メシヤ教も宗教になってから、今月で丁度満五年目になった訳です。最初は二十二年の八月でしたが、其時は浄化療法――民間療法をやっていて、信者といった様な者が数百人あった位です。斯ういった参拝――面会の時は二、三百人位しか無かったのが、今日は五年で本当に固まった信者――協力会員は十万出来ましたし、その他の準信者とも言うべきのが四、五十万位あるでしょうから、僅かの間に驚くべき発展をしたのです。で、信者の数ばかりでなく斯ういった地上天国、美術館――そういうものも出来たし、熱海の方は今大体敷地其他のものは大抵今年一杯くらいで出来る予定です。熱海の建築の予定は此の秋あたりからと思ってますが、其時になれば神様がちゃんと指図されます。もう後二、三年経ったら又素晴しい事になると思ってます。然も順調に行った訳ではないのです。宗教法人になって、そうして発足して一年余り経った翌年の秋には脱税問題で大いに打撃を受けました。その代りそれ迄殆ど誰も知ってなかった――其時分は観音教団と言ってましたが、一躍世間に知れ渡ったのです。知れ渡ったには違いないが、良い意味でなくて悪い意味で知れ渡ったのです。然し只知れるという意味からだと、悪い知れ方の方がずっと早いです。良い事というのは寔に知れないものです。良い事という事に興味を持たないのです。どうも人間は悪い事の方に興味を持つのです。だから新聞なんかでも、良い事は報道しないのですが、悪い事の方は輪に輪をつけて報道するのです。そうすると興味があるのです。そういう風に人間がなっているのだから仕方がないのです。兎に角知られるという事には大いに効果があったわけです。そうして次は一昨年――一年置いて、二十五年の五月に贈収賄問題というのですが、それで大いに叩かれたのです。これは私も随分いじめられました。普通では、メシヤ教は駄目になって了うのではないかと思った人が随分あっただろうと思いますが、そういうことも凌いで――その間にもちょいちょいありましたが、それにも拘わらず斯うして素晴しい発展をしつゝあるのは、つまり邪神に対して神様の力が如何に強いかという事です。之は闘いです――霊的の闘いですから、邪神の方では実に一生懸命に力を振っているのです。それが又、邪神はあの手この手で色んな――大きい事小さい事を実にやってます。之は私でなければ分らないが大変なものです。それに就いてざっと書いたのですが、今読ませます。
御論文「宗教と妨害」 【註 栄光一七二号】
宗教と妨害
(栄光一七二号)
昔から宗教に妨害は付物とされているが、その中の一番大なるものは、彼のキリストの受難であろう。その外釈迦に提婆なども有名なものだが、日本においても法然、親鸞、日蓮等の受難も衆知の通りであるし、近い処では天理教、大本教、人の道等もそうであったと共に、本教も御多聞に洩れず、今までにも何回となく断(弾?)圧され新聞を賑わした事は、新宗教中の有難くもない王座を占めていた訳である。そうして面白いことには、その宗教が将来性があり、価値の高いもの程正比例的に妨害も強い事実である。というのはどういう訳であるかをかいてみよう。
言うまでもなく、宗教なるものは霊主体従の法則により、霊界における神々が主神の命に従って、時と所と民族に適応する救いを行うので、キリスト教、仏教、マホメット教の如きは、その最大なものである。勿論宗教の建前は善を教え、人類社会を天国化するにあるので、人間からみれば結構ではあるが、邪神の方では全然反対である。というのは、邪神は悪の人間を作り、苦悩に充ちた地獄社会を造るのが目的であるから、絶えず正神と闘っている。これが霊界の実相であって、そのまま現界に映るのであるから、見らるる通りの地獄世界である。
