六月二十五日

【御 教 え】

 今日、美術館はみんな見られたんでしょう。段々整って来たから、最初よりも良い積りです。此間、博物館長の浅野公爵が来て見て、よく斯んなに良いものを蒐められた、と言って驚いてました。道具屋なんかも、あんまり良いものが多過ぎると言って――勿体無いと言ってましたが、然しその位でなくては値打がない。まあ、道具屋から借りたものもあるし――借金も大分あるから、みんなこっちのもの許りじゃないんですが、兎に角之程の美術館は絶対にないです。

 此間理研映画の人が撮影に来ましたが、いずれ――フランスのカンヌという処で文化コンクールですか――毎年でしょう――あるそうですが、それに是非映画にして出したいという話なんで、之は今迄にないんだそうです。以前博物館で写したそうですが、あそこは仏教美術は豊富にありますから、それを写して、あと他の美術品を写そうとしても、あんまり適当したものがないので、中途で止めちゃったそうです。然し此処なら大丈夫だという自信があるので、是非やらせて呉れと言っている。此れは非常に面白いです。先の羅生門ですね――之はイタリヤのヴェニスか何処かで、やはり映画コンクールで写して一等になったんです。それで評判になった。で、ああいう工合に世界的に評判になった。此の美術館も、カンヌのコンクールで一等になるか何うか分らないが、そこは映画ですから、色々文化的なもので世界的の評判にでもなったら、それは素晴しいものです。外国の人も見に来るでしょうし、日本人も今更の様に見に来ますからね。羅生門でもそうでしたよ。我々が最初見た時には大したものとは思わなかったが、ああいう評判になってから見直してみて、今度見ると大変良くなるんです。そんな様な工合で、余程希望がある訳です。その位の価値はある訳なんです。此の庭から、桜の咲いた時、「さつき」の咲いた時、紅葉の時なんかを、庭園の方を写してそれから美術館の方の建築から設備、まあ美術品という様な工合にやると、文化映画としての長さ位は出来ますからね。で、斯ういう映画は今迄にないです。だから、外国に出したら非常に受けるだろうと思ってます。今、向うも世界的に美術館流行りですからね。特に日本の美術品というのに非常に憧れているんですから、それを紹介したら、先ず人気を拍(博?)する事は間違いないと思います。そうするとメシヤ教というものが、宗教的でなくそういった面から、兎に角世界中に知れるという事は確かです。中々、神様が旨くやりますから、そういう風になるだろうと思ってます。

 今月の三十日、一日――三十日が新聞記者だとか、無論外国の新聞社にもありますが、作家、芸能人――そういう階級の人を招待して見せ様と思っている。一日の方は著名人です。そういった偉ら方を招待しようと思ってます。外国の新聞にも載せるでしょうが、喋るのを翻訳するより、原稿を書いて呉れという。それを訳した方が非常に楽だからというので、今原稿を書いたんです――喋る様にね。それを今読ませます。

 御論文「美術館建設の意義」【註 栄光一六四号】

美術館建設の意義

(栄光一六四号)

 私はメシヤ教教主岡田茂吉であります。今日は御多忙の処、折角御光来下さいました段、厚く御礼申し上げます。

 ()て今回特に開館に先立って御覧を願う次第は、美術に対する具眼者である諸氏の御批判を仰ぎたいと共に、一言私の抱負を開陳致したいからであります。そうして、宗教本来の理想としては、真善美の世界を造るにあるのでありまして、真と善とは精神的のものでありますが、美の方は形で現わし、目から人間の魂を向上させるのであります。御承知の通り、西洋でも希臘(ギリシャ)(ロー)()の昔から中世紀頃迄は勿論、日本に於ても聖徳太子以来鎌倉時代迄は、宗教芸術が如何に盛んであったかは御存じの通りであります。従って、絵画、彫刻、音楽等凡ゆる芸術は、宗教が母体であった事は、否み得ない事実であります。

 処が現代に至っては、それが段々薄れてゆき、宗教と芸術とは離れ離れになってしまい、そこへ近代科学の影響も手伝って、宗教不振の声は常に聞く処であります。そのようなわけで、どうしても宗教と芸術とは車の両輪の如くに進まなければならないと思うのであります。

