(お伺) 今井静江(昭和二十五年十二月入信。三十二歳)十九歳の時、風邪が因で急に腰が抜け、小児麻痺と言われ、色々と医療を致しました。十三年間完全な躄となって居ります。御浄霊は一カ月に二、三回位戴いております。アパートで御座いますので、千手観音様を御奉斎させて戴く事になっております。十三年間電気、薬剤を少なからず使用いたしております。時々御浄化を戴いて居りますが、腰は未だ立ちません。御浄霊は後頭部より頸、肩、腰、足の附根、膝の裏、足の裏等、自分で出来る処を致しております。御浄霊の急所御教示の程御願い申し上げます。尚右の足首より膝迄副木して、松葉杖を使用して五、六間は歩けます。
〔御 垂 示〕
十九歳の時に小児麻痺ですか。之は、小児麻痺じゃない。娘麻痺です。どうも躄の完全じゃ、余りね。急所は膿の固った処ですから、自分で押してみれば、痛いか熱があるか、どっちかですから判りますよ。それが急所です。それから、あとは自分で頭をやって――それ丈ですね。
(お伺) 本年十八歳の男子。三年前より排便の前に必ず粘液と出血を致し、種々の服薬、注射を致して一年程前アミーバ赤痢で直腸全部に腫瘍が出来ていると診断され、本年二月入院手術する処を御浄霊を戴く様になりました。十日間余りはお腹にガスも溜らず、出血、粘液も少なく、食欲も増し少し元気も出て参りましたが、其の後出血、粘液が増し、其の他の状態も、御浄霊以前の様になり、二十日間余り続き今日に至っております。尚ストレプトマイシン、クロロマイセチン、止血剤及び多量の注射、服薬を致しております。血色は非常に悪く青白く致しております。御浄霊の急所、アミーバ赤痢、潰瘍の原因に就き御教示御願い申し上げます。
〔御 垂 示〕
粘液と出血は―之は非常に結構です。こう言うのは喜んで打擲らかして置けば、とうに治っちゃったんです。之を、悪いと思って医者にかかる。医者も悪いと思って服薬、注射する。それが悪いですね。潰瘍―之は嘘だ。こう言う事は絶対ない。お医者さんは解らないんだからね―病気がね。解らないと言えば、信用に関わるから、解ったふりをする。之が悪い。尤も、解らないと言えば、商売に関係するから、止むを得ず嘘を言う。商売の嘘ですね。アミーバ赤痢なんて、打擲らかして置けば治る。潰瘍なんて、薬で作るんですから、薬さえ飲まなければ治るんです。之も打擲らかして置けば良いんです。浄霊の急所は、之(後頭部)が因ですからね。ここ(後頭部)に固まりがありますから、ここを浄霊すれば良い。之も放ったらかして置けば治るんです。こんなのは病気のうちに入らないんです。医者に行って大きくして、新しい病気を造って貰うんで、実際大変な話ですよ。ストレプトマイシン、クロロマイセチン、止血剤――こう言う事をやっているから、この薬毒がいずれ、何処かに現われますから、それを前以て覚悟していたが良いですね。微熱とか下痢とか嘔吐とか、そう言う事がありますから、そうなったら喜んで良いんですからね。
(お伺) 岡部郷子(昭和二十四年九月入信。十八歳)七歳頃より夜尿症となり、「大きくなるに従って次第に治る」と言われましたが、余り医療は致しておりません。先天的弁膜症で、心臓発作症状は御座いませんが、殆ど医師の手の切れた事は御座いません。成長するに従って次第に悪化し、灸や祈祷を致しましたが、一向に良くならず、お道のお話をお聞きし入信させて戴きました。二十五年四月に「どうやら一人前になるには数年かかり、赤ん坊の霊が憑依している」との御垂示を戴いております。其後私に憑依(両親の従兄の子)し祀って貰いたいとの事で、私の家に祀ってあります。入信当時は殆ど毎晩尿を漏らしておりましたのが、最近は春秋の一カ月の中十日位良く、夏は半々で、冬は七日位良くあとは悪いと言う状態で御座います。御浄霊の急所に就き御教えの程御願申し上げます。御神体、御屏風観音様は御奉斎させて戴いております。
〔御 垂 示〕
医者の手が切れなかったから悪化した。切って了えば、とうに良くなっている。急所は前頭部の中ですね。その次は頸の廻り、それから股――鼠蹊部ですね――少し上の方ですね。つまり尿道括約筋ですね。そこに毒があって、押しているんで、短かくなっている。そこが急所ですね。その次は腎臓です。その位で良いですね。之は、気長にやれば段々治りますね。こう言うのは、何年もかかるものですね。
【御 教 え】
結核信仰療法の続きを読ませます。
(御論文「結核附随病」)
結核付随病
『結核信仰療法』より
