十二月二十八日

(お 伺) 本年二月風邪の御浄化を戴き、三月中旬より自宅で静養し稍々良くして戴き、布教させて戴きました。九月上旬より、非常に寒気を催し、咳が激しく、便通なく、十月より再び自宅で静養し現在に至っております。現在相当衰弱し、見た所は元気そうでありますが、足等は大分細っております。用便は一人で致しております。食欲はあったりなかったりで、ない時でも無理をすればお茶碗に半分位戴けます。肩、背中、胃の裏等御浄霊致しておりますと、発熱し譫言を言う事もありましたが、現在はあまり御座いません。十一月頃迄は大分寒気を覚えましたが、現在はあまり御座いませんが、腰部は常に痺れ、又息苦しく、あまり長話は出来ません。特に息苦しい時は鳩尾の固りが胸につっかける様になります。子供の時より胃が弱くワカモト、胃散、粉薬等服用し、又風邪の度に、咳止めを大分飲んでおり、二十四歳の時、痺れ脚気で七十五日間程医療を受けた事が御座います。現在は、頭部(脳天、後頭部)延髄部、肩、背中、胃の裏等や左腎臓部に熱があり、右箇所を御浄霊致して居りますが、宜敷う御座いましょうか。又は、霊的で御座いましょうか。尚、家族全部入信。御神体、御屏風観音様を御奉斎させて戴いております。

〔御 垂 示〕

 之は霊的ではありませんよ。薬毒ですよ。薬的ですね。之は薬がうんとあります――この人の身体わ(は?)ね。だから気長に――根気良くやるんですがね。以前だと固まっていて、少しづ(ず?)つしか浄化が起らないから、誤魔化していられたが、今は、全身的になりますからね。何処と言う事はない。全身的に浄化が起っているんです。熱があるから食欲がない。食欲がないから便秘する。咳や痰が出ると言う訳ですからね。年が五十三才だから、一ぺんに大きな浄化が来ないんですね。一ぺんにうんと苦しむ様な浄化だと短期間に治るが、それ丈の浄化力がないから、長くかかるんですね。それだけの事ですからね。唯、浄霊する場合に、急所を見つけるのが一番ですね。自分で身体を見ると、一番熱が起っている処があります。それが、一番の急所ですから、そこを浄霊する。自分でやる時も、力を抜かなければならないですよ。そうすれば治ります。別に難かしい事もない。それ丈ですね。

 

【御 教 え】

 今私は「結核信仰療法」と言う本を書いてますが、それを早く書上げちゃおうと思って、他の原稿を書かないから、今日は大体、別に取り止めのない話丈にしようと思ってますがね。この結核の本も、今度は思い切って書きましたからね。之は今度――各医科大学、医師会、病院、結核療養所と言う処に、只配ろうと思いますしね。之を見たら吃驚するだろうと思いますね。俺達が結核を作っているんだと、ひどい事を言いやがる。何だ、こんな――岡田なんて新宗教の良い加減なインチキ的なものを拵えやがって、我々をこんなに、こっぴどくやるなんて、けしからん奴だなんて――起る人、憤慨する人、ははあ、成る程理窟は合っているな、良く之丈の事が分ったなと感心する人もある。処で、病院なんかで、病院中の評判になりますよね。すると、や、之は中々――成る程と思う処がある。そんな事は非科学的で愚的で、そんな事はない、と。ガヤガヤ論議があるでしょうがね。それで良いんです。先づ(ず?)、原子爆弾をぶっつける様なものですからね。今迄知らない事を知るんですからね。それで、中には患者で見るのもあるでしょうね。けれども、段々読んでいく中に、こっちの言う事は事実を根拠としてありますからね。唯理窟丈じゃないからね。そこにお蔭話を沢山つけてありますから、一寸、否定も出来ない訳ですね。で、之を第一弾として、反響を見ようと思ってますがね。何としても、医学の間違いですね。之を解らせなければしようがない。直きに、段々に解って来ますからね。そうして、之丈を知って置けば良いんですからね。そうして、今に浄化がもっと強くなれば一般人が――病人が沢山出来ますからね。それで、お医者が一寸触ると、ころっと死にますから、危ぶなくてしようがない。その時に、之なんだ、メシヤ教が変った――変な事を言ったが、と。それじゃ、メシヤ教に頭を下げるよりしようがないと言う事になりますから、その一つの予告ですね。

