◆皇統第22代[上代第22代]天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇……身魂:天照日大神
天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇 [御身魂 天照日大神]
4次元駛身神霊界、第8次神政内閣での神政紊乱の状況が現界に反映し、前天皇の治世を挽回する意志で、「天の御三體大神」の一にまします「天照日大神」が、現界の天皇として、皇統第22代「天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇」の身魂に出現。そのため、長い歳月にわたってさまざまな事態が発生したが、盛んな政治上の功績をあげたことで、天皇を「日の本中興の御祖」と言う。
即位〇年9月3日、地球万国に大変動が起こり、建直しのために長年の努力を費やした。変動によって地表が陥没して低下した「皇祖皇太神宮」を造営し、御皇城山に竣工。即位〇年2月1日、天皇は飛騨・位山の大宮より浮船に乗って神通川を下って、「皇祖皇太神宮」に到着。この時、万国の五色人王等85名が参朝し、御弟宮「月読尊」が副祭主、「思兼命」「児屋命」が祭典長、天皇みずから祭主となって大遷宮大祭を挙行。この時、天皇は美しい鳥の羽で作った薄く軽い衣(あまのはごろも)を着、て冠をつけて大舞楽を歌って舞い、百官はこれを拝して祝った。この時より、「皇祖皇太神宮」の建てる日見日高見国を、婦見国(現在の婦負郡)と言い、川を神通川と呼ぶことになる。
天皇は社会改造後、万国諸般の政法を定め、養蚕紙・綿糸・穀類14種を畠田に作り、海魚を漁らせ、海川山野を拓いて根焼き法を教えた。また、食器・酒・味噌の製法、家屋の建築法を教え、糸で綾を織って男女寒暑の衣裳を作り、米を磨く製法を教えた。
即位〇年12月8日、皇太子「天之忍穂耳尊」に譲位して、「皇祖皇太神宮」全神宝と三種神器を授ける。即位〇年11月15日、能登国宝立山より神幽る。
【三種の神器】
天皇みずからヒヒイログネで造った劔が「十種の神宝の第十」で、「天日真浦尊」に作らせたヒヒイロガネの鏡・劔、「生玉尊」に作らせた玉、以上3箇を天皇自身が常に身に着けた。これが「三種の神器」で、天皇が譲位される時、これを「天之忍穂耳尊」に授けた。また神勅によって、御父「伊邪那岐天皇」の時に定められた天皇守護の三神宝劔を「神日本魂御劔」と命名した。
【天照日大神、天照大神、天照皇太神】
前天皇の治世を挽回する意志で、燿身界に位し給う統治神「天照日大神」(「天の御三體大神」の一)が、現界の天皇として、肉體をもった皇統第22代の女帝「天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇」の身魂に出現。そのため、長い歳月にわたってさまざまな事態が発生したが、盛んな政治上の功績をあげたことで、天皇を「日の本中興の御祖」と言う。後代の皇統第107代[崇神天皇]は、統治神「天照日大神」の分霊で、神幽り給いし後は同一の神霊である皇統第22代の女帝「天津日嗣天皇」の神霊の威徳によって仏魔を下そうとする。そのため、「皇祖皇太神宮」の神宝中、上代「日の本中興の御祖」である「天疎日向津比売天皇」の神骨石像神體を、秘密裏に宮中に移して勧請、その後、大和笠縫村に移して祭祀した。この時より、「天疎日向津比売天皇」は、改めて諡号(おくり名)を「天照大神」とした。
その「天照大神」を古事記・日本書紀では日の本皇室の祖としているが、「崇神天皇」以前は、「天照大神」より神勅が降下される度毎、必ず「天疎日向津比売天皇御神霊」の御神勅と記して、決して「天照大神」の御神勅と記されることはなかった。ところが後代、記紀編纂に当って、統治神たる「天照日大神」と天皇たる「天照大神」とを同一に記載する間違いを起こし、日の本の歴史は少なくない歪曲を蒙った。この事実を明らかにして後、初めて過去・現在・未来にわたる「神界と現界との推移の真相」を明瞭することができる。
また、「天照皇太神宮」という名称は、「垂仁天皇」の時、「倭姫命」に命じて「皇祖皇太神宮」の御神體たる「天疎日向津比売天皇」の神骨石像御神體を、大和笠縫より現今の五十鈴川の川上に移した時、改めて名付けられた神殿の名称。したがって、「天照皇太神」なる御名は、かつて有ったことはなかった。
(昭和5年6月1日、天の岩戸が再び開け(第二回岩戸開き)、「天照日大神」が初めて「天照皇大御神」となった)
「神武天皇」即位をもって「第二回岩戸閉め」を行い、「山武姫大神」を筆頭とする諸神霊が長年日の本に紛れ込んで横暴な行動をほしいままにした「自在」の時代、4次元駛身界諸神霊は権威に逆らういろいろな争闘に直面して、ようやく自覚を生じるに到った。昭和5年6月1日、「第二回の岩戸開き」となり、「自在の時代」が開始された「天の岩戸閉め」以来、駛身神霊界と宮中は初めて太初の清純に戻り、宇宙は「限定の時代」に入る。天地が定まる「天地和合」の神命は、4次元駛身神霊界全般に伝達され、駛身界の建替は完了した。「自在時代」が終わりを告げて「限定の時代」に入ったことをもって、「天照日大神」は、神の世界での天津日嗣天職天皇の位のままで宇宙の宝座に即き、宇宙の司宰神(=司る神)として、「天照皇大御神」となった。そして、国常立大神」はあらためて「国祖 地の親神」の座に帰還し、これより諸神は協力して、3次元限身界(人類界)の建替建直しに望む事となる。
【第一回岩戸閉めから、第一回岩戸開きへ】
皇統第22代女帝「天疎日向津比売身光天津日嗣天日天皇」天皇は、多年、社会の大改造を試みようと計画されていたが、弟宮「須佐之男尊」が荒々しく身勝手に振る舞ったことに激怒。このことを懸け橋として、即位50憶20年、天皇が13名の侍臣を伴って立山の岩戸に隠れたことを、「第一回岩戸閉め」と言う。この時、天皇の期待通り、日の本の百官群臣・外国民主等で当時の社会に禍を与えようとする者が時を得たように現れ、自分勝手に物事を決めて権力にまかせて無法・乱暴に振る舞う。万国の政治はたちまち渋滞して、世界は全く常闇となった中、天皇は岩戸の中で状況をひそかに観察し、百官各人の善悪を識別した。
世界の混乱がますます甚だしくなり容易ならぬ事態となったので、「思兼命」「児屋命」「太玉命」を初め五色人王等(これを伝えて八百万神という)が協議し、天皇が隠れた所をひたすら尋ねたがわからなかった。ついに、越中国二井ヤの五百石の安河原に参集して、「宇受売命」が歌い舞い、500人の官人達が楽を奏し、拍手して「天照日神」に祈ってお出ましを懇願した時、鶏が東南東・南東の方位に頭を向け、五声を張り上げて夜明けの時を知らせる。立山の麓に神が大参集(神集いに集い)し、岩戸の大前で、「宇受売命」が岩戸の前に吹き出る温泉を葉に注いだ熊笹を手に持ち、それを打ち振りながら歌い舞い、群臣百官もこれに合わせてことごとく狂歌乱舞。この時、「宇受売命」の打ち振るう熊笹の火花・湯花が、群臣の顔にかかり、邪意悪心を抱いている者はたちまち傷つき、抱いていない者は何事もなかった。(これが探湯の初め。)
この騒動を岩戸内で聞いていた天皇は、13名の侍臣の一人「多紀里姫」に、岩戸より出て状況を伺わせる。入り乱れて騒いでいると見た「多紀里姫」は、群臣各々の心を識って報告。天皇が自ら見ようとして岩戸から出た時、「手力男尊」が手を取ってお出ましを乞い、天皇が再び入られないよう岩戸の外に七五三縄を張り廻らした。時に、天皇即位50憶32年。
その後、天皇は湯花で火傷した群臣を集め、立山の皇城の傍のククリシメバラにことごとく監禁し、社会の大改造に着手した。ここを後に改めて「畜生原」と言い、また改めて「サイノ河原」と言う。(現在、立山にサイノ河原の名が残る)群臣は「須佐之男命」の所業を憎み、「伊邪那岐天皇」に請うて尊を処罰し、支那の檀国千檀木根に流した。檀国に着いた命は、その地を檀君国と名付け、これより尊を「須佐男檀君尊」と言い、その後、尊が朝鮮に行った後に到るまでも「檀君」と言う。
以上を「第一回の岩戸開き」と言い、天皇が岩戸に隠れてから社会大改造が終了するまで、約3000年の歳月を経過した。「第一回の岩戸開き」で活動した諸命の身魂は、石凝留命[輪城彦神]、思兼命[追世意彦神]、手力男神[八尾大陣大神]、児屋命[天若彦大神]、太玉命[天照彦大神]、猿田彦命[天力上神]、宇受売命[大鶴姫大神]等で、これらの命が天皇の意を守って協力して社会の改造に当った。
(皇統第65代[葺不合第40代]神楯媛不合40代天日身光天皇は、「天疎日向津比売天皇」岩戸隠れの由来を編纂させた。)
自在の時代の社会情勢があまりにも混沌としていたことから起きたこの大改造は、天の御三體大神の神意によって許された自在の時代が終了し、いよいよ次の限定の時代に入るという意味でのものではなかった。当時は自在の時代だったので、諸臣とその身魂の根元なる諸神霊は、事に当って未だ支配慾と恋愛慾の足かせ手かせから離脱することができない状態にあった。改革は究極の完成に到るものではなく、諸臣と諸神霊の慾望の赴く所に従って、自在時代での自在の導くままに行われた。すなわち、この改革は自在の時代が完全に成熟しない時に行われたものなので、「身魂の還元整理」が許されるところとはならず、各神はその身魂の浄化を許されないままの状態で社会の改造を行った。そのため、もとより不完全なことは明らかだったが、これは天の御三體の大神の意図より出たものなので、やむを得ない事と言わざるを得ない。したがって、この改革の将来には、さらに「第2回の岩戸開き」がある。
日本神話の「天照大神」の岩戸隠れは、人類界での前述の消息を神話化して伝えたもの。「石凝留命」以下、諸神を神として伝えているが、事実は皆、大臣以下の諸臣。身魂はもちろん神だが、ことごとく肉体を有する人間で、それ等が天皇の命によって現社会の改革に尽力した。ところが、在来で伝えられてきたことは、神霊と人間との区別を混同したため、一方で岩戸隠れという事実に対して哲学的な根拠をつけようとし、さらに一方で、肉體がない神霊が現人類界の各地で前述のような様々な行為をしたように伝え、また「天照大神」が岩戸隠れをした場所が日本国中に幾多もあるような種々の煩雑と誤謬を招来した。要するに、3次元界の事実を4次元界の事実として神話化したために生じた矛盾に外ならない。
