【御 教 え】
今日は割に新しい信者さんが多いようですから、そう言った話をしようと思ってます――メシヤ教と言うのは、単に宗教とは言えないんですね。宗教よりも、ずっと大きなものです。つまり、宗教はメシヤ教の一部にある訳ですね。だから、今迄の宗教でも、こう言う風に、病気を良く治すとか、病理を説くと言う事はなかったですね。それは、仏教でもキリスト教でも、何う言う訳で病気が起るとか、或いは何うすれば治るとか言う説明は、バイブルにもお経にもないですよ。それから農作物も、無肥料にする方が良く出来る、つまり自然栽培ですね――ああ言う事を説いた宗教家もなかったですね。それから美術館を造るなどと言うのは、全然之もなかったですね。そう言う様な具合に、宗教と言うものは、先ず心を治すんですね。心の教えですね。そこで、結局お説教が主でそれによって精神的に救って、良い世の中を造ると言うのが根本だったんです。ですから病気でも、病気を治す事は出来ないが、病気は治らないでも苦しみ乍ら心で諦めろと説いたんですね。キリスト教でも、御自分の方で病院を作り乍らやっているんですから、甚だ不徹底極まるものです。私の方では、そんな諦めろと言う様な事は言わないで、反って諦めるなと言うんですね。その為に、他の宗教では、疑ぐってはいけない、信じろ。と言うんですが、私の方では、大いに疑がえ、信づ(ず?)るな。と言うんですから大変な違いです。その違い差ですね。それを先ず、一番認識しなければいけないです。そうして、キリスト教でも仏教でも、今に天国の世の中が来る。極楽浄土が来ると言っているんですが、私の方では、もう来た。来るんでなく、来た。俺の方で造るんだと言うんですから、その違い差も又大変なものです。ですから、色々な事を喋る許りでないですね。実行するんです。どんな病気でも治し、米の増産もするし、凡ゆる文化の間違いを指摘して、本当の文化と言うものは、こう言うものだという事を教えるという――一口に言えば、本当の救いですね――宗教じゃない。宗教は救いの一部ですね。そこで、その力強さ――力の大きさですね。その違い差と言うのは大変なものです。処が、それを――成る程それに違いないと信じさせるのが、中々大変なんです。信仰に入った人は、迷わずにずっとやっていれば、段々解って来ますから良いんですけれども偶には迷う人もない事はないんですね。やはり、色んな世間の噂とか、インテリ的の偉い人が、迷信だとかインチキ宗教だとか迷わせる様な事を言いますからね。と言うのは、今迄こう言う様な宗教と言うのは、出た事がないんですからね。だから、之を本当に解る迄には相当時間もかゝるし、努力も要るんですね。で、或る程度迄解って了えば、もう盤石の様に固くなりますが、それ迄ですね。それ迄は知る方も必要だし――然し、こっちの方は理解許りでない。事実に現わすんですからその力と言うのは大変なものです。
そう言う訳で、発展も今迄の宗教では例がないですね。私自身が、何時も驚いているんですがね。宗教法人として届けを出して、公にやる様になったのが、二十二年の八月ですからね。その年に、前に民間治療的にやっていたので、将来宗教的にやると言う卵が少し出来た。始めた時分にはその当時二、三百人ですかね――信者とでも言う人はね。それが、未だ四年何カ月しか経っていなくて、目に見える事でも――箱根とか熱海とか、ああ言った経営を見れば――私も驚いている位です。この間――大晦日の日に、今やりかけている箱根の美術館を見に行った処、中々良く出来ている。設計は私がしたんですが、私でも、こんなに立派な物になろうとは、一寸想像もしなかったんです。堂々たるものです。そうして元日の日に熱海の地上天国に行った。あそこも又、半分許り梅が植ったり「ツツジ」の山が植ってますが、つい三年か四年のうちに、実に喫(吃?)驚りする程出来たんですね。実に人間業じゃないです。何も信仰のない人が見ても、人間業とは思えない。そうして、今度は又、石垣の大きいのが出来ましたが、石垣丈で日本一だろうと思います。あんなに石垣の多いものはないですね。