(お 伺) 現在腹部の大浄化を戴いております金子松次郎(五十二歳)と申します未入信の者に就き御伺い申上げます。
以前から肩の痛み及び頭痛持ちで御座いまして、痛みます度にトンプクを服用し、トクホン貼付を続けて参りましたが、一昨年十一月頃猛烈な胃痙攣を起しまして、其後一年間は大した変化なく過して参りました。
昨年十二月頃より胃の左上部がシクシク痛み始め、本年四月頃より痛みが日増に加わりましたので、五月下旬に入院致しました。医者に肋膜に水が溜ったと言われ、ストレプトマイシンを十四本打ちましたが何等変化が御座いませんので、六月七日に退院致しまして翌日より都内の某国立病院に入院致しました。其頃より一日一度位、猛烈な胃部の痛みを憶え、特に七月初め頃より一日五、六回の強痛となりましたので、その度に注射で麻痺させるより外ない状態となりました。
病院で調べましても原因不明で、医者も外に手の施し様もなく、毎日痛み止めの注射をしつゝ過しておりました処、漸次衰弱して来まして七月初めには最早一カ月の生命と、宣告を受けるに至りました。
七月七日より毎日御浄霊を戴く様になりまして、某日から強痛は遠のきました。大変に喜びまして本人の妻と姪が入信致しました。そして約十日後に衰弱重態の中を退院致しました。以後、毎日御浄霊を続けさせて戴いておりますが衰弱甚だしい状態で御座います。現在、胃左上部の固結、鳩尾部及び右肝臓部の固結を相当に溶かして頂きましたが、最近は一寸でも水や食物を頂きますと、直に腹部が膨満して、ハチ切れる程にふくれ上り、ゲップにより食物を戻してしまう事も御座います。
腹部がふくれ上った時は御浄霊を戴きますと楽にして戴きますが、別にはっきりした御浄化はございません。
現在、背部、横側特に左側が局部的にむくみ、又左肺の胸は呼吸の折、殆んど動かぬ程にむくんでおります。胃部の張る苦しみは、御守護によりまして一日おき位に参りますので、いくらか耐え易く本人も喜んでおります。家族共に一心にお縋りしております。御守護の程御願い申上げますと共に、どの様に御浄霊させて戴きましたら宜敷う御座いましょうか、御伺い申上げます。
〔御 垂 示〕
中教師か――何の様に御浄霊なんて、今この様な事聞く様じゃ仕様がない。背中に毒が固まっている。特に肩の所。何時も云う通り、お腹が痛い時、何うしてもここ(お腹)をやるが、そうではない。背中が楽屋になっている。前の方は舞台になっている。之は背中をやれば治ります。之は薬毒ですからね。之はお医者様がこしらえた病気で何でもない。実際恐ろしい世の中です。実際こんな事では命に関わります。こんな事で―段々病気を作って、金を使って、――金を使う自殺です。こんなに金を使うより三原山に行った方が利口ですね。苦しまないで一ぺんに済んでしまう。こんな馬鹿らしい事するのがつまらないのでね。宗教迷信どころじゃない。医学迷信が、先ず世界的の大迷信ですね。だから、之は殆んど背中ばかりやって良いんです。それから腎臓です。腎臓も大分萎縮しているから。それからお腹が膨れるのは薬が溶けて膨れるのですからね。薬毒が溶けて膨れるのは随分あります。中には腕だけ膨れるのも随分あります。それから、足に薬が流れて足が腫れるのがありますから。この人は胃の薬を多く飲んで、それが溶けて胃に固まるんですから、之は相当の間かかります。衰弱さえうまく堪えて行けば必ず治ります。無論嘔吐もしますからね。薬を吐くんです。然もモヒの注射をやってますからね。相当衰弱しますよ。だから、きっと治るとか、治らないとか見当がつかない。私が薬を飲ましたのなら見当がつきますが、他の人が飲ませたのだから。薬の分量が少なければ良いが、ある薬を出すだけの期間持って居れば良いが、持つ事が出来なければいけない、と云うんです。然しこう云うのは割合助かるものですがね。肺の方と違って胃の方の病気は体が持ち易いんですね。そうして、出来るだけ側の人が御神書を聞かせる様に――そうすると霊的に清まりますからね。
【御 教 え】
婦人病の中の不感症ですね。あれに就て深くかいてある。恐らく医学でもあの説明はつかないから――本当は重大問題ですがね。事が事だけにね。
婦人病ですがね、あれは全部薬毒ですね。あれが段々――始終下におりて行く。それが下に溜る原因は簡単なものです。それを知らないから薬で治そうとして薬を飲むから、結極(局?)何時迄も治らない。それだけ分っただけでも大したものですね。
(御論文「信仰の自由」)
信仰の自由
(栄光一二一号)
宗教が異う為に、救われる機会に恵まれ乍ら救われなかったりする例がよくある。というのは宗教によっては他宗に触れるのを非常に嫌い、それが大きい罪悪のようになっているからである。これは全くその宗教に力のない事を表白している証拠で、言い変えれば信仰の自由を拘束する一種の信仰封建である。というのは、本当に立派な宗教ならば、他の如何なる宗教へ触れても、迷いの生ずる懸念などあり得ないから、安心な訳である。だから私はどんな宗教でも触れていいばかりか、寧ろ大いに研究される事を希望するのである。その結果若し本教以上立派なものがあったら結構だから、その信仰へ自由に転向してもよい。何となれば、より良い宗教程救われる可能性が多いからであって、その行為は正しい訳で、正神ならば決して御尤めなどある筈はないのである。
