十月一日

(お 伺) 本年二十歳の女、三年程前アブに眼の縁をさされ、五、六時間殆んど失明状態でしたが、放任しているうちに段々良くなり、一週間後の視力は、左眼で直線の物を見ると曲って見え、小いさな黒点が何時も眼の前をちらちらして居ります。発病一週間後と三年間経た現在と殆んど変りありません。但し時々見にくくなったり、又はっきり見える時も御座いました。発病十五日後医者に行き、点眼薬を二、三日施した位で医療は加えておりません。今年八月頃に至り、若干眼に痛みを感じ、偶々充血したり見にくくなったりした為、眼科専門病院え(へ?)行き診察を受けた結果、慢性脈絡膜炎と診断され、放任して置いても、手当をしても失明の虞れありと言われたそうであります。この原因はアブの毒の為で御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 之は何でもないですよ。之はアブに刺された時内出血したのが、外に出きらないで、目の中に入って固まるんです。殆んど変りがないと言うのは、固まって了ったんですね。二、三日目薬をやったので余計固めたんですね。八月頃に至り――と言うのは、固まったものが外に出ようとして、それで痛んだ。充血したと言うのは、毒血が溶けて出ようとして、白目の方迄溶けたものが、拡がったんです。慢性脈絡膜炎――之は出鱈目ですよ。失明の虞れ――随分悪い事を言いますね。失明なんて絶対ありはしない。そんな事で失明しては堪らない。アブに刺された位で失明なんて、常識で考えてもないです。うっちゃらかして置くと良い。アブの毒じゃない。内出血です。必ず治ります。浄霊すれば、血の固まりが溶けて出ますから何でもない。折角でかかったのを医者に行って―点眼薬なんかやったからです。そう長くかかりません。失明なんて絶対にないから、安心してやれば良い。医者は分らないんだからね。良い加減な自己判断でやるんだから困るんですね。

(お 伺) 左の様な急を要する場合に御浄霊の急所は何処で御座いましょうか。

  1. 水に溺れ、気を失った場合。
  2. ガス其他感電等により昏睡状態の場合。
  3. 子宮癌や切傷等にて大出血し、脈が微弱になり苦悶の状態にある時。
  4. 夾(狭?)心症、脳溢血等にて苦痛を訴えて居る場合。

〔御 垂 示〕

  1. 気を失った場合は、呼吸が止まって、心臓が止まるんだから、心臓をやれば良い。そうすると、停止した心臓が動き出すと言う意味ですからね。先には、手をこう(上下に動かす)するが、やっても悪くないが、つまり心臓を蘇えらせ様と言うんですが、浄霊すれば良い――余程時間が立ってない限りね。
  2. ガスの方はここ(後頭部)です。鼻から嗅ぐんですから、嗅いだガスがここ(後頭部)に溜りますから、後頭部をやれば良い。感電はやはり心臓ですね。
  3. 子宮癌で出血と言う事はないんですがね。之は月経の血の固まりですね。それが溶けて出血するんですから、気を失う程の事はないですね。切傷等の場合は心臓で良いんです。浄霊は――何時も言う通り輸血ですからね。素晴らしい輸血です。普通の人間から二百グラム輸血するより、之(浄霊)で五百グラムや八百グラムは何でもない。四、五分やれば良い。輸血の方は心臓をやれば良いから、やはり心臓をやる。素晴らしい効果がある。
  4. 夾(狭?)心症と脳溢血は全然違ひ(い?)いますからね。夾(狭?)心症と言うのは、心臓を圧迫されるんですね。毒が固まるんで、之は心臓ですね。前と後から両方やると良い。固が溶けますから、心臓が楽になる。

 脳溢血はここ(延髄)の血管が破れて溢管するんですからね。脳溢血の起りたてですと、ここに固まりがありますから、ここと前頭部ですね。之が、こう(頭の上を通り反対側の肩)に行きますからね。肩ですね。肩をやると、手の方が楽になります。溢血は早いですからね。溢血してから、すっと行きます(反対側の肩に)からね。之を大体主にして浄霊すれば良い、毒血ですからね。こうして、毒が減る。

