4.罪と遺伝

① 罪穢や肉体の負傷が霊界で十分に浄化されない状態で再生した場合、現世において浄化作用が行われる。

(御神書『霊線に就いて』より)

 人間再生の原理から説かねばならない。まず簡単に説明すれば、人間は死後霊界に往く、即ち霊界に生まれるのである。(中略)然るに霊界は、その人が現界において犯した種々の罪穢に対し浄化作用が行なわれ、ある程度浄化された霊から再生する。(中略)そうして人間は生前に死後の世界在るを信じない人が多いから、死後霊界において安住ができず、生の執着によって浄化不十分のまま再生する。そのために罪穢がまだ残存しているから、その残存罪穢に対し現世において浄化作用が行なわれる。(中略)また生まれ乍らにして不具者がある。例えば盲目とか聾唖、畸形とかいうのは、変死に因る死のため、その際の負傷が浄化半途にして再生するからである。

② 内臓と罪の関係

ア.愛が不足していると心臓や肺が弱る。心臓の悪い人は理性に乏しい。肺が悪いと寝汗をかく。

(『観音講座』(七)▲より)

 なぜ肺臓が弱るかと言うと愛が不足しているからである。肺は水なり。水は火によりて動くのだ。肺は心臓の熱によりて動くのである。心臓の熱の少いのは愛が少いのであるから愛の行いをすればよいのである。総てを愛するのである。その根本として観音様を拝む様にするのである。観音様を拝むと前には人が笑っておれば癪にさわるといって怒っていたのがお祭りしてから反って嬉しくなり楽しくなったというのである。これは実例なのである。

 心臓の悪い人は理性に乏しいのであります。心臓の火の燃えている原因は水分が沢山あるから、続いて燃えているのであって水が沢山ある中(うち)はよいが水が足らんと理性に乏しいことになるのである。パーッと燃えるだけだからである。観音様は火と水との働きであるから両方を程よく下さるのである。

 (中略)肺が悪いと寝汗をかくのが普通である。心は火なり。心の字は八に丶丶を横に打ってあるが、八に跨がせれば火となるのである。心臓は肺に囲まれているのである。

イ.物質を粗末にすると胃が悪くなる。感謝の生活をしている人は胃が丈夫で病気にならない。

(『観音講座』(七)▲より)

 胃の悪いのは物質を粗末にするのが原因である。贅沢を言う人の胃の悪いのはこの原因である。何んでも不味い物でも食べる人は胃は丈夫だ。総て感謝がなければいけないのである。常に感謝の生活をして居れば胃に罪は起らんから常に胃は丈夫で病気は起らんのである。心すべき事である。

ウ.腹は悪い物を濾して糞便にして体外へ、水分は小便にして腎臓へ、良い物は肝臓へ送る。

(『観音講座』(七)▲より)

 腹は地下に相応するのである。腹は地熱であるから、胃の物が腹へ下って清算される事となるので、胃へはいったものは総て腹へ下って行って清算される事となるので、ちょうど土も下へ穢い物を濾(こ)して水を下へ下して地下水となり、又汲み出されては使用されて、この様に、腹は悪い物は濾して粕は糞として下へ出し、水分は小便にして腎臓へ送る。又良いものは肝臓へ送るのである。肝臓とはこの意味からきたものである。この様にしてこれへ肉をつけ皮をつけるのである。

③ 親の世話になっているうちは、子供に親の罪が移る。

(『観音講座』(七)▲より)

 子供は何かと言うと親の世話になっている内は連絡している。この親の罪が移るのである。子供の病気は何かと言うと子が親の罪を移されるのであります。親に必要な事があっても罪があって病気になる様な時、その親を使わねばならぬ用事が出来ている為親の罪を子に負わせているのであります。親に用事がある時はその子に移すのであるが、子の死ぬ場合があるが、これは親の代りになって行くのであります。

④ 人間と祖先の関係。霊界の祖先の罪(遺伝)は、霊線によって現界人へ流れてくる。生前無信仰だった祖霊が子孫へ憑依する。祖先から子孫の脊髄へ流れてきた罪穢は下にくだって方々に行く。罪穢は普通、脊椎と尻に出る。十分に膿んだときに出せば、腫物は全快する。

