八月二十五日

(お 伺) 島根県()川郡平田町猪ノ目、篠原(タマ)(ツキ)と申す十五歳の男子の御浄化につき謹んでお伺い申上げます。

  1. 発病時の状態

 八月四日の朝起きる時右膝関節が抜けた様な気がした由で御座いますが、無理して山仕事をしているうちに段々痛み出し遂に激痛に堪えかね家へかつぎ込まれ、その夜はうめき通した相(そう?)で御座います。

  1. 症状

 八月五日大社支部へ荷車に手連れて来られた時は、右膝は完全に曲ってしまって指も入らない位にくっついてを(お?)り激痛を訴えていましたが直ちに御浄霊を致しますと、痛みもやわらぎ指も入る程度に関節が延びました。然し其後痛みは実に執拗に続き、特に夜は非常に激痛を訴え物凄い悲鳴をあげ、隣近所の人も驚く程でありました。御浄霊すればほんの僅か楽になる程度で御座いまして、時によれば余計に痛み出すと言う事もありましたが、現在では御陰様にて御浄霊時は楽になると申して居ります。熱は最初三十八度程度で最高四十度位まで出ましたが、十五日頃より無熱状態になっています。十日前後には非常に譫言を繰返し、僕の手に釘を打ってくれとか、一本足のものが僕のまわりを歩いているとか、取止めのない事を云っていましたが、これは後頭部をしっかり御浄霊致しましたところ十二日以後はやめました。患部は相当浮腫しています。現在も腫れています。尿は茶色のものを多量に出します。関節の曲り工合は十日頃すっかり延びてしまいましたが、延びたら延びた儘、曲っていればいるなりで、自分で動かす事は出来ません。そして団扇で送る風が当っても痛くて堪らんと申した事もありました。二十日頃には又元の如くぴったりと曲ってしまいましたが、現在では又百三十度位の角度にのびています。

  1. 御浄霊個所

 現在までに主としてさせて頂きました御浄霊個所は、頭部特に脳天、右腎臓部、臀部、患部、鼠蹊部であります。尚患者は頸、臀部、腎臓部、肩胛部等を一寸さわっても「痛い!」と申します。痰はよく吐き鼻血の浄化が二度程ありました。激痛の際と御浄霊中は左の方の足が非常に麻痺します。尚本人の祖母は右大腿部に非常に悪性の筋炎を患った事がある由であります。又兄((トモ)(ツキ))姉(()(ヨル))も筋炎をやった事がありますが本人は平素は健康にて薬毒はない模様です。

 右に就きまして、之は何か霊的な因縁でも御座いましょうか。又は単なる毒素の浄化作用で御座いましょうか。御浄霊個所としては何処に重きを置くべきでしょうか。お伺い申上げます。

 尚本人の祖父は七月二十一日入信致して居ります。

〔御 垂 示〕

 之は霊的と薬毒と両方ですね。之は蛇の霊ですがね。つまり関節リューマチと言う奴なんです。リューマチの極くひどい奴です。リューマチと言うが、関節が赤く腫れて非常に痛む。触らなくても痛いのです。丁度、蛇が咬んだ様です。あれは蛇の霊が咬むんです。その毒が来るんです。咬まれた時に龍の毒素がですね。それでリューマチと言う。リューマチには、蛇の咬みつく奴と薬毒とありますが、薬毒は直き治ります。之は少しひどい奴です。之は、もう大丈夫になってます。気長にやっていれば、段々すっかり治ります。さもないと、足が上がるか真直ぐになるか、どっちかになる。之は障っていた処を浄霊すればいいんですから、患部と鼠蹊部ですね。それと腎臓ですね。そんな処で良い。非常に痛いものです。

(お 伺) 信者川崎フミ子長女、喜久子(四歳)生後六カ月目にセルロイド製玩具にて顔面を火傷し、化膿止注射一日一本宛五十日、塗布薬を九十日続けました。現在顔面に火傷痕と左眉毛がありません。

 右に就き御垂示御願い申上げます。

〔御 垂 示〕

 注射後十日続けた――之が悪いんだ。治りますよ。之はうっちゃらかしておくか、さもなければ浄霊すれば、直きに治ります。それから、塗布薬――之も悪い。この薬毒が取れる迄ですね。段々取れますがね。眉毛もその為です。毛が生えるのを止めている。だから浄霊していれば治ります。心配ない。やっぱり薬による被害者ですね。

