【御教え】
一寸面白いので、今読ませます。
(御論文「神人合一」)【註 栄光一五五号】
神人合一
(栄光一五五号)
よく昔から神人合一という言葉があるが、実際からいってそういう人は、今までに一人もなかったと私は思っている。成程釈迦、キリスト、マホメットの三大聖者にしても、神人合一の如くみゆるが、実は神意の伝達者であって、分り易く言えば神の取次者であったのである。というわけで世人は神人合一と、神の取次者との区別を知らなかったのである。即ち神の取次者は神憑りや、神の命によって行動するのであるから、常に神や仏陀を祈り、その守護を仰ぐ事にしているのである。
処が私はそういう事は全然やらない。信者も知る如く、神を祈る事もないし、神の守護を仰ぐ事もない。只自分の思うがままを実行していればいいわけで、甚だ簡単である。としたら今までに例のない事とて、変に思うかも知れないから、ここに差支えない点だけを書いてみよう。いつも言う通り私の腹には光の玉がある。これは或最高の神様の魂であるから、私の言動総ては神様自身が、私を自由自在に動かしているのである。つまり神と人との区別がないわけで、これが真の神人合一なのである。
従って、私に在られます神霊は最高の神位であるから、これ以上の神様は世の中にないのであるから、他の神様に頭を下げる意味はないので、何よりも信者が日々顕わしている奇跡がそれを証拠立てている。その奇跡たるやキリストの顕わした奇跡以上の奇跡が常に顕われているので、私の弟子でもキリストに比べて何等劣る処はないのであるから、この一事だけでも私の神格は想像つく筈である。
今一つ言わねばならない事は、今日までの悉くの聖者は、将来天国的世界が実現するという予言はしたが、自分自身造るとは言われなかったのは、全く神格が低く力が足りなかったからである。私は自分自身が病貧争絶無の地上天国を造ると宣言しているのは、右の理由によるからである。というわけで今後私は今までにない幾多の驚くべき経綸を行うから、それをよく見て貰いたいので、到底人間業とは考えられないような事が、ドシドシ出て来るであろう。
丁度、今のと繋がっている様な御蔭話ですから――
(御蔭話「奇蹟以上の奇蹟」)
それから原子爆弾は此御守を懐に入れていると、先ず大丈夫ですね。その御蔭話を出せという事を言った処が七つ来たんですよ。その内の一つ丈を読ませます。それと、論文を一寸添えてあります。
(御論文「原爆恐るるに足らず」御蔭話「頭上にピカドン、御浄霊で大活躍」)【栄光 一五三号】
原爆恐るるに足らず
(栄光一五三号)
現在の世界で最も怖るべきものとされているものは、何といっても彼の原子爆弾であろう事は今更言うまでもないが、それというのはその驚くべき破壊力に対して、防止する方法が全然ないからである。併し止まる処を知らない科学の進歩は、何れは防止手段の発明も考えられるが、それは何時の頃か見当がつかない。としたら、それ迄の人類の不安は大変なもので、これ以上の悩みはあるまい、処が私は原爆を免れ得る力を神から与えられているのであるが、これを聞いただけでは到底信ずる事は出来まいから、事実を以て解説してみるのである。
元来、原子爆弾の原理というのは何万度か分らない程の灼熱である。この灼熱によって凡ゆる物質が一瞬にして焼尽されるのであるから、これを防ぐとしたらその熱以上の力でなくてはならないのは勿論である。だがそれ程の力なるものが現在地球上にありやという事であるが、実は立派に存在しているのである。今それを説明するに当って、先ず知っておかねばならない事は、私がいつも唱える処の霊体の真理である。言うまでもなく万有一切は霊と体との二元素から形成されているのが実相であるが、それに就いて特に知っておくべき重要事は、霊と物質との力の強弱である。それは体即ち物質の力よりも霊の力の方が、何倍或いは何百倍勝っているか分らない事実である。然るにこれが何故今日まで分らなかったかというと、近代文明の基本が唯物科学から出発している以上、不可視の霊の存在は到底信じ得られなかったからである。
