二月二十七日

(お 伺) 小島三十皥(みとこ)(五十歳)三男(いさを)(十三歳)昭和二十六年十二月末十時頃寝床より飛起き、手を振り目をむいて「恐い」と言い乍ら母親に抱きつき、苦しみましたので、直ぐに病院に連れて行き鎮静剤を射ち一応収まりましたが、正月過ぎてより咳が激しくなり、一月十七日市立病院にて、感冒との事でレントゲンの結果、胸中央立てにズット白く現われ、縦隔肋膜炎と診断され、家で療養致しておりましたが、再び一月十九日小児科医長の診断で、直ちに入院との事で入院致しました。心臓附近の肋膜故水を取る事が出来ないとの事で離(利?)尿剤、エフエドリン、強心剤、マイシン等の注射を続けました。其頃よりお道の話を伺い、御浄霊を戴く様になりましたが、医者の手を切れませんでした。二月十日妻が入信させて戴き、先生方より御教え戴きましたが、薬を断切る事が出来ませんでした。二月十九日三回目のレントゲンの結果、水を取る為に胸部に注射針二カ所刺しましたが何も出ず、肉腫と言われ、阪大の癌研究所に入院しましたが、食欲はなく衰弱ひどく、苦痛も激しいので、ラジウム、レントゲン等の治療は無理と言われました。もう運命は決しているとの事に即日家に帰り大光明如来様に一心にお縋り致し、御浄霊を戴きましてより、食欲も出、大変楽にさせて戴きました。私は三月二十四日、功は二十五日入信。二十六日御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。只今の状態は、会長先生の御浄霊を戴きましてより御浄化強く、ひどい喘息の様にせき込みますが、中々痰が切れ(にく)く、呼吸困難の発作が頻発します。尿量は多くなり、軟便五回程御座いました。食欲も少し衰え、食しますと後が御浄化強く苦しくなりますので、控えてを(お?)ります。入院以来未だ横臥出来ず、坐った儘の状態で御座います。御浄霊の個所御教示御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 肉腫――誤診だね。少し見当違いをしているな。之は胸の――心臓の附近に毒の固まりがあるんですよ。大したものじゃないですがね。毒の固まりが――旨く見当がつけば、ドンドン治るんですがね。少し外れている。見当がつけば、咳も減って来ます。之は直かに押してみて、こうやってみて、一番暖かい処――熱のある処、そこをやれば良いんですよ。之は大したものじゃないですよ。見当さえつけばドンドン良くなります。医学じゃ、こんな事が解りませんからね。良い加減な事を言って、穴をあけて見たら肉腫だと言う。肉腫はこんな処に出来るものじゃない。肉腫は肋骨に――骨のある処に出来るものじゃない。だから私は、お医者さんに診断して貰うよりか、大工か鍛冶屋に診断して貰えと言う。何故かと言うと、医者は良い加減にやるから、素人がやるより危ぶない。

 「最初に苦しんだのは、何う言う訳で御座いましょうか」

 浄霊の時か、医者の時ですか。苦しみと言っても理由が違いますよ。医者の時か、浄霊してからの苦しみかです。

 「浄霊の前ので――」

 それは、医者は苦しむ様にするからです。医者にかかれば苦しみます。

 「霊的の事で――その場合は霊的で――」

 そうです。霊が来るんです。

(お 伺) 阿部ヒロ(四十八歳)幼少より腹痛にてクミチンキを十歳頃迄常用致し、二十四歳で結婚、二十五歳で女子を分娩。それより病弱にてアルバジル大瓶二本半位服用致し、家が薬種屋でありました為に、其他種々の薬を多量に服用し、ゲンノショウコも二、三年常薬として続けております。二、三年前頃より腰部に御浄化を戴き、一進一退で御座いましたが、昨年十月頃より激しくなり、本年に入り多量の痔出血があり血痰を出しております。最近は体に浮腫みがあり、全身苦しく、痰の出方も困難で御座います。食欲もなく一日に半杯位二回程度で、衰弱も加わって参りました。夜は特に腹が張り眠れません。御神体、御屏風観音様は御奉斎させて戴いております。御浄霊の重点を御垂示御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 アルバジルは悪いですよ。アルバジルで死ぬ人は随分ありますよ。ゲンノショウコも悪いな。然し、この人はよく生きてますね。余程生まれつき丈夫な人ですよ。之丈やって、生きているんだからね。之は、浄霊の重点と言うのはないんですがね、つまり薬毒ですからね。身体全体ですがね。唯、ゲンノショウコ丈はお腹ですよ。然しゲンノショウコの中毒と言うのは、しつこいものですよ。だから、問題は衰弱丈ですね。御浄霊する丈は薬が減って行きますから、それ丈は良くなっていきますが、然し其為に食欲が減ったりするからね。どうしても衰弱するから、それを堪え切っていけば治ります。衰弱で負ければ、どうも危ぶないですがね。で、それは結局薬の分量にありますからね。だから、見当つかないですね。私が薬を飲ましたのなら解りますがね。おまけにゲンノショウコやアルバジルなんてのは、極く(たち)の悪い奴だからね。お腹が張るなんてのは、一旦薬が固まったのが溶けて来るんですからね。まあ、小便の出が良いといいんですがね。お腹と腎臓――ここを良くして――それを主にしてやれば良いんですね。そうすれば食欲が増えますから、衰弱が少なくなるから、まあ――一番良い訳ですね。