前項までに結核の本格的症状について説明したが、それ以外結核に付き物とされている症状等についても一々解説してみるが、大体として、(一)不眠、(二)肥らない、(三)微熱、(四)食欲不振、(五)便秘、(六)下痢、(七)血沈、(八)胸痛、(九)息切れ、(十)新薬等でこれだけ知ればまずいいであろう。
(一)不眠の原因は右か左かの延髄部に、必ず毒結があり、これが脳の血管を圧迫するから、前頭部内に貧血を起こすためである。それが不眠の人は右側に多いもので、左側の方だと不快感、朦朧感等が多く、その他としては何といっても病気不治の心配と、運動不足のためである。
(二)肥らない原因は、結核のみに限らないが、これは肩と後頭部の毒結が主である。そこを圧すると非常に固く、骨かと思う程なのもあるし、そこに微熱がありよく分るが、これが食欲に大いに影響する。従ってこの毒結を溶解排除させれば食欲は増し、必ず肥るのは請け合いであるから、痩せさすのも肥らすのも吾々は自由自在である。
(三)微熱というものは、医学ではほとんど肺自体からのように思っているが、これは大変な間違いで、肺炎、肋膜炎、肋間神経痛以外はほとんどないもので、一番多いのが左右の頸部淋巴腺部で、どんなに健康な人でも大なり小なり、左右いずれかに必ず腫れがあり、そこに微熱がある。このため頭痛、咳嗽、食欲不振や、まれには手足の障害を起こす事もある。次は頭脳と右か左かの延髄部で、おもしろいのは耳鳴のほとんどは延髄部の浄化である。次は肩、腋の下、両股鼠蹊部等である。
医師はよく原因不明の熱だなどというが、これは医学が幼稚のためで、前記の個所を診れば必ず分るのである。従って右の個所に浄化が発こり、熱で溶けた毒液が肺に浸入するため、肺が原因と間違えられるのである。
(四)食欲不振は微熱による食物不味のためと、消化のいい物を食い、消化薬を服むためと、よくかむ等のため、胃を弱らすからであるが、何よりの原因は医師から結核と言われたり、結核らしく扱われたりする等の神経作用で、食欲に影響すると共に、絶対安静が拍車をかけるのである。
(五)便秘の原因の第一は、食餌の少ない事と腸に浄化熱があるから乾くため等で、そういう人は腹に幾つかの固まりがあり、これが直腸を圧迫するからでもあって、この部をおすと痛みと固結があり、微熱があるからよく分かる。これに猛烈な浄化が発って、高熱激痛があると急性腹膜炎と言われるが、平常から時々発熱、痛み、下痢があるのは慢性腹膜炎である。これを医診の多くは腸結核というのである。
(六)下痢は健康時でも病気の時でも、これ程結構なものはないので、急性は食中りが多く、これは二、三日で治るが、慢性に至っては腹部はもちろん、後頭部から延髄部を主とし、身体中にある各部の毒結が溶けて出るのであって、人により数週間から、ひどいのになると半年、一年、三年、五年に及ぶ者さえあるが、これは毒の多い程暇がかかるからである。しかし出るだけ出てしまえば非常に健康になるもので、これを知らないから停めようとし、反って色々な障害を起こすのである
(七)血沈とは血液の清濁を試験する方法であるから、濁っている程毒の粒子が多いから、沈降速度が早い訳である。もちろんこの毒粒子も薬毒が原因で、濁血者は浄化が起こりやすいから、間接的に結核にも関係がある訳である。
(八)胸痛は肺が痛むのではない。肋骨及びその付近に溜結している毒素の浄化の痛みで、言わば肋間神経痛である。これも放っておけば毒は痰となって出てしまい、必ず治るのであるが、それを肺浸潤や肋膜炎などと思われ、結局本物の結核となる事が多いのである。
(九)息切れは肺の周囲、つまり肋骨及びその付近や横隔膜部に毒結があり、浄化で溶けても痰の濃い場合容易に肺に浸入し難いので、肺の方から吸引する。それが息切れである。そういう人は肋骨付近を圧してみると、必ず痛みと微熱があり、固結もあるからよく分かる。もちろん喘息もそうであるが、喘息は横隔膜部の毒結が特色であって、すべての息切れは若干痰が出れば、じきに治るにみて右の理が分るのである。
(十)新薬について近頃ストマイ、パスはもちろん、最近はヒドラジットなどが有効とされているが、なるほど用いるや間もなく下熱したり、症状も緩和されるのでよく効くように思われるが、これも一時的でいずれは中毒となってしまう。ではどうして流行するかというと、つまり医学は一時的効果を永久的と思うからで、何よりも事実をみればよく分かる。例えば最初の一週間くらいは利いても、それが六日となり、五日となり、段々短縮され、ついには効かなくなるのは、医師もよく知っているはずで、今もってそれに目醒めないのは不思議である。とはいうものの実は患者の苦痛に対し、他に方法がないから、一時的とは知りつつも、仕方なしに用いざるを得ないのであろうが、この事実によってみても、薬効は根本的でない事が分かるであろう。