そうして小善には小悪の邪神が妨害し、大善には大悪の邪神が妨害するのは勿論である。この様な訳だから、我救世教に対しても、絶えず邪神界の頭目が妨害に当っている。何しろ歴史肇って以来ない偉大な宗教であるから、邪神界は大恐慌を起している。この事は細大洩らさず私には分るが、信者の方でも各地において神憑り等によって、その片鱗を知らされているであろう。そうして今最も活躍しているのが赤龍と黒龍の頭目で、これが多くの眷族を使い、共同的に妨害しているのであるから堪らない。その争闘たるや血湧き肉躍るの概がある。それらを赤裸々にかきたいが、今は神様から止められているので、残念ながら何れ時が来れば発表するつもりである。処で何程邪神の頭目が大々的に妨害しようとしても、コチラの方には金剛力を揮われる最高の神様が付いているから、一時は負けても最後は必ず勝つので心配は要らないが、勝つまでの苦しみは相当なものである。併し随分妨害されながらも、順調に発展しつつあるのは見らるる通りである。玆で知っておくべきは邪神の特長である。それは驚く程の執拗さで、幾度失敗しても決して懲りたり諦めたりするようなことはない。どこまでも彼の手この手でやってくる。その点迚も人間では想像もつかない程である。然もその無慈悲残虐なる悪魔的心理に至っては、形容の言葉すらないので、これが邪神の本性であるからいたし方ないのである。そうして悪魔中の力ある奴程、人間界の社会的地位ある者やインテリゲンチャ、ジャーナリスト中から選び憑くのであるから、この真相が分ったなら愕然とするであろう。
従ってこういう凄い悪魔と、それ以上の神様との闘いが始終行われているに拘らず、見えざる霊界のこととて知る筈もないから、人形同様に躍らされているのが万物の霊長様である。勿論当事者である私にはよく分るから、恐ろしいこともあり、面白いこともあり、愉快でもあるので、この心境のみは如何なる人でも分らないのである。然も今度の御神業における正邪の戦いは、古往今来嘗てない程の千変万化、虚々実々の大芝居で、只神秘というより外はないのである。処でそれについての大きな問題は、地球の一大転換である。それは昔から今日までの神と悪魔の戦いで、即ち夜の世界であったからで、神の方が一旦敗北すると、挽回に相当の時を要したものが、最近に至っては非常に狭まって来た事は信者も知る通りである。処が今や昼の世界に移りつつあるから、邪神の力は段々弱まって来た。そのため挽回の速いことは、反ってプラスになる場合さえある位で、それは事実が示している。一昨年五月のアノ事件は、一時は致命的と思われる位の打撃を受けたので、世間では再び立つことは出来まいと思われたに拘らず、僅か二年を経た今日、箱根・熱海の地上天国の進捗や、教勢の拡大等誰も予想のつかない程の発展振りである。従って若しアノ事件がなかったとしたら、この何倍の発展か分らない筈である。というのは神様の威力が非常に強くなった証拠であるから、何といっても今一息という処まで来ているのである。何れは全世界から引張凧にされる時の来るのは必定である。尤も世界人類を救うという空前の偉業であるから、これ位の妨害は当り前かも知れないとも思っているのである。
最近アメリカに行っていた信者の大学生ですが、此間帰って来て医学上の調査――数字も色々統計的に書いて来ました。日本と違ってあっちの良い事は、何んの病気は現在患者が何人居るとか、何んの病気は何年前に何ういう数字があったとか、それが増えたとか減ったとか、それがちゃんと統計に出るのです。だから非常に分り易い訳です。それによると今アメリカで医者にかゝっている人は千七、八百万人居るそうです。人口が一億五千万人ですから一割強はお医者さんの御厄介になっているわけです。それで色んな病気の統計をみると、年々増えているのです。減っているのはペストとかコレラとか野蕃国の病気は減ってます。それから一番多いのは胃癌、小児麻痺、結核――これ等が一番多いです。その他色々な病気がありますが、之はいずれ「栄光」に出します。そうしてアメリカでは病気に対して非常に苦しんでいるのです。私は、色んな病気は日本が一番多いと思った処、どうしてアメリカの方が日本より多いかも知れないです。