 それから「文明の創造」も大体三分の二以上は書けましたからね。もう一息だろうと思います。今天国篇と言って地上天国の状態ですね――それを書いている。之は、今度の元旦号に、天国篇の一部を出しましたがね。この間、一ぺん読みましたがね。今度出したのは、国際上の事ですね。世界の大体の形ですね。それから段々、経済、教育、芸術――そう言う方面を書く積りです。ですから、もう直き出来上がる積りです。それから、その仕上げをしなければならない。来春辺りは、何んなにしても書き上げる積りです。之も翻訳して世界中に配る訳です。

 それから、今年の思い出話と言いますかね――割合に今年は平凡だったですね――教団もね。平凡と言う事は良い事なんですよ。色んな、変った事があると言うと碌な事はないですからね。で、散花結実の実になる様な――実になって、実が育つと言う形でしたね。それから、パッとはいかないけれども、じりじりと発展しつつある形です。来年当(辺?)りから、段々実が育つと言う事になるだら(ろ?)うと思います。で、何と言っても、今年の一番目立つ事は美術館ですね。美術館は、この間箱根に行って見ましたけれども、もう外郭はすっかり出来て――案外早く進んでいる様です。そこで陳列するのが、不思議に色んな処から連絡が取れたり、割合安く手に入ったりするんです。ですから、道具屋が不思議だ不思議だと言ってます。最近手に入ったので銅の花活けですが、鎌倉初期時代に出来たものですが、奈良の法華寺ですかね。法華寺のお堂に飾ってあったんですね。ですからお賽銭の疵が一杯ついている。長い間――何百年の間――お賽銭をぶつけたんですからね。然し見(ニク)い事はないんです。硬い金で、厚いですからね。反って艶消しみたいになって良いです。それが、彫刻なんか、実に素晴らしいものなんですね。私は日本の銅器としては初めて見ましたね。あれは非常に安いと思いますね。専門の道具屋に見せると、一番安く言うのが五十萬円と言う。五十萬円でもお辞儀して買う位です。ですから、之は有名なものですね。その贋物じゃないが、それを写したものが随分出来てますがね。座っていてそんな掘出物するなんてね。そう言う様な事が良くある。一番私は有難いと思っているのは、終戦後――丁度二十年の暮からぼつぼつ買い始めた。その時分にはとても安かったのと、何しろ世の中が混沌たる有様で、その後に財産税が来たので、旧華族とか財閥とか――そう言う人達が――おまけに進駐軍の方で財産管理をして――三井とか岩崎の生活費をすっかり書いて届けるんですからね。生活費なんか、月に何萬円と決められているんですからね。何処の金が何萬円入ると言う事になって、それ以外に、土地でも――そう言った財産は手をつけられない。そこで、ああ言った人達が、小使(遣?)いにも困る。そこで背に腹は変(替?)えられないので、相当仕舞ってあったのを出すと言う事になった。相当良い物があった。そうして、財産税の時に払えないので、差押えられると言うので、税金の為に買ったのも相当ある。そこで、私が――目の通らない様な、知らないものでも、感じ丈で買ったんですね。だから、随分安く、金の入る丈買ったものです。それが、今日は全然出ないんです。偶々そう言うのが出ると、殆んど贋物です。一昨日、仁清と言う人の鴨の置物で、之は綺麗に――色絵と言ってね。色んな色が使ってあった。実際の鴨の様に綺麗なものですね。その焼物の置物で、それは、道具屋は東京で一流の道具屋です。本物の積りで、この間言っていたんです。仁清の鴨掛けをいずれお目にかけますと言っていたんです。見ると贋物なんです。それで、良く説明してやった。仁清はもっと濃い色を使う、嘴がこんな不恰好じゃない。それから、裏に仁清と銘がありますが――こんな物はない、と言ってやった。驚きましたがね。先方で、百萬円と言うんです。私は買うとしても三萬円ですね。思召しがあったら買って呉れと言うんです。だから、君こう言う物を他のお得意に売ったら、信用に関わるから止した方が良いと言うと、いやそうですか、そうしましょうと言っていた。今、随分偽物を持って来ますからね。それで高いんです。何十萬とする。処が、私が財産税等で買った物は、安くって本物なんです。ですから、どんな物でも三倍にはなってますね。三倍から五倍、二十倍になっているものもあります。之は、神様が旨くやって呉れた訳ですね。