【御 教 え】
私の年は、丁度今日で満六十九歳です。十二月生れだから、数え年にすると七十二なるんですがね。近頃は満になったので、六十代と言う訳です。それで、健康の方は年々良くなるんですね。何う言う訳かと言うと、私は昔――若い時分から薬をうんとやったんです。此――薬毒を知る迄は殆んど薬づけと言った様な具合だからね。それが相当なんですからね。それで、始終自分で浄霊している為に、年々それが減っていくので、健康を増していくんですね。そんな訳で、年を取るのが楽しみな様な位なんですよ。決して負け惜しみじゃないんです。大いに長生きをして、仕事を出来る丈やろうと思ってますがね。今の予想で行くと百は大丈夫ですね。それから先は養生法で長生きしようと思ってますがね。養生法と言うのは、現代医学から言えば、不養生法になりますね――うんと粗食するんですからね。長生きしたかったら、年を取ってから菜食にするに限るんですね。之は私の本に書いてありますから、良く解っているでしょうけれどもね。で、又仕事の方も、年を取るに連れて段々増えて来て、大きくなるんですから、世の中の人から言うと、逆になるんです。年を取って隠居するとか、楽をするが、私の方は年をとるに従って段々増えていくんです。そんな様な訳で之から又、ずっと仕事も大きくなり、面白くもなると思うんです。
最近の全国の新聞なんかで、美術館の事なんかチョイチョイ出ている様ですね。段々注目をされて来るだろうと思ってますけれども――私も今年は、主なる美術館を見たんですが、余りに予期に反して貧弱過ぎるんです。最近鎌倉に出来たと言うので四、五日前に行って見たんですが、之はお話にならないです。美術館と言う名前をつけるには惜しい位ですね。なんで、あんな馬鹿々々しい物を造ったかと思っている位で、建築の余りのお粗末と言い、中に陳列してあるものなんかは、てんで問題にならない。二点許り、絵と支那の古い――今戸焼みたいな陶器ですが、支那の黒薬りで―何とか言う陶器ですけれども、之はお話にならないですね。丁度――一部屋見るのに、一分間で沢山です。一寸、部屋の入口で、こうこう見れば、もう分る。私許りではない。誰でもそうです。美術品の内に入らない物許りです。東京の長尾美術館ですね。之は、美術館と言った処で、個人の家の――洋間を抜いたのと、それから日本間ですね。四間許りで、持っている物を並べたんですが、之は長尾と言う――元「ワカモト」の主人がやっているんですが、之も、まあ――美術館と言う名前はつけられないんで、まあ――私は少し古い物を持ってますから、お暇があったらお出でになって御覧下さい、と言う位の程度です。それから、東京の根津美術観と言う――之は相当有名ですけれども――陳列品が戦災で焼けて、今はバラックみたいな処です。私は、この春と秋と、両方見たんですが――去年迄は見なかったんですが――相当良い物がある様です。毎年違った物を並べる様な――そう言う方針らしい。この秋なんかも行って見ましたが、殆んど問題にならないですね。百並んでいる内に、どうやらと言う物は四つか五つ位なものです。後はてんで――それに書画なんかには、殆んど疵物が多いですね。ですから、之も問題にならないです。それから東京の大倉集古館ですね。あれも去年行って見ましたけれども、品物を売りたいと言うので行って見ましたが、さて買おうと言うのは幾らもないんです。あと東京博物館ですが、博物館は私は何時も良く言わないんですが、博物館は仏教的なもので、之は大したものです。然し、それ以外の美術品は――あまり美術品としての値打は、極く乏しいと言う程度です。京都の博物館、大阪の天王寺美術館、兵庫の白鶴美術館――それらを見ましたがね。京都の博物館は、京都のお寺の良い物が相当あります。今の処仏教技芸術ですね。仏教芸術は、縦ば外国人が来ても、満足出来る程度はあります。あとは、白鶴美術館の、支那の銅器と陶器ですね。之は立派な物があります。然し、日本美術――即ち、日本人が自慢で見せる様な日本美術は、寔に無いんです。