(お 伺) 和田フミ子(四十三歳)二十五年十一月発熱し腹に固まりが出来、延髄から後頭部に上って、凝りが激しく、全然食事も入らない状態で御座いましたが、十二月に御救い戴き、夫婦共入信させて戴き、昨年十二月御屏風観音様をお祀りさせて戴きました。半年余り大変健康に暮させて戴きましたが、秋頃から横に寝ると咽頭部が詰る様で、頭に凝って行く気が致しました。二十六年十一月(前年発病と同日)血痰を五勺吐き、それ以来毎日四十度近い発熱が現在も続いております。特に咽頭の廻りに最もある様似思われます。肋間、背部、腰が痛み、ねがい唾が引切りなしに出ます。大小便の排泄は少く便秘しております。御浄霊は毎日続けております。又、次男は四歳で、一週間程患い口から血の固まりを吐いて死にました。実父は腹膜炎、母は脳溢血で急死致しました。この事との霊的関係が御座いましょうか。又何処を御浄霊させて戴きましたら宜敷いでしょうか。尚、昨年十一月頃、町会より貰って天井に貼っていたお稲荷さんのお札を元に返した事が御座いますが、右と関係御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 こう言う便秘は構わないです。どうしても――熱で乾くのと、食欲が減るから、便秘しても構わないです。誰が浄霊しているんですかね。見当違いだね。右と関係――之は関係ありませんよ。之は無論薬毒ですよ。こう言う人は、ここ(頸部淋巴腺)から熱が出ますからね。ここ(頸部)がどちらかが腫れてますから、之を良くやって、その次は延髄のどっちかが腫れてますから、それをやって、それで熱は減りますがね。若し減らなかったら、浄霊に力が入るんだ。力を抜いて、そこをやれば、熱は段々減って、それで治っていきます。大したものじゃないね。肋間、背部、腰―之は、其処をやれば割合に簡単に治っていきます。

(お 伺) 赤田修吉(御教え集第三号P29お伺)足がフラフラで歩行も困難となり、視力が非常に弱り物が見え(にく)くなりました。二十日程前に歩いた拍子に倒れ、その後全身浮腫み、全身がだるくなりました。祖父、父、母、当人共入信させて戴き、光明如来様は一昨年十月より階上床の間に御奉斎させて戴いております。祖父は三十年前より黒住教信者で、今でも階下に出雲大神、天照皇大神、秋葉神社の軸を掛け、祠には黒住教と鹽竈神社の御神体をお祀りしてを(お?)ります。未だ、黒住教に対する執着が取れず、月次祭にもお詣り致して居ります。この事は霊的に関係が御座いましょうか。曾祖父の兄弟で行方不明になっている者があり、祖父の妹が水死(小(子?)供と二人自殺)しております。或る本教信者で霊の見える方が、近所(他人)の亀吉の霊が頼っているからお祀りすれば良いと言われますが、未だ祀らずにありますが、やはり祀らねばならないもので御座いましょうか。右の事は霊的関係が御座いましょうか。

〔御 垂 示〕

 蛇――大いに関係がありますね。之は悪いですね。近所(他人)――他人なら祀らなくても良いんですがね。頼っていると言って――そうしたら、祝詞を奏げてやれば結構ですよ。そうして光明如来様に、救って貰う様お願いすれば、それで良いです。之は霊的関係があるな。歩行――之は、蛇の霊が憑っているんですね。蛇の霊が憑ると足がフラフラになるんですよ。歩けなくなるのがあります。視力が弱るのも蛇ですね。之は、良く光明如来様にお願いして、早く――殺した蛇が人間に生まれ変って来る様に、それをお願いすると良い。生まれ変ると言う事が、一番良いんですがね。そうすると、却って蛇は有難くなるんですよ。殺されて却って感謝する事になる。それを良くお願いするんですよ。それから、黒住教ですが、之はやっぱり祖父と言う人が自分から、メシヤ教信者になって、黒住教の御神体を処分したいと言う気持になってからでなければいけないですね。少しでも執着のある間は処分してはいけないですね。然し、こう言う事も障りになる事はあります。一家の中で、明るくなったのに、一部分暗くなっているのでね。之も幾らか頼っている様ですね。全身の浮腫みなんてのは、この霊が――水死の霊が憑ると浮腫みますからね。やっぱり人間の霊が憑っても――一つでなく、二つも三つも憑る場合がありますからね。然し、之は仏様を祀ってあるんでしょう。

