五月五日

【御教え】

 此間奈良の方に行って仏教美術を調べ、研究して大いに参考になったんですがね。それを一寸書いてみたんで、今読ませます。

(御論文「奈良美術行脚」)   【註 栄光一五六号】

奈良美術行脚

(栄光一五六号)

 今度私は、日本仏教美術調査研究の為、奈良地方へ赴き、著名な寺院を次々見て廻り、大いに得る処があったから、今その感想を聊か書いてみよう。何しろ今から千二、三百年以前、飛鳥、白鳳、天平時代から、弘仁、藤原等の時代に至る迄の作品であるが、見る物悉くと言いたい程、素晴しいものばかりなので、面くらった位だ。よくもこんな古い時代に、今日の美術家でも、到底出来まいと思う程の物が沢山あるので、驚くの外なかったのである。その中で、何と言っても法隆寺の品物であろう。何しろ数多くの金銅仏(こんどうぶつ)や、木彫(もくちょう)乾漆(かんしつ)塑像(そぞう)等は勿論、厨子や仏器に至る迄、他の寺院にあるそれ等のものを、断然切り離しているといってもいい程の、優秀な物ばかりなのである。特に有名な百済観音などは、いつ見ても頭の下る思いがする。又最近出来上ったという例の壁画は、まだ一般には見せる処まではいっていないようだが、以前私は見た事があるので、想像は出来ると共に、今飾ってある写真だけを見ても、偲ばれるのである。

 尚右法隆寺の外、私の最も感歎に堪えなかったのは、彼の薬師寺の本尊仏(ほんぞんぶつ)であろう。これは幾千万言費すよりも、実物を見た方がいい。実に言語に絶する神技である。恐らく現代のどんな名人でも、到底この何分の一も難かしいであろう。その他各寺にある物悉くと言いたい程名作ばかりであるから、一々は略すとして、今更乍ら木彫に於ける日本の地位は、世界一といっても過言ではなかろう。今回私が廻って見た寺は、東大寺、薬師寺、法華寺、法隆寺、奈良博物館と、少し離れた宇治平等院の鳳凰堂、石山寺等であったが、右の鳳凰堂にある仏体は、藤原期の代表作で、立派なものであった。そこで私が思った事は、このように数ある古代仏教芸術を一堂に集めて、日本人にも外国人にも手軽に見られるようにしたら、どんなにか喜ぶであろうし、益する処大きいかを想像してみた事である。それと共に、日本人が如何に古代から文化的に卓越せる民族であるかが充分認識されるであろう。その意味に於て、私は何れ京都に一大美術館を建て、それを如実に現わしたいと、今から期待しているのである。

 以上は今回の紀行をザッと書いたのであるが、この外に鎌倉時代の仏教彫刻に就いても一言いいたい事は、何しろ奈良朝以後暫く落着き状態であった仏教彫刻は、この頃に至って俄然盛り返し、絢爛たる様相を呈したのである。勿論巨匠名人続出し、彼の運慶と快慶等もこの時の名人であった。そうして奈良時代のそれと違う処は、殆んど木彫ばかりで、特に彩色(さいしき)が大いに進歩すると共に、模様に(きり)(かね)を使い始めた事で、これが大いに流行し、その作品は今も相当残っているが、その巧みな技術は感歎に価するものがある。よくもこの時代に、このような巧緻な物が出来たものかと、私は常に感歎している。この切金模様の極致とも言うべき名作が、箱根美術館に出陳されるから、見れば誰しも驚くであろう。

