四月七日

【御教え】

 メシヤ会館ですが、今出掛けに図面が出来て来たんです。之は幾度も直して、やっと思う通りに画けたんですよ。順繰に廻して――之は、本当にざっと画いた丈で、いずれもっと大きく、彩色にして画かせる積りですからね。

 「縦の線を随分お使いになって居られます様で御座いますが――」

 縦の線です。根本はコルベジュエですが、それに荘厳味をつけ様と思ってね――荘厳にしようと思ってね。この様式は未だ世界にないんですよ。柱が人造石で、縞になって、その間は白壁になる椅子丈が二千百六十ですね。廻りに立つと――廻りの廊下に立つと、丁度三千入れる様になっている。専門家のは気に入らないでね。丸っきり之は違うんですよ。寸法から、全部私がやったんです。高さが、前が四十尺です。後の方は三十四尺にして、柱を二尺にして人造石で縞になる。縞の粗さを定める訳ですがね。柱と柱の間が、白い壁ですね。中の椅子の処から、全部私が設計した。今度は、展望台の図面を引かせますけれどもね。

 「長椅子は五人掛けで御座いますか」

 いや九人掛けです。普通は十人になるんですがね。上にテレンプを張ってね。一人々々区切ってやる。肱はないんです。ベンチでは、やっぱり窮屈ですからね。やっぱり一人宛にやっていくんです。

