1.人間とは

① 人間は神が造った総合芸術品

ア.人間はあらゆる生物の特質を総合して造られた芸術品。

(天国の福音『眼病・霊的原因』▲より)

人間と動物との関係を次に説いてみよう。

 そもそも造物主が森羅万象を創造され給いし時最後に造られたものが人間である。それはあらゆる生物の特質を綜合して成った、いわば神が造った綜合芸術品である。従って人間にはあらゆる生物すなわち鳥獣虫魚に至るまでの一面を保有している事はいうまでもない。

 この意味を解りやすくするため、人間以外の動物を解剖してみよう。あらゆる動物はその種別により特質をもっている。たとえば馬の性質は従順と勇敢で、音声はハヒフヘホであり、犬は忠実でワヰウエヲであり、猿は狡滑でカキクケコであり、猫は怠惰横着でナニヌネノであり、鼠は吝嗇でタチツテトであり、牛は遅鈍でマミムメモであり、豚は愚鈍でバビブベボである。鳥類においても雀のタチツテト、鶯のハヒフへホ、カナリヤのパピプペポ、烏のカキクケコ、家鴨(あひる)のガギグゲゴ等によっても識らるるのである、従って彼等の物を見る眼も物体の色彩が単一であって、赤青紫黄白等一種または二種がせいぜいである。色盲の原因も右の理によるのである。

② 人間だけは唯物科学の分野ではない。

ア.人間が人間の病気を治そうとするのは、神威の侵犯。

  (『医学封建』▲より/『栄光』227号)

 科学迷信の黒眼鏡をかけているから、正確には見えないはずである。

 ではその黒眼鏡とは何かというと、医学者の根本的考え方が最初から人間の生命を、他の物と同一レベルにおいており、病気も科学によって解決出来るものと信じている事である。ところが私は神示によって知った事は、なるほど人間以外の他のことごとくはそれに違いないが、独り人間のみは根本的に異っていて、これだけは科学の分野ではないからである。例えば人間の趣味嗜好、喜怒哀楽、恋愛等は固より、智性、芸術、神秘性、人類愛等高度の思想など、他の動物には全然ない事で、これだけにみても他の動物との異いさが分るであろう。というように科学は人間の特殊性を無視し、動物並に扱っている事が大いなる欠陥である。しかもそれが医学の根本理念となっている以上、科学の枠の中に立籠り、他の世界が見えなかったのである。これを別の面から見ても、仮に人間のレベルが地平線とすれば、それ以下が物象であり、以上が人間であって、これが宇宙の法則である。この理によって地平線以下のことごとくは人間の自由になるが、以上はその反対である。ゆえに人間が造った科学をもって人間生命を自由にする事の不可能なのは当然であって、何よりも無病である事も長命も意のごとくならないに見て明らかである。とすれば人間が人間の病気を治そうとするのは下剋上で逆であり、神位の侵犯である。この理によって人間の生命のみは世界中の学者がいかに努力しても、徒労以外の何物でもないのである。それに気付かず、見当違いの横道をひた走りに走っているのが現在の医学であるから、その無智なる実に哀れむべきである。私は思う、今日の医学者こそ科学の亡者であり、邪教迷信者と同様の心理である。

 (中略)以上によって科学をもって最高の治病方法としていた事は、狭い封建の殻から脱け切れない盲目であった。ところが実は未知の素晴しい世界があり、そこに真の医術があって完全に病を治し得る事を私は知ったので、この一大福音を普く世界万民に知らせるべくその前提としてこの説を全世界の医学者に向かって発表するのである。

イ.人間以上の存在でなければ人間を救う資格はない。獣の救いを人間に当て嵌めようとしている医学は見当違い。

 (『御教え集』第26号/S28.9.5より)

 地平線の下にあるのが万物ですから、それはどんなにでも自由にできるのです。人間は地平線であるからして、地平線の上に人間を救うべきものがあるのです。つまり地平線が人間とすれば、下に行くほど獣になって行き、上に行くほど神に近くなるのです。結局最高は神であり、人間は神と獣との間にあるのです。それで人間を救うというのですから、人間以上の存在でなければ人間を救う資格はありません。それを今の医学は獣の救いを人間に当て嵌めようとしているのです。医学は猿やモルモットや兎や二十日鼠を試験して、それをそのまま人間にもってゆくのですから、つまり地平線に居る人間としたら、それより以下は獣ですから、獣を材料とするのは当り前ですが、それをもって来て人間の病気を治すというのは、およそ見当違いです。(中略)だからして医学が如何に一生懸命にやっても、全然見当違いを一生懸命にやっているので治るはずがありません。

③ 人間は真善美全き世界を造る使命をもち、それを遂行するだけの健康を与えられている。

(『健康の真理』より/自觀叢書第10編『神示の健康法』)

 健康を説くに当たって第一に心得るべき事は、健康の真諦は自然順応であり、自然尊重である事である。それについてまず考うべき事は、造物主即ち神が人間を造られた御目的は何であるかという事である。我らの解釈によれば、それは真善美の完き世界を造る事である。といってもこんな途方もない説は容易に受け入れ難いであろう。勿論、そのような理想世界は何万何十万何百万年かかるかは分らない。としても世界はそれに向かって一歩々々進歩向上しつつある厳然たる過去の事実を見れば否定もでき得ないであろう。そうして神は霊で人間は体であり、両々相俟って無限の進歩を遂げつつあるのが実相で、その担当者として、人間があるのはいうまでもない。