(『観音講座』(七)▲より)

 人体全体の曇りはどこから来るかと言うと祖先から来るのである。祖先と現在の人間との間は霊線で繋っているのである。

 医学では遺伝といっているが、この遺伝も事実遺伝せぬ時もあるのであるから、遺伝学説も絶対とはならなかったが、しかしこの事は絶対なものであるが、その間に偉い人が出て徳を積むとその徳によりその罪が除かれるから切れて終って遺伝せぬ事になるのである。この遺伝は絶えず霊界から流れて来るのである。祖先は霊界において審判されて浄化されるからその審判され洗われた罪が現界人へ流れて来るのである。

 祖先等が霊界から飛出して来て憑るのは生前無信仰の為霊界へ行っても所属すべき団体がないので行くところがないので致し方なく出て来て自分の子供へ憑くので病気になる。

 祖先の罪穢は脊髄を中心にして来る。

 祖先―頭―脊髄―尾―子孫。

 我々は現在子孫だから尾である。男も女も皆子孫であるからこれより来ているのである。この脊髄へ流れて来た罪穢は下へ降って方々へ行く。頭、目、鼻、心臓、腎臓とどこへでも行くのである。脊髄は万病の源である。

 万病は自然に癒るが、それにつき痛み、熱、痰、毒血を吐く。腫物、下痢、毒血の下るのは赤痢であるから毒血が出て終えば一日位で癒る。罪穢は脊髄の三分の一位の所と尻へ出て来るのが普通である。

 (中略)曇りの濃くなったものを溶かす為に心臓が太陽熱を吸収して曇りへ送ります。曇りへ太陽熱が送られるから熱が出る。それにより腫物になって毒が出るのである。この毒の体外へ腫れ出た時充分膿ませるのである。充分膿むと図の様に外部へ突出して来る。そして自然に吹き切って膿が出て癒るのである。

 この状態になった時ならば、切っても良いのであるが、充分膿んだ時切れば、全部毒が出て終うから忽ち全快するが、医者に切って貰うにも充分毒が出て来て突出た時ならば全快するのであるが、医者は直ちに切開するため、未だ奥の方に沢山膿があるのを外部だけ切り取るから、又その隣へ毒が出て又腫物が出来るのである。又切れば又出来る。何回でも繰返すのである。充分出た時切れば一回で治るのである。観音力で治せば浄化するから痛まず癒り、膿が淡(うす)くなるから早くなるのである。

⑤ 曇りは、祖先と自己の罪穢によって霊体の弱いところに出る。弱い所でも、善に使えば強くなり、悪に使えば弱くなる。

(『観音講座』(七)▲より)

 曇りはどうして出るかと言うと、霊体の弱いところへ出るのであるが、その原因は祖先のと自己の罪穢であって、なぜ曇りが弱いところへ出るかと言うと、同じ頭を使うにしても善に使うとか悪に使うとかで差が出来るのである。

 悪に使えば頭が弱くなる。又善に使えば強くなるのである。発明家は強くなる。

⑥ 相手が罪を許せば大きい影響はなくなるが、神様が許したのでなければ完全ではない。

(教えの光『謝罪による減罪』)

(お 伺) 

 自己の不徳のため、相手に迷惑を及ぼしたので之を謝罪し相手も許してはくれたものの尚且つ自己の良心に責められる場合、安心を得られる悟りにつき御垂示下さい。

〔御 垂 示〕

 相手が許したら罪は大方消えているが、それで全部が消えた訳ではない。真の裁きは神様がなされるのだから、神様が許したのでなくては完全ではない。先方が許せば怨みの霊が来なくなるから大きい影響はなくなる。恰度法律に触れる様な罪を犯した場合、悔改め自首しても刑罰は軽くはなるが無罪とはならない。それと同様である。

⑦ 意識的に行う罪と、知らずに行う罪

(S27.9.26)

