二月七日

(お 伺)矢島ヒサ(二十二年入信。十歳)二十一年九月、三尺の処より落ちて、後頭部を強打失神致しました。一週間後より発熱し、その時薬名不明の注射をし、それより激しい引附けを絶えず繰返し、死の一歩手前迄参りました時に、御浄霊を戴き救われましてより、めきめきと良くなりましたが、五カ月目頃より再浄化戴き、その状態は死の断末魔の様相で、全身冷く、紫色に硬直し、顔面は引吊り、正視出来ない様な状態で御座いましたが、御守護戴き最近は体も暖かくなり、血色良く、特に顔色は綺麗になり、体格も普通の子供より良い位で御座いますが、智能は二、三歳位の幼児と同じで御座います。家中入信させて戴いており、御屏風観音様はお祀りさせて戴いてを(お?)りますが、御神体は未だで御座います。薬毒の為で御座いましょうか。又は、何か霊的関係が御座いましょうか。御教示の程御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 之は薬毒ではありませんね。薬毒でこう言う風にはならないですね。やっぱり、後頭部を強く打って、その内出血が未だ固まっているんですから、智能的な機能が発育不全になっているんですね。ですから、後頭部を良く浄霊すれば良いんです―気長にね。そうすれば段々良くなる訳ですがね。丁度、やっぱり霊が憑ったと同じ様な症状になるんでしょう。で、御神体をお祀りしなければいけませんね。之が根本だからね。御屏風観音さん丈じゃいけないですね。早速御神体を御祀りして、後頭部を浄霊すると治りますよ。二十二年に入信して居て、今以て御神体をお祀りしない様な事じゃいけませんね。その心掛けが、やっぱり御守護戴けないのですね。やっぱり何処迄も、やる丈の事はやって――そうしてやらなければ、御守護が薄いですよ。

(お 伺)佐野登紀(十歳)三歳の時急に眼の玉が中央に寄り、手足が利かなくなり、医診では脳性小児麻痺との事で、治る見込なしと言われ、堀之内妙法寺の堂守に見て貰いました処、家の後で、一間許りの板屏を取除けて防空壕を掘りましたので、地神の怒りでなったとかで、二十一日間お浄め(神棚に塩を上げ、良くお詫びして、その塩を使った土地に撒く)する様に言われ、浄めて貰いました処二日目に元通りになりました。二十二年四月私(母)入信。同年七月(母は交通事故で足を怪我、即日死亡)頭痛激しく、御浄霊させて戴きましたが、初めての事で良く解らず、アスピリンを飲ませ、元気になった様に見えましたが、翌朝より左足が利かなくなりました。その当時は非常に痛がり、足の附根より全部に痛みがあり、御浄霊させて戴きましたが、途中一年許り他の事も致しました。現在御浄霊させて戴いて居り、主人及び本人も入信。御神体もお迎えさせて戴いております。足首がグラグラで、冬は膝から下がとても冷え、常に足の裏特に指の附根附近は、甲もグニャグニャになり、最近一カ月頭(特に前頭部)の痛みを訴え、それが良くなりましてより、グニャグニャも大分しっかりして参り、特に親指の屈伸も少しづ(ず?)つ出来る様になりました。御浄化戴きますと両脚の長さが異り(悪い方が短く)そのうちに同じ長さにさせて戴けます。御浄霊の急所を御垂示御願い申し上げます。尚発病の同月末、次の子が帰幽致しましたが、住所が安定致しませんので、足掛け五年隣村のお寺に骨を預けて居ります。又頭部の骨が長く焼けなかったので、灰捨場に灰を掛けて置きましたが、後日行って見ますと、違う位置に転がってを(お?)りました。家主の好意で、家主の空いている墓に頭丈入れて貰いましたが、土に還っている事と思われます。右の骨は如何致しましたら宜敷う御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 地神――よく地の神と言いますがね。二日目に元通りになり――不思議なものだな。家主の墓に―之は早く処置しなければいけませんね。早く埋めた方が良いです。この頭と一緒に埋めなければいけませんね。頭丈――之はいけないですよ。ちゃんとくっつけて、埋ける処は然るべく当然ですから、つまりバラバラはいけないですね。之は霊の障りもありますけれども―私の母、足を怪我して―死亡この霊が憑いたんですね。この子供の足の痛みですね。之は足の附根と膝の、主に裏の方が急所ですから、そこを良く浄霊してやる。そうして気長にやれば、すっかり治りますよ。之はもう一息で治るから良いですね。次の子――足掛け五年こいつはまずいな。早く、今言った様に頭と一緒にして、成可く自分の墓に埋めた方が良いんですがね。どうしても、不可能なら、家主の墓でも良いですがね。之は御祀りしてあるんですね。まあ、そんな具合ですから、別に心配要りませんよ。