今度箱根に出来る美術館は日本美術を主にして、兎に角、成る程日本は、昔からこう言う良い物があったのかと言う様な物を見せたいと思って、そうして私は昭和十九年から――熱海に来てからそう言う様な意味で、少しは買った物もあるんです。そして又、終戦後混乱状態になったので、相当――日本製の良い物が易く手に入ったんです。神様は旨くそうやって呉れたものですね。そんな訳で、私の方は広範囲にやろうと思うんです。それから、色々――財閥とか――そう言う方面を調べた結果、何処に何があると言う事は、極く名器名品になると、世間に解っている。で、内々先方の意向を色々探った結果、出品をされる方も相当ある。売買と言うと、税務署が喧ましいんで、出品なら別に差支えないんです。そう言う物も相当出る積りですからね。何しろ、日本の物でも――絵画――絵画の中でも日本独特のものとしては、琳派ですね。光琳、宗達、光悦、乾山――その四人の者ですね。あとは、浮世絵ですね。浮世絵も、版画の方は外国にも相当行ってますが、肉筆は外国にも行ってないです。今迄見る機会もなかったから、外人も買わなかったんですが、私は肉筆を出そうと思ってます。版畫より肉筆の方がずっと良いんです。それは――版画は印刷ですからね。肉筆の方が良いに決っているんです。又日本の古画がですね。狩野派――そう言うものは、結局支那からお匠(師匠?)さんになってますから、日本独特の物とは言えないが、そう言う物も出すには出します。あとは土佐派ですね。一名大和絵と言う――之も日本独特の物です。それから蒔絵ですね。之は世界にないんですからね。日本丈の物です。次に陶器ですね。陶器も、支那とは全然違う日本の特色の物を出そうと思ってます。あとは銅器ですがね。銅器は日本ではあんまり出来ない。今、日本の特色の物も幾らかはありますが――それから、書ですけれどもね――書は、一つの美術のうちに入ると思いますね。書と云うと、日本独特の物は、歌切れ――假名物ですね。実に良い物があるんですね。近頃、アメリカの人で、日本の假名に趣味を持つ人が、ぼつぼつ出ている。非常に高く売れるんです。日本の貫之とか道風とか西行とか、それから光悦ですね。ああ言う人の假名書きですね。馬鹿に高く売れる。アメリカの人が買うんです。ですから、解って来たんですね。それから、あとは坊さんの字ですね。坊さんにも上手い物がある。日本にも随分あります。然しそこにいくと支那の宋時代の古い書と絵ですね。之は日本より一段上です。絵なんか――宋絵と言って、絵は悲しいかな日本の画家は敵わないですね。ですから、そう言う物も出す積りで居ます。支那の絵ですね。之は何処に何があると言う事は解ってますから、大体そう言う方面に話が出来てますから―アメリカの人なんか、宋時代の絵と言うと幾ら高くても買いたがるんです。それは又、実に上手いんですね。日本の画家は到底敵わないです。ああ云うものを、日本の画家に見せたいと思っている。日本の画家でも、それを真似して成功した人がありますがね。速水御舟と言う人ですね。あの人は宋元の、宋時代の彩色画ですね。それをお手本にしてやったものですね。日本でも、御舟は実に高いですよ。御舟の一寸良い物になれば、五十萬位しますからね。一寸傑作になれば百萬位します。日本の新しい画家じゃ一番高いと言っても良いですね。お手本は支那の宋元にあったんですからね。宋元の中でも、徽宗皇帝と言う天子で、天皇だけど非常な名人です。徽宗皇帝をお手本にしてます。それから大観あたりでも、宋時代の牧谿と言う人がありますね。馬遠、夏珪、梁楷――そう言う人のを、大いに見習ってます。丁度、大観、春草と言うのは、宋元と光琳ですね。あれに、現代の感覚を入れたと言う様なものですね。そんな訳で、私としては非常に多方面に、その時代の傑作ですね――そう言う物を並べる積りですから、之が世の中に知れたら、非常な評判になって、見たがる人がうんと出るだろうと思います。又、それがやはり、宗教に対する一つの良い意味で、メシヤ教は――新しい宗教で、迷信的の踊る宗教だとか、爾光尊だとか――そんな様な迷信臭いものではない。一つの権威あるものだ。と言う様な感じを受けるだろうと思いますね。で、特に外国人ですね。外国人は大いに認めて、本国にも紹介するし、相当のショックを与えるだろうと思ってます。将来外国に宣伝する上に於ても、一つの力になると思うんです。あまり、キリストやマホメットはやらなかったからね。