 けれども罪の中でも、意識的に行なう罪と、無意識に知らず知らず行なう罪と両方ある。それで意識的に行なう罪は非常に重いのです。それは現界の法律と同じです。知らず知らず行なう罪は、悔悟してお詫びをすれば許されるものです。それで今 仏教の方の偉い人の罪は、知らず知らず良いと思ってやった罪だから非常に軽いのです。それと同じような意味において、医学ーお医者さんも、気持ちは善ですからー動機善だからして、そう深い罪ではないのです。気がついてお詫びして、今度は別の本当の働きをすれば許されるのです。けれども罪は罪ですから、やはりそうとうの代償がなくては許されないのです。

 これは別の話ですが、お医者さんの子孫というものは、まことに不運です。これは良く見ると分かりますが、こういうこともそういう現われです。そんなようなわけで、つまりこれからいろんなことも、そんなような現われが非常にあるのです。そこで仏界の偉い人たちが今度お詫びするとともに、その代償として大いに働かなければならない。すると、今にいずれ京都に美術館も造りますから、そんなような意味で非常に働いて、具合良くいくわけです。

⑧ 肉体を脱出した霊が第二天国で霊体の罪穢を払拭され、死線を超えた例。

(『死線を越えた話』/自觀叢書第九編『光への道』)

 私が治療時代、某会社重役の夫人(三十歳)、から重病のため招かれた事があった。勿論医師から見放されたのであって、その家族や親戚の人達が是非助けて欲しいとの懇願であったが、その患者の家が、私の家より十里位離れているので、私が通うのは困難であるから、兎も角自動車に乗せて私の家へ連れて来たのである。その際、途中に於いての生命の危険を慮り夫君も同乗し、私は車中で、片手で抱え片手で治療しつつ、兎も角、無事に私方へ着いたのである。

 然るに翌朝未明、付添の者に私は起こされたので、直ちに病室へ行ってみると、患者は私の手を握って放さない。曰く、「自分は今、身体から何か抜け出るような気がして恐ろしくてならないから、先生の手に捉まらせて頂きたい。そうして妾はどうしても今日死ぬような気がしてならないから、家族の者を至急招いて貰いたい。」というので、直ぐに電話をかけ、一時間余経って夫君や子供数人、会社の嘱託医等、自動車で来たのである。その時患者は昏睡状態で脈搏も微弱である。医師の診断も勿論時間の問題であるという事であった。そうして家族に取巻かれながら、依然昏睡状態を続けていたが、呼吸は絶えなかった。終に夜となった。相変わらずの状態である。ちょうど午後七時頃、突如として目を開き、不思議そうにあたりを見廻しているのである。曰く、「私は今し方、何ともいえない美しい所へ行って来た。それは花園で、百花爛漫と咲き乱れ、美しき天人が大勢いて、遥か奥の方に一人の崇高き、絵で見る観世音菩薩の如き御方が、私の方をご覧になられ微笑まれたので、私は思わず識らず平伏したと思うと同時に覚醒したのである。そうして今は非常に爽快で、このような気持は罹病以来、未だ曽て無かったと曰うのである。そのようなわけで、翌日から全然苦はなく、否全快してしまって、ただ衰弱だけが残っていた。それも一ヶ月位で、平常通りの健康に復したのである。

 右は全く一時的霊が脱出して天国へ赴き、霊体の罪穢を払拭されたのである事は勿論である。そこは第二天国の仏界である。

⑨ 人間の悪の心言行から発生する曇りを消滅するには、善の心言行。讃美歌、読経、祝詞などの善言讃詞は、霊界清掃に幾分かは役立つ。

(『低気圧は人災なり』より/自觀叢書第12編『自觀説話集』)

 抑々、低気圧とは何かというと、それは地上の空間即ち吾等が言う処の霊界の清掃作用である。何となれば、霊界と雖も常に汚濁が堆積する。(中略)一体汚濁とは何であるかというと、それは人間の想念と言葉と行為によつて作られる曇りである。即ち人間の悪の心、言行が、眼に見えない霊界に影響する。その結果霊界に曇りが発生するのである。(中略)併し乍ら右の曇りを消滅させる方法があるかというに、それは至極容易である。即ち右と反対の方法をとればいいのである。言う迄もなく人心が善化し善の言行である。即ち悪によつて曇らせられたる霊界を、善によつて晴らすのである。此場合善は光となつて曇りを解消する。例えばキリスト教に於ての讃美歌の合唱も、仏教に於る読経も、神道の祝詞も何れも善言讃詞であるから、霊界清掃に幾分かは役立つのである。故にもし右の如き善言讃詞がないとしたら、今よりも一層大きな低気圧が発生する訳である。