その石が山の一カ所から出るんですからね。買ったら大変なものだろうと思います。石丈で、一千万円以上だろうと思います。運ぶ丈で大変です。それが、あそこの山から出るんですからね。幾らでも出るんです。恐らく、熱海中探しても、あんなに出るのはないですよ。実に不思議です。未だ未だ、発表しない事で、神様からのお知らせも沢山ありますから、段々時日の経つに従って現われて来ますから、楽しみにしていて貰いたいと思います。そんな様な具合で、今年は箱根の美術館が五月一杯にはやっちゃう積りですからね。それで六月は開館式が出来るだろうと思いますがね。それで、一般にも見せる様にする積りです。信者さんは、参拝の日に、午前九時から十一時迄二時間――信者さんが見るとして、それから一般は、毎日午後一時から四時迄と―そう言う風にしようと思っている。それから特種な人ですね。専門家とか本当に研究するとか、美術家が参考に見たいとか研究したいとか、色んな特種な人が居ますが、そう言うのは、参拝日以外の午前中九時から十二時迄――そう言う風にしようと思っている。そこで、一般の人は入場料も取る事にしようと思っている。それでないと、メチャメチャに来て、ゆっくり見る事が出来ませんからね。色々な品物なんかも、大体日本一ですね。日本一と言う様な物を、色々と陳列する事になってます。之も、やはり神様が旨くやって呉れるんです。お寺の宝物とか財閥や旧大名の良い物なんかも、お礼金の様なもので、相当貸すと言う様な話も、大分出来つつあります。どうしても、日本でも見られないと言う様な物も沢山ありますから、そこで、時々陳列変(替?)えします。そこで、そう言う事に趣味がある人は。一々面倒だから、信者にならなければならない――形式的ですがね。信者になる人が沢山あります。形式でも、信者になれば、神様に結びますから、それで良いです。その代り、信者さんは、何時でも見られますからね。ちょいちょいキップを買ったり、面倒臭い――そう言う事がなくなりますからね。熱海の方はずっと先ですが、箱根丈でも、先ず相当評判になるだろうと思います。日本許りでなく、外国にも相当認められる事になって、日本に観光に行くと言う、そのプログラムの中の一つの項目になるだろうと思います。日本で、本当に日本美術を見ようと思う処はないんですからね。何時も言う通り、博物館にしろ、仏教美術丈は、博物館は大したものですが、あとは大したものじゃないんですからね。他にある個人のなんかは、問題にならないです。そうして見ると、本当に日本美術を見たいとしたら、今度の箱根の美術館に行くよりないです。だから、日本に来た限りの観光外人は、全部来るでしょう。然も、箱根ですからね。箱根に行くのは決ってますからね。どんな観光外人でも、日本と箱根には必ず来ます。箱根に来れば、美術館を観るとなります。外人の来るのも大変なものです。だから英語も出来る。美術館趣味のある人を、神様がいづれ連れて来るでしょう。
美術館の事はその位にして、「結核信仰療法」と言う本を今書いてますが、今迄は本当に書かなかったんです。どうも、あまり明らかに書くと、医学が形なしになりますからね。面倒臭い事や、問題なんかが起る懸念もなきにしもあらずで、加減していたが、段々調べて見ると、そう言う事が無いと言う事も分ったし、それから、何しろ今医学がやっている事は、結核を増やしているので、之は一日も早く知らして、何とかしなくてはしようがないと思って、今度は、はっきり書いてあります。それで、信者向きでなく――この間出したのは「結核の革命的療法」――之は信者さん向きだった。今度は一般向きに書く。医科大学、病院、新聞社――そう言う方面にばらまこうと思います。そうして先ず、一ぺん読ませ様と思う。喫(吃?)驚りしますからね。そうしたら、中には考える者も出来て来るに違いないと思う。その中の一つの項目丈を、今読ませます。
(御論文「医学が結核を作る」)
医学が結核を作る
(『結核信仰療法』より)
