九月八日

(お 伺) 二十年前に流産をし、手術を受けてより、何時からかお腹に固りが出来、目立つ様になったのは五、六年前からで御座います。昭和二十三年七月にお守様を戴き、それよりずっとご浄霊を戴き、私自身もお道の為に人様の御浄霊をさせて戴いて居ります。今では大光明如来様もお祀りして居ますし、教師第二位のお資格も頂戴致し、お道に専念致して居りますが、依然としてお腹は小さくなりません。此頃では足が腫れて居ります。何の因縁でしょうか。又何うしたら宜敷いで御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 流産して手術をしたのが原因ですね。お腹に固まりが出来たと言うのは、消毒薬の固まりでしょう。出血ですね。それが固まったのと、両方でしょう。そう言うものだったら浄霊すれば出るんですが、何処か悪いんですね。何か肝腎なものを切ったんですね。そこで、排膿すべき働きが鈍ったんです。鈍ったんで、その固まりが、つまり溶け難くなって出ないんですね。固まりはそう言うものですからね。原理はそうです。之は後からやってやると良い。つまり尾骶骨ですね。その辺からやる。そうすると溶けます。急には良くならなくても、幾分か良くなる。後からやると良い。前からばかりやっていては駄目です。

 

(お 伺) 昭和二十三年九月頃より目が悪く、それより御浄霊を戴いて居りますが、目の玉に「イボ」様なものが出来て時々痛みます。家族九人中五人迄お守を戴きまして、光明如来様も昨年二月にお祀り致し、御浄霊は毎日続けて居りますが、未だ良く目が見えません。如何にしたら宜敷いものでしょうか。

 又今年十五歳になる私の娘も、二カ月程前から、午前中に一回必ず発熱し、会社に通っている都合上医師の診察を受けた処、結核三期と言われ、又他の医師に診て貰った処肺浸潤と言われ、其後、又外の医師に診察して貰ったら、今度は肋膜と言われましたが、注射も薬もして居りません。本人は今尚変りは御座いません。やはり午前中は熱があります。霊的でしょうか。如何致したら宜敷いでしょうか。

〔御 垂 示〕

 目が悪いと言うのは、良いんですがね。之は最初医者にかかったんですか。薬が入れてあると治りが悪いのですがね。それでなければ、目なんか必ず治る病気ですがね。時々痛いと言うのは結構ですね。元はここ(延髄)と前頭部と後頭部ですね。そうすると治る筈ですがね。薬が入っていても治りますがね。目ばかりやっているんじゃないですか。目が悪くても、目ばかりやっていては治りません。前頭部、後頭部――元はここですからね。ここをやると良い。病気と言うのは、現われた処はあんまり効果はないんです。現われた処は舞台ですから、薬屋の処をやると良い。薬屋に気をつけて見付けるんです。不断から教えてあるから、それを守ってやる。

 それから、熱があるのは結構じゃないですか。発熱位結構なものはないからね。発熱さえして居れば必ず治ります。発熱するのは治る作用だからね。喜んでどんどん会社に通って良い。結核三期なんて出鱈目です。肺浸潤と言うが、肺浸潤をするんで、如何に毒が減るかを考えると――結構です。発熱したら喜んで良い。

 注射も薬もしてない――結構ですね。霊的じゃないですね。薬毒があるので、それが溶けるのです。之は放ったらかして置いても治る。但し急所がありますからね。急所を見付けなければならない。然し、急所と言っても定まってますからね。ここ(頸部)ですね。ここが一番熱がある。淋巴腺ですね。それから延髄のどっちかです。それから頭ですね。頭の――前頭部に寄った方――それを触って御覧なさい。それをやると直ぐ治る。一寸も心配要らない。医者なんかに行く必要はない。治りますからね。

(お 伺) 私は本年四月二十五日、突如胸の動悸がして来たと思う瞬間手足が痺れ、冷くなり、意識はありますが全身痺れ、下腹から腰の方にかけて丁度霊が抜けていく様で心細く、人の手に一心に縋りました。其後三日間、同時間頃には発作し、其度に医師にビタカンフル等注射して貰いました。四月廿九日入信後、五月十一日及び五月廿三日に教会え(へ?)お参りし、同様発作の御浄化を戴き、後発作は遠のきました。梅雨の頃から頭が重く、お釜をかぶった様な感じがします。二十歳の時に二カ月位と、最近二年位の間に三回程同様状態になりました。又妊娠前性病でペニシリン二十万単位六本とサルバルサン三十本を打ち、子宮発育不全で、ホルモン注射を五十本位しました。妊娠してから入信前日迄二年半、ビタミンBとカルチコール注射を毎日しました。入信後ずっと浄化を戴き、頭の芯が痺れ、ぼんやりして居ります。霊がぬけて行く様な気持は楽にして頂きましたが、頭の浄化は増(益?)々苦しくなり、喧ましい物音を聞いても頭に響き、胸が悪くなります。始終諸々の混じった尿が出ます。目先は何か覆い被さった様な感じで、時々物の形がゆがんで見えます。御浄霊を戴くと大きなアクビが引っ切り無しに出ます。今後は全治させて頂きますものでしょうか。