 それから、此鉱石は皆見ましたね。此鉱石は神岡鉱山の技師が日本一だと言いますが、私は世界一じゃないかと思ってますね。恐らく之程の鉱石はないだろうと思いますがね。之は、鉱山の知識のない人は一寸見当つかないが、少しでも知識のある人は、驚かざるを得ないんですね。随分良い鉱石でも、石の中に(かね)が散らばっているものですがね。私は二十年前から――この方は続けてやってないけれども、やったりやらなかったりしていたんです。随分方々の石を見ましたが、石の中に(かね)が散らばっている。之は(かね)の中に処々石が散らばっている。反対なんです。つまり無垢ですね。最近の報告ですと、之よりもっと良くなった。此倍位の幅になったですね。鉱物ももっと良いと言う事を、手紙が来ましたがね。二、三日中にこっちに来るでしょう。ですから、やはり流石に神様が準備したと言う事が分るんですね。それで、埋蔵量ですけれども、それを今調べてますがね。埋蔵量といっても、上からじゃ中々分り(にく)いものでね。何しろ土の中に入っているのでね。それで、今横に掘っているのと、堅坑を入れてますからね。横は延長が分りますし、堅坑は深さが分るんですね。大抵之は、下は銅になる積りですがね。之は正規脈と言うんです。脈にも――処々固まりがあるのはポケット式。網になっているのは網状脈とか。真直行っているのは正規脈です。正規脈は銅が多いんです。之は亜鉛と鉛と銅なんです。鉛が一番多いですがね。黒いのは鉛なんです。学名は方鉛鉱と言うんです。ピカピカ光って結晶しているのは、閃亜鉛です。黄色い真鍮の粉をふった様なのは黄銅鉱です。銅が一番多いのが良いんです。と言うのは銅が一番値段が良いのと、銅が不足しているのと、銅は平和的にも使える。鉛、亜鉛はどっちかと言うと、戦争に使う丈だからね。今朝鮮の戦争がだれて一旦休んでいる様なものだから、鉛、亜鉛が一寸下って、景気が悪いですね。だから神岡鉱山でも、今売るのは損だから、溜めておきなさいと言うので、溜めているんですがね。銅は始終不足しているんです。値が倍位良いですね。そこで、今銅を取るべく堅坑を入れているんです。で、下に行く程銅になるんです。と言うのは、私の学理なんです。神様の学理です。人間の学理は違うんです。やっぱりあべこべですね。医学と同じです。人間の学理は、鉱物と言うのは、地球の下から鉱液といって、鉱物の液体ですね。それが上昇すると言うんです。そうして岩石の亀裂を埋めて、それが結晶して鉱物になると言う学理なんです。処が、それは出鱈目なんですよ。鉱物と言うものは、硬化作用ですね。土が固まると石になる。それから、石がもう一層硬化すると(かね)になる。(かね)になると言っても、石の中に処々に結晶が出来る。之は丁度人間の膿と同じなんです。万物は理屈は一つなんですからね。だから、全体に――身体に毒がありますね。それが結晶して処々に固まりが出来る。それが段々固まると、丸で骨みたいになるんですね。私は先の歯の毒が固まって、骨の様です。此頃段々溶けて柔くなりましたがね。そう言う様なものです。だから、よく腎臓結石とか胆嚢に結石が出来ますがね。人間の膿でさえ石になるんだからね。あの石を取って細工すれば、何しろ指輪の石やボタンになるんだからね。膿の固まりの結石した物は立派な物ですよ。磨いてあるとピカピカ光ってね。驚きましたね。膿の因は薬ですからね。水薬なんていうのは、結局人間の身体にやると石になるんですからね。従って土が石になり(かね)になると言うのは何でもないですね。それで、例えてみれば粘土が固まって、それが鉛になるんです。だから色が鉛は粘土色してますね。それが固くなると亜鉛になるんです。亜鉛とか、土の性質に依って錫になるんですね。錫になる性質のものは、錫から銀になるんです。だから銀は錫が硬化したものです。一方今の粘土の黒い方は銅になるんですね。粘土にも、黒いのと白っぽいのとありますがね。白っぽいのは、結晶すると亜鉛ですね。亜鉛と言うのは、四角に結晶するんですね。それが結晶すると銅になる。之は結晶すると言っても、胚胎するんですね。部分々々に結晶して来る。銀が結晶すると金になる。それがもっと結晶するとプラチナになる。日本にはプラチナが少ないんですね。と言うのは日本は新しいからですね。神道なんかで日本は一番古いと書いてあるが、そうじゃない。一番新しいんです。で、新しいのが一番上等なんです。だから宗教でもメシヤ教が上等なんです。一番新しいからね。そう言う様なもので、今之を掘っている。私が去年の秋に行った処が、細い脈だった。良い脈ですが、一寸か二寸ですからね。だから、之から下に行けば太くなると言うので、下に行こうとした処が、昔既に掘ってあって、五、六十間坑道を作ってある。矢張り見込をつけてやったが、途中で迷って横っちょに行ったりした為に、みんなうんと金掛けたでしょうが、力尽きて()めちゃったんですよ。だから()めて落盤したりして埋まっていたのを、すっかり掘って、進んで行って、突当りから一寸掘ったんですね。僅か四、五尺で当っちゃったんです。ですから、神様が準備したと言う事が良く分る。その時にもう四、五尺掘られたら、其時にやられたんです。今度山の中心部――中央に向って進んでいるんです。すると、進むにつれて鉱物も良くなっている。と言うのは、山の中央が圧力が強いですから、金属を胚胎する事になるからね。之は私の学理なんです。それから、下に行く程金属が胚胎しているから、銅が胚胎している。だから下の方は銅が多いんですよ。だから圧力に依って鉱物を発生すると言う事は、実際上良く合っている訳ですね。ですから、山の中央を目掛けて行けば、鉱物は段々良くなる。処が学理はそうじゃない、鉱液とか、出鱈目な事を言っているから駄目なんです。ですから私の学理で行くと、鉱物を見附けるのは、割合に簡単にいくんですね。之は鉱量も余程あるに違いないですね。大体分ってますけれどもね。そうして、不思議な事には、此山は駅から二、三町きりしかないんです。水上の駅を降りて、左に行くと温泉場になってます。やっぱり二、三町位で温泉場になっている。右に行けば良いんですからね。だから恐らく、駅の近くにこんな山があるなんて珍しいです。普通鉱山と言うのは、駅から県道を何里行って、それから山に何里入ると言うんですね。こんな駅の側にあるなんてのは殆どないです。だから、今度駅に索道掛けると、直ぐです。何程も運賃なんて要らない。そこにもっていって、段々信者の奉仕隊が増えていきますから、そういった労賃も零みたいなものですね。だから、之も日本一ですね。だから日本一が三つあるんです。今売れば売れますが、之で売ると非常に損なんです。と言うのはこういう石は滅多にないんです。銅とか鉛とか決っている。鉛、亜鉛は一緒ですがね。そんな訳だから、銅専門、鉛、亜鉛専門と、鉱山が別れてますからね。どっちかが犠牲になっちゃうんです。それで、選鉱機と言う分離する機会が出来ているので、それを注文して据附ける予定になってます。それが動くと、みんな分離して、専門々々の会社に売る事になる。非常に得なんです。だから何んだ彼んだと、プラスになるのは、この夏あたりだろうと思ってますがね。それから人間も要りますしね。人間を寝かす処がなくちゃいけない。飯場ですね。それを作ってますが、一軒は出来ました。一軒で二十人位泊れます。之は至急百人位にしようと思っている。五カ所位にね。之が不思議なんです。坑道の直ぐ側に千坪許り平になっている。矢張り神様が準備したんだから、違いますよ。だから其処に簡単に建てられる。一カ月に一軒建ちますからね。だから、秋迄には出来ます。だから信者さんも、鉱山の方の勤労者を集めて貰いたいと思いますね。そうして、金が儲かる様になると、矢張り神様はそれ丈の仕事をなさるんですからね。この間の御祭の時に色んな話をしましたが、あんな事を始めると、信者は金を奉納しなければならない。と、心配する様な話もありますが、それは大丈夫です。今言った通り、そういう様な必要丈の金は出るし、又、金が出ると言う事は、そういう仕事をしなければならない事になりますからね。で、此間話した様な事が、ちゃんと出来て行く訳ですね。之は、去年私が話した、色々な造営なんかやっても、必要丈のものは必ず神様が、来る様にするからと言う事を言いましたがね。あの時は、私は山になるとは思わないが、そうなる様になっているだから、神様が何とかするだろうと思ってました。で、矢張り先月――あれから鉱物は出だした訳ですね。そんな様な訳で、細かく話したら大変ですから、この位にしておきますが、そんな訳ですから、愈々今年から規模も非常に大きくなりますし、世の中に大いに知れ始める訳ですね。今でも中々知れて来てますが、けれども断然普通の宗教と違うと言う――メシヤ教の本当の事ですね。それを認識される様に、いずれはドンドンなっていくと思いますね。そうして、美術館も予定通り出来ますからね。で、すっかり中のケースなんかも、品物に一つ々々合わして、見良い様に、この十三日に注文して、ケースの設計と言うものも出来ました。箱根の本山なんかも――光明殿なんかも割合早く出来るだろうと思います。まあ、鉱山の話はその位にして――

