十一月二十五日

(お 伺) 本年六月より腸が悪く、医療を受けまして、直腸癌となり手術より方法がないとの事で入院の準備中に、お道の事を聞き十月一日より御浄霊を戴き、一時経過も良く血便も通じも出る様になり、二十一日に入信させて戴きました。十一月中頃より血便止り、通じも少なく、胸が苦しくなりました。霊的関係がありましょうか。全快の有無、御浄霊の箇所御垂示下さいます様御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 之は霊的じゃありません。薬毒ですよ。治りますよ。血便が出るんじゃ上等だ。直腸の側に御出来が出来ている。で、それが直腸を圧迫するんで、それで便通が悪いんですね。血便と言うのは、血膿が出るんですね。ですから之は、大して長くもかからないけれども、少し気長にやれば、すっかり治りますよ。直腸癌じゃないですね。普通のオデキですよ。

(お 伺) 奥村秀子(十一才)発育悪く五、六才の体格であり、原因不明の症状で、耳は聞えても笑う許りで言語を発せず、常に舌をだらりと出し涎を出し、手は不自由で摑めません。御浄霊を戴くと舌を引込め涎も止ります。叔父に同様の症状にて亡くなった方があり、死後三年目に生れて居ります。その方との因縁があるのでしょうか。何うしたら救われていくものでしょうか。何卒御垂示御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 之ですね。この叔父さんの霊ですね。之は、気長に浄霊して居れば治りますよ。十一――もう少し小さいと早く治るんだが、十一でも良いですね。学校の関係があるから急いでやらなければね。之は、ここに憑いている――前頭部を中心に頸の周りに固りがありますから、そこを浄霊して、光明如来様をお祀りしたその座敷に寝かせる様にしたら良い。そうして、善言讃詞や御神書を聞かせる様にすると良い。そうすると、早く治ります。つまり、子供の病気を治すんじゃなくて、霊の病気を治すと言うんですからね。結局は治りますが、霊の曇りが強いと、時日はかかりますが、大して長くはなりません。場合によると、案外早く治ります。そんな具合でやって御覧なさい。

(お 伺) 私の妹はる(十九才)は本年二月より中耳炎と言われ通院中、四月頃より体がふらつき転ぶ様になり、八月頃には目の前が急に暗くなる事一日数回に及びました処、医師は脳癌と言い手術するとの事に家に帰り、九月より御浄霊戴き、御陰様で当時の浮腫と首筋の腫れは治り、現在は延髄が浄化して動かせない様な状態で、未だふらつき、歩く時には中心がとれず、自然に早く歩き、酒に酔った様な状態です。発病と共に種々の注射もやって居りますが、霊的と思われます点も御座いますが、如何致しましたら宜敷いもので御座いましょうか。

 祖霊中に癲癇で死亡、頭と胴とが離れ々々になって川に流れた者もあり、又祖母には一男六女あり、男子は癲癇で死亡、其嫁は産後死亡、六女は他に嫁し行方不明となり、従って養女として今の私の母が参り、父は酒飲みでよく暴れましたが、腹膜を起し、血を吐き死亡して居ります。尚、私の夫も戦病死して居り、現在は女のみで御座います。御屏風観音様は御奉斎させて戴いて居ります。

〔御 垂 示〕

 脳癌で手術――おかしいですね。医学の方は、脳癌になると死ぬとしてあるがね。脳癌になれば割合に早く死ぬんですね。それで脅れているんですがね。随分厄介な家ですね。之は、霊的ではないらしいですね。癲癇とは違うな。やっぱり、ここに毒がある――後頭部から延髄にかけて固りがありますよ。ここを浄霊すれば治りますね。延髄が浄化して――之ですね。ここに固りが未だ残っているんだ。それを浄霊すれば、それで治りますよ。大したものではない。

