(お 伺) 島根県大社町、小銀政一郎(四十六才)の御浄化に付き御教示並びに御守護の程謹んで御願い申上げます。二十三年秋、風邪から咽頭部を傷め、医師の診断では右肺に空洞二カ所あるとの事でありましたが、別段自覚症状もなく食欲も普通に御座いました。処が本年五月喀血致し、六月上旬に少し無理をした為か、青黄色の非常に濃い痰を吐く様になり、発声不能となり不眠症にもなって参りました。七月上旬より御浄霊を戴いているので御座いますが、当時脈搏は早い上に微弱で、熱は大変低う御座いましたが、衰弱は余りありませんでした。御浄霊は本人の妻が早速入信し、近所の熱心な信者と力を合せて致して居り、専門教師よりは一週間に一、二回位受けて居ります。現在は御陰様にて腹痛も下痢も快癒し、庭の散歩や家族との談笑にも疲れを憶えません。殆んど菜食とし食欲も御座います。然し発声は出来ません。更に八月二十五日頃より御浄化を戴き、九度ばかりに発熱し、寝汗も出、喀痰は多量に吐き、尿は色の濃いのが沢山出て居ります。背面の特に左半身に毒素多い為か仰向いて寝る事が出来なくなりました。本人が御浄霊を受ける迄に用いました薬剤は葡萄糖、カルシウム、ウィタミンの混合剤二十本位、エフエドリンを約半年服用して居ります。尚本人は十一年前炭坑内にて落盤に会(遭?)い、頭、肩特に胸部と腰椎を強打され、右下肋骨四本骨折して居り、現在も腰椎部には偶に鈍痛がある由で御座います。此の打撲と現在の病気と関係が御座いましょうか。又発声不能であっても喉の痛みは始めからないのだそうで御座いますが、軽症の故でありましょうか。尚病人は身体に比し、顔は一見死人の如く、肉の落ちた面貌ですが、大体顔は生れつき痩せている由であります。今日迄六十数回の御浄霊にも、顔には余り変化は御座いません。
〔御 垂 示〕
こう言う生れつきの人はありますがね。痩せていて顔色が悪く。そう言うのは本当じゃないですね。そう言う人は患い始めると割合ひどくなり易いですね。今の症状と言うのは、あんまりはっきりしていないですね。声が出ないと言うだけの様ですね。あとは疲労位ですね。落盤で打ったと言うが、そう言うものがあとに残るものではない。そう言うものは順調に治るものですからね。つまり、何処かに故障があれば薬ですよ。エフエドリンを半年飲んだ。カリ(ル?)シウム、葡萄糖――之ですよ。この毒がうんとありますからね。それから、発声不能は何かの薬が喉に出て来る。それで、そこにオデキの様な――固りが出来、発声弁を動かない様にする。弁の根元の方に薬毒が固まっている。それで、この薬がとれるに従って治りますからね。余程頑固な薬だとみへ(え?)ますね。何んでも、病気は薬だと思えば間違いない。然し、どうもそう思は(わ?)ない様ですね。やっぱり薬を信じている迷信が、そうさせるんです。私が色々書くんだが、どうも徹底的にはね。
(お 伺) 三十三才の信者で御座いますが、十二、三才頃より、冷い水に入りますと必ず、冷水に浸りました個所に、蕁麻疹の様なものが出来始め、間もなく局部的に腫れて参りまして、頭痛、目眩を感ずるそうで御座います。尚氷菓子など、少し余分に戴きますと、口唇から口中まで腫れます。又、冷い風に当りますと眼の縁が腫れて参りますが、身体を暖めますと治ります。之は如何なる原因で御座いましょうか。お伺い申し上げます。
〔御 垂 示〕
みんな薬毒ですからね。やっぱり、こう言った変った薬かも分らない。それは親の薬かも分らないですね。みんな薬毒ですよ。赤ん坊のうちに飲んだ薬かも知れないですね。之も気長にやれば治りますよ。
(お 伺) 当年三十才の未入信の男子、昨年五月頃より左の手足の指先だけが、爪には異状なく爪先から指腹にかけて、三角形に紫色し非常に痛んで参りましたので、六カ月程医療を行い、最後に手術を致しました。一時痛みは去り、紫色もとれましたが、左手足指の関節から曲折し、鈎状になって終いました。処が今年の五月頃より、反対の手足の指が同様の症状になり、歩行も出来ず、右の苦痛を緩和する為に、絶えず手指をかいていなければ居られない状態になりました。御浄霊を三、四回程致しましたが、痛みは幾らかは薄らいで来ました。化膿は致しません。本人の弟は一昨年骨膜炎で死亡致し、その後丁度一年目に右の様な発病を致しました。何か霊的に関係あるもので御座いましょうか。それとも如何なる原因で御座いましょうか。
