(お 伺)宮崎とく(五十四歳)昭和二十二年主人は肝臓を病み、其後腸捻転にて医師にかかり、手術後死亡致しました。其後私は右下腹に固まりがある事に気づき、医診では心配する程ではないと言われ、其後大した変化もなく放って置きました処、昨年九月頃より段々大きくなり、夜床に入り腹を撫で廻しますと、左に寄り右に寄り致します。其頃より御浄霊を戴いてを(お?)りますが、近頃は非常に大きくなり、大体右寄りで鳩尾辺りから肝臓の辺り迄一杯に腫れ上り、下腹一杯に丁度妊娠七カ月位に感じますが、午前中は非常に楽で御座いますが、夕方になりますと非常に張って、食事も夜は一杯しか頂けません。夜床に入り、左を下に致しますと、左に寄ります。之は霊的で御座いましょうか。又何処を主に御浄霊致しましたら宜敷う御座いましょうか。家族、子供共に入信。光明如来様、御屏風観音様を御奉斎させて戴いてを(お?)ります。
〔御 垂 示〕
之は卵巣ですね。卵巣水腫と言って、卵巣に水が溜って腫れるんです。之は、やっぱり腎臓が因ですから、良く腎臓を浄霊してあげると良い。然し、之は或る程度迄腫れますが――随分大きくなるものですよ。まあ、気がついて浄霊すれば、さ(そ?)う大きくならないで済みますがね。で、或る程度迄腫れると、その人の――やはり因は薬毒と尿毒ですからね。それが腫れる丈腫れると、少しづ(ず?)つ溶けて出て行きますからね――小便になってね。質によって、非常に早く治るのと、そうでないのとありますからね。まあ、あんまり急がないで、気長にやる積りでやれば大した事はないんです。食欲は、その為に胃を圧迫されているから、小さく柔らかくなる迄は仕方がないんです。よくある病気ですよ。
(お 伺)森西総一郎(昭和二十二年入信。三十二歳)二十三年六月長女総子が、一週間程の下痢が因で急性肺炎で死亡してより、教会へ御無沙汰いたしてを(お?)りますうちに、長男隆志(四歳)が二十四年一月浴場で引附け、以来毎日一寸した刺戟等にも体をビクつかせ、十日に一度位、少し熱が出ると引附けます。御道が良く解らず、約一年医療を受けましたが、症状は一進一退で御座いました。近所の信者さんに、今一度三日間の教修のお話を聞かれてはと言われ、今迄間違っていた事を御詫び申し上げ、御浄霊戴きましてより、段々ビクつく事もなくなり、引附ける回数も少くなり、御屏風観音様を御奉斎させて戴き、妻も入信。昨年六月疫痢の御浄化を戴きましたが、教会の先生の御浄霊により御救い戴きました。八月に光明如来様を御奉斎させて戴き、子供二人にも「小」の御守様を拝受させて戴きました。十二月頃より隆志の状態が以前より激しくなり、連日一寸した刺戟にも、又遊んで居ります時にも、急にバネで弾かれた様に体全体に痙攣を起し(以前は部分的で御座いました)目を離す事が出来なくなりました。現在、引附ける時は口から泡を吐き、両手で何か探る様な事を致したり、おびえる様な大きな声を出し、目を引吊り、何かじっとにらむ様な顔を致します。尚、其後は入浴を非常に嫌います。位牌は御先祖始め、諸々の霊位をお祀りさせて戴いてを(お?)ります。父は神経痛を二十年程患い、死ぬ少し前に精神病で御座いました。兄は戦死、弟は自動車事故で死亡致してを(お?)ります。以前に増して発作が激しくなりましたのは如何なる訳で御座いましょうか。又今後如何致しましたら宜敷う御座いましょうか。
〔御 垂 示〕