これを最も卑近な例で説明してみるが、先ず人間である。即ち科学は人間の肉体だけを対象とし、見えざる心即ち意志、想念を無視している事である。処が実際は肉体を自由自在に駆使している力は意志、想念である。言わば無形の力が有形の力を左右している訳であって、この無形の力こそ絶対支配者である以上、この理を原爆に当嵌めればよくわかるのである。即ち原爆と雖も根本は物質であり、只極致的偉力なのである。従ってこれを防ぐとしたら、それ以上の力即ち霊的原爆ともいうべき力の発揮によればいい訳である。といっても霊的原爆などというそんな素晴しいものは今日ある筈はないと思うであろうが、それが確実にあるのだから大問題である。即ちその力というのは原爆を受附けない程の超科学力であって、この力こそ神霊から発揮される絶対力である。処がこの力は何によって発現されるかというと、これこそ私の身体を通じて発揮される神力である。それは今日まで小規模乍ら実験によって確実にされている。彼の広島、長崎に於ける原爆を被った際、私が作った御守を掛けている人達は、悉く助かった事実である。今その中の数種を本人手記による報告を掲載(本誌には省略)したので、読めば如何なる疑い深い人でも、信じない訳にはゆかないだろう。
本教は常に言う如く、病貧争絶無の世界を造るにあるので、病貧の方は眼に耳に絶えずその解決法を教え、実行もしているから信じられるであろうが、争の方は今まで充分解いていなかった。勿論争の大なるものが戦争であるから、結局戦争が解決出来なければ、真の平和は実現しない訳で、これこそ原爆を無力ならしむる方法である。従ってこの力が地上に顕現されたとしたら、他の如何なる武器と雖も知れたものであるから、この世から戦争を絶無にする事は、敢えて不可能ではない事を私は断乎として言い得るのである。
御蔭話「頭上にピカドン、御浄霊で大活躍」
(世界救世教奇蹟集)
広島県広島市牛田町東区三
大原中教会 三好トミヨ(56)
この度明主様より〝原爆の御守護その他の体験を報告せよ〟とのお言葉を会長先生を通じて頂きましたが、余り大きな御守護に筆や言葉で言い表すことが出来ず、ペンを執って見て書きかけてはやめ、何度も何度も書いて見たものの、元来作文の不得手な私ですが、明主様が直接お目を通される事を承り、光栄に身がしまり拙文も顧みず当時を追憶しつつ御報告させて頂きます。
入信の動機その他は後日に致しまして、忘れも致しません昭和二十年八月六日、世界最初の新科学兵器原子爆弾が投下された日、広島市民二十五万人の生命財産は一瞬にして変化してしまいました。当日は朝早く主人は一人娘が学徒疎開で岩国市北方約八里程の山奥の村に居りましたので、急に面会がしたいと言って出掛けましたので朝早く開店も出来ず(当時私宅はこども堂と言う名前で書籍販売業を致して居りました)予て教修を受けている当時の広島鉄道局長の満尾様宅(広島市日島町官舎)に御浄霊の依頼を受けて居った関係上お伺いすることに致しました。局長様はお出かけ寸前にて自動車が用意されて居り、奥様も一緒に歯科医に行かれる予定、お嬢様も学校へ出掛ける寸前だったのです。私の顔を見るや奥様は大変喜ばれ、局長さんもお嬢様も出掛けるのをやめ御浄霊を受ける事になり、御浄霊を始めた処、ピカッと光ったと思う瞬間、ドンと大きな音がしたと思うと、辺りは真っ暗くなり、私は何も彼も分からなくなりました。暫くして気がつきましたが直撃弾が落ちたのだと思いました。当時は中心地以外の所では皆が一様にそう感じたのです。一瞬死ぬという気持ちにおそわれました。早速、光明如来様を念じて居りますと、少しずつ明るくなって参りました。
意識をだんだんとりもどしかけました処、満尾様の奥様に「三好さん」と呼ばれてパッと正気になりました。あたりを見れば何も彼も飛び散り、一瞬の出来事にただ茫然として居りました。取敢えず外に飛び出して見れば家は全部壊れて居り、下敷きになっている者は助けて呉れ、助けて呉れと泣き叫んで居ります。急に家の事が気になり、帰りかけますと大怪我をした人達がこちらへ逃れて参りますので尋ねて見ると、どの人も異口同音に「自分の家に爆弾が落ちた」と言われます。私も局長宅へ落ちたのだと許り思ったのに、これでは到底市中の我家へは帰れぬ事を悟り引返しました。途中家の軒下にはさまれた子供を助けるやら怪我をした人を御浄霊したりして居る中に、大火災になりましたので付近の太田川畔へ逃れました。軍人さんが大分ひどい怪我をして倒れて居るので早速御浄霊をさせて頂きますと、気がついて御礼を言われ治療所へ連れて行きました。途中怪我人ばかりで実に惨憺たる光景で、元気なのは私一人で誠に不思議でなりませんでした。今考えると御守様の御蔭と感じさせられ、現在の心境があの当時あったらより沢山の人々を助けられたのにと後悔に堪えません。