 「左様で御座います」

 之は救われたくて憑るんですからね。悪意で憑るのではないからね。

 「水死の方は祀ってないそうで御座います」

 それはいけないですね。早く祀らなければ――早く祀りなさい。そんな事で治る訳ですがね。黒住教の御神体は下に祀ってあるんでしょう。大した事はないですね。光明如来様は二階でしょう。それなら大した事はないね。

(お 伺) 高柳龍子(三年前入信。三十七歳)昨年十二月四人目の出産を致し、御守護により安産でありましたのと、従来の習慣にて、其日より便所に通いました。翌日の御教えに産後の御注意を戴きましたので早速お伝え致しましたが、大して気にも止(留?)めない様子で御座いました。四日目に頭部に激痛を覚え、頭が割れる様で十日間続き軽くなりました。産後にも関わらず腹部が膨張し尿量も少なく、遂に全身に浮腫みを生じ、血痰を激しく吐き呼吸困難を起す様似なりました。二回目の呼吸困難があり、御浄霊戴き楽になりましたが、全身的浮腫は取れません。三回目に及び、全身浮腫は以前より甚だしく、特に腹部はパンパンに膨れ下りました。一月末大光明如来様を御奉斎させて戴きました。三カ月に及びますが、変化が御座いませんのは御浄霊の急所が違っているので御座いましょうか。又霊的に関係が御座いましょうか。尚、姑が入信後亡夫(金光教と禅宗の両方で祀っております)の慰霊の為に金光教会にお参り致しましても差支え御座いませんでしょうか。

〔御 垂 示〕

 之はいけないな。こんな習慣なんてあるやしないですよ。之は、この人の習慣ですよ。尤も、人の道の信者はやりますが、之は嘘ですよ。こう言う事は以前から言ってありますがね。書いてありますがね。一週間は絶対便所に行ってはいけませんよ。頭が割れる様――言う事を聞かないからだ。金光教会に――差支えありませんよ。亡夫は信者だったんだからね。或いは、未だ金光教に執着があるかも知れないからね。お詣りしても良いし、しなくても良いし、任意で良いですがね。之は霊的じゃない。大して気に止(留?)めない――之は、その通りやらなかったんですか。

 「致して居りません様で御座います。前三階が非常に楽なお産を致しております為に――」

 その為です。そのお詫びですよ。それを本人が心からお詫びすれば、それで治りますよ。浄霊は結構だけれども、そのお咎ですよ。信者になった以上―じゃない、メシヤ教の浄霊で救って貰った以上――つまり私のやり方を言って、その通りやらなかったら救われっこないですね。だから、そのお詫びをするんです。頭に激痛――之は、祖霊さんが戒告したんです。それでも気がつかないんでお腹が膨張したんです。それで治る訳ですがね。本人が心からお詫びしなければ駄目ですね。

【御 教 え】

 「結核信仰療法」の、次を今日は読ませます。

 (御論文「医学が結核を作る」)

医学が結核を作る

(『結核信仰療法』より)

 標題のごとく、結核は医学が作るものであると言ったら、何人も驚倒してしまうであろう。事程それ程医学を信じ切っているのが現在の社会である。そうして序文にもある通り、私は二十余年以前結核医学の盲点を発表したが、その当時は言論の自由がないため、思い切ってかく事が出来ず、かなり加減してかいたので、不徹底は免れなかったし、その頃は今日程結核問題もやかましくなかったから、それでもよかったが、今日はどうであろう。衆知のごとく事実は国家の最大問題となっている。今年から行う事になったという結核に対する施設及び、その他の国家的負担は千億に近いというのであるから、民間費用を合算したなら、実に驚くべき巨額に上るであろう。そこで深く考えてみるべきは、なぜこのような事態に立到ったかという事である。もちろんこの問題に対しては余程以前から政府も専門家も大わらわになって、あらん限りの対策を練り努力しつつあるにかかわらず、今もって見るべき成果がなく、近来相当減ったとしているが、これはB・C・Gやストマイ等の新薬が出来たため、一時的発病の勢いを挫いたまでで、根本的でないことは医学でも認めている。何よりももし今までの対策が当を得ていたとすれば、結核問題はとっくに解決されていなければならないはずであるのに、事実は前記の通りである。としたらそこに何らか割切れない大きな誤りがあるに違いあるまい。ところが医学はそこに気付かないのである。しかしながら喜ぶべし、いよいよ私によってその根本原理が判明し、全治の方法をも完成した以上、人類にとってこれ程大きな救いはないであろう。無論この原理に従えばこの難問題も容易に解決され得るからである。