それから、五六七の世に就いて、「文明の創造」の天国篇を書始めたですが、天国篇の最初の―大体基礎的の意味ですね。そう言う事を書いたんですが、今読ませます。
(御論文「天国篇」 【註 栄光 第一三七号】
天国篇
(栄光一三七号)
私は科学篇、宗教篇を次々書いて来たが、これから最後の天国篇を書くのである。併しこの所論は真の意味に於ける前人未説のものであって、文明世界設計の根幹ともなるものであるから、そのつもりで読んで貰いたいのである。
抑々、主神の御目的である地上天国を建設する基本条件としては、何よりも大自然の実相をそのまま現わす事である。併し初めてこれを読む人は、現実とあまりに懸け離れた理想論としか思われまいが、決してそうではない。立派な実現性のある事は、読むに従って分かるであろう。というのは、何時も言う如く、宇宙一切の構成は、日月地が根本となっており、この本質が火水土であるから、この三位一体の力によって、万物は生成され、化育され、世界は無限の発展を遂げつつあるのである。処が今日までの霊界は、屡々説く如く夜であったが為、日は隠れていたのである。つまり、月土日の順序となっていた。無論これは正しい順序ではないから、これ迄の世界は一切に調和が欠け、紊れに乱れて、現在見るが如き地獄世界を現出したのである。これというのも、善と悪について曩に説いた如く、善悪の軋轢が必要であったからで、全く深甚なる神意に外ならないのである。その期間中僅かに宗教によって緩和されて来た事も書いたが、全く釈尊の唱えた苦の娑婆と諦めの言葉も、キリストの贖罪と隣人愛も、その意味に外ならなかった。
処で、私の唱える夜の世界が、昼の世界に転換するという事であるが、本来宇宙の原則としては、日月地の三段階が正しい順序であるに拘わらず、そうでなかったのは、前述の如き意味であったからで、それが今度愈々完全の形となるのである。言わば世界は百八十度の転換であって、実に空前の一大異変である。従って現在の文化形体も一変するのは勿論、その大綱としては、前述の如き大自然の形となる以上、一切の機構も三段階になり、分れて六となり、又分れて九となる。つまり三六九で、これを縮めればミロクとなる。地上天国、一名ミロクの世とは、この事である。では、ミロクの世とは具体的にはどのような世界であるかを順次説いてみよう。
ミロクの世の実相
これを先ず国際上から説明してみるが、世界各国の国境は、現在のままではあるが、実質的には撤廃されたと同様になるのである。つまり隣国に対する権力は平等となる以上、侵略などは絶対なくなるというよりも、侵略の必要がなくなるのである。茲で侵略に就いて少し書いてみるが、今日迄は、侵略にも止むを得ざるそれと、そうでない侵略との二つがあった。前者の方は、例えば或る一国の人口が益々殖えるので、国土が狭くなり、為に過剰人口のはけ口を求めなければならないが、それを、快く受け入れる国がないとしたら、どんな手段によっても、そうしなければならない事になる。茲に戦争に愬えざるを得ないのであるが、ミロクの世になれば、そういう事情は絶対起らない。というのは、世界には広漠たる原野を抱えて、人口稀薄の国はいくらでもあるから、日本の如く国土狭く、人口過剰な国家があるとしても、簡単に解決されるのである。それは世界議会があって、如何なる問題でも、慎重審議の上可決する。勿論、今日の如き自国本位の、我利的根性など全然ないから、如何なる法案も正しいものである以上、円満に成立するのは勿論で、一ヵ年何万人でも、過剰人口はそれぞれの国家へ公正に配分され、争いの余地などあり得ないのである。これがミロクの世の世界議会であるが、併しそうなっても各々の国にはその国の国会もあるにはあるが、今とは違い議員の素質も立派で、自利的観念を棄て、何事も世界的、人類愛的に解決する。従って現在の議場の如き、甲論乙駁、喧々囂々たる場面などは更になく、何事も説明だけで、和気藹々裡に即決されてしまうので、時間なども今日の十分の一にも足りないであろう。そのような訳で、会期も三月に一回位で、一回の日数は半日宛三日位で済むであろう。