(お 伺) 御神書「文明の創造」の宗教篇中に伊弉諾尊様の子供に五柱の神様があり、長男が伊都能売大神、長女が天照大神云々と御座いました。そして二千六百年前の事だと御教示戴きましたが、人類が地球上に生棲(息?)する様になったのは幾万年も昔の事と思います。伊都能売大神様の父伊弉諾尊は人類発生の祖では御座いませんでしょうか。年代の点で解らない処が御座いますが、御垂示御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 之は飛んでもない間違いです。人類発生と言うのは、先ず――そうですね――百万年位前ですね。百万年以上前ですね。私は神様から、以前に神憑りで、五十万年前から知らされた。その時には相当人間だったんですからね。少く共人間の形をしていたんですね。伊弉諾、伊弉冊と言うのは、極く僅か前ですよ。それを歴史に書いてありますからね。大体、天照大神だって、極く僅か――二、三千年前ですからね。ですから、人類史や何かに色々あるのは、皆んな近代です。そう思っていれば良いです。神道の方でいきますと、天御中主尊が最初で、高皇産霊に神皇産霊とある。豊国主尊、伊弉諾、伊弉冊となったんですが、日本では約三千年位前ですね。極く近代ですね。そう思えば、何でもなく分るんですよ。それ迄の歴史と言うのは、どうせ想像もつかない程長くかかっている。漸く人間らしくなったのが、大体エジプトですね。あの時代ですね――人類の文化の最初と言うわ(は?)ね。だから、大体五、六千年前からですね。その前は、文字は無く、半獣生活ですね。私が神憑りで教えられたのは、五十万年前から七千年前迄ですね。それでパッと終っちゃったが、七千年後が、大体歴史で推定できるものですね。五十万年前を、いずれ私が書きますが、それは、殆んど獣と人間の間位のものでせう(しょう?)ね。皆んな穴居ですからね。地に穴を掘って居て――始終獣に襲われるので、獣との闘いですね。そう言う生活をして居た。

 今の神様の事は御伺ひ(い?)事項と違います。病気の事だけですね。私もうっかり答弁しちゃったが―之は特別面会の時聞くべきものですね。

 

【御 教 え】

     弥勒三会

(『文明の創造』)

(御論文「弥勒三会」のあとの御教)

 ここには態と書かなかったが、弥勒三会と言うのは、弥勒が三人会うと言う事で、弥勒と言うのは、釈迦、阿弥陀、観音ですからね。それで、大本教の教祖の出口直と言う方は釈迦になる。つまり稚姫君尊と言う神様ですね。阿弥陀は法身の弥勒で、出口王仁三郎先生ですね。聖師様ですね。それで、私が応身の弥勒で、丁度三人が会った訳ですね。二十世紀の今日にですね。之が弥勒三会ですね、弥勒三会が済むと、愈々五六七の世が始まる事になる。之は、大本教でも――誰も知らない。教祖様も聖師様も知らなかったかもしれないですね。

 それに就いて――こう言う訳なんです。全て、神様は型でやるからして、色々な型がある。丁度鋳物を鋳る見(み?)たいです。世界の型をやる事は、最初は真中ですから、真中に一寸神様がやられる。今のソ連とアメリカですね。世界の二代(大?)勢力が、今の処冷めたい戦争をしている――一寸あたたかいのは朝鮮だけですがね。そうすると、二大勢力は、最初小さい型があり、それが変化すると、世界的になる。その型を私は神様から見せて貰うばかりでなく、色んな事をやるんです。ですから、小さい事が非常に大きい事になっていくんです。信者さんが、一人々々居ますが、この中で、一人で何百万、何千万の型をやっている人が居る。私が最初始めた時、数人の型が集まって、その人達が或民族を代表し、一国を代表し、地方を代表する――何億、何千万の代表をしている。だから、以前に私は、イギリスの型、インドの型と良く言ったものです。その人を救うと、その系統の人の数が、ずっと多くなって救われる。その次に、その又一人々々が救われる。そう言う風に世界は出来ている。神様の経綸と言うものは、そう言う風にやっていくものです。だから、非常に神秘で面白いものですね。東京で最初にやり始める時分には丸の内ですね。丸の内の中央亭と言う西洋料理屋があるが、私があそこで始終やっていた。あれが、霊界で言うと中心になるんです。だから、名前で言っても「マル」の「ウチ」の中央亭でせう(しょう?)。ですから、ここで喋った事は―言霊で、言霊界に一つの波紋を起すんです。言霊が世界に拡がって、それが具体化して来る。だから、その時に話した通りに実現しつつあるんです。ですから、今私がやっている事も、もっと段々拡がっていって、結局世界的に拡がる。そうして、それが具体化して来る。丸の内でやる前にも、小さくそう言う事をやっている。そう言う事は非常に神秘なんです。