処が世の中には、他宗に転向すると罰が当って病気や災難が来るとか、酷いのになると一家没落するなどと言って嚇すが、こういう宗教こそ邪教である。元来正神の御心は公平であり、人間には選択の自由を与えられておるので、正しい意味による改宗なれば、神様は御喜びにこそなれ、御尤めなど決してないのである。例えば茲に一人の妻女があり、その婦人は才色兼備にして申分なく、自分も自分以上の女性は天下にないという自信があるから、仮令夫が何処へ行っても、どんな女に接近しても、一向心配はない筈である。世間に女は大勢あっても、自分程の者は二人とないと安心している、というのと同様の意味である。
処がそういう宗教は、恐らく世界に一つもないといってよかろう。としたらそれ丈でも本教の価値は分るであろう。では何故本教がそれ程の確信があるかというと、実はキリストや釈尊はじめ多くの聖者達は、最後に本教が出て万人を救うという事が分っているからで、その事を予言迄された位である。としたら今までその信者達も、それに気がつきそうなものだが、未だ時期が来ないとみえて、そうはならないのは遺憾である。処がまだ始末の悪い事がある。それはキリスト教で言う本当の救世主が現われる前に、偽救世主が出るから注意せよとしている。それが為仮令本当の救世主が出たとしても、無批判的に偽物(者?)と断定してしまうその危険さである。成程今迄に世界中偽救世主は幾人も出た例はあるにはあるので仕方があるまいが、困った話である。今これ等に就いて、次に載せる報告はよくそれを物語っているから、誰でも今後こういう事に出っ喰わした場合、よく説明すれば分ると思うが、事実本教に救われて有難いから、直ぐに転向しようとしても躊躇するが、霊界に於ては大宗教の教祖なら大いに満足なさるに違いないから、それを知らせるのが肝要である。何れは世界の凡ゆる宗教の信者は、ドシドシ本教へ転向して来る時節が来るであろう。というのは、各宗教教祖は霊界に於て、自分の信者を救って貰いたい為に、本教へ入信さすべく大努力を払うからである。
(御論文「信仰の自由」お蔭話「基督教徒なるが故に」のあとの御言葉)【註 栄光新聞一二一号】
こう言う事がよくありますがね。こう言う事が之から増(益?)々ふえる訳ですね。途中で心から変更すれば助かるが、折角――綱につかまれば良いのを、何うしてもつかまらないで、暗闇になっているのですが。
それからね。美術館ですがね。あそこに出来てる模型を――最初のは何うも面白くないので、今度変えたんです。二階屋にしたんです。あれじゃ幾らも陳列できないのでね。今度出来る美術館は企画も良いし、形も良いのでね。その画面を、今見せ様と思って居たら、大工の方に行っているので。
それで、非常に金がかかったりするので、それから建築の日数がかかるので、もう一年のばそうと思うが、神様の方はそうわ(は?)いかない。来年の夏迄には造る。来年の夏迄には必ず完成する。この頃世の中を見ても、美術と云うものに非常に関心を持って来た。
今度の講和にサンフランシスコで美術の展覧会をする事になっている。之はアメリカの何とか言う人なんですがね。百七十二点ですかね。それだけ行く事になる。荷造りをしてますがね。その前に博物館で展覧させると思ったが、日がないので今一生懸命に荷造りしてます。荷造り料が百万円ですからね。飛行機で向うに持って行くんでね。可成り良いものがあります。国宝的のものを中心に、あと民間のものも相当入ると思います。
処が私から見ると、未だ当局や世間の人の考え方に一寸ずれがある、と言うのは、之は何百年前何千年前のものだから――つまり歴史的の意味ですね。それを目的にしている。正倉院の宝物にしても、よく之だけのものを造った。よく今日迄保存されて来た。と言う、そう言う意味ですね。処が、審美――美術の鑑賞と言うところから言うと、古いのが良いというのではなく、古くても新しくても、良く出来たものですね――傑作ですね。美的要素が多いと言う事を中心としたい。まだそこ迄行ってないですからね。アメリカに行った美術品を理解出来るアメリカ人は幾らもないですね。本当に理解出来るのは半分もないです。私から言えば三分の一、五分の一でしょう。美術ですからね。美術と言う頭を持たなければ――こう言う点からも、私がつくる美術は、考古学と言う意味でなく、美術としてやる積りです。之なら日本人にしてもアメリカ人にしても、世界人が理解出来ると思います。それが本当の行き方です。
それから、美術と言うものに関心を持って、方々に美術館が出来るですね。今、現代美術ですが日比谷公園に出来るとか話ですが、それも少し反対があって芝公園と言うのもある。既に予算は三億取っている。二、三年で必ず出来ます。之は大体文部省の買上げですね――各展覧会での。あと明治以後のものが出来る訳です。それから京橋の石橋ビルですね。あそこも二階か四階の両方か、どちらかで、展覧会する事になっている。鎌倉にも、もう直き出来ますしね。各地にそう言う計画があります。鶴見にも出来るそうです。そんな訳で段々ミロクの世が近ず(づ?)いて来たので、そう言う空気も出来て来る訳ですね。
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