〔御 垂 示〕
骨膜炎は何処の骨膜炎ですか。
(足で御座います)
手は骨膜炎じゃないね。
(左様で御座います)
それじゃ、この霊と関係ありませんね。若し関係あるとすれば弟さんの方ですね。やっぱり薬毒ですよ。紫色と言うのは毒血ですからね。瘭疽ですね。そこに薬毒が固っているのに、種々な療法をしたからね。うっちゃらかして置くと段々溜って来て、一箇所位で済むんです。それを種々な事すると、そこに溜らないで他に溜る。やはり薬の被害者ですね。やっぱり薬毒です。だから気長に浄霊すれば治ります。薬をつけたり、切ったり――色々すると他に行く。結局、薬と医者が病名をつくるんです。治そうとする事が、治るのでなく増やすんですね。それさへ(え?)分れば、病気の原因なんか何んでもない。この間「サン」と言う新聞に百五才のお婆さんで――孫、曾孫を集めると百何人かになるんです。そして、私は薬と注射は嫌いだと言うんです。薬と注射が好きで長生きしていると言うなら良いが、そんな事しない人が長生きするんですから、どうしても、事実と言う事と学理と言う事が矛盾している事に気がつかない。頭が非常に悪い。物事をあべこべに解釈する。その点は野蕃(蛮?)人みたいですね。
【御 教 え】
文明の創造の医学篇だけは大体出来上って、今宗教篇の方に入っているんですが、最初は霊的病気ですね。つまり、霊的病気としてはやはり宗教的に説かなければならないから、そこで今宗教的に書始めたんですが、最初精神病と癲癇の解説です。之に就いて守護神に関係したのを説いた。之ははっきり分る事ですが、非常に結構なんで、読ませるけれど、あとで話でも、もう一回精しく分らせようと思う。
精神病と癲癇
(『文明の創造』より)
霊的病気のうち最も王座を占めているものとしては、精神病と癲癇であろう。まず精神病から書いてみるが、これこそ全然霊的病気であって肉体に関係のない事は、健康者であっても、この病気にかかるに見て明らかである。この病気は誰も知るごとく、普通人間としての精神状態を失い、意識がめちゃくちゃになってしまうが、その状態も人によって千差万別であり、一人でも色々に変化するどころか、一日の中でも、いや一時間の間でも、その変化は目まぐるしいほどである。
この病気に対しては、医学でも相当以前から研究に研究を重ねているが、今もって分からないので、治療効果においても、何ら進歩は見られない。ただ施設や患者に対する諸種の対策が、相当進歩したに過ぎないのである。何しろ生命には別状ないとしても、家族的にはずいぶん人手が要るので、実に始末の悪い病気である以上、どうしても病院へ入れなければならない事になるが、現在公共的の方は収容力も足りないし、そうかといって私設病院では金がかかるという訳で、全く悲惨そのものである。近来精神病や癲癇を治すべく、頭脳の手術を行うが、これは全然無効果のようである。何しろ医学は唯物科学であるから、手術に目をつけるのも無理はないが、この病気は肉体との関係ははなはだ薄く、目に見えざる霊の作用が主であるから、霊的に治すより仕様がないのである。それをこれから詳しく書いてみよう。
右のごとく霊的病気であり、これこそ憑霊が原因なのである。その場合憑霊の位置は前頭部に限られているもので、なぜ前頭部に霊が憑るかと言うと、その部の霊が希薄になるからで、つまり局部的脳貧血である。この脳貧血の原因といえばさきに述べたごとく、首の周りに毒素が集留し易く、それが両延髄及び淋巴腺付近に固結するので、その固結が血管を圧迫するため、頭脳へ送流される血液が減るからである。
ここで、なぜ霊が憑依するかの理由であるが、それを説く前に霊界なるものを充分知っておく必要がある。元来霊界とは現象界、空気界の外にある第三次元の世界であって、つまり空気よりも一層非物質的であるので、今日まで無とされていた世界である。従ってこの霊界は現在までは一部の人を除く外、一般人にはほとんど信じられていなかったのである。というのは唯物科学がそこまでを把握するほど、進歩していなかったからである。しかし事実は物象界空気界よりも、一層重要なる、いわば万有の根源的力の世界であって、地上一切はこの力によって生成化育されているのである。