十月十八日

(お 伺) 六十才の婦人(未入信)三十四才の時、産後「血脚気」を病み、乳児は血脚気の母体の乳の為に死亡致し、当時より体が弱くなり現在医療に頼って居り、医者の診察では神経衰弱と言われたそうです。三十年近く、凡ゆる宗教を信仰し、多くの医者に診て貰いましたが、貴方に病気はない。神経だ。と言われました。子供が死亡してより、腰から頭の方へ筋が吊る様になり、医者にかゝっているうちに、頭から腰の方え(へ?)、身体全体の筋がゆるむ様な「づるづる」と何とも言えない悪い感じが致し、そのうちに夜中に寒くなったり、熱くなったりする度に、気分が悪くなり、眼をつぶると奥の方に引ずり込まれる様な気が致し、前頭部より、何か塊りの様なものが心臓部に落ちる様な気がして、動悸が強く打ち、又動くと動脈をねじられる様に痛むそうです。今年九月初めにメシヤ教の御話を致しました処、早速浄霊の御希望にて、以来御浄霊させて戴いて居りますが、半月程前より心臓部の動悸はなくなりましたが、前頭部から肩、腰の方に筋が「づるづる」とゆるむ様な感じが、とてもひどく、頭が重いと言って居り、浄霊後は気持が良くなるのですが、夕刻より夜にかけてひどく、胃、腹部から横腹の方にかけても同じだそうです。之は如何なる訳で御座いましょうか。又「づるづる」するのが止まりますでしょうか。尚御浄霊の重点箇所を御教の程御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 『貴方に病気はない。神経だ』と言うのは、よく医者の言う事ですが、神経だと言うのは、立派な神経の病気じゃないですかね。あれは、おかしいですね。

 之は薬毒病ですよ。最初の血脚気と言うのは薬毒です。薬毒病ですからね。薬を飲まなければ、血脚気と言うのはないんです。薬毒が乳から出るからで、之を打擲らかして置けば良いが、医者にかゝったからですね。医療に頼ったからこうなったんです。

 凡る宗教を信仰したのは、別に害にはなりませんが、他の宗教では治す力はないですよ。

 寒くなるのは、熱が出るのです。悪寒ですね。皆んな薬毒の為です。体が毒で目茶苦茶になっている。薬毒が無くなるにつれて良くなります。浄霊は苦しい処苦しい処をやると良い。苦しいのは、薬毒が溶けるんですからね。皆んな作った病気ですね。気長にそう言う風にやっていれば、段々良くなって来ます。

 「血脚気は、薬毒が血に混入致しますのでしょうか」

 そうです。毒だからね。

 「そう致しますと、子供に飲ませても宜敷いのでしょうか」

 構いません。青便とかになって出ますからね。子供が親の為に浄化してやっているみたいです。子供は、それで何うと言う事はない。それを()め様とするから母親に悪いのです。打擲らかして置けば何でもない。

(お 伺) 私の父貞吉(六十五才)は、去る九月十五日炭焼小舎の屋根の上で脳溢血を起し、私一人で梯子もなく二人が落ちる様にして、屋根から下ろして連れて帰りました。教会の先生にも来て戴き、家族の者もずっと浄霊致して居ります。三日目から少し意識を回復した様に思われ、五日目頃から、お茶等飲む様になりました。右半身不随の中風状態で御座いますが、口がきけず手真似で御神体を早くお祀りする様にと頻りに申し、予てお祀りさせて戴きたく思って居りましたので、九月二十五日御神体を奉斎させて戴きました。其後少しづ(ず?)つ良くなり、現在では御飯も普通に食べる様になりました。只口がきけず、右の耳も聞こえません。二、三日前から、何か少し言う様になりましたが、意味は良く判りません。教会の先生が木龍の憑依ではないかと言われますが、心当りとしては三年程前、宮の境内の二抱え程の木を切った事があり、其の他今年の春、寺の銀杏の枝が台風で折れて落ちたものを、寺に断って碁盤にすべく切って持って帰って居ります。現在は炭焼をして居り、家族全部入信し、御屏風観音様も昭和二十三年にお祀りさせて戴きました。三年程前に分家が絶えて居り、私の家の墓に三界万霊の石碑を建てゝおり、位牌はお祀りして居りません。右浄化と霊的関係が御座いましょうか。又御浄霊の箇所を御教の程御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 厄介な処で脳溢血を起したね。之は木龍だね。木龍許りではない。脳溢血と木龍と両方です。之は、脳溢血になるべき毒血があって、脳溢血になった。それに木龍が憑ったんですね。ですから、耳が聞こえないと言う事は、普通の中風ではないんです。言葉――口がきけないと言うのが、木龍の働きですね。けれども、脳溢血が治るに従って木龍も救われますから、大丈夫です。

