十一月二十一日

【御 教 え】

 今日は病気の質問がないですから、早速論文の方を読ませます。

 神憑り――霊憑りですね。あれが時々――やはり弊害があるんです。で、そうかと言って、絶対に()める訳にもいかないですね。あの為に良い事もあるんですから――そこの見別けですね。之が出来れば結構なんです。従って、それに就いて、何う言うのが本当で、何う言うのが嘘だ。と言う事を、出来る丈け解り易く書いたんです。それを読ませます。

 それで、面白い話があるんですが、先月私が京都に行った時、京都の或る婦人が霊憑りになった神憑りになったんですね。それが、京都附近の神社――大抵産土さんですが、神さん一人々々が来られた。四十幾柱と言うんですがね。それで、今度私があっちに行くに就いて、色んな頼みですね。つまり、頼みと言った処で、別に大して変った事ではなくて、まあ―御守護して貰いたいとかね。私に感謝して貰いたいと言う――その様な意味ですが、兎に角面白いと思いますね。と言う事と、私が旅行なら旅行する時、人間許りでなく、附近の神様が喜こんで、皆んな集まって来るんですよ。そう言う事は、はっきり解るんですよ。今日はその原稿を持って来ないから、今度の「栄光」に出す積りですが、二回か三回になるでしょう。

 

(御論文「霊憑りに就いて」) 【註 栄光一三三号】

霊憑りに就いて

(栄光一三三号)

 霊憑りの危険な事は、常に私は注意しているに拘らず、今以て止めない人があるが、これは断然やめるべきである。それに就いて何故悪いかを詳しく説明してみるが、霊憑りの八、九割迄は狐霊であって、狐霊の九割九分までは邪霊であるから、人を瞞す事など本能的(ほんのうてき)であり、人間に悪い事をさせるのは何とも思わない処か、寧ろ面白くて仕様がないのである。という訳で彼等の中でも高級な奴になると、憑依する場合何々神だとか、何々如来、菩薩、龍神などと言い、本人にもそう思わせると共に、人にも信じさせようとするので、御本人もすっかりその気になってしまい、生神様扱いにされて多くの人から敬われ、贅沢(ぜいたく)三昧(ざんまい)(ふけ)るのがよくあり、これが狐霊の本性である。そうして狐霊中でも(こう)を経た奴になると、相当神通力を有っており、人間に憑依するやその人の思っている事は何でも分るから、それに合わせて色々なたくらみをする。例えばその人が神様のように人から尊敬されたいと思っていると、いつしか憑依してしまい、本人の思惑(おもわく)通りにとりかかる。自分はこれこれの立派な神の再来だとか、最も多いのは天照大御神の御名を僭称(せんしょう)することで、これは誰も知っているが、そうかと思うといとも巧妙に、この人はと思う人には自分との因縁(いんねん)を結びつけ様としたり、多少の奇蹟も見せるので善男善女は一杯くってしまうのである。これは世間によくある話で、方々にある流行神などは皆この類で勿論こういうのはイッパシ腕のある狐霊で、世間の甘い人達はつい瞞されてしまう。又中には無暗(むやみ)矢鱈(やたら)に金を欲しがる人があると、それを知る狐霊は、憑依するや悪智慧を働かせて、巧く金を摑める様にするが、勿論手段を選ばず式で、大抵は罪を犯させ、一時は巧くゆくが結局は失敗してしまい、その筋の御厄介になる者さえよくある。又女を得たい人間には巧妙(こうみょう)にその女に接近させ、女の関心を得るよう甘い言葉や手段を用い、時には暴力を振う事さえあるのだから危い話である。その様に元々動物霊であるから、善も悪もない。只人間を道具にして自由自在に躍らせればいいので他愛ないものである。このように狐の方が人間より一枚上になるから、万物の霊長様も情ない話で、これが分ったなら人間様も余り威張れたものではあるまい。その他狐霊の外、狸霊、龍神、悪質天狗等も憑って人間を(たぶら)すが、その中でも邪悪の龍神が最も恐るべきものである。本来龍神なるものは、並々ならぬ強い力と、そうして智慧を有っているから、人間を自由にし、場合によっては人に傷害(しょうがい)を与えたり、命をとる事等朝飯前である。昨年の事件の時なども、多くの悪龍が活躍した事は以前もかいたが、そういう場合血も涙もない残虐極まるものである。しかも狐霊などとは異い、龍神は智能的で、悪智慧が働くから思想的にも人間を自由にする。何々主義などと言って悪質犯罪を平気でやらせ、社会に害毒を流すのも原因の多くはそれである。そこへゆくと狸霊や天狗の霊は大した事もないが、只天狗は霊力が強いのと、学問のあるのが多いので、彼等の中の野心家はそういう人間を(つかま)えて躍らせ、世間に名声を博し、出世をさせて多いに威張りたがる。その様な訳で、天狗の霊憑りは昔から禅僧(ぜんそう)、学者、宗教の創立者などに多く、長続きする者は至ってないのである。以上憑霊に関しての色々な事をかいたが、ここで充分知って置かねばならないのは、単に邪神といっても個性的に悪い事をするのではない。その奥に邪神を(あやつ)っている頭目があって、此奴こそ最も恐るべき存在である。この頭目の力には大抵な神も歯が立たない位である。処がこの邪神の頭目は陰に陽に絶えず我々の仕事を妨害している。特に本教は邪神にとっては一大脅威であるから、彼等の方でも頭目中の頭目が対抗(たいこう)しているので、これこそ正邪の大戦いである。