それで、第一値段に関らず、もう無いんですよ。全然売り物にないんです。と言うのは、近頃になって皆んな――財閥や何かが、復活の兆が見えて来たですね。だから、むしろ先の方で、あわ良くば買おうと言う気になって来た。それから知人や友人に売ると言うと、友達同志(士?)で買っちゃう。道具屋の手を経ないですね。そう言う状態になって来たから、今美術館を造って、品物を集め様と思っても、先ず難かしいんですね。で、その当時買った物は、絵なら光琳とか宗達、光悦、乾山――そう言うものは、私は好きですから、そう言う物を狙いましたがね。陶器では仁清、乾山、鍋島と言う――ああ言う物ですね。それから、仏画ですね。浮世絵、東山時代の墨絵ですね。そう言う物を多く狙いましたが、その狙いが皆んな当っているんですね。仏画なんか――曼荼羅と言う――細かくなっているのがありますが、その当時五、六萬で買ったが、今は五十萬位ですね。私は、何故買ったかと言うと、あんまり安いんで勿体無いんです。細かく画いてあって、今画かしたら大変です。鎌倉時代ですがね。鎌倉の末で、足利時代、古いので藤原時代ですね。絵の具を使って、金や色々使って画いてあるが、それが五、六萬ですからね。あんまり細かく画いてあるんで、勿体無くて買ったが、それが値打が出て来た。この間も、銀座の東洋美術で、仏画の展覧会があった。之は博物館にも出したが、私は良く知っているので、一ぺん来て呉れと言うので、行ったんですが――その中で、一つ良いと思うのがあった。阿弥陀さんの掛け物でね。之なら買っても良いと思って、幾らだと言うと、八十萬と言う。前で言うと、十萬か二十萬ですね――高くてね。それが八十萬と言う、そんなに高くなっている。ですから、金儲けから言っても、随分――何て言うか、金儲け上手いと言いますかね。反って、物と言うのは、儲け様と思うと儲からない。儲け様と思わないと儲かる。やっぱり逆ですね。だから、私は熱海の地所ですね。それをちょいちょい買いましたが、今皆んな相場が上がって、何処を買っても儲かりますがね。それが、不思議と皆んな安く買った。今の地上天国なんか、一番最初は七千坪買ったんですが、七千坪が確か二十何萬円ですがね。坪にして二十五萬位なものでしたね。あれが、終戦の翌年でしたか、終戦の暮でしたがね――尤も、あそこは、見せに連れていかれて、見て五分で決めたんですからね。ですから、あれは神様がしたんですね。之だ。と、直ぐ思ったんですからね。先でも吃驚りしたんですよ。その隣りが又非常に景色が良いんですよ。丁度展望台の出来る処ですがね。あそこは是非なければならない。売って呉れと言うと、売っても良いと言う、(。?)三千坪位で、坪六十円でしたが、僅か半年足らずで、倍以上ですから、高くなったと思ったんですが、それから美術館の出来る処を買ったが、確か九十円でしたがね。高いと思って買ったんです。そんな様で、大体の中心は安く買ったんです。後は継足しで、部分々々ですから、坪数も少ないしね。今日では坪四千円位するでしょうね。ですから、約十倍以上になってますね。十倍から二十倍になってます。又私が買った処は、皆んな急所みたいになっている。今度駿豆鉄道がケーブルを作りますが、瑞泉郷の観山亭のある所で――市長を介して交渉しましたが、つっぱねて駄目でしたが、先で、私の方の端を通る様にして――端の方を通るので、いずれ先で言って来るでしょうが、つっぱね様と思ってね。之は先では非常に欲しがっているんですからね。売れば随分儲かるんです。之が三萬坪ありますからね。又、不思議に馬鹿に安く手に入った。そこで、いずれあそこは素晴らしい計画があるんですからね。それだとか、西山にも、温泉の湧いた地所がある。だから、熱海の或る有力者ですが、実際先生の持っている処は、実に不思議だ。何処でも、急所々々を持つなんて――市長なんかも驚いているんですよ。実に旨い処をお買いになった。それが、幾つもそう言う処がありますからね。最近も神秘的に素晴らしい処が入りましたが、之はいづ(ず?)れ発表します。処が、みんな割合安く入るのでね。思ったよりかは旨くいくんですね。丸で、金儲けの話みたいになったがね。一つ「結核は感染しない」と言うのを、昨日書いたんですが、この前読んだ「結核の信仰療法」と言う――この前読んだ、次の項目のなんです。之は、この前読んだそうですが、終いの方が直ってますからね。

