三月十七日

(お伺) 高井力男(三十三歳)昨日午後一時突然痙攣を起し、顔面は紫色で浮腫んで参り、二時間程痙攣を続け、三時間程は静かになりましたが、それより十分置きに二、三分の痙攣を午前一時迄続け、それより今朝迄痙攣はなく昏睡状態を続け、頭部の熱は平熱となり、顔面の浮腫みは引き普通の色となり、時々頭を上げ起き様と致して居る状態で御座います。御浄霊の個所御垂示程御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 頭の上の方ですね。前頭部で良いんです。之は霊ですからね。で、善言讃詞、御讃歌なんかを始終読んでやると良いです。聞かしてやるんですね。

 「霊が憑ります場合には、冷くなると思って居りましたが、熱く御座いましたのですが――」

 熱いのが本当なんです。背中は冷くなりますが、此処(前頭部)は熱くなるのが本当なんです。

 (お伺) 三橋勇太郎(四十四歳)四男忠夫(四歳)昭和二十五年春頃より、首と手足を瞬間的に収縮させ、癲癇の様な状態が毎日一、二回発作的に起り、御浄霊は致しておりますが、八月十三日には手足を硬直させ、目をむき仮死の状態となり、祝詞と御浄霊で御守護戴き、二カ月余り続きました。二十六年一月頃より発作も軽減致しました。現在一人歩きは出来ませんが、這歩き、泣きます。言葉は言えません。知能は生後三カ月、動作は八カ月位で睡眠は一日五、六時間で御座います。大光明如来様、御屏風観音様は御奉斎させて戴き、二階を教会としてお使い戴いております。父は腎臓炎と心臓麻痺で、母は家庭の不和から鉄道自殺、長男は肺炎、次男は腸炎にて、夫々死亡致しております。又店の者が蛇を殺した事があり、入信後自己判断で処分致しております。後妻も腎臓炎で死亡。三男は死の直前にお道に救われました。この時仏壇の繰位牌を改めました。此れ等と特に関係が御座いましょうか。御教示お願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 此家は色んな罪穢があるんですよ。ですから、一々何がなんだと言う事は面倒ですから――必要もないですし――一生懸命に信仰して人を救えば、それ丈づつ罪が減っていきますから、万事が良くなっていくと言う訳です。そう言う考えになって居れば、大変結構ですよ。霊体、罪――色々ありますよ。

 (お伺) 木下みや子(二十一歳)二十三年十月癲癇の様な発作を起し、顔面引吊り、全身硬直し意識不明となり、注射二本致しました。二十六年三月腹痛を起し、雪の下(薬草)をもんで飲み、腹痛は止みましたが、翌日より精神異常となり、泣き笑い、夜も歩き廻りますので、注射二本し精神病院に入れましたが、普通の状態に戻り一カ月で退院致しました。最初の発作以前より月経不順でホルモン注射を二十日間致し、退院後も薬を飲み、発作は遠退きましたが、智能は次第に鈍り、仕事も出来ずブラブラと致しておりました。二十六年九月より御浄霊を戴き、三日目より癲癇症状の発作が激しく、一晩に数回連続的に数日続き、その時も精神病の如くなりました。二十三日に入信させて戴き、十一月御屏風観音様を御奉斎させて戴きました。二月には手が附けられなくなり、注射二本致して()めました。二十二年頃よりイボ状の吹き出物が出、化膿は致しませんが、身体のあちらこちらに出ており、背中の左に碗を伏せた位のが御座います。祖父は中風、祖母は心臓夾心症、父も左半身不随で御浄霊を戴いております。御神体は未だ御奉斎させて戴いておりません。霊的原因及び御浄霊の急所に就き御垂示御願い申し上げます。

