七月六日

【御 教 え】

 美術館に就いて、霊的の意味があるのでそれをお話します。

 神様の話を聞いて解らないのは、やっぱり副守護神が邪魔しているのです。だから本当に解らない人は少いのです。解っていて分らない人が多いのです。立派に御蔭を見せられ乍ら、何んだか信仰に入る気持がしないという人がよくありますが、それはそういった副守護神が邪魔をしているのです。それでそういう時には――新聞なんかに出て、悪い理屈を作る。例えてみれば九つの良い事があっても、一つの何かそんな――人から悪口を聞かされるとか新聞とか雑誌に出ているとか、それをみて九つの方を抹殺して了うのです。その一つを抹殺して了うというのは副守護神が囁くのです。で、現に目に見えて、信ずる気になれないというのがよくあります。そういう訳だから副守護神の力が弱れば良いのです。力を弱らせれば良い。それには此処――聖地の土を踏めば良い。此処に来れば良い。処が偉い人とかインテリのカチカチはてんで寄附きもしないです。処が美術館が出来ると之はそういう連中が美術を好きですから、どうしても来なければならない。此処に来れば、霊界が光ってますから、そこで副守護神が弱るのです。だから此処に来さえすれば良い。観に来れば結構なのです。だから、無論信者さんは奨めるでしょうが、そういう霊的の意味もあるという事を心得て居れば尚更言葉にも力がある訳です。

 それからもう一つは今の人は非常に頭が悪いのです。上っ側は良いのですが蕊が悪い。此間も言った通り「上面(うわべ)利巧の(しん)馬鹿」ですから非常に頭が悪い。それは頭に曇があるからです。此処に来ればそういう頭の曇も余程減ります。それから斯ういう事もある。家に帰ったり、他に行ったりした時、何うかすると箱根を想い出すのです。美術館は良かったな――と想い出すと、霊はこっちに来るのです。そうすると霊線は伝わりますから、そこでやっぱり浄められる――斯ういう事になる。だから信者さんなんかでも――信者さんは一番私を想うのですが、そうするとそれ丈浄まる。向上して行くのです。そんな訳で今の人の頭の悪さに就いて書いてみたのです。今非常に交通事故があるのです。近頃は鉱山の事故があります。あれはやっぱり頭の悪いせいです。それを書いたのです。

(御論文「事故の原因」)   【註 栄光一六五号】

事故の原因

(栄光一六五号)

 近来交通事故を始め、色々の事故が多く当局においても絶えず注意を与えているが、それに頓着なく年々増える一方であるから厄介である。ではどうすればいいかといっても、今のところその原因が全然不明であるから注意以外どうしようもないのである。そこで真の原因はどこにあるかという事を、吾々の解釈からかいてみるが、それは近代人の神経の問題である。つまり神経が鋭敏に働かない事に起因する。危険に直面してもその瞬間避けるべき行動の敏速を欠く事で、一秒の何分の一のズレも災害の直接原因となる以上、それの矯正より外に手段はないのである。これについて私がいつも思う事は、近頃の青年の敏捷性のない事である。彼らは今年七十歳になる私よりも、行動遅鈍の者が多い。私としては普通の行動と思っているのに、彼らは私を素速いと常にいっている。ではそのように頭脳鈍感の原因は一体どこにあるかというと、全く現代人はヤレ注射、ヤレ何の薬などといって、矢鱈に薬を用いたがる。また酒類にしても防腐剤や何や彼やと薬が入っているし、農作物にしても化学肥料や殺虫剤などを用いるから、それを吸収した作物は、長い間には相当量人体内に薬毒として溜るのである。右のように今日の人間は薬浸りといってもいいくらいであるところへ、生活が益々複雑となるので、頭の使用も加重となるから、自然薬毒が頭に集中凝結する。それに対し不断に微弱な浄化作用が起るから、大抵な人は頭が熱く逆上的であり、頭重、頭痛が常に起り、ボーッとしたりする。というように今日の人間で、恐らく頭のスッキリしている人は、ほとんどないといってよかろう。これが事故ばかりではない、近頃よく新聞に出ている殺傷沙汰などもその原因となる。

 こう考えてくると、事故の根本原因は全く薬であるから、この社会から薬を無くさない限り、事故は増えるとも減るはずはないのである。嗚呼恐るべきは薬剤なるかなである。

 

 もう一つ薬毒の事を書いてあるのです。

(御論文「救世の警鐘」)   【註 栄光一六五号】

救世の警鐘

(栄光一六五号)