 

(御論文「結核は感染しない」)

 結核は感染しない

(『結核信仰療法』より)

 結核が医療によって作られる経緯は、前項までに詳しくかいたが、その原因は結核菌感染によるとは医学の定説となっているが、私の見解によればこの説こそ大変な誤りである。それは彼のパスツールの伝染説を医学は採用したからであろうが、私はその反対に自然発生である事を断言するのである。今それを詳しくかいてみるが、最初感冒の際、喀痰を肺臓内に固めた結果、時日を経るに従い、結核菌は痰中に自然に湧くのである。というのはいかなるものでも、不潔物には必ず微生虫が発生するのは物質の原則である。としたら痰は不潔物であり、しかも体温という好条件も加わる以上腐敗もし、微生虫の湧くのは当然である。

 ところが医学の感染説であるが、この考え方は肺胞に菌が付着して繁殖し、空洞(うろ)を作ったり、病竃(びょうそう)を作ると思っているのであろうが、もしそれが本当とすれば、無菌結核は何が原因であるかという事である。だがこの答えは簡単である。すなわち無菌結核とは前記のごとく、肺臓内に固めた痰に菌が湧く程、時日が経っていないからである。と言うだけで分るであろう。それはとにかくとして、結核菌は果して感染するものであるか否かは、理屈よりも事実で示す方が確実であろう。すなわち私の多年の実験によっても明らかなごとく、私は二十数年前結核非感染の原理を知ってから、まず私自身を試験台とした。それは重症結核患者である一婦人の唾を、口移しにして試したのである。それから二十数年を経た今日、他の病気はしたが、結核的のものはした事がない。また私の家庭内にはその頃当歳(とうさい)から十五、六歳までの私の実子六人いたが、いつも二、三人の結核患者の女性を私は治療してやりながら、女中として同居させていた。その数今日までで十数人に及んで二十年以上になるが、その間治って帰宅した者と、新規の者とが交替しつつ、現在でも二、三人はいるが、今日まで結核どころか病気で寝る者すら一人もないのである。もちろん最初から消毒などは一切せず、家族同様に扱っているのであって、右の六人の子供の内四人はすでに結婚して、孫も数人出来ており、全部素晴しい健康である。また私の非感染説は、数十万の信徒にも教えており、信者は絶対に信じその通り実行しているが、結核の治った話は数限りなく聞くが、感染した話など一人も聞いた事がない。としたらこれ以上確かな証拠はあるまい。ゆえに万一今後一人でも感染する者があるとしたら、それこそ信ずべからざる一大奇蹟である。

