2.薬とは

① 薬はことごとく毒

ア.数万人の治療体験から得た結論〝病原は薬剤〟

(天国の福音『夜昼転換』より)

 私は約二十数年間に亘って治療した患者は無慮数万人に上ったであろう。その体験から得た結論は、一言にしていえば〝病気の原則は薬剤である〟という事である。凡ゆる病患の原因を探求すればする程、悉く薬剤ならざるはないのである。もし人類がこれに目覚めない限り何時かは滅亡に至るべきは一点の疑う余地はない。

イ.病気と苦痛の判別がつかないから、毒化して病原となる薬を使った。

(『薬剤は科学?』▲より/『栄光』254号)

 薬が効くのと病気の治るのとは似て否なるもので、根本的に異っている事である。(中略)というのはそもそも医学の考え方は病気と苦痛とは離るべからざる一体のものと解しているからで、苦痛が治れば共に病気も治ると思っており、病気と苦痛との判別がつかなかったのである。(中略)

 ここで病理についてザットかいてみるが、病気とは薬毒の固りに対し、自然浄化作用が起って排除される苦痛であるから、言わば発病が主でそれに苦痛が伴なうのである。それを医学は間違えて、苦痛が主で病気が伴なうように思ったので言わば主客転倒である。この逆理によって薬を以って苦痛を抑える。この考え方で生まれたのが医療である。しかも一層厄介な事は、薬が毒化し病原となる事も知らなかったので、二重のマイナスである。これが医学の進歩と思っているのであるから、その愚、度(ど)すべからずである。(中略)その証拠として新聞広告などに出ている売薬の広告を見ても分る通り、決して治るとはかいてない。何々病には効く、苦痛が減る、好転する、元気になる、強力な効果がある、血や肉を増す、予防にいい等々、それをよく物語っている。

 しかも薬で苦痛が緩和する理も科学的説明は出来ないのは、何々の薬を服めば効くとするだけの事である。(中略)何よりも新薬を作ろうとする場合、本来なら最初理論科学が生まれ、次いで実験科学に移るべきだが、そんな事はないらしい。というのはそのほとんどが偶然の発見か、推理による実験であって、それ以外は聞いた事がない。(中略)

 またあらゆる病菌にしても、何十年前から研究を続けて来たにかかわらず、今以って決定的殺菌剤は生まれない事実である。また近来発見の御自慢の抗生物質にしても、最初は素晴しい評判だったが、近頃になって逆効果を認め再研究に取掛ったという話も最近聞いたのである。これらにみても何病に限らず、決定的効果ある薬はまだ一つもないのであって、それだからこそ次から次へと新薬が生まれる訳である。故にそのような不確実な薬剤を以って病を治そうとするなどは寧ろ冒険というべきであろう。また医学では動物実験を唯一の方法としているが、これなども科学的根拠は全然なく、単なる推理臆測によって、多分この薬なら効くだろうというマグレ当りを狙ったものであるのは、効かない場合次から次へと何回でも試してみるによっても分る。(中略)

 私は科学者ではないが、真の科学とはそんなアヤフヤなものではなく、確実な合理的根拠によって研究し、真理を把握したものであって、効果も決定的で永久性であるべきはずである。それがどうだ、ある期間がすぎると無効果となり、次から次へと新薬が生まれるとしたら、どこに科学的理論があるであろうか。(中略)いやしくも人間生命に関する重要なるものとしたら許さるべきではあるまい。しかも多くは短期間の実験によって売出すのであるから、もし効果のない場合、詐欺行為ともなるであろう。

ウ.薬は禁断の木の実

(『体内の入浴』▲より/『救世』147号)