 「結核信仰療法」のお終いの方に、医学に関する間違ですね。それを凡ゆる角度から見て、説明した原稿ですけれども、之は信者に説明する場合に――信者でない。患者に説明する場合に、非常に解り良いと思いますから、之を今読ませますからね。良く――要するに急所ですね。それを書いてありますから、その積りで聞いて貰いたいと思います。

(御論文「医学誤点の種々相」)【註 栄光一五二号】

医療誤点の種々相

(栄光一五二号)

 医療は毒素を固めて体外へ出さない方法であり、浄霊はその反対に溶かして体外へ排除させる方法である事は、充分判ったであろうが、何しろ人間は今日まで医学を信じ切っている以上、右の理屈が仮に分かったとしても、頭脳の切換えは仲々容易ではないと思うので、なお色々の面から解剖のメスを入れてみよう。そうして今日流行している彼の気胸療法であるが、これも肺の外部にある膜と膜との間に空気を入れ、肺を圧迫して活動を弱らせ、呼吸を微弱にする。それによって肺の内部にある毒素の浄化は停止されるから、それだけ下熱し、咳も痰も減って治るように見えるので、言わば肺臓だけの局部安静法である。このように医療は固める事を原則としている以上医学の進歩とは固める方法の進歩でしかない事は、余りにも明白である。何よりも安静中少しでも運動をするとたちまち熱発(ねっぱつ)するが、これは幾分でも浄化が(おこ)るからで、医師は慌てて戒めるのは、毒結溶解を極度に恐れるためである。