以上のごとき一々の説明によって、医師諸君も大いに得るところがあると思う。
(御論文「栄養」)
栄養
『結核信仰療法』より
結核に対し医学は、栄養に最も重きを措いているが、この栄養学の誤りもまたはなはだしいもので、それを詳しくかいてみるが、まず第一に誤っている点は、栄養学においては食物のみを対象としていて、肝腎な人体の栄養機能の方を閑却している一事である。例えばビタミンにしても、ABCなどと分類して、サモ進歩したように思わせているが、これは何の意味もなさないのである。というのは根本が分かっていないからでもあろうが、ビタミン不足というのは、実はビタミン生産抽出機能が弱っているからで、その機能を快復させる事こそ本当の方法である。ではなぜ機能が弱るかというと、機能の活動を阻止している邪魔物があるからで、それが薬毒の固まりである。これをたとえてみれば、人間に金がないというのは怠けるからで、働かせるより仕方がないが、医療は怠け放題にして、金をくれてやるようなものだから、これをいい事にして益々怠けるという訳で、いかに間違っているかが分かるであろう。従ってビタミンを服めば服む程、ビタミン生産機能は退化するから人体も弱る。弱れば浄化も弱るから、病気症状は軽減する。それを医学は、栄養による好結果と錯覚するのであるから、栄養学は人間と食物との関係に無知というよりも、逆解している訳である。
そうして人間を養うための必要な食物は、地球上いたるところに生産されている。穀類、野菜、魚鳥、獣肉等々、地域的、気侯的、民族的に、おのおの適切な食物を神は配分されているので、それで充分栄養は摂れ、健康は保たれるように出来ているのである。その意味を知らないから科学の魔術にかかり、栄養学などという馬鹿馬鹿しい学問を作り、手数と金をかけて健康を弱らせているのであるから、その愚かなる評すべき言葉はないのである。またこの事は食物の咀嚼についても言える。それは余り咀嚼すると胃の活動の余地がないから弱って食欲は減退する。それを補うべく消化薬を服み、消化のいい物を食うからいよいよ胃は弱り、その結果胃下垂や胃潰瘍となるのである。この理によって結核患者も栄養などは問題にせず、一般人と同様の食物で、半噛みくらいにすれば結構で、昔から早飯の人程健康であるのはそういう意味である。
今一つの誤謬をかいてみるが、現代人は昔の人間に較べると、栄養不足どころか栄養が多過ぎるくらいである。すなわち栄養とは人体機能が作るものであるから、栄養過多だと機能が鈍ってしまう。この理を一層徹底するとこうなる。すなわち栄養食や栄養剤はいわば完成したものであるから、機能活動の余地がない事になる。従って未完成な物程活動の必要が多いから、相互関係にある他の機能も活発となり、健康は増すのである。という訳で人間の生活力とは機能の活動から生まれるもので、空腹になれば弱るにみても明らかである。かの美食家は弱く、粗食家は健康であるのもそれである。故に結核患者といえども、むしろ菜食を多くした方がいいので、これについて私の経験をかいてみよう。
私は十七歳の時、肋膜炎を患い、穿孔排水一回し、三月ばかりで治り、安心しているとそれから一カ年後再発したが、今度は前の時と違って中々治らない。医療を受けながら漸次悪化し、一年余を経た頃、とうとう三期結核となってしまった。最後に診断を受けたのが、当時有名な入沢達吉博士であったが、入念に診察の結果、全快の見込なしとの宣告をされたのである。何しろ日に日に衰弱が加わり、自分の手を見ると白ロウのごとく、血の気など更になく、痩せ衰えて骨と皮になってしまった。まず衰弱の程度から推すと、精々後一カ月くらいで駄目だという事がよく分かるので、覚悟はしたが、何とか助かる方法はないものかと思い、色々考えた末、何か大いに変わった事をして、うまく当ればよし、外れれば元々だという気になっていたところ、病気以前私は絵を習っていたのである日色々な絵の本を見ていると『本朝薬草彙本』という漢法〔方〕薬の本があった。もちろん草根木皮の絵ばかりで、何の葉は何病に効くとか、何の実、何の花は、何の薬になると出ているので、私は“ハハアーこんな植物にも、そのような有効成分があるのかしら”と思うや、ふと気が付いたのは、それまで私は栄養は動物性に限ると思っていた事とて、試しに一日菜食にしてみた。ところが驚くべし、非常に工合がいいので、これは不思議と、翌日も翌々日も続けたところ、益々いいので、ここに医学に疑いを起こし、薬も廃めてしまい、三カ月間絶対菜食を続けた結果、病気以前よりも健康になってしまったのである。今一つは、私は二十五歳の時妻を娶ったが、一年くらい経た頃、妻はヤハリ結核に罹ってしまった。喀血、血痰等引っきりなしで、普通より大柄な癖に、体重は十貫五百匁という痩せ方だ。だが私は自分の経験によって、医者にもかけず、絶対菜食にしたところメキメキ快くなり、三カ月で全快し、二年後体重を計ったところ、十六貫五百匁に肥っていた。