 処で、それはそれとして、日本という国柄に就いて一言申したい事は、本来地球上の国という国は、人間と同様それぞれその国独自の思想文化を持っている事であります。では、日本のそれは何かと申しますと、美によって世界人類を楽しませ乍ら、文化の向上に資する事であります。日本の山水美が特に秀でている事や、花卉、草木の種類の多い事、日本人の鋭い美の感覚、手技(しゅぎ)の勝れている点等を見ただけでも、よく分る筈であります。処が、そのような根本を知らないが為、戦争などという無謀極まる野望を起した結果、アノような敗戦の憂き目を見るに至ったのであります。然も、再び戦争などを起さないよう武器まで取上げられてしまったという事は、全く神が、日本人の真の使命を覚らしむべくなされたのは、言う迄もありますまい。尤も、最近再軍備などと喧ましく言われていますが、これは単なる防衛手段であって、それ以上の意味はないのは勿論であります。

 以上によってみても、今後日本の進むべき道は自ら明らかであります。即ち、それを目標とする以上、永遠なる平和と繁栄は必ず招来するものと信じ、(かね)てこの事を知った私は、微力ながら、その考え方をもって進んで参ったのであります。そうして、その具体的方法としては、先ず美の小天国を造って天下に示すべく企図し、その条件に適う所としては、何と言っても箱根と熱海で、交通の至便と、山水の美は勿論、温泉あり、気候空気も良く、申分ない所であります。そこでこの両地の、特に景勝な地点を選び、天然の美と人工の美をタイアップさせた、理想的芸術境を造るべく、漸く出来上ったものがこの地上天国と、そうして美術館であります。それに就いては、御承知の如く日本には今日迄、日本的の美術館は一つもなかった事であります。支那美術館、西洋美術館と博物館の宗教美術等で、日本人であり乍ら日本美術を観賞する事は出来ないという有様で、今仮に外国の人が日本へ来て、日本独特のものを見たいと思っても、その希望を満たす事は不可能でありました。としたら、美術国日本としての一大欠陥ではありますまいか。というわけで、今度の美術館が、幾分でもその欠陥を補うに足るとしたら、私は望外(ぼうがい)の幸いと思うのであります。

 それから、こういう事も知って貰いたいのです。それは、昔から日本には世界に誇り得る程の立派な美術品が豊富にあり乍ら、終戦までは華族富豪等の奥深く死蔵されており、殆んど大衆の眼には触れさせなかった事であります。つまり、独占的封建的思想の為でもあったからでありましょう。それが、民主的国家となった今日、昔の夢となった事は勿論であります。そうして、元来美術品なるものは、出来るだけ大衆に見せ、楽しませて、不知不識の内に人間の心性(しんせい)を高める事こそ、その存在理由と言えましょう。とすれば、先ず独占思想を打破して、美術の解放であります。処が幸いなる哉、戦後の国家的大変革に際して、秘蔵されていた多数の文化財が市場に放出されたので、これが我が美術館建設に如何に役立ったかは、勿論であります。

 そうして、今度の美術館は規模は小さいが、今後次々出来るであろう内外の美術館に対し、模範的のものを造りたい方針で、一から十まで私の苦心になったもので、勿論庭園も一切私の企画で、一木一(いちもくいっ)(そう)と雖も悉くそうでありますから、素人の作品として欠点は多々ありましょうが、聊かでも御参考になるとしたら、私は満足に思うのであります。尚且つ将来あるかも知れない空襲や、火災、盗難等に就いても、環境、設備等充分考慮を払ったつもりでありますから、国宝保存上からも、お役に立つでありましょう。

 以上で大体お分りの事と思いますが、つまり日本本来の美の国、世界のパラダイスとしての実現を念願する以外、他意はないのであります。

 尚近き将来、熱海にも京都にも、地上天国と、それに附随する美術館を作る計画でありますから、何卒今後共宜しく御支援あらん事を、茲にお願いするであります。これを御挨拶と致します。