 あらゆる病気の原因は薬であるという事は、私は常に唱えているところであるが、それを知らない一般は、病気に罹るや、薬で治るものと絶対信じており、良い薬さえ発見すれば治るものとして、各国の専門家はその研究に没頭し、新薬を発見しようとして懸命になっている。ところがそのように薬剤万能時代である今日、私の説は薬で病気が治るどころか、反って病気が作られるというのであるから驚く外はなかろうが、しかしこれが真理である以上、まず白紙になってこの文を読んで貰いたいのである。

 右のごとく薬剤によって病気が作られ、しかもそれを治そうとする薬が拍車をかけるとしたら、これ程重大問題はあるまい。重ねていうが病気に罹るや必ず薬を用いて、一時的ではあるが苦痛が緩和するので、それを治る過程と誤認して、今日の医学が出来たのであるから、この事を知って何ら先入観念に捉わるる事なく、病人は現在及び既往の経過を考えて見ればよく分るであろう。今一つ云いたい事は、薬害は独り病ばかりではない。一切の不幸の原因となる事実である。たとえばこの間自殺した作家林房雄氏夫人繁子さんにしても、自殺の原因は夫君の婦人関係もあったようだが、主なる原因は神経衰弱の昂進という事である。この神経衰弱という奴もヤハリ薬毒が主因である。何よりも同夫人は睡眠薬が効かなくなるくらい、重症不眠症になっていたという事であるから、余程酷い睡眠薬中毒に罹っていたのである。また入院をも非常に嫌ったそうだが、これなども前の入院の経験で病院では強い薬を用いるため、その苦痛に懲りたからであろう。このように薬害の余波は幾多の悲劇を作っている。

 以上によって分ったであろうが、人間の苦悩なるもののほとんどは薬毒が原因であって、早い話が彼の感冒の苦痛にしろ、その他の病気による痛み、痒み、不快感等も原因はことごとく薬であるから、もしこの世界から薬がなくなったとしたら、病苦は消滅すると共に、不幸の大半も消滅するのはもちろんである。そうなってこそ社会は平和明朗となり、憎しみも争いもなくなり、戦争の脅威さえも解決さるるので、ここに初めて人類待望の安心立命の世界が生まれるのである。

 このような社会になったなら、人間は健康で安心して働けるから、貧乏もなく、心も豊かに生活を楽しむようになり、その結果病院も、製薬業も、医師も、看護婦も、病気に付随する一切の職業は不必要となるから、社会全体のプラスたるや予想もつかない大きなものがあろう。その上思想も健全になる以上、犯罪は激減し、警察、裁判所、監獄等の不快なものもなくなり、農業方面も薬害を知って用いないから虫害もなく、金肥人肥も全廃され、農作物の収穫は何倍に増えるか分らない程で、ここに鼓腹撃壌(こふくげきじょう)の時代となり、名実共に地上天国となるのはもちろんである。

 以上は薬害を赤裸々にかいたのであるが、このように恐るべき薬の害を、何千年もの間人類は気が付かなかったという事は、実に不可思議である。全く時の来らなかったためで、それがいよいよ私によって発見されたのであるから、この事が人類全般に知れわたるにおいて、その歓喜たるやいかに素晴しいかである。すなわち文化の一大転機であり、空前の大奇蹟である。これこそ病貧争絶無の地上天国が近づいた事の何よりの証拠であって、それにはまず薬害を知らせる事こそ根本であるから、この文を警鐘としてここに発表するのである。

 

 今度、農業特集号――といった処で、以前の様な編集の仕方ではないのです。半特集号といった処の物を出す様にしました。之は、其後に来た報告を土台にして作ったのです。最近来た中に――佐渡の島で県の農会で質の一等賞貰って色んな褒美を貰っているのです。量も一等なのです。之も素晴しい成績です。それを一番先に出しました。それから昨日来た報告では、蚕も今度一等賞貰ったとかいう礼状が来ましたが、それも桑を無肥料でやるとそういう風になるのです。之は輸出品ですから、無肥料で養蚕すれば今迄の品質よりずっと良くなりますから、この国家の利益は大変なものです。それから近頃は硫安が非常に売れなくなった。ですから滞貨が非常にあるのです。製造も大分減らす話です。何んでも、売高が去年より四割位減ったという事ですから、余程減ってます。原因は何処にあるかというと、農林大臣の広川さん――あの人が去年あたりから硫安はあんまり使うなと言っているのです。去年の特集号もあの人に送りましたし、今年の特集号も送りました。それを見て大分感じたとみえます。だから之丈でも特集号は大変な効果があったという事になります。之は大変良い事ですから益々馬力をかけてやらなければならないと思うのです。今年あたりは肥毒が余程減ってますから、此秋の成績は余程良いだろうと思います。そうしたら又特集号を出してドンドンやります。一万何千か方々に配ったのですが、中には変った処があって十四、五枚返して来たのがあります。何も、返さなくても――鼻紙にしても取って置いても良いじゃないですか――。つまり返すという気持が可笑しいのです。癪に障るのでしょう。肥料の取引でもやっている処かも知れないが、そうすれば商売にも関係しますから――あれは一つの反感でしょう。そんな工合で、何んだ彼んだと段々解って来るに違いないと思うから、大いに張合がある訳です。

