(お 伺) 入江宅市(五十一歳)と申す信者で御座居ますが、北支従軍中昭和十六年秋より足が重だるくなり、日増に悪化し遂に歩行困難となりました。病名も不明の儘あれこれと医療を受けましたが、悪化するのみでございました。医師も手をはなしてか其儘除隊され、自宅へ送りかえされました。其処で松江の日赤病院で診察を受けました所、脊髄系統の病気だろうと言うので、脊髄の上から四、五節の所を産する程切開手術をしました所、黒い塊り様な物が出ました。其結果便上へ行く事位は出来る様に成りましたが、切開部が治るに従い足の方も元に帰り歩行出来なくなりました。其後自宅で、良いという民間療法は皆受けましたが、全々(然?)変化御座居ませんでした。其後御道のお話をお聞きし早速入信、以来御浄霊をお受けします中、足部がむくみ排膿致し段々気分が良く、便所にも杖にすがり案外楽に行く様になりましたが、又元に帰(返?)りました。色々御神書を読ませて戴き、霊動も少しあり霊的に思い、過ぎし北支で野営の時、或る厨に入り其処を宿と定められた時、等身大の土像及び木像が邪魔になるので打毀した事もあり、其後足が悪化したのですが、此仏像との霊的関係がございましょうか。有ると致しますれば如何すれば宜敷う御座居ましょうか。現在足の状態は全く痛みなく腰から下に力が入らず歩行が出来ないだけで御座居ます。其他家にも明治十九年の大水に家もろ共、四代前の先祖夫妻は流され死体は御座居ません。丁度足がぐにゃぐにゃで骨がない様な所から龍神ではないかと言うので、龍神の祭りも致しましたが変化御座居ませんでした。浄霊を致しまし処、脊髄がビンビンして後へ倒れそうでございました。尚御屏風観音様はお祭致しておりますが、御神体は姉(兄の嫁)の反対があり御祭り出来ません。
右如何すれば宜敷う御座居ましょうか。謹んでお伺い申上げます。
〔御 垂 示〕
之は脊髄の手術の為ですね。それで、足が思う様にならないんですね。霊的じゃありませんね。医学的ですね。ですから、こいつは一寸分らないですね。脊髄の後ですね。之をやるとよく足が痺れて動かなくなる。よく半身手術なんてありますね。すると腰から下が痺れて了う。感覚がなくなって了い。ですから、恨むならお医者さんを怨むより仕方がない。お医者さんを恨むと言うのは間違っている。医学を恨むんですね。まあ―或程度は治るでしょうが、それから先は分りませんね。つまり、有るものを取ったんですからね。
(お 伺) 私は昭和二十三年七月より小便をすると痛みを感じる様になり、医師を五人もかえ医療を受けましたが、次第に悪化致しました。薬剤はマイシン五本、ペニシリン二十一本、六〇六号一本、其他の注射も多数致しましたが、益々悪く小便が出る度に大変痛み、苦痛は日に増し困って居りました処、お道を知らされ御浄霊を頂き、奇蹟的にお救いを頂き有難さに感謝、廿五年七月夫婦揃って入信させて頂きました。其後教会の御詣りもさせて頂き、他人様の御浄霊もさせて頂いて居りました処、本年六月より再浄化を頂き、小便をすると血尿が出る様になり、出る時は大変痛み、一時間に二、三回も行きます。毎日御浄霊を頂いて居りますが次第に浄化は厳しく睾丸に少し腫れが出て居りました。
八月十日御神体を御奉斎させて頂きました処、其日より睾丸は、直径五、六寸に腫れて大きくなりました。小便は一時間に相変らず二、三回行きますが、血尿は止りました。大便は十日間程ありません。又、腰が痛く上向きに寝る事が出来ません。脚も全体に浮腫が来て居り、足の先は炬燵にあたって居る様にあつく感じます。食事は大変美味しく、普通一回にお茶碗に二杯は頂き間食も頂いて居ります。御浄霊は腎臓、鼠蹊部、膀胱等を重点にして頂いて居りますが、それで宜敷う御座居ましょうか。右謹んで御伺い申上げます。
〔御 垂 示〕