別言すればこの世界は表が物象界で、裏が霊界と言ってもいいので、人間で言えば肉体は物象界に属し、心は霊界に属しているのである。この理によって人間も動物も、死と共に肉体は現界に遺棄され、霊は霊界に帰属する。つまり人間の死は体は滅して、霊だけが永遠に残されるのである。そうして霊界の生存者となったあらゆる動物の内、狐、狸、龍神(蛇)等が生きてる人間の霊に憑依する。というのは前述のごとく人間の霊の頭脳の一部分が希薄になっているからで、もし充実していれば、決して憑り得ないのである。これを詳しく言えば、例えば霊が充実して十であるところへ、一だけ欠ければ九となるから一だけ憑れる。それが二となり三となり、半数の五以上となると、それだけ憑霊の方が勝って、人霊の方が負けるから憑霊の自由になる。これが精神病の真の原因である。
とすれば精神病の原因は、全く脳貧血であって、その因は固結の圧迫にあるのである。しかし単に貧血だけならまだいいが、延髄部の圧迫による貧血は睡眠不足の原因となるのでこれが恐ろしいのである。何となれば精神病になる初めは、例外なく睡眠不足が何日も続くからである。その理由は本来脳貧血とは体的の症状であるが、霊的に言えばその部の霊が希薄になる事であって、いわば貧霊である。ところがその貧霊部、すなわち霊の量の不足に乗じて、その量だけ彼ら邪霊共は憑依ができるのである。憑依するや人間と異なった彼らの性格は、動物的意欲のまま露骨に振舞う、これがすなわち精神病の症状であって、その動物の割合を言えば、狐霊が八十パーセント、狸霊が十パーセント、残り十パーセントは種々の霊であろう。
右は純精神病を書いたのであるが、ここに誰も気付かない驚くべき事がある。それは現代の人間ことごとくと言いたいほど、軽い精神病にかかっている。もちろんその原因は一般人ことごとくと言いたいほど、頭脳に多少の欠陥があるからで、ごく上等の者でも十パーセントないし二十パーセントは冒されており、普通人はまず三、四十パーセントくらいであろう。ところが四十パーセントまではまだいいが、五十パーセントを越えると大変である。真症の精神病者となるからである。だが憑霊というものは一定していないもので、絶えず動揺している。それは欠陥と相応するからで、その意味は霊の厚薄が絶えず増減しているからである。そうしてこの憑霊にも二種あって、生まれながらにその人に定住的に憑霊している動物霊と、後天的臨時に憑依する霊とがある。今これについて詳しく説明してみるが、まず人間がこの世に生を受ける場合、さきに述べたごとく、初めポチすなわち魂が宿るが、この魂なるものは神の分霊であって、人間の中心であり、主人公である。これを本守護神といい、次は人間を一生涯不断に守護している霊がある。これを守護霊ともいい、正守護神とも言う。この霊は祖先の霊の中で霊界においての修行が済み、資格を得た者であって、この中から選抜されて、その人の一生涯の守護の役目を命ぜられる。次が副守護神と言って、これが動物霊である。この霊は動物ではあるが、実は人間生存上必要欠くべからざる役目をしているものである。そこでまず右の三つの守護神について説明してみよう。
以上は、大体人間誰でもが持っている正規の守護神であるが、第一の本守護神なるものは神の分霊である以上、その本質は良心そのもので、昔からよく言われる人の性は善なりとはこれを指したものである。第二の正守護神は人間が危険に遭遇する場合、それが霊界に先に起こるので、それを知って危難をまぬがれしむるべく努力する。世間よく虫が知らせるとか、その時気が進まなかったなどというのは、正守護神の注意である。また人間が罪を犯そうとするのを犯させまいとする事や、常に悪に引込まれないよう警戒し、正しい人間にさせようとする。それには神仏を信仰させるのが最良の方法として導こうとする。ところが正守護神がどんなに頑張っても、邪神の強いのに遭うと負ける事があるので、そのため不幸を招く結果となるから仲々大変である。そこで正守護神は常に邪神に勝つ力を求めている。それには人間が立派な信仰に入らなければならないといふ訳で、本教へ導く事が日に月に増へつつあるのである。次の第三の副守護神は動物霊であるから、悪の本来として一刻の休みもなく人間に悪を考えさせ、悪をさせようとする。悪とは帰するところ体的欲望の本尊である。