⑩ 罪穢に関する用語

ア.三毒、五濁

 三毒・五濁ともに、つみけがれということ。

 三毒……貧(とん)、瞋(じん)、痴(ち)。

 五濁はいろいろな罪穢……劫濁(こうじょく、時のケガレ)、煩悩濁、衆生濁(悪人のケガレ)、見濁(種々の悪見を起す)、命濁(寿命が縮まる)。

⑪ 遺伝と罪に関する事例

<事例1> 神様のご守護があったから、明主様は日蓮の行者との出会いから薬毒に気づかれた。いろいろと罪穢れがある家で、神様のご守護がないから、医者にやられて命をなくす罪がある。

(『御教え集』第3号/S26.10.11)

(お 伺) 妻チエ子(三十五歳)昨年七月肺浸潤と診断され、弟栄(三十二歳)も昨年十一月肺門淋巴腺及び肋膜と診断され、色々と療養致しましたが、思う様に快復の見込みもなく、本年一月七日大本教に入信。大本教の御神体も祖霊神もお祀り致しましたが、病状は日に日に悪化して行く許りで、迷っている処に救世教のお蔭をお伺い致し入信。妻と弟を浄霊させて戴き、一週間位で御守護を戴き、絶対安静を宣告された妻も弟も起上り、散歩するようになり、弟は好きな魚釣りに行ける様な元気になり、五月に妻と弟が入信。六月には弟の妻も入信させて戴きました。五月中旬頃より、弟が浄化を戴き左右全体が浮腫し、激痛が伴い、浄霊を戴くと少しは楽にさせて頂いて居りますが、最近腹部が腹膜状態に浮腫み、呼吸も苦しく、右側を下にして寝ると楽ですが、上向きや左側を下にして寝ると苦しみます。七月二十日に御神体並に御屏風観音様も御祀りさせて戴いて居ります。尚大本教の御神体は大光明如来様の右前に安置させて戴き、大本教で祀った祖霊神は新しく位牌を作って、仏壇にお祀りさせて戴いて居ります。尚先祖に、祖父が四十三年前水溜りに身体に石を括り附け自殺致し、姉も十八歳より癲癇にて十五年前、三十一歳にて死亡、妹(三十六歳)は十八歳より精神病に罹って居ります。右弟の御浄化は霊的なものと存じますが、御浄霊の重点に就き御教え御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 之は霊的ではありませんよ。やっぱり薬毒ですよ。薬が溶けて下って来たのと、先に下がって足に固まっていたのが溶けて来たのと――両方ですね。之は浄霊すれば、段々良くなります。腹膜状態――之も薬毒ですよ。右側を下にする――と言うのは、右側の方に溜っているからです。それで左側を下にすると、肺を圧迫するからね。之は肺から胸の方にかけて溶けている。それから、上向き――と言うのは、胸の方に毒がある為、上向きになると圧迫するから苦しい。之は気長に、段々溶かしていけば治りますがね。