 で、今言う弥勒三会と言う事も、大本教と言うのは、その型をやっているんです。お筆先に「大本教とは世界の型であるから、この中を見て居れば世界は何うなるかと言う事は、見当がつくぞよ」と言うのがある。教祖と言うのは厳格な――経なんです。東洋は精神文明なんです。ですから、始終ちゃんと座って居られて実に厳格そのものなんですね。だから、皆んなその行いには感心するんです。お筆先に「直は経であるから真直であるぞよ」とある。それに引替え、聖師様は緯ですから、年中寝ているんです。ですから、大本教では聖師様の部屋は年中蒲団敷いて、枕をしている。で、そこに入ると直ぐに寝て了う。何処の部屋にも蒲団敷いているんです。それで、警察が来た時、出口と言うのは、変な――信者の女をそこに寝かせてけしからん。と、変に取られたんですね。「霊界物語」と言う、長い著述をしたが、寝乍らしたんです。教祖様は経、聖師様は緯なんですからね。東洋は経、西洋は緯です。処が、教祖様はそう言った厳格な為に旨くいかない点が色々あった。それで、聖師様が出ると、緯ですから、非常に発展したが、その為に非常に失敗した。そう言う点で、経でいけない、緯でいけない。経にあらず、緯にあらず。之が伊都能売になる。五は経で、三は緯ですからね。そこで、教祖さんは経でいけなかったし、聖師さんは緯でいけなかった。その中間ですね。経であり、緯であり。経にあらず、緯にあらず。経緯結んだ真中ですね。之が伊都能売です。私が伊都能売で、伊都能売が応身弥勒です。応身弥勒が観音様です。そこで、観音さんと言うのは男であり、女であり。男にあらず、女にあらずと言うんです。応身の弥勒と言うのは、如何なる事でも自由自在――千変万化ですね。

 それが分ると、実に良く解る。先方が堅苦しかったら、堅く。女なら柔らかく。頑固なら頑固に――私はそう言う風に性格に変化があるので、変だなと思っていたが、応身の弥勒の働きが判ると、良く分ります。ですからメシヤ教の凡ゆる事が――決して何んにでも捉われない。宗教の様な処もあるし、それから今私は鉱山をやっているが、金儲けもあるし、芸術もあるし、何でもあるんですね。今迄は、宗教と言えば馬鹿に堅苦しくなっていた。之も伊都能売式なんです。凡ゆる色んな様相を備えているんですね。之によって始めて、一般人類が救われる。民族にも色々ありますからね。ですから、凡ゆる病気――肉体の病気も精神の病気も――それから貧乏、経済に関係しますが、経済も政治もあります。政治の事は触れてはいけないと、法務庁から言って来ているので言わないが、本当は言ひ(い?)たい説もあります。無論、論文なんかも私は始終書いている。今は伊都能売の働きなんです。之が本当のものです。真理ですね。ですから常識を尊ぶ。常識と言うのは、偏らない考え方ですからね。ですから、宗教的に非常に厳格な処もあるし、又非常にくだけた点もある。と言う事も、そう言う事なんです。弥勒三会と言うのは、つまりそう言う事なんで、つまり経で失敗し、緯で失敗し。そして経にあらず緯にあらずと言う――一つの思想ですね。それが出て始めて人類は本当の事を知るんですね。ですから、何うしてもこの考え方――やり方に依って本当の世界が生まれると言う訳です。それで、本当の世界と言うのは、何う言うものかと言うと、こう言うものだ。と言うのが今書いている「文明の創造」なんです。だから、今言った事が本当ですからね。それが、本当に腹の底に分れば、色んな事に対する考え方と言うものが、先ず正しく、間違ひ(い?)なくいく訳です。

 

     邪神と言うもの                            ()

(御論文「邪神と言うもの」のあとの御教)

