(お 伺)
神は浄化を下し給うて御救い下さる反面、苦痛をも与え給うのは罪業の許しの意味でしょうか。又浄化と関連して死が与えられるという事は、如何に考えるべきでありますか。
〔御 垂 示〕
罪業の払拭は苦痛によって行われるものと、神に縋る事によって楽に済む場合とある。前者は無信仰者の場合であり、後者は信仰者の場合である。
神からの救いの綱が下っても、それを摑む事の出来ない人は罪穢が多すぎ、霊体が重くて摑むことが出来ないのである。然るにその後浄化のため、病気、災難等の苦痛が起り、それによって罪が減るから霊が軽くなり、救いの綱え(へ?)手が届く事になる。その様な訳でいくら良い教を説いても、救いの綱に摑り得ない人は、その罪の減る迄時期を待つ外はない。その時無理につかまらせても落ちてしまう。然し右の場合浄霊を受ければ楽に早く浄化される。
浄霊によっても死ぬのは、多くの場合心から神に縋らないからで、その人の信仰のどこかに不純な点がある事が多い。一切を擲って神に縋る人は不治とみらるる病も大抵は助かるものである。信仰の浅い人は危険の場合迷いが生じ易いので、その途端に神の救いの綱が切れるのである。
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