(お 伺) 島根県大社町、小銀政一郎(四十六才)の御浄化に付き御教示並びに御守護の程謹んで御願い申上げます。二十三年秋、風邪から咽頭部を傷め、医師の診断では右肺に空洞二カ所あるとの事でありましたが、別段自覚症状もなく食欲も普通に御座いました。処が本年五月喀血致し、六月上旬に少し無理をした為か、青黄色の非常に濃い痰を吐く様になり、発声不能となり不眠症にもなって参りました。七月上旬より御浄霊を戴いているので御座いますが、当時脈搏は早い上に微弱で、熱は大変低う御座いましたが、衰弱は余りありませんでした。御浄霊は本人の妻が早速入信し、近所の熱心な信者と力を合せて致して居り、専門教師よりは一週間に一、二回位受けて居ります。現在は御陰様にて腹痛も下痢も快癒し、庭の散歩や家族との談笑にも疲れを憶えません。殆んど菜食とし食欲も御座います。然し発声は出来ません。更に八月二十五日頃より御浄化を戴き、九度ばかりに発熱し、寝汗も出、喀痰は多量に吐き、尿は色の濃いのが沢山出て居ります。背面の特に左半身に毒素多い為か仰向いて寝る事が出来なくなりました。本人が御浄霊を受ける迄に用いました薬剤は葡萄糖、カルシウム、ウィタミンの混合剤二十本位、エフエドリンを約半年服用して居ります。尚本人は十一年前炭坑内にて落盤に会(遭?)い、頭、肩特に胸部と腰椎を強打され、右下肋骨四本骨折して居り、現在も腰椎部には偶に鈍痛がある由で御座います。此の打撲と現在の病気と関係が御座いましょうか。又発声不能であっても喉の痛みは始めからないのだそうで御座いますが、軽症の故でありましょうか。尚病人は身体に比し、顔は一見死人の如く、肉の落ちた面貌ですが、大体顔は生れつき痩せている由であります。今日迄六十数回の御浄霊にも、顔には余り変化は御座いません。
〔御 垂 示〕
こう言う生れつきの人はありますがね。痩せていて顔色が悪く。そう言うのは本当じゃないですね。そう言う人は患い始めると割合ひどくなり易いですね。今の症状と言うのは、あんまりはっきりしていないですね。声が出ないと言うだけの様ですね。あとは疲労位ですね。落盤で打ったと言うが、そう言うものがあとに残るものではない。そう言うものは順調に治るものですからね。つまり、何処かに故障があれば薬ですよ。エフエドリンを半年飲んだ。カリ(ル?)シウム、葡萄糖――之ですよ。この毒がうんとありますからね。それから、発声不能は何かの薬が喉に出て来る。それで、そこにオデキの様な――固りが出来、発声弁を動かない様にする。弁の根元の方に薬毒が固まっている。それで、この薬がとれるに従って治りますからね。余程頑固な薬だとみへ(え?)ますね。何んでも、病気は薬だと思えば間違いない。然し、どうもそう思は(わ?)ない様ですね。やっぱり薬を信じている迷信が、そうさせるんです。私が色々書くんだが、どうも徹底的にはね。
(お 伺) 三十三才の信者で御座いますが、十二、三才頃より、冷い水に入りますと必ず、冷水に浸りました個所に、蕁麻疹の様なものが出来始め、間もなく局部的に腫れて参りまして、頭痛、目眩を感ずるそうで御座います。尚氷菓子など、少し余分に戴きますと、口唇から口中まで腫れます。又、冷い風に当りますと眼の縁が腫れて参りますが、身体を暖めますと治ります。之は如何なる原因で御座いましょうか。お伺い申し上げます。
〔御 垂 示〕
みんな薬毒ですからね。やっぱり、こう言った変った薬かも分らない。それは親の薬かも分らないですね。みんな薬毒ですよ。赤ん坊のうちに飲んだ薬かも知れないですね。之も気長にやれば治りますよ。
