(お 伺)
邪神は殊更正神らしく見せかける様に思われますが如何でしょうか。
〔御 垂 示〕
之は無論そうであって、最初から邪神と判られては人間の方で警戒するから、邪神の目的は立たぬ。どこまでも正神と見せかけて間違った事、悪い事を、善い事、正しい事の様に思わせるものである。邪神はいはば人間界の詐欺師のようなものである。これを認識しないと邪神の術中に陥るのであるから、余程はっきりとした眼識をもたねばならぬ。
私の「信仰雑話」をかいたのも、一つはそういうものにしっかりした判別力を植付けるためのものでもあるから、どうしてもこれによって智慧証覚を磨かねばならぬ。随而邪神の言動は立派に見えても必ずどこかに欠点のあるもので、容易には見破り得るのであるが、人間はその判断がつかぬため他愛なく騙されるのである。例えば共産主義の如き之は自己の階級だけを愛し、他を打倒しようとする間違ったものであるが、主義者は之こそ大衆を救う唯一のものであり、絶対の真理だと信じてやっている。それだけに又非常に強い処がある。
又社会主義の如きもそうで、之が本当のやり方で之によって社会は救われると信じ切っている。此主義によると、愚者も、智者も、悪者も、偉人も平等に取扱はうとする。そこに不公平がある。大自然を見ても一切に自ら階級がある。偉人とか智者は、社会からそれ相応の地位を与えられ、優遇さるべきが本当であって、それによって社会、秩序が保たれる。又社会主義は人間の競争心をなくそうとするが、之は、文化の進歩を阻害する事になる。競争心があるんで進歩発展するのである。次に資本主義も甚だ間違っている。之は、金力を以て大衆の幸福を蹂躙する事になるからである。どうしても全体が幸福を得るという、全体幸福主義というような新しい思想が生まれなくてはならない。そこ迄文化が向上する事を念願として進むべきである。
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