 色々と大分罪穢れがある家ですね。処が、腹膜の為―に病気で苦しむんじゃないんですよ。之は面白いのです。病気で早死にするのは、医者にやられるんですからね。医者の思うが儘にやられて命を無くする―と言う処に罪がある、と言うのは、御守護が無いんですね。医者の思うが儘にやられる。それに気がつく様な何かが起らないと言うのは、神仏の守護がない。守護があると、教えて貰える。守護があると、知らされて喫(吃?)驚りして医者を離れて助かる。間接でなくて、結果に於て罪が禍すると言う訳ですね。この例として―良い例がある。私が、今から三十六年前に、歯で悩んだと書いてありますが、凡る東京中の有名な医者に行って―何しろ四本痛むんですからね。それは薬毒の為だったんです。それに気がつかないで、益々方々の歯医者に行って薬をつけた。終いに、有名なアメリカ帰りの歯医者ですが、私の知っているだけの薬は皆んなつけたが駄目だ。私の友達が来月アメリカから帰って来るから、何か新薬を持って来るかも知れないから――と言うんです。それで、頭が段々変になって来て、発狂するか、自殺するか、どっちかの運命だ。と言うどん詰りになった。処が時々来る人で、日蓮宗の行者で素晴らしい人で、どんな病気でも治る。と言うので、一ぺん行った。すると、一週間やって御覧なさい。その間は歯医者に行ってはいけない。と言うので、歯医者を止して、東京から毎日横浜に通った。そうすると、四日目かに、汽車に乗っていると、今迄幾月にもこんな事はない。良いんです。行者の行が效いたんではない。その時ふっと思ったのは、歯医者で薬をつけた。その為ではないかと思った。行者で治ったと言う形跡はないんですが、兎に角薬が原因と言う事が分った。それで、薬を()めて嗽をしたりしていると治って来た。今日でも、未だですが、今では慣れたんです。今でも、話がはっきりいかないと言うのは、痛むんで加減してやっているからです、日蓮宗の行者にめぐり会ったと言う事が御守護です。無論、神様がやられたんですがね。将来、私には重大使命があるので、助けて下さったんですがね。その時にはじめて、薬と言うものは恐ろしいものだ。薬毒と言う事も知らなかった。そうすると、今日人を助ける事が出来なかったかも知れない。神様の御仕組と言えば、御仕組ですね。それからと言うものは、風邪引こうが、扁桃腺の持病がありましたが、薬をつけないで、医者にもかゝらないで、段々丈夫になって来た。そうすると、西洋医学は間違っていると言うので、医学衛生のあべこべにやったんです。そうすると、どんどん丈夫になった。自分の体で、医学の間違っている事が判った。ですから――腹を冷やしてはいけないと、昔から言うが、それで、温めずに冷やした方が良いと思った。私の子供なんかは、昔から一人も腹巻をさせません。そうすると、以前はよく下痢なんかしていたのが、温めない様になってからは、下痢なんかしなくなった。だから、今でも言うんですが、丈夫になりたいと思ったら、医学の反対をすると言うんですね。

<事例2> 癌や中風など、体質は遺伝する。

(『御教え集』第1号/S26.8.28)

(お 伺) 私は昭和廿五年頃より食慾減退・便秘・口がにがく、医者の診断は十二指腸潰瘍との事、医療売薬を服用し良くならず、七月十五日より御浄霊を戴き八月十八日に入信致しました。現在は食慾もあり便通もよく、唯口のニガミと腹部。お臍の周囲に凝りがあります。母親と兄が胃癌にて死亡致して居ます。霊的関係がありましょうか。謹んで御伺い申上げます。

〔御 垂 示〕

 霊的関係じゃないですね。遺伝ですね。よく言うが、代々の遺伝性があるんですね。この人はそう言う訳ですね。朝顔だって赤い花が咲く種を播くと、赤い花が咲きますが、それと同じで、体質も遺伝して来ます。癌とか胃癌とか中風とか、そうですね。霊的関係じゃないんです。気長にやれば治りますよ。出来るだけ背中の方をやるんですね。臍の後の方です。そうすれば大丈夫です。

<事例3> 夫婦共浄霊を頂いていたなら良いが、片方だけなら遺伝するが、母親と父親では異なる。善徳を積むと遺伝があっても起こらずに済み、悪行をすると遺伝がもっと大きく出る場合もある。

(『御教え集』第1号/S26.8.28)