(お 伺) 室伏壽朗(昭和二十五年十一月二十九日入信。四十四才)御神体、御屏風観音様は御奉斎させて戴いて居ります。病歴としては――

  1. 十八才の時、柔道にて右肺部乾性肋膜。
  2. 二十三才の時、中耳炎手術。
  3. 二十四才の時、蓄膿症手術。
  4. 三十三才の時、鼠蹊部切開手術。
  5. 三十九才の時、右肺部湿性肋膜にて一カ年療養。
  6. 四十二才の時、右肺に空洞(直径三センチ)あるを以て、病院にて加療。
  7. 四十三才の時、国鉄を休職、自宅にて療養。

 この間洋薬、漢方薬等相当に使用して居ります。特に三十二才に渡支以来、帰国迄八年間征露丸を常用して居りました。四十二才の時肺を患い、一年間毎月二回気胸を致して居りました。昨年十一月入信させて戴き罪多き一家では御座いますが、御守護を戴きまして、十二月中旬頃から床を離れ教会に通える様になり、御浄霊を戴き大して休む事もなく、明主様の御参詣も毎旬させて戴き、教会の座談会にも出席させて戴きました。九月初めより喀痰の量も多く、食事も進まなくなり、臥床する日の方が多くなりました。十月上旬より、浄化も強いので、御浄霊は二日置き位にさせて戴いてを(お?)ります。特に咽頭部に痛みを感じ、食欲もなく体の衰弱が目に見えて参りました。現在食事はお粥一杯位、其他パン少量、水は欲しくても単独では飲めず、パンに浸してとる程度で御座います。下痢は少量では御座いますが、一日四、五回程度で御座います。尚、両足及び左手の甲に少し浮腫みを感じて居ります。霊的としては――

 長兄(六十才)は屋根より落ち屋根鋏にて咽喉をつき即死、四兄(三十五才)五兄(四十二才)共に肺結核にて死亡して居ります。薬毒も多く霊的にも深い因縁をもって居りますが、執着はなく全てはお任せ致して居りますが、御浄霊の上に特に注意すべき点を御教示賜り度く御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 随分この人は――まあ、然し医学を頼ったら、こう言う事になる訳ですね。罪多き一家――じゃない。薬多き一家だ。屋根鋏と言うのは――

 「大きな鋏で御座います」

 あれが、屋根鋏ですか。屋根を切る鋏かと――

 之は、霊的はありませんね。之は、医療的ですね。湿性肋膜――之が相当固まっているな。まあ薬毒ですね。それで唯、薬毒が浄化が強いからね。やっぱり、痰になって出たり、微熱も出るし、それで食欲不振なんです。痰に薬毒があるから、咽喉が荒れる。それで痛んで、あんまり食えない(。?)衰弱ですね――衰弱さえ旨く堪えられれば、之は治るに定まってますが、だからこう言うのは難かしいんです。浄霊すると、益々浄化しますしね。そうかと言って、打擲らかして置くと、色々苦痛があるからね。之は、臨機応変にやる。一番肝腎な事は、急所を見附けてやる。一番痛むなり――苦痛ですね。之は、一、二、三、四と急所がありますから、一の急所を発見してやる。それから二の急所をやる。こう言う風に、順序良くやると旨くいきます。それを、一をやらずに二、三をやるから、馬鹿に苦しくなる。

 「全てを明主様にお任せする心境になって居ります」

 その心境が結構じゃないですか。ここ(頸部淋巴腺)をやってますか。ここに熱があるんでしょう。ここですね。之が溶けて咽喉にいくんです。どっちかに固りがあって、熱があるんです。

 

【御 教 え】

 この間、東京に行った処が、ピカソ展を高島屋でやっていると言うので――態々、身に行く積りもなかったが、そう言う話なので、序でなので見に行ったが、その批評をここに書いてある。この間、マチスは――話丈けだったか、之は、恐らく私の様な見方をした者はないだろうと思いますね。

 

ピカソ展を見て

(栄光一三五号)