それは何かというとアメリカは薬が一番進歩しているからです。昔は薬はドイツが世界で一番進歩していたが、今はアメリカが一番進歩している。斯ういう説になっている。つまり医学が進歩している国程病気が増えるのです。之は間違いないです。そうして見るとアメリカの人を先づ救わなければならない。何しろ世界の文明をリードしているのはアメリカですから、世界を救おうとしたらアメリカを一番先に救うという事が一番効果的です。私は其統計を基にして〝斯ういう病気は斯うだ〟〝之は斯ういう事だ〟という事をすっかり書いて、小冊子にしてアメリカの大統領始め偉い人達に配ろうと思ってます。それから、「栄光」も、「英文栄光」というものを作ってあっちに大いに宣伝して、読ませ様と思っている。丁度良い塩梅に、そういった極く適任者が二、三人居りますから、今ハワイに信者も四、五十人出来てまして、今非常に発展の気勢がみえて来たのです。そんな事で、足掛りも丁度良い工合になっているので、そこでこっちの支社の様なものを――尤も支部も作る積りです。支社を作って大いにアメリカに宣伝しようと思っている。そうすると日本人より反って分りが早いから、案外良いと思ってます。で、アメリカで一番困っているのは小児麻痺です。之は、死んだルーズヴェルトの小児麻痺は有名なものですが、今度の報告を聞くと本当の小児麻痺ではないのです。殆ど疑似小児麻痺です。疑似小児麻痺というのは無論薬毒ですから、それを良く解らせれば案外早く解るのではないかと思ってます。つまり足が歩けないのです。之が一番多いのです。然も注射が流行りますから益々増えるわけです。それから親の遺伝薬毒もありますし、それですからアメリカの小児麻痺というのは浄霊しても全部治ります。何んでもないです。大抵膝の辺に薬毒の固りが出来るのです。それから癌というのは、根本は肉食です。あれは肉食病ですから、野菜をもっと多く食べれば胃癌は無くなるのです。それらも簡単な理屈です。結核は今度の「結核信仰療法」を読ませれば良いのです。斯ういう意味を根拠として〝凡ゆる病気は薬毒だ〟という事を書けば相当解るだろうと思ってます。で、之は先から言っている通り、アメリカが緯で日本が経で、そこで、之を結ばなければならないという、そういった一つの根本的の仕事ですから、やはりそういった時期が来たわけです。で、アメリカが解ると日本はとても早く解ります。何しろ今以て舶来崇拝が大いにあるのですから、どうしても逆輸入する。そうする事が一番早いです。映画の「羅生門」みたいなものです。あれだって外国であゝして大騒ぎをやられたので、日本人も気が附いたのです。そう言う私もそうなのです。先に見た時には大したものと思わなかったが、あっちで評判になったので何んだかもう一度見たい気がして、そう思って見ると成る程良いです。
昨夜から今朝にかけて面白い論文を書いたのですが、未だ仕上げをしていないから読み悪いのですが――。つまり薬というものは毒ですが、毒を薬の様に思わせたのは誰かというと、神様なのです。だから一寸意外な説なのですが、処が之を充分解ると根本的に分るのです。何しろ悪魔というのは神様が作ったのです。斯ういった説き方は主神の説き方なのです。今迄の宗教にしろ何にしろ、主神の教えでなかった。つまり善の側の神様が出て説いたのですから、悪というものを一概に全然いけないと排撃したのです。之は善悪両方の神様が拵えたのです。善の方の神様はキリストとか釈迦を使って説かせたのです。処が私は善悪両方の主神――その神様の計画を説くのです。そこで悪を否定するのでなくて悪を肯定しているのです。そうすると毒を薬として飲ませるのは何ういう訳だという、そういう意味も知らなければならない。それを書いたのです。
御論文「文明の創造 人類と医学」
人類と医学(悪の発生と病)
(『文明の創造』より)