 何時も言う事ですが、メシヤ教が宗教的に活動を始めたのは廿二年の八月ですから、三、四、五、六、七と、今年の八月で満五年になるわけです、此間も、フランスの大きな雑誌で、パリ・マッチの主筆が来て色んな事を聞いたんです。今何の位の信者があるかと言うので、まあ三十万以上あるだろう、と。何時始めたかと言うから、五年前。その始めた時は何の位の信者かと言うから、数百人位だろうと言うと、どうも信じられない様で、吃驚した様でした。だから如何に発展の速かだという事は分ります。一体その根本は何かというと、病気が治る事です。斯う(御浄霊)やって病気が治るという事です。だから私の弟子はキリストくらいの奇蹟の出来るのは、何んでもないと言うと、カトリックなんかが非常に根強い――キリストを信じて居る。するとキリストよりか以上とすると、一体何ういう神様か。キリスト以上の神様は、カトリックでは無いとしている。と言うから、私はキリストは天の父という事を言っているではないか。即ち天の父という神様はキリストより上じゃないか。等と、そんな話がありました。それで美術館を見せてやりましたがね。何か言うと、奇蹟だと言うんです。本当の値打は、外人ですから――それに、あんまり美術の研究が深くない様ですから、解らないらしいですが、見た目が立派ですから、良いと思っているのでしょうが、斯んなものが沢山蒐まったという事は奇蹟だと言っていました。

 そんな訳で、奇蹟ずくめです。此の美術館、神仙郷から熱海ですね。色々――五年間の仕事にしては驚異だろうと思います。此処に来た時には、昭和十九年の五月でしたが、その時には最初神山荘です――あそこを買ってましたが、当時十六万円でした。処が私の懐には六万円しかない。十万円何うしても足りない。で、その話をした処が、其時分に坂井さんがよく来られる時分で、じゃ何んとかやったら出来ない事もありますまいと言うので――其時は宗教的じゃないですから、病気の治った人が宗教信者みたいに数百人という程もない位ですが、百人か二百人あったんです。その人がみんな金を出して、十万円か十一万円出した。それでやっと買えたんです。それから二、三カ月して熱海にも良い家があるというので、私は行って見たが非常に気に入ったんです。今の東山荘です。其時に値段が分らなくて――それも坂井さんと一緒に行ったんですが、帰りに私は三十万円位なら買おうと、そんな話をして、それから聞いた処が七十万と言うんです。それはとても駄目だから諦める他しようがないと言っているうちに、渋井さんに話した処一つ出来る丈やってみましょうと、それで三十万円位お金を持って来たんです。兎に角、じゃ買う方針でやってみようとやっているうちに、段々集まって来て、それから相当足りなかったが、又渋井さんが足りない分を持って来て、どうやら七十万円の金が出来て来て買えたんです。それ程其時分にはピーピーしていた訳です。普通では少し大胆過ぎるんですが、そこがやはり神様を後楯にしてますから、神様がなんとかして呉れるだろうという訳でやったんです。それに最初そういう経験があったんです。今の東京の宝山荘ですね。あの時にも、あの辺を捜し歩いて、あそこが非常に気に入ったんです。聞いてみると其時分に十万円です。よし、じゃ買おうと――買おうと言っても、こっちは五千円しか無かった。こっちは買う積りになって、それで歌まで書いたんです。其時分には随分――むしろ無茶をやったんです。其時分に信者なんてない。僅か十人か二十人病気が治って信者みたいな人があったんです。おまけに払うのも、きざんで払ったんです。最初私の懐の五千円と、五千円借りて一万円にして、それで売る人も苦しいので――毎日借金で取られて苦しいので、一万円呉れたら越すからと言うので、一万円やって越して貰って、色々苦労して三、四万円やった時に、あそこが競売になった。今でも裁判してますが、後藤慶太という人に取られたんですよ。競売で取られたと思って居た処が、弁護士に聞いてみた処が、決定するには一週間だ。一週間前に何んとかすればつながると言うんです。七日一杯に駄目になるんです。それで七日の日に弁護士が日を忘れて気がつかなかった。それで七日の日に申立書を書いて、裁判所にある何かのポストに入れたのが夜の十一時です。あと一時間遅かったら駄目です。まあ九分九厘ですね。それでやっとつながったんです。それであそこを土台にして基準を作ったんです。その大変な役目をしたんです。その役目をしたのも、僅か一週間の違いでなったんです。実に、神様のする事はハラハラする事があったんです。近来はそういう事はないが、最初の内はそういう事がちょいちょいありました。ですから随分色々障碍を越えて来たんです。熱海に来てからも、脱税問題とか何んだ彼んだ色々ありましたが、何しろ邪神との闘いですから、邪神はひっくり返そうとしてやるんですが、それは神様の方は――邪神は九分九厘で、神様は一厘ですから、一厘の違いですから、一厘で始終ひっくり返してます。大本教のお筆先に面白いのがあります。「今度の仕組は九分九厘と一厘の戦いであるぞよ」なんてね。全くそうです。兎に角そんな貧弱であったがのが、今日美術館から、之は世界に誇る可き位のものが出来たという事は、僅か数年の間に出来たんですから、一大奇蹟と言って良いでしょう。此の美術館を造るにも、みんな知っているでしょうが、去年の今頃は未だ未だ――あそこをカッポジッテ、石を割ったり色々な事をしていた。兎に角美術館の敷地丈作って置こうというのでやっていたんです。十月頃になると、フッと気がついて、之は此処に美術館を一日も早く建てたいですから――之は此間新聞にも出してあった通り、そういった計画を始めて、それから私が図面とか、中の間取りという様なものを書いたんですが、夜一時間位二晩で出来ちゃったんです。さもなければ設計なんか商売人にやらせる積りだったがそんな必要ないので、それから直ぐに建築屋の方に任かした訳です。処が、然し金やっぱり幾らもなかったですから、それこそ余裕なんかというのは少しもないです。そこに美術館なんて建てるというと、最初は一千万円以上かかるという様な設計でした。で、阿部さんに相談し色んな事情を調べてみると、どうやら出来ない事はないという様な話なんで、わたしもやはりそういう時は神様に乗っちゃいますから、神様が何んとかするというので、兎に角始めようというので、始めると丁度要る丈の金が集まって来て、ちっとも金の心配なく出来た訳です。まあ皆さんの骨折りも大いに役立たしていますが、然し神様は余裕というものは決して与えない。困らせない代りに、余裕というのは与えない。実に不思議です。