 ここに問題なのは薬である。前記のごとく体内の清潔法を逆解して停めようとするのが医学であり、そのため用いるのが薬と称する毒物である。およそ世の中に本当の薬というものは一つもない。強いていえばまず米の飯であろう。これは人間が生きてる以上、一日も欠かす事が出来ないからである。だから今日薬といって有難がっているものはことごとく毒であって、毒の力で治るのを邪魔するのだから、これ程間違った話はあるまい。ではどうしてそんなに間違ったかというと、清潔作用の苦しみが薬で一時楽になるから、それを治るものと錯覚してしまったからである。とすれば薬というものは全く禁断の木の実であろう。

(『御教え集』第18号/S28.1.5より)

 それから薬が病気をつくるという事ですが、そればかりでなく薬が悪をつくり不幸をつくるという事を書いてみました。(中略)

 ですからあらゆる災も不幸も悪人も、ことごとく薬でつくられるのです。この薬がキリストの旧約聖書にある禁断の木の実です。ですから禁断の木の実は薬の事です。それを詳しく書きました。そうして神は悪をつくり不幸をつくり人間を弱らせて文化を進歩させたのです。これが根本的なものです。ところがキリストがそこまで説かなかったという事は、やっぱり時期の関係です。

エ.よく効く薬とは、中毒を起こさない程度に毒を強めたもの。

(『病気とは何ぞや』より/『栄光』179号)

 感冒とは全く簡易な生理作用で、神の摂理であるから、大いに感謝すべきであるに拘らず、それを知らない人間は、この浄化の苦痛を却って悪い意味に解釈し、これを止めるべく考え出したものが医療であるから、如何に間違っているかが分るであろう。そうしてこの浄化作用なるものは、人体の活力が旺盛であればあるほど起こり易いので、これを止めるには人体の活力を弱らせるに限る。そこで薬と称する毒を用いたのである。昔から草根木皮、鉱物、動物の臓器等から取り出し、煎じたり、粉末にしたり、抽出したりして水薬、丸薬、塗布薬、注射薬等色々な形にして、浄化停止に応用したのである。それには毒が強いと生命に関わるから、微弱にして少しずつ飲ませる。このため一日何回などと分量を決めたので、よく効く薬とは中毒を起こさない程度に毒を強めたものである。

オ.現代人が皆中毒している薬という麻薬が溶け始めるのが病気。

(『御教え集』第14号/S27.9.5より)

 今の人間は全部麻薬中毒になっている。只普通の薬は麻薬の様に直ぐ効かないという丈のもので、病気の苦しみというものは薬を飲むと一時楽になりますから、そこでそれを薬で治ると斯う思って了う。治るのは、丁度麻薬を、苦しくなると一寸注射すると楽になりますが、あの理窟です。ですから麻薬は直ぐ効くが、他の薬は麻薬の様に直ぐ効かないで段々効くと、斯ういうわけです。薬によると少し(づゝ)段々飲んで、半年も一年も飲んでいる。その結果麻薬と同じ様に、いくらか楽になるというわけです。楽になるという事は、溶けかゝったものを麻薬で固めるわけです。(中略)皆麻薬中毒になっているから、その麻薬が溶け始めるとそれが病気なのです。

カ.早く効くのが麻薬で、遅く効くのが薬。同じ薬を使い続けると、体に抵抗力ができて中毒となり、効かなくなる。

(『御教え集』14号/S27.9.7より)

 今日本人全部が麻薬中毒なのです。只早く効く麻薬と遅く効く麻薬との異いです。で、みんな麻薬と言っているのは、早く効く麻薬です。それから薬と言っているのは、遅く効く麻薬です。それに就いて書いてみたのです。