 右の半身が不随の時は、左のこゝ(頸部)に固まりがありますから、それを良く浄霊する。治りますよ。そうひどい――重いのではないですね。少しづ(ず?)つ良くなります。左の固まりを解かないと再発します。溢血はこう言う風に(右より、頭の上を通り左側に)来ます。再発しなければ、段々良くなりますね。気長にやっていれば良いです。

 三代前の分家が――之は位牌をお祀りした方が良いですね。仏具屋に位牌を頼んで、分家の苗字――大垣と言うんですか。分家の諸霊位と文字を書いて、それを下座の方に置く様にする。そうすると、そこに三代前の霊が来られますから、祝詞を聞いたりして救われますから、それは是非やった方が良い。

 

【御 教 え】

 今日は教団に関した話をする前に、その参考として、之を読ませます。それから、その話をします。

     経と緯

(『文明の創造』)

(御論文「経と緯」のあとの御教)

 之は今迄、よく書いてあるから知っている人は沢山あるでしょうがね。あとで話しますけれどもそれがやっぱり、良く出ている。それから、もう一つ、仏教ですね。「文明の創造」の宗教篇ですが、仏教に於る大乗小乗も、一寸面白いですから、参考の為に読ませます。

     仏教に於ける大乗小乗

(『文明の創造』)

(御論文「仏教に於ける大乗小乗」のあとの御教)

 つまり、今両方読んだが。根本は経と緯ですね。之を結んだものが、今迄ないんです。それで、救世教も最初観音教時代には、経と緯だったんですね。経は――之は皆んな知ってますが、天国会だったですね。緯が五六七会だったですね。ですから、信仰の状態も、天国会の方は非常に厳粛だったですね。簡単に言えば、厳しかった。窮屈でもあった。それから、五六七会の方は、寔に自由で気安かったけれども、又だらしがないと言う事が言える。両方共極端と極端です。之はやっぱり経と緯で、つまり結んでなかった。伊都能売になってなかった。そこで、結局に於て、天国会は大きな手柄を残したけれども、失敗した。五六七会の方も大きな働きをしたけれども、失敗した。そうして去年の事件によって――事件と言うのは、兎に角五六七会の失敗なんですね。

 五六七会は緯ですから、非常にどんどん発展した。一時は不思議な位発展しましたが、之は緯の働きですから、幾らでも広がったんですね。それが良く出ている。そうすると、経と緯の観音会と言うのはそうなんです。今度メシヤ教になってから、緯が失敗する時期になったんですね。で、以前は殆んど、五六七会と言うのは、教団の八割位に発展したんですからね。丁度、五六七会が観音教団の様な形になったんですね。それが去年失敗すると、それから後は、経の方の観音会系統の人が――大草さんとか、阿部さんにしろ――全てが経営の中心だった。ですから、非常に教団はがっしりして了った。堅実と言う様な感じですね。けれども、之ではやっぱり発展性が乏しくなる。ですから、何うしても発展性は緯の広がりでなければならない。そこで、今度渋井さんが、その働きをしなければならない。丁度、事件当時――事件が起るや否や――渋井さんが脳溢血で倒れた。中風ですね。普通だったら、今もしょうがないんだけれども、何しろ一時はフラフラになって、やっと旭町から歩いて来る様な――ものにつかまって、やっと歩いて来る位だった。口もきけなかったし、頭もぼっつとして、何うにもならなかった。最近は私の浄霊によって殆んど治って来た。この間京都に行って見た処が、どうやら活動出来る様になったと言う事で、愈々時期が来た。それで、渋井さんが大いに働く事になったんです。この間、渋井さんが言う事には、自分が教修をしたのは十何萬――十萬以上ある。それが、あとが寔に育たない、と言うんです。本当に順調に育っている人は、何分の一だと言うんです。処が自分があゝ言う様な病気だから仕方がない。新しい信者を作るのも肝腎ですが、復活させるのも肝腎で、手っ取早いと言うんです。それで、私も大いに結構だからやりなさいと言った。そうすると結局、何う言う意味になるかと言うと、天国会系の経と、五六七会の緯が、今度結ぶ事になる。ですから、渋井さんも、以前の緯に経が加わる。それから、天国会系の人も、今度は緯が混じる働きもすると言う事になって、両方とも、丁度結ぶ働きになる訳ですね。それではじめて伊都能売の働きになっていく、丁度そう言う動きが来た訳ですね。渋井さんと言う人は、発展する――拡げる力は非常なものです。何と言うか、腕があると言うか――そんな様なのがあります。そうかと言って、拡げるのを締めていくと言うのがない。今迄なかったですね。拡げっぱなしなんです。それで、自分も懲りたと言っている。以前には変な人間が入って来て、色々かきまわしたり、教団の金を、何とか旨い事を言って引出したりする。渋井さんは非常に良い人ですからね。世間の人がそんな悪い事をしないと、気を許したからで、今後は絶対にそんな事はないと言っている。結局は経の働きが出る訳ですね。ですから、之からは本当の伊都能売になって来た訳ですね。