 処がここに注意すべき重要事がある。それは本教信者は自分は御守護が厚いから大丈夫だ、邪神など容易には憑れるものではないと安心しているその油断である。この考え方が隙を与える事になり、邪神は得たり(かしこ)しと憑依(ひょうい)してしまう。然も小乗信仰者で熱心であればある程憑り易いから始末が悪い。いつも私は小乗信仰を戒めているのはそういう訳だからである。何しろ邪神が憑るや小乗善に尤もらしい理窟をつけて押し拡げ、巧く瞞すので大抵な人はそれを善と信じ切って一生懸命になるのだが、何しろ根本が間違っている以上、やればやる程結果がよくないから(あせ)りが出る。そうなると人の忠告など耳へも入らず、益々深みに嵌ってしまい、二進(にっち)(さっ)()もゆかなくなって失敗する人がよくあるが、こういう人も早い内目が醒めればいいが、そうでないと何が何だか分らなくなってしまい、御蔭を落す事になるから、小乗善の如何に恐ろしいかが分るであろう。小乗の善は大乗の悪なりと私が常にいうのはこの事である。又この点一番よく分るのは小乗善の人は必ず常軌(じょうき)を逸する事で、これが奴等の狙い処であるから、何事も常識眼に照らして判断すれば間違いないので、全く邪神の苦手(にがて)は常識であるから、私は常に常識を重んぜよというのである。この例は世間に有りすぎるほど有る。よく奇矯(ききょう)な言動をよいとする信仰や、同様の主義思想、神憑り宗教などもその類であって、何れも問題を起し、世間を騒がす事などよく見聞する処である。

 そうして右の理は霊的にみてもよく分る。何しろ狐、狸等は動物霊であるから、人間より以下である。従ってこれを拝んでいると、四つ足の居所は地上であるから人間は地の下になり、霊界では畜生道に落ちている訳で、霊界の事は一切現界に映るから、その人は地獄に落ちているのである。世間よく稲荷の信者などは、必ずと言いたい程不幸な運命に陥ってしまうのは、右の理によるからである。勿論霊憑りもそうであって、動物の入れ物になる以上、やはり畜生道に落ち、不運な境遇(きょうぐう)となってしまうのである。

 併し乍ら同じ狐霊でも、全部が全部悪い訳ではない。稀にはよい狐もある。それらは改心した狐であって白狐である。白狐は何れも産土(うぶすな)(かみ)の下僕となり、神のご用に(いそ)しんでおり、中々役に立つものである。というのは狐は霊的には種々な特徴を有っており、悪もそうだが、善の場合も中々力があり、よい働きをするものである。併し神憑りにも除外例がある。それは祖霊又は正守護神が重要な事を人間に知らす場合、一時的に憑る事がある。これはホンの僅かの時間と必要だけの言葉で、決して余計な事は言わないものである。ここで序でだから正か邪かの判別法を教えるが、神様に関係のある正しい言葉には無駄は決してない。物事の急所を簡単明瞭にお知らせなさるものである。故に邪霊であれば必ず余計な事を喋りたがるもので、よくあるノベツ幕なし立て続けに喋るなどは、狐霊と思えば間違いない。併しこういう場合もある。それは正守護神が言葉で知らせようとする場合、狐霊は人間に憑る事も、喋る事も巧いので、狐霊を使う事もあるが、そういう場合必要以外の事を喋り、地金(じがね)を現わすから大いに注意すべきである。