御論文「医学断片集 薬と名の付くものは全部麻薬なり」   【註 栄光一七四号】

 よくお医者さんなんかゞ「此薬は前は効いたが此頃は効かない」という事を言うのですが、あれはやっぱり麻薬中毒と同じで、麻薬も最初は三日に一本射てば良かったが、段々効かなくなって今度は二日に一本、一日に一本という様に詰ってます。あれと同じで、前は風邪の薬を飲んだり胃の薬を偶に飲めば済む位だが、段々頻繁にしなければ追附かない。よく喘息の注射なんか、起る度に射ったのが、それが終いにはだんだん詰って来て三日とあけず射つ様になる。それで始終射つという事になります。あれは麻薬の作用と同じ事です。(中略)少し注射しないで居ると息が詰まりそうになります。そうしてみると一切の薬は麻薬なのです。だから麻薬中毒を恐れるのなら他の薬も恐れなければならないが、只他の薬は麻薬の様に早くない。遅く効くから、中毒になり方が暇がかゝるから、それで気が附かない。(中略)それから結核の新薬なんかでも年中変ってます。(註楽)それで新しい薬というのは、麻薬なら麻薬の効きが良くなるのです。だからそれが分れば恐ろしい話なのです。薬の中毒を患者に言う場合に、麻薬を例にとって言うと分り易いと思います。(中略)段々薬の種類が増えると――増えるという事は之も可笑しい話で、よく胃なら胃の薬を飲んでいると、もうそれが効かなくなる。すると、薬を替えると一時効くという事を言いますが、あれが――一つ薬を飲んで効かなくなるという事は中毒になっているのです。中毒というのは身体にそれに対する抵抗力が出来るので効かなくなる。人間の身体というのは、丁度食物や何かで毒のある物を食べていると、段々毒に(あた)らなくなるが、あれと同じ事で、一つ事をやっているとそれに中毒をして了う。だから替えなければならない事になる。

キ.服薬は、無智による自殺

(『御教え集』18号/S28.1.5より)

 薬という毒ですから、今の人がみんな薬をのんでいるという事は、つまり自殺しているのです。しかし自殺しようとして自殺するのでなくて、助かろうと思って自殺するのですから、無知による自殺です。

(『御教え集』第13号/S27.8.6より)

 歯が四本痛んで、一年間薬を続けたので、それが頭に上って頭の中が薬の刺戟で変になった。一時は発狂すると思った位です。頭が自由にならないのです。考え様と思う事が考えられないで、飛んでもない事が浮んだり考えたりするのです。ですから之はもう精神病になる一歩手前だと思った。それに歯の痛みが毎日ですから、発狂か自殺かどっちかだと、斯ういうふうに覚悟したのです。処が其為にこの薬毒を知ったのです。だからやっぱり神様にそういう苦しみをさせられた訳です。

② 薬が不幸を作る。

ア.薬を飲むと霊が曇り、霊界の地位が低くなる。

(『御教え集』32号/S29.3.6より)

 薬が不幸を生むという事も知らなければならないのです。薬を飲むと血が濁るという事はみんな知ってますが、そうすると霊が曇る。霊が曇ると霊界の地位が低い所になりますから、どうしても地獄になるわけです。だから今の世の中が悪い世の中で、幸福な人は殆んどないです。それからそれへと不幸ですが、不幸だという事は霊的に霊界における階級が低くなるから、そこで嫌な苦しみや災難が来るわけです。その因というのは薬ですから、要するに薬が人類の不幸を作っているわけです。

イ.すべての悪の因は薬毒だから、根本は人間の身体をきれいにする事。

(『御教え集』第29号/S28.12.16より)

 ですから薬毒というものを知っているのは、霊の方が知っているのです。狐などは特に薬毒を知ってます。何時か、狐が〝コイツをやっつけようとして随分薬をのましたが、この頃救世教に入って薬を止めてしまったので困る〟という事を言っていた事がありましたが、薬毒で肉体を悪くし、それで霊を曇らせる。そうすると狐は大いに働きよくなるのです。(中略)医者にかからせ、手術をさせたりするのは、狐がやらせるという事が非常に多いのです。(中略)面白いのは、そうやって人間の霊を曇らして、いろんな動物霊が悪い事をさせるのです。だから今言う正義感がないという事は、その原因はやはり薬なのです。薬が悪を作っているという事になります。薬が人間の体を弱らせ、悪を作り、社会を悪くし、世の中を悪くするという事になるのですから、薬というものは如何に大きな罪悪を作っているか分らないです。だから人間を健康にする、或いは罪悪を無くするという事は、薬を無くするという事になるのです。(中略)根本はどうしても人間の体の中を美しくするという事になるのです。