 ところでここで厄介な事は、以上のごとき大発見を知らせるとしても、体験者以外直ちに信じ得る人は、ほとんどないであろう事である。ただ驚きの眼を瞠るか、あるいは見逃してしまうかも知れないが、この著にかいてあることごとくは絶対真理である以上、読むに従って納得され、翻然眼を醒ます人も相当あるであろう。

 さていよいよ本論に取り掛るが、そもそも人間は誰でもオギャーと生まれるや、例外なく先天性毒素を保有していると共に、生長するに従い、大多数の人は後天性毒素をも追加する。これは別項に詳しくかく事として、右の両毒素こそ結核の真の原因である。今一つ重要な事がある。それは人体における自然良能力の活動である。それは一秒の休みもなく、不断に浄化作用が行われている事である。浄化作用とは体内にあるあらゆる毒素の排除作用であって、この過程をかいてみるが、元来右の両毒素とは、血液中に含まれているというよりも、充満していると言った方がいいくらいのいわゆる濁血である。ところがこの濁血に対して浄化作用が発生し、それによって毒素分は分離し、毒血または膿となって体内各局所に集溜する。その場合主に神経を使う箇所に限られているので、人間が神経を使うところといえば、上半身特に首から上で、頭脳をはじめ、目、耳、鼻、口等であるから、そこを目掛けて集溜せんとし、一旦その手前に固結する。いかなる人でも頸の周囲を探ってみれば、淋巴腺、延髄部、扁桃腺等の部に必ずそれがあり、微熱もある。するとこの固結がある程度に達するや、自然浄化作用が発生する。この浄化作用こそいわゆる感冒であって、感冒に罹るや発熱が先駆となるが、これは右の固結を出易くせんがための熱で、この熱によって溶解し、液体化したものが喀痰であり、鼻汁であり、盗汗、濃い尿、下痢等であるから、感冒とは全く体内にあってはならない汚物の排除作用である。その結果濁血は浄血となり、健康は増すのであるから、感冒とは実に貴重な生理作用であって、神が人間の健康保持のため、与えられた一大恩恵である事は余りにも明らかである。それがいつの頃どう間違えたものか、逆に解釈したのが、今日までの医学の考え方であった。それがため「風邪は万病の基なり」などと言い恐るべきものとされ、感冒に罹らないよう注意するとともに、罹っても色々な手段をもって、毒素排除を停めようとする。すなわちせっかく溶けかかった毒素を元通りに固めようとする。この手段こそ実は結核の原因となるのである。

 これを一層詳しくかいてみると、まず感冒に罹るや、その症状としては前記のごとく、咳嗽はじめ種々の苦痛がおこるが、その中での特に重要なものが彼の喀痰である。これが口から排泄されようとし、一旦肺臓内に入り咳というポンプ作用で吸い上げ、咽喉を通って出るのであるから、そのまま放っておけば順調に排毒作用が行われ、血は浄まり、治るべきものを医学は逆解して、飛んでもない間違いをする。それは痰を出さないようあらゆる手段を用いて、肺臓内に固めてしまうのである。そうすれば病気症状は消えるから、それで治ったものと思うが、何ぞ知らん一時的固めたもので、本当に治ったのではないから、日が経てば再び風邪を引く。もちろん残りの毒結に浄化がおこるからである。その際医診を受けると、肺の中に残っている痰の固まりが、レントゲン写真に映るので、ここに結核の初期と診断するとともに、前の時肺の外部すなわち肺膜や肋骨付近にも固まりを残すので、それが溶けはじめ外へ出ようとし肺に侵入する。これを医診は肺浸潤と言い、肺の上部の場合肺門淋巴腺、または肺尖カタルというのである。これによってみるも、最初感冒の際毒素を出さないよう固めて、結核の種を蒔いておいた訳である。それだけならまだいいとして、これからが大変である。

 右のごとく結核の初期、またはその他の診断をされても、放っておけば二度目は少々日は掛るが必ず治るべきものを、医療はまたしても固めようとする。絶対安静、服薬、注射、湿布、氷冷等々がそれである。何しろ身体自身は、毒素を排泄しようとするのを、医療は飽くまで固めて出さないようにする。つまり治ろうとするのを、治さないようにする訳であるから、何と驚くべき間違いではなかろうか。

 ここでなぜ浄化作用なるものがおこるかというと、前記のごとく人間は体内に毒素があるだけは弱体で充分な活動が出来ないから、感冒は言わば自然の摂理である。という訳で人間活力が旺盛であればある程発り易く、青少年に多いのもその理によるのである。従って浄化を停止し弱らせるに限る。弱っただけは病気症状は減るからで、これを医学は治るものと誤解したのである。医学の療法が徹頭徹尾衰弱方法であるのは、この事を知ってみればよく判るはずである。見よ絶対安静を最も奨めるが、これ程弱らすものはない。今仮に健康者を何ヵ月もの間絶対安静にしてみるがいい。運動不足、食欲減退、無聊(ぶりょう)等で元気は喪失し、必ず痩せ衰えてしまう。ましてや結核患者においてをやである。しかも薬剤はもちろん、種々の衰弱療法をも行うとともに、精神的には前途に希望を失い、絶えず死の恐怖に脅えており、近親者も寄りつかず、毎日毎日天井を見詰めているばかりか、仕事も禁じられているので、経済的不安もいよいよ募り、それやこれやで漸次悪化し、どうにもならなくなる。というのが一般結核患者のたどる道程であろう。

