五月二十五日

【御教え】

 もう一息で此処も出来上がって面目一新という訳ですが、美術館も来月の十日迄に造る予定で夜業してやってます。あらかた出来ると思いますがね。聞いたでしょうけれども、来月の十五日に開館式をやる事になってます。それに就いて、今迄の経路ですね。それを書いてみたんですが、それを今読ませます。

(御論文「美術館出来るまで」)   【註 栄光一六〇号】

美術館出来るまで

(栄光一六〇号)

 かねてから建造中の神仙郷も、いよいよ完成の運びになったので、私は慶賀に堪えないのである。と共に断然異彩を放っているものとしては、何といっても美術館であろうが、これも見らるる通り、想ったより早く出来、後は内部の設備だけとなり、そこへ品物を並べさえすれば、それで落成した訳である。また神仙郷全体も同時に完成となるので、いよいよ来る六月十五日を(ぼく)し、美術館の開館式を兼ね、神仙郷落成の祭典を挙行する事となったのである。そこで美術館について色々かいてみるが、元来日本における今までの美術館は、一般人に対して常時開催するものは一つもなく、僅かに春秋二回の短期間だけ、特殊の人に観せるだけなので、社会的文化価値としての意義は、まことに薄かったのである。また陳列の品物も支那美術、仏教美術、茶道に関したもの、西洋の絵画等に偏っているので、狭い意味でしかなかったが、今度の箱根美術館に至っては、規模は小さいが東洋美術全般に亘ったもので、しかも出来るだけ各時代における優秀作品を選んだつもりであるから、自画自讃ではないが、まず世界に二つとない美術館と言えよう。としたら国家的にみても、日本の文化的地位を高めるに、すくなからぬ貢献となるであろう。という訳で本当を言うなら、こういう公共的事業は、個人や宗教団体などでは無理であって、国家が行うべきものではあるが、何しろ現在のごとき経済事情の下であってみれば、それも不可能であろうから、私の美術館企画は時機を得たものと言えよう。そうして今仮に美術館と名の付くだけのものを造るとしても、建築費及び陳列する美術品を蒐集するその苦心と資金は容易なものではない。それに開教後間のない新しい本教の事とて、人も知るごとく今まで何だ彼んだ官憲の無理解や、社会の誤解等による妨害圧迫もはなはだしかったため、その困難は一通りではなかった。それらを切抜けてともかく予定通り造り上げる事が出来たのであるから、考えてみれば到底人間業とは思われない。これを思えば神様の御守護のいかに厚いかという事で、全く感謝感激に堪えないのである。

 そうしてこの美術館は、建築も設備もことごとく私の設計に成ったもので、専門家の力は全然借りなかったのである。というのは私は自信もあったのと、将来日本はもちろん世界各地に、新しく出来るであろう美術館の、模範としての新企画のものを造りたいからである。そういう意味において私は微細な点にまで特に意を用いた事はもちろんで、この意味においても是非大方の批判を仰ぎたく思うのである。また美術品についても日本独特の物を蒐めるべく努力を払い、標準についても時代時代の名人の傑作品を主としたのである。このように日本美術を主眼とした美術館は、お膝元の日本は愚か、外国にもまだないので、現在としたら世界一と言っても過言であるまい。ここで最初からの経緯を一通りかいてみるが、それは何から何まで奇蹟づくめで、到底人間業ではない事は余りに明らかである。