(お 伺) 昭和二十四年二月三日に七カ月で男子早産致し、子供は石の指図で一日おきに栄養注射をして居りましたところ、二月十一日早産児メレナで死亡。一年半後再び妊娠いたし非常に元気で居りましたが、二月一日六カ月で早産致しました。前回の時は三日間の難産で御座いましたが、此度は軽く済みましたが子供は直ぐ死亡致しました。産後一カ月後出血甚だしく、驚き病院に参りましたところ後産がの取っていましたので掻爬手術を致しました。その際前回出産の時の子宮孔の頸管裂症(傷?)の症(傷?)痕を発見いたしました。その後一週間致してから非常に動悸が致し息苦しく、大阪医大病院にて診断して貰いましたところ別に原因はないと言われました。その時腎臓が痛み尿の検査をしましたところ別に異常はなく、鎮静剤の服用により治りましたので、再び婦人科に通っておりました。頭痛、耳鳴り、顎がだるくなり、二、三日するうちに両耳が痛み、外耳炎とのことで注射、湿布を致し、一週間後耳痛は治りましたが、耳鳴、頭痛はとれず頭に重い物を被った感じで、再び息苦しく睡眠が取れず睡眠剤を用いておりました。その間親不知が欠け歯科で抜き(両方)ました。内科では頸官裂症(傷?)の手術をすると治ると言われ、三月十七日縫合手術をいたしました。尚歯の方は歯槽膿漏になり、ペニシリン約十本注射し、そのうち歯が痺れて来ましたので、ビタミンgの不足と言われ注射を続け、その間内科でレントゲンをとりましたが胸は異常なく、息苦しくなる原因は判らず、背中が痛みますので診て頂きますと、原因不明の神経痛といわれ、最後に余り激しい頭痛と息苦しさの為、神経科に行きますと、子供を失ったショックによる神経衰弱が原因で、他の症状も之がためと言われました。暫く鎮静剤を用いて居りましたが治らず、知合の方よりこのお道を聞き五月卅一日初めて御浄霊を受けました。その後夜眠れる様になり食慾も出て大分元気になりましたが、頭の重いのと息苦しさは続き、背中の痛み咽喉のつまる様なのは去らず、大垣の中教会本部に泊めて頂いて、一週間の浄霊を受けましたが未だ治りません。お盆八月十三日に主人方、私方及子供二人のお位牌を。御屏風観音様奉斎して参りました。主人は七月一日入信、私は六月二十日入信。その後御浄霊は主人、先生より毎日受けて居りますが、余りはかばかしくありませんので案じて居ります。喉のつまるのは霊的でございましょうか。

 御浄霊の個所を御教示御願申上げます。

〔御 垂 示〕

 之は栄養注射をした為に死んだ。原因はない――原因は医学だ。とは言いませんからね。良く分る様にしなければならない。外耳道炎――随分色んな名前が出るんですね。ビタミンCの不足――堪らないですね。位牌はあったんでしょう。

 「御座いませんでした。

 ないのか、それはいけません。あなたですか、

 「はい」

 よく生きてますね。之ははかばかしく行きっこありません。こんなに薬を入れていてわ(は?)ね。之を取らなければね。だけども、必ず良くなって来ますからね。気長にね。急いで、浄化が急に来ると苦しいから借金なら月賦で返した方がいいです。一生懸命に病気を治そうと思って増やしたんですね。

 「御伺事項の名前は、その家族と、浄霊している資格者と、どちらの名前を書いた方が宜しいでしょうか」

 教師と病人の両方の名前を書くのが本当です。

 「さっきの体質遺伝で御座居(い?)ますが、子供が生れる以前は丈夫であった場合は如何でしょうか」

 同じ癌でも、症状が現われていない。それが、日が経つに従って体質も育つから、それで分って来る。

 「症状が出なくても、子供に伝わりますのでしょうか」

 大したことではなく済む人もあるし、親ぐらいになる人もあるし、親異常になる人もあるし、色々ある。

 「浄霊を戴いて、経過が良くても、遺伝致しますか」

 夫婦共なら良いが、片っ方だけならする。遺伝にも――母親の方と父親の方とは違うから簡単には言えません。それから、徳を積むと遺伝があっても起らずに済み、間違った事をすると、遺伝がもっと大きく出る場合もある。そう言う点もあります。

<事例4> 人の目を晦ましたなど、祖先の罪穢により、目の怨みが膿となって出ている。目の毒が大分溶けて出つつあるから治る。浄霊は目と後頭部の真中頃、頸の廻り。

(『御教え集』第7号/S27.2.26)