〔御 垂 示〕

 之は霊が憑るんですがね。死霊が憑るんです。医者の方で言うと心臓神経衰弱ですね。救われない霊が、何か目的があるんです。大した問題じゃない。こう言うのは、良く祀られていない霊が憑る事が多いですから、よくそれを考えてね。行方不明になって死んだ――つまり無縁ですね。そう言う事や違ったやり方をしたのや――そう言う事をよく考えて見て、それをちゃんとしてやれば良いんですがね。それから、やっぱり浄霊は始終してやる。そうして、そう言った霊を浄めてやるんですね。そうすると、それだけでも治ります。祀ってやれば、余計早く治ると言う訳ですね。

 之は薬毒病です。薬毒が減っていくに従って治って来ます。その代り相当長くかかりますから、それを覚悟しなければならない。少しづ(ず?)つ段々良くなる。色んな症状がありますが、全部薬毒の為です。之は頭に上るんですね。

 それから尿が出るのは結構です。それが出るんだから治って行くんです。ゆがんで見えると言うのは、固まりがあって、視神経を圧迫するからです。

 アクビ――之も結構ですね。霊が治っているんですから、それが体に写って、体が治っていくのだからね。之は絶対に薬を入れてはいけないですよ。それが病原になっているから、薬さえ入れなければ絶対に治ります。

(お 伺) 私は昭和二十年十二月入信させて頂きました。入信前には胃が悪く胃散其他の薬を飲みました。八年前には子宮が悪く、医者に十日ばかり通い注射もしました。十二、三年前にロート目薬をよく致しました。入信後は年に四、五回胃痙攣の浄化を戴き、痔の出血の浄化を一年位戴きました。今年の二月頃より目の浄化を戴き、症状は両上瞼に次々と目パチコが出まして、下瞼は腫れて眼球は赤くなって居ります。片方は殆んど目が開かない状態にあります。現在毎日御浄霊を戴いて居りますが、今(未?)だに目の浄化が続き、近頃は体も痩せて来ました。御浄霊の箇所御垂示賜り度く御願い申上げます。

〔御 垂 示〕

 胃が悪いのは医者の為です。それから、子宮が悪く注射した――之も祟ってます。ロート目薬―目の悪いのはこの為です。胃痙攣と言うのは胃散が残っているんです。つまり、ロート眼薬と言うんですね。目は、一体に長くかかりますがね。痩せて来たのは、微熱があるからです。胃の薬は背中に固まってますからね。背中を浄霊すれば良い。痩せたんだから、食欲も減った訳ですね。背中の浄霊と――目薬を入れて、人間は仰けになって寝るからね。そこで、薬がこっち(後頭部)に固まる。ですから、目の後を浄霊する。之は目もちゃんと治ります。目ヤニがでないかね。目ヤニが出れば良いです。

(お 伺) 私の次女純子(三歳)は一カ月程前に下痢と高熱の為引付けを起し、二、三日置いて発熱、前後三回の引付けを起しました。其後一週間程四十度前後の熱が続き、危篤状態に落入(陥?)り、口から蛔虫を一匹あげました。其頃より熱は下りましたが、変な目付きをする様になり、頻りに延髄付近をさすり、苦しい時にはゴロゴロ転り廻って居りました。三年前主人の妹久子(二十四歳)は急性肋膜炎腸結核で三カ月程病み死亡致しました。死亡前には目が吊上がって、顔は強張り、大変恐ろしい顔になり、本人は顔が々々と無意識に言い乍ら頬をかきむしって居りましたが、其様な状態の儘二、三日で死亡致しました。其日が丁度、久子の姉の命日でした。純子も其時と同様な顔を致しますので、御浄霊に来て居た弟が、龍神が憑ったのではないかと申しますので、気がつきました。と申しますのは、私の家の祖父が本山より戴いて来たと言う「九頭龍大神守護」(戸隠山八大龍王)と言う軸物を祀り、龍神を信仰し他人の歯痛を治して居りました。父も在世中迄祀って居りましたが、十二年前死亡してより祀って居りません。祖父は中風で死亡、父は脳溢血で、母は中風で夫々死亡、又純子の姉(桂子)は、三歳の時腸炎で、五年前に死亡致して居ります。現在純子は御守護により大分快方に向って居りますが、未だ足に力が入らずヨロヨロ致して居ります。純子の浄化と右の事項と、何か霊的関係が御座いましょうか。又右軸物は如何すれば宜敷いでしょうか。御神体はお祀りさせて戴いて居ります。

