(お 伺) 四十五歳の信者で御座いますが、四十一歳の二月子宮癌の手術を受け、以来便秘に悩んで居りましたが、翌年七月入信、爾来健康にさせて戴きましたが、段々と尿が近くなり、終には十五分置き位となり、時々は自覚せずに漏らす事もありました。昨年九月臀部に大きな腫物が出来、十月に破れ排膿を始めましたが、傷口は段々拡がり、続いて排膿がありますが、更に其後次々と臀部、腰部に数カ所孔があき歩行困難、仰臥困難、而も相不変尿意頻繁で悩んで居ります。カリエスの気味もあり、背骨を叩けば痛い処もあり、最近出来た排膿孔は、非常に深く(親指が入る程)痛苦甚しく、非常に濃い血膿が出ております。最初の傷口には周囲に薄皮がはり出し、薄い膿になっております。主人を始め全家族入信。御神体、御屏風観音様も奉斎致しております。御浄霊は頭部、背面部特に背骨と腎臓部より下腹部、膀胱、尿道、排膿部の順にさせて戴き御神書を良く拝読さして戴いておりますが、右に就き御教の程御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
子宮癌の手術が原因ですね。何う言う風に切りましたか。
「相当大きな固まりがあり、取りましたそうで御座います」
何の辺ですか。やっぱり子宮の近所でしょうね。それを取る時は何の程度かね。子宮は取ったのですか。
「取って居りません」
すると之は、消毒薬ですね。消毒薬中毒ですね。四年経っているんですね。今の膿は消毒薬ですね。数カ所に孔があき――之は結構です。歩行困難は仕方がないですね。すっかり出来あがる迄はしょうがないですね。尿意頻繁と言うのは、尿道の括約筋が緩んでいるんです。両方から括約筋がありますが、消毒薬が滲みて、そこに固まって、それが圧迫しているんですね。ですから、股の上の方から尿道へ行ってますから、そこを良く浄霊するんです。そうすると治る訳ですがね。孔があいて出るのは結構ですよ。背骨を叩けば、大抵の人は痛いですよ。カリエスと言う程ではないですね。非常に深い――之は結構です。深い処迄浄化されるんだからね。痛苦甚だしく――之は仕方がない。周囲に薄皮が――之は治って来たのですね。心配ありませんよ。少しの間は仕方がないですね。
(お 伺) 私の妻こう(五十七歳)で御座いますが、昭和廿四年二月八日に中風となり、全身不随となりましたが御守護を戴き、現在では少し身動きの出来る様にして戴きました。最初は言葉も言えず、大声で泣き笑いするのみで御座いましたが、最近では言葉も少し話せる様にして戴きましたが、泣き笑いが激しく祝詞、善言讃詞を奉誦(唱?)させて戴きますと、特にこの症状が激しく、本人に言わせますと、有難いと思い御礼を申し上げ様としても、自然に笑ったり泣いたりすると申して居ります。廿年前妊娠腎の為人工流産を二度致して居り、八年前昭和廿年にも一度現在と同様の中風になりました。その時には灸療法により、三カ月程で平常に復しました。家内一同入信させて戴き、世話人として御神業に御奉仕させて戴いて居りますが、妻の浄化の為に尊い御聖業の妨げとなり、誠に申訳なき事にて、家内一同心からお詫び申し上げて居ります。因みに妻の実家の祖父が、同様の中風で死亡致して居りますが、何か霊的関係が御座いましょうか、(。?)尚御神体、御屏風観音様は御奉斎させて戴いて居ります。
〔御 垂 示〕
之は普通の中風とは一寸違いますね。それから、中風で――笑う中風がよくあります。泣き笑いと言うのは、頭に脳溢血の毒血が固まる。その関係ですかね。泣き笑いと言うのは、後頭部に溢血したのが溜るんですから、後頭部を良くやってやると良い。之は妊娠腎がある位だから、相当薬毒や消毒薬がある、そこに霊が憑っているので、霊と薬毒と両方ですね。之は治り良いんです。それから、こっち(右)が中風の人は、こっち(左の頸部)に固まりがある。神経はそうなってますからね。だから中風は反対に固まりがある。だから、こっち(反対側)の方を溶かさないと、やはり幾らかづ(ず?)ついきますからね。ですから、反対の方にある人は再発しますね。ですから、反対の方を溶かす。すると良くなる。之は気長にやっていれば治ります。霊的もあるから、良く御神書を読ませる事ですね。それから、成だけ身体を動かす様にしたら良いですね。運動したり働いたりするんですね。
「里の祖父に当る人を仏壇にお祀りさせて戴きます場合には、如何致しましたら宜敷いでしょうか」