ウ.後頭部に薬毒がある現代人は、頭の働きが悪いためちょっとした事に気が付かず、何事もノロく、邪念がある。

(『御教え集』23号/S28.6.7より)

今の人は頭の働きが悪いのです。敏感でありません。だからどうしても事故などが起こるわけです。(中略)何事にもノロイのです。(中略)だからどうしても後頭部に毒がないようにしなければならないのです。(中略)だから何事を見ても聞いても、頭の悪さがよく出てます。ちょっとした事に気がつかないのです。(中略)ですからちょっとした所に気をつければ、非常に便利になったり、良くなったりするのに、それすら気がつかないのと、億劫なのです。厄介だという、不精という点が非常にあります。周囲の事でもそういう事がよくあります。ちょっとした事で、ちょっと其処に棒をつけるとか、ちょっと取り除くとか、上げるとかすると非常に便利になるのに、そういう事に気もつかないし、つい億劫でそうしているが、これは薬毒のために凡てが働かないのです。ですから今の人の歩くのでも、ノロイです。(中略)それから又その他にもまだあります。それは邪念が多過ぎるのです。何か誤魔化そうとか、おかしな考えをしているために、よい方の頭が働かないのです。つまり邪の方の頭が働くためにそこで物事がうまく行かなかったり、故障が起こったりするわけです。その根本としてはやはり薬毒ですから、その薬毒を除る事です。私も昔は薬毒が沢山あったが、自分で浄霊してだんだんとって行くために、だんだん体も軽くなるし、頭の働きもよくなりつつあるわけです。

エ.薬毒は発育を妨げる。

(お伺い/昭和7年10月15日)

――奈良の正倉院で見た昔の人の着物はずいぶん大きなもの。当時の日本人はみんな大きかったのか。

 そうです。

――現在、小さくなったのは薬毒のためか。

 薬毒です。あれは発育を妨げるのです。

③ 新薬の進歩は、固め方法の進歩

(医学革命の書『Xの説明』より)

 医学は溶けようとする毒素を固める方法であるから、火素が増えるに従い段々固らなくなるから、固めるには漸次強い力が必要となる。それには之までよりも薬の毒を強めなければならないが、之も或程度以上強めると副作用が起るから、此副作用を起らないようには毒素を加減しなければならないから、之が亦厄介であって、之が薬剤の進歩である。従って此進歩は勿論病を治す進歩ではなく、病を一時的固める進歩である事は勿論で、之によってみても医療の逆である事が分るであろう。以上の理によって新薬の進歩とは毒素を強めた割合に副作用がない事で、つまり固め方法の進歩である。

ア.浄化停止力が強い抗生物質は、強い菌を作り出す。

(『御教え集』26号/S28.9.25より)

最近ストレプトマイシンとかパスという新薬は、抗生物質と言って、今までとは全然違った成分の薬なのです。それで抗生物質が非常によいという学説になっているようです。というのは今までのんだ薬とは全然違った成分だから効くのです。効くという事は浄化停止の力が強いのです。そこで浄化が弱るからして死ぬのだけは延びるわけです。だからこれを続けて何年か後には、抗生物質に人間の体の方が抵抗するというようになるから、そうなると元の木阿弥になります。そこで今は、肺病などにストレプトマイシンをやると数カ月後には菌の方の活動力が非常に強くなって、これをどうしたらよいだろう、というのが今の医学界の問題なのです。

イ.西洋薬と薬毒が強い割りに副作用の表れが遅い薬の増加で、寿命が延びただけ。

(『寿命が延びた理由』▲より/『栄光』234号)