〔御 垂 示〕

 癲癇から精神病ですね。之は霊ですよ。余程救われない霊が、此処の家に居るんですよ。それから、癲癇ですね―癲癇があとで精神病になったんですが、之も同じものです。つまり一時的の精神病が癲癇なんだから、それで医者が色んな事をして、癲癇が一時減ります。それで、浄霊受けると非常に増えるものです。それを間違えない様にしなければならない。癲癇が、段々増えて治るんですからね。医者が熱冷しをやってますが、一時熱が冷めます。処が熱冷しを()めて、浄霊すると一時馬鹿に熱が出ますが、それと同じ意味なんです。だからそれを前以って言って置くと良いです―癲癇はね。そうして、その霊も救わなければいけないんだから、光明如来様をお祀りしなければ駄目ですよ。絶対に治りません。お祀りして、その部屋に本人を寝かせる様にする。そうして、憑いている霊を救うんです。それで、変死とか或いは家出して行方不明になったとか調べて、そう言うのがあったら早速祀ってやる様にするんですね。そう言うのがありますよ。浄霊は、やはり前頭部の中です。ここに霊がいくと癲癇を起すんですね。ここに憑ると言う事は頭に曇があるからです。それで、頸の廻りを浄霊すれば良いです。その代り非常に長くかかります――治るのはね。良く御神書を読ませ、話を聞かせ、気長にやれば必ず治ります。普通に――正気に――まあ、安心と言う様な状態になるには四、五年かかりますからね。その積りでね。

 (お伺) 藤原アヤ子(四十五歳)昨年十月乳癌で御垂示戴き「大変熱心だから結構ですね。今年一杯位で大体良くなるでしょう」と御言葉を戴いております。其後熱と下痢の御浄化にて、衰弱と息苦しさの為に床に就いております。御浄霊は戴いておりますが、益々衰弱の度が加はり、左肩胛骨より左腕全体が固く浮腫み、御浄霊戴きますと、堪らなく痛みます。然し後は楽にさせて戴きますが、間もなく同様の事を繰返します。心臓は常に圧迫される様な息苦しさが御座いますが、局部の前後の御浄霊で楽になります。動きますと腕も心臓も苦しく、痛みます。右乳上にも大豆位の固まりが二十程一固まりとなり。(、?)後普通のオデキの様になり、御霊紙は堅く貼り附いて取れません。右脇下にも親指で押した位の傷口が出来、少量の膿汁が出ております。左傷口は少なく浅くなり、膿汁の量も多少少くなり、食欲は一杯位で御座います。大光明如来様は二階の屋根が低い為に七、八月頃に家を建てましてよりお祀りさせて戴きたいと思っております。今後如何様な経過を取るもので御座いましょう。

〔御 垂 示〕

 御霊紙は貼り放しで良いんですよ。治らないうちは取れませんからね。ですから取替える必要はないです。薬の様に思うから取替えるんですが、そうではない。貼りっ切りでね。治れば自然に取れるんですからね。之は、知らないからですね、之は、乳癌と言うが、癌じゃありませんよ。之は、手術しないんでしょうね。

 「致しておりません」

 之は癌じゃありません。普通のオデキですよ。こんなものは、そんなに治り(にく)いものじゃないんですがね。浄霊は何時からですか。

 「二月頃からで御座います」

 膿が――結構じゃないですか。

 「最近衰弱が増しております」

 食欲が少ないからね。熱があるんでしょう。

 「時々御座います」

 食欲がないのは熱の為ですね。お乳の熱と腕とは非常に関係があるんですよ。誰が浄霊しているんですか。

 「私(平岡栄子)がさせて戴いております」

 あなたは何時頃入信したんですか。

 「十九年で御座います。中教師一位の御資格を戴いております」

 大分古いんだな。力が入るんじゃないかな。

 「一生懸命に抜かせて致しております」

 抜いても、霊が向うに通らなければならないんだからね。唯、こう(御浄霊)やっている丈ではいけない。力を入れないで、而も霊が向うに通らなければならない。難かしいんでね。今穴があいている処があるでしょう。

 「左の脇の下に御座います。乳首が取れまして――」

 未だ出来ないですか。それは、治ると出来ますがね。此処(頸部淋巴腺)はやってますか。

 「やらせて戴きました」

 兎に角非常に毒があるんですよ。薬毒がね。それで、癌と言うのはそう痛まないんですよ。強く痛むのは、決して癌じゃない。消毒薬が一番痛む。消毒薬中毒がね。それが原因です。消毒薬と言うのは、しつこいものですよ。根良くやって、膿が出て行くづつ治るんですが――結局は治るんですが、唯衰弱を増さない様にね。