 次にそもそもこの計画であるが、終戦後二、三年を経る頃までは、美術愛好の私の事とて、経済の許す限り見当ったものを、ボツボツ買い集めて楽しんでいたのである。ところが幸いなる事には、その頃は終戦後のドサクサ紛れで、割合好い物が安く手に入った。今考えてみればこれも御神意であった事がよく分るのである。そうこうする内、ちょうど一昨二十五年の暮れであった。彼の神仙郷の片隅にあった鳥の家を移築する事となり(当時大成会本部に宛てた家屋)その跡に百五、六十坪の空地が出来たので、何か適当なものを建てたいと思っていたところ、ふと頭に浮んだのが美術館の建設であった。そうだ美術館には少し狭いが、位置も環境も申分ないので、まず心の中では決めたが、何しろ小さく共仮にも美術館としたら、生易しい金では出来ないし、そうかといってそんな多額の金は当分見込はないから、せめて敷地だけでも造っておけば、いずれは建てられる時期も来るだろうと、まず敷地を作るべく取掛ったのである。それが昨年夏頃ほぼ出来たので、こうなると美術館を早く建てたいと思う心が、矢も楯も堪らないので、早速阿部君に相談したところ「それでは早速調べてみましょう」と、調べたところ満更見込がないでもないという話で、万事は神様が何とかして下さるに遠いないと思い、取敢ず準備に掛かったのがその年の十月であった。すると翌十一月に入るや、思いも掛けない程の金がドシドシ入って来るし、献金の申込も続々あるので、いつもながら神様の御守護の素晴しさには、ただただ驚くの外なかったのである。という訳で今日までにちょうど入用だけの金は、過不足ないくらいに集まり、予期以上順調に出来上った。という次第で計画を立てた時から、僅々八力月半で完成したのであるから、このような性質の建物で、このようにスピードで出来上ったものは、これも日本はもちろん世界にもまだ例はなかったであろう。

 それというのも最初から奇蹟の連続で、欲しいと思う物は黙っていても手に入るし、必要だけの金は信者の熱と誠でキチンと集って来る。というように常識から言っても、これ程の美術館としたら相当の歳月と苦心努力は当然だが、右のように左程の苦労もせず、面白いくらいにスラスラと出来上ったのである。全く神様のおやりになる事は、想像もつかないのである。それについては世間知らるるごとく、今まで出来た幾多の美術館にしろ、例外なく孤手奮闘一代にして、巨万の富を重ねた立志伝中の偉い人達が、数十年に亘って蒐めた美術品を財産保護のためと、名誉心を満足させるなどで造ると共に、一部の限られた人達に観せるだけだから、私の意志とは根本的に(ちが)っている。私は天下の美術品は決して独占すべきものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯しませ、人間の品性を向上させる事こそ、文化の発展に大いに寄与され、それが芸術としての真の生命である事を痛感していたからである。

 ここで神秘な面を少しかいてみるが、先日私は奈良へ行ってつくづく思われた事は、彼の聖徳太子の不朽不滅の鴻業(こうぎょう)である。そもそも日本における仏教渡来は、衆知のごとく欽明天皇の十三年であるが、最初の頃は今日の新宗教と同様当時の官憲の無理解や、神道の圧迫等によって教線振わず、遅々としていたが、敏達(びだつ)三年太子生誕され、長ずるに及ぶや何しろ稀世の偉人で、慈悲の権化ともいうべき聖者であられたので、一度仏教を知るや、これこそ仏陀が自分に与え給うた救世の使命と感じ、ここに仏教弘通の一大本願を起されたのである。そうして方法としては仏教美術によるこそ最も有力であると思惟され、ここに奈良の地を選んで聖地とされ、七堂伽藍を建立されたので、それが法隆寺であるから、言わば当時としての地上天国の模型であった訳である。そればかりではない。太子の大智識は独り仏教のみではなく、政治、経済、教育等、あらゆる面にわたって、往くところ可ならざるなき自由無碍な叡智は、当時の人民をして畏敬の的とされ、太子を千手観音の化身とさえ崇め称えたので、ここに仏教は天下を風靡するに到ったのである。これによってこれをみれば、日本における仏教の開祖こそ、全く太子その人であられた事は間違いないのである。