〔御 垂 示〕

 九頭龍は居やしない。贋物です。之は嘘だ。

 最初はこの龍神らしいんですが―戸隠山は邪神が居るんです。私は七、八年前になりますがね―信州に行った時、戸隠山に参詣しようと思って行った。処が、事情があって他所を通って行って見たが、道が壊れて行けなかった事があるが、神様から――未だ行っては早いからと思われたので止しましたが、そんな訳で、戸隠山は仲(中?)々曰くがあるんです。だから、この龍神も良い働きはしないんです。一寸した事で怨んだりします。最初はそれでしょう。そうして亡くなった霊が憑いたんでしょう。然し、そんな事を色々と面倒ですからね。龍神の軸は何処に仕舞ってる。

 「二階の押入に入って居ましたのを、今は御神前の床の隅に置いて居ります」

 それは、御神前を一寸避けて、向って右に台を置いて、その上に置く。そうして、光明如来様にお礼をした後で、一寸頭を下げる程度で良い。すると、喜んで――光明如来様の光を受けて段々改心します。それで良い。そうすると、子供の方も良くなる。

(お 伺) 本年三十一歳になりますが、二十歳の時盲腸を手術致しました。昭和十六年に北支に嫁ぎました。翌十七年に肋膜にて、軍の病院に入院致し、四十日位で退院し、子供も出来ましたが、夫が召集の為本国に帰り生家に帰りました。十月に御光りを戴き御浄霊をさして戴いて居りました。去年十月より大浄化を戴き、先生方に御浄霊をお願いして、良い方に向いましたが、咳の為に声が出ません。夫は戦死して居り、病床に迎えに来ると申します。何か霊的関係が御座いませ(?)しょうか。八月中旬より足が腫み、食物は三度の都度一膳位頂いて居りましたが、九月三日より浄霊を()めて欲しいと言うので休ませて頂きました処、四日より六日迄食事を致しません。六日夜、父が御浄霊させて戴きましたら、突然食事が欲しくなり、一膳食べ、七日の朝も食べ、六日の夜は良く休みました。御浄霊の箇所を御教示御願い致します。

〔御 垂 示〕

 霊的関係がないとは言いませんがね。夫に信仰がなくて、分らないと迎えに来るんです。然し迎えに来ても、こっちに御守護があれば何ともない。信仰が徹底しなければならない。フラフラしていてはいけない。この人は少しフラフラしている様だから、徹底しなければならない。絶対に神様にお縋りして――と言うのでなければ――そうすれば、迎えに来ても諦らめて()めますよ。邪神に憑かれ(られ?)るとか、霊に何うかされるとか言うのは、信仰が弱いからです。絶対の信仰なら先が諦らめて了う。霊と言うのは隙を狙うんですからね。絶対の信仰なら隙がないから、先が諦らめる。だから、この人は出来るだけ御神書を読むんです。そうすると段々分って来て、信仰が厚くなる。浄霊は背中から横腹ですね。背中を押して見(み?)て痛い処があれば、そこに固まりがあり、そこから熱が出る。盲腸の方は、お腹から右の方の股にかけて、それから盲腸の後にかけて――そこを触って見(み?)れば熱いから、そこをやれば治りますよ。

(お 伺) 昭和二十三年十一月二十五日下顎骨が顎裏を破って膿と共に排泄致し、現在尚破れた口(二寸位)の両側が髭のある儘内側に巻込み、丁度ザクロの割れた様になって皮が張って了い、此処から絶えず唾液が流れたり、息も洩れたり致します。唇、下顎あたり全体は絶えず痺れて、締付けられる様な感じと激痛が続いて居りますので、長時間体を動かしますと目眩が致します。下歯は肉についた儘残って居りますが使用出来ず、奥歯が口を動かす毎に上顎をつき上げ、その痛みの儘苦しんで居ります。御陰様で食欲がありますので体力は御座います。余りに長い御浄化に家族の者は罪の深さを知って、浄化中の父と母と兄嫁を残して、兄弟三人御神業に専念させて頂いて居ります。

 信仰上到らぬ点並に御浄霊の急所と皮の張った傷口と残った奥歯は、今後何の様になるもので御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 この人は以前に何か薬を入れた事があるのですか。