 私はこの間東京へ行った処、丁度高島屋でピカソ展開催中との事を聞き、丁度幸いと行ってみたので、今その感想を書いてみるが、先ず一通り回って見て唖然とした事は、私としても、現在世界的大きな存在としての、ピカソとも言うべき巨匠である以上、素晴しいものであるに違いないだろうし、然も評判も大したもので、新聞などに出ている日本の批評家の誰もが、(こぞ)って褒めている位だからと、少なからぬ期待を持っていたので、その気になって、丹念に見たつもりであるが、見れば見る程、先ず分らないと言った方がいい。そこでありのままを書いてみれば、先ず第一、これが絵画というものであろうかという疑問である。一体何処に美しさがあり、何処に良さがあるのであろうか、これを室内に飾って、果して楽しめる人が一人でもあるであろうか――というように、考えれば考える程分らなくなってしまう。

 率直に言って私は、アノ幾何学的毒々しい色彩で、児童の画いたような絵の、何処に絵画的生命があるのであろうか。とは思ってみたが、ピカソ程の大家の画いたものである以上、何処かに何かがあるに違いない、何を狙ったものであろうかと、作者の心理探究のような意図で、ジッと見つめてみても、イクォール(ゼロ)でしかない。又人物にしろ、アノ怪奇な眼、鼻、口、胴体、四肢等が、歪んだり、バラバラになったりしていて、酷な言い方かも知れないが、跳ね飛ばされた轢死者(れきししゃ)か、原子爆弾で()られた死人としか思えないのは、私ばかりではあるまい。実にこれを見せられる大衆こそ、可哀想なものと思う。恐らくこの絵に対する誰もは、これこそ有名なピカソの絵だ、これこそ世界的名画に違いなかろうと思って見ても、サッパリ分らない。併し素晴しい物には違いなかろうと思うだけで、その絵の良さ悪さも分る筈がない。所謂大部分は豚に真珠でしかあるまい。と言うと、恐らくこのようにズバリ直言する者は、今の日本には一人もあるまい。私だけと思っている。先ず絵画はこの位にしておいて、次の陶器であるが、これは少し奇抜すぎるが、併し何かしら鋭い動的な時代感覚がよく出ていて、捨て難い点もある。と言って、現在日本の新しい陶芸家の作品の方が上とさえ、私には思われたのである。

 では、このようなピカソの作品に対して、何が故に今日の如く世界的賞讃の的になったかと言うと、それには立派な理由がある。その事を説明するに就いては、先ず現代教育から書かねばならないが、今日どの国もそうであるように、美術に関しての教育は余りに等閑(とうかん)()されている事である。誰も知る通り、先ず小学校に於ては、簡単な図画、粘土細工、木工の玩具(オモチャ)位を生徒に作らせ、中学以上になるとスケッチ風の洋画的のものを教える位で、見るものとしては、決まり切った御手本か、先生の絵位であろう。そうして学校を出てからも、余程の美術趣味のある人でない限り、一般は新聞雑誌の挿絵か、知人の家庭に於ける応接室か床の間に掛けてある絵画位で、その他としては一年に一度か二度位新聞の評判や、友人に誘われ、展覧会に行って見る位のものであるから、真の意味に於ける美術知識などは殆んどないと言ってもよかろう。然も専門家も好事家も、凡そ美術に携わる人で、その意欲を充たそうと思っても、満足な機関は今の日本にはないのであるから、今仮に新古の優秀な絵画をぜひ見たいとしても不可能で、かえって日本人であり乍ら、西洋の名画なら、外国へ行けば完備した美術館があって、遺憾なく見られるのである。という訳で、東洋美術即ち支那、日本の名画などホンの一部しか見られないのが現状である。成程、博物館や私設美術館もあるにはあるが、殆んど論ずるには足りない程であって、何しろ博物館は歴史的、考古学的の物が主となっており美術そのものから言えば、洵に貧弱である。外客などが日本の古美術を見たいと思って、博物館に行ってみる場合、これが東洋の美術かと思うと、大抵の人は失望するであろうと、私は思わざるを得ないので、その上年中同じものを陳列しているのであるから、日本人であっても余程の人でない限り、見に行く人は極めて少ない実状である。成程博物館は仏教美術だけは充実しており、立派な物も数多く備えてはいるが、肝腎な一般人に理解が出来、趣味が湧くような絵画や、その他の美術品にしても、洵に物足りないのである。これでは大衆の美術思想を呼び覚ますなどの力は到底あり得まい。このようなわけで、徒らに額に八の字を寄せ、教科書を読むような古美術では、いくら由緒ある物であっても、楽しんで見る気にはなれないので、いつ迄経っても美術に親しむ人は増えないであろう。としたら、この点大いに考えなければなるまいが、併し古美術は国家の誇りでもある以上、大いに尊重するのは勿論、充分保存の方法も講ずべきは、今更言う迄もない。