 それから散花結実ですね。あれは大体――教団の去年の事件迄と言うのは、花を咲かせたんですからね。花と言うものは、つまり体になります。霊ではない。ですから、体だけは非常に花を咲かせた。五六七会が花を咲かせた。そうして、五六七会が散らした。ですから事件の動機と言うのは、五六七会が起した。之から実を結ぶと言うのは、やはり五六七会がやらなければならない。之から実を結ぶと言う時期になります。ですから、体ですね。体の働きですね。それから、天国会は霊の働きです。之からは、中島さんも霊界で活動します。そこで霊、体の力が出ますから、要するに伊都能売の力ですね。丁度その時期になったので、それを知らせたんです。ですから、之からは教団の色々な形も違って来ます。何う違うかと言うと、非常に発展していく、広がっていく。

 之で、色々精しく話すると――中々色んな事がありますが、大体は今お話した様なのです。一寸あれは何う言う訳なんだと言う、色々な疑問が起った様ですが、それは今言った様な、神様の方の御経綸によって、色々な訳があるのです。例えて見れば、こんなにお陰があって――段々お陰がひどく大きくなっていく。病気も早く治り、感謝する人なども、前から見ると非常に違って来ている。病気が早く治って、違って来ている。感謝が強いですからね。その割に発展しないんです。おかしいですね。それは何だ、と言うと、今言った様に緯の方が休んでいたからで、之から緯の働きが始まりますから、成る程と言う様な事になっていく。ですから、之からは経でもいけなければ、緯でもいけない。伊都能売ですね。そう言う風になっていく。だから、やる人も、何処迄も伊都能売式でやらなければならない。教団全部がそうなるんです。以前の様に天国会と五六七会が一つの対立する様な系統のものが出来て、あゝなったと言うのは、之はやはり仕方がないんです。それが世界の型なんです。で、型と言う事は、よく言いますが、そう言う事も、世界の型をやっている。つまり、東洋文化と西洋文化ですね。それが、今迄別々だったんですね。東洋は何処迄も精神的に、西洋は何処迄も物質的と、両方偏っていた。之から、それが結ぶんですが、その前に救世教が結んでそれが世界的になるんです。ですから、言わばこっちは、その模型をやっている。

 又、地上天国の模型なんてのは、そう言う訳なんです。将来世界はこうなる。と言うその一番始まりをやっている訳です。教団の今の型も、世界の型をやっている。いずれ世界は結ぶんです。神様が経綸しているんですから、その頭を以て見れば判ります。