 「性病の様な事も多少あり、薬も随分入れて居ります」

 それです。薬毒ですよ。薬毒がそこによって出ようとしている。薬毒が沢山あるから日がかかる。浄霊を始めてから何の位になりますか。

 「三年位です」

 その位じゃしようがない。私は歯を毎日浄霊してますが、之で三十六年です。

 「傷口ですが、巻込んだ儘毛が生えて参りますが」

 それは切ったら良い。

 「その間に歯が顔出して居ります」

 色んな変化があります。結局、薬毒ですよ。ですから、薬毒を簡単に思うが、薬毒は大変なものです。私は浄霊始めてから二十年になるが、未だ解決しない。今でも毎日やってます。慣れっこになって了ったが、年々治って来ます。薬を入れたのが昭和三年ですからね。未だ取れない。薬毒の少しひどいのは十年、二十年は何でもない。だから三年位ではね。迷ったり、()れたりしては神様に申し訳ない。命がないんですからね。それに感謝する事で、それに一寸でも――何うかすると、御守護が切れます。

(お 伺) 十二歳の男の子と九歳の女の子の兄妹が生れつき目が悪く、男の子は四歳頃迄歩く事が出来ず俯いて許り居りましたが、其後薄く見える様になり、外え(へ?)出て遊び、絵本等も三寸位の近い処では見える様ですが学校え(へ?)は行けません。低能で凶暴性で、気に入らぬと物を投げたり毀したり暴れ廻り、手のつけ様がなかったのですが、三週間浄霊を続けましたので、大分大人しくなりましたが、目の方は何の変化もありません。目の玉は黒目は美しいのですが白目は腫れ上って、玉は堪(絶?)えずクルクル動いて居ります。

 女の子は男の子よりは少し良く、歩くのも普通に歩ける様になりました。智能も普通ですが、やはり学校え(へ?)は行けません。父親は四十七歳ですが、結婚前に梅毒をやった事のある人です。長男や長女は至って健康ですが其次が死産し、其後二人生れて間もなく死亡したとの事です(其次に生れたのが前記の男と女の子で御座います。其下に男の子が居りますが、何の異状もありません)其頃父親は脳を患い、松沢病院に入院した事もあります。現在は酒屋をして居りますが、妻君が総てをやって居ります。主人は人に挨拶もせず、笑った事も余りない様です。やはり目が悪く、時々自分で洗って居ります。

〔御 垂 示〕

 随分厄介な事だね。何か頭に祟ってるんですね。頭の浄化の為ですね。之は頭に非常に毒があるんです――系統的にね。そこにもっていって、梅毒で薬毒を入れたからね。之で皆な頭が悪くなるが、之は梅毒と、梅毒を治そうとする薬ですね。その薬毒です。それが悪いんです。事実は梅毒よりも、それを治そうとする薬の方が、余計毒を与えている。梅毒より六〇六号が恐いんです。六〇六号をやった人は必ず頭が悪くなります。この家は信仰に入っているんですか。

 「入っていない様で御座います」

 信仰に入って奥さんが熱心にならなければならないですね。そうして、非常に罪が――メグリがうんとあります。頭が悪いと言う事は祖先が霊界で苦しんでいると言う事ですね。こう言うのは祖先の罪のメグリですね。それが頭に来ます。霊界で祖先が非常に苦しんでいる。早くお祀りさせて、徹底的に信仰させる。それより他に救われる道はないです。

(お 伺) 風間タネ(六十八歳、医学博士)は本年四月に左の乳癌を手術後六月頃より下半身麻痺状態となり、医学的処置なき為、七月十日より御浄霊をさせて戴いて居ります。御浄霊一週間にて麻痺部分に稍感覚が出て、手を触れて感じる程度になり、一カ月程経て背中に大豆程の「オデキ」が次々と出て現在も続いて居ります。最近は僅かに尿意を感じて参りましたが、現在胸元が息苦しく、食欲が幾分減退気味で御座います。便通は付添人が押出さないと出ない状態です。今後御浄霊を続けさせて戴きます上に、注意すべき御浄霊の箇所御垂示御願い申上げます。

〔御 垂 示〕

 オデキが現在も続けて出るのは結構です。之は手術の為ですね。麻痺状態と言うのは――乳癌の手術したら大抵は手が麻痺するんです。麻痺して手が腫れて来るんです。この人は半身全体が痺れたんですが、之は勿論手術の為です。乳癌を手術した人はそうなりますね。

 背中に大豆程の――之は結構ですね。之は薬が出るんですからね。然し之は長くかかりますよ。つまり手術の時の消毒薬ですね。この消毒薬は、最初痺れて、それから他の方にいって固まり――長いものですよ。

 便通は無理に出さない方が良いですね。こう言う癖をつけると、余計便通(秘?)になりますから、我慢が出来れば、半月でも一カ月でも放ったらかして置くんですね。何時か出ます。便と言うのは出る事になっているからね。そうして気長にやっていると段々良くなって来ます。唯、こう言うのは薬の性質と量が判らないと、何の位長くかかると言う事は分らないが、やるだけは少しづ(ず?)つ良くなって来る――と言う事は分る。