これにも理由がある。それは、法律というものが非常に少なくなる。言う迄もなく、法律なるものは善人には必要がなく、悪人に対してのみの必要品であるからで、悪人のない世界となれば、そうなるのは当然である。このような議会を頭において、現在の議会を見たなら、どうであろうか。忌憚なく言えば、文化的野蛮人の集合場と言ってもいいであろう。
玆で世界議会の事を別の面から書いてみるが、近来アメリカに於て唱導されている世界国家というのがそれであって、この説が出たという事も、ミロクの世の近まっている示唆であろう。そうして世界議会とは、今日の議会を世界的に拡げたものと思えばいい。勿論その中心の首脳者こそ、今日の大統領と同様で、即ち世界大統領が出来るのである。この任期は三年であって、勿論世界各国の議員の中から銓衡員が選ばれ、大統領を選ぶのであるが、その議員はその国の人口数に割当てられる。つまりこれが世界議員である。
それから今一つの、後者の侵略者であるが、その時代は最早世界各国は武力がないので、戦争は不可能となり、前述の如く凡て合理的平和的に、人口調節が出来る以上、これを書く必要もないわけである。
之から、色々――経済、教育、芸術、社会機構ですね。そう言うものも、私が書いていく積りです。人類世界と言うのは、こうなるべきものだ。こうすべきものだ。こうすれば、戦争とか病気とか貧乏とか言う――色んなそう言う苦しい事はなくなると言う説明書ですね。で、之を、出来上ったら、英文に訳して世界中の主な識者ですね。そう言う方面に読ませるんです。要するに、新しい文明ですね。新しい文明の教育ですね。それをして、そうして成る程こう言うやり方は本当だと言う――昔から――西洋の学者の言う――つまりユートピヤ的な理想や、色々書いたのがあるにはある様ですが、つまり徹底しなかったものを――今度は、はっきりと、こうだ。と言う様に書いていくんですね。私はあんまり見ないけれども、そう言う風に思われるんです。そうして、つまり、やる事が――設計書と言うのが、之が天国の福音なんです。聖書にある「天国の福音を普く述べ伝えらるべし」と言うのは、之なんですね。「然る後末期到る」と言うんですね。そうして、浄化力が強くなる。浄化力が強くなって、一番現われるのは病気ですね。人類が、病気が起って、どんどん死んじゃうんです。そうすると、医学で治そうとして、一寸触ると、ころっと死んじゃうと言うんです。注射したら、即座に死ぬ。つまり浄化力が強いから、固まっている時間がないから、医学じゃ駄目です。で、メシヤ教が言ったあれに違いないと言うので、わーっと来て、頭を下げるんです。そう単純に――直ぐにはいかないですが、結局そこにいくんです。そうして五六七の世が出来るんです。今読んだのは、世の中の――世界の組織ですね。その根本ですね――そう言うものを書いたんですがね。「文明の創造」と言う本は、天国の福音と――その「天国の福音を普く述べ伝えらるべし」と言った処で、之は世界人類に知らせなければならない。それを信じないで亡びるのは、自業自得なんですからね。神様の方は、ちゃんとやる丈の事はやって、世界中に沢山、摑まる様に網を出している。摑まらないのは、摑まらない者が悪いんだから、亡びるよりしようがないですね。そう言う根本は、意味があるんです。段々メシヤ教の動きと、世界的に浄化が段々強くなると言う事や何かも、それから色んな事がありますけれども、結局段々そこにいくと、大体解る訳ですね。
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