 しかし医学が結核感染説を唱え出した事にも理由はある。たとえば一家庭内で一人が結核で死亡したとする。そのため後に残っている誰もは極度に結核を怖れると共に、医師の注意もあり、感染しないよう出来るだけ用心をする。それには何より風邪を引かないようにする事だが、万一風邪を引いた場合、早速医師に診て貰う。医師もまた結核死亡者のあった家は、疑いをもっているので特に注意し、入念に治療する。ところが医療は結核製造法であるから、結局本物に仕立上げてしまうので、その状態をみればどうしても感染としか思えないのである。ところがそれを裏書する一事がある。というのは注意をする人程感染し易く、そうでない人程感染しない例で、これなども医師は常に経験するところであろう。その他の原因としては、結核で死んだ霊が兄弟や夫や妻などに憑依して、原因となる事も少なくないが、これは唯物思想の人には信じ難いから、この説明は省く事とする。

 右のような訳で、医学は菌のみに囚われ、菌の感染を防止すると共に、殺菌方法が完成さえすれば、それで解決すると思う末梢的考え方で、これこそ根本に触れていない以上、治らないのは当然である。次にこれを詳説してみよう。そもそも菌といえども偶然降って湧いたものではなく、湧くべき条件と、湧くべき物質があってこそ湧くのであるから、その点が明らかにならない限り、病気の本体は分るはずがないのである。という訳で現代医学の菌に対する解釈は、菌その物だけに囚われ、菌の発生源にまでさかのぼっていないのであるから、幼稚極まるものであって、このような学問程度で人間生命の神秘を探ろうなどとは無理であって、これで結核問題の解決など前途遼遠と言わねばならない。それがため幾億万の生霊が、無期限に(いたず)らなる犠牲となるのであるから、実に由々しき大事件である。ところが私は神示によってこの真相を知った以上、一日も早く天下万民に知らせ、結核から解放させるべく、この著をもって警鐘の第一声とするのである。

(御論文「結核は感染しない」のあとのみ教え)