 B・C・G問題ですけれども、あれに就いて二、三日前の「時事新報」に面白い記事が出ていたので、それを添えて書いてあります。

 

BCG問題

(栄光一三〇号)

 昨今BCG問題が喧しくなって来て、言論機関も盛んに論議されており、医家の間でも賛否両論に分れていて、仲々決着はつかないようである。そうしてこの問題の起りというのは、先頃米国ミネソタ大学の教授マイヤース博士が、BCGの有害無益論を、八月十八日発行の米国医学協会雑誌に掲載されてあったところ、折も折日本においても武見太郎博士が文芸春秋四月号に、結核撲滅対策を撲滅せよとの題下に、BCGの効果に疑問ありとし、法によって強制するのは不可なりという意見を発表したので、それらに刺激されてか、最近に至って橋本厚相が、同薬の効果はいまだ不確実な点あり、充分確定するまで接種は見合した方がいいとの主旨を発表した事から、俄然波紋を捲き起し、政治問題なども絡んで、面倒臭くなったようである。これについて私としての見地から、いささか批判を加えてみるが、

 これは事改めていう程の事もないが、BCGに限らずどんな薬でも効果は一時的で、時が経てば必ず薬害が表われる。というのは私の持論であって、今度の問題などもそれである。もちろん吾々にはよく分っているが、科学者としたら実に不可解千万と思うであろう。というのはこの薬は、昨今使用しはじめたものではない。すでに二、三十年も前からさかんに使用されて来たにかかわらず、今までは別段何事もなかったにかかわらず、思いもかけぬ今度のような事が起ったので、本来なれば何よりもこの原因を究明しなければならないが、それも無理であろう。なぜなれば、この原因は科学の分野には属していないからであって、その証拠には今もって決定しないため、今度の問題が起ったのである。というのは真の原因は霊的であるから科学的智識では分りようがないので、今ここにかくところの私の説明を見たところで、科学者から見ればまず一種の珍説か、迷信的ドグマにしか思えないであろう。ところが吾々から見ればこの人達こそ、立派な科学迷信に陥っているからである。

 さてこれから真の原因を明らかにしてみるが、それはこうである。私は以前かいた事もあるが、長い間の夜の世界がいよいよ昼の世界に転換する事となったので、霊界においては太陽の精である火素が増え、浄化力は日一日と旺盛になって来たので、以前は薬で固め得たものも、今日では固まりえなくなったためで、それが今度の問題の原因である。そのような訳で今後時日を経るにつれて、段々固まらなくなり、いずれは医師自身がすべての医薬に疑問を起す事となり、結局薬害の恐るべき事がハッキリ分って、ついには医学の再出発という事になるであろうし、ここで初めて眼を他の面に向ける事となる結果、本教の浄霊療法こそ真の医学としての真価が判り、医学の大革正となりやがては世界医学界に一大センセーションを捲き起すのは、時の問題でしかあるまい。従って今度の問題も、その時機の接近の示唆でなくて何であろう。

(「B・C・G問題」のあとの御教え)

 こう言う事は、ちょいちょいあるんですがね。何うも、こう言う事は医学は気に掛けないですね。医学なんかに始終促(捉?)われていると、頭が変になるんですね。普通の判断がつかないんですね。つまり、小いさい事で之丈の大きい事を抹殺して了うんですね。まあ、精神異状(常?)とも――やっぱり一つの迷信ですね。つまり、根本は迷信なんです。だから、迷信者が迷信でない者を見れば、迷信に見えるんですね。そう言う風に考えれば良く解るんだがね。それに就いて、無神迷信と言うのを書いたんですがね。つまり、無神者の迷信ですね。之は丁度時局の問題に結び付いたんで、良く解るだろうと思いますがね。

 

(御論文「無神迷信」) 【註栄光一三四号】

無神迷信

(栄光一三四号)