(お 伺) 塚本捷之(二十四年十月入信。三十七歳)御屏風観音様、御神体を御奉斎させて戴き、教修会場に二回使って戴き、家族全部入信させて戴きました。二十五年九月瑞雲郷の御奉仕隊に参加させて戴きました。昨年八月妻が女児を分娩。十年前に腎臓病を医薬にて固めてを(お?)ります。妊娠中右横下腹及右足が引附け、お産中も産後も、右足が痺れて脚気の様に不自由で御座いましたが、現在は大変楽にさせて戴きました。其為か乳児は血色悪く、乳を良く飲む割に大きくなりません。昨年十二月に百日咳の御浄化にて、一時は息も絶えるかに見える程で御座いましたが、二週間位にて楽になり血色も少し良くなりました。生れた時より右の眼が腫れてを(お?)り、眼ヤニや涙が多く出てを(お?)りましたが、現在眼ヤニは少しなくなってを(お?)ります。右の眼の黒玉は一寸小さく瞳孔が丸い面とギザギザの面とが御座います。尚、物を見るらしい時には、大きくなったり小さくなったり致します。両眼共黒眼は下へ下へと降り、右目は殆ど白玉となります。耳は良く聞えますが、現在五カ月になりますが、あやしても殆ど笑いません。曾祖父が四年前七十五歳にて死去致しましたが、右の眼は石の破片にて四十五歳の時より失明致してを(お?)りました。右は霊的で御座いましょうか。又は毒素の為で御座いましょうか。今後如何致しましたら御救い戴けましょうか。御浄霊の急所御教えの程御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 引附け――之は引吊りじゃないのかね。薬毒も大分ありますがね。右の足が引吊るとか―そう言うのは、毒の固まりですよ。脚気の様に―之もその為です。子供が血色が悪く―之も薬毒ですよ。どうも、曾祖父――この霊が憑いている様ですね。四十五歳の時より失明――その当時にギザギザがなった訳だね。まあ、霊的ですね。之は右眼ですね。眼と後頭部の真中の処を浄霊すれば治りますよ。それから、あやしても殆ど笑いません――良く見えないんじゃないのかね。眼が良く見えないんですね。生れた許りだから、こう言うのは割合に治りの良いものです。

(お 伺) 亀谷常次郎(四十四歳)頭が重く人と語るのも嫌になり、物を持つ事も出来ない様になり、仕事も出来なくなり、医師に一カ月かかり、不明の注射を二十本程致しましたが良くならず、鍼を約十回程頭に打込み、腰と足に灸をしました。其後少し楽になってを(お?)りましたが、弟竹次が気違いになり、あちこちと迷った揚句どうしても治らず、最後にお道の先生にお救い戴き、廿三年十月入信させて戴きました。翌年四月熱海本部に御参拝、帰宅後一層頭の御浄化を戴き、一カ月程にて元気にさせて戴きました。廿六年秋季大祭に御参拝帰宅後、又も頭の御浄化を戴き、今日に至るも苦しんでを(お?)ります、症状は、頭が或る日は重く、或る日は頭中に何か詰込んだ様な苦しさもあり、その間は、毎日自分の頭の様ではなく、思う様に考えられず、尚時々身体全体が震えて、胸が詰る様になり、下腹に力なく震え上ります。何事も煩さくて出来ません。五、六歳の時に腸を患い、引附けを起し、母が長谷の観音様に、足が届く様になったら、年一度祭日には参拝する様御願いしてあって、毎年御詣りをしてを(お?)りました。十九歳の時木材が頭に強く当り、口鼻より多量に出血した事があり、約一カ月位は頭中で脳がゴロゴロしている様に思いました。現在の職業(種苗園農業)が嫌になり、転業を考えてを(お?)ります。会長先生の御浄霊を戴きますと楽になりますが、家に帰りますと又頭が変になります。私の母の父は気が狂って亡くなり、義父は脳梅毒で死亡してを(お?)ります。私の頭の御浄化は霊的で御座いましょうか。主として何処を御浄霊戴きましたら宜敷いでしょうか。御教示の程御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 之は、無論薬毒ですよ。不明の注射二十本――之が大変禍いしてますね。それから、鍼――之が悪いですね。直接頭に注射するんだからね。この薬毒ですね。他の薬毒もありますがね。この症状は薬毒が頭に固まった症状なんです。だから、こう言う風なんです。仕事が嫌になったり、頭が――考え様と思う事が、考えられない。纏まりがつかなくて、それだから何をするのも嫌なんですね。之は治りますがね。やっぱり長くかかりますね。段々段々ですからね。後頭部に固まりがありますよ。それから頸の廻りと、兎に角出来る丈根気よく浄霊するんですね。自分でやると良いです。それで治りますよ。