 「顔色は宜敷いのですが、皮膚の色が悪いので御座います」

 貧血している為じゃないかな。貧血の為です。食事が少ない為にね。背中の方は――。

 「肩胛骨の後に――」

 押して痛いんですか。肩胛骨の方にかけてね。消毒薬に違いないな。背中の方も充分浄霊しなければいけない。背中の方が溶けて、こっちの穴の方に膿がいきますから、背中をやるんだな。人間と言うのは仰向けに寝るから、どうしても背中に固まる理屈になるからね。そうして根気良くやるよりしようがないな。食物は――。

 「普通の物を半膳程お茶をかけまして――」

 お茶かけても、何でも良いから、量を出来る丈多くするんですね。特に変った物じゃないですね。普通の物ですね。

 「左様で御座います」

 どうも、身体の悪い人は甘い物を好かないですね。だから、病人でも治る様になると、甘い物を食べる様になる。之は覚えて置くと良いが、病人と言うのはスッパイ物が好きでね。で、良くなると甘い物が好きになる。今言った様に、衰弱を増さない様にしなさい。お茶漬は極く良いですよ。それから噛み方は普通の噛み方ですか。

 「左様で御座います」

 長い間噛むといけませんよ。食欲が減ります。食欲を増すには、生ま噛みに限る。飲込む様にすると、それは腹が減るからね。

 「十日程前に、横隔膜の方が脹り、座れない様になりましたが、御浄霊で治りました。之は、背中の膿の関係で御座いましょうか」

 溶けて来て、其処に固まったんです。

 

【御 教 え】

 「結核信仰療法」の続きを読ませます。

(御論文「栄養」)

栄養

『結核信仰療法』より

 結核に対し医学は、栄養に最も重きを措いているが、この栄養学の誤りもまたはなはだしいもので、それを詳しくかいてみるが、まず第一に誤っている点は、栄養学においては食物のみを対象としていて、肝腎な人体の栄養機能の方を閑却している一事である。例えばビタミンにしても、ABCなどと分類して、サモ進歩したように思わせているが、これは何の意味もなさないのである。というのは根本が分かっていないからでもあろうが、ビタミン不足というのは、実はビタミン生産抽出機能が弱っているからで、その機能を快復させる事こそ本当の方法である。ではなぜ機能が弱るかというと、機能の活動を阻止している邪魔物があるからで、それが薬毒の固まりである。これをたとえてみれば、人間に金がないというのは怠けるからで、働かせるより仕方がないが、医療は怠け放題にして、金をくれてやるようなものだから、これをいい事にして益々怠けるという訳で、いかに間違っているかが分かるであろう。従ってビタミンを服めば服む程、ビタミン生産機能は退化するから人体も弱る。弱れば浄化も弱るから、病気症状は軽減する。それを医学は、栄養による好結果と錯覚するのであるから、栄養学は人間と食物との関係に無知というよりも、逆解している訳である。

 そうして人間を養うための必要な食物は、地球上いたるところに生産されている。穀類、野菜、魚鳥、獣肉等々、地域的、気侯的、民族的に、おのおの適切な食物を神は配分されているので、それで充分栄養は摂れ、健康は保たれるように出来ているのである。その意味を知らないから科学の魔術にかかり、栄養学などという馬鹿馬鹿しい学問を作り、手数と金をかけて健康を弱らせているのであるから、その愚かなる評すべき言葉はないのである。またこの事は食物の咀嚼(そしゃく)についても言える。それは余り咀嚼すると胃の活動の余地がないから弱って食欲は減退する。それを補うべく消化薬を服み、消化のいい物を食うからいよいよ胃は弱り、その結果胃下垂や胃潰瘍となるのである。この理によって結核患者も栄養などは問題にせず、一般人と同様の食物で、半噛みくらいにすれば結構で、昔から早飯の人程健康であるのはそういう意味である。