以上の皇統第22代「天疎日向津比売天皇」と弟「須佐之男尊」の争いは、4次元駛身神霊界で自在時代の開始時にあたり、「天照彦大神」と「稚比売君大神」との間に引き起こされた争いの状況をそのまま現界に反映したもの。「天照日大神」の妹神「稚比売君大神」は「天照日大神」と身魂は同一で、この度、「天照彦大神」は現界に「須佐之男尊」として現れ、神霊界での争いがそのまま身魂を有する現実の肉體に顕現した。
【須佐之男尊の大蛇族平定】
檀君国に3皇女を残して帰国した「須佐之男尊」は、越中国・山田川の上流に住む大蛇賊を平定。この時、尊は、獲た叢雲劔に、賊を切れる石の劔を添えて姉姫の天皇に献上。天皇は「須佐之男尊」の罪を赦し、「汝の妹瀬櫛稲田姫命、今より産む王子は天皇の皇子たるべし」と宣言。宣言を謹んで受けた「須佐之男尊」は、妃尊を伴って出雲国日の御崎の宮に住んだ。
【記紀〝天孫降臨〟の誤り】
「天之忍穂耳尊」「穂日命」「活津日子根命」「天津日子根命」「熊野久須毘命」誕生。天皇は「天之忍穂耳」を皇太子にし、皇太子の住所を飛騨スベル山(現今の越中国婦負郡金剛山の南)に定める。これが仏教のスメル山の起源。
「天之忍穂耳尊」が皇太子となったことは、皇祖第1代「天日豊本葦牙気天皇」すなわち「天照日大神」が、「大地の上の将軍」に「汝を皇太子と定め、親類の支配者と為す」と宣言した、天孫降臨の神勅降下の事と類似することから、後代の記紀編纂で、「天之忍穂耳皇太子」よりその子「仁仁杵尊」にわたる事実を、天孫降臨として誤って伝えるところとなった。
(皇統第24代[上代第24代]「天之仁仁杵身光天津日嗣天皇」は、即位30年2月10日、越中国御皇城山から、日向国高千穂峯に遷都。天皇は皇后、皇太子、皇族、臣僚88尊と共に天降り、大宮を建設し、そこで万機を採決した。後代、この遷都が日本の古記で誤って伝えられ、「天孫高千穂峰に御降臨」とされた。)
◆皇統第23代[上代第23代]天之忍穂耳身光天津日嗣天日天皇
天之忍穂耳身光天津日嗣天日天皇
天玉依毘売皇后宮
天皇・皇子・皇女31尊を臣下に天降らせ、越根国の百姓とする。――「名田三国姫尊」若狭三国山宮の土人となる。「高須国見彦尊」越前高須山宮に坐ます。「忍宮内姫尊」加賀の宮内宮に坐ます。「大日忍古日尊」加賀の宮内宮に坐ます。「江沼山中姫尊」加賀国山中宮に坐ます。「江沼山代姫尊」加賀国山代宮に坐ます。「七王福田彦尊」能登国七王宮に坐ます。「高州彦尊」能登国高須山宮に坐ます。「石動彦尊」越中国石動山宮に坐ます。「八代氷見姫尊」八代氷見宮に坐ます。「小松湊姫尊」湊水門宮に坐ます。「栗羽方守尊」呉羽宮に坐ます。「岩瀬彦王尊」岩瀬宮に坐ます。「魚漁津彦尊」天神宮大神宮に神主。「舟見姫尊」泊宮に坐ます。「天糸姫尊」越後姫川岡宮い坐ます。「天来濃彦尊」越後米山宮に坐ます。「新井姫尊」ニイエカタハク山宮に坐ます。「葛塚姫尊」葛塚宮に坐ます。「天王新彦尊」天王新田宮に坐ます。「天忍神彦尊」越中日見日高見神明赤池上皇祖皇太神宮神主。「天根杵彦尊」同 神主。「天忍大姫尊」同高田宮に坐まし高田を開く。「天光地姫尊」同光池上羽田を開く。「天藤居新姫尊」同居所藤居と云う。
また、神籬立瓶8個を造って上代天王の御名を神代文字で彫刻し、即位式では必ず高御座の周囲に立てて用いると定める。このことが後代に語り伝えられ、「神籬盤境(高御座を意味す)の神勅」となった。この神籬立瓶は「皇祖皇太神宮」の神宝となり、後代の天皇も度々製作し、現在17箇ある。
即位130万年6月6日、皇太子「天之瓊々杵尊」に譲位。譲位にあたり、「忍穂耳天皇」は自ら文を記して「瓊々杵尊」に授け、万国棟梁天皇一人の天皇の守り札とした。神代象形仮名文字の文は左の如しで、これが日の本各神社より出す神符の起源となった。(古代文字と片仮名」参照)

十種乃神玉三種乃神器
万国棟鿄代々乃天皇乃霊神
万国棟鿄皇祖皇太神宮五色人乃祖神
天津神霊国津万神霊守留
天忍穂耳天皇文志
五色人乃祖神万守留
皇祖皇太神宮
万国棟鿄忍穂耳尊文志
後代の「崇神天皇」が、四道将軍に各国の賊徒を平定するよう命じた時、これを多勝の守りとして各将軍に下賜したことは、機微津彦命直筆の「六踏三略巻」に記される。その文字のまま白雉2年(昭和7年より1282年前)に彫刻され、木版(上代より第8回目の木彫版)となって現存し、おそらく、文字の木版として最古。
「天忍穂耳天皇」が詠んだ、「天疎日向津比売天皇岩戸より出でませし時の祝歌」は(※――絵文字6列)

「天忍穂耳天皇」作の御歌は左の如し。

「右御製二歌、天皇即位〇年3月17日、詔して「棟梁皇祖皇太神宮」に奉納。
「大日忍日古命」「万国言文字智主命」「石動彦命」「栗羽方守命」「天忍神彦命」「天根杵彦命」「活津彦命」「天津彦根命」 詔して文し奉捧
ヒガシアケ ケウハウレシヤ ヒヲオガム サイサンサヱイ ヨイサエウイ
チハヤフル アメイセイヤマ タカマノハラ ナレワアツマリ タムヨモカミ
チハヤフル カミアカリタマヤニ アツマリタマヒ イロヒオヤ ヨモノカミ
チハヤフル スミオヤノタマヤ タカマハラ アツマリタマヒ ヨモノカミカミ
アイワヤド アケナヒミカミ イテタチツ サイサンサヱイ チヨハチヨロツ
アイワヤド アケテスミラミコ トコヨヌシ ヒトリヨロヅヨ サイサンサヱイ
東明け 今日は嬉しや 陽を拝む サイサンサヱイ ヨイサエウイ
千早振る 天伊勢一山 高天の原 汝は集り 守四方神
千早振る 神明宮に 集り給ひ 五色人祖 四方の神
千早振る 皇祖の宮 高天の原 集り給ひ 四方の神々
天岩屋戸 明けな日御神 出で立ちつ サイサンサヱイ 千代八千万
天岩屋戸 明けて皇御子 万国主 一人万代 サイサンサヱイ
カミタカラ カミヤマトタマ トコヨクニ スミラミコトゾ ヨイサイヱサン
カミタカラ カミヤマトタマ アジチクニ ヌシスミラミコト ヨイサイヱサン
カミタカラ カミヤマトタマ ヨロツカミ ムルカミヌシオ オホトウリヤウ
カミタカラ カミツカサヌシ ヨロツマツル ヌシオホヌシ ヨイサイヱサン
アマツクニ スミラミコトノ カミタカラ ムルツカサビト コソワガタカラ
トコヨクニ スミラミコトハ ヒトリゾト マタアルトキハ マタワツウレル
神宝 神日本魂 万国 天皇で ヨイサイヱサン
神宝 神日本魂 支国王 天皇ぞ ヨイサイヱサン
神宝 神日本魂 万神 守る神主オ 大統鿄
神宝 神主 万祭主 大主 ヨイサイヱサン
天津国 天皇の 神宝 守る司人こそ 我が宝
万国 天皇は 一人ぞと また有る時は または潰れる。
即位〇年12月1日、肥前国コクヅ山の大宮より神幽る。
◆皇統第24代[上代第24代]天之仁仁杵身光天津日嗣天皇……身魂:天照彦大神
天之仁仁杵身光天津日嗣天日天皇 [御身魂 天照彦大神]
木花佐久夜姫皇后宮 [御身魂 地上姫大神]
「天照彦大神」が初めて皇霊統に出現し、身魂が「天照彦大神」の天皇の御代となる。
【木花佐久夜姫皇后宮の受難】
第2次神政内閣での「地上姫大神」対「天若彦大神」の争いは、「天之仁仁杵身光天津日嗣天日天皇」御代となって初めて現界に顕現した。
第2次神政内閣の主班「地上丸大神」「地上姫大神」は、神定めの夫婦だったが、第2次神政内閣では、「天照彦大神」と同霊神たる「天若彦大神」のために「地上姫大神」は引き落され、神政内閣没落の原因を作った。駛身界でのこの事態は、皇統第24代天皇の現界に反映する。皇統第24代の「天之仁仁杵身光天津日嗣天日天皇」は「天照彦大神」の身魂で、「地上姫大神」の身魂を有した「木花佐久夜姫」を懇望して皇后宮としたが、「木花佐久夜姫皇后宮」は「火須勢理尊」「火明尊」の2尊子誕生の時、絶大な災厄に遇う。皇后が傷ましい災厄を経験することになったのは、皇后宮の身魂が「地上姫大神」で、かつて駛身神霊界で「天若彦大神」に虐げられた事実の反映。現界では、「天若彦大神」と同系神なる「天照彦大神」の身魂を有する「仁仁杵天皇」の妃となって、この因縁を繰り返すに到った。
はじめの頃、「天之仁仁杵身光天津日嗣天皇」と「木花佐久夜姫皇后宮」の間に皇子ができず、皇弟「饒速日尊」を皇太子とした。その後、皇后が皇子を身籠るが、天皇は皇子と認めず、大変悲しんだ皇后は、「日の御子たる陛下の皇子だから、私が妊娠した子もまた日の御子。火の産屋を造って火の中で安産して、親子共に怪我がなければ疑わないでほしい」と言って、産屋を造って茅で葺き、床には炭を敷いて出産を待った。時が来て、皇后は火を放った産屋に落ち着いて入り、双子を出産。右手に「火須勢理尊」、左手に火明尊」を抱いて火焔の中から出てきたので、天皇はわが子と認めた。即位〇年5月5日、高城山の大宮で誕生した2皇子「火須勢理尊」「火明尊」の住居を男鹿山という。皮肉な因縁の戯はこれに止まらず、神霊界での最愛の夫神「地上丸大神」は、皇后の御子たる「彦火々出見尊」の身魂として出現した。
このように、皇后は肉體をもつ身で最大の災厄と試練に遇った。これが鎮火祭の始まりで、この事によって天皇は、「今後は必ず上下共に鎮火祭を施行せよ。同時に、探湯祭、釜鳴祭を、皇祖皇太神宮の大祭に施行して、上下万民の安泰を祈祭すべし」と宣言。
即位〇年6月16日、「天之仁仁杵身光天津日嗣天皇」は、伊勢津姫国二見水門より朝熊山へ行幸。この天子の行幸は、日本の古書に「猿田彦命」「宇受売命」の二神が伊勢二見に赴いた事として伝えられるが、二命はこの時、天皇のお供として行った。
即位131万11月15日、日向国可愛の山の大宮より神幽る。御齢179万2470歳。即位〇年6月17日、「木花佐久夜姫皇后」が富士山より神幽る。
【海幸彦、山幸彦】
「木花佐久夜姫皇后」は、若くして亡くなったと伝えられる。日本神話で「火明尊」「火須勢理尊」に関して、海幸彦、山幸彦の伝説があるのは、次の事実に由来する。「仁仁杵天皇」即位の〇年2月1日、皇子「火明尊」が亀の背に乗って琉球宮(伝説に竜宮として伝えられる所)に着き、島王「大綿津海命」の姫「豊玉姫命」[身魂 竜宮の乙姫=[玉依姫大神]を娶って妃とし、帰還した。後、「鵜草葺不合尊」を産んだ時に事件が起きて、「豊玉姫皇后」は父命のいる琉球島に帰る。代わって、姉の皇后に代って皇子を育てるために大宮に来た、妹姫の「玉依姫命」[御身魂 玉依姫大神]は、後に、皇統第26代[葺不合第1代]「武鵜草葺不合身光天津日嗣天日天皇」の皇后宮となった。