 それから光明如来様をお祀りしなければならない。それも無理ではいけない。それから御神書を読ませる。そうすると本当の事が分って来る。そうしてお祀りする気分が出たらお祀りして――そうすれば、結局は救われるでしょう。

 

【御 教 え】

 文明の創造の医学だけは大体出来た訳ですが、今度は宗教篇に入って来たんです。科学篇、宗教篇と天国篇ですね。で、宗教篇も普通のお説教的な説き方では面白くもないし、分るのに手間がかかるので、出来るだけ分り易く興味のある様に書いたんですが、最初は霊的の病気ですね。それを説いて、段々宗教的にやっていって、そうして段々深く徹底する様に書こうと思っている。

 

精神病と癲癇

(『文明の創造』より)

 霊的病気のうち最も王座を占めているものとしては、精神病と(てん)(かん)であろう。まず精神病から書いてみるが、これこそ全然霊的病気であって肉体に関係のない事は、健康者であっても、この病気にかかるに見て明らかである。この病気は誰も知るごとく、普通人間としての精神状態を失い、意識がめちゃくちゃになってしまうが、その状態も人によって千差万別であり、一人でも色々に変化するどころか、一日の中でも、いや一時間の間でも、その変化は目まぐるしいほどである。

 この病気に対しては、医学でも相当以前から研究に研究を重ねているが、今もって分からないので、治療効果においても、何ら進歩は見られない。ただ施設や患者に対する諸種の対策が、相当進歩したに過ぎないのである。何しろ生命には別状ないとしても、家族的にはずいぶん人手が要るので、実に始末の悪い病気である以上、どうしても病院へ入れなければならない事になるが、現在公共的の方は収容力も足りないし、そうかといって私設病院では金がかかるという訳で、全く悲惨そのものである。近来精神病や癲癇を治すべく、頭脳の手術を行うが、これは全然無効果のようである。何しろ医学は唯物科学であるから、手術に目をつけるのも無理はないが、この病気は肉体との関係ははなはだ薄く、目に見えざる霊の作用が主であるから、霊的に治すより仕様がないのである。それをこれから詳しく書いてみよう。

 右のごとく霊的病気であり、これこそ(ひょう)(れい)が原因なのである。その場合憑霊の位置は前頭部に限られているもので、なぜ前頭部に霊が()るかと言うと、その部の霊が希薄になるからで、つまり局部的脳貧血である。この脳貧血の原因といえばさきに述べたごとく、首の周りに毒素が集留し易く、それが両延髄及び(りん)()腺付近に固結するので、その固結が血管を圧迫するため、頭脳へ送流される血液が減るからである。

 ここで、なぜ霊が憑依(ひょうい)するかの理由であるが、それを説く前に霊界なるものを充分知っておく必要がある。元来霊界とは現象界、空気界の外にある第三次元の世界であって、つまり空気よりも一層非物質的であるので、今日まで無とされていた世界である。従ってこの霊界は現在までは一部の人を除く外、一般人にはほとんど信じられていなかったのである。というのは唯物科学がそこまでを把握するほど、進歩していなかったからである。しかし事実は物象界空気界よりも、一層重要なる、いわば万有の根源的力の世界であって、地上一切はこの力によって生成化育されているのである。別言すればこの世界は表が物象界で、裏が霊界と言ってもいいので、人間で言えば肉体は物象界に属し、心は霊界に属しているのである。この理によって人間も動物も、死と共に肉体は現界に遺棄(いき)され、霊は霊界に帰属する。つまり人間の死は体は滅して、霊だけが永遠に残されるのである。そうして霊界の生存者となったあらゆる動物の内、狐、狸、龍神(蛇)等が生きてる人間の霊に憑依する。というのは前述のごとく人間の霊の頭脳の一部分が希薄になっているからで、もし充実していれば、決して(かか)り得ないのである。これを詳しく言えば、例えば霊が充実して十であるところへ、一だけ欠ければ九となるから一だけ憑れる。それが二となり三となり、半数の五以上となると、それだけ憑霊の方が勝って、人霊の方が負けるから憑霊の自由になる。これが精神病の真の原因である。

 とすれば精神病の原因は、全く脳貧血であって、その因は固結の圧迫にあるのである。しかし単に貧血だけならまだいいが、延髄部の圧迫による貧血は睡眠不足の原因となるのでこれが恐ろしいのである。何となれば精神病になる初めは、例外なく睡眠不足が何日も続くからである。その理由は本来脳貧血とは体的の症状であるが、霊的に言えばその部の霊が希薄になる事であって、いわば(ひん)(れい)である。ところがその貧霊部、すなわち霊の量の不足に乗じて、その量だけ彼ら邪霊共は憑依(ひょうい)ができるのである。憑依するや人間と異なった彼らの性格は、動物的意欲のまま露骨に振舞う、これがすなわち精神病の症状であって、その動物の割合を言えば、狐霊が八十パーセント、狸霊が十パーセント、残り十パーセントは種々の霊であろう。