取敢えず妹宅は少し離れた郊外ですのでそこへ身を寄す積りで参りますと、途中の家は全部壊れて居ります。怪我人やら死人で実に阿鼻叫喚の有様です。漸く妹宅へ辿りついて見れば家の内部は全部こわれ、食料等何一つありません。漸く空腹を感じて参りましたがどうすることも出来ず、その中怪我人は連れて来るので、唯当時は観音様を念じながら手を振る事に一生懸命だったのです。それで皆楽になり、自分も最善の努力を致したつもりでした。恐ろしかった六日の日も暮れ七日の朝を迎えましたが、広島市内は殆んど燃えつくし、我が家へ来てみれば金庫一つが残って居り、後は何一つありません。全部灰になっております。自分もここに居たらあの灰になっていたに違いない、御浄霊の尊さ、神様の有難さ、唯何もいりません、体一つあれば、お守様のお蔭と有難さ嬉しさに涙はとめどなく流れて参ります。お守様のお蔭だと繰返し繰返し叫んで、そうだ一人でも多く怪我した人を助けようと思い、先ず一番気にかかるのは当時親戚から預かって居った子供の事早速子供の通って居った女学校へ走りました。
学校へ行きますと全部怪我人で一杯です。誰が誰やら判らず、尋ねる事も出来ず、唯茫然としている処にトラックが女学生を満載して参りました。その中の一人が「叔母さん」と手を出して泣きます。全部の生徒は顔中繃帯ですので誰やら分らず、声を頼りにそれが姪である事が分り、早速下して一室へ連れて参り、大火傷をして居りますので早速御浄霊をさせて頂き、お守を頂かさなかった事を後悔しつつ一心に神様にお願いして御浄霊させて頂きましたら、四、五日で元気になり、帰郷出来る様になりました。その他の生徒も学校へ泊りきりで御浄霊をさせていただく内、殆んど全快致しました。先日の新聞に(昭和二十七年二月)原爆病の火傷には油薬は不可と出て居りましたが、当時私はこのお道の話を聞いて居り薬の不可の事を先生より承って居りましたので、薬をつけて居ない人許り御浄霊させて頂きますと実によく治ります。薬をつける人の浄霊は治り方が遅いのに気がつきました。当時余り惨憺たる光景の最中故、充分の記録を取っておかなかったのが残念でたまりません。唯早く助けたい一心で名前も聞かず手を振るのが一生懸命でした。同じ条件の中でお守を持った人と持たない人の区別をはっきり分からせて戴き、私の親戚でも入信した人は全部怪我一つせず助かって居りますが、縁のなかった者は殆んど怪我又は死んで居ります。子供の疎開先へ帰った主人も数日後広島のピカドンを知り帰って参りまして、店が灰になって居り、金庫が一つだけ残って居りましたので、主人は家内も慾深故、金庫のそばで死んだものと思い念仏をあげて親戚宅へ行く途中、橋の上で会い、お互いに夢ではないかと喜び合い、暫く涙が止まりませんでした。当時の広島の原爆後の悲惨さは当時を体験した者でないと想像できないと思います。一家全部助かった家は殆んどありません。私一家は明主様のお蔭とつくずく有難涙にむせびます。
なお当時の原爆病で頭髪の抜けた人は大抵助かりませんでしたが、御浄霊を受けた人は助かり今でも元気で居ります。原爆病に熱と下痢はつきものですが、御浄霊を受けた人は皆助かって居ります。薬をのんだ人は死んだ人が多かった様です。当時何の怪我もなく助かって喜び合った近所の人も、十日、二十日と経つ中に死んだ人も沢山あります。当時講習会の度毎にすすめに歩いて、受けた人も相当にありましたが、皆お蔭を戴いて居られました。が再三すすめても遂に縁のなかった方々は殆んど助かって居ないのを見て、誠に御守護の偉大さに今更乍ら当時を思い出して感慨無量です。