之は癲癇ですね。この癲癇はお父さんの神経痛じゃないんですね。兄の戦死――之でもないな。弟――之でもないですね。之は他の霊ですね。つまり泡をふくと言うのは、水死の霊ですよ。水を飲んで死んだと言う奴ですがね。よくあるがね。之は、前頭部の中心――其処を浄霊すれば良い。そうして癲癇の起った時には、善言讃詞を奏げてやって、さうして頭の前頭部をやる。さうして不断頸の廻りが、毒の固まりがありますから、それを良く浄霊して――之があるから頭が貧血する。血管を圧迫するからね。そうすると前頭部の方が貧血するから、それで霊が憑り易くなる。そうして一旦ひどくなるものですよ。峠があってね。それが過ぎると、段々良くなる。早いのは一カ月か二カ月のがあります。遅いのは四、五年かゝるのがあります。結局は治りますがね。今言った様に気長にやって居れば、少しずつ良くなるものです。
【御 教 え】
つい二、三日前アメリカに行っている信者の人で――之はあっちの、何とか大学と言うんですがね。そこに、つまり文部省の特待生と言いますかね――それの試験にパスして、そうしてアメリカの留学に行っているんですね。約一年許りになりますがね。それで、あっちで宣伝しているんです。その人の手紙の中に、今アメリカで非常に結核が増えたと言うんです。去年はアメリカで、結核の死亡者は他の病気――全部の総計よりも多いんだそうです。ですからまあ――アメリカでは結核が一番死亡者が多い訳ですね。之は、私は意外に思ったんです。と言うのは、アメリカは非常に結核が減った。で、最近と言いますか、医学の方の統計によると、大体百人に六人の――その位の割になったと、だからやっぱり、アメリカの様な方法をやれば、結核は減ると言うのが、日本の方の医学の方の理由になっているんです。で、日本の現在の結核の療法と言うのは、アメリカ式をやっている訳です。処が今言った様な具合に急激に増えたらしいですね。と言うのは、私が不断称えているのが、良く合っているんですね。つまり薬で抑えつけているから、一時延びるんですよ。今度はそれが、反動時代になって、薬毒の浄化も加わって、猛烈な悪性結核が増えるんですね。丁度アメリカがそれになっている。だからいずれは、それに気がつくだろうとは思ってますがね。そこで早く気をつかせなければ、日本人は無論ですが、アメリカの人達も非常に可哀相ですからね。それを救ってあげたいと思ってね。それで、私は今「結核信仰療法」と言う本を書いているんですが、之は大体出来たんです。之は翻訳して、あっちにも沢山読ませる積りですがね。今、序文丈読ませますがね。この前も読みましたがね。今度はすっかり纏まりましたから、もう一ぺんね。
(御論文「結核信仰療法 序文」)
序文
(『結核信仰療法』より)
本著は結核医学に対する原子爆弾であり、医学の革命書であり、天国の福音でもある。何となれば現在迄に於ける医学的結核療法は根本的に誤っているからである。というと何人も驚くであろうが、之が現実である以上そう言わざるを得ないのである。そうして本当の事を言えば、医学が結核を作り、結核患者を増加しているという信じられない程の事実である。見よ政府も専門家も、年々巨額の国帑を費し、施設万端出来る限りの手段を尽しつゝあるに拘わらず、年々増加の傾向にさえあるので、此儘の方策を続けるとしたら、表面の数字は兎に角として、事実は増えるのみである。成程最近は相当減ったと云われているが、実は本当に減ったのではなく、薬物其他の方法での一時抑えの為であるから、何れは形を変えた病気か、或は悪性結核続出となるのは、火を睹るよりも明かである。而も此病気は青年層に多い以上、重要産業にも大いに影響を及ぼし、国力の低下は免れないとしたら、早急に解決しなければならない重大問題である。
私は此事を二十数年以前発見し、其後数万以上の患者に実験の結果、動かすべからざる真果を認めると共に、現在毎日私の弟子をして、幾万の患者を救いつゝあるのであるから、此空前にして劃期的療法を普ねく知らせ、結核に悩める大衆を救うべき念願の下に、先づ此著を最初の一弾とするのである。勿論之程進歩した現代医学を、真向から否定する以上、如何に絶対確信があるかを認識されたいのである。