 今一つの誤謬をかいてみるが、現代人は昔の人間に較べると、栄養不足どころか栄養が多過ぎるくらいである。すなわち栄養とは人体機能が作るものであるから、栄養過多だと機能が鈍ってしまう。この理を一層徹底するとこうなる。すなわち栄養食や栄養剤はいわば完成したものであるから、機能活動の余地がない事になる。従って未完成な物程活動の必要が多いから、相互関係にある他の機能も活発となり、健康は増すのである。という訳で人間の生活力とは機能の活動から生まれるもので、空腹になれば弱るにみても明らかである。かの美食家は弱く、粗食家は健康であるのもそれである。故に結核患者といえども、むしろ菜食を多くした方がいいので、これについて私の経験をかいてみよう。

 私は十七歳の時、肋膜炎を患い、穿孔排水一回し、三月ばかりで治り、安心しているとそれから一カ年後再発したが、今度は前の時と違って中々治らない。医療を受けながら漸次悪化し、一年余を経た頃、とうとう三期結核となってしまった。最後に診断を受けたのが、当時有名な入沢達吉博士であったが、入念に診察の結果、全快の見込なしとの宣告をされたのである。何しろ日に日に衰弱が加わり、自分の手を見ると白ロウのごとく、血の気など更になく、痩せ衰えて骨と皮になってしまった。まず衰弱の程度から推すと、精々後一カ月くらいで駄目だという事がよく分かるので、覚悟はしたが、何とか助かる方法はないものかと思い、色々考えた末、何か大いに変わった事をして、うまく当ればよし、外れれば元々だという気になっていたところ、病気以前私は絵を習っていたのである日色々な絵の本を見ていると『本朝薬草彙本(いほん)』という漢法〔方〕薬の本があった。もちろん草根木皮の絵ばかりで、何の葉は何病に効くとか、何の実、何の花は、何の薬になると出ているので、私は“ハハアーこんな植物にも、そのような有効成分があるのかしら”と思うや、ふと気が付いたのは、それまで私は栄養は動物性に限ると思っていた事とて、試しに一日菜食にしてみた。ところが驚くべし、非常に工合がいいので、これは不思議と、翌日も翌々日も続けたところ、益々いいので、ここに医学に疑いを起こし、薬も廃めてしまい、三カ月間絶対菜食を続けた結果、病気以前よりも健康になってしまったのである。今一つは、私は二十五歳の時妻を(めと)ったが、一年くらい経た頃、妻はヤハリ結核に罹ってしまった。喀血、血痰等引っきりなしで、普通より大柄な癖に、体重は十貫五百匁という痩せ方だ。だが私は自分の経験によって、医者にもかけず、絶対菜食にしたところメキメキ快くなり、三カ月で全快し、二年後体重を計ったところ、十六貫五百匁に肥っていた。

 次にこういう事もあった。これは栄養には関係がないが、以前慶大の学生で、一日か二日置きくらいに、必ず喀血するという青年が治療に来た。本人いわく「苦痛がないので医療も廃め普通人同様にしている」というので、私も「喀血は浄化作用で結構だから、そのまま放っておいた方がいい」といってやったところ、それから二カ年程で全快したという事を聞いたが、これなども大いに参考になると思う。また喀血であるが、これについてもこういう患者があった。三十歳くらいの青年で、この人は肉食をすると必ず喀血するが、菜食にすると直ぐ停まる。丸で判で捺したようだとの事である。これを見ても分かるごとく、喀血を停めるには菜食に限る事を知ったので、その後私はみんなに教えている。これらによってみても、結核に菜食のいい事は確かであるから、栄養学者は大いに研究して貰いたいのである。それについて左の実例は、最も適切だと思うから載せてみた

整形手術直前に救いの御手

『結核信仰療法』昭和27(1952)年12月1日発行

『アメリカを救う』昭和28(1953)年1月1日発行

   熊本市〇〇町〇〇〇番地  光宝大教会 〇〇〇〇(34)

 私は昭和十九年に肋膜炎に罹り、その後二十二年、二十五年と一定の期間をおいて再発する毎に病は亢進し、二十五年末の発病の時は肺結核と診断され、昭和二十六年七月には、いよいよ入院して整形手術を受ける事になっておりました。