 以上によってみる時、医学の誤謬の中心は何といっても病気症状についての誤った解釈である。それは医学は苦痛そのものを病気の本体としているから、苦痛を無くす事が病を治す事と思い、ただ苦痛を減らす事のみに専念し発達したものであって、これがそもそも誤謬の根本である。ところが本当は苦痛そのものは病の治る作用でプラスであり、喜ぶべきものである。というようにその考え方が反対であって、すなわち医学の方は浅く、吾々の方は深い訳である。しかし苦痛といっても必ず峠があって、その時だけを我慢して越してしまえば、後は漸次快方に向かうのが原則であるから、苦痛も左程長いものではない。これについて医師はよく手遅れなどというがこれも反対で、手遅れになっただけは治るので、むしろ放っておけばなおさらよく治るのである。それを逆解して早く手当をするから治らなくなる。つまり人体は治ろうとするのを、医療は治さない手段であるから、この摩擦が快くなったり、悪くなったりして(こじ)らしてしまい、ついに慢性となるのである。この理が分れば発病の場合放っておくに限る。そうすれば順調に浄化が行われるから、はなはだしい苦痛もなく容易に治るのである。ゆえに医学の進歩とは病気を治す進歩ではなく、治さない進歩であり、単なる苦痛緩和のための固め方法の進歩でしかないのである。何よりも医師は治すとは言わない。固めるというにみても、うなずけるであろう。

 ここで早期診断についてもかかねばならないが、これも実は結核増加に拍車を掛ける方法なのである。それについてさきに感冒の浄化停止をかいたが、そのような訳で現代人は残らずと言いたい程肺の内外に毒素の固まりがあるから、大抵な人は常に緩慢な浄化が起っている。微熱、だるさ、軽い咳、食欲不振等がそれでこれらも放っておけば長くは掛るが必ず治るのに医学は早期診断を行い、レントゲン撮影によって溶けかかった肺臓内の痰の固まりが雲翳(うんえい)となって映るとともに、前記のような軽い症状もあるから、ここに結核初期の烙印を捺すのである。そこでまず絶対安静を始め色々な浄化停止を行うが、取り分け薬剤を主とするため、これが毒素の原料となり、この毒の浄化も加わって漸次悪化しつつ本物の結核患者になってしまうのである。

 そうして早期診断の方法として、ツベルクリン注射を行うが、その結果陽性でも陰性でも警戒の要ありとする。この理は陽性とは浄化力が旺盛なためであり、陰性とは反対に微弱のためであるが、医師はどちらもB・C・Gの接種によって発病を止めようとする。発病さえしなければそれで済むと思うからで、その際患者にむかって、一、二年は余り過激な運動をせず、なるたけ静かにせよと戒めるが、これは浄化をおこさせないためである。といっても人間はいつかは必ず浄化が起るように出来ているから、普通の生活をし、仕事をするようになると浄化発生する。これが発病または再発である。という訳で近頃の流行薬の効果はそれであって、ただ発病の時日を延ばすだけである。この証拠として最近本教団の信者で、米国駐在の宣伝員からの報告によると、同国においても近来急激に結核患者激増し、昨年度の死亡率は、他の病気の総計よりも、上廻っているという事であるから、現在結核は同国死亡率の第一位を占めた事になり、私の説を裏書している。

 右について左の新聞記事はよくそれを物語っているにみて、ある程度医学でも分っているのである。

 昭和二十七年二月五日付読売新聞に掲載の記事

「化学療法の手段」

東京慈恵医大教授 医博  片山良亮

 ストレプトマイシンその他の化学療法剤の発見は、従来の治療に大きな変革を来さんとしているが、マイシンでも結核の牙城を揺がす事は出来ない。マイシン治療を行っている内に、結核菌が次第に抵抗性を得て、効果を減滅するからである。その抵抗性の獲得は六~九週以上の投薬の持続によって発生するが、その間に結核菌を絶滅する事は出来ない。だがマイシンを使えば病状は急に著しく回復するが、結核菌は消失しないから、その中止によって再発の危険がある。そこで現在の研究はその事実を、いかに補うかという事になる。――(後略)

(御論文「結核は感染しない」)

結核は感染しない

(『結核信仰療法』より)