いかなる人間でも金が欲しい、女が欲しい、贅沢をしたい、名誉が欲しい、人に偉く見せたい、賭け事や競争に勝ちたい、出世をしたい、何事も思い通りになりたい、という限りない欲望がそれからそれへと湧いてくる。そこで昔から信仰によって、この果てしない欲望すなわち煩悩を押えようとして修養する。それがともかく今日まで人類社会は破滅を免れ得て来たのであるから、大いに感謝すべきである。しかしながら実際上人間がこれらの物質欲がないとしたら、これまた大変である。何となれば肝腎な活動力がなくなってしまうからである。従って何としてもこの点が仲々難しいのである。ではどうすればいいかというと、これは別段困難な事はない。つまり人間は神から与えられた良心を発揮させ獣から受ける悪に勝てばいいのである。といってもそれには自ら限度がある。すなわち善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない。この意味は人という文字を解釈すると実によく分る。それはノは天から降った形で、神の分霊であり、ヽは地上にいる獣の形である。としたらノが上の方から押えており、ヽはノを支えている形である。であるから人とはノとヽとの間になるから、人間の文字もよく当てはまっている。すなわち人間は善と悪とを両有している。天性で幾分でも善が勝っていれば間違いないのである。従って人間は向上すれば神となり、下落すれば獣となるので、この理によって人間の限りなき欲望も、ある程度で制御する事ができるので、これが真理であるとしたら、限度を越えれば人ではなくなり、Xの形となる。すなわちバッテンであるから抹消の意味であり、亡びるのである。右の理によってどうしても人間本来のあり方は、悪を制御するだけの力をもたねば安心ができないのであるが、それには力がいる。その力こそ神から与えられるべきものであるから、信仰が必要となる。さすればいかなる世にあっても、何ら不安なく、永遠の幸福者となり得るのである。
以上説いたごとき真理を、霊界の修行中知った正守護神は、極力子孫を正善に導こうとする。ところが副守護神の方はその反対であるから、極力妨害し、悪に導こうとして、心の中で常に争闘している。これは誰でも経験するところであろうが、そればかりではない。こういう事も知る必要がある。それは人間一人一人異った性格と技能をもっている。これは神が世界を構成する上においてそうされ給うのであって、これを補佐し、天性を充分発揮させるよう正守護神は、神の命を奉じて専心努力しているのである。この手段として正守護神は、まず第一にその人間の魂を磨くべく、非常な苦痛を与えるが、これは向上のための修行である。これもその人の使命によって、大中小それぞれちがう。例えば使命の大きい者ほど、苦難も大きいから、むしろ喜ぶべきで、私などもそうである。また運命の転換という事は、神から仕事を換える命が正守護神に下るからである。そうして神にも階級があり、人間界と同様御役の種別もあるので、人間に命ずる場合も、それ相応の神によるのである。この意味によって人間界の構成を書いてみるが、分り易くいえば人類を緯にみれば千差万別、それぞれ能力が違うが、経にみれば上中下の差別だけである。その証拠には一民族を支配するとか、一国、一地方等の支配者は、それに相応する能力を与えられており、最高の地位に昇る人は、世界でも数人に過ぎないが、下に下るにしたがい段々数が多くなる。最下級になるほど多数である事実はそういう意味であって、神は経綸上一切過不足なく、適切巧妙に配置され按配される。その深遠微妙なる御神意は、到底人間の窺い知るを得ないのである。またこれを鉱物にたとえてみると一層よく判る。最高のダイヤモンドからプラチナ、金、銀、銅、鉛、鉄というように、最高ほど産額が少なく、最低の鉄に至っては、最も多産であるにみても明らかである。この現実が分っただけでも人類社会の真相は認識されるであろう。この理によって階級闘争が、いかに間違っているかが分るはずである。