 それから、又美術館の話ですけれども、箱根の裏手の方ですね。萩の家の後の方ですけれどもね。あそこに、今仮に入口がついてますが、一般の人にも見せ様と思うんです。之は信仰とは別の意味で、そうして入口を作って、まあ――門を作って、左手の方に切符売場と切符を改める処と、右手の以前井上さんが住んでいた処は事務所と休憩所を―沢山来ますからゴタゴタしますからね。美術館は落着いて見る処ですからね。動物園とは違いますからね。ですから、人を計って見る様にし様と思います。値打は幾らあっても、そう高くは出来ない。安いと、群衆が来て、落着いて見ようと思う人の障りになるから、適当に定めます。そうして来年から――面会日は聞いているでしょうが、五六七にしましたから、五六七の午前中丈は、信者さんが見える事にして、一般の入場者は午後の一時から四時迄ですね。そうして、特種の人ですね。特種の人と言うのは、本当の観賞家ですね。今は又、美術には大分関心を持って来た。以外に思うのは、作家ですね。ああ言う人達の間に非常に流行っている。そうして、それが又、良い影響をしている。それは、ああ言った人達は必ず妻君携帯です。先月も四、五人是非美術品を見たいと言う訳で――少し許り見せてやる積りだったんです。そうすると、皆んな妻君携帯なんです。川端康成とか大佛次郎、廣津和朗、高見順――皆んな妻君携帯なんです。昔はああ言う人達は、妻君は邪魔で、他の――妻君ならぬ婦人ですね―そう言うのを連れて歩いていた様ですがね。この頃は、全然違っている。何う言う訳かと言うと―ああ言う人達は書画骨董が好きで、それを買うんです。川端康成と言うのは、何でも彼でも買っちゃう。それで始終借金だらけで、キューキュー言っている。私は先日も掛け物を買ってやりました。借金で苦しんでいて、やりきれないと言うのでね。徳川無声、吉川栄治――皆んな好きです。ああ言う人達が、皆んなやって来るんです。こっちは未だそんな準備もないから、来年美術館が出来るから、そうしたら充分見せるからと言ってあるんです。結局、ああ言う人達が美術を好む為に非常に品行方正になった。反って昔は、ああ言う人達は度外れだったんです。理窟をつけては、可成り不道徳な事をしていたんです。反って、社会の人間の方が不道徳で、ああ言う人達が清いんです。それも之も、美術品を愛好する為で、非常に良い事です。そう言う訳で、そう言う人達――又そう言うのが好きな人が沢山居ますからね。ゆっくり、観賞させる為に、五六七以外の日に、そう言うのを見せると言う計画ですがね。今年になってから、そう言う方を調べて見て――大阪、京都、東京ですね。美術館、博物館を見ましたがね。意外に思った。もう少し見るべき、どうやらした物を思っていたが、案外に貧弱なんです。それはお話にならないですね。ですから、今度箱根に出来た美術館丈でも、大変な評判になります。断然レベルが違いますから、本当に――乞食と大名位違うかと思う位ですね。で、博物館なんかと較べてずっと良い積りです。唯、仏教芸術ですね。之丈は敵わない。それ以外は負けない。然し、仏教芸術は負けても良いです。仏教芸術を本当に解る人はないでしょう。百人に一人もないです。私も、仏教芸術を随分見ましたが、この頃どうやら分って来た。あれは、時代を知る丈でも大変です。仏教芸術が最初出来たのは、推古時代ですね。千三百年位前ですね。それから、奈良時代に発展したですね。天平――法隆寺ですね――あの時代が急激に発達した。藤原、鎌倉にいってから、又発達した。それから、色々様式がありますね。支那の様式、朝鮮のもの、とね。大体、支那の六朝時代ですね。それから唐の時代ですね。あの時代に、秀れて良い物が出来た。又、同じ仏像でも、都会で出来た物と、田舎で出来た物は違うんです。都会と言っても――奈良で出来た物が一番良い物が出来た。あとは、鎌倉ですかね。そういった――鎌倉から、桃山時代になると、もう駄目ですね。徳川時代になると、只綺麗丈の物でちっとも面白味がない。それから都会以外で出来た物は、何処か武骨ですね。田舎で出来た物と都会で出来た物を見別けるのが、中々難かしいんです。絵なんかでも、あれは坊さんが画いたんですがね。それから営業的に――画いた物がありますが、一寸違うんですね。この間京都に行ったが、兆殿司が居た寺に、画いた物が沢山ありますが、こう言う人達は、絵としては旨いけれども、仏教的な味はあんまりなんです。そんな訳で、仏教の絵画にしろ、彫刻も中々難かしいんです。その中に、出来が良いのと悪いのがありますしね。名人の傑作と言うのもあります。