(お 伺) 昭和廿四年三月入信の信者でございますが、心臓弁膜症にて悩んでおりましたのを御守護頂き喜んでおりました処、昨年十一月始め雨に濡れてより風邪の気味にて体がだるく、家業の農業は出来ず漸く炊事が出来る程度でブラブラ致して居りました(此時より月経閉止致し現在まで全然ございません)その中次第に病状が重くなり本年二月事情により実家(未入信の上御道に対して全然理解がございません)え(へ?)帰り、療養致して居りましたが附近に信者さんもなく御浄霊も充分頂く事が出来ずに居りました。四月末頃より次第に全身がむくみ始めましたが、その頃から毎日御浄霊を頂く事が出来る様になり、御守護により多量の排尿と共にむくみは去りました。其後暫くは楽でございましたが、間もなく排尿少量となり再びむくみ始め、腹部は七、八カ月の妊婦の如き状態にて御浄霊を頂いて居りますが(隔日程度)全然変化ございません。現在腹部の腫れは次第に上に昇り胸部中央部まで達し、その為食慾も少く(お粥軽く一杯程度)時には全然食べられない事もあり又息苦しくございます。脈搏は相当欠滞致します。浄化の状態は殆ど絶望と思われるかと思うと御守護頂き、又暫くすると重くなると言う様に波状を繰返して居ります。

 右御浄化中、時々薄茶色の水を吐きましたが食物は嘔吐せず、水を吐くと胸がすいて食慾が出て参ります。又時々呼吸困難になり、その折腹部を押えますと臍部一、二寸位上部に鶏卵大の固りが現れ、自分で御浄霊して居りますと次第に楽になり、それと同時に固りもなくなります。此様な事が度々ございましたが最近では余りございません。この間実家の人の計らいにて止むなく医診を受け、排尿の為の注射を三回程致しましたが、その他には入信(前?)にも余り医薬は用いた事なく只二十数年前、肋膜が悪いといわれ母の勧めで煎じ薬を暫くの間(服用期間不明)服用致した事がございます。又実家へ帰りました当時は御浄霊頂きますと憑霊状態となり豊川稲荷だと申しましたが、最近では殆んど憑霊現象はございません。豊川稲荷は嫁家で二十数年前、祠と狐の象を買って参りお祀り致して居りましたもので、二十三年八月、光明如来様御奉斎と同時にお納め致しました。尚、夫は二十三年十一月結核にて死亡し、私の入信後は夫の父と共に御神体、御屏風観音様を御奉斎させて頂いて居りました。

 右御浄化は如何なる訳でございましょうが。又御浄霊の個所につき御教示賜わり度御願申上げます。

〔御 垂 示〕

 心臓弁膜症なんて訳はないんです。之は、心臓の廻りに毒が固まって、心臓を圧迫するんです。之は少しやれば直き治っちゃう。夾(狭?)心症と言うのは、キュッと強く来るんですね。心臓の廻りに毒があり、圧迫するんです。

 弁膜症は一部ですね。前とか後とか横とかにある。それが固まって心臓を圧迫する。

 漢方薬――之が悪いですね。之が原因ですね。この為です。漢方薬が心臓の廻りに固まりますから、心臓を圧迫して、そこに膿が溜って、それがお腹や上の方にいく。

 それから、玉の様なものは豊川稲荷の霊でしょう。之は直き解決する。腹部の腫れ――之は尿毒と薬毒でしょうね。それが段々増えて来る訳ですね。それで、お粥が一杯程度と圧迫する。心臓の下から圧迫するので、心臓部の左の方と背中の方にいくと腫れてますから、そこを浄霊する。浄霊するには霊力が足りないんだな。力を入れてるんです。全然、力を抜かなければいけない。肋膜にも幾らか溜っているでしょう。然し之は直きに溶けます。漢方薬が恐いんです。飲薬では西洋の薬より、漢方薬の方が恐いでしょうね。薬としては漢方薬の方が恐ろしい。量が多いですからね。

 今の様に力を抜いて、左の心臓から胃の方にかけて浄霊して固まりを溶かせば、そう難かしいものじゃない。

 

(お 伺) 四手(シテ)大造(一年八カ月)生れつき音痴にて、大きな音は時々聞える様でございますが物を言いません。延髄及耳下腺が腫れあがって居ります。父親は馬車引の親方ですが霊的でございましょうか。御浄霊の個所を御教示下さいませ。