 右は純精神病を書いたのであるが、ここに誰も気付かない驚くべき事がある。それは現代の人間ことごとくと言いたいほど、軽い精神病にかかっている。もちろんその原因は一般人ことごとくと言いたいほど、頭脳に多少の欠陥があるからで、ごく上等の者でも十パーセントないし二十パーセントは冒されており、普通人はまず三、四十パーセントくらいであろう。ところが四十パーセントまではまだいいが、五十パーセントを越えると大変である。真症(しんしょう)の精神病者となるからである。だが憑霊というものは一定していないもので、絶えず動揺している。それは欠陥と相応するからで、その意味は霊の厚薄が絶えず増減しているからである。そうしてこの憑霊にも二種あって、生まれながらにその人に定住的に憑霊している動物霊と、後天的臨時に憑依する霊とがある。今これについて詳しく説明してみるが、まず人間がこの世に生を受ける場合、さきに述べたごとく、初めポチすなわち魂が宿るが、この魂なるものは神の分霊であって、人間の中心であり、主人公である。これを本守護神といい、次は人間を一生涯不断に守護している霊がある。これを守護霊ともいい、正守護神とも言う。この霊は祖先の霊の中で霊界においての修行が済み、資格を得た者であって、この中から選抜されて、その人の一生涯の守護の役目を命ぜられる。次が副守護神と言って、これが動物霊である。この霊は動物ではあるが、実は人間生存上必要欠くべからざる役目をしているものである。そこでまず右の三つの守護神について説明してみよう。

 以上は、大体人間誰でもが持っている正規の守護神であるが、第一の本守護神なるものは神の分霊である以上、その本質は良心そのもので、昔からよく言われる人の性は善なりとはこれを指したものである。第二の正守護神は人間が危険に遭遇する場合、それが霊界に先に起こるので、それを知って危難をまぬがれしむるべく努力する。世間よく虫が知らせるとか、その時気が進まなかったなどというのは、正守護神の注意である。また人間が罪を犯そうとするのを犯させまいとする事や、常に悪に引込まれないよう警戒し、正しい人間にさせようとする。それには神仏を信仰させるのが最良の方法として導こうとする。ところが正守護神がどんなに頑張っても、邪神の強いのに()うと負ける事があるので、そのため不幸を招く結果となるから仲々大変である。そこで正守護神は常に邪神に勝つ力を求めている。それには人間が立派な信仰に入らなければならないといふ訳で、本教へ導く事が日に月に増へつつあるのである。次の第三の副守護神は動物霊であるから、悪の本来として一刻の休みもなく人間に悪を考えさせ、悪をさせようとする。悪とは帰するところ体的欲望の本尊(ほんぞん)である。いかなる人間でも金が欲しい、女が欲しい、贅沢(ぜいたく)をしたい、名誉が欲しい、人に偉く見せたい、()け事や競争に勝ちたい、出世をしたい、何事も思い通りになりたい、という限りない欲望がそれからそれへと湧いてくる。そこで昔から信仰によって、この果てしない欲望すなわち煩悩(ぼんのう)を押えようとして修養する。それがともかく今日まで人類社会は破滅を免れ得て来たのであるから、大いに感謝すべきである。しかしながら実際上人間がこれらの物質欲がないとしたら、これまた大変である。何となれば肝腎な活動力がなくなってしまうからである。従って何としてもこの点が仲々難しいのである。ではどうすればいいかというと、これは別段困難な事はない。つまり人間は神から与えられた良心を発揮させ獣から受ける悪に勝てばいいのである。といってもそれには自ら限度がある。すなわち善も悪も決定的に勝負をつけてはいけない。この意味は人という文字を解釈すると実によく分る。それはノは天から降った形で、神の分霊であり、ヽは地上にいる獣の形である。としたらノが上の方から押えており、ヽはノを支えている形である。であるから人とはノとヽとの間になるから、人間の文字もよく当てはまっている。すなわち人間は善と悪とを両有している。天性で幾分でも善が勝っていれば間違いないのである。従って人間は向上すれば神となり、下落すれば獣となるので、この理によって人間の限りなき欲望も、ある程度で制御(せいぎょ)する事ができるので、これが真理であるとしたら、限度を越えれば人ではなくなり、Xの形となる。すなわちバッテンであるから抹消の意味であり、亡びるのである。右の理によってどうしても人間本来のあり方は、悪を制御するだけの力をもたねば安心ができないのであるが、それには力がいる。その力こそ神から与えられるべきものであるから、信仰が必要となる。さすればいかなる世にあっても、何ら不安なく、永遠の幸福者となり得るのである。