 近来人間の寿命が延びたといって、この原因を医学の進歩としているが、これは大変な誤りである事をかいてみよう。それは何かというと、漢方薬と西洋薬との関係にある。すなわちこれまでの日本人が短命であったのは漢方薬使用のためであって、誰も知る通り漢方薬なるものは量を非常に多くのまなければ効かないとされているからである。ところが近来に至って漢方薬はほとんど影を没し、普通薬といえば洋薬を指すようになった。何しろ洋薬は毒分としては漢薬と大差はないが、量が非常に少いため害も少く、これが寿命の延びた理由の一つであって、歴史的にみても分る通り、日本においても上代は普通百歳以上であったものが、紀元千百二十八年雄略天皇頃、支那文化と共に漢方薬も渡来し、その頃から病人らしい病人が出来ると共に、漸次寿齢も短くなったのである。

 今一つの理由は近来薬学の進歩によって、浄化停止のための薬毒の力が強くなった割に、副作用の現われ方が延びたからである。そのため浄化と浄化停止との摩擦が余程緩和された事と、今一つは最近の薬の成分が今までとは全然異った、すなわち抗生物質の発見で、これが大いに効いた訳である。というのは医師も経験者もよく知っている通り、何程効く薬でも一つものを長く続けていると免疫性になり、漸次効かなくなる。そこで薬を変えると一時よく効くのと同様であって、抗生薬を続けるとしたらいずれは元の木阿弥となるのはもちろんである。

④ 薬毒が精神や肉体に与える影響

ア.健全な精神は必ず健全な肉体を持つから、健全な精神を作ることが根本。

(天国の福音『幸福への道』▲より)

 本来文化の進歩とは人類の幸福をより増進する事が最後の目的であるに係わらず、その結果の矛盾せる事の余りにはなはだしいばかりか、事実は反対の結果をさえ思わしむるものがある。そうしてこの事に疑を起し仔細に検討するにおいてその最大原因が人間の病患にある事を知るのである。ここに不幸の最大なるものとしては、病患は別として戦争と飢餓とであろう。しかもその根本が実は人間における身心の欠陥がその原因である事を発見するのである。健全なる身体には健全なる精神が宿るというこの言いふるされたる格言は、実に千古不滅の金言である。私が扱った幾多の患者の経験によって得たる断案によれば、精神異常者、精神変質者、神経衰弱者等の頭脳に欠陥ある患者は一の例外なく左右いずれか一方の頸部淋巴腺及び延髄部に腫脹固結がある事で、それ等患者の心理は常軌を逸し、正当なる判断を下し得ない事である。また常に怒りやすき者すなわち争いを好む者は必ず両肩部に固結がある。すなわち肩の凝りである。癇持の小児、泣癖のある嬰児等も同様はなはだしい肩の凝りがある。しかるに本医術によって右の固結を溶解滅消するに従い、その性格は一変する。成人者は言語行動常識的となり平和円満を好むようになり、小児は両親の言葉によく従い明朗児となるのである。

 そうして個人の集団が国家なりとすれば、その単位である個人一人一人が争いを好まないようになれば、その国は平和愛好国とならざるを得ない道理である。次に物資欠乏、飢餓等も戦争の影響による事が多いが、また他の原因による事もある。それは国民智能の低下、怠惰、及び為政者の頭脳の貧困等である。しかしながらこれらもその原因は身心の不健康、すなわち毒素多有者なるがためである事は言うまでもない。元来身心健康者は精神も行動も常識的で合理性に富む結果、人間としてなすべき事、なすべからざる事をよく判別し、善を愛し悪を嫌い、人を愛し他人の喜びを喜びとする。孔子のいわゆる「己の欲せざる所、人に施す勿れ」という事やまた最大なる幸福は他人を幸福にする幸福であるという事等も、身心健康者にして初めて行い得らるるのである。

(「私の信仰の経路」/S10.1.11より)

