)で今一つ重要な事は、日本は法(ほう)治(ち)国(こく)と言って誇っているが、よく考えてみると、これは飛んでもない間違いである。何となれば、法のみで取締(とりしま)るとしたら、法さえ巧く潜(くぐ)れば罪を免(まぬが)れ得て、悪い奴程得になる訳である。というように、法という檻(おり)で抑えるわけだから、人間も獣扱いであり、万物(ばんぶつ)の霊長(れいちょう)様(さま)も哀(あわ)れ形無(かたな)しである。これが文化国家としたら、文化は泣くであろう。私は常に「現代は半文明半野蛮時代」と言っているが、これを否定出来る人は恐らく一人もあるまい。又これに就いての一例であるが、今仮に目の前に財(さい)布(ふ)が落ちているとする。誰も見ていないとしたら、普通の人なら懐(ふところ)へ入れるであろうが、断(だん)じて入れない人こそ神の実在を信じているからである。処がこういう人を作る役(やく)目(め)が宗教であるが、これに対して、当局もジャーナリストも甚だ冷淡(れいたん)で、宗教を以て無用の長物(ちょうぶつ)視(し)しているかのように、兎もすればインチキ迷信扱いで、民衆を近(ちか)寄(よ)らせないようにする態度は実に不可解である。これでは無神思想の味(み)方(かた)となり、汚職問題発生の有力な原因でもあろう。

 如上(じょじょう)の意味に於て、為政者はこの際豁然(かつぜん)として心眼(しんがん)を開き、善処(ぜんしょ)されん事である。でなければこの忌(いま)わしい問題は、いつになっても根絶(こんぜつ)する筈(はず)もなく、これが国家の進運(しんうん)を阻(そ)害(がい)する事の如何に甚(はなは)だしいかは言う迄もあるまい。処で、これを読んでも例の通り馬(ば)耳(じ)東(とう)風(ふう)見過ごすとしたら、何れは臍(ほぞ)を嚙(か)む時の来ないと誰か言い得るであろう。そうして今日国家が、教育その他の機関を盛んにして、人智の開発、人心の改善に努力しているが、肝腎な無神思想を根絶しない限り笊(ざる)水式(みずしき)で、折角(せっかく)得た智識も善より悪の方に役立たせるのは当然であるから、その愚(ぐ)及ぶべからずである。何よりも、文化の進むに従い、智(ち)能(のう)犯(はん)が増えるという傾向が、それをよく物語っている。敢(あ)えて世の識者に警告する所以(ゆえん)である。

(栄光 二五〇号)

 

 

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