今度は割合雨が降る様ですが、箱根は、本当は雨が降るのは良いんですがね。熱海は天気が良い方が良いですがね。之は負け惜しみでも何でもない。箱根は火ですからね。火は水によって燃えるんですから、本当は箱根は雨が降る程火の力が出て来る。去年は良い案配に余り雨が降らなかったのは、設備が――去年は振っては困るだろうと言うので、神様が気をきかしたんです。今年は設備が出来たんで、之なら本当に、雨の方が良いと言うのです。ですから、私が箱根に来る時は必ず雨が降る。熱海に帰る時は必ず天気になる。之が本当の――本式と言いますか――良い訳なんです。
それから、浄霊の方法ですが、今迄は振ったんですが、振ると、どうしても力が入る。そこで、之からは振らないで、つまり之を原則とする。場合によっては少し振っても良いが、大抵は振らない。そうすると、力が入らないんです。入らない程光が余計出るんですからね。然し、唯こうすると言っても、霊が通る様に出来るだけ遠く迄、霊がいく様にすれば良い。力を入れないで、霊が通る様にするんだから難かしいんです。要するに熟練ですね。そうすると非常に良く治る。何倍か治る。だから、少しも力を入れないんですね。慣れて来ると良い。私なんかも力を入れない方が治りが良いです。お腹の光が出る場合に、力を入れると――幾らか出が悪くなる。
病貧争絶無の世界ですね。病気は何時も精しく言ってますから、今更説明の様はないと思うんですが、貧乏ですね。貧乏と言うと、世界中の貧乏は大変ですからね。今としては日本ですね。日本から貧乏を無くすとしても、一番多い階級は農民ですね。日本の農民は、大体人口の八割あるんですからね。ですから、農民の懐をあたたかくすると言うのが根本ですね。一番いいですね。そこで、農民の懐があたたかくなれば、購買力がつくから、商工業も盛んになる。それから、もう一つは農作物が増えれば、日本が外国から買わなくても済むから、日本全体の懐が良くなる。今年の米作は六千四百万石ですね。すると、二千万石足りない。二千万石外国から買わなければならない。その金が大変です。之を買わなくすると、日本全体としては、何の位裕福になるか分らない。ですから、日本から貧乏を無くするには、一番は米の増産です。あとは知れたものです。そこで、貧乏を無くするには何時も言う通り、自然農法にすれば良いんです。自然耕作にすれば、五年続けると、五割の増産は間違いない。何しろ、今迄肥毒をうんと――土にも入っているし、種にも入ってますから、之を抜くには、どうしても五年かかる。大抵二年目、三年目からは段々良くなって来ますがね。之を知らせ様として、今本を拵えています。それには、今年の収穫――それを実例として載せ様と思っている。今年は余程肥毒が抜けているから、成績が良い訳ですから、それを実例として載せて、単行本を作って、日本中の農業関係――農会とか、それから国会議員だとか、新聞方面だとか、兎に角大いに自然栽培と言うものを叩き込もうと思っている。で、そう言う方面に無料で配付しようと思っている。座談会、講演会をして早く日本中に知らせ様と言うのが、一番肝腎な事です。
もう一つ肝腎なのは、結核問題ですね。之も、今の米の収穫と同じ様に、一番必要な事です。結核問題と、今の米の問題と二つが解決すれば、日本はうんと楽になる。半分位五六七の世になります。結核問題には「結核の革命的療法」を読ませたい。随分徹底して書いています。今迄、厚生省とか――そう言った方面を良く調べて見(み?)ると、差し支えない事が、段々はっきりしてきた。ですから、もう少し経ったら、あれも大いに広告して――今迄は信者だけだったのですが、今度は一般に売って読ませ様と言う積りで、今計画してます。そうして、今言った結核問題と米の増産問題と、それを大いに解決しようと思ってます。
処が、もう一つの問題は――之は日本だけの問題ではない。世界的ですが、第三次戦争ですね。之は世界中の悩みですけれど、今迄戦争面については余り私は言わなかったですが、どうしても書かなければならない。知らせなければならない。と言うので書いたのです。戦争は起らなくて済む事も出来るんです。処で、日本に居るアメリカ人の一部で、メシヤ教を研究している集まりがあるそうです。ですから、今度の「栄光」に出す積りです。それをやっぱり翻訳して、無論本国の方にも送るに違いない。だから、先ず第一歩に外国の頭に入れる必要があるんです。それで書いたんです。このアメリカ人達は「栄光」や「地上天国」が出る度に、翻訳して読んで研究しているそうです。それは良い意味に於て研究しているんですから、兎に角――当り前の話で、メシヤ教のああ言うものに出ている記事なんかは、恐らく世界中にないですから、注目されなければならない筈です。