当時の事とて本部との連絡もなく、交通は思う様にならず遂に終戦となり、お道を開く方法もなく、唯御浄霊ばかり致して居ります内、翌二十一年二月に当時すすめに来て下さった石原先生が九州の帰りに広島へ連絡旁々寄って下さったのですが市内には一軒の家もなく、誰が何処に居るやら分らず唯一人入信者で少し中心地より離れた現在の柴田教師の宅へ立寄って下され、漸く連絡がつきまして、本部の様子が分り、使命の重大さを聞かせて頂き、一生懸命努力致す様励まされ、月々の指導に教修に来て頂きその後入信者一千人近い人が出来、力強くお道の為に精進させて頂く身となり、その間再度の浄化を頂きつつ現在非常に恵まれて大原中教会広島支部の責任者にさせて頂く身となりました事を考えますと、今昔の感にたえぬものを一入感じ、明主様の御恵の万分の一におこたえさせて頂く決心でございます。当時唯わけも分らず御浄霊だけの体験にて、人様に伝える様な記録と文章の綴り方の不備の為、お伝え出来なかった事を深くお詫び致しまして御報告させて頂きます。明主様誠に有難うございます。
(昭和二十七年四月二十三日)
未だ御蔭話が六つあるんですが、之が一番良く出来てますから、之一つ丈読ませたんです。
それから話は違うけれども、今度ですね――新潟県の佐渡で自然農法の勉強会があって、その記事を昨夜読んだのですが、佐渡で三十人位座談会をやったんですが、一人も減収しないで、最初から少しずつ増収になってますね。一番良いのは八俵一斗とかです。大体一、二年。三年位が多かったですね。それで、勿論品質も非常に良くって大分評判になったそうですがね。唯面白い事は、私の言う通りにやったんです。よく方々で自然農法をやっても、今迄の習慣や、色んな事情によって、私の言う通りにやる人は少ないですよね。どうも――余り違うので、信じられないんですね。処が佐渡丈は、私の言う通りやった。と言うのは何かと言うと、堆肥に重きを置かなかった。ですから、水田に藁を細かく切ってそれを混ぜた丈なんですね。で、中には幾らか堆肥を水田にやった人もあるけれども、成績が悪いんです。で、水田に堆肥をやらない程成績が良いんです。堆肥を水田にやれと、私は書いてありませんよ。堆肥は畑に、藁は水田にと書いてありますからね。佐渡は今年から、無論堆肥もやらなければ、藁もやらない。土丈でやる事が、一番成績が良い様に思われる。と言う事がありましたが、之が本当なんです。本当は何にも要らないんです。もう一つは、浄霊をしなくても増収になる。之も私の言う通りです。で、私は――土そのものが大変な肥料なんだから、例えてみれば、藁をやると、藁が肥料になるんでなくて、唯根を温める丈だと言う事が書いてありますね。だから、極く寒い所ですね――東北地方のね――そういう処は、温めるのに藁をやる必要がありますがね。その他の処はやる必要はないです。それから、浄霊は肥毒を消す方法ですから、やれば良いんですが、浄霊しなくても、肥料さえ無くなれば良いんです。今迄浄霊を余りしなくても、増収になった。今年からは、浄霊すれば尚一層増収になるだろうから、今年からは浄霊すると言う事がありましたがね。そんな訳で、浄霊も肥毒が全く無くなれば、する必要はないんです。薬毒と同じですからね。薬の気が全く無くなれば、浄霊の必要もなしと言う訳ですから、其根本を良く腹の中に入れて置くんですね。それから畑に堆肥をやるにも、土を固めないとか、或いは乾かない為にやる。肥料じゃないというのですから、之も適宜そういった様な意味でやれば良いんです。私は一頃注意したんですが、此頃はそうでもないですが、堆肥に肥料があると思って、無暗に堆肥を使ったですね。
自然農法は、何処までも土ですね。土そのものを生かすんですからね。で、大分各地で解りかけて来た様で、未信者の方でも関心を持って、中には試作を始めた人もある様ですがね。まあ、農林大臣の広川さんですね。あの人なんか、非常に堆肥をやれと言う様な事を言ってますがね。科(化?)学肥料は余りやらない様が良いと言う事を――大分自然農法の信者になりかかってます。今年等は大分信者の方でも解って来た人が多くなって来たので、非常な成績だろうと思います。