 斯ういうものを一寸書いてみたのです。

(御論文「薬屋さんには御気の毒」)   【註 栄光一六五号】

薬屋さんには御気の毒

(栄光一六五号)

 近頃時々耳にする話だが薬屋さん連中が当局に向って投書其他の方法で本教を非難し妨害的態度に出ているそうだが、之も決して無理とは思わない。何しろ病気の原因は薬であるという事を唱えるのであるから、本教を憎むのも当然で、吾々も常にお気の毒とは思っている。然し本教の建前は病無き世界を造るにある以上、其目的を達成する必要から、病の根本を明かにしなければならないので、つまり小の虫を殺して大の虫を助けるという訳である。

 右に就てハッキリ言いたいのは、お医者さんでも薬屋さんでも、本来の使命は金儲けのみではあるまい。人命を救うのが主要目的であるのは今更云うまでもあるまい。従って人間の命が助かる事なら、夫が自己に多少の不利益があっても賛成すべきが当然で、之も亦止むを得ないであろう。然し深く考えてみると右の如く本教に対して、妨害しなければならない程、薬屋さんに影響が行くとすれば、其効果の著しいかを物語っているのである。とすれば此効果に対し、如何に反対したとしてもそれは一時的で、何れは本教の方が勝つに決っているし、若し本教よりも薬の方が勝つとすれば、本教の方が負けるから問題はないのである。という訳で先づ自然の判定に委せておくのが、最も妥当ではなかろうか、敢て考慮を望む所以である。

  

 之は一寸面白いものです。

(御論文「アレヨアレヨ」)   【註 栄光一六六号】

アレヨアレヨ

(栄光一六六号)

 今度神仙郷が完成し、美術館も出来たが、これは本教モットーである地上天国、即ち真善美の中の美の面の最初の小さな模型であるから、何れはこの模型が段々育ってゆき、世界大となるのは勿論であって、一点の疑う余地などないのである。それから真と善も、形はないが何れは具体的に現われる時が来るから、そのつもりでいて貰いたいのである。右の如く神様の経綸は、目には見えないが霊界ではズンズン進んでいるのであるから、何れは三大目標が世界の表面に現われるとなったら、その時は何人も吃驚仰天、開いた口が(すぼ)まらぬであろう。そうなってから、アア俺は長い間飛んでもない誤解をしていた、救世教こそ最後の救いであった事を知らなかった、何と自分は迂闊(うかつ)であったのであろう、といっても、今更頭を下げて行くのも業腹(ごうはら)だと、歯ぎしりする人も沢山出来るだろうし、然もそういう連中はインテリやジャーナリストの特別鼻の高い人に多いのだから、気の毒でもあり可笑しくもある。

 本来神様というものは洵に皮肉に見えるものであるが、本当からいうと皮肉でも何でもない。つまり人間の方で皮肉を作り、その皮肉で苦しむのだから、神様からみれば哀れな仔羊である。そんな訳で、今に世界中の偉方もそうだが、特に日本の偉方達は一同魂消(たまげ)て、アレヨアレヨと空を見つめて茫然とするであろうから、痛快でもあり、可哀想でもあるから、このアレヨアレヨ組に、今からチクリと針を刺して気を附けておくのである。

 

 今「私物語」という本を書いて居るのですが、未だ無信仰時代の事で面白い事が幾らかありますから、それを書いてみたのです。

(御論文「私物語 無信仰時代」)

無信仰時代

(『私物語』より)

 いつかも記いた事があるが、私の前半生は至極平凡なものであったから、詳しくかかなかったが、其後記き漏らしたと思う点も少なくないので、興味ある話題を少しかいてみようと思うのである。