医療を受けるから悪化するんです。医療を受けなければ段々治って来るんです。注射をするから増々悪くなるんです。睾丸が大きく腫れて来た――之は結構だな。之も、色んな注射――ペニシリンとか――そう言うものが段々下にさがって来て、下に溜るんですからね。こう言う人は沢山あります。腰が痛く――と言うのは腰に溜っている。足にも溜っている。足の先迄下って来るんですね。最初、尿道に溜ってんですね――尿道の廻りに。それだけの事ですからね。心配はないんです。根気ですね。段々薬毒がとれるに従って治るんですからね。睾丸が腫れるのもその為です。之が段々下にいって溜って来る。浄霊すると、之がとれて来る。うまくいって下痢すると良くなる。気長にやっていれば治ります。薬の罪だ。
(お 伺) 昭和二十三年九月脊椎カリエスにて歩行も出来ず、医療を受けましたがはかばかしくなく、全快の見込みもないと思っておりましたところ、本教浄霊のお話をお聞きしてより毎日御浄霊を戴き、昭和二十四年二月主人が入信、三月に母、四月に私も入信させていただき、御屏風観音様もお迎えさせていただきましてお縋り出来る様になりましてよりは、御守護により日々快方に向い、三、四カ月後には歩行も出来る様にさせて戴きましたが、毎日母や主人に御浄霊を続けていただいているうちに、再び歩行が出来なくなりました。
一心にお縋り申し上げ御浄霊を頂いており、昭和廿六年四月御神体をお迎えさえていただきます迄、暫くの間歩行させていただく事が四回ございました。八月十一日に当地に高山先生が出張して下さいましたので、御願い致し御浄霊をいただきましたところ、霊動いたしますので先生がお尋ね下さっても言葉が言えず、御先祖様ですかとお尋ね下さった時に霊動して居た手が上下に強く振ったのみでした。私から申して祖父にあたるのですが、昭和三年九月に縊死で亡くなっております。又御神体をお迎えさせて戴きまして一カ月程後に、私の夢に誰かは分りませんが男の人が私の背中に力一杯つかまり、背中が痛くて堪らず、夢中でもがいている時に目があき、又一週間程して今度は男女二人が背中にありました。現在の状態は物に摑まりますと、足は震えますが自分で立ちあがる事が出来ます。脊椎カリエスは霊的な病気と御教え戴いておりますが、如何いたしますればお救い戴けましょうか。又御浄霊の中心は何処をして戴けば宜敷いでしょうか。御教えの程御願い申上げます。
〔御 垂 示〕
脊椎カリエスの霊的と言うのは、一寸普通の霊憑りとは違う。之は本に書いてありますがね。祖先の罪穢れが、頭から脊椎に下って来て物質化して膿になる。良く本を読むといい「天国の福音」ですかね。天国の福音読みましたか。
「はい」
霊で――救われない霊がそうさせるんですから、之は*お祭(祀り)してやっていると救われますからね。霊動も口がきけない場合には首を振らせると良いんです。あっていたら、こう言う風に(首を従(縦?)に)違っていたら、こう(首を横に)そうすると、之で大体判断がつきます。腰ですね。腰から腎臓にかけて――そこを浄霊する。
「腰骨に膿が溜り、排膿するかと思われましたが、排膿せず、しなびて参りました」
それは、尚結構です。穴があいて膿が出るより、段々しなびていった方が本当なんです。之は気長にやればいいです。脊椎カリエスは長いですからね。先ず、完全に治る迄には十年かかるとみなければならない。歩ける様になるには二、三年ですね。助かるんだから何年かかっても良い訳ですね。
(お 伺) 五十四歳の女一年前に延髄が痛み、頭が悪く婦人科の為であると子宮手術を致しました。其後は益々悪くなり口もきく事が出来ず、食慾は二十日間全くなくリンゲル注射にて生命を保持致して居ました。七月より御浄霊を戴き現在は食慾もあり口をきく事が出来ましたが、且つ最近御浄霊を嫌がる様になり大小便を教える事等も出来なくなりました。何か霊的関係がありましょうか。尚御救い頂けましょうか。
謹んで御伺い申上げます。
〔御 垂 示〕