〔御 垂 示〕

 四手大造と言うのは名前が悪い。人間の名前には「大」の字を、決してつけちゃいけない。「大」の字は一番位が高い名前です。一人と書くからね。国としては天皇になり、神様としては一番最高になる。だから良過ぎるんです。ですから「大」の字をつけると必ず悪くなる。延髄及耳下腺が――之は霊的の場合もあります。前の世で、ここ(頸部)が腫れるんです。ここ(頸部)をうって死んだ。それが、まだ霊界で治らないんですが、どっちみち、ここ(頸部)を浄霊すれば治ります。おまけに赤ん坊だから治りが悪いです。ここを妨げるので、物が言えないし、こう言うのは完全には溶かされないが、或程度は治りますね。

 早速、名前を変えるんですね。「大」の字でない名前ならいいです。之は「シテ」と読むんですか。四つの手か――獣なら四つの足だが――他の名前ならいいですね。普通の名前にね。

【御 教 え】

     医学進歩の究極                      (栄光一二一号)

(御論文「医学進歩の究極」のあとの御言葉) 【註 栄光新聞一二一号】

 之は二、三日前の外国映画のニュースですが、ボクシングをやっている所があった。処が黒人と西洋人とは比較にならない。片っ方は、まるで子供みたいです。白人の方は弱々しいが、黒人の方は隆々たる態度です。あれで気がついたんですがね。

(御論文「信仰の自由」)

信仰の自由                        (栄光一二一号)

 宗教が異う為に、救われる機会に恵まれ乍ら救われなかったりする例がよくある。というのは宗教によっては他宗に触れるのを非常に嫌い、それが大きい罪悪のようになっているからである。これは全くその宗教に力のない事を表白している証拠で、言い変えれば信仰の自由を拘束(こうそく)する一種の信仰封建である。というのは、本当に立派な宗教ならば、他の如何なる宗教へ触れても、迷いの生ずる懸念などあり得ないから、安心な訳である。だから私はどんな宗教でも触れていいばかりか、寧ろ大いに研究される事を希望するのである。その結果若し本教以上立派なものがあったら結構だから、その信仰へ自由に転向してもよい。何となれば、より良い宗教程救われる可能性が多いからであって、その行為は正しい訳で、正神ならば決して御尤(おとが)めなどある筈はないのである。

 処が世の中には、他宗に転向すると罰が当って病気や災難が来るとか、酷いのになると一家没落するなどと言って嚇すが、こういう宗教こそ邪教である。元来正神の御心は公平であり、人間には選択の自由を与えられておるので、正しい意味による改宗なれば、神様は御喜びにこそなれ、御尤めなど決してないのである。例えば茲に一人の妻女があり、その婦人は才色兼備にして申分なく、自分も自分以上の女性は天下にないという自信があるから、仮令夫が何処へ行っても、どんな女に接近しても、一向心配はない筈である。世間に女は大勢あっても、自分程の者は二人とないと安心している、というのと同様の意味である。

 処がそういう宗教は、恐らく世界に一つもないといってよかろう。としたらそれ丈でも本教の価値は分るであろう。では何故本教がそれ程の確信があるかというと、実はキリストや釈尊はじめ多くの聖者達は、最後に本教が出て万人を救うという事が分っているからで、その事を予言迄された位である。としたら今までその信者達も、それに気がつきそうなものだが、未だ時期が来ないとみえて、そうはならないのは遺憾である。処がまだ始末の悪い事がある。それはキリスト教で言う本当の救世主が現われる前に、(にせ)救世主が出るから注意せよとしている。それが為仮令本当の救世主が出たとしても、無批判的に偽物(者?)と断定してしまうその危険さである。成程今迄に世界中偽救世主は幾人も出た例はあるにはあるので仕方があるまいが、困った話である。今これ等に就いて、次に載せる報告はよくそれを物語っているから、誰でも今後こういう事に出っ喰わした場合、よく説明すれば分ると思うが、事実本教に救われて有難いから、直ぐに転向しようとしても躊躇(ちゅうちょ)するが、霊界に於ては大宗教の教祖なら大いに満足なさるに違いないから、それを知らせるのが肝要である。何れは世界の凡ゆる宗教の信者は、ドシドシ本教へ転向して来る時節が来るであろう。というのは、各宗教教祖は霊界に於て、自分の信者を救って貰いたい為に、本教へ入信さすべく大努力を払うからである。