 その他としては、私設美術館であるが、これは美術紹介の為の、春秋二季上野に開催する幾つもの展覧会であるが、その中の絵画だけにみても、日本の洋画は数は非常に多いが、まだ西洋模倣の域を脱していないようで、注目を払うに足る程のものは至って少なく、そうかと言って日本画にしても行詰り状態で、大部分の傾向は、日本絵具で画いた油絵に過ぎないと言っていい位で、然も大家は大家なりに、今更流行を追うわけにもゆかず、旧来の侭では人が認めてくれず、というジレンマに陥っている。その気持が、画面によく現われている。私は昨年迄は秋の展覧会は欠かした事はなかったが、今年はどうしても行く気になれないので、到頭行かなかったが、それ程見る気になれないからである。

 以上、現在の美術に関しての色々を思ったまま書いたのであるが、これを以てみても、今日の日本人は、美術に関する本当の教育を受けていない以上、鑑識眼などは殆んど(ゼロ)に近いと言ってよかろう。そのようなわけで、人がいいと言うからいいんだろう、新聞などがジャンジャン褒めているから、素晴しいものに違いあるまい、これを見ないと流行遅れになるから、行かずんばあるべからず、といったように押掛けるのであろうから、丁度映画のベストテンのようなもので、一種の人気作用でしかあるまい。この意殊に於て、マチスもピカソも、現代に於ける大いに恵まれた存在と言ってよかろう。

 以上の如く、現代教育上の最も欠陥とされている美術教育こそ、今後は大いに奨励しなければならないが、然もこの事は平和思想涵養(かんよう)にも役立つものであろうし、美術思想こそ世界共通の理念であり、将来は国際的に美術品の交流等も盛んに行われるであろう。又この事が、共産思想を防止する上にも、相当効果があるであろうから、この意味に於て私は、社会的にも大いに美術教育を盛んにし、大衆の美術趣味を高めなければならないと思うのである。その上、今日まで特権者の専有物のようになっていた美術趣味を、民衆にも普く均霑(きんてん)させられるとしたら、この事も結構な社会事業であろう。然もそれが制作者の刺戟ともなり、作品に対する正しい批判力を持つ社会ともなるので、美術界も健全なる発達を遂げるのは当然である。そうなってこそ日本に於ても、世界的大傑作品が生まれるのは必定であろう。それに就いても、今私は残念に思う事は、マチス、ピカソの如き現在生きている画家の作品が、日本に迄来てヤンヤと言われる事で、これを考えれば、いつかは日本人の画家の作品が、アメリカやヨーロッパへ展覧会を開き、大騒ぎされる時期の早く来たれかしと念願して止まないものである。

 最後に私の事を少し書いてみるが、今造っている箱根・熱海の美術館である。箱根の方は来年の夏迄に出来る予定だが、言う迄もなく、前述の如く美術教育の欠陥を補い、日本人全体に大いに美術思想を涵養させたい趣旨であるから、陳列の品も一般人にも理解出来うると共に、専門家としても最も欲求している優秀品を網羅しようと計画しているのである。勿論東洋美術を基本とし、新古を問わず、各時代に於ける名人の傑作品を選び、大いに内容の充実を図るのである。そうして、差当っては日本人を目標としているが、将来は、世界各国の専門家、好事家、一般大衆の憧れのシンボルとしての、世界に誇り得る大美術館としたい考えである。