(お 伺) 古田五男の長男春明(五歳)生れた時より、目が青黒くどんより濁り、全然見えないとも思われませんでしたが、三歳頃よりは絵本等も目の側迄持って来て、やっと赤白の見分けが、つく時とつかない時もある程で、殆ど見分け出来ません。其頃より目の玉の真中にチョボチョボが一杯出来、御浄霊を致しておりますと、真中で水腫れの様に白く腫れ上り、一皮むけば直ぐにでも見える様な感じが致しておりました。会長先生の御浄霊を戴き、中京別院にお詣りさせて戴き、少し良くなり、大きな物は二尺位先でもボンヤリ見える時もある様になりました。初めは伏せてでないと寝れず、太陽もまばゆくて見えず、始終下許り見て居りましたが、最近は大分良くなりました。御浄霊の方法及び今後如何させて戴きましたら宜敷いでしょうか。又、霊的に関係が御座いましょうか。私共夫婦は昭和二十一年七月入信させて戴き、光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴いてを(お?)ります。尚、この目の時一回丈医診を受けましたが、薬は生れてから一回も入れておりません。右御垂示御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 之は治りますよ。之は、目に毒が固まっているんですからね。之は大分溶けて出つつありますがね。大丈夫ちゃんと治りますからね。安心して居て良いですよ。霊的もありますがね。霊的と言うよりか、罪穢れですね。祖先の誰かが人の目を晦ますとか、そう言った様な目の怨みですね。その為に、その怨みの霊がつまり膿になって出るんですね。で、浄霊は目と後頭部の真中頃――そこを浄霊すれば良いんです。それから頸の廻りも、固まりがある処があるでしょうから、そこをやると、それで良いですね。

<事例5> 信仰に入っているのに狩猟で殺生をした事への神様のお気付け。ここで止めて、よくお詫びし、できるだけ人を助けることを誓って殺生の罪を償わないと、何か起きる。

(『御教え集』第5号/S26.12.11)

(お 伺) 昨年一月入信の者で御座います。銃猟が趣味で、毎年冬の山野を歩くのを楽しみと致して居ります。十二月一日、三連発の猟銃の廻転が悪いので、実弾(散発三百発入)をこめて、安全装置をして、「いろり」の側で調べて居りましたが、銃口を上にして一、二回下に突いて見ましたが、具合が悪いので、銃口に左の手をあて力を入れて下に突きました瞬間、弾が爆発して手の平をつらぬき、屋根裏をぶち抜き、飛び散りました。傷は手の平に一寸、手の甲は二寸程碎けて口を開けて、白い筋の様なものが飛出し、勿論骨は砕けたものと思われます。御浄霊を戴きまして経過は良くさせて戴いて居ります。今後の御浄霊に就き御垂示の程御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 之は驚いたな。信仰に入っていて、そんな殺生するなんて飛んでもない。だから、神様のお気附けですよ。まあ、何ですね――こう言う狩猟するのは、信仰()めてやるか、信仰に入っている以上は、絶対にやっちゃいけないですね。やっぱり、こう言う殺生すると、必ず祟って、碌な事はないですよ。之は、止めろと言う神様がされた事だから、非常に結構ですよ。良くお礼を言って良い。それで、之を止めないと、今度はもう一層ひどいのになります。之でもか之でもかとなりますよ。之で止めて、良くお詫びして、之から出来る丈人を助けるんですね。そうして、その鳥を殺生した罪を、それによって償って貰う。そうするのが一番良いです。それから、御浄霊は自分でやっても良いですから、あとは良くお詫びするんだ。之からはもうしない。そう言う事は絶対にしないと言う事をお誓いするんです。それが根本ですよ、そうしないと、又何かありますよ、だから非常に結構です。

<事例6> 不純な男女の罪は子供の命に来る。それが関係して浄霊しても治りが悪いから、主人が改心しなければならない。光明如来様をお祀りして罪穢のお許しを願い、一家が天国になるようよくお願いする。

(『御教え集』第8号/S27.3.16)