 結核が医療によって作られる経緯は、前項までに詳しくかいたが、その原因は結核菌感染によるとは医学の定説となっているが、私の見解によればこの説こそ大変な誤りである。それは彼のパスツールの伝染説を医学は採用したからであろうが、私はその反対に自然発生である事を断言するのである。今それを詳しくかいてみるが、最初感冒の際、喀痰を肺臓内に固めた結果、時日を経るに従い、結核菌は痰中に自然に湧くのである。というのはいかなるものでも、不潔物には必ず微生虫が発生するのは物質の原則である。としたら痰は不潔物であり、しかも体温という好条件も加わる以上腐敗もし、微生虫の湧くのは当然である。

 ところが医学の感染説であるが、この考え方は肺胞に菌が付着して繁殖し、空洞(うろ)を作ったり、病竃(びょうそう)を作ると思っているのであろうが、もしそれが本当とすれば、無菌結核は何が原因であるかという事である。だがこの答えは簡単である。すなわち無菌結核とは前記のごとく、肺臓内に固めた痰に菌が湧く程、時日が経っていないからである。と言うだけで分るであろう。それはとにかくとして、結核菌は果して感染するものであるか否かは、理屈よりも事実で示す方が確実であろう。すなわち私の多年の実験によっても明らかなごとく、私は二十数年前結核非感染の原理を知ってから、まず私自身を試験台とした。それは重症結核患者である一婦人の唾を、口移しにして試したのである。それから二十数年を経た今日、他の病気はしたが、結核的のものはした事がない。また私の家庭内にはその頃当歳(とうさい)から十五、六歳までの私の実子六人いたが、いつも二、三人の結核患者の女性を私は治療してやりながら、女中として同居させていた。その数今日までで十数人に及んで二十年以上になるが、その間治って帰宅した者と、新規の者とが交替しつつ、現在でも二、三人はいるが、今日まで結核どころか病気で寝る者すら一人もないのである。もちろん最初から消毒などは一切せず、家族同様に扱っているのであって、右の六人の子供の内四人はすでに結婚して、孫も数人出来ており、全部素晴しい健康である。また私の非感染説は、数十万の信徒にも教えており、信者は絶対に信じその通り実行しているが、結核の治った話は数限りなく聞くが、感染した話など一人も聞いた事がない。としたらこれ以上確かな証拠はあるまい。ゆえに万一今後一人でも感染する者があるとしたら、それこそ信ずべからざる一大奇蹟である。

 しかし医学が結核感染説を唱え出した事にも理由はある。たとえば一家庭内で一人が結核で死亡したとする。そのため後に残っている誰もは極度に結核を怖れると共に、医師の注意もあり、感染しないよう出来るだけ用心をする。それには何より風邪を引かないようにする事だが、万一風邪を引いた場合、早速医師に診て貰う。医師もまた結核死亡者のあった家は、疑いをもっているので特に注意し、入念に治療する。ところが医療は結核製造法であるから、結局本物に仕立上げてしまうので、その状態をみればどうしても感染としか思えないのである。ところがそれを裏書する一事がある。というのは注意をする人程感染し易く、そうでない人程感染しない例で、これなども医師は常に経験するところであろう。その他の原因としては、結核で死んだ霊が兄弟や夫や妻などに憑依して、原因となる事も少なくないが、これは唯物思想の人には信じ難いから、この説明は省く事とする。

 右のような訳で、医学は菌のみに囚われ、菌の感染を防止すると共に、殺菌方法が完成さえすれば、それで解決すると思う末梢的考え方で、これこそ根本に触れていない以上、治らないのは当然である。次にこれを詳説してみよう。そもそも菌といえども偶然降って湧いたものではなく、湧くべき条件と、湧くべき物質があってこそ湧くのであるから、その点が明らかにならない限り、病気の本体は分るはずがないのである。という訳で現代医学の菌に対する解釈は、菌その物だけに囚われ、菌の発生源にまでさかのぼっていないのであるから、幼稚極まるものであって、このような学問程度で人間生命の神秘を探ろうなどとは無理であって、これで結核問題の解決など前途遼遠と言わねばならない。それがため幾億万の生霊が、無期限に(いたず)らなる犠牲となるのであるから、実に由々しき大事件である。ところが私は神示によってこの真相を知った以上、一日も早く天下万民に知らせ、結核から解放させるべく、この著をもって警鐘の第一声とするのである。

 今の風邪の原因や何か、少し堅苦しく書いてありますから、解り悪いと思いますが、解り易い様似くだいて書いてあるんですがね。

 (御論文「体内の入浴」)【註 栄光一四七号】

体内の入浴

(栄光一四七号)

 私は現代医学の誤謬を常にかいているが、何しろ今まで長い間病気は医者と薬という事に決まっているのであるから、吾々の言う理屈はなるほどと分かっていても、思い切って実行する事が出来ないのが、大抵な人の想念である。だからそういう人達のために、出来るだけ分かり易く、ここにかいてみようと思うのである。