(御論文「ピカソ展を観て」のあとの御教え) 〔註 栄光一三五号〕

 今読んだ通りですね。マチスにしろピカソにしろ、皆んな一ぺんは見なくてはいけないと言う訳で、ヤンヤと押掛けて、あれで相当入場料を取るんだから、デパートなんか儲けたろうと思いますがね。そんな事は、どっちでも良いが――あれを観ても、解る人はありっこないんです。私が解らないんだからね。それが、ああして大騒ぎをされていると言うのは、批判力がないからです。人が良いと言うから良いと言うので、何故世界的名声を博したかと言うと、こう言う訳です。アメリカの富豪が美術館を造ったり、自分の家に並べたいと思っても、東洋美術は殆んど無いんですよ。だから近頃、アメリカ人なんかでも、随分熱心に、買おうと思って、代る代る来てますがね。併し、本当に良いものは中々買えない。又日本人は売らない様にしてますからね。そう言う点は、日本人は国家思想が強くある。そこで一等品――一級品は手に入らない。それから支那の方も、以前はあったけれども、イギリスの富豪――デビットとかホップレスとか言う金持ちが、殆んど買っちゃった。アメリカでも、ボストンの博物館あたりが、前から買っちゃってある。それで、アメリカの金持ちが手に入れる事が出来ない。そこで、ヨーロッパの絵ですね。ああ言うのも――同じ白人ですからね。そこで目を着けたのが、新しい――生きている人で、見渡した所フランスあたりが、一番偉い画家が居る。それでその絵に目を着けた。マチス、ピカソだとかね。ああいった人達が――段々世の中の絵の傾向が変って来て、後期印象派だとか立体派、後世派だとか出て来て、新しく何か画いていった。で、その結果遂々行過ぎちゃった。その親玉がピカソですよ。丁度ブランコと同じで、こっちに来ているのに、今あっちの端にいるのがピカソですね。そうすると、アメリカの富豪が変っている処――変っている為に、他の金持が持っている絵と違いますからね。他の金持ちが持っている絵は旧式だ。駄目だ。こっちが新しいものだ。素晴らしいものだと思っちゃった。然しアメリカの富豪だって目が利かないんです。美術眼なんかない。すると、他の富豪が、あいつがああ言う物を持っていると言うので、段々せり合っていった。今一番高いですね。だから、ピカソの絵は、あんなに高いから良い物に違いないとなった。それが、日本に来て、フランスやアメリカで大騒ぎをやっているから、世界的の大名人だ。見ずんばある可からず。と言う様になった。要するに、そう言う様に拵え上げちゃったんですね。私は本当の白紙になって、冷静に批判したんです。見ると、何でもないんです。絵としては、唯人を驚かす様な――唯、奇ですね。奇によってアッと言わせると言うんです。あれが絵としてやられたら堪らないですよ。一番良いのは――あの絵を飾って見て御覧なさい。ああ良いと思う人は恐らくないですね。丁度、銀座通りあたりに言って、若い女が歩いてます――毒々しい化粧をして、派手な衣装をしている――派手な恰好をしていると、皆んな見るでしょう。美人じゃないんですがね。見る丈けは見ますよ。有名になった音楽家とかははゝ偉いだなと思う。だから、そんなものは或る時期が過ぎると、ガタッと落っこちます。ピカソを私の様に見る人や、言う人は恐らく無いですよ。然し、それが本当なんだから仕方がないですね。まあ、之が他の事にも共通しているんですよ。今、大学教授の――良い博士と言う――お医者さんですね。大変な腕前を持っていて、大抵な病気は治して了うと、思いますよね。処が、本当の値打は、我々の方では分ってますからね。それと丁度同じ様なものですね。この間なんか、ユナイテッドのニュース映画ですが、英国の皇帝が手術をするので、有名な博士が自動車に乗って、降りる処が写ってましたが、丸で神様の様に扱われてましたね。皇帝の手術をするんですからね。我々から見ると、からっきし問題にならないがね。丁度、ピカソの絵もそんな様なものだろうと思いますね。