其場合には、結婚した方を主にしなければならない。実家の方は次の位置にする様にすれば良いです。
(お 伺) 赤田修吉(十三歳)今年一月から脳膜炎の浄化を戴き、ずっと浄霊させて頂いて居ります。先日はお伺いをして、名も戴き命拾いをさせて戴きまして、誠に有難く存じます。現在は手の疥癬の浄化を戴いて居ります。頭は普通の様ですが、眼を正面に向けると、何も見えず正面の下側から微かに物の形が見える程度です。目佛の眼が、普通の倍位大きくなって居ます。別に曇りの症状は見えません。続けて浄霊させて戴きますと治るものでしょうか。眼を直接しても宜敷いでしょうか。何処をさせて戴きますと宜敷いでしょうか。
〔御 垂 示〕
無論眼も直接しなければならないがね。眼を直接浄霊して、奥の方に通る様にする。それから、裏の方に脳膜炎の毒が――下痢から微かに――だから、下の方でなく、上の方に毒が残っている訳ですね。そして固まっているんだから、気長にやれば治ります。眼を直接浄霊しても良いし、大体後頭部ですね。眼と後頭部ですね。頭全体になるが、そうすると良い。
(お 伺) 高木謙爾(二十六歳)九月廿五日に入信。十二歳の時から近視でしたが、昨年十月終り頃から両眼が少し翳みかけました。今年一月医師にかかり、診察の結果「青そこひ」との事、一月廿四日に手術を受けた結果、全然視力が衰え、現在では右眼の左下の処がキラキラ光って、物を見るのに苦痛で、字なども読めません。又後頭部も常に痛んで居ります。浄霊の箇所は眼球を直接させて戴いて宜敷いでしょうか。又何処をさせて戴きますと宜敷いでしょうか。又之は長引きますでしょうか。又、私の生れる以前から家に居た、血の繋がらない祖父が「ウミゾコヒ」を患いました。祖母も結膜炎で死亡、その後は祖父は隠居して、二年後に亡くなり、仏はその跡取が祀って居ります。若し頼っているとすれば、私の家でも祀らねばならないでしょうか。
〔御 垂 示〕
手術を受けたら視力がありそうなものですがね。何う言う手術をしたのですか。普通は眼球を抜いて、裏の膿を取るんですがね。
「眼の膿を取ったので御座います、一時見えましたが、直ぐ見えなくなりました」
直ぐに膿が溜ったんだ。之は治りますよ。眼の裏に溜る膿を、溶かして溜らない様にすれば良いんです。やっぱり後頭部――眼の裏ですね。そこをやって――毒と言うのは、後の方から首筋を通って前頭部から下って来るんです(頭の上を通り)何処に一番毒があるかと言うと、一番熱い処があるから、そこを多くやる。眼と言うのは、前から奥の方を狙ってやるんですね。結構ですよ。気長にやれば、きっと治りますよ。別に難かしい処はない。之は、最初近眼だったんでしょう。
「左様に御座います」
近眼だから後頭部に毒がある人だね。霊的は余りない様ですね。毒ですね。
「一度位の手術では、治り方に差支えありませんでしょうか」
手術にも因るんです。眼の裏の膿を取るのは、別に差支えない。之は取っても直ぐ溜るんです。お医者さんは実に単純なんです。そこだけの膿を取れば良いと思うが、後続部隊があるからね。この考え方だけでも、実に単純な――馬鹿々々しいものですよ。ですから、盲腸を取った人が、やっぱり後で盲腸が痛む人がありますよ。と言うのは、盲腸に膿が溜る癖がつくんです。ですから、後で盲腸部に溜るんですね。それですから、医学の方では、少し位「そこひ」で見えなくても、もっと見えなくなる迄打擲らかして置いて呉れ。と言います。こう言うのがあります。六十位の時に診て貰った処が、もっと溜り切った処で手術をした方が良いと言うんです。と言うのは、あと溜る率が少ないんですね。それで、十年位経ってから行った処が、あなたは年を取り過ぎていて、手術は無理だ。と言ったそうです。実際、悲喜劇ですね。
【御 教 え】
よくお蔭話なんかで、御霊紙を貼るとか、戴くとか言う事があるが、之に就いて、昔は御霊膏と言うものを使った。それは唯白い紙に霊を入れたものですが、非常に――御霊膏と、それから「おひねり」と言うのを作った。そうすると、何かの問題があった時、御霊膏と言うと――膏薬みたいなものですが、ちぎって飲んだものです。そんな様な――飲んだり、口に入れたりする様なものは、要するに消毒――殺菌しなければならないと言うのです。それで、問題でも起きたりすると面倒臭いから止めたんです。処が、それを使うと非常に効き目があるんですね。瘍や疔なんか出来ると、御霊膏を貼った丈でも治りますからね。