次にこういう事もあった。これは栄養には関係がないが、以前慶大の学生で、一日か二日置きくらいに、必ず喀血するという青年が治療に来た。本人いわく「苦痛がないので医療も廃め普通人同様にしている」というので、私も「喀血は浄化作用で結構だから、そのまま放っておいた方がいい」といってやったところ、それから二カ年程で全快したという事を聞いたが、これなども大いに参考になると思う。また喀血であるが、これについてもこういう患者があった。三十歳くらいの青年で、この人は肉食をすると必ず喀血するが、菜食にすると直ぐ停まる。丸で判で捺したようだとの事である。これを見ても分かるごとく、喀血を停めるには菜食に限る事を知ったので、その後私はみんなに教えている。これらによってみても、結核に菜食のいい事は確かであるから、栄養学者は大いに研究して貰いたいのである。それについて左の実例は、最も適切だと思うから載せてみた。
整形手術直前に救いの御手
『結核信仰療法』昭和27(1952)年12月1日発行
『アメリカを救う』昭和28(1953)年1月1日発行
熊本市〇〇町〇〇〇番地 光宝大教会 〇〇〇〇(34)
私は昭和十九年に肋膜炎に罹り、その後二十二年、二十五年と一定の期間をおいて再発する毎に病は亢進し、二十五年末の発病の時は肺結核と診断され、昭和二十六年七月には、いよいよ入院して整形手術を受ける事になっておりました。
大の無神論者であった私は、初めて救世教のお話を聞かされたとき、半信半疑どころではなく絶対にそのような事はあり得ないとさえ思いました。しかし余りにも一生懸命お勧め下さいますので入院を一週間か十日位遅らし、それまで試しに通ってみてもいいと言う気特になり、きっとその中にボロが出るに違いないと思い、毎日御浄霊を受けさせて頂いておりました。傍ら先生のお言葉に従い、今までの安静療法を直ちに中止して気の向くままに行動する事にし、服用中のパスをやめ、努めて肉食等の栄養物を摂取していたのを菜食に切替えました。その頃は時折微熱が出る程度の自覚症状でしかなかったので、一週間や十日位だったら少し位非科学的な事をしても、病状に大した影響はないと考えたからです。ところが実に不思議です。医学上からいえば、安静をやめて無理をし、かつ栄養物も摂らないと微熱、頭痛、目眩等の病勢悪化し、身体は当然衰弱しなけれはならないのに、二日目位から顔色が良くなると共に、食慾は進み、一週間経たないうちにメッキリ元気が出て参りました。そこで、私はただ手をかざすだけの御浄霊が、ただ事ではないと思えて参りました。
又一方明主様のお言葉の記録や数々の御著書を拝読させて頂きましたが、初めの中は革命的な異説にただ驚く外なく、又自分に一番関係の深い(私は熊本県庁に務めております)政治に関する御論説や、役人に対する御批判等に対しては、宗教家が当然唱える理想論であって、現実の社会に対しては、単なる空論でしかないなどとも思ったものでした。しかし右の御批判などもよくよく考えでみますと、読んで気に喰わないのは、自分の一番痛い所に触れるからであって、人に余り関心をもたせたくないような事を、単刀直入に申されるからであります。このような事を考えながら、数々の御論文を拝読させて戴いたり先生のお話をお伺いしたりしている内に、明主様は社会のあらゆる面に亘って、人間の最高道徳をお説きになり、しかもこれを行う道を明瞭にお示し下きっている事を分らせて頂きました。又御一人で政治、社会、宗教、医学、哲学、芸術等すべてにわたって詳細にお説き下さる事は、到底人間業ではない事も考えさせられました。
思えば昭和二十六年七月十三日、入院準備の買物に行った日が、私の光明世界への再生の日とも申せましょうか、ちょうどお盆の日に これも先組様のお導きではなかったでしょうか、実に間一髪とも言うべきところでした。もしあのまま入院していたら、今頃はどうなっていた事でしょう。整形手術後順調にいったとしても、半年位は絶対安静で、一年位はブラブラしていて、再び働けるようになったと致しましても不自由な不具の身体でいつ再発するかも知れず、戦々兢々として短い一生を終らなければならなかったはずでございます。