 そうしてこの時から数百年間が、いわゆる原始仏教時代であったが、その後伝教、空海、法然、親鸞、日蓮等の名僧智識相次いで輩出し、それぞれの派閥を作って今日に到った事は誰も知る通りである。右のごとくであって、奈良朝期がいかに仏教華やかであったかは、彼の東大寺における大仏建立の一事によってみても知らるるのである。何しろ文化のまだ幼稚な時代に、アノような巨大な名作を造り上げたという事は、全く信仰の熱がいかに高かったかを物語って余りあるのである。

 ここで私の事を記かねばならないが、私が早くから美術を愛好し、今度の美術館を造るまでに到った事も、宗教発展には何より適切なものと思ったからでもある。それと共に私は医事、農業は固より、政治、経済、教育、芸術等、全般にわたって真理を説き、迷蒙を打破し、新文化創造の指導原理を示しつつあるにみて、私のすべては太子の業を、世界的に押拡げたものとみればよく分るであろう。ただ異うところは太子は高貴の階級から出たに反し、私は下賎から出た点で、これも弥勒下生の意味と思えば肯けるはずである。また今一つ言いたい事は太子は釈尊に帰依して、仏教弘通に当られたのであるが、私は釈尊を私より下にみている、というのは釈尊は二千六百年以前、すでに今度の私の救世の大業に対する準備的役割をされたからである。以上によって私と太子との関係も、美術に力を注いでいる事も大体分ったであろうが、今一つの重要な事は、主神の御目的である病貧争絶無の地上天国ともなれば芸術至上の世界となるからである。

 

 今読んだ通りで、非常に早く出来たんですね。一昨年の暮に美術館を建て様という気になったんです。それで敷地丈出来て、去年の今頃はあそこの処は、石を割ったり泥を運んだりして、惨憺たるものでしたが、それが一年経つか経たない内にああいう風になったんですから実に早いです。むしろ私が驚く位に早く出来たですね。それは信者さんの奉仕に依って、つまり慾得離れてやったという事が一番の原因ですが、それで此処で働いている職人ですね。そういう人も殆ど信者になってますからね。ですから、そこに熱と誠でやりますから良く出来て早く出来るという、そういう訳ですからね。世間で出来る斯ういった建築物とは全然異う訳ですね。まあ、世間でやると――斯ういうものを之丈造るとすると、どうしても二、三年は掛かりますね。その間にスッタモンダ、ヤー予算が足りないとか、中には変なずるい奴があったりして、スラスラとは決していくものではないですね。然も予算より金が掛って、どうも金が集まらないので、支払が延びるとか、ですから原料でも材料でも買うのが旨くいかないとか、そこに請負師が何とか色んな口実を言って、値増しを要求する。増やさなければ職人が集まらないとか、材料が買えないとか。スッタモンダでそれは厄介なものなんですよ。処がこっちは全然そういう事がなくて、どんどん驚く様にいくんですね。実に信仰というものは大したものです。