標題のごとく、結核は医学が作るものであると言ったら、何人も驚倒してしまうであろう。事程それ程医学を信じ切っているのが現在の社会である。そうして序文にもある通り、私は二十余年以前結核医学の盲点を発表したが、その当時は言論の自由がないため、思い切ってかく事が出来ず、かなり加減してかいたので、不徹底は免れなかったし、その頃は今日程結核問題もやかましくなかったから、それでもよかったが、今日はどうであろう。衆知のごとく事実は国家の最大問題となっている。今年から行う事になったという結核に対する施設及び、その他の国家的負担は千億に近いというのであるから、民間費用を合算したなら、実に驚くべき巨額に上るであろう。そこで深く考えてみるべきは、なぜこのような事態に立到ったかという事である。もちろんこの問題に対しては余程以前から政府も専門家も大わらわになって、あらん限りの対策を練り努力しつつあるにかかわらず、今もって見るべき成果がなく、近来相当減ったとしているが、これはB・C・Gやストマイ等の新薬が出来たため、一時的発病の勢いを挫いたまでで、根本的でないことは医学でも認めている。何よりももし今までの対策が当を得ていたとすれば、結核問題はとっくに解決されていなければならないはずであるのに、事実は前記の通りである。としたらそこに何らか割切れない大きな誤りがあるに違いあるまい。ところが医学はそこに気付かないのである。しかしながら喜ぶべし、いよいよ私によってその根本原理が判明し、全治の方法をも完成した以上、人類にとってこれ程大きな救いはないであろう。無論この原理に従えばこの難問題も容易に解決され得るからである。
ところでここで厄介な事は、以上のごとき大発見を知らせるとしても、体験者以外直ちに信じ得る人は、ほとんどないであろう事である。ただ驚きの眼を瞠るか、あるいは見逃してしまうかも知れないが、この著にかいてあることごとくは絶対真理である以上、読むに従って納得され、翻然眼を醒ます人も相当あるであろう。
さていよいよ本論に取り掛るが、そもそも人間は誰でもオギャーと生まれるや、例外なく先天性毒素を保有していると共に、生長するに従い、大多数の人は後天性毒素をも追加する。これは別項に詳しくかく事として、右の両毒素こそ結核の真の原因である。今一つ重要な事がある。それは人体における自然良能力の活動である。それは一秒の休みもなく、不断に浄化作用が行われている事である。浄化作用とは体内にあるあらゆる毒素の排除作用であって、この過程をかいてみるが、元来右の両毒素とは、血液中に含まれているというよりも、充満していると言った方がいいくらいのいわゆる濁血である。ところがこの濁血に対して浄化作用が発生し、それによって毒素分は分離し、毒血または膿となって体内各局所に集溜する。その場合主に神経を使う箇所に限られているので、人間が神経を使うところといえば、上半身特に首から上で、頭脳をはじめ、目、耳、鼻、口等であるから、そこを目掛けて集溜せんとし、一旦その手前に固結する。いかなる人でも頸の周囲を探ってみれば、淋巴腺、延髄部、扁桃腺等の部に必ずそれがあり、微熱もある。するとこの固結がある程度に達するや、自然浄化作用が発生する。この浄化作用こそいわゆる感冒であって、感冒に罹るや発熱が先駆となるが、これは右の固結を出易くせんがための熱で、この熱によって溶解し、液体化したものが喀痰であり、鼻汁であり、盗汗、濃い尿、下痢等であるから、感冒とは全く体内にあってはならない汚物の排除作用である。その結果濁血は浄血となり、健康は増すのであるから、感冒とは実に貴重な生理作用であって、神が人間の健康保持のため、与えられた一大恩恵である事は余りにも明らかである。それがいつの頃どう間違えたものか、逆に解釈したのが、今日までの医学の考え方であった。それがため「風邪は万病の基なり」などと言い恐るべきものとされ、感冒に罹らないよう注意するとともに、罹っても色々な手段をもって、毒素排除を停めようとする。すなわちせっかく溶けかかった毒素を元通りに固めようとする。この手段こそ実は結核の原因となるのである。