入信以来三カ月、「病気は浄化作用なり」という真理を御教え頂きました一事だけでも、日常生活がいかに明るく、安心感を与えられたかは計り知れないものがあります。今まで子供がちょっと風邪を引いても「ソレ医者だ、早く治さないと肺炎にでもなったら」と慌てたり「ヤレ少々熱があるぞ」「腹が痛いというが何を食ったんだろう」等々、今考えてみますと、全く無用の取越苦労をしていたのでございます。又神様の実在を信ぜず、三十有余年よくも生きながらえて来られたものと深く感じお詫びせずにはいられません。
このように過去を顧み、感激に浸る事が出来ますのも、明主様のお蔭でございます。この宏大無辺なる御神恩の万分の一にもお報いさせて頂き、地上天国御建説の御聖業に、少しでもお使い頂けますようお念じ致しております。
明主様誠に有難う御座いました。
(昭和二十六年十一月一日)
(御論文「結核新薬を嗤う」)
結核新薬を嗤う
(栄光一五〇号)
最近アメリカにおいてリミフォン(イソニコチン酸、ハイドラジット)という新薬が発明され、これによると人体の結核菌は短期間にことごとく死滅し、たちまち病気は快くなると云い、今や世界的に評判になっているようだが、もっともまだ試験中で、発表は本年六月頃との事であるから、もしその言う通りであるとしたら、救世主のごとく騒がれるであろうが、それは一時的で、時の経つにつれて消えてしまうのは、今までの新薬の例に徴しても分るであろう。これについて吾々が確信をもって断言出来るのは、今後どんな立派な新薬が出来ても、無論一時的で、結局は駄目になると言っても間違いはあるまい。としたらどんな人でも信じられまいからその理由を詳しくかいてみるが、これを読んだら誰でもなるほどと肯くに違いなかろう。
そもそも現代医学者の考え方は、結核菌さえ殺してしまえば、それで解決するものと思っているその浅見である。もっともこれは根本を知らないから致し方ないが、ここでよく考えてみて貰いたい事は、結核菌といえども天から降ったものでも地から湧いたものでもない以上、必ず何らかの理由によって、どこからか湧いたものに違いないが、医学はその点を知る程に進歩していないので、そのためいかに無益な努力を払っているか分からない程である。ところが吾々の方はとっくに根本的原理が分かっているから、この根本を教えたいのである。
まず人間なるものは、いつもいう通り見える体と見えざる霊との二要素から成立っているもので、これは万有の真理であって、これに洩るるものは一つもない。たとえば天地、陰陽、昼夜、火水、日月、明暗等々ことごとくそうである。従って人体とても同様で、病気なるものは初め霊に曇りが生ずる。曇りとは透明体である霊身が、不透明になる事である。もちろん目にも見えない以上、科学では到底分かり得ないが、これを科学的にいっても超微粒子が本質で、空気よりも層一層稀薄な原素である。ところが人体は不断に自然浄化作用が行われているから、それによって曇りは漸次圧縮されつつ濃度化し、部分的に凝結する。もちろんこの本質も水素の密合体で、ちょうど大空の雲のごときものである。それが極度に到るや、ここに一種のバクテリアが発生する。これは無機質植物性のごときものであって、このバクテリアが時の進むに従い、生育すると共に有機体に変化する。すなわちこれが黴菌の卵で、この卵が漸次生長して一個の生物となる。これが黴菌であって、最早顕微鏡で見得る程度になるのである。彼のウイルスとは右のごとき黴菌の卵であるから、いずれは親となり病原となるのは、医学でも認めている通りである。
この理によって、たとえ黴菌を殺し尽したとしても、それは結果の解消でしかないから、後から後から無限に生産される以上、病気は根治とはならないのである。従ってどうしても発生源である曇りの解消こそ根本的解決法であってみれば、それ以外方法のない事は分り切った話である。この理によって殺菌法は一時的効果で、結局無意味であるのは余りにも明らかである。ところが本教浄霊とは病原である曇りの解消方法であるから、これこそ真の医学である。従って現在のごとき唯物医学をいかに研究したとしても、徒労以外の何物でもないのである。という訳で私はこの真理を一日も早く全世界の医学者に分からせ、覚醒させたい念願である。
この間も話した、興福寺の宝物展ですが、書いてみたら、中々日本の彫刻に就て、知って置く必要があると思いますから、併せて書いて見たんです。
(御論文「三越春日興福寺宝物展を観て」)