 最近新聞紙上を(にぎわ)しているものに、公務員の汚職(おしょく)問題がある。然も御承知の如く次から次への続出で、殆んど底知れぬ観がある。これによって想像してみると、官界方面は何処も彼処も腐敗し切っており、丁度第三期梅毒患者のように、何処を()しても膿汁が出るのと何等変りはない。恐らく今までに斯んなにまで腐敗した事は聞かなかった。そこで当局も何とかせねばならぬと、対策に腐心しているようだが、それとても知れた事で、例の如く官紀(かんき)粛正(しゅくせい)の一途あるのみであろうが、これも致し方ないとしても、これ等も一時的手段で根本には触れていない以上、何れは再び同様な問題が起るのは知れ切った話である。

 そうしてこの問題に関連して、近頃(やかま)しく言われているものに彼の社用族の暗躍がある。彼等はそれぞれの役人を料理屋、待合等に招待しては、ウンと饗応し骨抜きにしてしまって、旨い金儲けをするのだそうだが、これ等に要する費用も莫大な額に上るであろう。言うまでもなくそれらの金も物価や税金に掛けられて、その負担は国民が負うのであるから、考えれば国民こそいい面の皮である。このような訳で、この問題は一日も早く徹底的に解決しなければならないが、遺憾(いかん)乍ら当局も有識者もその根本原因が分っていないから、どうしようもないのが実状である。そこで私はこれに就いて、必ず解決出来方法を教えたいと思うのである。

 先ず何よりも理窟(りくつ)に合わない事は、この問題を起す処の連中は、残らずと言いたい程、高等教育又は相当の教育を受けた者ばかりであるから、教育と犯罪とは余り関係がない事になろう。処が世間一般は高等教育を受けた程の人間なら、犯罪を(おか)すような馬鹿な事はする筈がないと信じ切っている。それが今日の社会通念であろう。成程智識人に限って、暴力的犯罪は行わないからそう思えるのも無理はないが、事実は暴力を揮わないだけの話で、それに代る智能的に行うのであるから、結果に於ては寧ろ深刻さがある訳で、然も彼等社会的地位にある人間であるから、一般に与えるその影響も少くないであろう。では何故智識人であり乍ら、彼等はそのような忌わしい犯罪を犯すかというと、其処には重大な理由があるので、私は先ずこの点にメスを入れてみよう。

 その根本理由というのは、彼等の心理に一大欠陥(けっかん)がある事である。それはどんな不正な事でも巧妙にやり、人の眼にさえ触れなければ旨く済んでしまうという唯物観念である。処が意外にも予想もしない処などからバレてしまうので、大いに驚くと共に首を(ひね)るであろうが、その場合彼等の心境を想像してみると、こんな処であろう。俺はアンナに巧くやったんだが、到頭バレてしまった。俺だって法律上の事位相当知っているから、間違っても法の網に引っかかるような間抜けな事はしてないつもりだが、それがこんな結果になるとはどうも分らない。併し出来た事は仕方ないから、成可く速かに軽くなるようにすると共に、若し今度再び役人になった節は、もっと巧くやってやろうと思うのがその殆んどであろう。中には殊勝(しゅしょう)な公務員もあるだろうが、そういう人は今度のような汚職事件を起したのは全く間違っていた、俺が悪かった、この上は深く罪に服し、これを契機として立派な人間に更生しようと決心するであろうが、なる程一時はそう思っても日の経つに従い、その決心は段々緩んでしまい、(もと)木阿弥(もくあみ)となるだろう。というのはその原因が何れも無神論者であるからである。