 昔から「健全なる精神は、健全なる肉体に宿る」と言いますが、これはちっと疑問がある。ずいぶん大きな仕事をした人でも病体の人がある。(中略)しかし、健全な精神なら必ず健全な肉体を持つのは真ですから、根本は健全な精神で、健全な精神を作ることが根本で、あらゆる宗教をみて、病人のない宗教があれば、それは本当の宗教の使命を遂行しているものであります。(中略)ですから観音運動は宗教改革と医学の革命で、だいたいこの二つで世の中はよくなる。政治や経済などは、それは専門家に任せればそれでよい。宗教改革といっても、ルターのようなものでない、もっと大きい。

 今日はすべて世界的になっているから、世界的のものでなくてはならぬ。(中略)

 観音運動の最後の目的たる人間を良くする、当然のことをする人間を造ることは、非常に簡単であってなかなか難しい。なぜかと言えば、いままでのものは、人間が当然なことをしなかったために、どっちかへ脱線する癖がついている。その癖を直すのが観音運動にもなる。 

イ.毒塊人間は病気が起こりやすく、社会問題を増やす。

(『毒塊人間』▲より/『栄光』226号)

 私は常に現代人は毒の塊だといっているが、随分酷い言い方と思うかも知れないが、これが事実であってみればどうにもならないのである。信者の誰もが知るごとく、今日どんな人でも祖先から受け継いだ先天性薬毒と、生まれてから入れた後天性薬毒との、二種の薬毒によって毒の固りになり切っている。(中略)残らずといいたい程人間の形をした毒の塊といっていい。もちろん浄霊によれば容易に溶解排除せられ、病気も生命に別条ないまでに快(よ)くなるが、薬毒全部を除ってしまう事は、まず一生かかっても難かしいであろう。

 (中略)そうして私が常に唱えているごとく、その毒は人間が神経を使う所ほど集溜固結するのが法則であるから、近代人のごとく非常に頭脳を使う以上、首の周りから肩へかけて固っている。どんな人でもその辺を探れば必ず大小様々の固結やグリグリがあるからよく分る。

 この固りの浄化作用が風邪であるからそのまま放っておけば毒素は順調に排泄され治るものを、無智な医学は薬その他の手段で出るのを停め、固めようとする。その上そのための薬毒も追加されるとしたら、それだけ固りも増え、益々毒塊人間となるのは当然で、浄化も起り易くなり、今日のごとく病人が多いのである。しかも頭脳が最も侵されるため、近頃のごとく頭の悪い人間が増えるばかりで、どんな人でも頭痛、頭重、朦朧感、焦躁感、眩暈等の苦痛のない人はほとんどあるまい。この結果物の判断力が鈍く、正邪の区別さえつかず、常識の欠乏、智能の低下、鈍智鈍感、何事もその場限りで済ましてしまうのは、御自分を見てもよく分るであろう。(中略)

 今一つ言いたい事は、近頃のごとく社会各面における忌わしい問題の多い事である。交通事故、火災、鉱山の災害、殺傷沙汰、自殺、心中、裁判沙汰等の外、風水害、農村の病虫害等々、要するにそのことごとくは頭脳の明敏を欠く結果で、その原因こそ薬毒であるから、何としてもこれに目覚めさせなければならないと痛感するのである。

ウ.毀れ物扱いされる消極的健康人が氾濫する。

 (『結核半減記念祝いに就て』▲より/『栄光』161号)

 先日、日本における結核死亡率が半減したというので記念祝いをしたが、これを吾々からみると余りに軽率どころか、馬鹿馬鹿しいとさえ思われるのである。というのは、なるほど死亡率は半減したが、患者の数は少しも減らないのみか、依然として増加の傾向にあるので、この点深く考えてみるべきである。(中略)

