(お 伺)
観音力、観音行、観音心に就て。
〔御 垂 示〕
観音力とは観音の発揮する力であって、此観音力を戴けば人間が之を発揮する事が出来るのは、諸君が無数の奇蹟を行っている事実によっても明かである。ただ其際人により発揮する力の強弱の差別はある。
観音心とは観音の大慈大悲の御心であり、その御心を心として体現する事が観音行である。特に観音心行に於ては絶対に人を咎めてはならぬ。此人を咎めるのが一番いけないのである。
御讃歌に菩薩行という事があるが、菩薩とは仏教では覚者を指すのである。この菩薩までは誰でもなれるのであるが、如来には容易になれない。如来も無論印度の位で、尊者、菩薩、何々天、如来・明王という位がある。菩薩行とはその菩薩になるまでの行をいうのである。
観音様の事を無凝(碍?)光如来とも応身弥勒ともいうのであるが、之は自由無碍、円転滑脱、行詰る事のないお働きをいう。又応身とは、相手に応ずる事で、時により、所により、人により凡ゆるものに感じ千変万化の行をするので、三十三相に化現されるというのも、応身のお働きを示したものである。であるから観音行に於ては、先づ応身することが出来なくてはいけない。そして本当に観音行が肚に入ればどんな事もうまく行くのである。
観音様は一面非常に勇猛な点もあるので、最勝妙如来という御名もあり、又馬頭観音のお働きもあるが、此場合は獣になられて悪鬼羅刹を克服されるのである。
神様の事は悉く極めて合理的であって、神様のなさる事やお許しのある事は必ず肯けるべき理窟がある。従而人間の行動も無理がないと共に理窟が立たなくてはいけない。然しそれは決して窮屈に考えるのも感心出来ない。要するに信仰は当然の事を行えば良いのである。よく「果報は寝て待て」というが、あらゆる事は決して焦ってはいけない。寝て待つ位な常にゆったりした気持でなくてはならぬので、そうすれば物事がうまくゆくという事で、これも観音行の一面である。
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