 次に結核の特効薬であるが、これも同じ道理で、近年次から次へと新しい薬が出来るのは、残らず人体を弱らせ、固める効果を狙ったものであるから、よく効く薬というのは、副作用を紙一重というところまで起こさないようにして毒を出来るだけ強めたものである。以上によってみる時、現在の結核療法の原理は別段治病上の進歩ではなく、単なる固め方法の進歩にしかすぎないのである。彼の造りつけの人形か生ける屍となって、何年でも寝たきりにさせているのは、自然に固まるのを待つのである。しかもそのため多額の費用を要し、仕事も出来ず感染の心配さえあるとしたら、全く可哀想なものである。

 滑稽なのは大気安静療法である。寒風膚をさす冬の夜、窓を開ッ放しにしてジット寝ているその有り様を見ては、馬鹿らしさに言葉はないのである。これでは健康者でさえ我慢できないほどであろうに、衰弱し切って骨と皮ばかりになっている上に、多少の悪寒もあるのだから、全く悲惨そのものである。それでも治るならまだしもだが、そのようにしてまでも悪くなって、結局ほとんど死ぬのであろう。これも良い空気を吸わせんがためであろうが、実際からいって空気の善悪は、吾々の経験上余り影響はない。何となれば浄霊で治す場合、都会の悪い空気の中にあっても、治り方に異いはないからである。第一空気に関係がありとすれば、農村に結核は少ないはずだが、近来は都会と余りかわらないとは、医学でも唱えているところである。そのほかこういう事もある。以前はサナトリウム等で日光療法を勧めたものだが、近頃は悪いとして廃めてしまった。これなども日光に当れば新陳代謝が旺盛となり、浄化が発り易いからである。要するに現在の結核療法(これは他の病気もそうだが)の根本的誤りは、病毒をかためることを建前としている点で、これに目醒めない限り、真の病理は立てられないのである。

 次に感冒について今少し言いたい事がある。最初にもかいた通り、まず風邪を引くや早速医者にかかるか、そうでなければアスピリン、葛根湯(かっこんとう)などの売薬類を服むか、お手製の玉子酒、蜜柑の黒焼などを服んで蒲団を被り、できるだけ汗をかくようにする。懐都合のいい人は、姑息(こそく)な療法は危険として、掛かりつけの医者に行くが、何しろ現代医学は風邪の原因すら分かっていないのだから、患者の安心のいくようハッキリ言ってくれない。極力安静を勧めるくらいなものなので心細くなり、もしかすると肺炎にでもなるのじゃないかとビクビクもので、一日中体温計と首ッ引きである。

 ところがたびたびかいた通り、風邪くらい結構なものはない。身体のどこかに溜っている毒の掃除であるから、熱で溶けた痰や、水ッ洟、汗などが出るだけ出ればそれで治ってしまい、サッパリとし健康は増すのだから、早くいえばロハで体内の掃除が出来るようなものである。ちょうど入浴は外部の清潔法であるに対し、風邪は内部の清潔法と思えばいい。つまり皮膚に溜った垢を落すと同様、体内に溜った垢を落すのである。もちろん皮膚は手で洗えるが、腹の中はそうはゆかないから、自然は風邪という体内入浴法で洗ってくれるのだから、何と造物主は巧く造ってくれたものではあるまいか。全く風邪様々である。だから人間はできるだけ風邪を引くのが天理に適っており、それによって体内は清まり、健康は増進するとしたら、健康法の第一は風邪を引く事である。しかもこれで健康になった人は真の健康者であるから、結核など絶対感染する憂はないのである。

 右のごとく自然療法によって治せば毒が減るから、風邪引く度に軽く済むようになり、遂には全く引かなくなる。こうなってこそ通勤者や通学者も、いかなる階級の人も無病息災年中無休で働かれ、日々愉快に仕事ができ、家族一同も病気の心配がなくなるから、家庭の集合体が社会であるとしたら、社会全体天国化するのは必然である。

 しかし医療によっても病気の治る事があるから、その説明をしてみるが、医療で治る理由は二つある。一は再三かいた通り、薬剤その他の方法を以って毒素を極力固め、浄化が停止される結果治ったようにみえるが、真の全快ではないから、いずれは必ず浄化発生する。しかしこの事を知らないから、世人は医療で治るものと思うのである。今一つは医療で毒素を固めようとしても、浄化力旺盛な人は、仲々固まらないで、自然に少しずつ排除され、ある程度減るため治る場合であって、これは真の治り方であるから再発はないが、こういう人は滅多にない。ところが最初から医療を受けず、自然に放っておけば浄化は順調に行われ、一層早く治るのである。