 それから、B・C・G問題ですね。之も一寸面白い事が新聞に出てましたから、それに就いて―

BCG問題

(栄光一三〇号)

 昨今BCG問題が喧しくなって来て、言論機関も盛んに論議されており、医家の間でも賛否両論に分れていて、仲々決着はつかないようである。そうしてこの問題の起りというのは、先頃米国ミネソタ大学の教授マイヤース博士が、BCGの有害無益論を、八月十八日発行の米国医学協会雑誌に掲載されてあったところ、折も折日本においても武見太郎博士が文芸春秋四月号に、結核撲滅対策を撲滅せよとの題下に、BCGの効果に疑問ありとし、法によって強制するのは不可なりという意見を発表したので、それらに刺激されてか、最近に至って橋本厚相が、同薬の効果はいまだ不確実な点あり、充分確定するまで接種は見合した方がいいとの主旨を発表した事から、俄然波紋を捲き起し、政治問題なども絡んで、面倒臭くなったようである。これについて私としての見地から、いささか批判を加えてみるが、

 これは事改めていう程の事もないが、BCGに限らずどんな薬でも効果は一時的で、時が経てば必ず薬害が表われる。というのは私の持論であって、今度の問題などもそれである。もちろん吾々にはよく分っているが、科学者としたら実に不可解千万と思うであろう。というのはこの薬は、昨今使用しはじめたものではない。すでに二、三十年も前からさかんに使用されて来たにかかわらず、今までは別段何事もなかったにかかわらず、思いもかけぬ今度のような事が起ったので、本来なれば何よりもこの原因を究明しなければならないが、それも無理であろう。なぜなれば、この原因は科学の分野には属していないからであって、その証拠には今もって決定しないため、今度の問題が起ったのである。というのは真の原因は霊的であるから科学的智識では分りようがないので、今ここにかくところの私の説明を見たところで、科学者から見ればまず一種の珍説か、迷信的ドグマにしか思えないであろう。ところが吾々から見ればこの人達こそ、立派な科学迷信に陥っているからである。

 さてこれから真の原因を明らかにしてみるが、それはこうである。私は以前かいた事もあるが、長い間の夜の世界がいよいよ昼の世界に転換する事となったので、霊界においては太陽の精である火素が増え、浄化力は日一日と旺盛になって来たので、以前は薬で固め得たものも、今日では固まりえなくなったためで、それが今度の問題の原因である。そのような訳で今後時日を経るにつれて、段々固まらなくなり、いずれは医師自身がすべての医薬に疑問を起す事となり、結局薬害の恐るべき事がハッキリ分って、ついには医学の再出発という事になるであろうし、ここで初めて眼を他の面に向ける事となる結果、本教の浄霊療法こそ真の医学としての真価が判り、医学の大革正となりやがては世界医学界に一大センセーションを捲き起すのは、時の問題でしかあるまい。従って今度の問題も、その時機の接近の示唆でなくて何であろう。

(御論文「B・C・G問題」のあとの御教え) 〔註 栄光一三五(〇?)号〕

 つまり、こう言う事も、浄化が強くなった為なんですよ。で、この浄化が強くなるのは、段々一般になって来ますが、今の処は教団の中が大分盛んな様ですがね。之が、いずれ一般になって来ますね。その現われとして、今年はハシカが例年より三倍だと言う事ですね。それから、赤痢が今頃になると、毎年無くなるんですが、今年は大分増えつつありますね。そんな様な具合で、伝染病と言うのは、一番浄化が強いんですからして、まあ伝染病の増えると言う事が著しい現われと思うんですね。そんな様な具合で、今のB・C・Gもやはり浄化が強い為に、こんな事になるんですね。こんな事が方々にあるんですが、それを無理に抑えてB・C・Gは無害だと言う事を、強調している医者や団体があるんですがね。今の処は、勝ってそんな事を言ってますが、之もぐずぐずしているうちに、有害の方が勝つ様になるだろうと思います。それから、時事問題が多いけれども、お役人の犯罪ですね。不正事件――之が今大いに問題になっているんで、それに就いて一寸書いて見た。