 今日は、西南アジヤの方面が非常に変って来ましたが、あれは世界の整理の為なんです。今、英国が一番やられてますが――植民地なんかがね。あれは一つの清算ですね。と言うのは、英国は長い間、あゝ言う国を武力で圧迫して、そこから出る色んな利益を搾取していた。それはもう許されない。ですから、今度エジプトなんか、條(条?)約ですが、未だ期限が来ないのに、期間は未だ十年近くあったんですが、その條(条?)約を破棄しようとしたですね。その口実は、先には武力によって結んだ條(条?)約だから、破棄するのは当然だ。と言うのです。それには違いないがね。イランあたりからやられて、それにつけ込んで、やる訳なんです。と言うのは、一番目はインドの植民政策ですが、インド独立運動の為に英国が譲歩して了った。その為に、それを契機としてイランの石油問題が起り、エジプトに問題が移って来て、今度は又イラクあたりもやっている。要するに、武力や、力によってそれを抑えて、そこから出る富を搾取して、英国が大きくなったんです。そう言う間違った事は許されないと言う時期になったんですね。やはり、大きく言えば、一つの五六七の世の現れですね。一つの現れと言っても良い。然しそうかと言って、英国がそう言った欲張った許りでもない。良い事もあるんです。と言うのは、そう言うアジヤの未開の国を、相当開発しましたからね。イランの石油にしろ、若しイギリスが来て出さなかったら埋もれたからね。エジプトとか、あそこいらの文化を進展させたと言う様な点は良い方なんですね。やはり、良い方と悪い方と両方あったが、良い方は、何処迄も残して置き、悪い方は、間違っているから整理していくと言う――神様は整理をしている訳ですね。それは非常に結構です。未だ未だ色々な事があります。神様は全てを整理しているんです。共産主義と言い、アメリカの資本主義と言い、あゝ行った全体主義的なやり方と、自由主義的なやり方とが闘っていると言うのは、大きな経綸なんです。それを、良く見ていると判るんです。判ると言う事は、こっちに智慧正覚がそこ迄進んでいなければならない。智慧正覚が進む様に一生懸命修業するんですね。そう言う、世界の色々な変化する型と言うのは、私は始終神様から見せられているので見当がつくんです。以前には小いさな型ですが、この頃の型は大きくなった。今お話した天国会、五六七会のなんかは、今迄の教団の流れを見ていくと、軈て世界はこう言う事になっていくと言う事が分る。

 この一番元と言うのは、大本教なんです。大本教はメシヤ教が生れる為に出た宗教です。お筆先に「この中は世界の型であるから、この中を見て置いたらありやかに分るぞよ」と言うのがある。非常に面白い。その一つの現れとして一番分るのは、大本教が最後に断(弾?)圧されたのが昭和十年の十二月八日です。それから、日本が太平洋戦争を始めたのが昭和十六年十二月八日ですね。丁度六年目ですね。同じ十二月八日と言うのだから、不思議なんですね。処が、神様の方でちゃんと大本教でそれをつくらせて、日本が太平洋戦争を始めると言う様な意味があるんですね。こう言う事は、実に神様は甚深な綿密な経綸をやられている。それを、差支えない事だけは話しますが、あんまりは言えないです。残念なんだが、之は仕方がない。

 もう一つ面白い事は、以前にも話したが、私が大本教を脱退する前に、大本教の東京の分院と言うのが、今の和田堀にあった。あそこで、世界の型をやった。それは人間でやったんです。その時の幹部の者で、そこの会長が東島亥之吉(木村 瑞枝)と言うアメリカの型の人で、大変な人気だった。又一方には田口清吉と言う元東京の石屋組合の会長があって、この人がソ連の型だった。それ迄と言うのは東島亥之吉(木村 瑞枝)と言うのに、方々にあった支部が皆んな集まった。そうすると、田口清吉と言う人は、相当力の或る人で落着いていたが、或動機により「俺の時期が来た」と、或支部を穫(獲?)得した。と言うのは、ソ連が鉄のカーテンを作って、穫(獲?)得したと言うのと似ている。東島(木村)と言うのは、海軍大佐でその人が会長になって居た事が英国の型になっていて、その人の長男で、海軍少尉でしたか、逗子の海岸で高い処から飛び込んで、何処か打って即死した。その時、私は英国が植民地を失うんだなと思った。植民地と言うのは、子供を生んだ様なものだからね。今英国が植民地を失いかけて来たのは、その型なんですね。もう一つ面白いのは、石屋組合長の田口清吉と言うのは、最近今年の夏箱根に居る時に金を借りに来た。尾羽打枯した、実に見るかげもない。洋服もヨレヨレになってね。温泉事業を静浦の附近でやるのに、資金を借りに来た。私は断わりましたがね。そう言う事は、教団として出来ないと。私は熟々思ったが、結局ソ連の最後は之になるなと思った。東島亥之吉(木村 瑞枝)と言う人は、今茨城県に引っ込んで居て、古い信者から指示されて気楽にやっているそうですが、之が又何うなるかと言う事が、アメリカの運命になって来る。然し、この人は立派な人ですから、いずれ復活するだろうと思っている。と言うのは、大本教がいずれ変りますからね。その一つの現れが出てますからね。と言うのは、先月箱根に居る時、三代様が私の処に来て、庭を見せてやって、色々話してやった。非常に喜こんで、今度は、今月末京都に行った時、家内だけ、茶席の会があるから、招かれて、是非来て呉れと言うので、家内丈行く心算りですが、之は神様が、意味が合ってやっている訳です。そう言う点なんか、一つの世界の経綸の型になって来る訳です。そんな様な訳で中々色々な意味もあるし、興味もあるんです。今日はそれだけの話です。