 ではこの問題を根本から解決するにはどうすればいいかと言うと、言わずと知れた信仰である。信仰によって神の実在を認識させる事である。それ以外効果ある方法は絶対あり得ない事を断言するのである。それというのは彼等の犯罪心理は前述の如く、この世に神仏などは絶対ないと信じ切っており、この地球の上は空気だけで、外には何もありはしないという、至極単純(たんじゅん)な観念である。処が、吾々の方は眼には見えないが、神は必ず在ると言うと、それは迷信に囚われているからだと決めてしまうである。処が真に実在しているから実在していると言っても、そう思われない処に恐るべき無神迷信が伏在しているのである。とすれば実に憐れむべき彼等であって、この考え方が犯罪心理の温床(おんしょう)となっているのであるから、この迷信を打破する事こそ、問題解決の鍵であることは余りにも明白である。では何故彼等はそのような迷信に陥っているかというと、言うまでもなく子供の時から唯物教育を散々叩き込まれた結果、唯物主義至上の迷信に囚われているからで、この啓蒙(けいもう)こそ吾々の仕事である。つまり彼等の再教育であって、事実これによってのみ犯罪を犯さない人間が作られるのであるから、為政者も智識人もこの事に目覚(めざ)めない限り、他の如何なる方法も一時的膏薬張りに過ぎないのである。つまり人の眼は誤魔化し得ても、神の眼は誤魔化し得ないという只その一点だけを、彼等の腹の底へ叩き込む事である。

 之は算盤に就いては、以前に書いた事がありますが、もう一ぺん書いて見ようと思って書いたんですが、何うも――信者許りでなく、日本人は算盤と能率ですね――之が、如何にも気がつかない点があるんですね。だから非常に無駄が事が多いんです。この間――四、五日前、私が山に行ったんですが、鉱山ですね。之は、群馬県の水上温泉の側です。それで、実地に坑道や何か見たんですが、こう言う事に対しても、急所をはずれているんですよ。要するに、急所をはずれていると言う事は、算盤にはずれていると言う事です。例えて見れば、山なら山全体を調べて見て、やっぱり急所があるんです。例えて見れば、一番鉱物がある処、その次にある処、その次にある処と。行って見ると、二と三を一生懸命やっている。一と言うのを後廻しにしている。こう言う事は、何にでもあるね。何時も言う通り、浄霊でも急所があるから、そこを見破らなければならない。と言う事と同じで、私が行って今度すっかり――急所をやる様に言いつけもしたけれども、やっぱり――頻にあっちに行きたかったのは、神様が行かなければならないと言う訳でやられたんですが、そう言う様な具合で、算盤ですね。そうすると能率も上がるんですよ。無駄がないからね何事をやるのも。急所を見つけると言う事は、結局――大局から見るんですね。大乗ですね。之は、又違った話ですが。先に株の相場を随分やった事がある――若い時分にね。その時、こう言う事を言う。相場が上る――下ると言うが、一番間違いないのは大局から見るんです。処が、目先と言って、目の前の事に促(捉?)われるんです。もう直き上るとか、もう直き下るとか――成る程、目先と言う事があるにはあるが、結局は、はずれて了う。全て大局から見ていくと、正確な判断がつくんですね。メシヤ教なんか。(、?)今日は大分大きくなって来ましたが、小いさいうちから、大局で――世界人類を救うと言う之程大きい事はないんですからね。目標をそこに置いてますからね。だから間違いなく進んでいくんですね。処が大抵な人は、大局を忘れて――どうも――部分的に促(捉?)われるんですよ。それは、一寸良い様でも――結局に於いて旨くいかないんですね。よく、大乗と小乗と言う――さっきも読みましたがね。やっぱり大乗ですね。大乗でいくんですね。それを始終注意していると、楽に旨くいくんです。私なんか、仕事をするんでも始終そうですね。今、何れが一番早くやるべき事かと、何れを一番主にして、力を入れるべき事かと、始終考えて、それ丈けをやっていくんです。そうするとそれ丈けで小いさい事も、よく自然に解決する事もあるんですよ。

 

算盤と能率

(栄光一三六号)

 私は今日の日本人をみると、どうも算盤を無視する事と、能率に就いての余りに無関心である事で、それを今警告(けいこく)したいのである。勿論右の二つは大いに関連があるから一緒にかくのだが、単に算盤と言っても金銭上に関するもののみではなく、他の面にもそれが大いにあるからである。然もこれは案外(あんがい)重要(じゅうよう)なものであって、この事に注意したなら、処世上大いに益する事は言うまでもあるまい。この点に関しては、どうも日本人は案外無頓着であって、時間の観念(かんねん)(うす)く、計画性がなく、行き当りバッタリ式の人が殆んどといっていい位である。という訳で算盤を無視する結果無駄が多く、それが又能率にも影響するので、案外損する事が多い。その為仕事も面白くないから焦り勝ちになり、この不愉快が又能率に影響するという工合で、気附かないで大きなマイナスをしている。