 

(御論文「無神迷信」)   〔註 栄光一三四号〕

無神迷信

(栄光一三四号)

 最近新聞紙上を(にぎわ)しているものに、公務員の汚職(おしょく)問題がある。然も御承知の如く次から次への続出で、殆んど底知れぬ観がある。これによって想像してみると、官界方面は何処も彼処も腐敗し切っており、丁度第三期梅毒患者のように、何処を()しても膿汁が出るのと何等変りはない。恐らく今までに斯んなにまで腐敗した事は聞かなかった。そこで当局も何とかせねばならぬと、対策に腐心しているようだが、それとても知れた事で、例の如く官紀(かんき)粛正(しゅくせい)の一途あるのみであろうが、これも致し方ないとしても、これ等も一時的手段で根本には触れていない以上、何れは再び同様な問題が起るのは知れ切った話である。

 そうしてこの問題に関連して、近頃(やかま)しく言われているものに彼の社用族の暗躍がある。彼等はそれぞれの役人を料理屋、待合等に招待しては、ウンと饗応し骨抜きにしてしまって、旨い金儲けをするのだそうだが、これ等に要する費用も莫大な額に上るであろう。言うまでもなくそれらの金も物価や税金に掛けられて、その負担は国民が負うのであるから、考えれば国民こそいい面の皮である。このような訳で、この問題は一日も早く徹底的に解決しなければならないが、遺憾(いかん)乍ら当局も有識者もその根本原因が分っていないから、どうしようもないのが実状である。そこで私はこれに就いて、必ず解決出来方法を教えたいと思うのである。

 先ず何よりも理窟(りくつ)に合わない事は、この問題を起す処の連中は、残らずと言いたい程、高等教育又は相当の教育を受けた者ばかりであるから、教育と犯罪とは余り関係がない事になろう。処が世間一般は高等教育を受けた程の人間なら、犯罪を(おか)すような馬鹿な事はする筈がないと信じ切っている。それが今日の社会通念であろう。成程智識人に限って、暴力的犯罪は行わないからそう思えるのも無理はないが、事実は暴力を揮わないだけの話で、それに代る智能的に行うのであるから、結果に於ては寧ろ深刻さがある訳で、然も彼等社会的地位にある人間であるから、一般に与えるその影響も少くないであろう。では何故智識人であり乍ら、彼等はそのような忌わしい犯罪を犯すかというと、其処には重大な理由があるので、私は先ずこの点にメスを入れてみよう。

 その根本理由というのは、彼等の心理に一大欠陥(けっかん)がある事である。それはどんな不正な事でも巧妙にやり、人の眼にさえ触れなければ旨く済んでしまうという唯物観念である。処が意外にも予想もしない処などからバレてしまうので、大いに驚くと共に首を(ひね)るであろうが、その場合彼等の心境を想像してみると、こんな処であろう。俺はアンナに巧くやったんだが、到頭バレてしまった。俺だって法律上の事位相当知っているから、間違っても法の網に引っかかるような間抜けな事はしてないつもりだが、それがこんな結果になるとはどうも分らない。併し出来た事は仕方ないから、成可く速かに軽くなるようにすると共に、若し今度再び役人になった節は、もっと巧くやってやろうと思うのがその殆んどであろう。中には殊勝(しゅしょう)な公務員もあるだろうが、そういう人は今度のような汚職事件を起したのは全く間違っていた、俺が悪かった、この上は深く罪に服し、これを契機として立派な人間に更生しようと決心するであろうが、なる程一時はそう思っても日の経つに従い、その決心は段々緩んでしまい、(もと)木阿弥(もくあみ)となるだろう。というのはその原因が何れも無神論者であるからである。