第三次戦争は免れる事が出来る
(栄光一二六号)
今最も世界人類に脅威の的とされているのは何といっても第三次世界戦争であろう事は、今更言うまでもない。現に日本は固より、全世界の識者という識者は、夫々の立場からこれを防止すべく、全智能を絞って筆に口に論議しつつあるのは、人皆知る通りである。処がどうした訳か、独り宗教家に至っては、それに対し何等の発言をする者のないのは、実に心もとない限りである。
そこで先ず考えてみて貰いたい事は、一体宗教の目的は何であるかという事である。言うまでもなく、戦争のない平和時代を実現するにあるのは分り切った話である。としたら現在の如き、第三次戦争必至というこの危機に直面していながら、手も足も出ないのか、全然沈黙しているという状態は不可解の外はあるまい。成程宗教家たる以上、政府の命令のない限りと、又年齢的にも武器をとる事は出来ないとしたら、宗教家は宗教家なりに、相応した平和的手段を以て、戦争防止の為一役買うべきではなかろうか。この意味に於て私は、戦争発生の原因と戦争防止、否人類から戦争を絶無にする事の可能であることと、その原理をかいてみようと思うのである。
それに就いて、最も分り易くする為、病気を健康に就いての事をかいてみるが、いつもいう通り、病気とは人間の霊に曇りが溜り、その排除作用が肉体に映って生ずる苦痛であるから、人間の如何なる苦痛と雖も、原因は悉く霊の曇り、即ち肉体的に言えば汚濁の排除作用であるから、その苦痛を免れたいとしたら、汚濁を溜めないようにすると共に、既に溜っているそれを排除する以外、解決する事の出来ないのは当然である。
この理によって、集団的苦痛、即ち風水害、火災、地震、社会的暴動等も、悉く病気以外の浄化作用である。としたら、これの大きくなったものが勿論戦争である。従って、戦争が起らないようにするには、人間個人々々の霊の曇りを無くす以外方法のない事は余りにも明らかである。
万一第三次戦争が起るとすれば、それは全く霊の曇った人間が増え切って、どうにもならない状態となったからで、恐らく世界の殆んどは、現在汚濁人間で充満していると言っても過言ではあるまい。としたら何故この様に汚濁人間が増えたかというと、それこそ悪による罪が堆積したからであって、その根本原因こそ神の実在を無視する教育を受けて来た為であって、これが唯物教育であるから、この観念を是正する事によってのみ解決されるのである。では何故そうであったかというと、つまり唯物教育によって、人間の魂を極度に曇らせ、盲目同様にしたからで、寧ろ当然な結果である。
そうしてここで知らねばならない事は、万有の法則は汚濁の溜まる処、必ず自然浄化作用が発生する。例えば伝染病が流行するという事は、病菌発生が直接原因であるとしたら、その原因は何かというと、それは浄化の必要ある人間が出来たからで、相応の理による自然発生である。処がこの理は何物にも共通する。即ち地上にある凡ゆる物質、例えば如何なる大都市でも、建造物でも、凡そ物質と名のつくものは悉くといいたい程、現在のそれは悪によって作られたものである以上、言わば罪の塊であるから、いつかは清算されなければならない運命におかれているのである。
としたら人間も物質も、地上にありとあらゆる汚濁分子が一挙に浄化される。それが大戦争であって、これが宇宙の鉄則であるから、どうしようもないのである。この意味に於て第三次戦争を免れんとするには、この大浄化作用発生の必要のないまでに、人間はじめ地上一切のものが清浄化されなければならないのは分りきった話である。ではそのように一切を清浄化すべき方法はありやというに、私はありと答える。それが我救世教の使命であって、この事の為に我救世教は生まれたのである。
ここで別の説き方ではあるが、世界とは個人の集団であるから、個人々々が浄化の必要のないまでに立派な人間になりさえすればいいのである。立派な人間とは、勿論霊肉共に汚濁のない人間であって、そういう人間を造り得る力こそ、我救世教をおいて世界広しと雖も、決して存在しない事を私は知らせたいのである。これは理窟ではない。本教が現在行っている浄霊法を見ても分る。この方法が如何に絶大な効果があるかは、唯物医学で治らない重難病がドシドシ全治し、死を宣告された者が蘇生する等、無数に上る事実である。これだけでも多くを言う必要はあるまい。従ってこの空前の事実こそ、世界人類が救われ、地上天国出現の時期となった事の示唆でなくて何であろう。我救世教が全世界に拡がるとしたら、最早戦争による浄化の必要がなくなるから、戦争は起らないに決っている以上、ここに人類待望の平和時代が実現するのである。