 以上のごとくであるから人間の責任たるや実に大なりと言うべきであると共に、この大事業を遂行する何よりの条件としては、人間の健康である。この意味において神は人間にはそれぞれの使命を与え、任務を遂行するに足るだけの健康を与えられているのは当然である。何となればもし健康を損うとしたら、神の御目的は達せられないからである。まずこの道理を基本として深く考えるとしたら、健康こそ人間の本来であり、常態であらねばならない。然るに不思議にも人間は病気に犯され易い。即ち異常体となるのである。とすればこの事の根本が明らかに分り異常体を正常体に復活せしむる事こそ神の御目的に添う事になるのである。

 右の意味によって、人体の異常化を検討する時、何を発見するか。それは何よりも自然に反するためという事である。故にこの反自然の実態を把握し訂正し、常態に復元する事こそ真の医学であって、その復元の可能である事こそ、正しい医学のあり方である。

④ 真善美の美の根本は、一番汚い人間の体の中を美しくすること。

(『御教え集』第29号/S28.12.15より)

 真善美の世界を造るという事で、真善は兎も角、美と言うと、美術館とか地上天国という事で、これは分り切った話です。ところが未だ気のつかない美というものがあるのです。美の世界ではないのですが、それは何かと言うと人間の腹の中です。人間の臓物を美にしなければならないのです。まずどんな人でも、一皮むいたら、それはもう血膿で一ぱいです。兎に角筋肉や骨の量と、いまの血膿の量とを比べたら、血膿の方が多い人が大部分です。おそらく、世の中で汚い物と言えば、血膿だと思います。これは糞小便よりもっと汚ないと思います。馬鹿に汚ない話ですが、その血膿というのは何から出来たのかというと薬です。薬が変化したものが全部血膿です。そこで今の人間はウンと薬毒が入ってますから、兎に角毒血と血膿が一ぱいに詰まっているわけです。だから、おそらく一番汚ないのは人間です。(中略)だから真善美の世界と言うが、これはまず人間の腹の中から美にしなければならないのです。その因が薬毒ですから、薬毒から無くしなければならないのです。それで、体の中が汚ないから、そこで想念も汚なくなるわけです。これは霊体一致ですから……。そこで今読んだ正義感の不足というのもやっぱりそのためです。それで神様の話をしても分らないというのは、分らないはずです。それで汚ないものを掃除されるわけですから、それは苦しいです。だから、どうも信じられないとか、分りが悪いというのは、つまりそういう汚ないものは曇り切っているから、それが邪魔していて通じないわけです。(中略)そういうようなわけで、美というものは、まず人間の腹の中というこれです。浄霊というものは、つまり美にする働きです。汚ないものをきれいにするというわけです。今の世の中で心のきれいな人間が非常に少ないという事は、心でなく肉体が汚いのだから、どうしても浄霊ということによって一番根本的に本当に結果を得られるというわけです。浄霊は人間を使って個人々々に掃除をしてくれる仕事です。神様はそういう方法をとられたわけです。(中略)ところがその薬毒、血膿というものは非常に多いのです。それは実に想像もつかないくらいなものです。まずその人の一生涯でそれがすっかり除れる人は無いでしょう。私でさえ今もって毎日自分で自分を浄霊してますが、歯の悪いのは今年で三十七年目です。最初から知ったのではないので中途からですが、兎に角知ってからでも十数年になりますが、自分で浄霊を始めたのが約十年くらい前からですが、それで今もって毎日やらなければ、少しずつ始終痛んでくるのです。だから薬毒が自然に除れるという事はまずないです。時々風邪引とか下痢するとか熱が出るという事は、勿論それだけ毒が減りますが、それは僅かなものです。それで浄霊を何十回何百回やるという事はかなり除れます。それから疥癬で体中カッタイボウみたいになりますが、それで相当除れます。疥癬の毒というのは天然痘の毒で、つまり古い毒です。つまり親の遺産で、その浄化です。ところが自分が生まれてから入れた毒が大変なものです。それで疥癬の時に痒いのは天然痘の毒ですが、黒豆のようなものが出来て傷むのは薬毒です。ですから疥癬でも薬毒も相当混るわけです。それで、疥癬でアンナに毒が出たからもうよいかと思うと、まだまだウンとあるので、本当に疥癬で出たのは一部分のようなものです。(中略)

 私はよく言いますが〝人間気がつかないが、人間の皮膚ぐらい有難い物はない。若しこの皮膚が無かったら、汚なくて、到底人前には出られない。だからその皮膚の恩恵も感謝しなければいけない〟と。(中略)そういうようなわけで、人間は意外に毒素が多いという事と、血膿というものは薬毒の変化したものという事と、人間の美というものも体の中がきれいにならなければ本当の美ではないという事です。やっぱり腹の中が美になれば――肉体が美になれば心も美になりますから、そうすると美しいものを好むという事になります。だから美術館などを見る、或いは見ている内に趣味が出て来るという事は、やはりそういった汚ないものが精神的にそれだけ減ってゆくわけです。つまり魂が美から受けるその作用によって、魂がそれだけきれいになるわけです。非常に必要な事です。神様はそういった、つまり楽しみながら魂をきれいにする、要するに浄化ですが、そういう事をやられるわけです。だからして真善美の美という事の一番の根本は、人間の身体の中を美しくするという事で、その方法は、つまり直接には浄霊、間接には教えを耳に聞き、それから美を目から入れるという事です。 

 

 

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