(お 伺) 当年三十才の未入信の男子、昨年五月頃より左の手足の指先だけが、爪には異状なく爪先から指腹にかけて、三角形に紫色し非常に痛んで参りましたので、六カ月程医療を行い、最後に手術を致しました。一時痛みは去り、紫色もとれましたが、左手足指の関節から曲折し、鈎状になって終いました。処が今年の五月頃より、反対の手足の指が同様の症状になり、歩行も出来ず、右の苦痛を緩和する為に、絶えず手指をかいていなければ居られない状態になりました。御浄霊を三、四回程致しましたが、痛みは幾らかは薄らいで来ました。化膿は致しません。本人の弟は一昨年骨膜炎で死亡致し、その後丁度一年目に右の様な発病を致しました。何か霊的に関係あるもので御座いましょうか。それとも如何なる原因で御座いましょうか。
〔御 垂 示〕
骨膜炎は何処の骨膜炎ですか。
(足で御座います)
手は骨膜炎じゃないね。
(左様で御座います)
それじゃ、この霊と関係ありませんね。若し関係あるとすれば弟さんの方ですね。やっぱり薬毒ですよ。紫色と言うのは毒血ですからね。瘭疽ですね。そこに薬毒が固っているのに、種々な療法をしたからね。うっちゃらかして置くと段々溜って来て、一箇所位で済むんです。それを種々な事すると、そこに溜らないで他に溜る。やはり薬の被害者ですね。やっぱり薬毒です。だから気長に浄霊すれば治ります。薬をつけたり、切ったり――色々すると他に行く。結局、薬と医者が病名をつくるんです。治そうとする事が、治るのでなく増やすんですね。それさへ(え?)分れば、病気の原因なんか何んでもない。この間「サン」と言う新聞に百五才のお婆さんで――孫、曾孫を集めると百何人かになるんです。そして、私は薬と注射は嫌いだと言うんです。薬と注射が好きで長生きしていると言うなら良いが、そんな事しない人が長生きするんですから、どうしても、事実と言う事と学理と言う事が矛盾している事に気がつかない。頭が非常に悪い。物事をあべこべに解釈する。その点は野蕃(蛮?)人みたいですね。
【御 教 え】
文明の創造の医学篇だけは大体出来上って、今宗教篇の方に入っているんですが、最初は霊的病気ですね。つまり、霊的病気としてはやはり宗教的に説かなければならないから、そこで今宗教的に書始めたんですが、最初精神病と癲癇の解説です。之に就いて守護神に関係したのを説いた。之ははっきり分る事ですが、非常に結構なんで、読ませるけれど、あとで話でも、もう一回精しく分らせようと思う。
精神病と癲癇
(『文明の創造』より)
(御論文「精神病と癲癇」のあとの御教え)
眠られないと言うのですが、あれを書いてないが、こう言う訳なんです。ここ(頭の上)が稀薄になり、延髄の固まりが圧迫する。するとここ(頭の上)に来る血液が来なくなり稀薄になる。それで、ここに霊が憑る。そこに乗っかる。それで色んな考え事をさせる。それで眠られないと言うのは、色んな考え事をさせるんですね。その考え事と言うのは、副守護神です。ここ(頭部)を充実させるには、ここ(延髄)の固まりを溶かすんです。連続的に考え事をしていると睡眠不足で眠られなくなる。その様な人はここ(延髄)に固まりがあります。寝られないで考え事ばかりしていると、ここ(頭部)に憑いている先生がのさばって来て、段々考え事ばかりする事になる。それが精神病です。浄霊すると、そこに居るのが萎縮すると言う訳なんです。
「人」と言う字の「丿」は天から下った形です。「ノ」の字ですね。天皇の「皇」ですね。そう言う意味です。天から下った「日」ですね。その「王」です。「人」と言う字もそうです。それから「乀」は獣です。そこで「丿」は本当の善で、「乀」は獣で、悪です。之が支えている。之が人間です。処が今の人は「入」と言う字です。「乀」の方が抜けている。「丿」が長くなって支えているのですが、今の人間は「乀」が突き出ている。そうすると「×」になる。「×」は消へ(え?)ちゃう。神様はうまくつくられたものと思う。この理窟が分ればいい。やっぱり霊主体従の形ですね。
(御論文中「人間向上すれば神となり、下落すれば獣となる」とあり)