前項の如く悪の九分九厘に対して、善の一厘が現はれ、絶対神力を揮って既成文化を是正すると共に、新文化を打ち樹てる。早くいえば掌を反えすのである。之が今後に於ける神の経綸の骨子であって、其破天荒的企図は想像に絶するといってよかろう。之に就ては彼の旧約聖書創生記中にある禁断の木の実の寓話である。勿論之は比喩であって、エデンの園にゐたアダムとイブの物語は、実に深遠なる神の謎が秘められてゐる。それを追々説いてゆくが、之を読むに就ては全然白紙にならなければ、到底分りやうがないのである。言う迄もなく木の実を食ふ事によって悪の発生である。といふのは木の実とは薬の事であって、薬によって病気が作られ、病気によって悪が発生する。処が人類は紀元以前から、病気を治す目的として使ひ始めたのが彼の薬剤であって、禁断の木の実とは、何ぞ知らん此薬剤を曰ったものである。といふ訳を知ったなら何人も愕然として驚かない者はあるまい。ではそのやうな到底想像もつかない程の理由は何かといふと、之を説くとしたら理論と実際から徹底的に説かねばならないから、充分活眼を開いて見られん事である。
玆で曩に説いた如く、人間は霊と体とから成立ってをり、霊が主で体が従であるといふ原則も已に判ったであらうが、そのやうに悪の発生原は霊に発生した曇りであり、此曇りに元から憑依してゐた動物霊と、後から憑依した動物霊と相俟って、人間は動物的行為をさせられる。それが悪の行為である。早く言えば霊の曇り即悪である以上、悪を撲滅するには霊の曇りの解消である事は言う迄もない。処が曇りの因こそ薬剤であるから玆に大きな問題がある。勿論霊の曇りは濁血の移写で、濁血は薬剤が造るのであるから、人間薬剤さへ用ひなくなれば悪は発生しないのである。斯う判ってくると禁断の木の実、即ち薬剤こそ悪発生の根本である事が分るであらう。
玆で今一つの重要な事をかかねばならないが、之も曩に説いた如く文化の進歩促進の為の悪を作った薬は、他にも大きな役目をして来た事である。といふのは血液の濁りを排除すべき自然浄化作用である。勿論曇りが溜ると健康に影響し、人間本来の活動に支障を及ぼすからである。処が人智未発達の為、右の浄化作用による苦痛をマイナスに解して了ひ病気の苦痛を免れやうとし、薬を用ひはじめたのである。といふのは浄化作用停止には身体を弱らせる事であって、弱れば浄化作用も弱るから、それだけ苦痛は緩和される。それを病気が治る作用と錯覚したのである。といふ訳で抑々此誤りこそ、今日の如き苦悩に満ちた地獄世界を作った根本原因である。
右によってみても、薬といふものは其毒によって単に痛苦を軽減するだけのもので、治す力は聊かもない処か、其毒が病気の原因となるのであるから、其無智なる言うべき言葉はないのである。処が驚くべし此病気に対する盲目は、実は深い神の意図があったのである。それを之から詳しくかいてみるが、先づ文化を発展させる上には二つの方法があった。其一は曩に説いた如く悪を作って善と闘はす事と、今一つは人間の健康を弱らす事である。前者は已に説いたから省くとして、後者に就て説明してみれば、先づ原始時代からの人間の歴史をみれば分る如く、最初はありのままの自然生活であって、衣食住に対しても殆んど獣と同様で、健康も体力もそうであったから常に山野を馳駆し、猛獣毒蛇やあらゆる動物と闘ったのは勿論で、之がその時代に於ける人間生活の全部といってもいいのである。そのやうに獣的暴力的であった行動は漸次其必要がなくなるに従ひ、今度は人間と人間との闘争が始まったと共に、漸次激しくなったのであるが、それらによって人智は大いに発達すると共に、長い年代を経て遂に文化を作り出すまでになったのである。このやうな訳で若し最初から闘争がなく平穏無事な生活としたら、人類は原始時代のままか幾分進歩した程度で、智識の発達は少なく、相変らず未開人的生活に甘んじてゐたであらう事は想像されるのである。