(※ 古事記によると――天照大神の命を受け、筑紫の国(九州)の高千穂の峰に降り立った邇邇芸命は、ある時、笠沙の岬でとても美しい木花佐久夜比売と出会う。父親の大山津見神に結婚したいと願い出ると、父親は「姉の石長比売も一緒にもらってほしい」と言ったが、邇邇芸命は醜かった姉を家に帰してしまう。それを知った大山津見神は、石長比売と結ばれれば岩のごとく永遠の命が約束され、木花佐久夜比売と結ばれることで花が咲くがごとくに栄える意味があったと残念がる。姉を返してしまったので、その命は木の花が散るように短くなった。やがて、木花佐久夜比売は身籠るが、邇邇芸命は、結婚してすぐにできたので自分の子ではないと疑う。木花佐久夜比売は悲しみのあまり、「この子があなたの子なら生き残る」と言って大きな産屋に入り、入り口を塞いで火をつけ、燃えさかる火の中で、火照命、次に火須勢理命、3人目に「火遠裡命」(別名:天津日高日子穂穂手見命)を出産した。3人のうち、火が照り輝く時に生まれた火照命(1番目)は、海で漁をして暮らしていたので「海幸彦」と呼ばれ、火が弱まってきたときに生まれた火遠理命(3番目)は、山で狩りをして暮らしていたので「山幸彦」と呼ばれた。
ある日、弟の火遠理命が兄の火照命に、釣り竿と弓矢を取り替えようと提案し、兄は山へ、弟は海へ出かけた。二人とも獲物をとれなかったため道具を返そうとなったが、弟は、兄の大切な釣り針を海で無くしていた。激怒する兄に、弟は釣り針を500本、1000本と作って償うが、「なくした釣り針以外はいらない」と許してもらえなかった。弟が困り果てて海岸にたたずんでいると、潮路の神・塩椎神が、竹で編んだ籠の小舟に乗って、魚の鱗のように並ぶ、綿津見神(海神)の宮殿に行けと教える。潮の流れに乗って海の宮殿に着いた弟は、綿津見神の娘「豊玉姫」に見初められて結婚。3年がたち、弟が望郷の念にかられる理由を知った綿津見神は、弟が無くした針を探し出し、兄に釣り針を返す時に兄を懲らしめる言葉を唱えるように言う。帰郷した弟が言われたとおりにすると、だんだん貧しくなった兄は弟を恨んで攻め込でくる。弟は、綿津見神にもらった塩盈玉で兄を繰り返し苦しめたので、兄は降参して誤り、弟に、これから先はあなたの警護の役を勤めると誓ったので、兄の火照命を先祖とする隼人族は今は朝廷の守護をしている。
その後、豊玉姫が弟を訪ね、身籠っていることを伝える。出産となり、「出産を見ないように」と言った豊玉姫の言葉が気になった弟が中をのぞくと、大きな鰐(サメ)がのたうち回っていて、恐ろしくなって逃げる。これを聞いた豊玉姫は、産んだ子を置いて海の国に帰り、地上の国と海の国との境を塞ぐ。後に,豊玉姫は、生んだ子の養育係として、妹の「玉依姫命」を遣わした。子は、天津日高日子波限建鵜葺草萱不合命と名付けられ,後に玉依比売と結婚して、4人の子を生む。4人目の子は若御毛沼命(又の名:神倭伊波礼比古)といい,初代天皇の神武天皇。)
【人間夫婦の紛争は、神霊界での身魂の争闘の反映】
世に夫婦間の葛藤はあるが、4次元神霊界で互いに争闘する身魂がそのまま3次元限界(人類界)での夫婦として結び付けられる時は、夫婦は絶えず非常な葛藤と苦痛を経験しなくてはならない。このような悲惨な現象は、宇宙が未だ自在時代の過程をさまよいつつあるために現れる。将来、身魂の還元整理が完成した暁には、現界での夫婦は必ず神霊界での特定の夫婦の身魂を有することになり、やがては人類界での夫婦の悲劇はなくなる。換言すれば、人間界の夫婦の紛争は、神霊界での身魂の争闘の反映に外ならない。
【〝天孫高千穂峰降臨〟の誤り①】
皇統第24代[上代第24代]天之仁仁杵天皇は、即位30年2月10日、越中国御皇城山から、日向国高千穂峯に遷都。天皇は皇后、皇太子、皇族、臣僚88尊と共に天降り、大宮を建設し、そこで万機を採決した。後代、この遷都が日本の古記で誤って伝えられ、「天孫高千穂峰に御降臨」とされた。
(また、皇統第95代[葺不合第70代]神心伝物部建天皇が、高千穂峯に「皇祖皇太神宮」の分霊を再度鎮祭し、宮の名を「天孫天降りの宮」と名付けたことを、日本在来の古記が誤って伝えた。)
◆皇統第25代[上代第25代]天津彦火火出身身光天津日嗣天日天皇……身魂:地上丸大神
天津彦火火出見身光天津日嗣天日天皇 [御身魂 地上丸大神]
豊玉姫皇后宮 [御身魂 竜宮乙姫大神]
「皇祖皇太神宮」を造り替え、即位〇年3月3日、天皇・皇后自らが祭主となって、皇祖皇太神宮」の大遷宮祭を挙行。この時、「思兼命」が祭長、「児屋命」「太玉命」が祭官となり、万国五色人王380名が来朝。皇太子「武鵜草葺不合尊」誕生。即位50万年、万国25ヶ国を巡幸――支那黒竜江ウドスキヒ。キヤフタ売買城に(支那守任130名参朝)。アフスタンのカブイル。バク水門。ロマニアのツレ。五色人王32名参朝。フライグ。マラガ。アマフリラス・スイダボン・スギネアウイラを経てアラビモハ。モハを国令に任命。天竺フラチ水門。黒人王5名を国守に任命。バトナ・バモを経て支那雲南。南昌。マラッカ水門、メストラン。五色人男女3千余名参拝。ヒナタイビロスのヘンチナバラナ。ブラジバラ。マガンゲ、グテマラを経て、ミシキコのモリア。トロント。ヒフライビロス、ツルより、クワツベル。タコマ水門より天の浮船に乗って、道路奥佐井焼山に還幸。
天皇即位〇年12月1日、奇日根国高屋山に大宮を造営。遷都して、万機を採決。同所を高千穂と云う。
【八幡神】
「天津彦火火出見身光天津日嗣天日天皇」の即位163万7880年4月6日、大隅国国見岳の大宮で、皇太子「武鵜草葺不合尊」に譲位。神武天皇即位前292万5273年。譲位後、12年目3月15日、神幽る。高屋山に埋葬し、「八幡の神」として奉る。「八幡神」の起源はこの「彦火火出見天皇」で、身魂神は「地上丸大神」。
◆皇統第26代[葺不合第1代]武鵜草葺不合身光天津日嗣天日天皇……身魂:佐田彦王大神
武鵜草葺不合身光天津日嗣天日天皇 [御身魂 佐田彦王大神]
玉依姫皇后宮 [御身魂 竜宮乙姫大神]
日の本の文化発展を図るため、国内で十数回遷都の都度、皇室を中心としてその地方の文化啓発に努めた。即位10月5日、越根能登宝立山に大宮を造営して遷都――秋津根山城ミクシ峠に遷都――出雲松江に遷都――穴門長門天乞山に遷都――愛媛千里山に遷都――速日別肥後の八代宮に遷都――遠津海伊豆天城山に遷都――遠津海サガミ大山に遷都――吉道路彦下毛湯岐山に遷都。同所を帝爵山と云う――道路奥岩木山に遷都――越根中御皇城山に遷都――蝦夷イシカ、ソウケ山に遷都――道路奥陸中六角牛早池甲子三山に遷都――道路奥光井岳に遷都――武蔵津海安房鋸山に遷都――草木根紀井安堵の峯に遷都。
琉球へ行幸後、道路奥光井の岳に大宮を造って遷都。この時、琉球の「和多都豊玉彦命」が、天皇の遷都ごとに必ず海より海中の燐光が灯火のように連なって現れる竜燈を奉捧すべきと言上し、良しとされる。
万国御巡幸後、奇日根速日岳の大宮に行き、その後、支那国王「天能氏」と「地能氏」が来朝。後、内密に、「天能氏」を「天皇氏」、「地能氏」を「地皇氏」と改称。(第103章参照)
13尊あった皇子はことごとく若くして亡くなり、最後に、即位263万年に誕生した「諸塚尊」が皇太子となり、後に「軽島彦尊」と改称。即位283万8040年(神武即位前8万7233年)1月6日、奇日根鵜戸大宮で、皇太子「軽島彦尊」に譲位。2年後の10月18日、奇日根平山の大宮で神幽る。飫肥の上陵に葬る。
【ヨーロッパの名の起源】
万国御巡幸で予母津国に行った時、ヨモツ国をヨウロベと改称。これが、ヨーロッパ(オイローパ)の洲名の起源。
【十六菊形の紋章、七五三桐の紋章、日の丸】
・太陽日神に象った日の丸を中心とし、「十六万位の御光条」をつけ、その光条の一つ毎にその方位における一柱一柱の神霊を象って「十六菊形の紋」を作り、皇室の御紋章とした。その中心の日の丸形の中に八咫の鏡形を置いた十六菊形の御紋章を、「皇祖皇太神宮」の定紋として神宮の幔幕に使う。ヒヒイロガネで十六菊形の御紋章を作り、「皇祖皇太神宮」に奉納して神宝とした。
・神宮幄舎の幔幕に用いる紋として、七五三桐の紋章を作る。七五三という数は、天然の運行を象ったもので、天地万物社会人間ことごとくが自然の姿に順応すべき事を表す。岩戸開きの時に当り、岩戸の外に七五三縄を張り廻らせることも同じ意義で、天皇に対して、七五三のように自然にして従順なるべきと表示したもの。
・第2代「造化気万男天皇」の御代、天皇の御身守りとして定められた「日の丸」の旗を、国旗と定めた。
【神宝の制定】
天皇の御代、「天疎日向津比売天皇御神霊」より神勅があり、『天下万国棟梁一人天皇の神宝は、神骨像神體、神代文字神代之巻、生都劔刄、神日本魂三神宝劔、円鏡、八咫鏡・八サカの曲玉及び三種の神器なり。』と定められた。
◆皇統第27代[葺不合第2代]軽島日高日子不合2代天日天皇
軽島日高日子不合二代身光天津日嗣天日天皇
即位2万1831年12月1日、皇弟「真皇真輝彦尊」に譲位。後2年で、万年山の大宮にて神幽る。
◆皇統第28代[葺不合第3代]真皇真輝彦不合3代天日天皇
真皇真輝彦不合三代天日天皇
即位410年2月3日、上代の歴史を編纂させて神代の象形仮名文字に改変し、天皇自ら祭主となって「皇祖皇太神宮」の神體に合祭し、神仏の来臨を請い願う。男女・官人の服装を制定し、万国の政法を改正。皇室と一般の祭年祭日・節句・祭日を定める。
一月 一日[皇祖皇太神宮祭] 二日[五色神御親神祭] 三日[諸大臣] 四日[御自身] 五日[諸宮員] 六日[局姓] 七日[戸長] 八日[兵隊] 九日[牛馬] 十日[山岳] 十一日[河川] 十二日[海津]
二月 二日[桂柳門代を造り、蓬の餅をついて、皇祖神祇を祭る節句祭日]
三月 三日[柿桜の門代に菴蘆子餅をつきて同神祇を祭る節句祭日]