それですから之(上の横棒)と之(下の横棒)の間になる訳ですね。之をすっかり読めば、守護神の事はすっかり分ります。それで、正守護神は大抵一人ですが、一人では間に合は(わ?)ない時がある。そう言う時は他の祖霊に手伝って貰う。それから狐ですね。それに手伝って貰うと言うのは、人間に憑って、口を切ったり、知らせたりするのを狐は非常に上手いんです。そこで狐に頼むんです。お前、こう言う事を話して呉れとか、言って呉れとか言うんです。処が狐の先生、其通り言うと良いが自分の事を出すんです。そこでこっちの方で、祖霊が言うのか狐が言うのか迷うんです。それを判識するだけの眼識が出ればいいんです。併し、大体喋る骨子が、正しいか正しくないか。常識に適うかどうかで判断すれば、大体間違いないです。その他、夢知らせがありますね。之は皆な正守護神がやらせるんです。之は西洋では守護霊と言うんですね。それから極く危急の場合には、正守護神が神様にお願いする訳です。そこで神様が力を貸して下さるんです。危急の場合なんですが、それが奇蹟と言うんです。奇蹟は正守護神がつくるんですね。大きい奇蹟は神様から力を借りるんです。こう言う風に見れば良く分る。そこで、こう言う風に説いていくと、本当に人間は悪い事をしてはいけない。良い事をしなくてはいけないと言う事がはっきり分る。今迄の宗教はここ迄説かない。もっと漠然とした抽象的な説き方です。だから徹底して分らない。宗教の信者で信仰し乍ら、かなり間違った事をする信仰がありますが、之は徹底して説かなかったからですね。もっと徹底して説いてあればメシヤ教が出る必要はない。
愈々講和になってお目出度いと言う訳だけれども、仲(中?)々どうも、普通の時の講和と違いますからね。講和後は何うなるか分らない。何しろ中共軍――共産軍の方は、今、北朝鮮の方に八十五万集結してますね。人間は幾らでもあるのでそう言う事が出来るんです。それで八十五万集結してる。何う言う目的でやるかと言う事です。併し今迄の様に三十八度線を突破しても、今の米国の機械力にはやっぱり敵わないで死人の山をつくると言う事は分っているんですね。そこで彼の方の計画は何処にあるかと言う事を考えてみると、若しか私がスターリンとすれば―毛沢東とすれば、そうして置いて日本の北端ですね。之は樺太や千島に大分前から準備をしてますからね。北海道に進撃すると、今度は驚いて、米国の方でうんとそっちの方に力を分けなければならない。そうするとどうしても、朝鮮の方は手薄になりますから、そこで八十五万が怒涛の如く押して来ない共限らないですね。けれども、ソ連の方でそうするには、何か理窟をつけなければならない。其理窟を今度の講和問題の結末か、或は講和問題の折衝に対しどうせソ連は米国と反対の様な色んな厄介な事を言い出すでしょうが、それが通らない場合に、日本をやっつける作戦に出るかも知れない。今直ぐやらないでも、時の問題ですね。そうすると講和になってから喜こんで居られるか、吃驚するか一寸分らないですね。そう出るか、或は東南アジヤ――あっちの方にも大分準備してますからね。そこに出るか、或はイラン、イラクあたりですね。イランですね。石油問題を切っ掛けにイランと提携すると、米英の方では黙ってないだろうから、そこで悶着が起る。一ぺんに火をつけるかどうか、そいつは分らないが、何しろ之からは、どうなったって本当の平和は来っこない。だから停戦問題の時言った様に、戦争を引き延ばす手段だと言ったが、やっぱりそうだったんですね。一時停戦して大いに準備しようと言う――最もあの勢いでやられては堪らないです。自分の方を立直す為に、一時やったんですね、やっぱりマッカーサー元帥の作戦が光っているんですね。マッカーサーの作戦は、一挙に満州を爆撃して、中共を根こそぎやっつけると言うのが、反対されて覆へ(え?)されたが、その作戦は私の考えと同じです。今でも、その作戦は光ってますね。今のやり方は丁度蛇の生殺しですね。一時的で、今度殺す時には非常に骨が折れると言う事になる。そこで、今アメリカの方でもマッカーサーの作戦を幾らか用い初(始?)めた。