益々悪くしたんですね。生命を保持したんじゃなくて治さない様にしたんです。之は霊的じゃないんです。医学的です。子宮をとったんですからね。子宮なんてのは、女の生命ですから、それをとったんでは駄目です。医学を迷信しているからね。他は何にもないですね。子宮を取ったためです。それからリンゲルの注射――之が又悪い。よく薬で命を繋いでいると言うのは間違いです。治るのを薬で治らない様にしていたんです。之は何とも言えない。出来るだけ子宮の附近と薬毒が固まって居る処をやる様にしてね――最初、延髄が痛んだが、こう言うのなんか、何んでもないですがね。之は(延髄)子宮とは関係がないんですよ。罪悪ですよ。
(お 伺) 私は昭和廿五年頃より食慾減退・便秘・口がにがく、医者の診断は十二指腸潰瘍との事、医療売薬を服用し良くならず、七月十五日より御浄霊を戴き八月十八日に入信致しました。現在は食慾もあり便通もよく、唯口のニガミと腹部。お臍の周囲に凝りがあります。母親と兄が胃癌にて死亡致して居ます。霊的関係がありましょうか。謹んで御伺い申上げます。
〔御 垂 示〕
霊的関係じゃないですね。遺伝ですね。よく言うが、代々の遺伝性があるんですね。この人はそう言う訳ですね。朝顔だって赤い花が咲く種を播くと、赤い花が咲きますが、それと同じで、体質も遺伝して来ます。癌とか胃癌とか中風とか、そうですね。霊的関係じゃないんです。気長にやれば治りますよ。出来るだめ背中の方をやるんですね。臍の後の方です。そうすれば大丈夫です。
(お 伺) 私は十二年前胃が悪くエデー薬を飲み、又は温泉に行き一日数十回入浴したる時に、突然腹の左右より神経痛の如く急に咽喉に昇り、其為か咽喉が急に圧迫し呼吸が止る様な感じで、医師二神経痛の注射をして貰い余程良くなって家に帰りました。尚アンマさんに咽喉の真中に針をして貰ったら、又先の如く悪くなり、其後医師に診療を受け、六〇六号をうって貰い、格別に良くもならず病名を与えず、常に咽喉圧迫し熱食を口に入る事好まず、二十四年の五月~御浄霊を頂き二十五年五月に入信し、唯今は余程良くなりましたが未だ咽喉が圧迫し物忘れ勝です。今後御浄霊の個所を謹んで御伺い申上げます。
〔御 垂 示〕
病名を与えず――よくあるね。病名が判らない。せめて病名だけを頂きたいと言う人があります。病名を貰っても、しょうがないですよ。病名を貰うと治るかと言うと、治る事とは関係がありませんよ。あれは、治らないから、せめて病名だけでも知りたいと言うのですね。最近の新聞に癌の原因を発見するとか、発見するのに進歩したとか書いてあるが、縦ば、発見されてもしようがない。病人は、原因が発見される為に来ているんじゃなくて、治して貰いたい為ですからね。医学では原因を発見してから治すと言うが、我々の方から言うと馬鹿々々しいんですが、こう言う浄霊を知らないとしたら仕方がないですね。心臓の手術とか色んな事を言っているが、可哀相なくらいですね。咽喉が圧迫し――と言うのは咽喉の廻りに毒が溜って、そうして固まるんです。この毒が――頭の毒ですね――溶けて肺にいくから、咽喉にもいく。之が多いのです。多分この人もそうでしょう。だから頭から延髄付近ですね。治ります。大した事はない。物忘れ勝――と言うのが、頭に毒のある人ですね。之は頭です。
(お 伺) 本年十三歳の女子と九歳の男子二人が肺炎を度々繰返し、其後次第に目が見えなくなり現在二人脳膜炎の様な症状でございます。弟の方は二ケ月程御浄霊を戴きまして、以後腹がはって来て御浄霊を嫌がります。三年前に家族四名が入信させて戴き、其後大光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴いて居ります。御浄霊を嫌がる事は何か霊的関係が御座いましょうか。御浄霊個所を謹んで御伺い申上げます。
〔御 垂 示〕
肺炎は良い浄化ですからね。肺炎と言うものは、痰になって皆な出るんですからね。それを、痰を出さない様にする。その時に熱がありますからね。頭を氷で冷やした。そこで頭の毒が固まってそれで視神経を妨げた。それで、見えなくなって脳膜炎になった。頭の中に毒を固めたんです。頭を良く浄霊すれば治りますよ。弟の方ですね。腹が張るのは、頭を浄霊すると薬毒が溶けてお腹に溜るんです。ですから、之は薬毒によるんです。非常に溶け易いのと、溶け悪いのがある。お腹迄は良く溶けて、それから小便にならないのがある。