 之は、大宅壮一と言う、あの人は別に問題にはならないですが、霊写真に就いて、けしからん事を書いてありましたから、信者でも見たら首をかしげる人があるかもしれないので、そう言った事を書いたんです。

 

(御論文「大宅壮一と言う人」)(註 栄光一二九号)

     大宅壮一と言う人

(栄光一二九号)

     祖霊祀りに就いての注意

(栄光一三三号)

(「祖霊祀りに就いての注意」)のあとの御教)

 よく、宗教を替った場合に、特に神道ですが、神道に祀るのが良いとして、又先生にもそう言う風に勧められますが、それが、祖霊にとっては非常に有難迷惑なんです。それを霊が出て言うんですから、一番はっきりしているんですが、以前から私が、やたらに改宗してはいけない。一間の家族でも、揃って改宗する事は滅多にないんですからね。処が、やっぱり祖霊さんでも同じ事で、天理教の信者になっても、俺は嫌だ。昔からの仏界の方が良いと言う祖霊の方が多いですから、それを気付かせ様と思って、天理教に入ってから、重い病気になったり、苦しんだりすると言うのは、そう言う訳なんです。又キリスト教に入って先祖を祀らなくても良いと、祖霊を祀るのを()めますが、祖霊は悲しんだり怒ったりします。処がメシヤ教は違います。信者になったと言うだけでも喜こびますから、不賛成と言う者はないんです。之は霊が憑ってよく言います。それでも、中にはこう言うのがあります。御獄教、豊川さんと、色んなのがありますが、そう言うので、役員になったりしたのが、霊界に行ったのは、メシヤ教は良い宗教には違いないが、癪に障ってしょうがない。邪魔してやれと言うのがいる。又狐が憑って邪魔する場合もありますからね。直ぐに祀り替えや、そう言う事はしない様にして、以前通り祀ってやって、何年か経ってから、メシヤ教が分って来るから、是非祀られたいと言う気分が起って来ますから、之が一番安全なんです。稲荷なんかそうですね。狐ですから、悪い方が多いが、メシヤ教と言うと、飛んでもない。邪魔してやれと言うのがいる。この間の地上天国の質問応答に、そう言うのがありました。之は、先生が知らないんですが要するに指導者の失敗ですね。光明如来様をお祀りするや否や直ぐに処分して了った。それで狐が怒って――と言うのがあった。それで、処理のしかたが早かった。と言う事を答えた。そんな訳で祖霊さんを祀り替えると言う時も、慎重にしなければならないと言う生きた実例なんです。それでいずれメシヤ教の方の祀り方――形式を拵えますが、今の処は、こっちの方で、そう言う形式になってないんだから、威張って言えませんが、そう言う点はメシヤ会館が出来てからです。本部の形が一通り出来てから、そう言う冠婚葬祭のやり方に就いて考えます。やはり順序から言って、本部の形が出来てから出ないと、順序が違うんです。それで、それ迄は待って貰うとして、今のお蔭話も、祖霊さんに就いてのこう言う実例を見ると、大変参考になりますから、それで読んだのです。

 

 

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