やはり満州爆撃もやるでしょうし、大分――原子爆弾も持って来て準備した様ですが、それが共産軍の方では恐いんです。それで、作戦を大いに変へ(え?)なければならないんですね。変へ(え?)ると言うと、日本ですからね。だから、仲(中?)々油断は出来ない。それで、結局何だ彼だと言って第三次戦争になるんです。唯、それ迄波瀾がありますね。アメリカの方では、極力延ばして置いて、出来るだけ準備をすると言う方針に出てますが、之は結構ですが、その代りソ連の方でも準備してますからね。戦争は延びるだけ大きくなると言う事を先に言ったが、やはり神様の方は、それでなければならない訳ですね。今度は、本当の世界の大浄化ですから、生まはんかでは本当の世界のお浄めは出来ない。だから、うんとお浄めすると言う事は、うんと破壊すると言う事ですね。大規模な破壊ですね。それが本当のお浄めですからね。打払い焼払うと言うんですね。だから、恐ろしくもあり、有難くもあると言う訳ですね。そこで、戦争はそう言う具合ですが、その他に――やはり段々浄化が強くなりますからね。病人が非常に増える訳ですね。赤痢なんか非常に多いですね。やはり浄化がそれだけ強くなった訳ですね。信者さんなんかでも病気の浄化が多い様ですが、一般の方になったら大変です。何しろ今の人間の体をみると、実に毒が多いですからね。之は皆さんも良く知っているでしょうがね。之が、一ぺんに浄化が起ったら、何うするかと言う状態ですね。それから、社会でも悪い人間が多過ぎますからね。信者になった人は良いけれども、そうでない人は油断のならない人間ばかりと言って良い位ですね。
今度の「新しき暴力」に対して、私は附録を書きましたがね。何しろ、あの附録を見れば分りますがね。警察官などのやり方は到底信じられないですね。全然拵へ(え?)事ばかりです。だから、この間の新聞にも――殺人なんですがね――あれは警察官がつくったものですね。拷問同様な事してつくったものですね。それで起訴されて、一審では無罪で、検事控訴で、二審も無罪です。無罪になっても疑いがあるから大いに調べると、検事が言っているが、被告の方は、検事のひどい取調べを告訴しましたが、ああ言う事を聞くと、我々は良く分ります。犯罪製造検事ですね。熱心なのは確かに熱心ですね。熱心な事は感心します。だが、そうなって来ると、平沢の事件なんかも何うなるか分らない様に思われて来るですね。今以て、平沢は我ん(頑?)張ってますが、平沢の言う事も信じられませんが、今の警察官や検事のやり方をみると、どうも平沢は――悪い事はある。それは自分でも認めているが――毒殺事件、あの方は何うだか分らないと言う様な気がして来るんですね。あんまり、そう言う事は言えませんが、そう言う風に思われる程のやり方が盛んに行われてますからね。だから、正しくやっていれば、平沢の問題だって、無論当局を信じますが、信じられない様なやり方をするんで困ってますがね。
今度の「新しき暴力」は附録が出るんですが、あれも出来るだけ世間に広めて輿論をつくりたいですね。今後も、罪のない人が罪にされるかも分らない。そう言う人を救ってやらなければならない。実に可哀相です。やはり救世の意味からね。悪人の為に善人が苦しむと言う事は救わなければならない。救うには世間に知らさなければならない。そうして、そう言うやり方を改正しなければならないと言う意味から、宗教家としては似合しからぬ事をやった。と言う訳ではないが、今迄悪人がのさばって、善人が引っ込んで、頭を抑へ(え?)られていたが、之が非常に悪い。私は敢(飽?)く迄も、善は助けなければならないと思う。大いに善を弘げて、悪人とか――悪はやっちゃいけない、しない様にする。と言っても、我々だけでは仲(中?)々だから、そうするんだと言う機運をつくるんです。そうしなければ、本当に良い世の中は出来ないんです。
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