信者さんで大分希望がある。今御霊紙と言っているのは、お守さんを包んだ紙ですからね。それでさえ効き目があるから、本当に霊を入れたのは素晴らしい効き目があるんですよ。以前と今日とでは、時勢も違ったし、メシヤ教の信用も丸っきり違っているし、もうそんな事も、何ら問題が起きるとか、何らの疑念もないと思いますから、之から拵えます。大いに使って――もう二、三日したら出来ますから、入用な人は、それを持っていると気強いですよ。大体腫物とか痛み、それに貼れば良いんです。良い加減な形に切って、縁に御飯粒で良いですが――つけて、それで貼って置くんです。貼り変えると言う必要はない。一度貼ると良い。治ると、自然に剥がれます。剥がれないのは未だ治る必要があるんですね。神様の膏薬だけに旨く出来てます。それをちぎって飲んでも良いです。それも非常に効果があります。この間、ちぎって飲んだ処が、直きに良くなって喫(吃?)驚りしたと云う事があったのは、そんな事から気がついたんですが、そう言う訳ですから、家に置いておくとか、或いは旅行なんかする時とか――と言う時には、之があると、気強いですからね。その宣伝をした訳です。
「以前のを持っている者が御座いますが」
けれども、今の方が良いです。あの時分の霊と今の霊とは、私の霊が違いますからね。効き目が強くなっている。
「地方では、御霊紙を苗代の時、ちぎって入れて居りますが、そう言う事もお許し頂けますので御座いましょうか」
良いですよ。この間――御霊紙を膿の出るのに貼って、色々なものを焼いた処が、御霊紙だけは燃えない。二度焼いたが、二度共燃えない。その人は信仰が眠っていたが、焼けないと言うのを見て、確かに神様はあると言って、之からは一生懸命にやると言うお蔭話が来てました。
弥勒三会
(『文明の創造』)
(御論文「弥勒三会」のあとの御教)
この経と緯について、面白い事がある。大本教の教祖さんは、大本教では「五の御魂」と言っている。出口王仁三郎先生――聖師様と言うのは「三の御魂」と言っている。それで、五と三になっている。経と緯になっている。だから、教祖の時代には厳格で始終きちっと座っている。ですからお筆先と言うのは、非常に厳格に書いてある。それに引替え聖師様の方は、極端に反対で、始終寝ている。「わしは三の御魂で、水は横に流れるから、仕方がない」と言っている。聖師様が居る建物があるが、そこに始終蒲団敷いて、入ると直ぐにごろっとなる。著述も寝て書くんです。それで手入れの時、各部屋に蒲団が敷いて枕があるので、この部屋に女を置いて、大変な事をしたと疑われた。そんな訳で、片っ方は経、片っ方は緯で、之を大きくすると東洋文明――経の文明ですね。西洋文明――緯の文明となる。大本教は、教祖様のやり方で失敗し、聖師様のやり方で失敗して、その間に生れたのが伊都能売で、私が伊都能売になる。釈迦、阿弥陀、観音――之が一緒になった時が弥勒三会になる。だから、弥勒三会はもう済んだんです。東洋の経で失敗し、緯の西洋文明も失敗した。経は善になり、緯は悪になるんですが、東洋―経は、善で失敗した。それで、東洋人は善なんです。インドやビルマ人なんかですね。支那は緯が入りましたがね。純粋の東洋人は実に善なんです。西洋文明は、悪の文化です。処が悪の文化は必要なんです。物質文化は、神を否定しなければ発達しないんですからね。ですから、今迄の西洋文明で良いんです。だが、それでは何うしてもいけない。結ばなければならない。中の文明ですね。今私が書いている「文明の創造」それが根本なんです。今迄の文明はどっちかに偏っている。つまり、左翼と右翼ですね。どっちもいけない。左翼にあらず右翼にあらず、左翼であり右翼であり、その中心を結んだそれが本当のものです。「文明の創造」はその結んだものですね。そこで、本当の善悪が出来るんです。それで、経と緯を良く知らなければならない。バッチの真中が伊都能売になる。伊都能売と言うのは、金属で言うと、金になる。ですから観音さんは黄金の一寸八分になっている。神様は昔から準備してあるんですからね。ですからこの根本を知って、色々なものを見ると良く分る。
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