これで大体分ったであろうが、要するに第三次戦争防止の手段こそ、我救世教を措いて絶対他にない事を断言して憚らないのである。故に万一それが間に合わないとしたら、第三次戦争勃発となるのは、免れ得ない運命として、何人も覚悟すべきであろう。
(御論文「第三次戦争は免か(が?)れる事が出来る」のあとの御教え)【註 栄光新聞一二六号】
之は日本人にも読ませたいが、外国人にも大いに読ませたいと思っている。つまり、大戦争と言っても、世界中に溜った塵芥を掃除する様なものですからね。メシヤ教が広がれば、楽な方法で塵芥が取れていくんですから、掃除の必要はないんです。理窟は甚だ簡単なんです。
それから、「文明の創造」も大体医学は書いたんですが、今宗教篇を書いている。宗教の七難かしい理窟は抜きにして、出来るだけ面白く、知らず知らず分かる様に書いてあります。その中で、仏教が一番肝腎ですからね。と言うのは、キリスト教や、そう言うのは良く分ってますからね。最初からね。一番分らないのは仏教なんです。そこで仏教を主にして書くんですが、中々――仏教の方も面白いですからね。仏教と言うのは、日本人がつくった。印度で生まれたけれども、元は日本です。それを精しく書きあげたんです。書いていると、どんどん浮んで来ますからね。私も大いに教えられる。
(御論文「仏教の起原」)
仏教の起源
(地上天国二九号)
観世音菩薩の御本尊は伊都能売神である事は、以前から私は度々知らしてある処であるが、これについて分らねばならない事は、元来仏身なるものの根本である。単に仏といっても実は二通りあって、本来の仏身と神の化身との両方ある。そうして本来仏とは約二千六百年以前、釈尊の時から生まれたものであって、その頃までは今日の印度は、当時月氏国とも言われたので、同国に於ては余程以前から彼の婆羅門教が隆盛を極めていたのであって、この婆羅門教なるものは、教義のようなものは更になく、ただ肉体的難行苦行によって、宇宙の真理を摑もうとしたのである。今日でも絵画彫刻等に残っている羅漢等は、その苦行の姿であって、この姿を見ても分るごとく、樹上に登って鳥の巣の如きものを拵え、それに何年も静坐をした。当時の高僧鳥巣禅師等もそうであり、又掌の上に塔の模型の如きものをのせたまま、何年もジットしていたりする等、何れも一種異様な形をし乍ら、合掌坐禅をしており、一々見る者をして奇異の感に打たれるのである。酷いのになると板の上に沢山の釘を打ちつけ、その上で坐禅を組むので、釘の尖で臀部に穴が穿き、出血と共にその苦痛は名状すべからざるものがあろう。併しこの我慢が修行なのであるから、到底今日では想像も出来ないのである。
彼の達磨大師にしても、面壁九年という長い歳月坐禅のまま壁に向って、瞑想を続けていたのであるから、その苦行は並大抵ではあるまい。茲で一寸達磨についての説であるが、右の印度の達磨大師とは別に、今から千二、三百年前、支那にも同名異人の達磨が現われたので、これがよく混同され易いようである。支那の達磨は聖徳太子の時代日本へも渡来し、太子に面謁されたという相当確かな記録を私は見た事がある。
話は戻るが、婆羅門の行者達は、何故それ程の難行苦行をするかというに、これについてはその頃多くの求道者達は、競って宇宙の真理を知ろうとして、その方法を難行苦行に求めたのである。丁度今日学問の修業によって、博士号や、名誉、地位を得ようとするようなものであろう。そうして達磨についての今一つの面白い話は、彼は面壁九年目の或夜、フト満月を仰ぎ見た時、月光が胸の奥深く照らすと思う一刹那、豁然として大悟徹底したので、その喜びは絶頂に達したという事で、それからの達磨は見真実の如くに如何なる難問にも明答を与え、当時抜群の行者として、多くの者の尊信を集めたという伝説がある。