 今も読んだ通り――邪神ですね。邪神も昔は、戦争だとか――殺伐な事をやらせたが、今は邪神も頭脳的になって――之をすれば社会人類の為だ。と言う様に、巧妙な理窟をつける。ですから、巧妙な言い方だと思って――一生懸命やるんですが、こう言う事が良い事と思うから根強い――非常に力があるんですね。だから、その害毒は非常に大きくなる。之が最も怖い。医学ですね。医学もそれなんです。医学と言うものは、邪神がつくったものです。そうして、邪神と言うものは、根本は、世の中を自分のものにしようと言う深い計画なんです。そして、一番厄介なのは、本当の―正しい神様を無視する様に思わせる。之が一番、邪神の狙い処です。それですから、病気に罹るや、神様にお願いしたり、祈ったりすると言う事がない。一番怖いんですから、之を無くしなければならない。医学と言うものをつくったのは、つまり神様なんか拝まなくても、薬とか機械で病気は治ると言う事を思い込ませようとして、今迄色々な方法を行った。それにすっかり瞞された。段々それに瞞され切ってしまって―偉い人達の心の底まで滲(浸?)透して了った。それで、色々――唯物的方法で病気が治る様に見せ掛けるんです。注射したり、色んな事をすると、一寸は良いですからね。之を良いと思わせて――信用させていく。そうして、変な事があると新聞にデカデカと書き、やれ死人の目を取って、やると―盲が治るとか、この薬で病気が解決する。と、書くがこの瞞し方と言うのは、実に上手いものです。私は邪神の方の瞞し方を、始終興味をもって見てますが、ところが一般人はそれを知らないから有難がっているんですね。よく新聞なんかに、新しい薬が出ると、之で結核は解決すると書いているが、じゃーそんな事を言っても、結核は増えるばかりで、反って症状が悪い。そうして、結核は早期診断が一番良い――早期診断に限ると言うので、健康診断をして、一寸胸にレントゲンをやり、写真に曇りでも写ると、愈々結核の症状だと言って、段々本物に仕立てる。こう言うものは良く考えてやっている。それを、私が打ち破るんです。それをやっている。ですから、神様と悪魔の闘いなんです。此処にある曇りと言うのは、痰が一時的に停滞したんです。それが曇りになる。それを出さない様にする。浄化停止ですね。停滞すると、そこに固まりが出来て、丁度結核と思われるに都合の良い様に拵えて、安静とかが良いとしてやって、段々人間を弱らせていく。それに引っ掛かっているのが沢山あります。近代のイギリス人やフランス人がそうです。高度の文明圏と言うが、今日を唯安易にしているだけで、戦争なんか、非常に恐れている。それだけの気力が無くなっているんですね。ですから、近代のイギリス等は正邪の観念はあるけれども、それを現わす事が出来ない。大体、中共政府に対して、イギリスは承認しようとしたが、私は呆れて了った。そこにいくと、流石に米国は力が残っている。人の国を侵略して、一年か二年経っていないうちに承認するなんて、つまり泥棒を国会議員に推薦する様なものです。そんな事をすると、世界と言うのは、強い者勝ちになる。力のある者が侵略すると言う事になりますからね。神様が米国をそんな風にしているんですが、それだけの威力があると言う事は結構です。イギリス、フランスは魂の抜けた人間みたいです。と言うのは、医学に依って段々人間を弱らせたんです。そうして、文明国の人間が弱った処をソ連がやっつけちゃうと言う――そう言う計画ですからね。そこで、米国もイギリスみたいに魂が抜けた様になると、もうソ連の思う通りです。世界は、要するに共産化して了う事になるんですから、実に困る。その一歩手前に来ているんです。

 そうして、一番根本は種痘です。一番――世界的に種痘が後れたのはソ連ですからね。近年やっと種痘を始めた様ですが、それも、何の程度か分らない。種痘をしていない国程強いですからね。毒の排除を()めて――結核なんかもそうです。そう言う様な具合にして、邪神は非常に巧妙な手段をもってやっているんです。近代医学は邪神がつくって、邪神が経営していると思っていれば間違いない。そこで、それを目覚めさせるべく神様が私を使ってやっているんです。その意味によって今「文明の創造」を書いているんです。之は来年当たり出来る心積りですが、そうしたら、英文に訳して世界に頒布する。先ず、世界の識者の目を醒ます。そうして、段々浄霊なんかも世界中の人間がやる様になります。それではじめて人類は根本的に救われる訳です。

 しかし、そうわ(は?)言うものの、邪神が全然悪いものではない。やっぱり、今迄は必要だった。と言うのは邪神がそう言う具合にしないと、物質文化はこう言う風には発達しなかった。発達させるには邪神がそうしなければならない。話が長くなるから、この位にして――之は今に段々書きますが、そんな様な具合で――結局世界を支配している主の神様が、悪をつくり、邪神をつくり、善をつくり、正神にそれを喰い止めさせたりして、段々理想世界の下拵えが出来たんですね。大体、下拵えは出来たんです。今度は、邪神が本当に改心して良くなれば、世界中が五六七の世になるんですからね。今、その目前に来ている。そうでしょう――二大勢力が戦争すれば、どっちかが勝つから、もう戦争を起す種が見えなくなりますね。ですから、今は世界の転換期であって、その転換期にメシヤ教が出て大きな審判と、審判後の出発ですね――建替え、建直し――破壊と創造ですね。「文明の創造」と言うのは、破壊後の建設のプログラムなんです。建設の日の設計書なんですから、どうしても必要なんです。ですから、既成宗教の様に、唯御利益や――そう言うもので、個人々々を救うと言う事も結構ですが、それ以外に、そう言う大きな経綸もある。それを知らなければいけない。