(御論文「信仰の自由」お蔭話「基督教徒なるが故に」のあとの御言葉)【註 栄光新聞一二一号】

 キリスト教信者の宗教的な色々な――喜びと苦悩をまぜこぜに書いてある。こう言う事は沢山ある事ですがね。私も昔そう言う人に随分会ったが、根本から言うと小乗信仰です。キリスト教でも――カトリック旧教でも、特に小乗なんですね。そこで、やはり終戦前の日本ですね。天皇陛下の為に命を捨てると言うのが最高道徳でしたが、今になってみると馬鹿々々しい事だと思う。そう言う風に教育されると、そうなっちゃう。キリスト教と言うのが既に症状なんです。何教彼教と言うのが既に小乗なんです。だから何教だとか――非難したり――つまりメシヤ教ならメシヤ教に捉われてはいけない。強いて言えば、世界教ですね。そこで世界救世教と言う。そうすれば何んな宗教でも構わない。だから対立的にはならない。今読んだのは対立的ですからね。之が小乗の弊害なんですね。ですから、私は日本人じゃいけないと言う。以前終戦時に、私があんまり終戦に就て言わないので「先生、あなたは日本人ですか」と言うから、「違う」と言うと、「へーえ何う言う訳ですか」と言うから、「世界人だ」と言ってやった。「日本人だったから、あんな戦争を起した。世界人ならあんな事はしない。土地を取ったり、人を殺したりしない。日本人だったからあんな事をした」と言うと、ヘンに感心しました。そんな訳だからね。こう言う人があります。メシヤ教は他の宗教を非難しないからいい、と言う。上流階級の人が言ったんですが――その宗教はメシヤ教の一部なんです。それを非難するなんてね――自分のなんだから、自分の方を非難する事になる。そう言う頭でやらなくてはいけないですね。だから他の宗教でも何んでも結構、何んでも研究しなさいと言うのです。メシヤ教になって良かったら、それでいいですがね。処が、メシヤ教以上のものはないという自信があるからね。昔の事ですがね。深川で大きな風呂屋があった。そこの娘さんがリューマチで、手が――こうする(拝む)事が出来ない。そこの家は阿弥陀さんの熱心な信者さんで、私は「あなたの手の原因は阿弥陀さんを拝むのがいけない。昔は良かったが、今は違って来ているから、阿弥陀さんを拝むのは時節が違っているから、――手が――拝めないと言うのは先祖に止められているので、阿弥陀さんを拝まないで観音様を拝みなさい」と言うと。(、?)帰って「おっかさんとか親類と相談しましたが、どうも反対する人が多いので、その通りにする事が出来ない」と言うので、「そうしないで治すと言うのは出来ない。それが根本だから」と言って止した。先にかいた事があるが、やはり湯屋の親父で足が悪く、浄霊してやったが、いい加減治った時分に来なくなった。おかしいと思って近所なので聞いてみた。すると、あの親父さんはこう言う事を言っていましたよ「大分良くなったが、治されたら大変だ。阿弥陀さんのそばに行けない」と言う。それで止めたが、それから天理教の先生ですが――病気の人を私がやっていると少し良くなる。それから天理教の先生が来ると又悪くなる。先生にお願いすると良くなるという事は分っていてもそれを明らかに言えない。若し治ると言う事になると、天理教の先生で治ったと言う事になる。それを聞いて、折角治しても天理教で治ったという事になるので、骨折損のくたびれ儲け、と言う事になるのでやめた。随分ひどい事を言う。罪穢れが沢山あるから懺悔をせよと言う。懺悔をするとまだあるだろうと言うので、幾ら考えてもないと言うのです。そう言う事を、相談ではないですが――愚痴を言った事がある。それで、熟々懺悔信仰は良くないと思いました。キリスト教にはよくありますね。然し、懺悔をすると言う事は全然悪い事ではないですが、然し懺悔をしないで治すのがいいですね。懺悔は、どうも人に言えない事が多いですからね。要するに改心すればいいんです。自分の心を改めてそれで結構なんですから。それでメシヤ教には懺悔と言うのはないんです。まあ―成るべくきれいに良い人間になる方が良いんです。