そうして当時の印度に於ては、日本でいう天照大御神と同様、人民の最も畏敬の中心となっていたのは、彼の大自在天神であった。その外大梵天、帝釈天等々、色々な御名があるが、これは日蓮宗の曼陀羅に大体出ているから見ればわかるが、兎に角バラモン教が圧倒的に社会を風靡していた事は間違いない。処がその頃突如として現われたのが、言う迄もなく釈迦牟尼如来であった。この経緯は後にかくが、兎も角、皇太子であられた悉達太子が、修行終って大覚者となり、出山したのである。太子は幽現界の真相を会得し、燃ゆるが如き大慈悲心をもって一切衆生を済度せんとする本願を立てた。そうしてその手段として、先ず天下に開示されたのが経文を読む事によって覚りを得るという方法で、これを大衆に向って大いに説諭されたのだから、当時の社会に一大センセーションをまき起したのは勿論である。何しろ当時婆羅門式難行苦行を唯一無二のものとしていた事とて、喜んだのも無理はない。何しろこれに代るべきものとしての読経という安易な修業(行?)であるから、茲に大衆は釈尊の徳を慕い、日に月に仏門に帰依する者続出するので、遂に釈尊をして印度の救世主の如く信奉の的となったのは無理もない。その様な訳で、遂に全印度を仏法化してしまったので、これが仏教の起源である。それからの印度は、さしものバラモンの勢力も漸次萎靡不振となったのは勿論であるが、といって全然消滅した訳でなく、今日も一部には尚残っており、同宗行者は中々の奇跡を現わしているという事で、英国の学者中にも、研究の為印度に渡り熱心に研究する者もあるとみえ、私は先年その記録を読んだ事があるが、素晴しい奇跡の数々が掲載されていた事を今でも憶えている。
(御論文「伊都能売神」)
伊都能売神
(地上天国二九号)
前項に述べた処は、大自在天なる言わば婆羅門宗盛んであった頃の、主宰者を表わしたのであるが、その当時曩に述べた如く、日本古来の神々は印度へ渡航し、化身仏となられたのである。その化身仏の総領が伊都能売神であって、当時日本に於ける最高の地位であられたのである。処がその頃素盞嗚尊を中心とする朝鮮の神々が渡来され、伊都能売神の地位を狙って要望したが、容易に応諾されないため威圧や迫害等から進んで遂に生命にまでも及んで来たので、急遽御位を棄てられ、変身によって眼を外らし、密かに日本を脱出し、支那を通って印度へ落ちのび給うたのである。そうして観自在菩薩の御名によって、当時印度の南方海岸にある補陀落洛(補陀落?)という名の、余り高からざる山の上に安住せらるべく新たなる清き館を建てられたのである。この事は悲華経の中にある。曰く『観自在菩薩は補陀落洛(補陀落?)山上柔かき草地の上に、二十八部衆を従え、金剛宝座に結跏趺坐して説教をされた。云々』とある。当時まだ善財童子という御名であった若き釈尊は、この説教を聴聞して、その卓抜せる教えに感激と共に心機一転し、それ迄での悉達太子という皇太子の御位を放棄し、一大決意の下に、当時紊れていた俗界を離脱し、直ちに檀特の山深く別け入り、菩提樹(一名橄欖樹)の下、石上に安坐し、一意専心悟道に入るべく、修業(行?)三昧に耽ったのである。この修業(行?)の期間について、諸説紛々としているが、私は七カ年と示された。
そうして行成り出山するや、愈々釈迦牟尼如来として仏法開示にとりかかられたのであるから、実際上仏法の本当の祖は、日本の伊都能売神であった事は確かである。
そうして今一つ日本から仏法が出たという証拠として見逃し得ない一事がある。それは仏教でよく称える本地(本地?)垂迹という言葉である。これは私の考察によれば、本地とは本元の国即ち日本であって、垂迹とは勿論教えを垂れる事である。即ち最後に至って、故郷である日本全土に一度仏の教えを垂れると共に、仏華を咲かせ、実を生らせなければならないという密意である。又今一つは観世音の御姿である。その最も特異の点は漆黒の素直な頭髪であって、これは日本人特有のものである。それに引換え釈迦、阿弥陀は全然異った赭色、縮れ毛であるにみても、両如来が印度人であった事は明らかである。
又観世音の王冠や首飾り等も、高貴な地位を物語っており、頭巾を被られておられるのは御忍びの姿である。そうして又、釈尊の弟子に法蔵菩薩という傑出した一人がいた。彼は一時釈尊から離れて他の方面で修業(行?)し、行成ってから一日釈尊を訪れて言うには、『私は今度印度の西方に一の聖地を選びて祗園精舎を造り、これを極楽浄土と名附けた。その目的は今後世尊の御教えによって、覚者即ち仏の資格を得た者を寄越して貰いたい。さすれば右の極楽浄土、別名寂光の浄土へ安住させ、一生歓喜法悦の境地にあらしめるであろう』といって約束をされたのである。寂光とは寂しい光であるから、月の光である。処がこの法蔵菩薩が他界するや、阿弥陀如来の法名となって、霊界に於て一切衆生を救われたのである。つまり現界は釈迦、霊界は阿弥陀が救うという意味である。