 この意味を今一層徹底してみるとこういう事になる。それは病気の苦痛のあるだけは、浄化が行われている以上、毒は減りつつある訳で結構なのである。しかし人間の苦痛は我慢出来ないから、一時でも楽になろうとして、薬毒を用いるのである。これはちょうど借金を返すのは辛いから、延期するようなものである。としたら日の経つに従い利子が溜って、借金の苦しみは増え、厳しい請求となるが、またまた延期をするが、次は一層激しい請求となるから、いよいよ苦しくなると同じように、医療で延期すればする程、段々悪化するのである。ではどうすればいいかというと、最初の時に苦痛を我慢する事である。そうすれば苦痛は一時的で病原が減る以上、さほど長く続くものではない。急性病ならまず二、三日で済むものである。その他の方法としては本教浄霊によるより外ない事は曩にかいた通りである。

 また結核の間接的原因としての肋間神経痛であるが、この原因は意外なところにある。それは首から上の病気でよく手術をするが、この際使用する消毒薬のためが最も多いのである。しかるに医療は消毒薬は殺菌に不可欠のものとして必ず用いるが、この薬毒こそ実に恐るべきもので、この毒分は非常に強烈で、しかも筋肉から直接滲透し、量も多いと共に、それが下降して肋骨部に固結し、なお下降して下半身に及び、種々の病原となるが、この毒性は執拗で、治るにも長期間を要するのである。従ってこの消毒薬の害が判っただけでも、いかに多くの人が救われるかを私は常に思うのである。

 次に医学の原理であるが、医学には原理がないと言ったら何人も驚くであろうが、それは何よりも真に病原が分かっているとしたら、動物実験の必要はない訳で、何を好んでモルモットや二十日鼠など多数の殺生をしなければならないかで、これこそ全く原理が分かっていないからである。彼の駆黴(くばい)薬六百六号にしろ、この薬は六百六回の実験を経て、ようやく完成したというのであるから、推して知るべきである。これだけにみても原理不明をよく物語っている。すなわち今日の医学は全く原理ならざるものを原理と錯覚しているにすぎないのである。

 元来病気なるものは、人体に現れたる現象であって、実体ではないので、この区別が医学では分かっていないのである。従って病気の種類が多いという事は、現れる部分が多いからで、その部分部分の異いさによって病名が付せられているだけの事で、病原は一つなのである。というように医学は病気の種類によって、病理もそれぞれ異うように思い、治療手段を工夫したので、これが一大欠陥である。ゆえに進歩したといっても、右のごとく根本には全然触れていず、外部的症状のみを対象としている以上、治らないのは当然である。

 私がこれを唱える証左として、本教の治療であって、いかなる病気でも浄霊一本で素晴しい成績を挙げているにみても分かるごとく、現代医学は全く幼稚極まるものであって、医学で唱える病理というのは、実は機械的推理以外には出ていないのである。何よりも根本原理が分かっているとすれば、その原理通りに治療を行いさえすれば、必ず治るはずであるから、動物実験などの必要はない訳である。以上によって私は全世界の医学者に希望するのは、まずこの点に気づく事である。それが分かれば既成医学は揚棄せざるを得なくなり、ここに医学の再出発となって、真の医学が生まれるであろう。でなければこのままでは今後何年経っても、真の病理発見など痴人の夢でしかない事を断言するのである。

 

 この理窟で、今――之から流行(はや)ろうとしているハイドラジットと言う奴ですね。あれなんかも医学上の調査は、昨日なんかの新聞に出てましたがね。ストレプトマイシンより毒性は強いとしてます。ですから、その毒性の為に効いたんですからね。何しろ結核菌は皆死んじゃうと言うんですからね。之は人間じゃないんですよ。二十日鼠ですよ。結核の二十日鼠に注射すると、結核菌は皆死んじゃう。今言う様に副作用を出来る丈起らない様にして注射すると効くんです。そうするとあとが悪いんです。未だ、あとが悪いと言う迄に、行ってないから、安心してますが、あとが恐いんです。ですから、今の医学は困るんですよ。