それから、メシヤ会館ですね。之は昨日出来たんですが、柱は人造石でやります。で、その間を真白に塗るんですね。それは、出来上がったら天然色写真を撮って、世界中に配る積りです。建築家も驚きますよ。世界に無いんだからね。ビルディング型とか、劇場的とか、そういう建築はありますがね。宗教的なのはないです。やっぱりコルベジュエ建築ですがね。コルベジュエ建築で宗教的な建築は世界中にないんですからね。メシヤ会館が最も新しいです。それから、建てるとしても、こういう様な着想は外人にはないですね。それは何故かというと、専門家の画いて来たのがある。同じ様なものですがね。宗教建築と言うのは三角の屋根になって、柱が何本もある。世界的の宗教建築では、有名なパンテノンにあるんですね。今、古くなって半分壊れてますがね。それから西洋の建築の写真に出てますが、てんで問題にならないですね。
「ルネッサンスとかの建築は、こういう宗教建築が骨子になったもので御座いましょうか」
あれはややこしい、丁度油絵の写生みたいなもので、非常に緻密なものです。今は、あれじゃ全然古臭くて、近代感覚は出ない。近代的な感覚で荘厳味がなくてはならない。私は新しい狙いで荘厳味を出す。というのが狙いなんです。今迄どうも直線味がなかったんです。バチカン宮殿とかでしたね。馬鹿にとんがってね。飛行機の――針の様なね。ああいった具合で荘厳味を出したんですね。私の方は直線で荘厳味を出したんです。之はもう、世界的に驚きますよ。随分新しい建築を、始終見てますがね。そういうのは全然ないですね。入口や何かも、廻りがこういった色彩が蛋白ですから、入口は金ピカにしようと思う。ガラスのドアーなんかも――メッキですがね――本当の金じゃないが、欄間なんか金でね。模様を考えてますがね。中々難しいですよ。下手すると劇場の様な浮薄なものになる。やっぱり何処迄も宗教的になるから、そこが難しいです。中の椅子から、私が細かい処迄やる様にしている、商売人に任せると全然駄目なんです。二、三日前もケースの見本が出来たので行って見たが、それが東京一番のケースを作る会社なんですが、出来て来たのを見ると、どうしても明治か大正時代のものなんです。ですから、全然違った様式にする。専門家が、そういった図案とかやるが、手間がかかって金がかかる。私の設計はとても安く出来る。無駄は省いて、それで効果的なんです。だから凡て私が独想でやるよりしようがない。で、今度の建物で一番難しいのは舞台なんです。舞台と言うのは劇場になる。それが神床にもなる。神様を拝む処になる。そこが踊ったり――演芸の舞台になる。その調和が難しい。余りどっちかに偏る――どっちかの色が濃くなってはいけない。そこに苦心がある訳ですね。未だ出来ないけれども、之から考えてね。で、椅子丈二千二百人許り入る。それから、色んな事が進まない。幕の図案迄私がやるんですからね。何故というと、歌舞伎の幕がありますね。みんな、まずい事――どうも、見られないですよ。その癖安田靭彦先生なんか画いた花ものがあるが、そういった有名な人が画いてあるが、兎に角幕は幕としての、一つの約束があるんです。様式がね。そういう事を知らないんですね。幕も、宗教的であり、そういった――演芸的であり。という、そういう様なものを――二通り作るんです。だから凡ゆる点に於て、兎に角世の中の人が驚く様なものが出来るのは確かですね。
それから美術館なんかも、段々調べた結果、仏教美術丈は、私のは博物館よりか落ちますがね。之はしかたがない。先は方々のお寺で借りますからね。博物館の権威で集められますからね。あとのものは全部私の方が勝ってます。特に絵画なんかそうですね。数段上ですね。それから彫刻――仏教以外の彫刻、蒔絵、陶器ですね。そういうのはずっと上です。出来たら大変なものですね。大体、外人が驚くですよ。日本に来る外客が六万人位になりますかね。まあ、観光外客とすれば、どうしても箱根に行きますからね。箱根に来ない観光外客は一人もないでしょう。箱根に行った観光外客は美術館を見ない訳にはいかないでしょう。之丈はどうしても、世界中に知れ渡る訳です。で英語が出来る人で、美術に興味がある、聞きかじりがあるという人を、心掛けて貰いたいと思う。どうしても二、三人は要るだろうと思う。外人は非常に良く聞くそうですからね。だから是非必要なんです。方々に頼んでありますがね。神様が適当な人を見附けて呉れると思いますがね。その意味に於て、六月迄に探して貰いたいと思います。
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