 そこへゆくと彼のアメリカである。恐らくアメリカ人位算盤をとる国民はあるまい。例えば戦争にしろ、極度に機械力を利用して、人命を損じないようにする行り方である。今度の朝鮮戦争にしろ、敵と味方との人的損害(そんがい)を比べてみると驚く程で、敵の損害百数十万に対し、味方の方は僅々十万に足りないという事である。又この間の太平洋戦争にしろ、日本人は肉弾(にくだん)を敵の軍艦に飛行機(もろ)(とも)打っつけたり、竹槍の練習したりする等、人命を粗末にする事甚だしいに反し、米国の方はどうであろう。たった数人の技師(ぎし)が飛行機一機を飛ばし、原子爆弾一個で、一都市を全滅するというのだからお話にならないのである。これも全く算盤を採る採らないの異さであるから、大いに考えるべきである。それというのも日本人は今以て昔の武士的根性の(かす)が残っているとみえて、算盤を蔑視する傾向がまだ大いにあるようだ。これが今日及び今日以後の時代に即して、如何に不利であるかは考えるまでもない。然も日本人中には今以て面目とか、(やせ)我慢(がまん)御体裁(おていさい)などという空虚なものに囚われ過ぎる傾向がある。これが国家及び個人にとっての不利益は、割合大きいものがあろう。そうしてここで私の事を少しかいてみるが、私は宗教家に似合わぬ算盤を忘れない主義で、何よりも私のやり方をみればよく分るであろう。教修にしろ、御守にしろ、色々な会費にしろ、一定額を決めるようにしている。それで出す方も宗教にあり勝ちの思召などの面倒臭さがないから気楽であり、只除外例として任意の献金(けんきん)は受けるが、これも強請はしない方針になっている。この様な行り方は恐らく今までの宗教には余り見られない処であろうが、これが如何に本教発展の有力なる要素となっているかは言うまでもない。

 右の様な訳としても、勿論細かい算盤(そろばん)は面倒であるから、大局的に見ての利害(りがい)得失(とくしつ)を忘れないようにしている。よく私の仕事振りをみて、アメリカ式などと言うが、私もそう思っている。全く算盤と能率に最も重きを置いているからである。そうして私は日常生活の上でも、その日一日の大体のプランを立てておき、予期(よき)しない事などある場合は、次の仕事で埋合(うめあわ)せするようにしていて、出来るだけ予定を狂わせないよう気をつけている。そんな訳で普通の人が一日がかりでやるような仕事でも、私は一時間位で片附けてしまう。私の仕事が余りに速いので手伝う部下などいつも面喰(めんくら)い、悲鳴(ひめい)()げている始末で、彼等は明主様は特別な御方だから、到底真似は出来ないと弱音を吐くが、この考え方が大いに間違っている。勿論私のようにはゆかないまでも、その人の(こころ)(がけ)次第では案外成績を()げる事が出来るもので、断じて行えば鬼神も避けるという意気込みを以て、ウンと行るべきである。

(御論文「算盤と能率」のあとの御教え)

 で、こう言う事に置いて、一番思っているのは、時々裁判所に行きますが、恐らく――能率の上らないのは日本一だと思いますね。或いは、世界一だろうね。何しろ、始まりが十時半と言っているが、処が十時半に始まる事がない。先ず十一時ですね。でも、普通は十一時半になる事もある。十時半に始め様とすれば出来る。そうすると、十時半に始めると、午前中に二人位調べられる。十一時半となると、一人の証人で十二時半に迄かゝるから、二人の証人では出来ない事になる。証人を三人呼び出すと、二人は出来るが一人は午後になる。証人と言うのは、犯罪者ではないから、一度で済まして貰いたいですよ。一日掛りですからね。一日無駄されると言うのは、実に――人民を思わざるも甚だしいですね。そうして、調べ方も実に気の長いものですよ。裁判は――牛車に乗っている様な――源氏物語り時代――だから全く、あそこに行くと、おかしいですよ。今は源氏物語は流行(はや)っているから良いが――そうして、色んな事は、弁護人が証人から聞いたりするが、之が、又、実に無駄な事なんです。事件に関係のあるものはない。見ていて、十のうちに一つか二つでしょう。あとは雑談に近いものです。何んとなれば関係のない事を言ったり。(、?)聞いたりしているんですからね。この間――名前は言いませんが、幹部の人で証人になった人がある。弁護人が反対諮(尋?)問で――こっち側の証人ですからね。こっち側が聞いて、喋るんですが、偶には検事が言う。処が弁護人が質問するのも急所に触れてない。休憩があったから「あなた、急所はこゝだ。こゝ丈け言ってやれば良いんだ」と言ってやったので、残りの答弁の時に、私の言った通り言ったから、それで良かったんですが、そんな様な具合で、大体今の日本人位――何と言うか――まあ、頭が悪いんですね。実に頭が悪いんです。急所が解らないらしいんですね。兎に角、その時の事なんかも、先方は私が金銭に関係したかしないかと言う事の狙いですからね。それに対して弁護人が言わせ様と言うんですからね。他の事は何にも要らない。金銭は他の者がやっている。明主様は教線の事丈けだ。と言えば良い。それを、一生懸命に無駄な事を言っている。だから私が――つい「寸鉄」を書きたくなるんですよ。