 又一方並べる美術品ですね。之も矢張り手に入るのは奇蹟です。ですから道具屋が驚いている。斯ういうものは売物に出るものじゃないが、どうして手に入ったかという事がよくあります。私は別に――簡単に、斯ういうものが無くちゃならない、斯ういうものが欲しい。と、一寸思うんです。そうすると何んだ彼んだと集まって来るんです。で、割合に旨く、値段なんかも安くね。どういう訳かというと、やっぱり霊界で――私が欲しいと思うと、霊が――自分が元持っていた物とか或いは家宝とかいうものを是非私の方に寄越して――そうすれば大変な働きになりますからね。それから又子孫が救われた者なんかは、それに対する御礼ですね。そういう意味で働いて、そういうものを蒐めるんです。その霊界での色々な働きが、そういう事になる訳ですね。だから美術館が出来て品物を並べても、随分驚く人があるだろうと思います。どうして此処に之が出ただら(ろ?)うかという様に思う人が随分あるだろうと思います。私も色々調べてみますと、終戦直後なんか何でもなく気に入ったものを買ったという様なものです。値段も安いし、そういうものが今日は大変なものなんです。どうして之が手に入ったかというものが沢山あるんです。そういう様な点も大いなる奇蹟ですね。だから信仰の面からみれば此美術館なんかも解りますが、信仰のない者がみたら余程考えざるを得ない様になるだろうと思います。色々外国や何かの美術館なんかを調べてみす(みます?)と随分苦労して蒐めた様でも大した事はないですね。というのは段々解ったんですが、外国で集められたものは支那の美術品ですね。銅器、陶器ですね。大体支那陶器ですが、一番はロンドンの博物館にある、ユーモ・ホップレスという金持が蒐めたもので之が一番です。その次はデヴイッド(デヴィット?)という人が蒐めた美術館で第二ですね。只ホップレスの方が少し、銅器とか、陶器の内宋均窯という――之丈が非常に優秀なものがある。デヴィットの方はそれがないんです。只全般的の支那陶器です。そのデヴイッド(デヴィット?)という人も随分長い間掛って蒐めたんです。その品物と私の方で蒐めた品物と較べてみると、私が一年で蒐めたものが、デヴイッド(デヴィット?)より上でも、下という事はないですね。それはよく分るんです。デヴイッド(デヴィット?)の図録がありますからね。良いのは写真版で着色になってます。それで調べてみると私の方が上ですね。ですから外国人が何十年かかって蒐めたのより私が一年で蒐めたのが勝っているというのは奇蹟なんですよ。其点に於ても、どうして斯んな良い支那陶器が蒐まったかと、知っている人は思わざるを得ないんです。

 大体完成するのは七月ですから、七月から一般の見物人を入れ様と思ってます。そうして随分来ますからね。そこでどうしても交通機関が間に合わない。二、三日前にも登山電車の専務や、村の有力者共が御礼に来たんです。というのは、去年私に「もう一月早く来てもう一月遅く」という歎願書ですね。小田原から箱根にかけて五百人の連名でね。そこで何時もは六月一日に来たが、今年は五月十八日に来たのです。其為に早く来たというので其御礼に来た。一石二鳥ですね。そのとき会社の専務に、一体美術館が出来て沢山見物人が来ると、貴方の方でどうして呉れる。電車の増発をする事が出来るか、というと技術的の問題で増発する事が出来ないそうですね。増発するには何かの設備が要る。それは非常に金がかかるそうですね。それではバスを増やさなければならない。貴方の方でバスを増やして呉れるかというと、それも金がかかるので出来ない。じゃ、私の方で自営でやりますよ、というと、どうもそれよりしようがないというのです。教団でどうやらバスも出来そうですからね。丁度信者でそういったバスの会社の非常に有力な人が―割合に新しい信者で――其人に万事やって貰う。直営ですから、小田原の駅を降りると、それに乗れば美術館に一直線に来られますから楽で良いですよ。定員が四十人か五十人ですが、定員以上は乗せない考えなんです。満員で立たせてはね。立たせるのは間違っていると思う。私は前にパリーに長く居た人の話で、パリーは非常に良いというんです。住むならパリーだというんですね。何処が一番良いかというと、バスが一番良いという。四十人乗だそうですが、ずっと並んでいて、それが四十人乗るときちんと出ちゃうという。非常に気持が良いそうです。それが私の頭に残ってますから、それをやろうと思う。今地所を求めてますが、バスの発着所になります。それでハイヤーで来たのは、あそこの川に橋をかけて、美術館に横着けにして雨が降っても濡れないで済む様にする積りです。外人がきっと非常に多いと思います。外人は日本人と違い、それに日本に来て美術館を見ようというのは身分の高い人が多いですから、美術館にずっと入れる様に遺憾なくやろうと思ってます。あと一カ月で出来るんですから、内訳の事は話する必要はありません。その位にして置きます。