処が前記の如く禁断の木の実を食った事によって病が作られ悪が作られたのである。処が今日迄全然それに気が付かない為、今日の如く根強い薬剤迷信に陥ったのであるから、最も大きな過誤を続けて来たのである。而も一面原始人的健康であった人間は、前記の如く動物を征服し、生活の安全を得るに従ひ体力も弱ったと共に、智識は進んだので玆に平坦な道を作り、馬や牛に車を牽かせて歩行せずとも移動出来るやうになったのである。右は日本であるが、外国に於ては石炭を焚き、レールの上を走る汽車を考え出し、一層進んで現在の如き自動車、飛行機の如き素晴しい便利な交通機関を作り出すと共に、他面電気ラヂオ等の機械を作る事になったのである。尚又人間の不幸をより減らすべく社会の組織機構は固より、政治、経済、教育、道徳、芸術等、凡ゆる文化面に亘って学問を進歩させ巧妙な機関施設等を作り、それが進歩発達して、現在の如き文明社会を作ったのであるから、帰する処来るべき地上天国樹立の為の準備に外ならなかったのである。
以上の如く医学の根本は、人間の悪を作り健康を弱らす目的にあるので、予期の如く現在の如き世界が出来たのである。処が之以上進むとしたら、逆に人類破滅の危険に迄晒されるので、最早之以上の進歩は不可とし、玆に神は文明の大転換を行はんが為、私に対し真理を開示されたのであるから、之によって悪を或程度制約し、善主悪従の文明世界樹立の時となったのである。
之は一寸知って置く必要があると思って――。
御論文「薬毒の恐怖」 【註 栄光一七一号】
薬毒の恐怖
(栄光一七一号)
凡ゆる病原は薬剤である事は、私の常に唱えている処であるが、之に就て一層深く突込んでかいてみると、右の原理を常に頭に置いて診査すればよく分る。例えば此病気は何の薬を服んだ為とか何の注射の為とか、何を塗布したからだとか、洗滌したからとかを考えてみるのである。仮に盲腸炎にしろ之はいつ何の薬を服んだから、消毒薬を用いたからと考える。言う迄もなく其薬毒が膿化し、盲腸部に固結したものだからである。又胃に関する病気にしても、何の薬を何年間服み続けたからだとか、此神経痛は、リョウマチスは、腫物は、瘭疽は、脱疽等々もそうであり、頭痛、眼、鼻、耳、歯痛、歯槽膿漏、扁桃腺炎、声嗄れ等、何も彼も原因は薬であるから、必ず見当はつく筈である。又薬を用いた事のない子供とすれば、勿論親の薬毒が遺伝したものであるから、其気で考えれば直ぐ分る筈である。
というように殆んど想像もつかない訳であるから、恐ろしい話である。然し我神霊医学を修得すれば根本が薬毒である事が分る以上、病気の心配から解放されるのである。そうして歯痛の原因が盲腸手術の為がよくあるのも、一寸意外に思うであろうし、凡ゆる手術の際の消毒薬が色々な痛みの原因になる事も、非常に多いものであるから、身体の何処かに激しい痛みや、執拗な痛みのある場合、既往の手術を想い出せば必ず肯くであろう。又歯槽膿漏の原因が腎臓萎縮による余剰尿が上へ昇る為と知ったら驚くの外ないであろう。其他数え上げればキリがないから、此辺で止めておくが、要するに万病悉くの原因は薬毒なりと知ればいいので、之だけでも其人は安心立命を得たのである。
御論文「医学関係者に警告する」 【註 栄光一七一号】
医学関係者に警告する
(栄光一七一号)
本教は現代医学がいかに間違っているかを理論と実際の上から常に知らしており、その発表を始めてから最早十数年になるので、大抵な医事関係者諸君は知っているであろうが、ここで大いに注目されたい事は、年を経る毎に本教の理論が、益々光を放って来る事実である。そうして医学が病気を作り、薬剤が病源となるという本教の持論も、漸次動かすべからざる空気が濃厚になりつつある事である。何よりも本教刊行の栄光紙上に満載されている御蔭話を見れば、全部本人手記の感謝礼状であるから、この事だけにみても多くを言う必要はないくらいである。そうしてその一つ一つが医療による被害者であって、プラスなどはほとんどなく、ことごとくは恐ろしい程のマイナスにされている事である。もっともそれだから本教に来て救われたのであるが、ともかく莫大な医療費を使い医師もすこぶる熱心に加療したにかかわらず、悪化の一路をたどり、ついに進退きわまるの窮地に追い込まれたその経路を見れば、いかに医療が病気を悪化させ、余病を作り、薬剤が害毒を与えたかという事が、余りにもハッキリしているのである。