ここで前に戻って、再び精神病の説明に移るが、これは別な面であるから、そのつもりで読まれたいが、世間非常に偉い人でも時により迷ったり、間違った考えや、道に外れた行為をする事がよくある。アレ程の人が、こんな事をするとは腑に落ちないとか、あんな失敗するなどは意外だなどという事がある。また歴史上からみても、大英雄がつまらない一婦人の色香に迷い、千仞の功を一気に欠くような事も往々あるが、これはどういう訳かというと、前に述べたごとく、平常十か二十パーセント以内の欠陥なら無事だが、成功して思い通りになると慢心と我欲のため、頭脳の欠陥が増えるので、それに乗じて力のある動物霊が憑依したり、副守護神が頭へ上って、ノサバリ始めるので、三十以上にまで押し拡がり、智慧も暗くなるので、良いと思ってした事が反対になり、大失敗するので、英雄などによくある例で、右のごとくどんなに偉い人でも信仰がない場合、動物霊すなわち悪霊が憑依するや、それが最善の手段のように思わせるが、実に巧妙な邪智は、到底看破できないのである。それがため遂に大失敗をするのであるから、実に恐るべきものである。そうして特に心得べき事は、その手段方法が私利私欲が目的であればあるほど、失敗は大きくなるに反し、天下公共のためというような利他愛のためとすれば、失敗してもある程度で喰い止り、ふたたび立上る事ができるのである。何となれば前者は神の御守護がないが、後者は御守護があるからである。
そうして霊界においては、無数の悪霊が百鬼夜行的に横行しているので、隙さえあればたちまち憑依し、瞞し、迷わせ、悪を行わせ、不幸に陥し入れるので、これが彼らの本能であるから、少しの油断もできないのである。ところがこれに対抗して飽くまでそうさせまいとする擁護者が正守護神であるから、正守護神には大いに力を得させなければならないのであって、それには立派な信仰へ入り、神の力を恵まれるべきである。
次は癲癇であるが、これは精神病と似て非なるものであって、この病気はことごとく死霊の憑依である。何よりも癲癇の発作が起るや、人間死の刹那の状態を表わす。例えば水死した霊が憑かると泡を吹き、もがき苦しむし、また水癲癇といって、水を見ただけで発作が起るのは、あやまって水へ落ちたり、突落されたりした霊でその刹那の恐怖が残っているからである。また火癲癇というのもあるが、これも火に焼かれた霊であり、その他獣や蛇、種々の虫を見ただけで恐怖し、発作するのはその物のために死んだのである。またこういうのがある。人込みへゆくと発作が起るが、これは人込みで踏み潰されて死んだ霊であり、汽車電車に乗るのを恐れたり、誰かが背後に近寄ると恐れる人なども同様である。以前こういう変ったのがあった。それは一人での留守居は、恐ろしくて我慢ができず、門の外へ出て人の帰るまでたたずんで待っているというので、これも前世一人で家にいた際、急病などで死んだその恐怖のためである。まだ色々あるが、以上によって考えればだいたい判るであろう。
ここでついでだから、真症小児麻痺について書いてみるが、これは脳溢血で死んだ祖父母の霊がほとんどである。この原因は脳溢血で急死した霊で、生前無信仰で霊界あるを信じていないため霊界へ往っても死を意識せず、生きていると思っているが、肝腎な肉体がないので、遮二無二に肉体を求めるが、その場合他人に憑く事はできない霊界の規則であるから、自分の霊統の者を求める。もちろん霊統は霊線で繋がれており、子供は憑依し易いので、多くは孫を目がけて憑依する。その場合数日間発熱があり、痴呆症や半身不随となる。ちょうど中風そのままであるのは、右の原因によるからである。
(御論文「精神病と癲癇」のあとの御教え)
眠られないと言うのですが、あれを書いてないが、こう言う訳なんです。ここ(頭の上)が稀薄になり、延髄の固まりが圧迫する。するとここ(頭の上)に来る血液が来なくなり稀薄になる。それで、ここに霊が憑る。そこに乗っかる。それで色んな考え事をさせる。それで眠られないと言うのは、色んな考え事をさせるんですね。その考え事と言うのは、副守護神です。ここ(頭部)を充実させるには、ここ(延髄)の固まりを溶かすんです。連続的に考え事をしていると睡眠不足で眠られなくなる。その様な人はここ(延髄)に固まりがあります。寝られないで考え事ばかりしていると、ここ(頭部)に憑いている先生がのさばって来て、段々考え事ばかりする事になる。それが精神病です。浄霊すると、そこに居るのが萎縮すると言う訳なんです。