四月 四日[瑞葉卯児花の門代に桜葉の餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
五月 六日[白膠木菖蒲の門代に茅の尾垂餅をつきて神祇を祭る節句]
六月 六日[柊蠏花の門代に蓮葉の餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
七月 七日[干榊楓の門代に神桑葉餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
八月 八日[根着萩花草花の門代に稲餅焼米をもって神祇を祭る節句祭日]
九月 九日[鶴木菊花の門代に柿の餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
十三日[夜、柿を餅につくり、月輪に供することあり。]
十月 十日[緑葉木の門代に十種の新穀を飯に炊き神祇を祭る節句祭日]
十一月十一日[山椿柏の門代に蕎麦餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
十二月十二日[カサミフユサ花の門代に玉栗餅をつきて神祇を祭る節句祭日]
以上の祭を行わせ、万国支那国へ教官を派遣して教伝した。
「天照日大神」より、「今より人の命2000歳以下と定む」との神勅があり、天皇が泣かれる。
即位2万1120年8月6日、武蔵津海景信山に大宮を建設。即位2万2120年11月3日、皇太子「玉噛彦尊」に譲位。翌年10月6日、武蔵津海景信山大宮にて神幽る。遺骸を駒岡に葬って、天皇を「景信の神」と勧請し、「皇真王の神」として祭る。(駒岡は現今横浜市鶴見区の奥にある)また大臣「髙雄命」を葬った所を、髙雄山という。(現今の東京都の高尾山)
◆皇統第29代[葺不合第4代]玉噛彦天津日嗣不合4代天日天皇
玉噛彦天津日嗣不合四代天日天皇
霧島山に大宮を造営。「皇祖皇太神宮」の分霊と「伊邪那岐天皇」「伊弉那冊皇后」以上の天皇・皇后の神霊を合祀して、大遷宮祭を挙行。さらに、先代「真皇真輝彦天皇」以上皇統第22代女帝「天疎日向津比売天皇」までの神霊を阿蘇岳に祭祀し、これが現今の阿蘇神社の起源。霧島山にも大宮を造営し、自ら万機を裁決した。霧島宮に守長寿・守富貴の守神の瓊矛(=玉で飾った矛)として、逆さの矛を立て、これが「天の逆矛」の起源。
年齢による男女の業務について、国令を発す。――ワラハ(7歳まで)男女達を撫育め。ウナ井(8~12歳まで)男女に力拓を教えよ。イシカ(14~20歳まで)男女に家業を教えよ。ハヤリ(20~30歳まで)男女は家業を勉強け。ヤスラ(30~60歳まで)男女は戸主たれ。スケ(60~80歳まで)男女は官員たれ。マスケ(80~100歳まで)男女は郷司たれ。チヌ(100~120歳まで)男女は国主たれ。マチヌ(120~150歳まで)男女は宮内に奉仕せよ。
在位1万3000年7月30日、皇太子「天地明成赤珠彦尊」に譲位。後11年で神幽る。
◆皇統第30代[葺不合第5代]天地明成赤珠彦不合5代天日身光天皇
天地明成赤珠彦不合五代天日身光天皇
御齢5311歳、7月30日即位し、元年に改め、大礼祭を挙行。即位4805年9月9日、万国御巡幸へ。天竺ヒマラヤに天降り、5770年10月3日、対馬の舟越水門に還幸。即位5799年の後、皇太子「石鉾歯並執楯尊」に譲位。即位5860年(譲位後61年)9月15日、1万1171歳で、道路奥国桃生郡カタムラ大宮にて神幽る。
◆皇統第31代[葺不合第6代]石鉾歯並執楯不合6代天日身光天皇
石鉾歯並執楯不合六代天日身光天皇
即位式大典の儀を改定。在位1630年、皇太女「櫛豊媛尊」に譲位、後8年で神幽る。
【〝三種の神器〟佩用の神勅】【直接交通から神託へ】
「天疎日向津比売天皇御神霊」の神勅で、天皇の宝三種の神器を「常時天皇御親ら佩用せらるゝ神器神宝」とした。この神勅が「神器奉斎の神勅」で、古事記では「天照大神」が「瓊々杵尊」に下されたと記す。この神勅によって、天皇みずから三種の神器を所持されることになる。
この時をもって「神霊と天皇の交通」が終わり、以後、神界より降下される神勅が直接天皇自身に降されることは少なくなり、神主・斎女・その他に下された神勅を天皇に上奏する事になる。これを「神託」と云う。
◆皇統第32代[葺不合第7代]櫛豊媛不合7代天日身光天皇
櫛豊媛不合七代天日身光天皇
万国御巡幸を終え、即位175年9月9日、オーストラリアのダイビ水門より大隅の目井津に還幸。皇太女「光徹笑勢媛尊」に践祚。在位597年10月28日、越中鶴ヶ城の大宮にて神幽る(御寿685歳)。
◆皇統第33代[葺不合第8代]光徹笑勢媛不合8代天日身光天皇
光徹笑勢媛不合八代天日身光天皇
即位464年1月6日(御齢571歳)、初めて「皇祖皇太神宮」前殿で高御座につき、「天照日大神」に天盃を捧げ、南面して即位の大礼を挙行。その4年後、2月26日、丹波別、天の橋立大宮で神幽る(即位468年)。葺不合6代天皇の皇女「千種媛尊」に譲位。
◆皇統第34代[葺不合第9代]千種媛媛不合9代天日身光天皇
千種媛媛不合九代天日身光天皇
在位521年1月8日、葺不合六代天皇の皇女「千足媛尊」譲位。同年4月9日、吉道路常盤国信太大宮で神幽る(御齢621歳)。
◆皇統第35代[葺不合第10代]千足媛不合10代天日身光万国棟鿄天皇
千足媛不合十代天日身光万国棟鿄天皇
即位115年2月4日、万国御御巡幸――ヨイロハ。ネア山下のカシヤン大宮に、五色人民王16名が参集し、天国の天日天皇に拝礼。アフリ、スイダ、ヨイロ国王を任命―→道路奥北浦水浜に還幸。
神託によって「天益人法」を制定。人民の食物として池を作って川魚を養殖、道路奥イモフラ山の土人に黄金を採取させて、御幣代(=神に奉るもの)として「皇祖皇太神宮」に奉献。在位595年1月21日、皇太子「禍斬劔彦尊」に譲位。同年、神幽る。(御寿685歳)
【地球万国大変動で、土の海に】
即位402年4月より、地球万国に大変動が起こり、土の海となって、大木・小木に餅が出来る(到底ありえないことが起きた)。現在のインド洋中にあった大陸は、海中に陥没。現在のミニコイ島はその高峯。(※ ミニコイ島はインド南西部、マラバル海岸の西方300㎞にあるサンゴ礁の5島。)
地震後、「八意兼武命」「長春雲形命」「児屋万国地形命」「太玉唐国明命」「日竹内地球形知命」「中臣若臼命」に命じて、新に万国の地形地図を作り、即位581年2月27日、「皇祖皇太神宮」「別祖大神宮」の神體として納祭。(この大地震は、神武天皇即位元年前2万874年の事。)
◆皇統第36代[葺不合第11代]禍斬劔彦不合11代天日身光万国棟鿄天皇
禍斬劔彦不合十一代天日身光万国棟鿄天皇
在位793年、初めて妃を置く。即位183年、万国御巡幸。日程が148年にわたり、その間、アフリカ、ゼイラで3年仮住まい。
当時、日の本神霊界では「思凝神」の出現が最も盛んで、遂に凝結して「八尾狐」となって威を振ったため、「天照日大神」の神命によって、「朝日明神」[霊の大神の分霊]「月日明神」[撞の大神の分霊]の二神が出て統率の任に当たる。さらに、この神霊界での事実が現界に反映して、「朝日禍斬太神宮」と「月陰明神社」の建設を見ることになる。皇子「八速王彦尊」は、白狐やつをきつ[八尾狐]を使っていたので、その住居を八尾宮と言った。(現在、越中八尾町)皇子「八速王彦尊」、姉尊「八男速媛尊」二尊を、「紋妙王」と言う。(現今、八尾町にその名が残り、紋妙寺という寺がある。)
即位793年2月24日、奇日根大隅桑原太田宮で、皇太子「弥広殿作尊」に譲位。即位823年、奥羽朝日山大宮で神幽る。天皇を「朝日禍斬太神宮」として道路奥羽朝日山に、皇后「玉足頴撰媛皇后」を「月陰明神」として月山に祀る。
◆皇統第37代[葺不合第12代]弥広殿作不合12代天日身光天皇
弥広殿作不合十二代天日身光天皇
在位550年。即位11年2月3日、「皇祖皇太神宮」本殿前殿の造り替えが完成し、即位の大祭礼を挙行。皇子77尊を臣下に降し、能信国の平民とする。ヒナタイビルス国に行き、帰還。
即位550年1月26日、皇太子「豊明国押尊」に譲位。同年4月6日、神幽る(御寿631歳)。
【薬師神と医薬の大進歩】
天皇の御代、医薬が大いに進歩した。即位300年7月30日、越根中国二井ヤの山に、医薬法の師「天豊人形彫刻知祭主命」「天体骸長寿命」「天豊穀食類姫命」「天豊禁厭建彦命」「天日体骸医師彦命」「体骸居命」「少名彦命」「薬剤正神足カサ命」の八柱を、医療・医術の神として迎える。これを「薬師神」と言い、青人長寿富貴の守護神。
◆皇統第38代[葺不合第13代]豊明国押彦不合13代天日身光天皇
豊明国押彦不合十三代天日身光天皇
即位95年4月17日詔、万国御巡幸へ―→フシキの水門―→支那琿春―→イヂプト国、カイロ民王が参朝して礼拝―→駿河鈴川水浜に戻り、皇子・皇女58名を万国王として派遣。
即位380年2月3日、皇太女「奇猿媛尊」に譲位。後11年で神幽る。
◆皇統第39代[葺不合第14代]火之進奇猿媛不合14代天日身光天皇……身魂:地上姫大神
火之進奇猿媛不合十四代天日身光天皇 [御身魂 地上姫大神]
即位121年5月5日詔で、万国御巡幸――即位230年10月14日、越中二井ヤのカツシワ水門に還幸。王津天神大宮を御所とし、後に改め、「魚津天神」。即位460年、皇太子「臼杵尊」に譲位。同年12月27日、信濃駒山大宮で神幽る(御齢602歳)。駒山に葬る。
(※ 天皇の神幽る年が、同一章内で、即位460年、463年と異なるため、460年を採用。)
【冨士山・浅間山神社の祭神】
即位86年8月14日、富士山の大宮造替の詔。「皇祖皇太神宮御分霊」以下諸神霊を勧請して「浅間神社」を富士山に祀る。(神武天皇即位前1万8876年の事)これを「浅間の神」と言い、祭神は「木花佐久夜姫神霊」「皇祖皇太神宮御分霊」「天照日大神」「天疎日向津比売天皇御神體」「豊明国押彦天皇神霊」「豊狭姫皇后神霊」。ところが、諸神霊は次第に誤って伝えられ、今日の「浅間神社」祭神は「木花佐久夜姫神霊」のみとなった。