こう言う嫌がるのは寝た時にやってやると良いね。後をやると良い。背中ですね。頭の毒が溶けた場合は、之が胸の方には行かないんですよ。背中の方に行き、そうして、便とか小便とか――そう言う風になる。だから赤痢なんかも頭の毒が溶けて背中を伝ってお腹に行き、下痢になる。ですから、赤痢の原因は頭なんです。そうすると治ります。目も見える様になります。やはり、そう言う時は霊力が強くなくてはならないから――霊を強くするには力を入れないんです。強くしようとして力を入れると駄目なんです。一生懸命にやると、何うしても駄目なんです。何と言うか、一生懸命に――気を抜いてやるんです。一生懸命になると力が入るから治りが悪くなる。そこで、落着いてやった時は、反って良く効くんです。
(お 伺) 昭和二十四年二月三日に七カ月で男子早産致し、子供は石の指図で一日おきに栄養注射をして居りましたところ、二月十一日早産児メレナで死亡。一年半後再び妊娠いたし非常に元気で居りましたが、二月一日六カ月で早産致しました。前回の時は三日間の難産で御座いましたが、此度は軽く済みましたが子供は直ぐ死亡致しました。産後一カ月後出血甚だしく、驚き病院に参りましたところ後産がの取っていましたので掻爬手術を致しました。その際前回出産の時の子宮孔の頸管裂症(傷?)の症(傷?)痕を発見いたしました。その後一週間致してから非常に動悸が致し息苦しく、大阪医大病院にて診断して貰いましたところ別に原因はないと言われました。その時腎臓が痛み尿の検査をしましたところ別に異常はなく、鎮静剤の服用により治りましたので、再び婦人科に通っておりました。頭痛、耳鳴り、顎がだるくなり、二、三日するうちに両耳が痛み、外耳炎とのことで注射、湿布を致し、一週間後耳痛は治りましたが、耳鳴、頭痛はとれず頭に重い物を被った感じで、再び息苦しく睡眠が取れず睡眠剤を用いておりました。その間親不知が欠け歯科で抜き(両方)ました。内科では頸官裂症(傷?)の手術をすると治ると言われ、三月十七日縫合手術をいたしました。尚歯の方は歯槽膿漏になり、ペニシリン約十本注射し、そのうち歯が痺れて来ましたので、ビタミンgの不足と言われ注射を続け、その間内科でレントゲンをとりましたが胸は異常なく、息苦しくなる原因は判らず、背中が痛みますので診て頂きますと、原因不明の神経痛といわれ、最後に余り激しい頭痛と息苦しさの為、神経科に行きますと、子供を失ったショックによる神経衰弱が原因で、他の症状も之がためと言われました。暫く鎮静剤を用いて居りましたが治らず、知合の方よりこのお道を聞き五月卅一日初めて御浄霊を受けました。その後夜眠れる様になり食慾も出て大分元気になりましたが、頭の重いのと息苦しさは続き、背中の痛み咽喉のつまる様なのは去らず、大垣の中教会本部に泊めて頂いて、一週間の浄霊を受けましたが未だ治りません。お盆八月十三日に主人方、私方及子供二人のお位牌を。御屏風観音様奉斎して参りました。主人は七月一日入信、私は六月二十日入信。その後御浄霊は主人、先生より毎日受けて居りますが、余りはかばかしくありませんので案じて居ります。喉のつまるのは霊的でございましょうか。
御浄霊の個所を御教示御願申上げます。
〔御 垂 示〕
之は栄養注射をした為に死んだ。原因はない――原因は医学だ。とは言いませんからね。良く分る様にしなければならない。外耳道炎――随分色んな名前が出るんですね。ビタミンCの不足――堪らないですね。位牌はあったんでしょう。
「御座いませんでした。
ないのか、それはいけません。あなたですか、
「はい」
よく生きてますね。之ははかばかしく行きっこありません。こんなに薬を入れていてわ(は?)ね。之を取らなければね。だけども、必ず良くなって来ますからね。気長にね。急いで、浄化が急に来ると苦しいから借金なら月賦で返した方がいいです。一生懸命に病気を治そうと思って増やしたんですね。