「人」と言う字の「丿」は天から下った形です。「ノ」の字ですね。天皇の「皇」ですね。そう言う意味です。天から下った「日」ですね。その「王」です。「人」と言う字もそうです。それから「乀」は獣です。そこで「丿」は本当の善で、「乀」は獣で、悪です。之が支えている。之が人間です。処が今の人は「入」と言う字です。「乀」の方が抜けている。「丿」が長くなって支えているのですが、今の人間は「乀」が突き出ている。そうすると「×」になる。「×」は消へ(え?)ちゃう。神様はうまくつくられたものと思う。この理窟が分ればいい。やっぱり霊主体従の形ですね。
(御論文中「人間向上すれば神となり、下落すれば獣となる」とあり)
それですから之(上の横棒)と之(下の横棒)の間になる訳ですね。之をすっかり読めば、守護神の事はすっかり分ります。それで、正守護神は大抵一人ですが、一人では間に合は(わ?)ない時がある。そう言う時は他の祖霊に手伝って貰う。それから狐ですね。それに手伝って貰うと言うのは、人間に憑って、口を切ったり、知らせたりするのを狐は非常に上手いんです。そこで狐に頼むんです。お前、こう言う事を話して呉れとか、言って呉れとか言うんです。処が狐の先生、其通り言うと良いが自分の事を出すんです。そこでこっちの方で、祖霊が言うのか狐が言うのか迷うんです。それを判識するだけの眼識が出ればいいんです。併し、大体喋る骨子が、正しいか正しくないか。常識に適うかどうかで判断すれば、大体間違いないです。その他、夢知らせがありますね。之は皆な正守護神がやらせるんです。之は西洋では守護霊と言うんですね。それから極く危急の場合には、正守護神が神様にお願いする訳です。そこで神様が力を貸して下さるんです。危急の場合なんですが、それが奇蹟と言うんです。奇蹟は正守護神がつくるんですね。大きい奇蹟は神様から力を借りるんです。こう言う風に見れば良く分る。そこで、こう言う風に説いていくと、本当に人間は悪い事をしてはいけない。良い事をしなくてはいけないと言う事がはっきり分る。今迄の宗教はここ迄説かない。もっと漠然とした抽象的な説き方です。だから徹底して分らない。宗教の信者で信仰し乍ら、かなり間違った事をする信仰がありますが、之は徹底して説かなかったからですね。もっと徹底して説いてあればメシヤ教が出る必要はない。
愈々講和になってお目出度いと言う訳だけれども、仲(中?)々どうも、普通の時の講和と違いますからね。講和後は何うなるか分らない。何しろ中共軍――共産軍の方は、今、北朝鮮の方に八十五万集結してますね。人間は幾らでもあるのでそう言う事が出来るんです。それで八十五万集結してる。何う言う目的でやるかと言う事です。併し今迄の様に三十八度線を突破しても、今の米国の機械力にはやっぱり敵わないで死人の山をつくると言う事は分っているんですね。そこで彼の方の計画は何処にあるかと言う事を考えてみると、若しか私がスターリンとすれば―毛沢東とすれば、そうして置いて日本の北端ですね。之は樺太や千島に大分前から準備をしてますからね。北海道に進撃すると、今度は驚いて、米国の方でうんとそっちの方に力を分けなければならない。そうするとどうしても、朝鮮の方は手薄になりますから、そこで八十五万が怒涛の如く押して来ない共限らないですね。けれども、ソ連の方でそうするには、何か理窟をつけなければならない。其理窟を今度の講和問題の結末か、或は講和問題の折衝に対しどうせソ連は米国と反対の様な色んな厄介な事を言い出すでしょうが、それが通らない場合に、日本をやっつける作戦に出るかも知れない。今直ぐやらないでも、時の問題ですね。そうすると講和になってから喜こんで居られるか、吃驚するか一寸分らないですね。そう出るか、或は東南アジヤ――あっちの方にも大分準備してますからね。そこに出るか、或はイラン、イラクあたりですね。イランですね。石油問題を切っ掛けにイランと提携すると、米英の方では黙ってないだろうから、そこで悶着が起る。一ぺんに火をつけるかどうか、そいつは分らないが、何しろ之からは、どうなったって本当の平和は来っこない。だから停戦問題の時言った様に、戦争を引き延ばす手段だと言ったが、やっぱりそうだったんですね。一時停戦して大いに準備しようと言う――最もあの勢いでやられては堪らないです。自分の方を立直す為に、一時やったんですね、やっぱりマッカーサー元帥の作戦が光っているんですね。マッカーサーの作戦は、一挙に満州を爆撃して、中共を根こそぎやっつけると言うのが、反対されて覆へ(え?)