 然し兎に角そんな様で、凡て美術品なんかが入るのも奇蹟的に割合安く入るんです。で、こっちの懐工合をちゃんと神様がちゃんと見てやられるとみえて、斯ういう良いものが蒐まったのは不思議だ不思議だと言ってます。そんな様な訳で此の美術館というものは世界にない筈なんですよ。そういう様な神様が御守護をする人は他にないから、(かな)いっこないですね。

 それで神様の経綸というものは何時も言う通り型で行くんです。斯ういった美術館が出来ると、之が段々広がって世界的に美術が盛んになる訳です。だから、もう現に大分美術思想が、何んだ彼んだ盛りあがって来ました。で、然も外国との美術に依る交通です。日本の美術が――昨日の新聞にも、何んでもフランスに四十点か行く事になってますが、あっちの美術品もこっちに来る。それからアメリカで日本の美術の展覧会がある事になってます。此間アメリカのロスアンゼルスで支那陶器の展覧会があったんですが、其時に日本から十五点か出したんです。然し、其点に於ては日本と一寸違います。何処の家には何があるか、何処の美術館には何があるかと調べてあった、ちゃんと注文して来る。ちゃんと調べてある。その内の十五点やった。処がイギリスやアメリカのものも随分出たんですが、やはり日本の十五点が一番だったそうです。で、あっちの雑誌のトップに日本の美術品が出ているんです。それから批評なんかも、三分の二は日本のが出ていたそうで、一点一点鑑賞するそうです。フランス、ドイツ、イギリス、アメリカ、イタリア――その辺の支那陶器なんです。調べてみて、やはり日本が一番なんです。断然群を抜いてます。というのは、日本の支那陶器は伝世と言って、昔から伝わっているんです。大体藤原時代あたりから入ってますから――その前にも幾らか入ってます。唐のものなんかは奈良朝時代にも入って来てます。処が他で買ったのは、支那から買ったんです。支那から買ったという事は、みんな土中物と言って土に埋まっていた。日本のは土に埋まらないのが昔から伝わって来たんです。だから同じ支那物でも、日本のものと西洋にあるものは違います。土に生けるのとは、全然艶が違います。伝世と言って、昔から日本に伝わったものは綺麗なんです。そこで支那陶器でも、今言った通り日本は素晴しいものです。そんな様な工合ですから、日本美術というのは殆ど西洋にはなかったので、此処にある支那陶器の――大英博物館は支那陶器で一番としてますが、全体から言っても此処の美術館の支那陶器の方が、それよりか上です。二、三負けているのもありますが、全体から見て此処の方が上です。ですから、之丈の美術館の――支那陶器は一部ですが、それでいて大英博物館に勝っているという事は、神様の仕事という事が良く分るんです。時間が来ましたから、その位にして置きます。

 

 

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