(お伺) 佐藤ひで子(十六歳)小学校に入学の時身体検査で心臓弁膜症と言われ、運動を避ける様に言われ、体操等は休んでおりましたが、通学には差支え御座いませんでした。一年の時先天性心臓弁膜症にて治療方法も薬も全然ないから、安静を保つ様にと言われ、其通りに致しましたが変化は御座いませんでした。昭和二十三年お道を知り、私(母)とひで子が入信させて戴きました。翌月俄に高熱が出、頭痛、腹痛があり、御浄霊させて戴き、熱は下り痛みも楽になり、平な道は歩ける様になりましたが、少しの坂道でも息切れが激しく、歩行困難となり、顔、唇は紫色に変ります。最近特に激しく、平な道でも右様になります。本年二月十一日俄に全身が浮腫み、息切れ激しく、胸部より下腹部にかけて膨満甚だしく、心臓背部に卵大の固結が御座います。食欲は余りなく、一日に茶碗二杯位で御座います。小便は一日に四、五回御座いますが、量は少ない様で御座います。両頬、唇は紫色になり、手足は常に冷えております。私は後妻で御座いますが、先妻は心臓病で苦しみ、大正十三年三十三歳にて、産後十三日目に死亡しております。子供は四人御座いましたが、最初の子は生後三日目に、二番目は廿日目に他界し、三人目が現在御浄化を戴いております、ひで子で御座います。四人目は生後三カ月目に急性肺炎で死亡致しております。主人は反対は致しませんが、入信する気持はなく、女道楽にて妾がある様で御座います。ひで子の妊娠中医師より、先の子供が二人共生後間もなく死亡しておりますので、サルバルサンを射つ様に言われ、六本射っております。この御浄化は霊的で御座いましょうか。御浄霊の急所に就き御教示の程御願い申し上げます。尚、光明如来様を御奉斎申し上ぐべく御願い致しております。

〔御 垂 示〕

 之は、信仰雑話に書いてあるでしょう。不純な男女の罪は、子供の命に来ると言う事は、信仰雑話にあるでしょう。その通りです。だから、婦人に対する不純関係ですね。その罪は子供に来るんだから、やっぱり、どうしても死にますよ、御主人が改心しなければね。そこで、現在のひで子と言うのも、やはりそれが関係してますから、浄霊しても治りが悪いんですよ。之は、光明如来様をお祀りして良く御願いするんです。そう言った、色んなややこしい罪穢をお許しを願って、そうして一家が天国になる様に――そう言う事を御願いする。そうして、ひで子と言う人の病気は、大体背中の固まりですね。之を溶かす。誰が浄霊しているんですか。

  「本人の母が致しております」

 そうしたら、力を入れない様にね。力を入れちゃ駄目ですよ。力をうんと抜けば、固まりが溶けますよ。之が溶ければ――之が(もと)だから――大丈夫です。

<事例7> 家に色んな罪穢があるから、一生懸命に信仰して人を救っただけずつ、罪が減って万事が良くなっていく。

(『御教え集』第8号/S27.3.17)

 (お伺) 三橋勇太郎(四十四歳)四男忠夫(四歳)昭和二十五年春頃より、首と手足を瞬間的に収縮させ、癲癇の様な状態が毎日一、二回発作的に起り、御浄霊は致しておりますが、八月十三日には手足を硬直させ、目をむき仮死の状態となり、祝詞と御浄霊で御守護戴き、二カ月余り続きました。二十六年一月頃より発作も軽減致しました。現在一人歩きは出来ませんが、這歩き、泣きます。言葉は言えません。知能は生後三カ月、動作は八カ月位で睡眠は一日五、六時間で御座います。大光明如来様、御屏風観音様は御奉斎させて戴き、二階を教会としてお使い戴いております。父は腎臓炎と心臓麻痺で、母は家庭の不和から鉄道自殺、長男は肺炎、次男は腸炎にて、夫々死亡致しております。又店の者が蛇を殺した事があり、入信後自己判断で処分致しております。後妻も腎臓炎で死亡。三男は死の直前にお道に救われました。この時仏壇の繰位牌を改めました。此れ等と特に関係が御座いましょうか。御教示お願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 此家は色んな罪穢があるんですよ。ですから、一々何がなんだと言う事は面倒ですから――必要もないですし――一生懸命に信仰して人を救えば、それ丈づつ罪が減っていきますから、万事が良くなっていくと言う訳です。そう言う考えになって居れば、大変結構ですよ。霊体、罪――色々ありますよ。

 

 

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