右の如くであるから、此原理を信じ実行に移すとすれば、結核は年一年漸減し、遂には無結核日本否世界となるのは、断言して憚らないのである。而も費用の点に至っては零に等しく、仕事も休まず、感染の憂いさえないのであるから、之程理想的医術はないであろう。事実今日社会全般をみる時、結核という嵐の中に身を置き、危険に晒され乍ら、どうしようもない惨状を見る私は、到底晏如としては居れないのである。といって政府始め専門家、一般社会に知らせようとしても、中々簡単にはゆかない。何となれば此原理が宗教人から出たという理由で、科学万能に囚われている現代人としては、容易に受け入れ難いからである。そうかといって此儘で進むとしたら、国民保健の将来は、果してどうなるであろうかを考える時、実に寒心に堪えないのである。
(此著は医科大学を始め、大病院、療養所、専門家、各大臣、国会議員、新聞社、関係方面へも出来るだけ配布するのは勿論、世界的には英訳して、ノーベル賞審査委員会、各国の大学、大病院、医学関係方面に、広範囲に頒布するつもりである)
それから、之は一寸面白いので、今読ませます。
依頼心を去れ
(栄光一四五号)
つくず(づ?)く日本の情勢をみると、現在の日本人位依頼心の強いものはあるまい。この間来朝した彼の米国のダレス国防長官顧問にしろ、帰りがけに注意した言葉の中に、日本は今投資インフレに罹っていると言われたが、全くその通りで、これを言変(換?)えれば、借金インフレという事になろう。この言の通り借金の多い事、今日程甚だしい時代はないであろう。何よりも銀行のオーバーローンがよくそれを物語っている。オーバーローンとは勿論預金よりも貸金の方が上廻っている事で、これが国家経済の信用に関わる点は、並大抵ではないと言われている。
これは誰しも知っている事だが、日本では大なり小なり、何か事業を計画し始める場合、必ずと言いたいほど借金を当にする。恐らく今日、日本人中借金のない人は、暁の星の如くであろう。現に農民層でさえ農業手形が年々殖えつつある事実である。そうして少し大きな事業になると、銀行は固よりヤレ政府の援助、市町村の信用組合、公共団体等からの借金を当にして東奔西走している人は、到る所見受けるのである。それが為連動費やら利子やらの無駄な支出は、案外巨額に上るであろうから、相当儲かる事業でも、結局算盤に合わなくなるのは知れ切った話である。見よ今日の金詰り、手形の濫発、汚職問題等も、この借金政府が根本となっているのがその殆んどであろう。としたら日本の経済を建直し、今日の如き金融難、取引の不円滑等の悩みから脱却するとしたら、この点に就いて大いに考慮すべきである。つまりもっと慎重の上にも慎重にし、期日までには必ず返済出来る目安と、これこれの利子を払っても、充分プラスになる程の利潤を挙げられるという見通しがついてから借金すべきである。という訳で現在は如何なる方面でも借金に悩ませられていない人はない位で、その為経済界に与える悪影響も、案外甚大なものがあると共に、一朝何かの変動で経済界混乱が起るとしたら大変であろう。
ここで私の事を少しかいてみたいが、私が目下建造中の箱根熱海の地上天国にしろ、その規模の大なる恐らく前例がないであろう。初めて見た人で驚歎の声を放たない人は恐らくあるまいと思うが、世間流に考えたら、開教僅か数年の本教が、どうして斯んな途轍もない物を造る事が出来るのかと、不可解に堪えないであろうが、実は案外苦労はしてないのである。普通からいえば、銀行とか公共団体の援助位は受けられない事もないが、私は絶対そんな事はしない方針で、飽迄自力でやるつもりである。これによってみても、凡ては神様の御計画であるのがよく分るが、実は私自身としても最初はビクビクものであった事を考えると、不思議というの外はない。何しろ予想もしないようにズンズン規模も拡大してゆくのであるから、全く奇蹟以外の何物でもないのである。