ところがこれ程の医学の誤謬に、長い間世界中ただの一人も気が付かないのであるから、摩訶不思議の一語に尽きるであろう。そのような訳で各国の専門家等は最大級の熱意を傾けて研究すると共に、政府当局者も医師の指示通りの施設万端、能う限りの努力を払っているにかかわらず、病人の氾濫は停止するところを知らない有様で、常に悲鳴を上げているのは誰も知る通りである。としたらこのような誤謬医学は早晩退陣の止むなきに至るのは、火をみるよりも明らかで、その時期は目前に迫っているのである。という理由は私によって、真の病気の原因が発見されたと共に、機械も薬剤も何ら物質的のものを用いずして、いかなる病気も全治可能の方法が生まれたからである。そうしてこの療法によって重難病が治された人々は、病気と健康の真理を覚り、病気の不安から全く解放され完全健康者となったので、その歓喜の境地に立って社会を見る時、いかに医学に災いせられ、苦しんでいる多数の人のあるを知っては、到底我慢が出来ず、一人でも多くの者を救うべく、一大決意をもって宣伝これ努める人が、日に月に増えつつある事実である。
そのような体験者が無限に殖えるとしたら、いずれは燎原の火のごとく、世界の医学を焼き尽さずんば止まないであろう。しかもこれは絶対である以上、全世界の医学に携わる人達よ、今から考えて用意しておくべきであろう。でなければ来るべき医学の一大危機に直面した時、いかに狼狽するかは目に見えるようである。これはあえて嚇かすのではない。決定的であるからである。従って私はそれを憂い、誠意をもって予め警告を与えておくので、吾々といえども人類救済の聖業に従事し、神の大愛を取次ぐ上において、一人の不幸者も作りたくないからである。しかし今このような事を言っても、第三者としたら到底信ずる事は出来まいが、それは食わず嫌いか、いまだ縁なき衆生として、本教に触れてみないからで、何よりも大悟一番、本教の病気治療の現実を調査研究されん事である。その結果私の言にいささかの偽りがないとしたら、断然百八十度の転換をすべきである。いずれにしても近き将来、現代医学には没落の機運が来ると共に、それに代って神霊医学勃興時代となるのは、当然である事を知らせるのである。
それから社会事業に就いてよく聞かれますから、その説明を書いてあります。
御論文「本教と社会事業」 【註 栄光一七一号】
本教と社会事業
(栄光一七一号)
よく本教へ対して、救世教は割合社会事業に冷淡だが、どういう訳かと聞く人があるが、これは実に可笑しな質問であると思う。今それを詳しく書いてみるが、本来宗教と社会事業とは似て非なるものである。何となれば、宗教は精神的救いであり、社会事業は物質的救いであるからである。と言っても実際を見れば、今日少し大きい宗教になると、その殆んどは社会事業を経営しており、それが一般常識となってしまっている位で、本教がそう見られるのも無理はないが、併しよく考えてみると、何程立派な宗教でも肝腎な宗教的救いの力がないとしたら、止むなく第二義手段として社会事業を行るより外意義はないであろう。つまり社会事業によって宗教的無力をカバーする訳である。併しそうは言うものの、現在の如く救済を要する不幸な人々が、あり余る程出て来る社会としたら、理窟はどうでも、早急に大量に救わなければならないのは勿論で、その点から言うと宗教を背景とした方が効果的であるから、結構と言うってもよかろう。併し本教に至っては、そういう宗教とは根本的に違っているので、その点詳しく書いてみよう。