 それに就て先づ私の現在の妻であるが、之は二度目であって、最初の妻を娶ったのは私が二十五歳の時で、妻は十九歳であった。私の処へ来て一年ばかり経った頃結核に羅って了ったのである。そこで早速医師に診て貰った処、医師の曰うには此病気には薬がないから、先づ空気の良い処へ転地して、気長に療養するより外に方法はないとの事であった。処が幸いにも妻の実家は神奈川県の金沢で、海岸ではあるから恰度いいとして、母や兄、親戚なども口を揃えて、此病気は伝染の危険もあるし、仮令(たといえ)子供が出来ても遺伝するから、(当時の学説)是非実家へ帰した方がいいと頻りに勧めるので、私は一時は其気になったが、よく考えてみるとどうも腑に落ちない気がした。というのは一生を契った妻が病気に羅れば、猶更親切に介抱してこそ人間の道であるのに、伝染の危険があるからとて実家へ還すなどは、余りに功利的考へ方で、そんな薄情な事は私にはどうしても出来ない。一生涯苦楽を共にすべきが夫婦の道ではないかと堅く心に決めたのである。而も幸ひな事には、以前私が治った体験もある事だし、必ず治るに違いない。それのみか人間は正しい道を踏む以上、伝染する筈もないという確信が湧くのである。当時無神論者であった私として、そんな考えが湧くのは実に不思議でならなかった。それを聞いた医師も親戚の者も呆れて了い、私を変り者とさえ思ったのである。という訳で其時既に肚の底には、信仰の種が蒔かれてあったのであると、宗教人となってから判った事である。そうして私の経験上から菜食療法にした処、医療も受けずに三、四ケ月で治って了った。

 それから斯ういう事もあった。其頃桂庵から雇った十六、七歳の山出し下女があったが、此女が病気になったので房州の実家へ帰した処、暫くしてからヒョッコリ訪ねて来た。見ると真蒼な顔をしているので訊ねた処、其後段々悪くなり、医師から重症結核と診断をされたので、周囲の者から嫌われ、而も赤貧洗うが如き家庭なので、邪魔者扱いにされ、働きに出ろと言われるので参りましたと涙乍らにいうので、私も大いに同情し、“そんな身体で働くなどは飛んでもない話だ。直ぐ実家へ帰りなさい。その代り食扶持(くいぶち)と医療費を、お前の生きている間は必ず送ってやるから”と言ったので、喜んで帰ったが、それから毎月確か十五円(ずつ)送ってやったと憶えているが、当時としては其位で充分であったのである。然しそれだけの話なら情深い人なら、世間にない事はないが、之に就てかきたい事があるから、此話を挿入したのである。というのは当時私の親戚知人などは、よく斯う曰ったものである。“其娘の肺病が治る見込があるならいいが、あれでは死ぬに決っている。死ぬに決っている者を援けてやった処でつまらないじゃないか、治ってから働いて御恩返しが出来るならいいが、そうでないとしたら、無駄な金を費うだけで詰まらないじゃないか。早く止した方が利口だよ”と勧めるのである。そこで私は曰ってやった。“私は恩を被せて代償を貰う気は些かもない。人を世話して恩返しを期待するなどは一種の取引で、丸で恩を売るようなものだ、だからそんなものは慈悲でも何でもない。善人らしく見せる一種の功利である。只私はあんまり可哀想で見ていられないからそうしたまでで、つまり自然なんだ。私はそれで満足しているんだからいいじゃないか。大きな御世話だ。成程あんた方から見れば馬鹿だと思うだろうが、馬鹿でも何でも結構なんだよ”とマァー斯んな風に曰ってやったので、みんな呆れて黙って了った事があった。 此時の私も全然無信仰で、唯物主義のカンカンであり乍ら、丸で信仰者のような考え方なんだから、表面は無信仰でも、肚の底は已に信仰者になっていた訳である。 

  

 美術館は大分評判が良いそうです。昨日もアメリカ人か何か来て、非常に褒めて行ったそうです。品物を一つ一つ説明すると中々面白いのですが、美術館の大体の説明書という様な物を作ろうと思って書き始めたのです。いずれ絵葉書とそれに説明書をつけて、見物に来た人にやろうかと思っているのです。段々美術に就いての鑑識を養う意味から、特に信者さんなんか必要ですから、兎に角世界的に美術というものに関心を持たれて来ているから――今にお茶とか花とかそういうものが盛んになって、美術も非常に盛んになる時代が来ますから、その場合にそういった知識が豊富にあると、その先覚者という訳ですから、特に信者さんなんかは良く覚える様にすると良い。之は少し専門的ですから面白くないが、之を知って見ると又見るのに余計力が入ります。