これを一層詳しくかいてみると、まず感冒に罹るや、その症状としては前記のごとく、咳嗽はじめ種々の苦痛がおこるが、その中での特に重要なものが彼の喀痰である。これが口から排泄されようとし、一旦肺臓内に入り咳というポンプ作用で吸い上げ、咽喉を通って出るのであるから、そのまま放っておけば順調に排毒作用が行われ、血は浄まり、治るべきものを医学は逆解して、飛んでもない間違いをする。それは痰を出さないようあらゆる手段を用いて、肺臓内に固めてしまうのである。そうすれば病気症状は消えるから、それで治ったものと思うが、何ぞ知らん一時的固めたもので、本当に治ったのではないから、日が経てば再び風邪を引く。もちろん残りの毒結に浄化がおこるからである。その際医診を受けると、肺の中に残っている痰の固まりが、レントゲン写真に映るので、ここに結核の初期と診断するとともに、前の時肺の外部すなわち肺膜や肋骨付近にも固まりを残すので、それが溶けはじめ外へ出ようとし肺に侵入する。これを医診は肺浸潤と言い、肺の上部の場合肺門淋巴腺、または肺尖カタルというのである。これによってみるも、最初感冒の際毒素を出さないよう固めて、結核の種を蒔いておいた訳である。それだけならまだいいとして、これからが大変である。
右のごとく結核の初期、またはその他の診断をされても、放っておけば二度目は少々日は掛るが必ず治るべきものを、医療はまたしても固めようとする。絶対安静、服薬、注射、湿布、氷冷等々がそれである。何しろ身体自身は、毒素を排泄しようとするのを、医療は飽くまで固めて出さないようにする。つまり治ろうとするのを、治さないようにする訳であるから、何と驚くべき間違いではなかろうか。
ここでなぜ浄化作用なるものがおこるかというと、前記のごとく人間は体内に毒素があるだけは弱体で充分な活動が出来ないから、感冒は言わば自然の摂理である。という訳で人間活力が旺盛であればある程発り易く、青少年に多いのもその理によるのである。従って浄化を停止し弱らせるに限る。弱っただけは病気症状は減るからで、これを医学は治るものと誤解したのである。医学の療法が徹頭徹尾衰弱方法であるのは、この事を知ってみればよく判るはずである。見よ絶対安静を最も奨めるが、これ程弱らすものはない。今仮に健康者を何ヵ月もの間絶対安静にしてみるがいい。運動不足、食欲減退、無聊等で元気は喪失し、必ず痩せ衰えてしまう。ましてや結核患者においてをやである。しかも薬剤はもちろん、種々の衰弱療法をも行うとともに、精神的には前途に希望を失い、絶えず死の恐怖に脅えており、近親者も寄りつかず、毎日毎日天井を見詰めているばかりか、仕事も禁じられているので、経済的不安もいよいよ募り、それやこれやで漸次悪化し、どうにもならなくなる。というのが一般結核患者のたどる道程であろう。
以上によってみる時、医学の誤謬の中心は何といっても病気症状についての誤った解釈である。それは医学は苦痛そのものを病気の本体としているから、苦痛を無くす事が病を治す事と思い、ただ苦痛を減らす事のみに専念し発達したものであって、これがそもそも誤謬の根本である。ところが本当は苦痛そのものは病の治る作用でプラスであり、喜ぶべきものである。というようにその考え方が反対であって、すなわち医学の方は浅く、吾々の方は深い訳である。しかし苦痛といっても必ず峠があって、その時だけを我慢して越してしまえば、後は漸次快方に向かうのが原則であるから、苦痛も左程長いものではない。これについて医師はよく手遅れなどというがこれも反対で、手遅れになっただけは治るので、むしろ放っておけばなおさらよく治るのである。それを逆解して早く手当をするから治らなくなる。つまり人体は治ろうとするのを、医療は治さない手段であるから、この摩擦が快くなったり、悪くなったりして拗らしてしまい、ついに慢性となるのである。この理が分れば発病の場合放っておくに限る。そうすれば順調に浄化が行われるから、はなはだしい苦痛もなく容易に治るのである。ゆえに医学の進歩とは病気を治す進歩ではなく、治さない進歩であり、単なる苦痛緩和のための固め方法の進歩でしかないのである。何よりも医師は治すとは言わない。固めるというにみても、うなずけるであろう。