三越の春日興福寺宝物展を観て
(栄光一五〇号)
この間評判になった、三越に於ける標題の如き展覧会を見たので、茲に感じたままを書いてみるが、何しろ今から千二、三百年も前の、飛鳥、白鳳、天平時代の物ばかりなので、その時代によくもこんな立派な物が出来たものと、実に驚歎に価するのみである。こういう時、いつも不思議に思う事は、美術だけは進歩の埒外にあるとしか思えない。成程他の色々なものは、文化の進歩につれて、随分目覚ましい変り方をしているが、美術に限っては逆であって、殆んど進歩がないと言っていい。成程今日の物でも少しの新しさはあるにはあるが、正直に言って、どうも古い物には断然及ばないのが、世の定評である。
元来日本美術は、仏教美術が始まりで、その一番先に出来たのが、今から千三百年以前の推古時代頃からで、最初は支那の仏像を模して作ったものとしているが、支那の方の仏教美術は今から約千五百年以前、北魏時代が最も隆盛を極めたと共に、優秀品も大いに出来たもので、今日六朝仏と言うのがそれである。その後唐代に至って、漸く我が国へも他の文化と共に輸入されたが、丁度その頃は仏教興隆時代とて、茲に日本独特の仏教美術が生まれたのである。然も、彼の不世出の偉人聖徳太子の御威徳と、美に対する天稟の才能と相俟って、絢爛たる仏教文化の華を咲かしたのである。彼の法隆寺の建築や、それに附随する美術品は固より、その後に至って東大寺及び彼の大仏の建立等もあり、今も我が国古代文化史上、燦として輝いているのである。それから、飛鳥、白鳳、天平、公認、藤原、鎌倉という順序で、漸次発達して来たが、何れの作品を見ても、本家の支那より勝れていると思う。
そうして、最初支那に学んで出来たものが、彼の推古の金銅仏であるが、これらも六朝仏よりも良く、それから乾漆、木彫の順に進んで来たので、今度の三越の展覧会は、その頃の乾漆ものが多かった。私は今度の展覧会を見ないうちは、お寺の宝物だから、観音、阿弥陀、釈迦、薬師、彌勒等の仏像が主なるものと思っていた処、驚いた事にはそれらの仏像は殆んどなかった。併し何と言っても評判の阿修羅像は大したもので、これも阿修羅という名前からして、物凄い、鬼面人に迫るように思っていた処、意外にも十七、八の乙女の姿であったのには、二度吃驚した。併し考えてみると、阿修羅が改心して、仏になったのを表徴したものであろう。その他八部衆特に五部浄等、数体の童子は、乾漆作りで相当の名作であった。以上が主なもので、他に見るべき程の物は余りなかったようである。
この寺も藤原時代と縁の深い為もあろうが、鎧、兜、刀剣類の多かったのもお寺らしくないと思ったが、見逃し得ないのは一個の蒔絵の手筥で、梨地草花模様で、作行と言い、時代色と言い、実に良いと思った。先ず展覧会の事はこれ位にしておいて、茲で我が国の仏教彫刻に就いて少し書いてみるが、彼の金銅仏としては、最初の推古、白鳳時代に出来たものが最優秀であって、世に推古物と言って珍重されるのは尤もだと思う。これらの作は支那とは違った味があり、気品の高い事も日本独特であろう。これらによってみても、日本人の美の感覚は、確かに世界一と言っても過言ではあるまい。近頃外国に於てもそれが分って来たのは、先日洋行帰りの某美術関係者の人から聞いた話で、心強い気がした。次に木彫であるが、これも天平前後の作品には素晴しい物があり、彼の有名な法隆寺の百済観音なども当時の作品で、これは定評があるから今更言う必要はないが、それから弘仁、藤原時代も相当良い物が出来たが、何と言っても鎌倉時代であろう。この時代に入るや、木彫仏は飛躍的に隆盛を極め、彼の運慶はじめ、名人、巨匠続出し、作品も多量に出来、今尚到る所に見受けるのである。
その後足利期以後、殆んど見るべきものが出来なくなってしまった。僅かに徳川期に至って、鎌倉彫刻の模倣が相当出来た位である。そうして明治以後も、名人とされる程の人は出ないようだが、只一人今尚健在である佐藤玄々(旧名朝山及び清蔵)は、古来稀に見る名人として、私は彼の作品を愛好している。今度の箱根美術館にも相当出品するから、みれば分るであろう。そうして私がいつも思う事は、他のものは別として、木彫に於ては日本は世界一と言ってよかろう。特に仏像の彫刻は、不思議と思う位古い時代に立派な物が出来ている。この事を思うにつけても、私は一度優秀作品のみを選んで一堂に網羅し、世界中の人に見せたいと思っている。そうしたら、どんなに日本文化が古くから卓越せるかが世界的に知れ渡るであろう。そのようなわけで、何れの日かは、私の手によって仏教美術の大展覧会を開催したいと思っている。それを見たなら、日本には昔から幾人ものロダンが居た事を発見するであろう。