 大の無神論者であった私は、初めて救世(メシヤ)教のお話を聞かされたとき、半信半疑どころではなく絶対にそのような事はあり得ないとさえ思いました。しかし余りにも一生懸命お勧め下さいますので入院を一週間か十日位遅らし、それまで試しに通ってみてもいいと言う気特になり、きっとその中にボロが出るに違いないと思い、毎日御浄霊を受けさせて頂いておりました。傍ら先生のお言葉に従い、今までの安静療法を直ちに中止して気の向くままに行動する事にし、服用中のパスをやめ、努めて肉食等の栄養物を摂取していたのを菜食に切替えました。その頃は時折微熱が出る程度の自覚症状でしかなかったので、一週間や十日位だったら少し位非科学的な事をしても、病状に大した影響はないと考えたからです。ところが実に不思議です。医学上からいえば、安静をやめて無理をし、かつ栄養物も摂らないと微熱、頭痛、目眩等の病勢悪化し、身体は当然衰弱しなけれはならないのに、二日目位から顔色が良くなると共に、食慾は進み、一週間経たないうちにメッキリ元気が出て参りました。そこで、私はただ手をかざすだけの御浄霊が、ただ事ではないと思えて参りました。

 又一方明主様のお言葉の記録や数々の御著書を拝読させて頂きましたが、初めの中は革命的な異説にただ驚く外なく、又自分に一番関係の深い(私は熊本県庁に務めております)政治に関する御論説や、役人に対する御批判等に対しては、宗教家が当然唱える理想論であって、現実の社会に対しては、単なる空論でしかないなどとも思ったものでした。しかし右の御批判などもよくよく考えでみますと、読んで気に喰わないのは、自分の一番痛い所に触れるからであって、人に余り関心をもたせたくないような事を、単刀直入に申されるからであります。このような事を考えながら、数々の御論文を拝読させて戴いたり先生のお話をお伺いしたりしている内に、明主様は社会のあらゆる面に亘って、人間の最高道徳をお説きになり、しかもこれを行う道を明瞭にお示し下きっている事を分らせて頂きました。又御一人で政治、社会、宗教、医学、哲学、芸術等すべてにわたって詳細にお説き下さる事は、到底人間業ではない事も考えさせられました。

 思えば昭和二十六年七月十三日、入院準備の買物に行った日が、私の光明世界への再生の日とも申せましょうか、ちょうどお盆の日に これも先組様のお導きではなかったでしょうか、実に間一髪とも言うべきところでした。もしあのまま入院していたら、今頃はどうなっていた事でしょう。整形手術後順調にいったとしても、半年位は絶対安静で、一年位はブラブラしていて、再び働けるようになったと致しましても不自由な不具の身体でいつ再発するかも知れず、戦々兢々として短い一生を終らなければならなかったはずでございます。

 入信以来三カ月、「病気は浄化作用なり」という真理を御教え頂きました一事だけでも、日常生活がいかに明るく、安心感を与えられたかは計り知れないものがあります。今まで子供がちょっと風邪を引いても「ソレ医者だ、早く治さないと肺炎にでもなったら」と慌てたり「ヤレ少々熱があるぞ」「腹が痛いというが何を食ったんだろう」等々、今考えてみますと、全く無用の取越苦労をしていたのでございます。又神様の実在を信ぜず、三十有余年よくも生きながらえて来られたものと深く感じお詫びせずにはいられません。

 このように過去を顧み、感激に浸る事が出来ますのも、明主様のお蔭でございます。この宏大無辺なる御神恩の万分の一にもお報いさせて頂き、地上天国御建説の御聖業に、少しでもお使い頂けますようお念じ致しております。

 明主様誠に有難う御座いました。

(昭和二十六年十一月一日)

 最近米国で、結核に良く効くと言う薬が出来たと言う――大分評判にもなってますが、未だ疑わしい点もあるなんて説もあります。兎に角それを書いてあるんです。

結核新薬を嗤う

(栄光一五〇号)

 最近アメリカにおいてリミフォン(イソニコチン酸、ハイドラジット)という新薬が発明され、これによると人体の結核菌は短期間にことごとく死滅し、たちまち病気は快くなると云い、今や世界的に評判になっているようだが、もっともまだ試験中で、発表は本年六月頃との事であるから、もしその言う通りであるとしたら、救世主のごとく騒がれるであろうが、それは一時的で、時の経つにつれて消えてしまうのは、今までの新薬の例に(ちょう)しても分るであろう。これについて吾々が確信をもって断言出来るのは、今後どんな立派な新薬が出来ても、無論一時的で、結局は駄目になると言っても間違いはあるまい。としたらどんな人でも信じられまいからその理由を詳しくかいてみるが、これを読んだら誰でもなるほどと肯くに違いなかろう。