されたが、その作戦は私の考えと同じです。今でも、その作戦は光ってますね。今のやり方は丁度蛇の生殺しですね。一時的で、今度殺す時には非常に骨が折れると言う事になる。そこで、今アメリカの方でもマッカーサーの作戦を幾らか用い初(始?)めた。やはり満州爆撃もやるでしょうし、大分――原子爆弾も持って来て準備した様ですが、それが共産軍の方では恐いんです。それで、作戦を大いに変へ(え?)なければならないんですね。変へ(え?)ると言うと、日本ですからね。だから、仲(中?)々油断は出来ない。それで、結局何だ彼だと言って第三次戦争になるんです。唯、それ迄波瀾がありますね。アメリカの方では、極力延ばして置いて、出来るだけ準備をすると言う方針に出てますが、之は結構ですが、その代りソ連の方でも準備してますからね。戦争は延びるだけ大きくなると言う事を先に言ったが、やはり神様の方は、それでなければならない訳ですね。今度は、本当の世界の大浄化ですから、生まはんかでは本当の世界のお浄めは出来ない。だから、うんとお浄めすると言う事は、うんと破壊すると言う事ですね。大規模な破壊ですね。それが本当のお浄めですからね。打払い焼払うと言うんですね。だから、恐ろしくもあり、有難くもあると言う訳ですね。そこで、戦争はそう言う具合ですが、その他に――やはり段々浄化が強くなりますからね。病人が非常に増える訳ですね。赤痢なんか非常に多いですね。やはり浄化がそれだけ強くなった訳ですね。信者さんなんかでも病気の浄化が多い様ですが、一般の方になったら大変です。何しろ今の人間の体をみると、実に毒が多いですからね。之は皆さんも良く知っているでしょうがね。之が、一ぺんに浄化が起ったら、何うするかと言う状態ですね。それから、社会でも悪い人間が多過ぎますからね。信者になった人は良いけれども、そうでない人は油断のならない人間ばかりと言って良い位ですね。
今度の「新しき暴力」に対して、私は附録を書きましたがね。何しろ、あの附録を見れば分りますがね。警察官などのやり方は到底信じられないですね。全然拵へ(え?)事ばかりです。だから、この間の新聞にも――殺人なんですがね――あれは警察官がつくったものですね。拷問同様な事してつくったものですね。それで起訴されて、一審では無罪で、検事控訴で、二審も無罪です。無罪になっても疑いがあるから大いに調べると、検事が言っているが、被告の方は、検事のひどい取調べを告訴しましたが、ああ言う事を聞くと、我々は良く分ります。犯罪製造検事ですね。熱心なのは確かに熱心ですね。熱心な事は感心します。だが、そうなって来ると、平沢の事件なんかも何うなるか分らない様に思われて来るですね。今以て、平沢は我ん(頑?)張ってますが、平沢の言う事も信じられませんが、今の警察官や検事のやり方をみると、どうも平沢は――悪い事はある。それは自分でも認めているが――毒殺事件、あの方は何うだか分らないと言う様な気がして来るんですね。あんまり、そう言う事は言えませんが、そう言う風に思われる程のやり方が盛んに行われてますからね。だから、正しくやっていれば、平沢の問題だって、無論当局を信じますが、信じられない様なやり方をするんで困ってますがね。
今度の「新しき暴力」は附録が出るんですが、あれも出来るだけ世間に広めて輿論をつくりたいですね。今後も、罪のない人が罪にされるかも分らない。そう言う人を救ってやらなければならない。実に可哀相です。やはり救世の意味からね。悪人の為に善人が苦しむと言う事は救わなければならない。救うには世間に知らさなければならない。そうして、そう言うやり方を改正しなければならないと言う意味から、宗教家としては似合しからぬ事をやった。と言う訳ではないが、今迄悪人がのさばって、善人が引っ込んで、頭を抑へ(え?)られていたが、之が非常に悪い。私は敢(飽?)く迄も、善は助けなければならないと思う。大いに善を弘げて、悪人とか――悪はやっちゃいけない、しない様にする。と言っても、我々だけでは仲(中?)々だから、そうするんだと言う機運をつくるんです。そうしなければ、本当に良い世の中は出来ないんです。
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