「火之進奇猿媛天皇」の身魂は「地上姫大神」で、「木花佐久夜姫皇后」と同一の身魂。すなわち、天皇の御名「ヒノススムキサリ」とは、昔、「木花佐久夜姫皇后」が火の産屋の焔の中を無難に去り[猿]給いし事跡をそのまま御名としたもの。身魂の因縁がこよなく深いため、「木花佐久夜姫皇后御神霊」の来臨を請い願った。
◆皇統第40代[葺不合第15代]臼杵不合15代天日身光天皇
臼杵不合十五代天日身光天皇
即位63年2月24日詔、万国御巡幸――支那黒竜江―→ヒウグイヒロスシカコ水門―→伊予国―→三津浜に還幸。即位251年1月29日(神武即位前1万8352年)、「万国棟梁は天下一人の天皇と定め、上代天皇の真霊及び今後代々の天皇の神霊は必ず皇祖皇太神宮に合祭すべし。」と遺詔。
即位353年、皇太子「産門真幸尊」に譲位。同年、神幽る(御齢538歳)。
◆皇統第41代[葺不合第16代]産門真幸不合16代天日身光天皇
産門真幸不合十六代天日身光天皇
即位110年6月6日、万国御巡幸――支那国―→ヨイロッパ―→フランス国―→越根若狭佐浦水門に還幸。皇子女に「御衣織若彦尊」「柵機彦尊」「柵機姫尊」あり。即位316年、「表照明姫尊」に譲位。翌年、神幽る(御齢489歳)。
【日本の高山に神社がある由縁②】
「産門真幸不合16代天日身光天皇」が、万国各地の高山と政法地に天神地祇を祭らせたため、高山には必ず神社がある。
◆皇統第42代[葺不合第17代]表照明媛不合17代天日身光天皇
表照明媛不合十七代天日身光天皇
即位153年1月10日、万国御巡幸――天竺国―→アラビア・オネザのメッカ水門―→蝦夷国宗谷に還幸。
即位496年、皇妹「依細里媛尊」に譲位。後3年、仙洞(御所)とされた後豊後国分の星岳大宮で、神幽る(御齢538歳)。「夜明星神」として祭る。
◆皇統第43代[葺不合第18代]依細里媛不合18代天日身光天皇
依細里媛不合十八代天日身光天皇
即位100年万国御巡幸――支那国バイカル水門―→竜宮へ臨幸。即位353年(神武即位前1万7088年)、天越根国に大変動、地震あり。
在位480年、皇弟「少名形男彦尊」に譲位。後5年にして神幽る(御齢702歳)。
◆皇統第44代[葺不合第19代]少名形男彦不合19代天日身光天皇
少名形男彦不合十九代天日身光天皇
「天照日大神」の神託に基いて、即位式大典の御儀を改定。天皇は身の丈が3尺に足らなかったが、皇后「大名形雄姫尊」は身の丈7尺5寸。怪力で、山野を遊覧する時、皇后は常に天皇の体を左手に抱いて歩いた。
即位350年1月24日、皇太子「天津明少名大汝彦尊」に、豊後国直入宮城で譲位。同年11月10日神幽る(御年931歳)。直入宮城に葬る。皇后宮は、御寿360歳で崩御。
◆皇統第45代[葺不合第20代]天津明少名大汝彦不合20代天日身光天皇……身魂:大広木正宗大神]」
天津明少名大汝彦不合二十代天日身光天皇 [御身魂 大広木正宗大神]
天皇の御代、天変地異があり、万国五色人全滅。
在位450年、皇太子「天饒明立尊」に譲位。後3年(即位453年)、神幽る(御齢564歳)。常陸国竜ヶ崎に葬り奉る。
【人類社会に年号月日を制定】
「天津明少大汝彦不合20代天日身光天皇」の御名「少名大汝」は、神界における「少名彦」「大汝彦命」を意味し、この2命は「大広木正宗大神」の分霊。天皇の身魂たる「大広木正宗大神」は、神霊界で先に外国に走って教えを樹立しようと試み(第29章・第129章)、まず人類社会に年号月日を制定して、その教化に着手した。
即位97年、万国御巡幸―→アフリカ―→アジア―→即位301年、加賀国安宅水門に還幸。年号月日を万国に教え伝え、支那王はここで初めて(神武即位前1万6300年の頃)、年号を用い始める。日の本では常に天皇即位の年をもって基本とし、年号を用いることはなかった。
◆皇統第46代[葺不合第21代]天饒明立不合21代天日身光天皇
天饒明立不合二十一代天日身光天皇
即位137年、万国御巡幸――イナタイビロス、バラ水門―→日向臼杵延岡水門に還幸。在位433年、皇太子「天押開神魂彦尊」に譲位。後17年、11月20日、河内古市宮にて神幽る(御齢531歳)。石室に葬る。
◆皇統第47代[葺不合第22代]天押開神魂彦不合22代天日身光天皇
天押開神魂彦不合二十二代天日身光天皇
即位85年、万国御巡幸。同191年8月、遠津海伊豆田方天照山に還幸。後、天城山と云う。在位350年、皇太子「天饒国饒狭真都国足尊」に譲位。後5年で神幽る(御齢461歳)。天城山に葬り奉る。
◆皇統第48代[葺不合第23代]天饒国饒狭真都国足不合23代天日身光天皇
天饒国饒狭真都国足不合二十三代天日身光天皇
即位75年、万国御巡幸―→ヒウケイヒルス―→タコマ水門―→ヨイロバ―→イギス国(この時イギスをイギリス国と定める)―→フリマス水門―→即位197年、蝦夷イトイ大宮に還幸。この時、「蛭子尊」27代の孫「蛭子道開彦尊」が、天皇の御前に参じて礼拝。
在位318年、皇太子「天饒国饒黒浜彦尊」に譲位。同年、神幽る(御齢523歳)。
【姓の始まり】
即位53年1月18日(神武即位前1万5470年)、今後「皇祖皇太神宮」の神主は竹内と名乗るべき旨を定め、他人の姓名使用を禁じた。これが、「姓」の初め。
◆皇統第49代[葺不合第24代]天饒国饒黒浜彦不合24代天日身光天皇
天饒国饒黒浜彦不合二十四代天日身光天皇
即位110年9月4日詔、万国御巡幸――同202年7月27日、加賀国安宅水門に還幸。即位329年、皇太子「富秋足中置尊」に譲位。後2年で神幽る(御齢493歳)。安宅浦に葬る。
◆皇統第50代[葺不合第25代]富秋足中置不合25代天日身光天皇
富秋足中置不合二十五代天日身光天皇
在位460年、皇太子「種淅彦尊」に譲位。後2年で神幽る(御齢587歳)。越中富塚に葬る後、富山と改む。
【ヘブライ語の始まり】
皇子・皇女32尊に万国赴任を命じ、形仮名アヒル文字を万国五色人に教える。これが、ヘブライ文字の起源。即位305年(神武即位前1万4353年)、諸皇子・皇女が帰国し、経過や結末を上申。
◆皇統第51代[葺不合第26代]種淅彦不合26代天日身光天皇
種淅彦不合二十六代天日身光天皇
即位82年、万国御巡幸――アジア沿岸国―→ロシ阿国―→アジアトルコ国。天皇に随伴した臣僚のうち111名が巡幸の国々に居残り、各所の長官に任じられる。
在位302年、皇太子「建王尊」に譲位。後3年で神幽る(御齢151歳?)。呉服山に葬り、御廟山と言う。
◆皇統第52代[葺不合第27代]建王彦不合27代天日身光天皇
建王彦不合二十七代天日身光天皇
即位102年1月5日、「天疎日向津比売天皇御神霊」より、天皇・皇后・皇太子に対して神託があり、今後必ず50年毎に、また天皇が代わった時に「皇祖皇太神宮」を造替すべきものと定める。(神武即位前1万3796年。)
在位348年、皇太子「天之海童噱楽之雄尊」に譲位。同年、神幽る(御齢528歳)。信濃国立クワ山に葬る。
◆皇統第53代[葺不合第28八代]天之海童噱楽之雄不合28代天日身光天皇
天之海童噱楽之雄不合二十八代天日身光天皇
即位46年8月14日、皇祖「天日豊本葦牙気天皇御神霊」よりの神託で、天皇御成婚の儀を制定。(神武即位前1万3505年)(第169章「登極令の変遷」参照)
在位280年、皇太女「神豊実媛尊」に譲位。後11年で神幽る(御齢439歳)。豊前吾平山に葬る。
◆皇統第54代[葺不合第29代]神豊実媛不合29代天日身光天皇
神豊実媛不合二十九代天日身光天皇
即位198年3月20日、下毛国三本遣鹿子山大宮に「皇祖皇太神宮分霊」を、長寿福富安産災難除農事守護神として勧請し、「甲子太神宮」として祭る。(現今、福島県白河町の奥、甲子温泉のある所)
在位397年、皇太子「円背之男尊」に譲位。同年、神幽る(御齢485歳)。
◆皇統第55代[葺不合第30代]円背之男不合30代天日身光天皇
円背之男不合三十代天日身光天皇
即位150年、万国御巡幸―→天竺アフリカ国―→同251年、奇日根大崎の水浜に還幸。能登国高クニ山に大宮を造営し、御所とする。石楠・松葉の種・天ンモド・カシウを不老長寿薬と名付け、上代天皇より代々天皇の常食となっていたが、将来必ずこれを用いることを定める。
在位476年、皇太女「橘媛尊」に譲位。後2年で神幽る(御齢563歳)。高クニ山に葬り奉る。
◆皇統第56代[葺不合第31代]橘媛不合31代天日身光天皇
橘媛不合三十一代天日身光天皇
即位57年、万国御巡幸―→オイストラリ国イルマントン水門―→同158年10月28日、奇日根大隅神田水門より高千穂の大宮に還幸。
在位306年、「花撰媛尊」に譲位。後2年で神幽る(御齢481歳)。室立山に葬る。
◆皇統第57代[葺不合第32代]>花撰媛不合32代天日身光天皇
花撰媛不合三十二代天日身光天皇
即位58年、万国御巡幸――アジアトルコ、フルツサ水門。万国民王その他1万3000余名が参朝礼拝して、大楽舞歌を奏し奉る―→同158年10月28日、大隅神水門より高千穂山大宮に還幸。
在位387年、皇太女「清之宮媛尊」に譲位。同年、神幽る(御齢491歳)。富居の山に葬る。後、改めて富山と云う。
◆皇統第58代[葺不合第33代]清之宮媛不合33代天日身光天皇
清之宮媛不合三十三代天日身光天皇
即位100年(神武即位前1万1600年)詔して、「皇祖皇太神宮」と上代皇霊を宮中に鎮祭し、天皇自身の御守神太平豊穣の祈願所と定める。これが、同床共殿の初め。即位151年2月1日詔で、万国御巡幸――支那国―→ヒウケエビルス―→ミキシコより、摂津住吉水門に還御。
在位372年、皇太子「八千尾亀之男尊」に譲位。後3年で神幽る(御齢501歳)。姫路に葬る。乗馬の術に長け、「乗馬術の神」として祭る。
◆皇統第59代[葺不合第34代]八千尾亀之男不合34代天日身光天皇
八千尾亀之男不合三十四代天日身光天皇
即位107年、万国御巡幸―→ヒナタイビルス―→アルヘンチナ―→同200年、豊日別キミスキ山に還行。
在位113年、皇太女「花媛尊」に譲位。後6年で神幽る(御齢503歳)。薩摩朝日山に葬る。
◆皇統第60代[葺不合第35代]花媛不合35代天日身光天皇
花媛不合三十五代天日身光天皇
即位203年、皇弟「若照彦尊」に譲位。後108年、神幽る(御齢363歳)。呉服山アンネン廟山に葬る。
◆皇統第61代[葺不合第36代]若照彦不合36代天日身光天皇