 お祭や引っ越しの為にあんまり書く事が出来なかったので、今日は話の方が多い位になりましたが――昨日熱海の地上天国に行って見たんですが、道路が大分出来て、実に規模が大きくなったですね。私が熱海に来る迄に仕上げ様と言うので、道路は馬力をかけてやった様で、非常に捗って、展望台を取り巻く道路がすっかり出来上っているので、驚いている。以前も随分大きな規模に見えましたが、今度出来た道路によって、規模が雄大に見えて来た。益々世界的になって来たと言っても良い位になって来た。真中の山ですが、もう一息で出来上る筈です。「つつじ」を植えるには、下の土が良くないと根の張りが悪いんです。美術館の処に植えたが、勢いがない。何うしてかと言うと、土の下に石があるからです。今度は良い土にしようと思う。展望台の後がやりかけになっているので、それをもう少し彎(湾?)曲させると土が出るので、それを上っ側にやれば良い。その方針でやりつつありますが、土が要る時は、余分な土が出る様に前から準備してある様になっている。それから「つつじ」の二千本を箱根の岩崎から買ったが、あれを植える心算りであったが、考えてみると、箱根の方も今に大きな殿堂を造る予定ですから、箱根の「つつじ」も惜しい気がするんです。神様が何んとか旨くして呉れると良いなと思っていたら、昨日植木屋が来て、伊東の一寸行った処に、二十種類位の「つつじ」が何千本もあって、非常に安いんです。相当大きな「つつじ」が一本百九十円と言うんです。之は如何ですと言うんです。それは良い。箱根のは一寸惜しかったからね。箱根から運ぶのより、伊東の方が却って便利ですから、早速買えと言って置きましたが、それを植える心算りです。あそこの山の形が出来ましたら。随分雄大なものです。そうして道も殆んど勾配もなく、平の儘で山の上に行っている。土地の無駄がなく、段々出来ていくんですが、余程前から神様が準備している事が良く分る。美術館の方も、あそこは大体、秋の様な風景にしようと思う。最初の入口は大体春ですね。地形の南――南西の方になる。ですから梅を植え、桃を植え、桜を植える。少し奥に行って「つつじ」を植える。と言う様に、春にする。美術館の方は、出来るだけ「もみじ」を植える。それから、箱根の様に萩の道をつける。そう言う様に秋の風景にする心算りです。箱根の方も春秋にして、裏山の方に一面に「もみじ」を植える心算りです。今度熱海の方も春、秋と言う事になるんです。去年小田原の閑院宮さんの別荘に行った時、東屋を見たが素晴らしい東屋で、雄大な物です。それが非常に気に入ったので譲り受け様と思っている。若し譲らなければ、その通りのものを造ら(ろ?)うと思っている。それを美術館から上に上がる処に丁度良いんです。それで一段落ですね。そうして、晴々台の横の方を、この間も話した通りに桜の園にして――あの辺に大きな池を作る心算りです。庭と言うのは、どうしても池がなくてはいけない。山水と言って、山があれば水がなくてはいけない。

 ずっと上の方に水道の水源地見たいなものが出来ていて、水量は随分ある。それを入れて池にする。神様がちゃんと準備しているんです。池も支那風の池を作ろうと思う。之はいずれ、もう少し進んでから話もしますが、梅も丁度良いのがあった。それを六十本許り買う事にした。之は気の太いものです。今梅を植えかけて、空いている処に植える心算りですが、大抵それで一杯になるだろうと言ってました。一万本以上あるらしいのですが、之は梅の実を採集する為に――ですから、梅の実が目的ですからね。梅は太くなると余り実が生らないので、そこで古い――実が生らないのは売りたがっている。こっちは古いのが良いんですからね。割合安く買いました。梅と「つつじ」は植えても直ぐ咲くそうですから、来年は咲くでしょう。今度出来た道の処に寒桜を植え様と思う。あれは赤い方が良い。そこに、数十本植えるだけの土地がある。それで、十数本売ると言う話がある。寒桜は熱海にも一本しかない。それが十数本ある。之も神秘なものですね。中々見事なものです。一月から二月にかけて咲くんですが、中々珍らしい。神様は実に行届いたもので、何から何迄用意してある。何か必要があって見付けると、お誂えのものある。値段も安くてね。今言う、「つつじ」の二千本も、梅の古木も寒桜も、ちゃんと近所で用意してある。面白いですね。之からも地上天国の色々な点に、神様は用意してあるんです。ですから、凡ゆる事が、実に神秘ず(づ?)くめ―奇蹟ず(づ?)くめですね。

 

 

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