そうして間もなく美術館が出来るが、差詰(差詰)陳列する美術品にしても、何しろ国宝級の物や有名品などになると、到底手に入れる事は難かしいし、購入するにも生易しい金では駄目なのは分っているが、或程度は必要であるから、何とかしたいと思っているが、これも神様は都合よくして下さるに違いないと安心しているような訳で、寧ろ一種の客観的興味さえ湧くのである。これでは依頼心を去れなどと言えた義理ではないが、その点相手は人間と異い神様だから、大いに楽観しているのである。
(御論文「依頼心を去れ」のあとの御教え)【栄光第一四五号】
そんな訳で、箱根の美術館も着々として出来つゝありますがね。六月迄には充分出来る訳ですがね。そこで、今美術が非常に盛んになって来ましたがね。美術館なんて言うのも方々に出来つつあり、外国でも非常に美術が流行って来たですね。この美術なんかは、最も平和的なもので、之が世界的に国同志(同士?)で交流する様になると、非常に良いと思うね。ですから、美術が流行るのとスポーツが流行ると言う事は、平和思想を大いに高める事と、それから国同志(同士?)で仲が良くなると言う事に就て、非常に効果があると思う。で、そんな意味で益々美術思想、スポーツ思想――之が盛んになると思う。そこで、今度箱根に出来る美術館は、私は世界一と思っているんです。一寸不思議に思いますがね。然し、今美術館が方々にありますが、仮りに日本の美術品として、日本の美術品は余り無いんですよ。だから日本人が日本の美術を見たいと思っても、さて見られる処と言うのは無いんですよ。まあ、仮りに博物館としても、仏教美術は一番です。それは素晴しい物がありますね。非常にお寺や皇室と関係がありますから、御物の仏像なんか随分立派な物があります。処が、仏教美術は普通の人が見ても中々解らないんです。大体、時代が解らないからね。何年位前に出来た物か。之は天平だとか、藤原だとか。如意輪観音とか薬師如来、帝釈天、毘沙門天だとか言っても解らないですね。そうすると、美術思想を養うと言う処迄は中々いかないですね。まあ歴史的、考古学的と言う様な意味ですからね。ですから、誰にも理解出来る様な美術ですね。それを見せる様にしなければいけないと思う。博物館を始め、あとの品々は――何時も言う通り――どうもレベルが低いんです。だから仮りに、日本人もそうですし、外国人が日本に来て、日本の美術を見たい。日本じゃ光琳と言う画家が大変偉い。光琳を是非見たいと思った処で、見る処がないんですね。それから陶器類ですね。日本には仁清、乾山、柿右衛門とか、偉い陶芸家がある。是非見たいと言った処でそれも見る処がないんです。日本で博物館以外の美術館と言えば、個人の美術館ですが、そう言うものでも――今度出来たブリヂストン美術館の様な具合に油絵か、或いは岡山の大原美術館は、西洋の絵はあるけれども、どうも日本の絵はないんです。それから、私は何時も褒める白鶴美術館でも、支那の陶器と銅器ですからね。日本のは全然ないんです。それから、京都の博物館と言えば京都のお寺の博物館ですからね。まあ、お寺美術館と言っても良いのです。立派な大きな仏像なんかがありますが――大したものですがね、それから東京の根津美術館、長尾美術館、大倉集古館にしろ、本当の日本美術と言うものは僅かなものです。それですからどうしても、日本の美術品を日本人も見られ、外国人にも見せると言うのが、是非なければならない。それが無いんですよ。私は先から、そこを狙っている。どうしても日本美術は――日本は世界の美術国だとか言って威張っているが、じゃ品物を見ようと言うと、無いんです。