それは何かと言うと、本教の方針は社会事業の如き末梢的救いは他の機関に任せておけばいいとして、本教ならでは出来ない救いを実行するのである。丁度犯罪者の取締に対しては、警察も牢獄もなくてはならないと同様の意味が社会事業であろう。つまり、現われた結果を対象としての手段であって、言わば膏薬張にすぎないのである。従って、どうしても犯罪の根本に遡って根原を除かない限り、真の解決とはならないのである。処がその本原が分らない為か、分ってもその方法が物質以外の、嫌いな宗教であるからでもあろうが、相変らずの手段を繰返しているに過ぎないのである。ではその方法とは、言う迄もなく、人間の魂の入れ代(替?)えである。悪玉を善玉にする事である。近頃医学でもよく言う、病気になってからではもう遅い、どうしても発病しない内に方法を講じておくのが本当だ――つまり予防医学と同様であろう。処が本教は自由に魂の入れ代(替?)え、即ち魂を善化する事が出来るのである。それが本教の浄霊法であって、何よりも本教刊行の栄光新聞の御蔭話を読めば思い半ばにすぎるであろう。毎号病気、災害、貧乏から救われた幾多の奇蹟が満載してあり、一読驚異の外ないものばかりである。然も、それが日に月に激増しつつあるので、近来は紙面の狭隘に困っているのである。勿論その悉くが本人の手記になるもので、その感謝感激の情は、涙なくしては読まれない程で、中には〝若し本教を知らなかったら、今頃は社会事業の御厄介になっていたに違いない〟と、述懐する者すら少なくないのである。これこそ予防医学ではない、予防宗教である。そうして我々の理想とする処は、社会事業の必要のない社会を作るにあるので、これが実現されてこそ真の文明世界であろう。処が、私の説に従えば必ず実現するのであるから、如何に偉大なものであるかが分るであろう。
以上の如く、社会事業を大いに必要とする不幸な社会としたら、現代文化のどこかに一大欠陥がなくてはならない筈である。ではその欠陥とは何かというと、他にも色々あろうが、何よりも本教の如き驚異的に社会福祉に貢献している救いに対し、政府も識者も知らん顔の半兵衛である。勿論気附いてはいるのであろうが、察するに宗教なるが故にという、取るに足らない理由でしかあるまいから、これが抑々の盲点である。医師に見放された病人がドシドシ治る事実だけに見ても、良心ある者ならジッとしては居られない筈である。それを精神作用位に片附けてしまい、進んで研究しようともしないのであるから、何といっていいか言葉はないのである。
序だから、本教が今度造った美術館に就いても一言したいが、これこそ立派な社会事業である。それは、昔からの名人巨匠が苦心して作った、日本の誇りとも言うべき立派な美術品が、今迄は一般人には見られなかった事である。只仏教関係のものが、博物館や京都、奈良等の寺院へ行けば見られる位で、それ以外の国宝級な貴重な美術品など、貴族、富豪の邸内深く秘蔵されており、それも極く親しい者だけにしか見せないのであるから、つまり美術の独占であった。処が民主日本となった今日としたら、赦さるべくもない。という意味で、私はこの弊風を打破し、何人にも気安く自由に見られ、楽しまれる美術館が必要と思い、長年念願はしていたが、何しろ莫大な費用と、幾多困難な条件も伴なうので容易な業ではない。というのは、政府でさえ以前からその様な計画はあったようだが、今以て手を染めない処をみても明らかである。然も個人や団体としては尚更そうであろうし、そうかといって企業的には採算がとれる筈もないから、これも見込はあるまい。処が幸いにも、私は宗教家である関係上、多数信徒の奉仕的援助も大いに与って、兎も角実現が出来たので、喜びに堪えない次第である。勿論国としての欠陥を幾分でも補い得ると共に、現在最も必要な社会事業の一つとして、世間も認めざるを得ないであろう。そうして今一つの重要な事は、本美術館は、位置と言い、環境と言い理想的であるから、これから増えるであろう観光外客に対しても、日本文化の優秀性を紹介する上に於て、相当な貢献が出来ると思うのである。
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