 従って単に死ぬのが延びただけで、もちろん長くは続かないから安心は出来ないので、これが死亡率は減っても患者の数は減らない根本原因である。では今まで通りにしていれば、今後どうなるかというと、無論時の経つに従い再び浄化が起り始め、患者の数も増すので、再び薬を用いるが、今度は以前程に効かないから、毒を一層強めた薬が出来る事になるのはもちろんで、ちょうど麻薬中毒患者と同様である。そうしている中にいよいよ効かなくなり、ついには全然効果がなくなると共に、今までの強い薬毒の浄化も加わって、悪性結核激発となり、急死する者数知れずという事になろうから、今よりも幾層倍の結核患者が出来るであろう。(中略)ここで重ねて言うが、今日のごとき死亡率半減期間は一時的であるから、来年、再来年というように、再び頭をもち上げ始めるのはもちろんであるから、当局も一般人も大いに周章(あわ)て出し、結局今日の新薬が恐怖時代を作った事になるのである。としたらその迷言たるや言うべき言葉はないのである。(中略)

 ここで今一つ重要な事がある。右のごとく新薬の効果によって、直に死なない半病人が増えるから、毀れ物扱いをされなければならないような消極的健康人が氾濫し、元気よく長時間働く事も出来ず、軽作業がやっとくらいの人間がおびただしい数に上るであろう。としたら国家全体から見ても由々しき大問題である。

エ.薬毒で神経が鋭敏に働かなくなり、事故や事件が増える。

(『事故の原因』▲より/『栄光』165号)

 近来交通事故を始め、色々の事故が多く当局においても絶えず注意を与えているが、それに頓着なく年々増える一方であるから厄介である。(中略)つまり神経が鋭敏に働かない事に起因する。危険に直面してもその瞬間避けるべき行動の敏速を欠く事で、一秒の何分の一のズレも災害の直接原因となる以上、それの矯正より外に手段はないのである。(中略)ではそのように頭脳鈍感の原因は一体どこにあるかというと、全く現代人はヤレ注射、ヤレ何の薬などといって、矢鱈(やたら)に薬を用いたがる。また酒類にしても防腐剤や何や彼やと薬が入っているし、農作物にしても化学肥料や殺虫剤などを用いるから、それを吸収した作物は、長い間には相当量人体内に薬毒として溜るのである。右のように今日の人間は薬浸りといってもいいくらいであるところへ、生活が益々複雑となるので、頭の使用も加重となるから、自然薬毒が頭に集中凝結する。それに対し不断に微弱な浄化作用が起るから、大抵な人は頭が熱く逆上的であり、頭重、頭痛が常に起り、ボーッとしたりする。というように今日の人間で、恐らく頭のスッキリしている人は、ほとんどないといってよかろう。これが事故ばかりではない、近頃よく新聞に出ている殺傷沙汰などもその原因となる。

オ.頭の中身の良し悪しと薬毒の関係。内容に目が行き、頭が働けば根本が分る。

(『御教え集』第10号/S27.5.7より)

 丁度奈良の博物館で、白鳳、天平展覧会というのが開催されていたんです。(中略)そんな訳で、今度見た色々な仏像なんか、千二、三百年前にそういうものが出来て、今日はその足本にも追いつかないのは実に不思議と思いますね。色々なものが進歩しているにも拘らず、そういうものは進歩どころか反って退歩している位です。(中略)何故というと、其時代の人は頭が非常に良いんです。今の人は――美術家は勿論の事ですが、頭がずっと悪くなっているんです。何故というと、唯そこに、単に頭が良いとか悪いとか言う事は、其時代の人の中身ですね。中身が良かった。今の人は中身が段々悪くなって来て、上っ側になって来た。つまり表面が、頭が良くなって来たんですね――今の人はね。それで中身が微弱になって来た。そこの異いさですね。私なんかもどっちかというと中身の方です。そこで今の人の頭の悪さ加減が、実に驚いているんです。実に頭が悪いんです。(中略)じゃ、日本人許りかというと、西洋の人が頭が悪い。(中略)だからものの見通しが出来ないですね。上っ側の智慧だからね。そういう様に上っ側は非常に良くなってますから、小利巧に今の人は言ってますがね。実に上っ面の、見え透いた事を、政治家なんか言ってますが、少し深い処や見通しなんかは全然ないですね。之は医学と同じで、対症療法と同じです。事が起ってから周章てるとね。(中略)