 これで大体、今度の仏教美術の見聞記は終ったが、元来日本の彫刻は、仏教に関する以外の名作は余りなかったようである。只有名なのは左甚五郎であるが、この人に関する興味ある伝説も随分あるが、その作品に至っては、一般人の目に触れる物は殆んどないと言っていい。只あるのは日光東照宮の「ねむりの猫」位のものであろう。だが、私は玆に推賞したい一人がある。それは今生きている人で、佐藤玄々(さとうげんげん)という彫刻家である。この人は初めは朝山(ちょうざん)、次は清蔵(せいぞう)といい、玄々は三度目の名であるが、その点珍らしい人である。この人は今年確か八十三か四と思うが、古来稀にみる名人と思っている。私はこの人の作品を好み、傑作品と思う数点を美術館に出すつもりだから、見たら分るであろう。

 

 此間京都、奈良に行って見ましたが、法隆寺に夢殿という小さい――御堂という程のものじゃないですが、お厨子の大きい様なものがあるんです。それは一年に一ぺんきりしか開けない事になっているが、丁度私が行った時に何の理由か知らないが開くという事になったのです。それで私は、ははあと思ったんです。で、開けてあるのを見たんですが、そうすると中に矢張り観音様が居られたんです。その観音様の御像から、とても何とも言えない霊気が、スーッと入って来て、実に良い気持だったんです。涙が出そうになった。非常に待って居たんですね。それは非常に深い意味があるんですがね。其時分ったことは、聖徳太子という方は、あれは千手観音の小さいんです。千手観音というよりか、千手観音がまだ充分の御働きが出来ないために、小規模に色々な事をなされたんです。で、日本に仏教を弘めたのが奈良ですね。仏教の発祥地ですね。そこで急激に盛んになって、法隆寺を始め東大寺――奈良の大仏ですね。大仏みたいな、ああいう素晴しいものが出来たんです。その位仏教が、あの時一時盛んになったんです。で、聖徳太子は仏教を弘める内に、仏教芸術を弘めたんですね。ですから聖徳太子はああいった色々な芸術――仏教的美術を生んだ事ですし、それが仏教を弘める一つの手段として、そうされたんですね。法隆寺を中心として、あそこに七堂伽藍を作られた訳なんです。そうかといって、宗教許りでなく、何しろあの当時に十七カ條の御誓文を作られたんですから、日本における憲法の始めですね。そうすると、政治家と言っても良いですね。政治的能力のある方と、こう言っても良いんですから、実に仏教家、宗教人でもなかったんですね、もっと深い広い、思想的の人だったですね。とすると非常に面白いと思うんです。奈良の夢殿の観音様が、そこに御名前が救世観世音としてあるんですね。之は文献にあるにはあるんです。親鸞上人の書いたのに救世(グセ)観世音としてあるんです。それをその時分に救世(グセ)観世音というそれを、私は「メシヤ」と仮名をふった訳ですね。之は私が初てやった訳なんです。そこで私の方から言うと「救世(メシヤ)観音」です。救世(メシヤ)観音が千二百年前に其御厨子の中に入られて、時を待って居られたんですね。聖徳太子様は色々仕事をされるのに、夢殿のある処の部屋で仕事をし――起居されていたんですね。それでその位置に夢殿を作られたんです。ですから夢殿というのは聖徳太子に最も因縁の深い処ですね。その救世(メシヤ)観音の像に宿られて時を待たれた。で、此間行って開扉して、私が行って、其処から出られたんです。出られて、今度は本当に御働きになる。で、私は今千手観音の働きをしている訳ですね。だから何にでも手を出す。何でも出来る訳ですね。聖徳太子の御働きを大きくした、つまり世界的にしたんですね。それが今私がやっている仕事です。ですから聖徳太子は、矢張り観音様が日本に経綸をされる為に、聖徳太子に生まれられたと言っても良いし、聖徳太子を使われたと言っても良いですね。ですから結局観音様が聖徳太子になられて、で今度は聖徳太子が私に生れて来て、そうしてあの時代の――それは日本丈ですからね。日本に対する仏教を弘めた。その手段として芸術ですね。それを作られたという事を、今度大きく世界的にして、つまり仏教じゃない――凡ゆる宗教ですね。凡ゆる――世界的宗教、世界的救いですね。それをやる。と、そういう様に解釈すると大体解ると思うんです。ですから私が美術館を造ったり色々する事は、聖徳太子の世界的()り方と、こう見れば良く解ると思いますね。