ここで早期診断についてもかかねばならないが、これも実は結核増加に拍車を掛ける方法なのである。それについてさきに感冒の浄化停止をかいたが、そのような訳で現代人は残らずと言いたい程肺の内外に毒素の固まりがあるから、大抵な人は常に緩慢な浄化が起っている。微熱、だるさ、軽い咳、食欲不振等がそれでこれらも放っておけば長くは掛るが必ず治るのに医学は早期診断を行い、レントゲン撮影によって溶けかかった肺臓内の痰の固まりが雲翳となって映るとともに、前記のような軽い症状もあるから、ここに結核初期の烙印を捺すのである。そこでまず絶対安静を始め色々な浄化停止を行うが、取り分け薬剤を主とするため、これが毒素の原料となり、この毒の浄化も加わって漸次悪化しつつ本物の結核患者になってしまうのである。
そうして早期診断の方法として、ツベルクリン注射を行うが、その結果陽性でも陰性でも警戒の要ありとする。この理は陽性とは浄化力が旺盛なためであり、陰性とは反対に微弱のためであるが、医師はどちらもB・C・Gの接種によって発病を止めようとする。発病さえしなければそれで済むと思うからで、その際患者にむかって、一、二年は余り過激な運動をせず、なるたけ静かにせよと戒めるが、これは浄化をおこさせないためである。といっても人間はいつかは必ず浄化が起るように出来ているから、普通の生活をし、仕事をするようになると浄化発生する。これが発病または再発である。という訳で近頃の流行薬の効果はそれであって、ただ発病の時日を延ばすだけである。この証拠として最近本教団の信者で、米国駐在の宣伝員からの報告によると、同国においても近来急激に結核患者激増し、昨年度の死亡率は、他の病気の総計よりも、上廻っているという事であるから、現在結核は同国死亡率の第一位を占めた事になり、私の説を裏書している。
右について左の新聞記事はよくそれを物語っているにみて、ある程度医学でも分っているのである。
昭和二十七年二月五日付読売新聞に掲載の記事
「化学療法の手段」
東京慈恵医大教授 医博 片山良亮
ストレプトマイシンその他の化学療法剤の発見は、従来の治療に大きな変革を来さんとしているが、マイシンでも結核の牙城を揺がす事は出来ない。マイシン治療を行っている内に、結核菌が次第に抵抗性を得て、効果を減滅するからである。その抵抗性の獲得は六~九週以上の投薬の持続によって発生するが、その間に結核菌を絶滅する事は出来ない。だがマイシンを使えば病状は急に著しく回復するが、結核菌は消失しないから、その中止によって再発の危険がある。そこで現在の研究はその事実を、いかに補うかという事になる。――(後略)
つまり結核問題の急所なんですね。医学は結核患者を作っているんですからね――今言った通り――今読んだ通り、誰でも風邪を引きますから、風邪を引けば痰、咳が出るに決っている。痰と言うものは、身体の毒が溶けて、一旦肺(6号で〝体〟を訂正)に入るんです。打擲らかして置けば肺(6号で〝体〟を訂正)に入った痰が出るんです。だから、それが出ないで固まっているんです。結核と言うのは、実に旨く作っているんです。本人は希望を失い、悲惨な運命になるんですから、そう言う不幸な人間を医学が作っているんですから、之程恐ろしい事はないんです。それを、誰も知らないどころか、あべこべなんです。政府も一生懸命支持しているので、到底見て居られない。だから、先ず之を現代人に教えると言うのが、最大の救いですね。未だ、色々――結核菌や何かに就いてありますが、時間がないからね。唯、一つ面白い事を――奇蹟と言いますが、奇蹟にも二色あるんです。それを、ここに書いてあります。
奇蹟と宗教
(栄光一四六号)