 今度「結核信仰療法」が出来上がったので之から印刷にかかります。更に面白い本を書こうと思って書初(始?)めたんですが、それは「私物語」という本です。之は、私というものは普通の人間と違いますから、色んな神秘な事が多いんですよ。そういう事を只想像したりするよりか、明ら様に書いた方が良いと思って、将来私というものを知りたいという人が沢山出来るに違いないですから、それに考えてみると釈迦、キリスト、マホメットという人は、教え丈は書いたり説いたりしましたが、どうも個人的の日常生活とか、自分の内面ですね。そういう事を殆ど言わなかったですね。或いはあんまり無かったかも知れないですが、それで只生神様然としちゃって、甚だもの足りない訳ですね。私はそれとは反対に思い切ってそういった面を書いて残して置こうと思うんですよ。それが、今の「私物語」という本なんですがね。今書始めたので、未だ纏まっていませんし、未だ直す点もありますが一寸読ませます。

(御論文「私物語」)

私物語 序文

(『私物語』より)

 今日世界人類の約半数以上は、何等かの宗教信者であり、其中の大部分はキリスト教、回々教、仏教の三大宗教が占めている事は、今更言う必要はないが、右の三大宗教の創立者は、キリスト、マホメット、釈迦の三聖者である事も分り切った話である。そうして彼等が弘通(ぐつう)の方法としての殆んどは、教えを基本としての、筆と口によった事で、それ以外の手段は余り用いなかったようである。

 処が私に至っては全然異っている。右の如く教えもあるにはあるが、それは一部であって、全体としては人類が生きていくに必要な凡ゆる文化面に及んでいる。其中でも特に既成文化の誤りを(ただ)し、真の文化の在り方を種々幾多の方法と現実とを以て教えている。其最も主眼としているのは、病気と貧乏と争闘を此地上から消滅する事であって、之は常に私の唱えている処であるから略すが、此様な救世の大業を遂行しつつある私を知る人としては、私に就ての何やかや出来る限り知りたいと思うのは当然であろう。而もそういう人が将来世界中如何に多数に上るか知れないとしたら、地上天国世界の紀元を作る私としては、後の世の為自分という者のあるがままの姿を出来るだけ(つまび)らかに記いて置きたいと思うので、之からかくのである。

 そうして私がついも思う事は、右の三大聖者にしても、成程立派な教えを丹念によくも説いた事は、彼の仏典などが八万四千という浩瀚(こうかん)なものであるにみて、其努力には頭が下る位であるが、不思議な事には自己自身を少しも説かなかった。恰度立派な着物を(まと)い乍ら、裸となるのを嫌うかのように見えるので、感想や告白などは全然知る由もない。つまり腹の中まで(さら)け出さなかったのである。或いはそうする事を欲しなかったからでもあろうが、其点甚だ遺憾に思うのである。

 処が私は全然異っている。何となれば私というものの一切を、縦横無尽に晒け出し、思いのまま凡てを記いてみたいからである。そうして文中不可解な点もあるだろうし、虚々実々、大小、明暗、有限無限等々で、興味津々たるものがあるであろうから、味わいつつ人生を覚り得ると共に、揺がざる魂の持主となるのは断じて間違いないと思うのである。

 

 それから、此間私の仕事を色々見て、丸で秀吉みたいというんです。それで私は、飛んでもない事を言う。秀吉があれ程の偉い事をやった、どうして偉い事をやったかというと、兎に角素晴しい殺人強盗の結果じゃないか。幾人殺されたか分らない。然も、日本人許りでなく朝鮮人もあの時代に殺したんです。そうしてあれ程の色々な事をした――桃山時代というのを作ったんですからね。其点丈は偉いかも知れないが、根本が殺人強盗じゃ、やっぱり駄目だ。私は人を助けてやれるんだから、其点を大いにみて貰わなければならない。と、斯う言ってやったんです。じゃ家康はというから、家康は矢張り秀吉のものをそっくり貰った。つまり、遠慮なく言えば大泥棒の上前を取った。ですから結局、今迄なにか社会的に仕事をした――国家、社会に仕事をした人は、どうもそういった――一方で非常な罪悪を犯してやるんですから本当じゃないですね。そうかというと宗教家は教えを説いたが仕事をしなかったですね。で、私は教えも説くし仕事もするし、言わば今迄で一番慾張りでしょうね。何にも彼にもやるんですからね。然しそれは、人を助け世の中を良くする為ですから威張ったものですね。