ですから、そう言うのを一般人が見ても、美術としての価値はないですね。ですから、私は一般人が理解出来るのを本位として集めてあります。あんまり知らない人でも、それを見て、一つの趣味が湧くだろうと思います。それから陳列場とかケースですね。ああ言う物も、何処でも無関心だった。何処の博物館でも美術館でも、ガラスの箱に入れてある。あれじゃ、美術の意味はない。そう言う点も、私は心を用いて、その品物に調和させてやる積りですがね。博物館にしても、掛物を掛けても、壁はアンペラみたいな物を張って、良い加減な物を塗って、それに良い掛物を掛けるんですから、丸でぶち壊しですね。それから品物でも、唯、明治時代に出来た箱ですがね。縁でも、鉄で出来ている。それに塗料を塗ってある。実に非美術的なんですね。そう言う事も大いに違います。壁も――床の間の壁も、砂壁にして鴨居もつけて、天井もセメンを塗ったのでなく、木の天井にして、床の間と言う感じを出そうと思っている。品物にしろ、こう見て、目と品物の間隔ですね。位置と高さ――そう言うものにも注意しようと思う。今の博物館にしても、見上げる様ですよ。あれじゃしようがない。お皿がありますね。裏を見たいと思いますね。それで、裏を見ようと思うと、縁の下に入る様になる。鉢ですね。鉢の中を見ようと思って、背伸びしても見られない。実に、そう言う処が、非美術的で、非文化的なんです。そう言う処も、大いに改良して、一つの模範的な物を造ろうと思っている。それから、美術と言っても、色んな種類がありますからね。日本と支那、朝鮮ですけれども、私は日本を一番主にしてやる積りですがね。日本を主と言っても、第一は絵画ですけれども、絵画と言った処で、大体狩野とか――日本画は狩野派が一番初めですからね。之は大体、支那の模倣ですからね。だから、日本独特の物ではない。随分、狩野派で良い絵があった処で、支那と較べれば劣るんですね。だから、日本独特の物としては、光琳派です。何が独特かと言うと、光琳は無線派と言って線を使わない。支那は線を使う。線を使わないのを――有線を破ったんですね。一般も、それを鑑賞している。アメリカ人も、光琳派をと言うんです。その次に行って、浮世絵でしょうね。之も。西洋にないんですからね。支那にもないんです。支那に美人画はあるけれども、日本の様な独特な味はないんです。然かも、浮世絵と言うと、今迄は版画ですね。あれが、浮世絵の様に思っていたんですね。ですから西洋でも、版画が歓迎されていたですね。ボストンの美術館には、日本よりも良い物があるんです。私は、大体版画は好きでない。絵そのものは第二義的になってますからね。ですから、私は浮世絵の肉筆を集めた。それが又、割合安いんですよ。外国も日本も、余り歓迎しないから安いんです。あれは、外人が見れば、気に入るんですが、以前から来た外人が、肉筆を見る機会がなかった。町に出ているのが、みんな版画ですから、見る機会がなかった。肉筆は個人の家に入ってますからね。私が、色々研究して見ると、浮世絵の肉筆と言うのは、素晴らしいものです。その優秀な物を集めましたが、今は、又目をつけられて高くなりましたが五、六年前には、只みたいなものですね。あとは、大和絵――土佐派ですね。之は支那とは違ったものです。そう言うものから、東山時代の、東山水墨と言ってね。之は墨絵ですが、之は支那から来たものです。この中で、傑出した名人は、狩野雪舟ですね。この人は上手い。之は、アメリカの人でも、雪舟の絵丈は買うんですね。日本人のでは、あとは敵わない。それから啓書記、周文と――之も上手いですね。そのあとに行って相阿弥、芸阿弥、能阿弥とある。相阿弥と言うのが、一番上手いんですね。私も持ってますが、あとは見るべき日本画はないですね。近代に至っては、殆んど、之はと思う人はない。近来は梄鳳でしょうね。社会じゃ速水御舟を珍重してますが、御舟は私は感心しないんですよ。何故感心しないかと言うと、宋時代の徽宗皇帝が画始めたので、純写生の――之を真似ているんです。それを知らないから、御舟独特の物と思って、高くなっているんですがね。それで、私は模倣と言う事で、嫌だ。あとは現代人としては大観、春草でしょうね。それから玉堂――その辺でしょうね。あとはないですね。然し、そう言う者の傑作品は出す積りですがね。特に梄鳳の傑作品は、吃驚りする様な物を出す積りです。絵画はその位のもので――それ丈にして置きましょう。あと彫刻、陶器、蒔絵を話してないですが、之は又折々話しましょう。

 

 

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