「御伺事項の名前は、その家族と、浄霊している資格者と、どちらの名前を書いた方が宜しいでしょうか」
教師と病人の両方の名前を書くのが本当です。
「さっきの体質遺伝で御座居ますが、子供が生れる以前は丈夫であった場合は如何でしょうか」
同じ癌でも、症状が現われていない。それが、日が経つに従って体質も育つから、それで分って来る。
「症状が出なくても、子供に伝わりますのでしょうか」
大したことではなく済む人もあるし、親ぐらいになる人もあるし、親以上になる人もあるし、色々ある。
「浄霊を戴いて、経過が良くても、遺伝致しますか」
夫婦共なら良いが、片っ方だけならする。遺伝にも――母親の方と父親の方とは違うから簡単には言えません。それから、徳を積むと遺伝があっても起らずに済み、間違った事をすると、遺伝がもっと大きく出る場合もある。そう言う点もあります。
【御 教 え】
文明の創造も医学だけは大体出来上ったんですがね。医学と言っても体的の方面ですね。それだけは書き上った様ですけれども、之から霊的の方を書こうと思ってかき始めたんですが、霊的をかくには何うしても宗教と別に離す事が出来ない。それで段々宗教の説明になって来る訳です。
今医学の欠点を色々説明しているんですが、之は一種の最後の審判なんです。
昨日の「読売」と教の「毎日」に「新しき暴力」と言う本の広告がありました。あれには附録がつくんです。それは、この間鋼板の時に私を調べた警察官が証人になり、嘘や作り事、出鱈目を言い過ぎるから、それをウンとかいて、それに繋がって去年からの、つまり彼等が無い罪をつくったやり方で色んな事を相当書いてありますから、それを附録にした。ですから面白いと思うんです。宗教の本来のやり方はこうだと言う事も書いた。宗教の意味でやるんだから、別に先方を非難すると言う様な意味はないんです。そう言う方面に就て、兎に角きれいにしなければならないと言う様に書いた。それで色んな著名人がよく書いてます。昨日の広告にも中島健蔵の評が書いてある。非常に良い事を載せてあるので感心した。
それから、もう一つは美術館ですね。あれも建築の方にかかり始めた。何うしても神様は急ぐんですね。来年の夏迄にしなければならないと言うので、その積りで始めたんですが、中に陳列に使うケースだけを備えつければいいんですから、割合簡単です。あそこに模型も出来てますが、大体あの通りで、三階は日本間になる。之は外人が来た時――ゆっくり良い物を見せると言う時――日本的の気分を出すには必要だと思って拵えた。で、恐らく美術館としては日本一になるだろうと思う。こっちの美術館が立派と言うより、他にある美術館が貧弱なんです。私は大したものじゃないと思っていたが他の美術館はもっと大したものじゃない。
博物館ならばですね。之も建築も立派ですし、品物も多い。博物館の根本的観念は、つまり学問的――考古学的――とかに重きをおいて、美術と言う事が薄いですね。そこで、博物館には古い色んなものはありますが、美術的と言うものは物足りない点があると思います。それで、私は審美眼で見て、良いものをと言う方針にした。と言うのは、仮に正倉院の宝物なんて――時々やりますが、皆んな大変大騒ぎをやって――去年だったか大変な大入り満員だった。新聞のせいもあったが――処が私も好きで研究しましたが、さて正倉院のを見ても感心するのはないんです。古ぼけたのがありますが、成程千年前にこんなものがよく出来たと言うのは感じますが、之を部屋に飾って楽しんでみたいとは思えないんです。ですからアメリカの美術展に百何十点か行きましたが、之を理解出来るのはないと思います。三分の一位でしょう。唯、古いと言うのですね。古いと言うのは美術的より、よく保存されて来た。と言うそれを感心する訳ですね。だから私はよく言う。これは「保存の美術だ」とね。そんな訳だから、私は敢えて古いものにこだわらない。現代のものでも美術的の高いもの、それは陳列する積りです。だから、唯古いものに捉われると言う――一つの妙な癖を皆んな持っているんですね。それで、そう言う点も大いに直したいと思っているんです。まあ―出来て陳列したら分りますがね。