ですから、アメリカ人でもイギリス人でも、日本美術と言うのは恐らく知らない位なものです。あっちの美術館と言うのは、殆ど支那美術ですね。支那美術と言っても、支那の陶器と銅器許りで、絵は殆ど無いんです。支那の絵は、やはり日本に沢山ある。又、アメリカにある日本の絵と言うのは殆ど贋物許りで、ひどいです。そんな訳で、日本人は今迄――良いか悪いか解らないが――国宝だとか言って、日本の美術を海外に出さない様に政策を取っていたんです。之に就てもフランスあたりの相当な識者は、日本が国宝と言う制度を作るのは非常に間違っている、と言う事を言ってますがね。何だと言うと、国宝と言うのは、つまり外国に出さない――日本で占有する意味になるから、美術と言うと世界的に多くの人の目を楽しませるのが本当だと言うんですね。処が、己の国に保存して他国に出さない。世界の人に見せないと言う、一つの独占ですね。だから本当でないと言う話があるんですがね。そんな様な具合で、今迄日本は良い物を持ち乍ら、寔に――隠して見せない様にしていた。ですから、どうしても日本の美術を世界的に―世界の人達に見せる様な―そう言う機関を作らなければならないですね。それからもう一つは、日本の美術家と言うのは、近頃非常に堕落と言いますか、何と言いますか、兎に角日本画にしろ、油絵の真似するのが多くなった。之は時代の風潮にもありますけれどもね。もう一つは、日本の美術を見る方法がないんです。日本でも、昔の名人のに色々な良い物があるんですが、それを見る事が出来ないからして―却って油絵の方が余計に見られますからね。だからどうしても美術眼ですね。そう言ったものは、西洋の方に偏っている。ですから、そう言う人達に大いに日本の傑作品を見せなければならない。要するに眼識を養うんです。そうすると、日本は素晴しいと言うんで、それに真似しない迄も、大いにヒントを得て、変っていく訳ですね。処がそう言う機関がない為に、どうしても日本の本当の特色ですね。そう言うものが薄れていくんです。だからどうしてもそう言う日本の芸術家―美術家に大いに見せると言う方法をとらなければいけないと思う。私はそう言う積りで、美術館も日本美術を根本にして、東洋美術、支那、朝鮮――そう言う物を参考として置くと言う順立てにする積りですがね。恐らく、出来たらば非常に喜ぶだら(ろ?)うと思う。むしろ日本人が『俺の国の先祖はこんな立派な物を作ったのか。之は良いな。それじゃ大いに日本的なそう言った良い物を作らなければならん』と言う意欲が、大いに起るだら(ろ?)うと思う。ですから、其為に外国人も、鳴る程度日本は大した物がある、と言って驚くだら(ろ?)うと思ってます。其様な訳で、本当に日本の美術を並べてある美術館は世界中に無いんです。勿論日本にさえ無いんですから、外国には尚更無いんです。そうして見ると、其意味に於て世界一だと思ってます。何も、規模とか―そう言うのでなく、日本の美術を集めたと言うので、世界一だと思ってます。世界の美術品を色々検討して見ますと、やっぱり美術は日本が一番なんです。仮りに仏像にしても、支那に出来た六朝仏と言って、仏に関心を持つ人は六朝仏を一番貴んだ。それが日本に、欽明天皇時代に渡って来て、それから推古ですね。最初は支那の真似をした。処が不思議な事に、やはり日本的の味を出している。推古から飛鳥、天平、弘仁。鎌倉時代になって非常に―木彫ですね。最初は金銅仏と言って、銅で作って金のメッキをした。それが、藤原時代に木彫りの相当良い物が出来た。それが鎌倉時代になって俄然発達した。鎌倉時代の木彫を――私は近頃仏を研究してますが、素晴しい物です。ロダンなんか足下(元?)にも及ばない。之は世界に知られないですね。素晴しい物です。それは何処にあると言うとお寺ですね。京都、奈良、それから関東にもあります。