 それについて一番判り易い病気としては、何といっても風邪であろう。そうしてまず風邪を引くやイキナリ熱が出て、咳や痰、くさめ、水ッ洟、頭痛、節々の痛み等の苦しみがおこるので、早速お医者に診て貰う。ところがここに問題がある。誰しも風邪くらいと思っている半面、ウッカリすると、どんな事になるか分からない、あるいは大病の始まりかも知れないという心配が頭を持ち上げてくる。そこでお医者の言う通りにして治まるのを待っている。また人によってはアスピリンや葛根湯(かっこんとう)を煎じて服むとか、御手製の玉子酒、蜜柑の黒焼きなどを呑んで、ウント蒲団を被り、真っ赤になって汗を出すやり方である。また懐の温かい臆病な人は、そんな姑息(こそく)な方法は出来ないとして、手遅れになっては大変だ、それこそ取り返しがつかないと、普段から信用しているお医者に馳けつける。そこで色々お医者に訊くが、何しろ風邪の原因すら分かっていない医学の事だから、ハッキリ説明が出来ないので安心は出来ない。それもそのはず、お医者自身でさえ肚の中では、あるいは肺炎になるかも知れないという懸念もあるからで、そこでまず安静第一と、精々御大事にしなさいくらいの御座なり的言葉なので、心細い事おびただしい。といって外にどうしようもないから、ビクビクもので、一日中体温計と首ッ引きであるのを、吾々から見れば実に滑稽至極である。

 ところがいつも言う通り、風邪くらい結構なものはないので、体中のどこかしらに溜っている毒の掃除であるからで、すなわち熱のために溶けた痰や水ッ洟、汗などが出るだけ出れば治ってしまい、後はサッパリして健康は増すからである。つまりロハで体内の掃除が出来るのだから、こんな有難い話はないではないか。これをたとえてみれば、入浴は外部の清潔法で、風邪は内部の清潔法と思えばいい。つまり皮膚に溜った垢を落すのと同様体内に溜った垢を落すのである。だから痰や鼻汁、汗も垢である。もちろん皮膚は人間の手で洗えるからいいが、腹の中はそうはゆかないが、自然は有難いもので、風邪という方法で洗い落されるのだから、何と造物主という神様が巧く造られたものではないか、としたら実に風邪様々である。だから出来るだけ風邪を引くようにすればいいので、これがまず一番の健康法である。つまり神様の造った健康法である。従ってこの理屈が分かっただけでも、心配は半分以上減ってしまうのは当然で、反って手当などせず放っておくに限るので、それでとても順調に治るから、今度風邪を引いたら試してみればよく分かる。しかも体内が清まる以上、その後は段々風邪を引かなくなる。ところがそんな簡単な理屈が今日まで分からなかったという事は実に不思議で、人間くらい愚かなものはないと私は思っている。という訳で風邪を無暗に恐れ、引いたが最後余計な金を使い、仕事もせず散々苦しんだあげく、結核などになるのだから、憐れなる者よ汝の名は人間也と言いたいくらいである。そればかりではない。ここに問題なのは薬である。前記のごとく体内の清潔法を逆解して停めようとするのが医学であり、そのため用いるのが薬と称する毒物である。およそ世の中に本当の薬というものは一つもない。強いていえばまず米の飯であろう。これは人間が生きてる以上、一日も欠かす事が出来ないからである。だから今日薬といって有難がっているものはことごとく毒であって、毒の力で治るのを邪魔するのだから、これ程間違った話はあるまい。ではどうしてそんなに間違ったかというと、清潔作用の苦しみが薬で一時楽になるから、それを治るものと錯覚してしまったからである。とすれば薬というものは全く禁断の()の実であろう。

 ところがまだ大変な事がある。それは薬毒は体内へ入ると大部分は残ってしまい、何年、何十年経っても外へ出ないで、体内各局所に固まってしまうのである。それに清潔作用が起こる。それが風邪であるから、そのまま放っておけば必ず治るものを、わざわざ薬で(こじ)らし余病を作ったり、悪化さしたりして、命までもフイにするのだから、あきれて物が言えないのである。こうみてくると病気の因は全く薬毒であるから、人間は薬を廃め、出来るだけ風邪を引くようにすれば、年中無病息災となり、長生きする事請合である。

 このような素晴しい人類の誤りを私は発見し、しかも浄霊という薬毒排除法まで教えるのであるから、私の事業たるや、いかに大きな救いであるかが分かるであろう。私の唱える病貧争絶無の地上天国を造るなどと、偉そうにいうのも、まんざら法螺でない事が肯かれるであろう。

 それから、再軍備の問題が大分喧ましく言われているので、一寸書いて見たんです。

 (御論文「再軍備に就て」)

再軍備に就て

(不明)