誰が見ても理解出来ると言う事を主眼にした。大体美術の目的と言うのは、人間が美術を楽しんで、不知不識に霊的に高くなる。趣味を高めるんですね。その人の魂を清めるには非常に良い訳ですね。それでないと、今の様にパチンコ屋だとか、ストリップだとか沢山ありますからね。いけないとは言いません。少しは良いですが、もっと高いものを見せなければならないと言う訳です。一般人が見て理解が出来なければならないですから、――考え込んだり、うなったりしては、やっぱり駄目ですからね。目のきいた人でも、そうでない人でも楽しめる――それに引きつけられる、と言う様なのでなくては本当の意味はないと思います。そう言う方針でやろうと思っている。
それから、今やり始めているが、裏手の方ですね。あっちもウンと面白いものを造る――あっと言うものを造る積りですが、あんまり精しく言えないが。それで大体ここが完成する訳です。
信仰には限らず、凡ゆるものがそうですが、ここが完成しなければ本当の発展がないんです。丁度人間で言えば、立派な洋服を着たんだが、まだ靴下をはいてない。跣では歩けないから靴をはかなければならない。ネクタイもしなければならない。そう言う訳で――揃ってはじめて人の前に威張って出られると言う訳で、完成しなければ、そこに欠点がありますから発展しない。ですからこの位の本山が之だけ拡がれば、それだけ教線も拡がるものです。ですから、相応の理と言って神様の方は特にそう言う事はやかましい。それから、熱海は体で箱根は霊です。熱海は緯、箱根は経になる。ですから、此処が済まないと熱海は出来ない。こっちの建築が済まないと熱海の建築が出来ない。実にはっきりしている。瑞雲郷の少し先に欲しいのがあるが、それを先に手に入れることは出来ない。実に順序良く、隣りから隣りへと次々いっている。ああ言うのにも非常に順序がある。
「神は順序なり」と言ってね。順序を乱したりしているから今の世の中は非常に乱れている。そう言う事を知らないんですね。そう言う訳で、ここが出来なければ熱海は出来ない。それから、ここも将来大きな本山にする処を買ってありますが、それも順序があります。ここが出来て、熱海が出来て、それから又ここが(本山)それからは小田原に出来るか、京都が先になるかも知れないが、そう言う順序になる。之は大きい順序です。
人間の個人としてもやはり順序がある。だから私は、順序だけはやかましく言いますが、浄霊の時もそうです。一番先に重病人をやり、それから軽い人にいくか。来た順序にするか。来ている人の年とった人からやる。それから、男と女だと、男を先にする。そうすると治りも良い。
現界で順序をはずすと、霊界がはずれてしまう。そうすると、それが現界に写るから、何うしても清らかにいかない。だから、何かやるとかと言う時は順序を注意する様にする。
何時も言う通り、その時の目的によって、神様に対する物事は一番先にしなければならない。神様の処に行く時に、他の用事をしてから行くといけない。そうすると人間の用事が先になり、神様の方を下にみる事になる。そう言う時は、むしろ神様の方に行かない方が良い。そう言う事に就てつまらない事ですが――何時か、私が玄関から出ようとすると、叔母が横切った。それで車に乗ったが、叔母も乗ったが、車が走り出すと、それがとても気持が悪い。それで、伊豆山から水口まで後戻りして一度家に入り、それから改めて東京へ出直した。そう言う時にその儘行くと、自動車に故障がある。それは霊界が違っちゃうからです。然し、あんまり五月蠅くするといけないが、肝腎な事だけは心得ておくと良い。
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