不思議に、鎌倉で出来た物は京都、奈良にある。国宝になってます。私は一度仏を見に行こうと思ってますがね。近頃はあっちの方のお寺に知合が出来たのでね。知合が出来たと言った処で、仏の為にですがね。是非見に来て呉れと言う処がチョイチョイあるんです。いずれ行く積りですがね。それから日本の陶器ですが、陶器も品には陶器は素晴しい物があります。私も感心しているんです。世界で、陶器は支那が一番ですがね。ロスアンゼルスで、支那の宋時代の展覧会をやるんですがね。宋時代と言うと、今から八百年前から千年前ですね。約二百年の間に、出来たものです。大したものです。私も好きで多少はあります。で、宋時代の展覧会を――やっぱり日本にも勧誘して、十五点日本から送る事になって、この間発送しました。で、宋磁展覧会と言って、アメリカとイギリス人が非常に好きですね。フランスはあんまり―フランスは朝鮮が好きですね。兎に角、支那の宋の物は大したものです。丸で、美術品を講義しているみたいだね。それで、支那の宋時代が、日本の平安朝になる訳ですね。で、平安朝時代にも良い物が出来ましたがね。それから、日本の鎌倉時代に彫刻の良い物が出来たのですがね。支那で言うと、明の時代に入りかけている。明の初期から中期に良い物が出来た。之は、全然宋時代とは違ってね。それで桃山時代になって、明の次の康熙に入って、まあ―相当に良い物が出来ましたがね。そう言った、文化交流時代ですね。それが、支那と日本と大体符号が合っているんです。そんな様な具合で、日本は支那から学ぶと言い乍ら、日本独特の物を出した。日本人の一つの、美術に対する秀れた才能ですね。そう言うものがある。そう言った美術品を見て、研究した結果やはり美術に於ては、日本人は世界一と言って良いんですね。非常に秀れた天才ですね―それを持っている。之が本当に世界的に知られてないから、それをどうしても、私は知らせたいと思いますね。それには日本人が作った良い物を見せる。それよりないですからね。箱根の美術館は小さいですからね。仏教美術迄は見せる訳にはいかないから、将来出来る熱海の大きいのは、仏教美術の良い物を――お寺にある国宝級の良い物を集めて、世界的の展覧会をやりたいと思っている。その為に外国の観光客が、当にして見に来ると言う迄にやってみたいと思っている。兎に角、平和と言う事に対する――今言った様な具合に、美術思想なんかを植えつけると言う事は、非常に良いんです。そんな事にも、非常に金が要りますがね。私は、その金を始終心配している。然し、今迄はどうやら、それ丈の金は集まるんです。箱根の美術館なんかも、始める時は殆ど余分な金はないんです。だからまあ、やって、旨く出来るかどうか、実際おっかな喫(吃?)驚だった。だけども、神様の方では非常に急がれる。だから他の方で調子が良くなって、段々進んでいくので、之は良いだろうと思って始めると――十一月に始めると、十一、十二、一月とスラスラとそれ丈の金は集まった。現金は未だそれ丈ありませんが、申込み丈は大体ね。で、まあ――ホッと安心した訳です。それで信者丈見ると言うそんなものじゃ駄目ですから、誰でも一般的に見られる――そう言う風にしようと思う。丁度地勢がそう言う風になっている。萩の屋の後に門を作ると、教団の方に関係なく、美術館丈見られる。やっぱり神様は地形迄されている。それでまあ、入場料迄とる。二百円位ね。二百円と言うと、一寸高い様ですが、この間ブリジストン美術館ですが、あれが五十円ですね。あれが五十円だとすると、私の方は千円でも安い。品物を見れば解りますがね。油絵は、日本でも見られます。然し、西洋に行っても見られます。今度出来る箱根の美術館は、何処にも見られない物です。それが、一品か二品でなく、沢山あるんだから、どんなに喜ぶか解らないですね。