 そんな訳で私は以前から、自分は聖徳太子に或る点は非常に似た処があると思っていたんですがね。今度行って其因縁がはっきり分った訳ですね。私が、自分ではっきり言うと、非常に頭が良いんです。聖徳太子の話に、八人の人の話を聞別けたという事が有名で、伝説にありますが、あれはおまけも大分あるでしょうが、兎に角頭の良かったという事は確かです。で、あの時分の色んな仏教芸術の、聖徳太子の独想的な物も随分ある様ですからね。私はラジオを聞乍ら何か読むとか見るとかし乍ら、それから人の話を聞く。三人四人位な事は行りますがね。けれども、そうすると頭を余計使いますから骨が折れます。それで、俺は聖徳太子に似ているなと思う事がありました。そんな様な工合で、余程――今度行っても面白かったですね。ですから千手観音の働きをするんです。仮りに美術品なんかも、道具屋が驚いている。どんな人でも一色か二色、茶器の好きなものはお茶に関するもの、絵が好きな人は絵。絵でも浮世絵の好きな人もあるし、水墨的なものが好きな人もあるし、光琳の好きな人もあるし。大和絵、錦絵とか色々あります。私は全部好きでやってます。支那陶器でも仏教の方でも、だから恐らく私位間口の広い人はないそうです。ですから美術館なんかといっても、大抵全般的に亘ってという美術館はないです。外国にもないでしょう。イギリス、アメリカあたりの美術館、博物館の図録を見ても――尤も日本のものなんかは手に入れられないから仕方がないが――どうも局部的ですね。今度の美術館は全般的ですからね。ですから其点に於ては世界一と言っても良いですね。それも或る一部のものも、唯全般的につまみ食い的ではなくて、一種類々々深く集めた訳ですから、仮りに日本の蒔絵なら蒔絵。蒔絵の極く最高のもの。一寸見られない様な、そういう様なものを集めるとか、或いは支那のものにしても、仏像の様なものにしても、其種類の内で一番高い――最高のもの、一級品を集めてありますから、兎に角そういう方向に目のある人は驚くだろうと思いますね。それを()り始めると、私は直きに分っちゃうんですよ。だから殆ど買損いがない位ですね。それから贋物と本物が直き分りますからね。沢山――何百とありますが、贋物は一つもない。面白いのは、贋物は幾ら上手く出来ていても、私がこう見ると、霊気で分る。良い物は――本当のものは、何とも言えない良い霊気が入って来る。贋物ですと、その贋物を作った人の魂がそこに入ってますから、上手く瞞まして本物を見せて、金を儲け様という邪念がフッと来てますから、実に良く分る。で、買損いがない訳ですね。だからよく―うんと月謝を払わなけば、判る様にはならないという事をよく言われてますが、私は殆ど買損ったものはないんですね。だからロハで――月謝なしで習った訳ですね。そんな様な訳で美術館が出来ると可成り世の中の人は驚くだろうと思ってます。

 最初、開館式は六月十五日の積りです。六月十五日、六日――日光殿も広くなったし、信者さんも愈々増えてますし、美術館が出来た以上は一刻も早くみたいですから、どうしても多勢来られる事になりますから、十五日から五日間という様な事にしますがね。そうして信者さんを何より先に見せて、それから七月の月始めに、関係がある人に見せるべく――数十人――それを招待して見せ様と思う。私が最近東洋美術協会というのを作って――私が作ったのではないが、私が相談相手になって作ったんですが、之が丁度五十何人か会員が居る。之は著名な人許りです。会長は武者小路実篤ですね。作家のね。あの人が会長です。この人を会長にしたが、他の人はやっぱり色んな事情で会長になれない。最初は小林一三さんを会長にと思ったが、色んな事情で勘弁して呉れという。それから細川護立さんね。それも駄目なので、それで武者小路さんに決ったんです。まあそういった方面の人から、色んな著名な人許りですね。で、そういう人達も七月の月初に見せる。それから新聞社、放送局だとか、そういう色んな方面の人を招んで、それから一般の人を見せる。そういう順序に決った訳です。何しろ神様がやっているんですから、美術館に飾る様な物は不思議に入って来るんですよ。だから、どうして之を手に入れただろうという様なものが随分ありますから、其点でも、見る人は随分驚くだろうと思います。