 そもそも現代医学者の考え方は、結核菌さえ殺してしまえば、それで解決するものと思っているその浅見である。もっともこれは根本を知らないから致し方ないが、ここでよく考えてみて貰いたい事は、結核菌といえども天から降ったものでも地から湧いたものでもない以上、必ず何らかの理由によって、どこからか湧いたものに違いないが、医学はその点を知る程に進歩していないので、そのためいかに無益な努力を払っているか分からない程である。ところが吾々の方はとっくに根本的原理が分かっているから、この根本を教えたいのである。

 まず人間なるものは、いつもいう通り見える体と見えざる霊との二要素から成立っているもので、これは万有の真理であって、これに洩るるものは一つもない。たとえば天地、陰陽、昼夜、火水、日月、明暗等々ことごとくそうである。従って人体とても同様で、病気なるものは初め霊に曇りが生ずる。曇りとは透明体である霊身が、不透明になる事である。もちろん目にも見えない以上、科学では到底分かり得ないが、これを科学的にいっても超微粒子が本質で、空気よりも層一層稀薄な原素である。ところが人体は不断に自然浄化作用が行われているから、それによって曇りは漸次圧縮されつつ濃度化し、部分的に凝結する。もちろんこの本質も水素の密合体で、ちょうど大空の雲のごときものである。それが極度に到るや、ここに一種のバクテリアが発生する。これは無機質植物性のごときものであって、このバクテリアが時の進むに従い、生育すると共に有機体に変化する。すなわちこれが黴菌の卵で、この卵が漸次生長して一個の生物となる。これが黴菌であって、最早顕微鏡で見得る程度になるのである。彼のウイルスとは右のごとき黴菌の卵であるから、いずれは親となり病原となるのは、医学でも認めている通りである。

 この理によって、たとえ黴菌を殺し尽したとしても、それは結果の解消でしかないから、後から後から無限に生産される以上、病気は根治とはならないのである。従ってどうしても発生源である曇りの解消こそ根本的解決法であってみれば、それ以外方法のない事は分り切った話である。この理によって殺菌法は一時的効果で、結局無意味であるのは余りにも明らかである。ところが本教浄霊とは病原である曇りの解消方法であるから、これこそ真の医学である。従って現在のごとき唯物医学をいかに研究したとしても、徒労以外の何物でもないのである。という訳で私はこの真理を一日も早く全世界の医学者に分からせ、覚醒させたい念願である。 

 (御論文「結核新薬を嗤う」のあとの御教え)【註 栄光一五〇号】

 今読んだ通り黴菌と言う物は馬鹿々々しいもので、黴菌をわかない様にしようと言うんじゃないんですからね――今のはね。わいた物を殺す様にしているんです。文化と言うのは、みんなそうなっているんです。罪人――犯罪者が起る根本を無視して、起る犯罪を防ごうとしているんですね。処が犯罪と言うのは結果なんで、犯罪をしようと言う人間の魂が根本なんだから、そこに気がつかないで、結果である犯罪を無くそう無くそうとしている。今の黴菌と同じですよ。それで、私は今「主の文化」と言うのを書いている。丸にチョンですね。今迄チョンがなかった。チョンを知らなかった。それで丸許りを一生懸命に良くしようとしているんですね。だから凡ゆるものがそうですね。今迄の宗教でも、大体そうなっている。肝腎なそれが分らない。分らないと言う事は、肝腎な事を神様が知らしてないんです。それは経綸上知らしてはいけないから、知らしてないんですね。従って力と言うものもなかった訳ですね。力と言うものは、何時も言う通り霊体が、つまり経緯ですね。経緯が結ぶんですね。すると、この真中から力と言うものが出るんです。真中の力が()のですからね。この真中の力と言うものは、之も何時も言う伊都能売ですね。伊都能売になるとその力が出る。それが観音力と言うものですがね。結局、ですから力なんです。私はその力を神様から貰っている訳ですね。こう(御浄霊)して病気が治ると言う事も、その力の現われです。今迄はその力が出なかったから本当に救われなかったんですね。そこで、こう言う地獄の様な世界になっているんです。