 之は私の経験もあるが、昔の歯の薬毒が頭に行ってね。丁度こんな様なものです。だから自分で――発狂するか自殺するか、どっちかですからね。考え様と思っても考えられない。他の事を考える。痛んで、その薬毒が段々頭に上って、そうして頭に固まっちゃった。

(お 伺)村原政直(二十七歳)十歳の時父は三十九歳で生活苦の為頚動脈切断自殺、次男の弟は空襲で機銃弾にて左腎臓盲貫で死亡。間もなく母が脳溢血から中風を患い、二十二年九月頃より御浄霊を戴いてを(お?)ります。同年十一月私が入信させて戴き、翌年一月弟妹が入信、二月に母と其妹と嫁先の姉が入信させて戴き光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。母は御浄霊を戴き乍ら眠るが如く他界(二十三年十一月)致しました。翌年八月より妹が、以前頭部に打撲傷を受けたのが再発し、又肝臓の御浄化を戴き、本年に入って又弟が心臓の御浄化で死亡(十月)妹も十一月に死亡致しました。二人共御浄化中何よりも水を欲しがり、吐く位飲まぬと収まらず、特に妹は死ぬ二日前に、何も思い残す事はないが水をバケツ一杯飲みたいと言ってを(お?)りました。考えて見ますと、入信以前に屋根に青大将が居たのを殺した事が御座います。弟妹の死は、何か霊的関係が御座いましょうか。尚、親類は浄土宗の信者で、お道に反対で、会う度毎に信仰を()めよと迫ります。今後この儘で宜敷う御座いましょうか。御教示の程御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 吐く位――之は蛇の霊ですね。今の儘で良いんですがね。一生懸命信仰をして、人助けをしなければいけないですね。ここの家は、祖先以来の「メグリ」が沢山ありますからね。こう言うのは、もう一家断絶位の運命になっていたんですよ。それを助けられたんだからね。やっぱり入信したからと言って、直ぐ全部罪穢れが無くなってしまう訳じゃないんだから、まあ――半分位はどうしても早く取れない訳ですね。それで、あと未だ不幸があった訳です。然し、こんなもので不幸も打切りになったらしいですね。それから、水を飲みたい――之は青大将を殺したそれがくっ憑いているんですよ。つまり居所がないからくっ憑いちゃうんですよ。やはり祖先ですがね。そう言う場合もそこの家の「メグリ」が減って浄まって居れば。(、?)そう言うのが憑いたり、害をしようと思っても、力が出せないんですがね。こっちにそれ丈の弱味があるからね。それで、霊に自由になっちゃうんですよ。まあ――一生懸命に人助けをする。そうして徳を積むんですね。そうすると段々良くなりますよ。こう言う家は沢山あるんですよ。

 

【御 教 え】

 二、三日前に箱根の美術館を見に行って、その時感じた事を書いてみたんですがね。今読ませます。

私の美術修業

(栄光一四四号)