(御論文「東洋美術雑感)   【註 栄光一六六号】

東洋美術雑観(1)

(栄光一六六号)

 今迄、美術に関する批評と言えば、殆んど学者の手になったものばかりで、それは成程究明的で深くもあるが、一般人にとっては必要がないと思う点も少なくないので、私などは終りまで読むに堪えない事がよくある。そこで、一般的に見て興味もあり、一通りの鑑賞眼を得られればいいという程度に書いたつもりであるから、これから美術の門に入ろうとする人の参考になるとしたら、幸いである。

 美術に就いて、先ず日本と外国との現状から書いてみるが、外国と言っても今日美術館らしい施設を持っている国は、何と言っても米・英の二国位であるから、この二国の現在を書いてみよう。それは、どちらも東洋美術に主力を注いでいる点は一致しているが、東洋美術と言っても、殆んどは支那美術で、陶磁器を中心に銅器と近代絵画という順序である。そうして、先ず英国であるが、この国での蒐集家としては、世界的有名なユーモーホップレスとデイビットの二氏であろう。ホップレス氏の蒐集品は余程以前から大英博物館を飾っており、その量も中々多かったが、第一次大戦後。、経済上の関係からでもあろうが、惜しい哉相当手放したのである。勿論大部分は米国へ行ったが、不思議にも少数のものが日本にも来て、今も某氏の所有となっている。こんなわけで、若干減るには減ったが、今でも相当あるようである。

 次のデイビット氏は、まだ美術館は開いていないそうだが、ユーモーホップレス氏の方は、唐、宋時代からの古いものが多いに対し、デイビット氏の方は明以後の近代物が多いようである。そうしてホップレス氏の方は、周の前後から漢、宋辺り迄の優秀銅器が相当あり、又絵画も多数あるにはあるが、宋元時代の物は僅かで、明以後康煕(こうき)(けん)(りゅう)辺りのものがその殆んどである。デイビット氏の方は、銅器も絵画も図録に載っていない処をみると、余りないのであろう。併し、英国では個人で相当持っている人もあって、その中で珍らしいと思ったのは、某婦人で日本の仁清を愛好し、若干持っているとの事である。そんなわけで、同国には日本美術は余りないのは事実で、それに引換え米国の方は、流石富の国だけあって、立派な美術館も数多くあるし、品物も豊富に揃っている。先ず有名なのは、華府(ワシントン)、ボストン、紐育(ニューヨーク)桑港(サンフランシスコ)羅府(ロスアンジェルス)等の大都会を始め、各都市に大なり小なりあるのである。その中で、小さいが特に際立っているのは、フリヤー・ギャラリーという個人の美術館で、これは世界的に有名である。此処は銅器の素晴しい物があって、私は図録で見た事がある。併し何と言っても、同国ではボストンの美術館で、日本美術が特に多いとされている。何しろ明治時代岡倉天心氏が同館の顧問となって、相当良い物を蒐めたし、後には富田(とみた)幸次郎(こうじろう)氏が亦日本美術の優秀品を買入れたのであるから、推して知るべきである。私は数年前華府(ワシントン)美術館にある屏風類の写真を色々見た事がある。光琳、宗達のものが多かったが、何れも写真で分る程の贋物ばかりなのには、唖然としたのである。そんなわけで、日本古美術として海外にある物は、思ったよりも少なく、只版画だけが寧ろ日本にある物よりも優秀で、数も多いとされており、特に版画で有名なのは、ボストン美術館である。その他としては()(ラン)西()独逸(ドイツ)も若干あるが、只写楽物だけは独逸に多いとされている。では何故版画が外国に多いかという事に就いて、私はこう思っている。それは、彼等が明治以後日本へ来た時、先ず目についたのが版画であって、値も安く手が出しいいので、土産として持って帰ったのが、今日の如き地位を得た原因であろう。処が、私はどうも版画は余り好かないので、以前から肉筆物だけを蒐めたから、割合安く良い物が手に入ったのである。というのは、版画は外人に愛好された為、真似好きな日本人は版画を珍重し、肉筆物の方を閑却したからである。然も、最初外人が来た頃の日本人は、肉筆物を大切に(しま)い込んでいたので、外人の眼に触れなかったからでもあろうが、この点勿怪(もっけ)の幸いとなったわけである。