 処が力と言うものは、丸が九分九厘とすると、真中の力が一厘ですからね。それで、悪の方の力が九分九厘あるから、そこでどうしてもやっつけられた。真中の力と言うのが蔭に隠れていた。直接に現われなかったから、どうしても表面的には悪の方が勝っちゃったんですね。悪の方が勝ったと言うのは、今の医学の方ですね。あれは、医学のそう言う間違った事はやはり必要があったんです。之が大乗的見方ですが、大体薬と言うものは、あれは毒ですね。毒を何故薬と言って、人間にあれを飲ましたり使ったりするかと言うと、必要があったんです。あれによって人間を弱らなければいけなかった。そこで観音様は薬師如来となって薬を奨めたんです。そこで、人間を弱らせれば文化が発達するんです。人間が、原始時代から健康が続いていると、物質文明と言うのは発達しなかった。ですから、つまり野蛮人ですね。野蛮人は非常に健康なんです。健康だと満足しちゃうんです。進歩性がなくなる。と言うのは一番解り易く言うと、身体が弱りますね。歩くのがつらい。じゃ、座って遠くに行ける様な物を拵えると言う様になる。今自動車が発達したり、飛行機が発達したりするのは、結局人間が不精になったから、物事が億劫だからです。早く寝て了うのはつまらないから夜迄起きて居たいから、と言うので電燈なんかを発明するね。弱って不精になるので、発見発明があるんです。便利にしたり、組織を良くしたりする。それから色んな理屈を覚えたりするのは、結局そう言う為です。文化を発達させる為にです。文化を作る為に人間を弱らせた。それは薬でなければ弱らせられないからね。薬で、人間を弱らせるのに、神様が人間を瞞したりね。然し、それが瞞して置くと、段々弱って来ちゃうんです。その弱って来たのはイギリス、フランスを見ると解ります。近来意気地がないですね。みんな、中央アジアにある植民地も段々離れて、仏印も結局離れます。仏印からビルマですね。あの地方は全然フランスの勢力がなくなったからね。そこでホーチミン軍に攻められて、一生懸命に維持しようとして、うんと金使ったんですね。大変なものですよ。うんと金を使った為に、貧乏になった。そこにアメリカからヨーロッパ統一軍を作るんでヤンヤ言われるんで、成程ソ聯の方も危ぶないから、軍備を或る程度しなければならないが、金がない。それがフランスの政変ですよ。総理大臣が出来ても出来ても直ぐ駄目になっちゃう。今度三度目の、変な名前のあれも怪しいものです。結局(もと)(もと)はフランスの国民が弱ったからです。活動力がなくなったからです。イギリスと来ると、もっとひどい。イギリスは戦勝国――勝った国ですが、却って日本、ドイツの方がありますね。老人の様です。活動力がないから生産がうんと減ったんです。日本が戦後五、六年経って――去年ですね。去年でも、日本の棉糸――木棉ですね。生産が日本一になって、イギリスの方が負けなったんです。そんな具合に、軍備とかそう言った勢力が無くなった。無論元気もないから、そこで可笑しな話だが、中共政府をイギリスは先に承認しちゃったですね。今じゃ後悔してますがね。処が米国は承認しないからね。そこが米国とイギリスの違いです。と言うのはイギリスは香港を失うのが恐いんです。そこで中共を承認せざるを得ないんです。今イギリスではポンドがなくなっちゃって、財産危機は大変なものですね。アメリカが助けているから、どうやらやっている様なもので、実に危ぶないものですね。随分アメリカから金を貸すんですが、直きにそれが無くなっちゃう。日本からも、一億円買おうとしているが、日本じゃポンドが多過ぎちゃってね。ポンドはうっかりすると、価格が下る憂があるので、そうなると大変で、日本でもポンドを増やさない様にしているが、そんな具合で、ポンドが非常に頼りないと言う事は、生産が減ったからです。生産が思う様にないと言うのに、国民の力が弱ったんです。弱ったと言うのは、医学の為です。薬の為です。この根本が種痘ですからね。イギリスが一番最初に始めた。イギリス、フランスと、そう言う順序になっている。それで種痘が一番行われていないのは、ソ聯なんです。米国はどうかと言うと、米国も遅いんです。あれは殆ど移民ですからね。最初にイギリスのピューリタンが渡航した。あれが先祖ですからね。二百人ですかね。増えたと言っても大した事はない。ですからソ聯、米国は威勢が良いんですよ。そんな様な具合で、神様の方は、薬で弱らせるのは、ここ儘でいったら世界の人類は駄目になるから、で、之以上やらない―私がメシヤ教であばいているのは、神様の弱らせ方法を打切りにすると言うのが本当なんです。之程文化を発達させて人間の智識を之程にして置けば、今度健康にしてやれば、鬼に金棒になりますからね。それで始めて地上天国が出来るんですね。之は根本的の理由なんですがね。で、その力ですが、力を――神の力を現わさなければ、目が覚めない。その力を見せているんですね。