 それから話は違いますが、この間アメリカの高等学校の地理学の教授ですがね。世界中の各地を調べている人には違いないですね。その人が、先ずこう言う庭は世界にないと言う。世界中にないと言う事は世界一という事でしょうね。私は以前に日本一とは思っていたですがね。日本にないのがメシヤ教と思っていた。構想ですね――構想は私としても、自惚れてますがね。この大きな石を扱ったと言う事は真似が出来ないですからね。唯大きな石の使い方ですね。そうして効果を現わした点ですね。それは日本一かも知れないですね。日本中の名園は大抵調べましたが、今迄見た中の、石の庭造りでいいのは、東京の向島の佐竹候の庭ですが、之は石が非常に入っていて、有名なものですがね。それでもそれはMのって来て入れたんですからね。ここに較べたら問題にならない。この間も京都に行って見たが、甚だ貧弱なものです。桂離宮とか修学院とか沢山見ましたが、私としては――古さ――と言う点はあるが、美としてはそれ程のものではないですね。処が今度、世界でと言われたんですがね――日本一と思っていたが――そう言う人にそう言われたと言う事は、大いに満足される訳ですね。で、大分著名な人達も見たがっていると言う話もチョイチョイ聞きます。私は無理に引っ張ると言うのじゃない、先方で是非と言う話があれば来られると良い。

 それに就て、美術館ですが、そろそろ工事にかかる準備をしてますがね。之は来年の夏迄に是非こしらえ上げちゃう。それからこっちの庭ですね。まだ手をつけない処がある。あれを、今迄にない様な非常に目先きの変った――アッと言うものを、こしらえ様と思う。そうして来年の夏迄にはここの――神仙郷は完成する。随分見たがる人があります。

 美術館の中に陳列する美術品も、色んな方法で――他に見られない様なものを造って並べる。神様の御守護があるから――不思議に出品出来る様に――色んな方法や連絡がついてます。無論日本一の美術館になります。そうしてすっかり完成すると、はじめて大いに発展する事になると思う。之はやっぱり相応の理ね。神様の方はそう言う事になっている。それで、今もっと発展しなくてはならないが、色んな事があって――発展はしてますがね――思う様にいってないのは、ここが完成してないからですね。人間で言えば、ちゃんと着物を着て――洋服なら洋服を着て、新しいネクタイをしめて、ちゃんとしなくては。今の処は、成程洋服は着ているが靴下をはいてない。片袖がないと言う状態で、それでは活動が出来ない。箱根は霊界で、ここが完成すると非常に発展の力が出る。それに熱海が出来ると凄い事になる。熱海は体で表面に現われて来る。やはり順序ですからね。そう言う順序にならなければならない。そう言う準備をするという事を予め考えておく。全て考えですから。こんなに一生懸命にやっているのに――もっと発展しなければならないとか言っているが、本当に分ると良いが――一生懸命になるのは結構ですが――そう言う様な悩みや煩悩が起らないから楽になる訳です。それで、一寸話した。

 それから、今赤痢が非常に流行ってますが、方々に――集団的に出ている様ですがね。今一番良い方法と言うのは、当局がしきりに宣伝している事は、手を洗えと言うんですね。まあ―それで済めばこんな簡単な事はないですが――方々の神社仏閣にお参りに行って、始終手を洗っていると良い訳だが――我々は赤痢は結構なものだと言っている。先方が聞いたら、気違いと思うかも知れないが、赤痢の原因と言うのは頭の毒素なんだからね。人間は薬を飲んで、そして始終頭を使いますからね。そこで薬毒が皆んな頭に上っていく。そこで、今の人の頭を見ると熱のない人はないです。頭は冷めたいものですがね。処が何んな人でも冷めたい人はないです。私は浄霊する場合に、先ず頭を見ると熱がある。それで、毒の多い少いが分る。それで見るのが簡単ですね。少し位は結構ですがね。あんまりあるのはいけない。それから、ここ(頸部)を見る。ここ(頸部)の冷めたいのは良いがね。暖かいのはいけない。そう言う毒血――毒結ですね。それが溶けて肛門から出るんです。その場合に、之が溶けてお腹に溶け込み、お腹に溜って、それが肛門から出る。それが赤痢ですから、赤痢と言うのは頭の病いです。そんな事言うと医者から気違い扱いされる。ですから頭の毒を浄霊してやれば赤痢にはならない。赤痢になると、腹膜に毒血が溜まる。それが溶けて、赤痢の原因になる。だから大いに結構です。赤痢になったら大いに喜んでいい。毒血が減るからね。赤痢になったらお腹を浄霊してやる。先に診た事があるが、お腹の熱いうちは毒血がある。浄霊していると、その中に段々とれて冷たくなる。それで治ったんです。そうして翌る日にはお粥に、その次の日は普通になった。ですから、赤痢と言うのは二、三日で治るものです。あなた方がやっても、そうですがね、それを、大袈裟にね――ああして騒いでやっているんですから可哀相です。それを心得ておくと良い。大抵、信者の人は知ってますね。

 

 

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