 ではこの問題を根本から解決するにはどうすればいいかと言うと、言わずと知れた信仰である。信仰によって神の実在を認識させる事である。それ以外効果ある方法は絶対あり得ない事を断言するのである。それというのは彼等の犯罪心理は前述の如く、この世に神仏などは絶対ないと信じ切っており、この地球の上は空気だけで、外には何もありはしないという、至極単純(たんじゅん)な観念である。処が、吾々の方は眼には見えないが、神は必ず在ると言うと、それは迷信に囚われているからだと決めてしまうである。処が真に実在しているから実在していると言っても、そう思われない処に恐るべき無神迷信が伏在しているのである。とすれば実に憐れむべき彼等であって、この考え方が犯罪心理の温床(おんしょう)となっているのであるから、この迷信を打破する事こそ、問題解決の鍵であることは余りにも明白である。では何故彼等はそのような迷信に陥っているかというと、言うまでもなく子供の時から唯物教育を散々叩き込まれた結果、唯物主義至上の迷信に囚われているからで、この啓蒙(けいもう)こそ吾々の仕事である。つまり彼等の再教育であって、事実これによってのみ犯罪を犯さない人間が作られるのであるから、為政者も智識人もこの事に目覚(めざ)めない限り、他の如何なる方法も一時的膏薬張りに過ぎないのである。つまり人の眼は誤魔化し得ても、神の眼は誤魔化し得ないという只その一点だけを、彼等の腹の底へ叩き込む事である。

 今度、面白い報告があったんですがね。狐の霊ですね。つまり、狐霊が薬毒を教えたんですよ。ですから、人間よりも――今の現代科学者よりも、狐霊の方がずっと偉いですね。

 

狐霊でさえ薬毒の害を知っている

(栄光一三六号)

 左記一信者の報告は、狐霊が一老婆に憑って、薬毒の恐るべき事を知らした記事であるが、実に面白いと思う。之によってみても分る如く、狐霊が人間の生命を奪ろうとする目的で憑依する場合、無暗矢鱈に薬を服ませたがるものである。故に斯うみてくると、現代科学者よりも、狐霊の認識の方が正確であるという事になるから、之では今日の科学者は、狐霊以下という訳である。としたら実に可笑しな話ではあるまいか。この記事を世の科学者に、読んで貰いたいものである。

 (薬毒を説いた狐霊の話…略)

(御論文「狐霊でさえ薬毒の害を知っている」のあとの御教え)

 之は、狐霊許りじゃないんですが、その人を殺そうとする場合に――他の祖霊でも同じですが、無暗に薬を飲ませ様とする。だから、薬と言う――ああ言う邪霊の良い道具なんです。こう言う事が解ったら大変な事になりますがね。学校教育を受けて、立派なお医者さんになった処が、実は狐霊の仕事を手伝っていると言う訳です。それが進歩した科学と言うんですから、実際何が何だか解らない様になる。

 それから、先月私が京都に行った時、あの辺の神様の神社――四十幾柱と言う神様が憑って来て明主様にこうこう言う事をお願いしたいとか、お礼をしたいとか――そんな様な、それぞれの頼みで――之は本当のものなんです。之は霊界の事だから気が附かないけれども、仮に私が何処かに行く時は、信者が騒ぐどころでない。霊界で神様が騒ぐ方がずっと多い。その辺の神様がお蔭を戴こうと集まって来る。中には軽い気持でやって来たりして――驚いて、それから一生懸命お手伝いをすると言う神様も沢山ある。だから、そういった――霊界に対する仕事の方がずっと多い位ですね。その記録が精しく書いてあるんですが二、三回位に、それを聞かせる事が出来るでしょう。

 

 

Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.