若照彦不合三十六代天日身光天皇
即位91年、万国御巡幸――支那国―→ヨモツ国―→イスベリアリスホン水門―→同203年、阿蘇山元宮に還幸。在位439年、皇太子「松照彦尊」に譲位、後11年で、神幽る(御齢516歳)。上毛国赤城根に葬る。
◆皇統第62代[葺不合第37代]>松照彦不合37代天日身光天皇
松照彦不合三十七代天日身光天皇
即位87年、万国御巡幸――ヒナタイヒロス―→ラパス―→ヨモツ国ロシアフ、リガ水門→同173年、道路奥戸来山に還幸。
在位317年、皇太子「天津太祝詞子尊」に譲位。後12年で、神幽る(御齢502歳)。五戸に葬る。
◆皇統第63代[葺不合第38代]天津太祝詞不合38代天日身光天皇……身魂:高津玉大神
天津太祝詞不合三十八代天日身光天皇 [御身魂 高津玉大神]
在位206年、皇太子「神足伊足彦尊」に譲位。後7年で神幽る(御齢437歳)。榛名山に葬り、「神明神」として勧請して奉る。
【天津太祝詞・大祓祝詞の作成】
皇統第63代[葺不合第38代]天津太祝詞調子天皇の御代、神界で、「高津玉大神」と「幡十台大神」が相談して「天津太祝詞・大祓祝詞」を作って、「天照日大神」の裁可を仰ぎ、天の岩戸開き終るまで、その使用が許可された。すなわち、現界では、天皇が天津太祝詞・大祓祝詞を制定。神武天皇即位前、正に1万年の事。
◆皇統第64代[葺不合第39代]神足伊足彦不合39代天日身光天皇
神足伊足彦不合三十九代天日身光天皇
即位130年、万国御巡幸――天竺アルカル―→支那国―→シカエ国オラ水門―→同200年、陸前ザオ山に還幸。即位368年、皇太女「神楯媛尊」に譲位、後3年で、神幽る(御齢483歳)。ザオ山に葬る。
【人民の祖先月並祭の初め】
一般人民の祖先月並祭と「皇祖皇太神宮」年拝を制定。これが月並祭の初め。
◆皇統第65代[葺不合第40代]神楯媛不合40代天日身光天皇
神楯媛不合四十代天日身光天皇
天皇は即位11年1月6日詔、皇統第22代「天疎日向津比売天皇」岩戸隠れの由来を編纂させる。同101年6月26日詔、富山に「岩戸別富山明神」を、立山の室戸に「天安河原明神」を、五百石(越中五百石町)に「五百石明神」を勧請し、同日同時刻に祭る。(神武即位前9328年)
在位278年、皇太子「神楯広幡八十足彦尊」に譲位。後5年で、神幽る(御齢371歳)。天城山に葬る。
◆皇統第66代[葺不合第41代]神楯広幡八十足彦不合41代天日身光天皇
神楯広幡八十足彦不合四十一代天日身光天皇
即位38年12月16日、万国御巡幸――ヨモツ国―→イタリア国ナポリ水門。天皇は白の羽衣に十六菊形紋章をつけ、日の丸旗を建てた所に、五色人王氏男女37名参朝礼拝―→オイストラ国メルボルン水門―→同160年、肥後菊地の皇の山に還幸。
即位335年、皇太女「鶴舞媛尊」に譲位。後2年で、神幽る(御齢483歳)。出雲三瓶山に葬る。
◆皇統第67代[葺不合第42代]鶴舞媛不合42代天日身光天皇
鶴舞媛不合四十二代天日身光天皇
即位58年11月16日詔、皇子「豊彦幸尊」「天文万国言知尊」に随臣64名をつけて万国巡回を命じ、万国の民王に、神代文字・アヒル文字・草文字・象形仮名文字・像スケ文字・紙造り・墨造り・竹筆造り等を教える。同303年、土佐仁酉水門に帰着した皇子達は、即刻白光山の大宮で天皇に報告し、大いに喜ばれる。
在位356年、皇太子「豊足大御中尊」に譲位。後3年で神幽る(御齢503歳)。雪光山に葬り、「光知姫神」と勧請し奉る。
◆皇統第68代[葺不合第43代]豊足大御中不合43代天日身光天皇
豊足大御中不合四十三代天日身光天皇
即位82年、万国御巡幸――ヒウケ国ミキシコ―→同189年、琉球に還幸。在位376年、皇太子「大炊気吹尊」に譲位。同年、神幽る(御齢483歳)。穴門天乞山に葬る。
◆皇統第69代[葺不合第44代]大炊気吹不合44代天日身光天皇
大炊気吹不合四十四代天日身光天皇
即位7年2月15日、皇弟「空津争鳥尊」に譲位。御齢388歳で神幽る。文珠山に葬る。天皇は、神を祭らず、石楠不老薬を食さなかった。
◆皇統第70代[葺不合第45代]空津争鳥不合45代天日嗣天皇
空津争鳥不合四十五代天日嗣天皇
在位181歳、皇位を皇弟「鳥言足清男尊」に譲位。同年、神幽る(御齢227歳)。越中国江尻山に葬る。天皇は、神を祈らず、祭らず、石楠不老薬も食さなかった。
◆皇統第71代[葺不合第46代]鳥言足清之男不合46代天日嗣天皇
鳥言足清之男不合四十六代天日嗣天皇
即位73年、万国御巡幸――アフリ国チュラスのカベス水門ヒナタイロス―→アルヘンチナ―→ロサリオ川水門―→同185年、越前高須山に還幸。
在位328年、皇太女「大庭足姫尊」に譲位、神幽る(御寿511歳)。クレ羽山に葬る。
◆皇統第72代[葺不合第47代]大庭足媛不合47代天日嗣天皇
大庭足媛不合四十七代天日嗣天皇
即位68年、万国御巡幸――支那西蔵托克札倫―→アフリカ・コンゴ・ミカンサ―→蝦夷日高蒲河水門に還幸。在位303年、皇位を皇太子「豊津神足別尊」に譲位。後2年で、神幽る(御齢397歳)。蝦夷イトヨイ山に葬る。
◆皇統第73代[葺不合第48代]豊津神足別不合48代天日嗣天皇
豊津神足別不合四十八代天日嗣天皇
即位83年、万国御巡幸――ヒウケイヒルス・ホストン水門―→アヂチ唐イダ国大国―→豊後久住宮に還幸。在位286年、皇太子「豊足彦尊」に譲位。後3年で神幽る(御齢311歳)。豊後九嶷山に葬る。
◆皇統第74代[葺不合第49代]豊足彦不合49代天日嗣天皇……身魂:天国上義則大神(国祖の分神)
豊足彦不合四十九代天日嗣天皇 [御身魂 天国上義則大神(国祖の分神)]
即位100年3月1日詔、万国御巡幸――アジチ国イルクック―→キレンスク―→アフリ―→スイダン―→クカ―→同220年11月15日、山城の宇賀伊吹山の大宮に還幸。
在位380年、皇太女「神足別国押之女尊」に譲位、後3年で神幽る(御齢467歳)。比叡山に葬り、「日比山神」として祀る。
◆皇統第75代[葺不合第50代]神足別国押之女不合50代天日嗣天皇
神足別国押之女不合五十代天日嗣天皇
在位235年、皇位を皇従弟「国押別神足日尊」に譲位。後66年で、神幽る(齢482歳)。武蔵所沢に葬る。
◆皇統第76代[葺不合第51代]国押別神足日不合51代天日嗣天皇
国押別神足日不合五十一代天日嗣天皇
天勝国勝媛皇后宮
皇后宮は、光帝の皇女。即位51年、万国御巡幸――ヒナタイヒルス―→バラフバラ水門―→同128年、豊後御越宮に還幸。即位181年3月6日、二井ヤの五百石の宮の御所に住む。
在位303年、皇太子「天津紅之枝玉尊」に譲位。後15年で、神幽る(御齢401歳)。五百国の宮に葬り(越中五百石町)、遺言で「五百石の神」に奉る。
◆皇統第77代[葺不合第52代]天津紅之枝玉不合52代天日嗣天皇
天津紅之枝玉不合五十二代天日嗣天皇
即位51年、万国御巡幸――ヨモツ国トイツのブレイイメン―→同162年、豊後久住宮に還幸。在位289年、皇太子「天開明知国束尊」に譲位。後4年で、神幽る(御齢428歳)。紀伊大雲取山の宮に葬る。
◆皇統第78代[葺不合第53代]天開明知国束不合53代天日嗣天皇
天開明知国束不合五十三代天日嗣天皇
即位58年詔、万国御巡幸――支那アジチの三姓―→常陸カクシマ(鹿島山)の宮に還幸、御所とする。即位296年、皇太子「髙天原輝徹国知尊」に譲位。後7年で、神幽る(御齢431歳)。カクシマ山天塚に葬る。
◆皇統第79代[葺不合第54代]髙天原輝徹国知不合54代天日嗣天皇
髙天原輝徹国知不合五十四代天日嗣天皇
即位51年、万国御巡幸――アジチ唐ロシア―→トムスク―→カインスク―→同150年、二井ヤの玉津水門に還幸。鶴ヶ城を御所とする。在位262年、皇太子「天津玉柏彦尊」に譲位。後9年で、石室に入って神幽る(御齢421歳)。神通川の東、トメル山に葬る。
◆皇統第80代[葺不合第55代]天津玉柏彦不合55代天日嗣天皇
天津玉柏彦不合五十五代天日嗣天皇
即位67年、万国御巡幸―→ヒウケイビロス―→モンテリ水門―→同146年、丹後湊宮に還幸。丹波天野二井宮を御所とする。
在位293年、皇太子「天津成瀬男尊」に譲位。後7年で、神幽る(御齢391歳)。丹波園部に葬る。
◆皇統第81代[葺不合第56代]天津成瀬男不合56代天日嗣天皇
天津成瀬男不合五十六代天日嗣天皇
即位82年、万国御巡幸――即位83年2月30日(神武即位前4854年)、支那国で、薬師・医術を教官、薬師「天少名彦居命」・医師「天体骸居主彦尊」に命じて、国令伏羲氏・神農氏に教える―→アフリスイタン国イバダン―→オイスト国ダイビ水門―→同181年、越中二井ヤの生地水門に還幸。
即位320年、皇太子「天津照雄之男」に譲位。翌年、神幽る(御齢419歳)。
【中東の十六菊御紋章のはじめ】
御巡幸の際、即位150年5月5日(神武即位4787年)、「天津成瀬男不合56代天日嗣天皇」が羽衣に十六菊の紋を付け、五色人王がこれを模倣。このため、エルサレム・ペルシャなどに十六菊形御紋章が残存する。
◆皇統第82代[葺不合第57代]天津照雄之男不合57代天日嗣天皇
天津照雄之男不合五十七代天日嗣天皇
即位21年4月、天地大変動あり(神武即位前4596年)。即位82年、万国御巡幸――ヨーロッパ国ロマニア―→パロラヅ―→同187年10月28日(神武即位前4430年)、支那奉天。伏羲氏・神農氏が参朝礼拝―→同211年7月28日、磐城夏井水門より、アカ井山大宮に還幸。
在位461年、皇太子「御中主幸玉尊」に譲位。後2年で神幽る(御齢503歳)。アカ井山に葬る。
◆皇統第83代[葺不合第58代]御中主幸玉不合58代天日嗣天皇
御中主幸玉不合五十八代天日嗣天皇
即位101年3月15日詔、「皇祖皇太神宮」の造り替えが終り、大遷宮祭を執行。万国主・アジチ唐支那王 伏羲氏・神農氏が参朝して礼拝。両氏は日の本に36年滞在、その場所を伏氏ギの水門(伏木港)と言う。神武即位前4020年、支那に帰った所を天津(現今の天津)と言う。伏羲氏・神農氏は、天皇より天津金木を授かり、帰国して易の元を創めた。即位362年12年3月25日、遠津海駿河フキジテ山大宮に臨幸され、フロシテン山と名付ける。