 以上説いたごとき真理を、霊界の修行中知った正守護神は、極力子孫を正善に導こうとする。ところが副守護神の方はその反対であるから、極力妨害し、悪に導こうとして、心の中で常に争闘している。これは誰でも経験するところであろうが、そればかりではない。こういう事も知る必要がある。それは人間一人一人異った性格と技能をもっている。これは神が世界を構成する上においてそうされ給うのであって、これを補佐し、天性を充分発揮させるよう正守護神は、神の命を(ほう)じて専心努力しているのである。この手段として正守護神は、まず第一にその人間の魂を磨くべく、非常な苦痛を与えるが、これは向上のための修行である。これもその人の使命によって、大中小それぞれちがう。例えば使命の大きい者ほど、苦難も大きいから、むしろ喜ぶべきで、私などもそうである。また運命の転換という事は、神から仕事を換える命が正守護神に下るからである。そうして神にも階級があり、人間界と同様御役(おやく)の種別もあるので、人間に命ずる場合も、それ相応の神によるのである。この意味によって人間界の構成を書いてみるが、分り易くいえば人類を(よこ)にみれば千差万別、それぞれ能力が違うが、(たて)にみれば上中下の差別だけである。その証拠には一民族を支配するとか、一国、一地方等の支配者は、それに相応する能力を与えられており、最高の地位に昇る人は、世界でも数人に過ぎないが、下に下るにしたがい段々数が多くなる。最下級になるほど多数である事実はそういう意味であって、神は経綸上一切過不足なく、適切巧妙に配置され按配(あんばい)される。その深遠微妙なる御神意は、到底人間の(うかが)い知るを得ないのである。またこれを鉱物にたとえてみると一層よく判る。最高のダイヤモンドからプラチナ、金、銀、銅、鉛、鉄というように、最高ほど産額が少なく、最低の鉄に至っては、最も多産であるにみても明らかである。この現実が分っただけでも人類社会の真相は認識されるであろう。この理によって階級闘争が、いかに間違っているかが分るはずである。

 ここで前に戻って、再び精神病の説明に移るが、これは別な面であるから、そのつもりで読まれたいが、世間非常に偉い人でも時により迷ったり、間違った考えや、道に外れた行為をする事がよくある。アレ程の人が、こんな事をするとは腑に落ちないとか、あんな失敗するなどは意外だなどという事がある。また歴史上からみても、大英雄がつまらない一婦人の色香に迷い、千仞(せんじん)の功を一気に欠くような事も往々あるが、これはどういう訳かというと、前に述べたごとく、平常十か二十パーセント以内の欠陥なら無事だが、成功して思い通りになると慢心と我欲のため、頭脳の欠陥が増えるので、それに乗じて力のある動物霊が憑依したり、副守護神が頭へ上って、ノサバリ始めるので、三十以上にまで押し拡がり、智慧も暗くなるので、良いと思ってした事が反対になり、大失敗するので、英雄などによくある例で、右のごとくどんなに偉い人でも信仰がない場合、動物霊すなわち悪霊が憑依するや、それが最善の手段のように思わせるが、実に巧妙な邪智は、到底看破(かんぱ)できないのである。それがため遂に大失敗をするのであるから、実に恐るべきものである。そうして特に心得べき事は、その手段方法が私利私欲が目的であればあるほど、失敗は大きくなるに反し、天下公共のためというような利他愛のためとすれば、失敗してもある程度で喰い止り、ふたたび立上る事ができるのである。何となれば前者は神の御守護がないが、後者は御守護があるからである。

 そうして霊界においては、無数の悪霊が百鬼(ひゃっき)夜行(やこう)的に横行しているので、隙さえあればたちまち憑依し、(だま)し、迷わせ、悪を行わせ、不幸に(おと)し入れるので、これが彼らの本能であるから、少しの油断もできないのである。ところがこれに対抗して飽くまでそうさせまいとする(よう)()者が正守護神であるから、正守護神には大いに力を得させなければならないのであって、それには立派な信仰へ入り、神の力を恵まれるべきである。