 力に就いて、一寸面白い事を書いてある。

(御論文「力」【註 栄光一五一号】)

力(ちから)

(栄光一五一号)

 力について世の中の人は深い事を知らないからここに書いてみるが、これを科学的定義でいうならば、目に見える形ある力ほど弱く、見えない力程強いという原理である。即ち前者は何馬力とか、何瓩とかいうように限度があるが、後者に至っては無限である。つまり人間の想念(そうねん)と同じで、目には見えないが恐るべき力がある。偉い人の力は一人で世界を動かす事さえ出来るのは人の知る通りである。

 右は人間だけに就いての説明であるが、これを押し拡げたのが神様の力である。これを科学的(かがくてき)に説くこともできる。即ち科学で唱える粒子説がそれで、これによると人間の霊は粗粒子であって、神様の霊は微粒子である。勿論神様でも神格が高まるほど、微粒子の度は益々高くなり、それと共に稀薄(きはく)にもなるのである。この様に力学的に言っても素粒子ほど力が強く、微粒子ほど力が強い事を知るべきである。

 この理によって最高級の神様の事を、神道では幽の幽とか、または幽玄(ゆうげん)微妙(びみょう)などとも言われるのは、全くそれを表現した言葉である。この理によって私に与えられている神力は最高級の神霊であるから、絶対力といってもいい位のもので、この力は本当に揮われた者は昔から一人もなかったのである。かのキリストにしろ、言い(にく)い話だが割合弱かったのは事実がよく示している。即ちキリストの行った奇跡といっても御自分だけのもので、弟子達にまで分け与える事は出来なかったのである。その他の聖者にしても、悉く限られた力であった事はその事蹟(じせき)が示している。

 ここに私の事を少しかいてみるが、私の発揮(はっき)する力の大きさと強さは、無限絶対と言ってもいい位で、現在行使している力は一部の発揮でしかないが、それでも知り得た人は驚歎(きょうたん)する。信者は勿論だが、信者の中でも熱心な人で何分の一位しか分り得ないのである。言うまでもなく何れは本当に発揮する時が来るから、その時は開いた口が(ふさが)らないであろう。故に今から腹帯をしっかり締めておく必要がある。そうして私が現在現わしている力だけでさえ、病気を治す人間を作り、農業の増産法を教え、神の実在を分らせる奇蹟を現わしているばかりか、大規模(だいきぼ)な地上天国をも造っているのだが、これ等はホンの小手調べで、時と共に段々押し拡がり、何れは世界的に天国を造る事になろうから、本当の神力はこれからである。

 その様な訳で、もっと詳しく知らせたいが、今言った処で到底(とうてい)信ずる事は出来ないし、神秘でもあるから、ホンの一部分だけ時に応じ、進むに従い発表するのである。これを要約(ようやく)すれば善言讃詞にある通りの世界を造ってゆくのである。特に一言いっておきたいのは、最大の争いである国と国との戦争であるが、これも私は、時が来れば一挙に無くすことが出来るだけの力も持っているから、安心して貰いたいのである。

 

 

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