 今年の夏は、愈々箱根神仙郷の美術館が出来(しゅったい)する事になるが、これに就いての奇蹟を少し書いてみよう。私はいつも言う通り、若い時分から美術が好きであったが、それは只見て楽しむだけの事で、世間よくある好事家(こうずか)程度であった。勿論金もないから買う事も出来ず、博物館や展覧会、デパート等へ行って見るだけで、満足するより外なかった。処が、終戦後仕事が段々宗教的になってから、相当金も入るようになった事と、当時戦後のドサクサ紛れの為、随分良い物が安く買えたので、私もこの時とばかり買うには買ったが、それは一部のものに限られていた。というのは、その頃の私は或る種の物だけしか目が利かなかったからで、先ず光琳、宗達の絵とか、仁清、乾山、鍋島の陶器、その他蒔絵物位であった。尤も、蒔絵だけは若い頃習って、自分で製作した事もあったからでもある。

 そんなわけで、少しずつ品物が集まるにつれて、本教のモットーである地上天国、真善美の世界を造るとしたら、美が必要であるのは言う迄もない。成程、真と善は精神的のものであるからいいが、美は物質であり、具体的に現わさなければならないとしたら、天然美もそうだが、人工美もそれに伴なわなくてはならない。それには美術館を造る事である。という考えが頭に出来て来た。処が、昭和十九年春箱根に移住すると共に、隣地に格好な土地があり、それを手に入れるや、間もなく熱海の方にも理想的な土地が見附かったので、これも手に入れるというように、次々(ひろが)って、現在見る通りの素晴しい構想にまで発展して来たので、全く神様の深遠なる御計画が、着々実現しつつあるのである。そんなわけで、規模も大きくなり、箱根の方も愈々最後の美術館が出来ると、一段落つく事となったのである。

 それにつ就いての面白い事など書いてみるが、前記の通り、私は美術については、或る種のものしか分っていなかった処、神様は追々私の目を開かせるべく、美術教育をさせられた。それは、最初の一、二年は琳派と日本陶器、即ち仁清、乾山、鍋島類に関した、色々な写真図録などが手に入ると共に、品物も見せられ、専門家の話など聞かされ、大体分るようになると、翌年は近代画や大和絵、浮世絵、次の年は東山水墨画、古筆、墨蹟類、宋元画等。又次の年は昨年であるが、支那、朝鮮の陶器類、仏画等であったが、本年に入るや新春早々、仏像に関した種々な文献図録等が手に入り、日本初期の仏像等も見せに来るので、今年の課目はこれだなと思ったのである。

 そうして面白い事には、今迄の経験によると、丁度一種類一年位で卒業するようになっている。処が普通人では二十年、三十年もかかるのを、私は一年位で同じ程度の修業が出来てしまうので、最初私を教えた人達が、反対に私から教わるようになってしまう。全く不思議である。そのようなわけで、今度美術館へ並べる品物を見れば分るが、実に多方面に亘っている点は、先ず日本にも世界にも類はあるまいと思う。そうして、余り人の気の附かない事だが、日本には日本美術館は一つもないという意外な事実である。それは、現在ある日本の美術館を見れば分るが、彼の国立博物館にしろ仏教美術だけは成程立派なものがあるが、遠慮なく言えば他は洵に貧弱である。又今度出来たブリヂストン美術館にしろ、洋画美術館であり、大倉集古館は支那美術、根津美術館は茶器類と支那銅器、京都博物館は寺院美術、有鄰館(ゆうりんかん)は支那美術、住友美術館は支那銅器、大阪の白鶴美術館は支那陶器、銅器、岡山の大原美術館は西洋美術というようになっている。

 としたら、日本人であり乍ら日本美術が見られないというのは、何と寂しい事ではないか。私はこの点に鑑み、箱根美術館は、日本独特の美術に力を注ぎ、誰にも満足を与えるつもりである。尤も、まだ規模は小さいが、兎に角見る者をして、今更乍ら日本人の美術に対する優秀さを再発見すると共に、外客の眼も少なからず驚かせるであろうから、従って観光国策に対しても、大なる役割を担うのは勿論である。