 今年は赤痢が大分流行だという事が新聞なんかに出てますが、全くこう寒いのに――未だ夏にならないのに、随分各地に赤痢が続出してますね。今年は盛夏になると随分多いでしょう。或いはレコードを破るかも知れませんね。何時かも赤痢の原因は話しましたが、之を一口に言うと、頭を使って薬を服む。之が赤痢の原因です。今の人は非常に頭を使うんですね。社会生活上頭を使わない訳にはいかないからね。それで又色んな苦しい事が多いですからね。心配もするし智慧もしぼらなければならない。そこにもっていって頭が大分悪いですからね。頭を酷使している訳ですね。そこにもっていって薬を服みますから、薬毒がどうしても此処(後頭部)に寄って来るんです。私は此頃一般は治療しないが、家の家族だとか或いは手近な人で工合が悪い時に見ると、皆之(後頭部)です。十人が九人迄ですね。之に浄化が起って、つまり毒血ですね。それが下に、溶けて下って来てお腹に溜って、それが下痢になって出るんです。それが赤痢なんです。医学では黴菌一方にして大騒ぎをやってますが、実は大変結構なんです。つまり人間は、此処に溜ると頭が悪いんだから、頭許りでなく、始終此処に毒血を寄せますからイライラしてボーッとして来ます。よく交通事故がありますが、アメリカでもそうですが<アメリカの交通事故で死んだのは戦争で死んだのより多いんですからね>日本でもよく統計が出てますが、交通事故で死ぬのは多いんです。それは何が原因かというと、此処(後頭部)に熱が出てボーッとするんです。それで衝突したりするんです。それは頭が悪いからです。頭が悪いというのは、此処(後頭部)に浄化が起っているんですね。それから一寸した事で喧嘩したり殺したり―此間のメーデーの時でのことも、あの原因がやっぱり、之(後頭部)です。それから不快感ですね。物を善意に解しないで悪意に解する。何となく気持が悪い。それに一寸拍車をかけられると暴れる。暴れるのは、一つのヤケクソみたいなものですね。だから世の中の一番忌は(わ?)しい事は之(後頭部)が原因なんですよ。つまり薬毒の固まりです。之を神様がやったというよりか、自然に浄化に依って排除される。それが赤痢なんですよ。だから赤痢位結構なものはないんですよ。赤痢になれば其人は健康になるし頭も良くなるしね。それなのに滑稽なのは、外から帰ったら手を洗え手を洗えというと赤痢菌なんて随分大きなものと考えている。手を洗ってみても、菌はこっちについたりあっちについたりしている。目に見えるものなら――泥みたいなものなら洗えば取れるかも知れないが、黴菌みたいに小さいものは、洗った処で直ぐついちゃいます。そんな面倒臭いことをするのは実に可哀想なものですよ。それで他に手がないんで、結局赤痢の注意というのは、暴食をしない様にと言いますが、暴食と赤痢は関係がないですね。暴食は只胃が太る丈で、血を暴飲するんじゃないからね。暴食したって、それが糞便になる位ですからね。又、手を洗えというのは実に子供みたいなものですよ。それで、あとは手も足も出ないんですね。それで心配して非常な金を使いますね。だから我々からみれば実に可哀想なものです。今度新聞にも書きますが、書いた処で信者さんには解るが、他の人は不思議だ位しか解らないですからね。兎に角そういう様な状態ですね。ですから信者の人は赤痢なんていうのは、反って罹れば結構なもので、その安心丈もで(でも?)大したものだと思います。

 

 

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