文士連中でも――ああ言うのも非常に待ってます。作家連中でも、とても好きなんですよ。去年の暮あたりに川端康成、吉川栄治、大仏次郎、高見順、武者小路実篤、徳川無声の諸氏等、未だ未だ色々ありますが、来るのを止めてあるんです。美術館が出来たら一ぺんに見せるからとね。今、少しづ(ず?)つ見せてもしようがないからね。徳川無声氏なんか、馬鹿に好きですよ。つい二、三日前に古九谷の良い物を買ったから、一ぺん見て下さいと言ってね。そう言う連中が、期待して待っているんです。だから、始めたら随分来るだろうと思います。本当に良く見れば、半日もかかりますからね、。そこで始終来るより、面倒臭いから――一々入場料やってね。いっそ信者になれば、見たい時に只で見せられるからと、その為に信者になる人も随分あるだろうと思います。それで、信者になっても良いんです。何しろ神様と縁が繋がりますからね。結局段々信仰的な事も解るんです。大体あそこの空気を吸う丈でも良いんです。中々神様も抜け目なくやられます。そう言う様な訳で、着々として色々な設備も出来つつあります。まあ、美術館も大いに役をすると思ってます。
もう少し読むものがありますからね。
(御論文「社会事業と宗教事業」))【註 栄光一四六号】
社会事業と宗教事業
(栄光一四六号)
今日世間を見ると、社会事業と宗教事業とを混同している事に気が附かないようである。尤もこれには理由があるので、それを今かいてみるが、一例を挙げれば、現在キリスト教始め、近頃は日本の既成宗教もそうだが、相当大を成しているものは何れも病院を経営しているが、これは全く信仰では病気が治らないからで、致し方ないといえば言えるが、実は本当ではないと言えよう。もし信仰の方が医学よりも病気がよく治るとしたら、何を好んで病院など造る必要があるであろうかは分り切った話である。
としたら忌憚なくいえば、信仰よりも医学の方が勝っている事を表白している訳で、宗教よりも科学の方が上になる事になる。としたら、今迄拝んでいたその神なり仏なりを片附けてしまい、その代りに神棚へ医師の写真を飾って朝晩拝んだ方がいい事になろう。何しろお医者さんは命の親だからである。
処が本教に限って、如何に膨大となっても病院などは決して造らない事を明言する。この言葉は、現代人が聞いたら大いに吃驚するであろうが、言うまでもなく本教の治病力は医学よりも断然上であるからで、私が医学革命などと常に口にするのも、そういう理由があるからである。
今一つ言いたい事は、現在孤児院、養老院、救貧事業等色々あるが、これ等も私に言わせれば、膏薬張り慈善事業以外の何物でもないのである。何故なればそういう色々な不幸な人が出来るという事は、社会の何処かに根本原因があるからで、その原因が分って、それにメスを入れるのが本当ではあるまいかと思うのである。処が遺憾ながらそれが分っていないので、どうしようもなく相変らず対症的間に合わせ方法を採っているのである。処が本教はそれら一切の不幸の原因が分っているから、着々救いの手を拡げているので、将来地上天国が造られるので、それが本教の使命でもあるから、一時的流れを堰止めるような愚劣な手段はやらないのである。尤もその必要もないからである。
右の事実を知らない人は、何故本教が社会事業に冷淡であるかを訊く事があるから、玆に弁明する次第である。
それから、今度又、松井、鈴木、百海、木原、アザブ、秀月の諸氏が山陰地方に宣伝旅行に行きますが、私に何か書いて呉れと言いますからね。急いで昨夜書いたんですが、それを読ませます。
(御論文「舌に代えて」)
舌に代えて
(栄光一四八号)
今回本教宣伝班が、山陽地方へ布教旅行について、私の原稿が欲しいというのでかいてやったのが、左の論文であって、ここに掲げる事としたのである。 (※ 山陽?山陰?)