 美術館に関した事はその位で、それから之は、今度新宗連ですね。新宗連で新聞を発行するというので、私に記事を書いて呉れというので、それを書いてみたんですが、今読ませますが、之は今の――現在の宗教人そういう人に読ませる意味で書いたんです。その積りで――。

 (御論文「今後吾等は如何にすべきや」)

今後吾等は如何にすべきや

(不明)

 結核問題に就いて、大体出来て、之から印刷に掛ろうと思ったんですが、随分念を入れて書きましたから、之を読んで解らない者はないだろうと思います。それに就いて、今度御蔭話の一つですが、現代医学の間違っている点が非常に良く現われているので、それを今一寸読ませます。

 (「恐るべき医学迷信」)   【註 栄光一五七号】

恐るべき医学迷信

(栄光一五七号)

 本教は常に結核療法に対する医学の無効果否逆効果を唱えているが、左記の御蔭話はそれを最も明白に示したもので、これを見れば如何に疑い深い者でも、信ぜざるを得ないであろう。従って今日最も難問題とされている結核が、浄霊によってこの様に正確に、短期間に完全に治るとしたら、実に驚異的大問題である。にも拘らず文中にもある通り、この実際を見た医師は、只首を(かし)げるばかりで、進んで研究をしようともしない態度は、寔に不可解千万である。そうして若しも斯んな素晴しい効果が医学上での発見であるとしたら、ヒドラジットどころの騒ぎではない。世界的一大センセーションを捲き起さない筈はないであろう。ところが全然そのような事などありそうもないとしたら、全く根強い医学迷信に陥っているからで、恐るべきは現在の医学迷信である。この事実にみて忌憚なく言えば、今日の時代は外容は文化的であっても、結果から言えば野蛮蒙昧時代といっても過言ではあるまい。従ってこの迷信の為に現在は固より、今後も如何に多くの病人が犠牲にされるかは到底計り知れないものがあろう。嗚呼この世紀の一大悲劇を日々目の前に見ている吾等は如何にすべきや只長大息あるのみである。

 気胸二カ年の肺結核より救わる

  (本文省略)

 

 つまり、それで思う事は、こうして自分がやった病人が之程に治った事を知り乍ら、それっきりになっちゃうんです。唯不思議だとね。こんなに治るものなら、大いに研究しなければという心が起らなければならない。それを、ハイドラジットなんてやって大騒ぎをやる。それで、完全に――もっと治るもっとはっきりしているのを医者が何とも言わないし、それにこういう記事を一年位前から厚生省に送っているんですが、こういう記事を読んでいる筈ですが、それで知らん顔しているんですから、こういう人の頭脳ですね。何と言って良いか、到底表現しようがないんです。私は此点に於ては野蛮人より低いと思う。之を野蛮人が見れば、之は大変だと大騒ぎをしますね。それを頑として頭を変えないですよ。之は非常に強い迷信ですね。この迷信は宗教に負けない。宗教以上と思う。医者が始終御蔭話を見れば解りますが、始終各地で医者は驚いているんです。それで何とも言って来る人はないし、それを厚生省の連中が見ていて、それで何とも言って来ないんですから、それは実に不思議ですよ。けれどもいずれは頭を下げます。唯遅れれば遅れる丈犠牲になって命をなくす人が沢山ありますから、それが如何にも可哀相だと思ってね。

 

 

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