 (御論文「私の美術館修行」のあとの御教え)   【註 栄光一四四号】

 今読んだ通り、日本美術と言うものは見られないんですよ。日本美術を見せる処は一つもないんです。それで、日本は世界の美術国であり、日本人は非常に美術に秀れていると言っても、出来た物を見られないとしたら、おかしな話です。ですから、外国人でも日本美術は知らないんですよ。見た事がないからね。少しは見るけれども、本当の良い物は殆ど見られないですね。唯、写真か図録で見る位です。処が写真も、天然色は極く少ないですからね。大抵普通の白黒写真ですから――やっぱり、美術品は色が判らなければ、面白くないんです。唯、形丈ではね。そうすると、仕方がないから――外国人なんか、支那美術を蒐集します。非常に趣味を持っている。ですから、この間サンフランシスコで、講和会議の時に展覧会した――あれは日本から百数十点出品しましたが、あれも私が後で、博物館で展覧会がありましたので行って見た処が、日本の仏教美術ですね。大体三分の二は仏教関係の物ですね。だから、外国人は日本の仏教――特に彫刻ですね。之は非常に驚いている。ですから、欲しがって居ますよ。欲しがって居るけれども、仏教美術の良い物は、皆お寺にあるんですよ。ですから、外人が見ようとしても、一軒々々お寺を尋(訪?)ねる訳にもいかないし、お寺の本尊様になっているから見られないですね。他には、日本の陶器とか蒔絵は殆ど出なかったですね。処で、日本の美術で特色ある物ですね。それは、絵では琳派ですね。光琳、宗達、乾山ですね。之は世界に誇るべき物なんです。処が、この間のサンフランシスコなんかは、琳派物なんか一つもないですね。陶器では仁清、乾山、鍋島です。で、日本画は琳派と、あとは土佐派ですね――大和絵ですね。それから浮世絵――それ丈が日本独特な物です。日本の古い物は狩野派が多いですが、それは支那の宋元時代の模倣ですからね。模倣と言うが、それにヒントを得て――まあそれを習った様なものですから、日本画としては、さっき言った琳派と大和絵と浮世絵ですね。陶器は、今言う仁清、乾山、鍋島。あとの陶器は、やはり支那、朝鮮の模倣なんです。あと日本に良い物がありますが――柿右衛門なんかも支那の色々な模倣ですね。ですから私は、柿右衛門は有名ですが余り重きを置いてないんです。あとは尾張物と言って、茶器なんかに多いですが、尾張の唐津とか志野、織部、瀬戸ですね。そう言う尾張の陶器は中々良い物があります。特色がありますが、之は朝鮮から習ったんです。朝鮮の職人が教えて行ったんですからね。あと色々な物は、みんな支那から入っているんです。だから、日本の特色と言うと、今言う絵と陶器ですね。あとは蒔絵ですが、蒔絵は本当の、日本の一番の特色ですね。日本で無くちゃ無いんですからね。そう言う物なんかも殆ど出ないんですがね。よく、蒔絵はアメリカに行くと壊れちゃうと言うが、漆器類は乾燥を一番嫌う。処がアメリカの空気と言うのは、特に乾燥している。特にシカゴ辺りが一番乾燥している。そこに行くと、皆駄目です。バラバラになっちゃう。処が、それは出来が悪いからで、本当に出来が良い物は、絶対にそう言う事はないですね。そう言う良い物を出せば良いが、出品する人もアメリカは漆器が壊れると言う事を聞いて、本当の事を知らないで、出さないと言うのが多いですがね。今言ったのが日本的美術ですね。そう言う物を、箱根は主にして出す積りです。ですから、今度の箱根の美術館を見ると、日本人であり乍ら、日本でこんな良い物が出来たのかなと思う人が随分あると思います。外人なんか、大したものだ。日本美術は良い物だと言う事が解るだろうと思う。浮世絵なんかも、外国人が大騒ぎするのは版画ですが、版画はそう大した物はないですが、肉筆物を見る切っ掛けがないし、見ても僅かづつで、手に入れる事が出来ないから、外人は解らないから、版画が良いとしたんです。ですから浮世絵の版画は随分外国人が欲しがって、良い物は高いですよ。版画の初版で良い物になると、一枚十万円、廿十万円のがありますからね。