 この間、アメリカの美術館を視察して来た人の話を色々聞いたんです。此人は、講和会議の時にサンフランシスコの展覧会の時の係りの中心になっていた人です。之は繭山という人で、支那陶器専門の商人ですがね。この人はそう言う方面では有名な人で、信用出来る人です。その人があっちの美術館の、色々な写真や図録――そう言う物を持って来たんです。すっかり見ましたが、どうもあんまり感心した物はないですね。支那陶器と――陶器ですね。それは相当良い物がありました。日本にない様な良い物も若干ありました。だから、日本の美術なんて幾らもないです。偶々あれば殆ど贋物ですね。写真でも偽物が解るんですからね。私は聞いて見たんです。日本の美術品で一番良いのはなんですか――アメリカでね。之はニューヨークの美術館ですかね。之がアメリカでは一番凡ゆる方面を備えてあるんで良いんだそうです。で、ボストン美術館にある藤原時代の平治物語と言う巻物――三巻あるんですが、その内一巻丈――先の、岡倉天心が顧問になって、日本の主に絵画の良い物を集めたんですがね。それでも、岡倉先生のは現代物が多くて、古い物はあんまり無いんです。その次の人が富田幸次郎で、今から三十年位前に、平治物語の三巻の中の一巻丈を売ったんです。その当時で十四万五千と言うんだから大したものです。それが、アメリカにある日本の美術品で一番良い物です。非常に貴重な物で、不断はそこに幕をかけてあるんです。それは少しでも光線が当ると、それ丈退色すると言う懸念からそうしたんです。それで其処に行って、見たい人は一々頼むと、(きれ)を取って呉れて、見て了うと直ぐ元通り布で隠しちゃう。と言う様な、それ程丁寧に扱っている訳ですね。今の平治物語は、日本では一番良い物じゃないんです。日本で一番良い物は天平時代に出来たものですね。今のは、藤原時代ですから八百年前ですね。天平に出来た因果経と言う巻物は、千二百年位経っているんですがね。で、因果経は今は切ったんです。お経が全部で二百三十何行かあるんですが、五十四行宛に三つ切って、あとは十行、五行、三行位に切った。之は、日本に於る絵巻物では最高の物です。その次が伴大納言と言う人の画いた絵巻物で、その時代の風俗を画いてある。之も良い物です。酒井家にあるので、三巻ある。その中の一巻を、頼んで出品して貰おうと思う。その次が、博物館で持っている地獄絵巻と言うのがありますが、之は、今のアメリカの平治物語の一部なんです。そうして、そんな様な具合で、日本の美術品を非常に憧がれている。この間のサンフランシスコの展覧会の時なんか、あれを見て非常に驚いちゃった。あんな良い物を、未だアメリカの人は見た事がないんですね。それで今年も是非ニューヨークの美術館でと、多分今準備していると思いますがね。今ロスアンゼルスで支那陶器の展覧会をやってますがそれが済んだら、日本の絵画をやるんです。処が、去年のサンフランシスコの展覧会のは、博物館で見ましたがね。一級品は殆どない。二級品か三級品ですからね。それですらアメリカの人は憧がれるんですからね。如何に日本美術に関心を持っているかと言う事が解るんですね。で、そんな訳で、この間も言った通り、日本には日本美術と言う物は、見る機会がなかったんですからね。見る機会がないと言う事は、終戦迄は、みんな良い物は――名品は財閥の土蔵の中、旧大名――そう言う倉の中に仕舞い込んであって、見せないのを良いとしてあった。だから偶々見せると言っても、自分達の好きな仲間とかに、自分が持っている物の中から、良い物を偶に見せる位なもので、一般人が見ようと思っても、到底見る事は出来ない。それが終戦になって、ああ言う階級が没落したりそれにもっていって、財産税や何かで、どうにもしようがなくなって、ああ言うのを出した訳ですね。私は特殊な物丈は手に入れましたがね。そう言う訳で、今迄是非見たいと――聞いたり、目録等で見たりして知った人が、見たいと思っても、中々見られなかった。そう言う物を今度の箱根の美術館に相当並べますからね。みんな相当喜ぶだろうと思います。外人でも、日本美術はこんなに良い物かと言う事が解ると思います。この間のサンフランシスコの展覧会と言っても、仏教美術が多いんです。やっぱり一部の人しか解らないですから、一般には理解が出来ないですね。それから桃山時代の屏風なんかが出来ましたが、大分アメリカ人なんか大騒ぎをやりましたが、之もそう良い物じゃなんです。名人の傑作と言う物じゃないんです。光琳の屏風の白地のあっさりしたのがありましたが、之も大した事はない。あとは、日本の陶器や蒔絵なんかは殆ど見るべき物がなかったです。そんな様な具合で、今度の箱根の美術館は――何しろ狭いからね。種類を多く並べられないので、いずれは熱海に大きいのを拵えますが。之なら沢山並べられると思います。だから、種類はたんとないが、良くも之丈集められたものだ、と言う丈の評判は得られると思うんです。未だ色々話たい事がありますが時間がなくなったからね。

 

 

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