在位382年、皇太子「天地明玉主照尊」に譲位。後3年で、神幽る(御齢491歳)。フシキテン山[富士山]に葬る。
【支那の伏羲氏・神農氏の系図】
アジチ祖「造化気万男女天皇」から、「盤支那弟清王民」と「盤支那貴美王民」)が生まれ、そこから、①「盤那王民」と②「支那葉夷氏」が生まれた。
②「支那葉夷氏」は、「支那葉夷唐古氏」へ引き継がれ、15代を生み、国名に名付けた。「15代」――北京氏、陝西幸氏、広東氏、南京氏、湖広氏、広西三氏、山東古氏、江西周氏、貴州高氏、山西氏、淅江人氏、四川平氏、河南氏、福建女氏、雲南金氏。
①「盤那王民」は、「盤唐王氏」→「盤古氏」(支那国祖)→「伏羲氏」「神農氏」が生まれる。
「盤那王民」―→ 「盤唐王氏」(神龍石神宮に住む)―→ 「盤古氏」(天国の道路奥盤城国に居。支那国祖となる)―→ 「天皇氏兄」は1万14歳シス。「地皇氏弟」は8200歳シス。弟「10人 男4人女、6人氏」。「人皇氏」は4万5600歳シス。「有巢氏」の弟は3万6200歳シス。「燧人氏」は5万1110歳シス。「6人 女4人、弟男2人」―→ 「燧人氏」弟から、兄「伏羲氏」と弟「神農氏」が生まれる。
兄の「伏羲氏」は、天国の天皇不合56・57・58代天皇の代。治世1512年。1982歳死ス。子16人で、治政16世。子16人は――「(氏名記載なし)治世110年、671歳シス」「庖檥氏」「尊蘆氏」「陰康氏」「女媧氏」「中史氏」「混沌氏」「無懐氏」「共工氏」「歴陸氏」「昊英氏」「大庭氏」「䮽連氏」「末裛氏」「柏皇氏」「赫肯氏」「葛天氏」。
弟の「神農氏」は、治世551年。1511歳でシス。子8人……「炎帝氏」「帝承氏」「帝臨氏」「帝則氏」「帝百氏」「帝来氏」「帝襄氏」「帝榆氏」に分れる。その中の「炎帝氏」(治安141年、562歳で死ス)から―→ 「黄帝軒轅氏」(治世102年、1931歳6世)―→ 「小昊金天氏」―→ 「顓頊高陽氏」(治世78年)―→ 「帝嚳高幸氏」(治世71年)―→ 「帝尭陶唐氏」(治世99年)―→ 「帝舜有虞氏」(治世51年)―→ 「夏禹氏 中代16世」(17世治世449年)―→ 「殷湯王氏」(30世治世654年)―→ 「周 武王」(12世、西 治世362年)―→ 「周幽王氏」(西 治世11年)(天国の天皇不合73代狭野命生る)―→ 「東支那 周平王氏」(治世51年)(◎ 天国の天皇不合73代狭野命改神倭盤彦命<神武>天皇、即位元年)






◆皇統第84代[葺不合第59代]天地明玉主照不合59代天日嗣天皇
天地明玉主照不合五十九代天日嗣天皇
糸玉姫皇后宮
天皇と皇后宮にしばしば神勅・神託があり、「皇祖皇太神宮」神宝中に、同天皇神勅の巻として別個に保存される。主な内容は――即位式御儀改定(第169章参照)・神社祭祀・葬祭・世界再統一身守り神文字等に関するもの。官位十九級を制定。万国御巡幸――天竺。「ヒナレス尊者」その他が大前に平伏―→陸前鳥帽子山に還幸。
在位489年、皇太女「天照櫛豊媛尊」に譲位。後4年で神幽る(御寿518歳)。二神山に葬る。
【神社の祭祀】
神国日の本の神社は、「天神人祖一神宮」をその始まりとし、皇統第10代「髙皇産霊天皇」が「皇祖皇太神宮」と改称。新たに五色人祖神を祭る「別祖神宮」を建立。葺不合朝となり、「太神宮」の分宮と、新たな「神宮」を建立。葺不合第59代「天地明玉主照天皇」の御代、神勅によって、毎月1日~30日に到る日、日の守神として、神代よりの神々を祭祀して各神社を建立した。
不合第59代「天地明玉主照天皇即」即位100年3月16日(神武即位前3676年)詔、『立十日、円十日、籠十日の守神、遠く神代より伝え来りし神名を、記史に造れ』。皇子、天地和合主尊・万国知彦尊・万国名知尊・万国文字知導・万国主職知尊・万国五色人政法主尊は、謹んで受け賜る。
(註、1日~10日までを立十日、11日~20日までを円十日、21日~30日までを籠十日と言う。一日をツイタチ、三十日をツゴモリと言うのはこれが始まりで、遠く太古よりの言葉。)
「一日」(皇祖皇太神宮 別祖太神宮)、「「二日」(八幡神宮)、「三日」(年星徳神社)、「四日」(皇真金神社)、「五日」(金山神社)、「六日」(天伊勢神社)、「七日」(宝達神社)、「八日」(護法守天空神社)、「九日」(稲荷福主神社)、「十日」(金毘羅五祖神社)、「十一日」(水主祓之神社)、「十二日」(綿津見神社)、「十三日」(八意才智神社)、「十四日」(軍千兆勝神社)、「十五日」(赤池白竜神社)、「十六日」(景信神社)、「十七日」(軍馬丑神社)、「十八日」(甲子主神社)、「十九日」(安産守神社)、「二十日」(恵比祚幸神社)、「二十一日」(白神神社)、「二十二日」(大山祗神社)、「二十三日」(蠺養神社)、「二十四日」(愛宕神社)、「二十五日」(八雷神社)、「二十六日」(土祖神社)、「二十七日」(竈門神社)、「二十八日」(五行不動王神社)、「二十九日」(香椎神社)、「三十日」(薬師神社)
【葬祭】
万国棟梁の天国で、人が死んだ際の魂魄と體骸の葬祭は、最も重んずべき事として遠く太初より制定するのは当然の事。今ある古文書から主なものを記す。
(1)、皇統第3代「天日豊本黄人皇主天皇」即位310憶年6月26日詔――先の代々天国神州・天皇、初め上下民・支国五色人等よ。神幽りし體骸を神に葬ることについて、神勅に定める。神幽る體骸を峯に葬る一年祭・三年祭・五年祭に、骨像體を造って、神名を神代文字にてミドジ(凹文字)刻み付け、天神人祖一神宮でこれを合せ祭り、十年祭、三十年祭、五十年祭、千年祭をする事を定める。
(天神人祖一神宮へ納祭 臣 神霊幣造知命 日竹内神幸禍虫猛斬命)
これによって皇統第1代皇祖より、代々天皇の遺骨像神體が、現今になお存在する所以を明らかにし得る。
(2)、皇統第10代「高皇産霊天皇」即位80億6万年4月3日詔――天神人祖一神宮、皇祖皇太神宮と、神仏の来臨を祈り願って祭る。同即位80億7万年11月25日詔――「先代天皇を初め、上下民、万国五色人の神幽った體骸を、地中に奥都宮を造り、神に葬ると定める。體骸を葬る主を始め、葬られる神霊も自然のままに神に葬って祭れば、葬る主の現世・安泰・平安・長寿・孫まで心配ない。先の代で支人が造って竝べた教法で葬ると、生まれるに惑い、死るに迷い、万の災にあって、貧乏・短命・万で苦しむ。先の代に悪人・困難に生まれる。神州人・万国五色人よ、天然の神に葬れば、葬る主は身體健全で富貴繁栄するぞ。万事、言勝和合天職守るぞ。高皇産霊天皇詔に、體骸を神葬る定め。」
(天越根中国 皇祖皇太神宮納祭)
(臣 万魂命、天豊万魂産霊姫命、天八百産霊姫命、天日支那天竺魂命)
(3)、皇統第84代天地明玉主照不合59代天皇即位65年1月13日、皇后宮糸玉姫命に、姫命に、天疎日向津比売天皇神霊が憑り、神託。(神武即位前3701年)
「天国神州の天皇をはじめ、上下万国五色人上下は、神幽る體骸を神に葬るようにせよ。先の時代で、支のさまざまな教法を造って竝べた教法に惑うな。生まるに惑うなよ、死るに迷うなよ。迷って別教法で體骸を葬ると、国と家と子孫が、万災・貧乏・短命・困難・苦しみにあうぞ。幽世=現代=先の代に必ず苦しみ、貧乏、悪人、またカタワ、万病者に生れるぞ。神州人よ、万国五色人よ。天然の神州の神に葬るこそ、神幽體骸の神霊、體骸を葬る現代主の天の道にかないし幽顕とも、天職・天資ありと知れよ。」
「荒魂は、體骸につけて葬れ。」「奇魂は、天神日の国へ葬れ。」「和魂は、子孫の家に伝う、霊牌に霊遷し祭る。」「幸魂は、皇祖皇太神宮へ神に合せ、百日目霊遷し祭る。」
天然祭の神に葬ることを、先の代々に、神幽體骸を神に葬ることを堅く守れよ。民等よ、万国五色人よ。 體骸を四ッ方式――「峰に風葬祭」「地に参葬祭」「水葬祭」「火葬祭」に葬ることに定める。
「神幽りて――十日祭、二十日、三十日、四十日、五十日、百日祭に、皇祖皇太神宮へ遷霊祭することをせよ。五年祭、十年祭、二十年・三十年・四十年・五十年・百年・二百年・三百年・四百年・五百年・千年・二千年・三千年・四千年・五千年・一万年・二万年・三万年・四万年・五万年目ごとに祭りをせよ。天国天皇のために、家身のために祭れ。信仰すべし、必ず神を信仰することを忘れるな。」
(4)、即位65年4月22日(神武即位前3701年)改めて、「上下民等へ、万国五色人民へ、葬る方式を教え伝えるよう定める」と詔。支那国の頭の伏羲氏・神農氏に教え伝えられ、万国御巡幸の際、万国五色人に體骸を葬る式を、教官として国々に残し置き、教える。(教官:皇子万国知彦命、予母都須伊須バセル命(ヨモツスイス国に住む)、ヨモツスイスベルン命(ヨモツスイス国に住む)) 別に220名を教官として万国に残し、その人が住む所に、その人の名を地名として付けた。)
【世界再統一の神勅】
皇統第1代皇祖「天日豊本葦牙気皇主天皇」の御代より、日本天皇が世界万国の棟鿄(=頭領)の天皇として統率し、代々の天皇が万国を巡幸して、人類文化の発展に大御心を注いだ。ところが、「自在」の時代として年月が経つにつれて、世界万国はしだいに日本天皇統率の覊絆(=きずな)を脱し、各国がほしいままのことを行うようになる。
太古では、即位の大礼祭に際して、白人・黒人・赤人・青人・黄人・王、共々参朝していたが、葺不合朝の末期、諸王が参朝する例もなくなり、統率の実態もしだいにゆらぐ。その一例として、葺不合第69代「神足別豊天皇」の即位大例祭で、神定められた高御座四方の高欄に、五色人王を、彫刻でその参列に代えた次第を見れば明らか(第169章16参照)。加えて、大地震によって日本島の文化が完全にほろんだため、日本天皇は世界統一を一時放棄せざるを得なかった。宇宙における「自在の時代」が終わり、「限定の時代」になれば、また、日本天皇が世界を統一する必要があることは言うまでもないことから、葺不合第59代「天地明玉主照天皇」の御代、世界再統一に関して、しばしば神勅が降下した。原文のままを記載する。
(1)、御神勅 「不合59代天地明玉主照天皇」「糸玉皇后宮」 御両方
[即位92年 ムツヒ月(一月)立六日(六日)、即位93年 シブル月(十一月)立三日(三日)、御両方憑神](天疎日向津比売天皇神霊、天皇へ憑神。月向津彦素盞鳴尊神霊、皇后宮へ憑神)