私はメシヤ教々主岡田茂吉であります。実は皆さんに直接お話したいのでありますが、そういう訳には参らないので、残念ながら原稿にして読ませますから、そのおつもりで聴いて貰いたいのであります。
そもそも我メシヤ教は、名は宗教でありますが、単なる宗教ではなく、宗教はメシヤ教の一部なのであります。というと大言壮語のようでありますが、決してそうではなく厳たる事実であって、これを具体的に言えば病貧争絶無の世界、すなわちこの世に天国を造るという一大事業であります。そうして読んで字のごとく、病を無くし、貧乏を無くし、争いを無くすというのであるから、丸で夢のような話でどんな人でもそのまま信ずる事は出来ないでありましょう。
ここでまず人間誰もが共通している欲望でありますが、言うまでもなく幸福の二字でありましょう。恐らく精神病者でない限りどんなに欲のない人間でも、幸福はいらないという人は一人もありますまい、昔から宗教も、学問も、政治も、教育も、芸術も何も彼もその目的とするところは、人類の幸福にあるのは余りに分り切った話でありましょう。ところがです、これ程進歩した文化時代になったにもかかわらず、果して予期した通りに幸福を得られたでありましょうか、仮に今人間の一人一人に訊いてみても分る通り、俺は幸福だという人が、唯の一人でもあるでしょうか、実に危いものであります。
皆さん、この事実に直面して考えてみて貰いたい事は、これ程幸福追求のため、永い間一生懸命苦労して来た甲斐もなく、幸福どころではなく反対に不幸に取巻かれているのが今の人間の姿ではないでしょうか。事実一般はいつ大戦争が始まるか分らないという不安、月給取りはこう物価が高くてはやり切れない、商人は金詰りの苦しみ、農民は肥料代、虫害、風水害に悩み、そのため我国は一カ年二千万石も不足し、輸入米の代金千数百億というのであるから大変で、その他一般的税金の苦しみは御承知の通りで、かてて加えて一番厄介なのは病気の心配でありましょう。恐らく病気程恐ろしいものはありますまい。何しろ一つよりない大事な命取りになるからであります。右のごとくザットかいただけでもこのくらいで、どこを見でも不幸は山のようであって、幸福などは影も形も見えない有様ではありますまいか。
以上によってまず考えなくてはならない事は、一体全体人間には幸福というものは、未来永劫得られないものでありましょうか。実にこれ程痛切な問題はないでありましょう。ところが神様の御目的はチャンと決っているのであります。驚いてはいけません。いよいよ幸福に満ちた世界を御造りになる時期が来たのであります。そうしてその構想たるや今までの物質文化の面だけであった世界を、今度は精神文化の面をも急速に向上させ、両々あいまっていよいよ地上天国が出来るのであります。これについて今一つの知らねばならない事は、今まで無神思想がはびこっていたので、これは物質文化を発達させんがためのある期間であったのが、これが打ち切りになって有神思想になるのであります。つまり無神有神の入れ換えになるのであります。そこで神様はまず幸福世界にするには不幸を無くす事が第一で、不幸の最大原因は病気でありますから、人類から病気を絶滅し病なき世界にするのであって、これだけで目的は達せられるのであります。
ここで我メシヤ教の生まれた理由をお話しなければなりませんが、前述のごとく全人類待望の幸福な世界をお造りになるために、主の神すなわち別の御名エホバ、ゴット、ジュース、天帝、仏陀、天御中主神等で、大経綸をなされるので、その担当者として私という人間が選ばれたのであります。そうしてまずメシヤ教という機関を造り、最後の救いを実行されるのであります。しかしこの事は昔からすでに偉い聖者達が予言されてあります。彼のキリストの天国、釈尊のミロクの世、日蓮上人の義農の世、天理教教祖の甘露台の世、ユダヤ教のメシヤ降臨等々がそれで、これも世界に知れ渡っているのであります。してみればこの大事業も来るべき時が来たのであって、今初めて私が唱え出したものではありません。
そこで前申したような、病気を根絶するため、本教は病気治しに最も力を注いでいるのであります。博士から見離された病人でも、本教信者になれば、誰でも治す力を与えられるのであります。この力こそ主神から私を中継ぎとして、信者に伝達されるものであって、これによって病無き世界は必ず実現するのであります。皆さん、このような大きな事を堂々と言う私は、いかに確信があるかを想像してもらいたいのであります。もしこれが少しでも偽りがあるとしたら、必ず暴露して大変な罪を作った事になり、世の中から葬り去られるのは必然でありますから、そんな馬鹿な事はまっぴら御免であります。
以上によって大体お分りになったと思いますが、要するに本教は幸福世界を造る大事業であるとしたら、世界は個人の集合体である以上、まず個人個人を幸福にする事が先でありますから、その通り本教信者になれば一日一日幸福となり、天国的家庭が作られるのであります。これこそ真の安心立命であります。そうして本教程奇蹟の多い宗教は、昔から類例がないとされております。奇蹟の多い宗教程価値も大きいのでこの点からみても分るでありましょう。まだ色々申したい事がありますが、余り長くなるから、今日はこれだけにしておきます。さようなら。
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