 次に、我が国独特の美術としては、何といっても蒔絵であろう。これも肉筆浮世絵と同様、外人の眼に触れる機会がなかった為、手に入らず終いになったので、存外海外にはないらしい。以下蒔絵に就いて少し説明してみるが、この技術は、勿論古い時代、支那の(びょう)(きん)からヒントを得て工夫したものであろうが、日本では奈良朝時代已に相当なものが出来ている。今日残っている天平時代の経筥(きょうばこ)の如きは、立派な研出蒔絵であるから驚くの外はない。その後平安朝頃から段々進んで、鎌倉期に至っては劃期的に優良品が出来たので、今でも当時の名作が相当残っており、我々の眼を楽しませている。次いで桃山期から徳川期に入るや、益々技術の向上を見、然も大名道具として蒔絵は最も好適なので、各大名競って良い物を作らした。今日金色(こんじき)燦然(さんぜん)たる高蒔絵(たかまきえ)の如きは、殆んど徳川最盛期に出来たもので、品種は書棚、料紙文庫硯筥(りょうしぶんこすずりばこ)文台(ぶんだい)硯筥、手筥(てばこ)(こう)道具(どうぐ)等が(おも)なるものである。

 

 あんまり専門的になってますが、此処にある支那陶器丈ではやっぱり日本で一番です。只、之丈蒐まってますが、去年の五月迄は支那陶器というのは未だ知らなかったのです。もっと精しく書いたら書けますが――。その代り去年からは支那陶器のある処には何処にでも行きました。東京にも行きました。一品でもある処には行きました。それから支那陶器に関した本も集めました。普通なら十年二十年はかかるでしょう。それを私は一年ですから馬鹿に早いのです。之は、将来外人を誘致するには非常に力があります。英・米に行きますと支那陶器というのは殆ど美術の代表みたいになっている。だから今度もロスアンゼルスで支那陶器の展覧会をやりましたが――二、三日前にその図録が出来ましたが随分数があります。日本で十五点出しましたが、十五点が断然良いのです。品数としては二、三百ありましたが、十五点を向うの新聞、雑誌に書いたそうですが、記事の三分の二は日本に関する物だそうです。それで、世界一というのがあるのです。そんな様な訳で、何しろ英・米で蒐めたのは明治以来です。処が明の時代のを蒐めたのが多いのです。日本は天平時代から来ているのです。唐時代の物が其時代から入って来ているのです。それから藤原時代。足利時代が一番多く入ってます。そんな訳で伝世と言って綺麗なのです。処が英・米に行っているのは土中物と言って土に埋まっていた物ですから、艶がなくて色もずっと変っているのです。だから日本の支那陶器は断然良いです。今度の十五点で支那陶器は日本という位の評判が出て来たそうです。そんな様な工合で日本には中々良い物があるのです。それは未だ未だ随分あります。その内の極く良い物を私が選んだ訳です。併し支那陶器なんて全然知らなかったのですから、知らない最初は見当附けるのに骨を折りました。併しやっぱり霊界でいきます――見ていると自然に感じます。それで、割合に外れないのです。だから皆驚いてました。何うして斯んなのが手に入ったか、とね。色んな原因がありますが、やっぱり神様がやっているという事が良く分るのです。やっぱり霊界で、先祖が持って居た様なのが、大いに手柄をして救って貰いたいというのでやったものに違いない。そんな訳ですから特に必要な物はちゃんと蒐まる。それから種類は実に良く蒐まる。支那陶器は、見た丈でも種類は実に余計ある。それで、みんな一流、二流の物です。

 (図録を御示しになられ)之が白鶴美術館にある世界一なのです。之を私が欲しいと思って随分交渉したが全然駄目です。此位の大きさの壺で、良い物です。之が世界一なのです。ですから此本のトップに出してあるのです。之は代表的な物です。美術館に牡丹のがありますが、あれと同じ(たち)なのです。牡丹も中々良い物ですが、あれ位の物は外国にも日本にもあります。之は一つなのです。此十五点ですが、今博物館で展覧会をしてます。十日迄ありますから行って見ると良いです。今のアンダーソンという四千年前に出来たのが之です。之と同じ物が一つあるでしょう。之は外国にありますが、日本には殆ど無いです。斯ういう工合に沢山ありますが、此中で良い物というと日本の物です。だから日本は大したものです。

 

 

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