 それからこういう事を知らなければならないんですがね。それは、昔から宗教の教祖とか言う人が、何でも一々神様に御伺いするんですね。そうすると御託宣が出て、神様がこう仰言った。とか言うんですがね。そうすると、それを聞いた人は大変有難がるんです。有難く思うんですね。処が私はそんな事はしないですね。唯、其場々々で簡単に言ってのけるので、有難味がないんですね。だから、ともすればそれを軽く思って聞き流しちゃう訳ですね。で、何かあると、こう言う事を以前にお聞きした。之だと言う事に気が附くんですが、初めは中々そう思わないんです。それですから私の言う通りやらない人も随分あるんですよ。それは何う言う訳だと言うと、私は神様に聞く必要はないんです。私のお腹に居られる神様は最高の神様です。自分が言う事行る事が、その儘神様が行っている事と同じですからね。つまり直接なのですね。処が、今までの宗教の開祖と言うのは間接なんです。キリストにしろ、自分はエホバの命に依って生まれたとか、天の父だとか、何とか言いますが、あれはやっぱり間接的なんです。で、私に居られる神様は、エホバと同じなんですからね。そこで、私は神様を拝んだ事がないですね。何処の何の宗教でも、御祭なんて言うとやっぱり神様に、教祖が恭しく礼拝するものなんですがね。私はやらないんです。と言うのは、私が拝む神様はないんですよ。若し神様があるとすれば、私より皆下だからね。だから、神様の方で私を拝んで良いんですよ。それですから、御守を一つ書くにも、普通は斎戒沐浴して、羽織袴で恭しく書くんですが、私は夏なんか裸でアグラをかいて書く。だから知らない人は有難味はないんですがね。私は何んでも無造作にやってのけるんです。難しくする必要がないからですよ。ですから、反ってその点を逆に考えられるんですね。逆に思われるんですね。誤解されるんですね。然しそれは、段段分って来れば良いと思っている。だから一時的誤解は私は何とも思わないですがね。こう言う事も余り生神様らしく思わせることになるので、私は好かないので余り言わなかったんですが、その為に私の言う事を軽く見る場合がよくあって、その為に間違がよくありますから、その為に言っておいた方が良いと思ってお話するんです。だから、その点を良く心得て居て、他の宗教や、教祖と較べればはっきり分るんですよ。一番分るのは、キリストの奇蹟なんかは、非常に有名になってますが、私の弟子で、キリストと同じ様な奇蹟は盛んにやっているんですからね。それ以上の奇蹟さえあるんです。時間があったら読もうと思ったんですがね。奇蹟以上の奇蹟と言うんですがね。今度新聞に出しますが、読むのは時間がないから略しますが、百姓夫婦で、最初田んぼに入って、電線が切れて落ちたのを、うっかり摑んだんです。六十ボルトで――感電してひっくり返って倒れたんです。それを見て、亭主が、之は大変だと入って摑んだ処が、又ひっくり返ったんです。電気の方では、水に入ると五倍の電流が流れると言うんですね。ですから、その電流を食って、身体が仮死状態になった。処が良い塩梅に助かったと、本人が書いたものなんです。之は、全然学理で理窟のつけ様がないんです。精しく書いてありますが、新聞に出て見れば解ります。

 それから原子爆弾の御蔭話も、そういったので七つ許り集まりました。之も、新聞に出しますがね。之なんかも、随分奇蹟がありました。殆ど、信者で――御守を受けたのは、一人も被害がなかったんですからね。だから原子爆弾も恐るるに足らずですよ。必ず助かります。又、原子爆弾で半分死んだ様な人でも何でもない。やっぱり浄霊で治っちゃうんですからね。だから、是奇蹟なんて言うのは、キリストでも――あの時分には電気や何か無かったから仕方がないが、それはキリストの奇蹟以上の奇蹟ですよ。今話した、キリストや何かも間接的の力であって、私は直接だと言う事は、之丈を見ても証拠附けられるんです。時間が来ましたから寸鉄を――。

 

 

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