 だから芸術方面もそういう風になっていますね。だから今の美術が良い物が出来ないのは、頭が悪いのと経済的関係ですね。それで良い物が出来ない。それから、今の人は何うして頭が悪いかというと薬の為です。薬毒が頭に上ってますからね。それは白鳳や天平時代よりか今の人は余計薬が入ってます。然もあの時分は草根木皮でしたが、今はもっと強い薬が入ってますからね。それで今の人はあの時分より頭を余計使いますからね。使うといっても、良い事に使うのではない。心配です。心配というと、まあ税金でしょうね。税金の為に何の位頭を使っているか分らない。頭を使うから頭に毒血が上っていきます。何の位悪くなっているか分らない。近来赤痢が流行るのは、薬毒と税金なんです。赤痢は頭の毒血ですからね、赤痢の流行に税金が原因だと言っても、今の人間には到底解りっこないですよ。そんな様な訳ですから、内容に目が届き、頭が働けば根本が分るんです。

カ.頭が働くと能率が上がって無駄がないが、薬毒のため頭の働きが遅鈍だから、何でも遅く、くどく、迷い、余計なことをし、事故を起こす。

(『御教え集』第23号/S28.6.5より)

 今の人間の頭の働きの悪いといったら大変です。つまり頭の活動が鈍いからして、それが挙動、行動に現われて来るのです。(中略)その原因は後頭部、延髄にある薬毒です。(中略)それでこれは世間の事でもそうですが、私などは日常生活で、今の人間の鈍感さには驚いてしまいます。驚くよりも困るのです。それは何でも遅いのです。ノロマな事と頭の働きが悪い事です。(中略)歩くにも私は速過ぎるので、若い者と歩くにも加減して歩いているのです。(中略)それは毒が無くなると、誰も彼もというわけにはゆかないが、大抵な人はもっと早くなります。それに頭が働くと非常に能率が上がって無駄がないから、経済的に得です。

(『御教え集』第24号/S28.7.15より)

 今の人は頭が悪いというよりか、頭の働きが遅鈍なのです。敏捷に働かないのです。これはつまり頸や頭の毒のために頭の活動が鈍っているわけです。(中略)だから体が敏捷になると共に頭も敏捷に働かなければならないのです。(中略)ですから体が敏捷に働くと得です。早く分りますから、ちょっと見て直ぐ分りますから、間違いが減るわけです。だから結局毒素です。今は自動車事故とかが非常に多いのですが、これは頭が敏捷に働かないためです。というのは薬毒が頭に来ているわけです。

(『御教え集』第23号/S28.6.5より)

 職人の仕事などをいろいろみてますと、やっぱり頭の働きが悪いと余計な事をしたり余計な物を作ったりするのです。

(『御教え集』第10号/S27.5.26より)

 私はくどいのが非常に嫌いなんですね。一つの事を幾度も言われるのはね。だからくどい人には面会しない――話合わない様にしてますがね。くどいというのは何ういう訳かというと、其人は頭が悪いから幾度も言わないと理解出来ないんです。それで、人に対しても幾度も言わないと解らないと思うんです。(中略)そこでくどい人は、其人は頭が悪いと、斯う思って良い。

 之は私の自慢話になりますが、私は迷うという事がないですね。何かの問題があっても、何うしようか斯うしようかという事は――全然ない事はないが殆どない。聞いたり見たりして直ぐ決っちゃうんですがね。ですから私は買物するのが早い。デパートに行って、直ぐ之というんです。(中略)そんな工合ですから、美術館を造るにも庭を造るにも迷うという事はないですね。何うしよう斯うしようとね。直ぐ分るんですからね。(中略)そんな様な事で非常に早いですね。早いという事は頭が良いという事になるですが、私からいうと他所(よそ)の人は遅いんです。それで仕事が早く出来るから沢山出来るという訳ですね。

 

 

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