肉筆物はその何分の一ですから、それで私は肉筆を集めた。安くて良い物ですからね。今は高くなって来ましたががね。一流品を私は随分集めました。そう言う物を見せると、非常に驚くだろうと思います。で、今度なんかもロスアンゼルスで、支那の陶器の展覧会がありますがね。支那の宋時代の――宋磁器と言うのを主にしている。そうして日本にも依頼が来て、日本でも十五点出すが、ついこの間発送しましたが、支那の宋時代の陶器と言うのは大した物ですね。やはり、箱根に出しますがね。最高の物を出したいが、最高の物は出せない。最高の物はアメリカの美術館にあるんです。之は到底、支那にも日本にも無いんです。その次の物はありますがね。その次の物は、今度美術館に出しますがね。支那の一番美術の良い物が出来た時代は宋ですね。特に北宋の方が良いですね。ずっと古いのは唐ですがね。唐時代でも可成り良い物が出来ましたが、何と言っても宋ですね。宋は今から九百何十年前ですね。約千年前ですね。千年から――宋時代と言うのは百八十年続いた。ですから、丁度日本の弘仁から藤原時代ですね。それが丁度合っている。日本でも、最初仏教美術ですが、仏教美術は推古から飛鳥、白鳳、天平――千二、三百年前が良い物が出来たですが、今見ても素晴しい物ですが、仏教美術ですからね。藤原時代に仏教美術もあったが、それ以後色々な物が出来たですね。平安朝ですね。その時が、支那の宋時代に当りますからね。それで、よく日本と時代が合っているんです。それで日本が、足利時代になって、義満、義政が非常に支那美術を尊重して、輸入したですね。それでその時に、色んな宋時代の良い物を輸入した。それが、今日本に残っているんです。そこで、アメリカでも数がないんで、今度の展覧会でも、日本に勧誘したんです。ですから支那陶器と言うのはアメリカ、イギリスでは非常に研究してあるんです。それは、支那陶器の学者と言うのは、向うにもチョイチョイあります。ですから、日本の、何の陶器は何処に何があると言う事はちゃんと調査してある。今度、個人の物でも、何処の何と、ちゃんと指定が来て、十五点送ったんですがね。支那陶器は知っているんですが、日本の物は知らないんです。今度は、相当成る程と思う様な物を出す積りですがね。それで、支那は宋時代に陶器許りでなく、凡ゆる文化が発展したですね。支那でも偉い坊さんですね。それも宋時代が一番出た。宋時代には色んな王様が、美術を奨励したんですね。その時に出来たのが大変良い物が出来た。今、支那で、それを作ろうとしても、全然駄目だそうです。全然分らないそうですね。土だとか、薬だとか、全然分らないそうです。支那は、その次に明の時代ですね。明と言うのは、相当長かったんですがね。明の時代と言っても一番最初宣徳と言う年号ですが、その時相当良い物が出来たんです。宋時代のは無地物が殆どだったですね。明の時代には、赤い物とかですね。正徳、嘉靖、成化、万暦と――こう言う具合に良い物が出来たんです。その時一番良い物が出来たのは嘉靖ですね。嘉靖の赤い物は、日本の柿右衛門とか、伊万里とかで真似したものです。支那は近代になっては、康熙年間、乾隆――この時代になると、非常に(たくみ)になってきますが、とても安っぽくて見てられないですね。丁度日本では、向うの明時代が桃山時代になりますからね。桃山が高価な良い物が出来たのと良く似ているんです。藤原、鎌倉、それから桃山、それから元禄、それから明治と、之丈が良い物が出来てますね。日本は昭和になってから、戦争もありましたが、ガタガタになっている。そんな訳で―学校の美術品の講座みたいですが―ですから箱根の美術館と言うものは、其点に於て世界一だと思ってます。兎に角日本美術を見せると言う処は無いんですからね。だから、知れたら随分見に来る人が、沢山あるだろうと思う。外人は箱根に来た以上は必ず見ると言う様になりますね。美術館の話はそれ位にして置きます。

 

 

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