 次は(てん)(かん)であるが、これは精神病と似て非なるものであって、この病気はことごとく死霊の憑依である。何よりも癲癇の発作が起るや、人間死の刹那の状態を表わす。例えば水死した霊が憑かると泡を吹き、もがき苦しむし、また水癲癇といって、水を見ただけで発作が起るのは、あやまって水へ落ちたり、突落されたりした霊でその刹那(せつな)の恐怖が残っているからである。また火癲癇というのもあるが、これも火に焼かれた霊であり、その他獣や蛇、種々の虫を見ただけで恐怖し、発作するのはその物のために死んだのである。またこういうのがある。人込みへゆくと発作が起るが、これは人込みで踏み潰されて死んだ霊であり、汽車電車に乗るのを恐れたり、誰かが背後に近寄ると恐れる人なども同様である。以前こういう変ったのがあった。それは一人での留守居は、恐ろしくて我慢ができず、門の外へ出て人の帰るまでたたずんで待っているというので、これも前世一人で家にいた際、急病などで死んだその恐怖のためである。まだ色々あるが、以上によって考えればだいたい判るであろう。

 ここでついでだから、真症小児麻痺について書いてみるが、これは脳溢血(のういっけつ)で死んだ祖父母の霊がほとんどである。この原因は脳溢血で急死した霊で、生前無信仰で霊界あるを信じていないため霊界へ往っても死を意識せず、生きていると思っているが、肝腎な肉体がないので、(しゃ)()()()に肉体を求めるが、その場合他人に憑く事はできない霊界の規則であるから、自分の霊統の者を求める。もちろん霊統は霊線で(つな)がれており、子供は憑依し易いので、多くは孫を目がけて憑依する。その場合数日間発熱があり、()(ほう)症や半身不随となる。ちょうど中風そのままであるのは、右の原因によるからである。

(御論文「精神病と癲癇」の後の御教え)

 人と言う字の「丿」ですね。之は天から神の分霊が降った形です。下でつっかえ棒をしているのは、下から支えている。上は神から来たので、下は獣から来たのが支えている。之が善と悪で――之が人になっていれば間違いない。悪は横棒です。物質欲――体欲です。悪がなければ人間は活動力がなくなる。そこで之が勝つと間違う。之が勝つと「×」になる。「×」は物を消すのですからね。消すとすれば滅びて了う。だから「×」にならない様に――「人」の形になっていれば間違いないのですから、之の「丿」の上を抜かない様にするんですね。然し之「乀」がなかったら大変なんです。仏教や、キリスト教なんかで禁欲主義―仏教では山に籠ったりするんですね。

 之「丿」は善です。処が「乀」の悪の方が勝つから「×」になる。文字は神様がつくったので、実に良く出来ている。序でだから言いますが、「正」と言う字の上下に棒があるが、この上下を上、下で支えている。上下を止めてある。上と下があって、それを止めてある。つまり偏る事がいけないので、両方同じでもいけない。つまり善の方が少しでも勝っているんです。

 この間女の作家で、大庭さち子が来ましたが、男女同権論の話が出て、先に男女合権論を書きましたが、結局男が五分五厘で、女が四分五厘なら、それで良い。五厘違えば良いです。併し、それに非常に攻撃をしましたがね。ひどい事には女の方が上だと言うのです。上か下か――第一人間の根本の姿を考えて見(み?)ると良い。第一人間は、最初は腹に宿るんです。その種は何処から来るかと言うと、それは男の種です。女はそれを養育するんだから、根本は男にある。話をして非常に面白かったですがね。つまり、それさえ心得ていれば良い訳ですね。今の意味はそれを書いたんです。

 ここ(御論文)にも、私の書いたり説いたりした事が相当あるが、大体第三者に見せるのですから止むを得ない。つまり宗教ですね。宗教の説き方はこう言う風に説いて行くと良い。飽きずに読めます。第一、誰も読み易い。手近な例を説明して行きますから分り易い。

 こう言う説き方で段々説いていく積りです。そうして始めて、人間は悪い事をしてはいけないと言う事が分って来る。今迄のバイブルなんか――「汝こうするな」「汝何せよ」と言った処でピンと来ない。こう言う意味も書いてあります。要するに、新しい宗教の説き方で、それを段々説いていくうちに神様と言う事になる。神様を科学的に説明するんです。之も非常に大胆な、新しい試みです。驚くだろうと思ってます。今迄神様なんて事は、皆恐れ戦慄いて触れる事を避けているが、無理もない。それを書く人の方が神様より下だから恐いが、私の場合は、私より上の神様はないんだから、大いに知らせるんです。又それでなければ五六七の世は出来ないんです。「見真実」と言うのは、一人の専売ではなくて、皆な「見真実」になれば、悪い――間違った事はなくなる。之も時節です。今迄はそう言う事が出来ないがね。今迄は悪が実際に必要だったんです。悪がなければ物質文化は発達しないんです。悪がここ迄発達すれば、反って悪があっては困るんです。それで、悪を打切りにするんです。その為にメシヤ教が出たんですから、全てはっきりしなければならない。之から宗教に入るに従って、そう言う事を徹底して書いてます。非常に為になるものです。

 

 

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