 結局、寸鉄や歌ですね。歌だと、三十一文字で、兎に角百字も二百字も言う事を現わせるんですからね。歌、俳句をやるのは非常に良いと思いますね。歌、俳句を作ろうと思う時に、例えば季節なら季節を簡単に――俳句にしろ――五六五に表現する。と言う事は、急所ですからね。結局、急所を見附ける事になる。こう言う頭の癖をつけるんですね。良い事だと思いますね。趣味のない者はしょうがないが、少しでも趣味のある者は、大いにやると良いと思う。だから、今の裁判でさえそんなですから、他の役所と言うのは、やっぱり相当無駄があるに違いないですね。だから、よくお役所式だとか言いますが、全く役人と言うのは、一寸仕事が違うんですね。だから、官営になったのは、能率の上るのはないですからね。今の電力問題で、電力が足りないと言っているが、関東配電とか作ったからですね。昔、私立会社があった時は、電力不足なんてなかったですね。むしろ電力過剰の方が多かった。やっぱり、人間は欲ですからね。欲で動いている。営利会社にすると、儲けたいから、一生懸命に――電気なら電気を――沢山作る様になるからね。それが、役人になると、儲けると言う事がないから、要するに首さえ繋げば良いからね。仕方がないですよ。人間の弱点でね。

 アメリカの発展は、第一番にキリストの為、第二番目に金儲けの国ですからね。今は戦争やっているが、昔は商人の国と言っていたからね。だから儲かれば良い。それからアメリカには、以前の日本の様に、封建的に階級が定まっていないから、腕次第と言う――豊臣時代の様な――金儲け、腕次第と言う――その根本にはキリスト教の影響があるが、そう言う点が、アメリカ発展の原因だと思いますね、トルーマン大統領だって、元小間物雑貨商ですからね。だから、商人上りですね。そして又、アメリカの陸軍大臣にしろ、海軍大臣にしろ、軍人を用いない様にしている。日本は、士官学校上りの――何処迄も軍人上りですね。そう言うのを主(首?)脳者に置きましたが、あっちは、それを主(首?)脳者にしない不文律がありますからね。面白いですね。(いくさ)をするにも――商人上りですから――算盤を取っていきますからね。だから、日本でも算盤を取ったら、こんなみじみ(め?)な事は決してないんですね。戦争を十六年に始めて――支那、中国をやっつけて、蒋介石が危ぶなかった時に、蒋介石が和睦を申し込んで来ましたが、それを入れて、中支の良い加減な処を取って、満州は日本のものですからね。それ丈けで、戦争を()めて了えば、世界の与論もそれ程ひどくならないで、あれ位仕方がないと、あと――日本にしても、何処迄も商業的に支那を開発すると言う様にいけば、蒋介石だって喜びます。そうして行けば良かったんですね。処が算盤を取らないからね。八紘一字で、アジアを全部日本にしようと、算盤を取らず、無茶苦茶にやったからね。

 尤も之は普通の理窟であって、神様の方から言えば、全然違うんです。やはり日本は負けて、こうならなければならない。今言ったのは、絶対に真理とは言えないが、そう言う事も知って置かなければならないと言う事です。

 

 

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