今更言うまでもないが、奇蹟とは有り得べからざる事が有り、常識では計られない、理窟にも乗らないものを言うので、只不思議の一語に尽きるのである。では一体奇蹟なるものは何時頃からあったかというと、記録に残っているものとしては、何と言っても彼のキリストの奇蹟であろう。これは余りにも衆知の事で説明の要はないから略すが、我国としての著しい奇蹟は、彼の日蓮上人の龍の口の御難であろう。その他天理教、大本教、金光教、人の道(今のPL教)などの教祖の奇蹟も相当あったようだし、その他の小さい奇蹟は随所にあるのは知る人は知っているであろうが、不思議なことには、古い屋台骨の立派な宗教には殆んど奇蹟というものが無いようである。併しそういう宗教も教祖生存中は相当あったものに違いなかろうが、時代の進むに従い、全然なくなってしまったのであろう。
そんな訳だから、賢明な既成宗教のグループの人達は、自己生存の必要上、奇蹟に代るべきものとして何等か価値づけるものを見出さなければならないので、その結果出来たものがカノ宗教哲学、宗教科学、神学等の学問的形体であろう。言う迄もなくその骨子とする処は、宗教とは精神的救いが正当であるとして、現当利益を蔑視し、その上宗派それぞれの伝統的形式を加えて、兎も角法城の命脈を保って来たのである。処が心ある人々や文化的大衆はそれでは承知しないが、といって外に希望に合うような信仰もないので、自然今日の如く無信仰者が多くなったのであろう。では現在人々の痛切に求めている信仰は何かというと、先ず第一古い衣を脱ぎ棄てた新しいもので、空理空論のない事実の裏附のあるもので、どこまでも智性的理論を建前としたものでなくてはならないのは言うまでもない。
処で今日相当繁昌している信仰もあるにはある。カノ成田の不動尊、豊川、伏見稲荷、金毘羅権現、日蓮宗の或一派等々であるが、成程これ等の信仰も社会上幾分の役には立っているであろうが、何しろ御利益本位の信心で、余りにもレベルが低いので、相当教養ある人達や青年層には全然魅力がなく、公平に見て一部の俗衆に満足を与えているに過ぎない存在である。としたら現在の処、前者の理論宗教と、後者の御利益信仰との二種あるのみであるから、何と心細い日本の宗教界ではなかろうか。としたらこの現状は一体何を示唆しているものであろうかを考えてみると、言うまでもなく前記の如き新しい理想的宗教の出現であろう。では現代の要望にピッタリ合う宗教としたら、独りよがりかも知れないが、我救世教以外にないであろう。
ここで本教の特異性をかいてみるが、本教に於ては宗教理論としての前人未発の哲学、科学、神学等の新解釈は素より現代文化の欠陥を指摘し、新しい文化のあり方を考え、新文明世界創造の指針を示しているので、寧ろ宗教以上の宗教といってもよかろう。何よりも一度本教に入って具に検討してみる時、その言の偽りない事実に驚歎するであろう。
然も本教の一大特色としての奇蹟の多い事で、これも信者になれば分るが、恐らく本教位奇蹟の多い宗教は史上嘗て類例がないであろう。勿論奇蹟とは現当利益であるから、本教のモットーである病貧争絶無の世界を造り得るのも何等疑いないのである。以上随分思い切ってかいたが、先ず接して見る事である。
(御論文「奇蹟と宗教」のあとのみ教え)
結局、奇蹟と言うものは、人間の利益になる事ですね。それが、幸福になるとか、得をするとか――それが奇蹟なんです。あと――不思議な事をして見せるは魔術なんですね。それを、よく混同するんです。一寸不思議な事をして見せると、直ぐ有難がって頭を下げるんですが、そう言う時によく考えて――こう言う事を人に見せて、どれ丈人が救われるかと言う事を考えるんです。そうすると、一つの見世物的になります。それではいけない。宗教を看板にするなら、それに救われなければならない。よく、神霊会でやりますが、こう言うのもそれですね。救われなければならないんです。霊があると言う事が分っても、自分の病気が治らなければしようがないですね。その区別も良く知って置かなければならないですね。又、その区別を、良く説明してやらなければならないですね。話はそれ丈にして置きましょう。
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