そうして観自在菩薩は、終りには観世音菩薩と御名を変えられたのである。これは梵語ではアバロキティシュバラの御名であったが、後支那に於ける鳩摩羅什なる学者が訳され、観世音と名附けられたという事になっている。処がこの観世音の御名については一つの深い神秘があるから、それをかいてみよう。
(御論文「観世音菩薩」)
観世音菩薩
(『文明の創造』より)
(御論文「仏教の起源」「伊都能売神」「観世音菩薩」のあとの御教)【註 地上天国二九号】
浦島太郎が生まれたのは、信州の木曽川の附近です。之は未だ続くんです。この次は「彌勒三会」ですね。この前にも相当あったのです。そんな訳で中々面白いと思うんです。
それから、皆んな知っている通り、美術館は建築に取掛りました。来年の夏迄に完成する積りです。それから、向うの――裏手の流れの附近には「もみじ」を植え様と思う。大体「もみじ」を百本註文しました。それで、今橋の模型を掛けてありますが、もっと幅の広い太鼓橋の様なものを掛け様と思う。京都の通天閣の様なものにしようと思う。裏手の方は、そう言う訳で「もみじ」の山を作る。それを来年の夏迄に作り、それで神仙郷は完成するんです。美術館も色々調べた結果、出来上った上は日本一になる事は間違いないですね。方々に美術館がありますが、一部分だけです。全般的に――本当の支那、朝鮮のものを網羅している美術館はないです。東京では根津美術館ですが、あそこも、すっかり調べた結果、周の陶器ですが、之は日本一ですが、あとは大したものはない。それから、大阪の白鶴美術館ですが、あそこも、支那陶器だけは、やはり日本一のものがあります。今度大阪に行って、白鶴に交渉して、美術館に、優秀品を出品して貰う様に話す積りです。無論先方でも、そう希望している様な点がある様ですから、旨くいくと思う。それだけが主なものです。大原美術館だとか、今度近畿鉄道だとか、東京の石橋ビルがある。博物館ですが、考古学的、学問的が主になっていて、美術と言う点から言うと甚だ心細い話です。そんな訳ですから、こちらは日本一は間違いない。確信がついている。何だ彼だと言っても、神様が旨くやってますからね。不思議――奇蹟ですね。品物が集まったり、方々にあるのが分ったりする事が出来るんです。
熱海の方ですが、熱海の方は今年一杯に庭園の方は大体出来るんです。地上天国の真中の山は、「つつじ」を二千本植える積りです。「つつじ山」ですね。之は日本一に違いない。他にはないからね。之だけで日本の名物になると思います。山は大体出来ました。来月か再来月あたりに「つつじ」を植える。之も不思議なんです。三、四年前に、箱根の芦の(ノ?)湖の傍に岩崎の別荘があるが、そこの庭にあった「つつじ」で、岩崎ですから、金にあかして凡る種類を集めたので、それを千本買わないかと言うので買ったんです。何時か要るだろうと思って買ったが、何も見当がつかなかった。今考えると、神様がちゃんと用意されたんです。千本を掘って見(み?)ると、一株が二本、三本と寄せ植えになっているんですから、今丁度間に合う。今買ったら大変な値段だそうです。その時分だったから割合安く買えた。来年の五月頃咲く筈ですから、壮観だろうと思う。それから、桜の山を造る。晴々台の左手ですね。狭いと思っていたが、土地を買って呉れと言うので、買う事にした。そこに千本植える積りです。吉野山の事を一目千本と言うが、広いのでばらばらですが、こっちは狭い庭に千本ですから、さだめし壮観だろうと思う。梅の方は暮迄にすっかり終る。それから春あたりに建築の方に取り掛かります。之は大変な金が要る。今そんな金はないので――今はそれこそ、余り大きな声では言えないが、金なんかは――兎に角、神様がやっているから、その時になると必要だけの金は入るに違いないと思ってます。ですから、何も心配しない。この前アメリカの人が来て――此処でさえ世界一だと言ってますから、熱海が出来たら、世界一ですから、日本に来る一つの的にさえなると思います。ですから、熱海が出来たら、見たいと言う人が大変だろうと思います。どんな人でも驚くだろうと思います。世界中にない訳ですからね。それから、御神業の方も素晴らしい発展をする。今から、そう言う兆が――日本はそうですが、外国の方にも発展する兆が見えている。兎に角、来年から本当の――本舞台ですね。そう言う風になる訳だから、大変な事になるだろうと思ってます。
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