今お話した様な訳で、近頃私は仏教美術を研究しているんですが、私の今迄余り知らなかった古い時代の仏教彫刻ですね。実に大した物があるんです。之は、大抵お寺の宝物になっているんで、まあ写真丈は見られますが、実物を見ると言うのは――京都の博物館に行くと少しはありますが、何しろお寺の宝物になっているのと、大きいですから場所がないと言うのと、今迄はそう言う事が出来なかったですね。だから、どうしても一堂に並べて見せ様と言うには、余程大きな場所ですね。場所と言った処で、野天じゃ駄目ですからね。やはり室内でなければならない。そう言う処があって、そうして先づ国宝級の物ですね。そう言う物を沢山並べたら、実に素晴しいものだ。それにはどうしても京都に将来美術館を作って、京都の寺から、みんな出品させて、仏教美術大展覧会ですね。そう言う事をやってみたいと思っているんです。そうして世界中に宣伝をして、半年か一年位の会期にして、之は外国人許りでない、日本人もそうですが、そう言う展覧会をやれば、どんなに人が喜ぶか分らないです。この間三越の展覧会にしろ、そう言っちゃ何んだが、しみったれな、あんなやり方でさえ、人が来るんですからね。だからそう言ったやり方だと、日本中から来ますね。それには、少し大きな彫刻は、四畳半一間位、一杯になりますからね。だから、余程大きなのがなければならない。そう言う大きな美術館を、いずれ京都に造ろうと思っている。それ許りでない。京都に、やっぱり地上天国的な物を造りたいと思ってます。平な処ですね。平地で三万坪以上のものですね。そう言うものがあったら、知らせて貰いたいと思ってますがね。神様の方では、ちゃんと決めてあるんです。それと時期ですね。私がそう言う気が起ると言う事は、時期が近寄って来たと、こう思って良いですね。そんな訳で箱根、熱海、京都とこの三カ所が最も適当ですね。で、箱根の方も美術館は大体輪郭と館の中の仕切りが出来て、あと塗り丈になっている。塗りは、何しろ今迄寒かったですから、三月半と言うから、今頃から塗りにかかる訳です。塗りは割合早く出来ると思いますがね。そうしてケースなんかも準備しましたがね。陳列の仕方や何かも、出来る丈理想的に、今迄他にない様な進歩したものを作る積りでね。今見本丈拵えてますけれどもね。で、何しろこっちの美術館は凡ゆる種類を網羅しますからね。だから余程広い会場でなければ、思う様に並べられない、何しろ今の予定では、入口を入ると、左の方が徳川時代の屏風、巻物、陶器ですねそう言う物です。右の方が現代美術ですね。右の方は二部屋になってますが、現代の彫刻、絵画、蒔絵、陶器ですね。そう言う物が主になっている。それから二階の上って右手の――之は一番広い会場ですが、ここは掛物、絵画ですね。昔からのをずっと掛けたいですが、之は幾らも掛からないです。何しろ種類が――日本としては一番古いのが藤原。鎌倉、足利時代の絵と、桃山、徳川の普通の絵画――処が、其の他に推古風の物だとか光琳風な物、それから浮世絵。そんな風な物だが、幾らも掛ける事が出来ないですね。それから蒔絵、日本の銅器――そう言う物で一杯になっちゃうと思います。それから左手の方、之は二部屋あります。一部屋の広い方を支那美術。之も並び切れないですね。やはり絵画、陶器、銅器ですね。その隣の少し小さい部屋で、少し古い、天平時代の仏教美術に関する絵画、木彫、乾漆、銅器――銅の仏体ですね。それから仏器ですね――仏の道具ですね。そう言う物です。それから古い巻物、経文だとか並べたいと思うが、中々之も並び切れないですね。だから、いずれは箱根にもう一つ造る積りで、大体予定してますがね。それ程大きくなくても――之は二階がなくて下丈のを、どうしても造らなければならない。その様な訳で、他の美術館と言いますと、大抵種類が少ないですからね。支那陶器とか油絵とか、そう言う様な物ですからね。こっちは支那、朝鮮の物もありますしね。日本のも色々な物ですからね。少しづ(ず?)つでも、相当場所が要るんです。尤も、箱根のは見本として造ったんですから仕方がないですが、いずれ熱海はもっと大きな理想的な物を拵えます。
そうして箱根も考えて見ると随分評判になるに違いないから、多勢来るに違いない。そう言った設備や、色々な方法をしなければならない。で、多勢来る時には――そうかと言ってああ言うのはゾロゾロ入る儘にして置いたら、落着いて見られないですから、人を計らなければならない。ですから二、三百人位入る様な待合室を作らなければならない。それから信者さんと一般との区別をしなければならない。中々色々あるんですね。然し、神様はちゃんと準備してありますから、楽は楽ですね。この間も、自動車の置場がないですね。あそこに丁度空いている処があるから―萩の家の方に行こうと言う角ですね。あそこに低い地所がある。四百坪位で、登山会社が持っているんですね。それから、安く買いたいと思って、『美術館が出来るとお客が来るから、日に千人以上来るとしても登山会社は大変な儲けになる。あの土地を寄附して呉れ』と言った。そうすると、寄附と言う事は出来ないが、お貸ししようと言う。こっちは、貸せば一円も出さずに尚結構です。借りる事にしましたがね。箱根は神仙郷が今年の夏迄には出来る積りです。その次には、知らない人もあるでしょうが、反対の方の――神仙郷の方はケーブルを左側に降りるんですが、右側の反対の方に半町程行くと、大きな家がありますが、あそこに本山を造るんです。神仙郷と言うのは地上天国の模型です。だから仮りにあそこを本山としてますが、結局宗教的の本山を作らなければならない。それが今言ったケーブルを右に降りて半町程行った処です。之は二、三年前に買ってあるんです。之が彼れ此れ一万坪近くあるんです。ここに行くには、どうしてもケーブルが邪魔なんですよ。あれを取る訳にはいかないので、ケーブルに地下道を作ってね。地下道を作ろうと思って居る。会社のものだが、むしろ会社は喜んで許すと言うので、早速掘る事にしますがね。その堀った土で、今言った低い処を埋め様と思っている。神様は旨く準備してある。話はその位にして――。
之は、一寸面白いのですが――。
(御論文「力」【註 栄光一五一号】)
力(ちから)
(栄光一五一号)
力について世の中の人は深い事を知らないからここに書いてみるが、これを科学的定義でいうならば、目に見える形ある力ほど弱く、見えない力程強いという原理である。即ち前者は何馬力とか、何瓩とかいうように限度があるが、後者に至っては無限である。つまり人間の想念と同じで、目には見えないが恐るべき力がある。偉い人の力は一人で世界を動かす事さえ出来るのは人の知る通りである。
右は人間だけに就いての説明であるが、これを押し拡げたのが神様の力である。これを科学的に説くこともできる。即ち科学で唱える粒子説がそれで、これによると人間の霊は粗粒子であって、神様の霊は微粒子である。勿論神様でも神格が高まるほど、微粒子の度は益々高くなり、それと共に稀薄にもなるのである。この様に力学的に言っても素粒子ほど力が強く、微粒子ほど力が強い事を知るべきである。
この理によって最高級の神様の事を、神道では幽の幽とか、または幽玄微妙などとも言われるのは、全くそれを表現した言葉である。この理によって私に与えられている神力は最高級の神霊であるから、絶対力といってもいい位のもので、この力は本当に揮われた者は昔から一人もなかったのである。かのキリストにしろ、言い難い話だが割合弱かったのは事実がよく示している。即ちキリストの行った奇跡といっても御自分だけのもので、弟子達にまで分け与える事は出来なかったのである。その他の聖者にしても、悉く限られた力であった事はその事蹟が示している。
ここに私の事を少しかいてみるが、私の発揮する力の大きさと強さは、無限絶対と言ってもいい位で、現在行使している力は一部の発揮でしかないが、それでも知り得た人は驚歎する。信者は勿論だが、信者の中でも熱心な人で何分の一位しか分り得ないのである。言うまでもなく何れは本当に発揮する時が来るから、その時は開いた口が塞らないであろう。故に今から腹帯をしっかり締めておく必要がある。そうして私が現在現わしている力だけでさえ、病気を治す人間を作り、農業の増産法を教え、神の実在を分らせる奇蹟を現わしているばかりか、大規模な地上天国をも造っているのだが、これ等はホンの小手調べで、時と共に段々押し拡がり、何れは世界的に天国を造る事になろうから、本当の神力はこれからである。
その様な訳で、もっと詳しく知らせたいが、今言った処で到底信ずる事は出来ないし、神秘でもあるから、ホンの一部分だけ時に応じ、進むに従い発表するのである。これを要約すれば善言讃詞にある通りの世界を造ってゆくのである。特に一言いっておきたいのは、最大の争いである国と国との戦争であるが、これも私は、時が来れば一挙に無くすことが出来るだけの力も持っているから、安心して貰いたいのである。
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