神勅――
『今より先代年、分国の天皇ができる。統一する時が来るぞ。6,365年より、万国五色人の天皇氏に大変事が起こり、五色人天皇氏が統一される代となる。いよいよ、万国五色人を再統一する代ぞ。天国の天皇と皇祖皇太神宮、別祖太神宮、立・円・籠三十日守神・神宝を預り持ち伝え来る神主官が、左の股に万国地図紋をもって生まれる代こそ、五色人が再統一され、天国天皇、神人大統領大申政神主。先代の6375年の歳より、神の霊妙な不可思議なお力に限りはなく、天から賦与された生まれつきの性質を神籠が守るぞ。代の天皇と神主に必ず背くな。そむくと天罰で殺すぞ。死ぬぞ。潰れるぞ、負けるぞ、悩むぞ、万苦に遇うぞ。』
神が憑依する神勅に立会い、聞取る人が、文章にして伝える。――
『天下一始め像形仮名文字にて言バの通り文すること堅く守れよ。』

天照櫛豊媛尊(註 次代天皇)天御中主照彦命 天神心明知命 天万人薬師知命 国押勝之男命 商法知彦命 天職地球知合命 天地人知合王命 太玉命 表春武形命 八意知彦命 外、皇子41名命
立会人、聞き取った人は文にして、皇祖皇太神宮神躰巻納祭、大秘蔵の神宝巻
(2)、不合59代「天地明玉主照天皇」即位267年(神武即位前3508年)3月17日、「糸玉姫皇后」へ、「天疎日向津比売天皇」の神霊が憑り、神託――
『先の代6100年、先代に必ず天国と支万国内に、万国地図紋を左股に持つ神主が生まれる。その国こそ、万国統統一の棟梁国。五色人、必ず背くなよ。天照日大神、夜見神の天職天資は神籠が守る。背くと負けるぞ。死ぬるぞ。潰れるぞ。』

(3)、不合59代「天地明玉主照天皇」即位357年(神武即位前3419年)2月3日、天皇自身に、天照日大神が憑り、神勅。
『皇后姫命・陰の神が言う――思いを言う言葉で、人の命を引き取るぞ、短命にするぞ、不自由にするぞ、負けるぞ、貧乏するぞ、雨降るぞ、方位を不和合にするぞ。
天皇・陽の神が言う――神を信じる者が万事勝つのを輔佐する。思いを言う言語が人の命を取ると知れ。その5倍を産み出すぞ。人の命は5倍長く生きるぞ。福徳富貴繁栄5倍ましとなり、幸に向うぞ。徳の人に5倍ますことを限りなく守るぞ。晴天を5倍にして身を守るぞ。天地五色人との和合繁栄は5倍守るぞ。
光の代々6010年までに、統一の皇祖皇太神宮、天皇、また神宝預り神主、神人大統領、大申政再興統一天皇再興の時代ぞ。天下に五色人の王は黄の天皇一人に定め、天照日大神の神勅に定め、天地明玉主照天皇自身に神が憑られての神勅に定める。』
(4)、不合59代「天地明玉主照天皇」即位357年2月14日、天皇自身が上記して、太神宮へ納祭。――
『今より先の代々で、神宝に礼儀を欠く人、禍人や神宝を疑う禍者こそ、天皇へ不忠で、不義の大過人。天罰で5ヶ年内に死るぞ。ツウレルゾ。病者、精神病者になるぞ。神宝は、死なず、腐らず、変わらず、サベスの神宝。神宝を疑ってはならない。口にも言にもオソレがあるぞ。神国の民はじめ万国の五色人は、よく疑って禍心で神宝に心を触れ、禍に言、手に触れるな。触れるとその身は短命に苦しむ。万の天罰がある。今より遠く先の代々に、6010年目内別に、必ず五色人の統一が再興する。五色人の主は、我が天皇の天皇。棟梁皇祖皇太神宮の神體、神宝、天皇の宝。万国の五色人の主が統一になる時が来る。天のなされる事ぞ。その年より、皇祖皇太神宮の神の霊験、神霊があらたかに働かせられる。神主に神籠守あることは万倍力。不思議に霊験あるぞ。それより先の代々無極代まで、髙久貴久正久神籠守があるぞ。神勅なるぞ。堅く遺言せいよとあるぞ。必ず神、心せいよとあるぞ。善男善女を、長命立身子孫孫守る神ぞ。』
(天皇自身天天地明玉主照尊 御中主幸玉命 天地人知合王命 玉依押勝姫命 天日嗣祭知日主命)
(5)、不合59代「天地明玉主照天皇」即位357年4月14日、上記――
『皇祖皇太神宮神主の左股に、万国図紋ある神主、先の代6000年目に現れ、神主が現われる時こそ、天国の吾孫天皇こそ、万国五色を統一する時ぞ。天照日大神の神勅ぞ。6010年先の代に神人大統領大申政神主の時こそ、天職・国政に再統一、6010年国内別先の代の年に、天変地変統一のときぞ。』 (この言葉の下に〝地形図形紋〟)
(6)、不合70代「神心伝物部建天皇」即位202年(神武即位前277年)1月1日、「天疎日向津比売天皇神霊」が、嬪妃斎女王敷姫命へ憑って、神託あり。――
『「再世界統一」の代が来る。その時の神主、神人大統領は、左の股に、地形図形紋をもって生れ出る。』

【見守り神文字】
不合59代「天地明玉主照天皇」即位57年3月25日朝、天皇へ神憑った「天疎日向津比売天皇」神勅――
『今より、天皇を始め上下民は、守神文字、神宝寺、神文字を堅く見につけよ。』
「皇祖皇太神守神文字 神宝文字 神籠守文字 神力十倍守 皇祖皇太神五徳高久守 皇祖皇太神結縁守 皇祖皇太神万兆陪勝守 皇祖皇太神万福徳陪守 皇祖皇太神万禍窓災除守 薬師神長寿子孫災難除守 皇祖皇太神長命守 皇祖皇太神安産守 皇祖皇太神子孫王長久繁栄守」以上、神字守、代々の天皇は必ず身に付けられた。
「別祖大神百柱神禍害除守(大室姫命、ロミユラス民王必ず身につける神宝文字)」「天疎日向津比売神神代文字守(大室姫命・ロミユラス民王必ず身に付る神字守)」「日向津比古神万守(願キク子孫栄守)」「素戔嗚命万禍除守(病除守敵討殺ス守)」「護法守万天空神万千億勝守」「八雷神万害禍敵除守」「赤池五竜白黄赤青黒竜万災害除守」「稲荷気津九十七王神万栄利勝守」「八意才智謀守神万勝守」「官軍千億万勝神敵討守」「天疎日向津比売神万願守(天津日嗣を守、長命和合守、天爵立身守、天皇必ず代々身に付け給う。)」「天疎日向津比売万守神文字(天皇代々身に付け給う。)」「別祖太神百柱神五色人祭守(国政治栄身守、国政人の必ず身に付ける。後代大室姫命ロミユラス民王必ず身に付ける神宝文字)」「八幡神五色人男女和合万宝引集せ守」 「(※ 神代文字と図形)


「天地明玉主照天皇」即位57年3月25日朝、神勅、神籠守宝、神文字を賜わり、上下民必ず身に付けるよう神勅。[神文字――略]
◆皇統第85代[葺不合第60代]天照櫛豊媛不合60代天日嗣天皇
天照櫛豊媛不合六十代天日嗣天皇
即位41年、万国御巡幸――ヒナタイヒロス――アルベンチ――アフリ――キネア――ビンダ水門――同131年、常陸オワに還幸。筑波山宮に遷都。在位235年、皇太女「豊足日明媛尊」に譲位。同年神幽る(御齢405歳)。筑波山下ナリキ村に葬る。大塚という。
◆皇統第86代[葺不合第61代]>豊足日明媛不合61代天日嗣天皇
豊足日明媛不合六十一代天日嗣天皇
即位45年、万国御巡幸――アヂチ―→イルクック―→キレンスク―→天越根ウラ柿崎水門に還幸。在位206年、病を得て、急に神幽る(御齢283歳)。常陸鹿島山高天原に葬る。天皇塚と云う。皇太子「天豊足別彦尊」。
◆皇統第87代[葺不合第62代]天豊足別彦不合62代天日嗣天皇
天豊足別彦不合六十二代天日嗣天皇
前天皇が病で急に神幽り、皇太子「天豊足別彦尊」は、即刻「皇祖皇太神宮」に参拝。神託によって、天津比嗣に即位した。
即位103年1月6日詔し、「皇祖皇太神宮」の大遷宮祭。五色人民、主25名、500名の五色人民と8000の民が大舞楽歌を奏す。御皇山大宮のヒウケ[北]の大空に大楽舞の形があらわれ、五色人王等、平伏(神武即位前2748年)。「皇祖皇太神宮」を一の宮、「丹波別伊勢岩屋神宮」を二の宮、「日向高千穂二上神社」を三の宮とし、各々皇子、皇女を神主とする。これが、諸国に一の宮より九の宮まであることの基。また、皇子皇女31尊を平民に降下して、万国に派遣。
在位238年、皇太子「事代国守髙彦尊」に譲位。後3年で、御皇城山にて神幽る(御齢351歳)。アンネボ山に葬る。
◆皇統第88代[葺不合第63代]事代国守高彦不合63代天日嗣天皇
事代国守高彦不合六十三代天日嗣天皇
即位53年、万国御巡幸――ヨモツ国カウカシ―→ダブリズ―→同141年、能登別所ダケの宮。在位360年、皇太子「豊日豊足彦尊」に譲位。後5年で神幽る(御齢442歳)。呉羽山日の塚に葬る。
◆皇統第89代[葺不合第64代]豊日豊足彦不合64代天日嗣天皇
豊日豊足彦不合六十四代天日嗣天皇
在位280年、皇太子「勝勝雄之男尊」に譲位、翌年、神幽り給う(御齢329歳)。トメル塚に葬り奉る。
【桃太郎の鬼ヶ島征伐】
「豊日豊足彦不合64代天日嗣天皇」即位43年、万国御巡幸――皇子31尊、皇女43尊を、万国の紙・墨・ヒラカナ文字の教官に任命して(神武即位前2212年)、各国に派遣し、各種器物製法・紙・墨・筆・ヒラガナ文字等を教える。これら諸皇子・皇女の長官として赴任した皇子「万国巡知彦尊」を、又の名「桃太郎」と云い、智勇大力の尊。この尊の事跡が、日本伝説の「桃太郎鬼ヶ島征伐」となった。
(※ 派遣された皇子の数が、異なる――第116章(30尊)、第113章(31尊))
◆皇統第90代[葺不合第65代]勝勝雄之男不合65代天日嗣天皇
勝勝雄之男不合六十五代天日嗣天皇
即位46年、万国御巡幸――オセア国オイガスタ水門―→同151年、常陸オワライ水門に還幸。ニイハル大政都を御所とし、改めて大ソ大塚と云う。在位282年。天皇、皇后宮を召さず、皇弟「豊柏木幸手男彦尊」に譲位。後3年で、神幽る(御齢391歳)。天皇を葬った所を大祖大塚と言う。
◆皇統第91代[葺不合第66代]豊柏木幸手男不合66代天日嗣天皇
豊柏木幸手男不合六十六代天日嗣天皇
即位38年、万国御巡幸――同129年12月9日、大和ニムネ日山を御所とする。皇子21尊・皇女23尊を、万国の文字言語の教官として任命し、派遣。これが、棟鿄天皇から万国五色人に文字言語を教えた最後。
在位337年、皇太女「春建日媛尊」に譲位。後2年で神幽る(御齢489歳)。ニムネ日山(傍畝山)に葬る。
【言語文字の教伝】
「天日万文造主神」[言上姫大神]が人類に教えられたことが、人類の言語文字の起源。
皇祖「天日豊本葦牙気皇主天皇」の御世、言語を差別して、象形仮名文字・天日文字・地図を作る。「天言文形仮名造根尊」「万国八意五十一言造根尊」「万国言語伊吹尊」「天豊地球形図造根尊」「天日万国地形図書造根尊」「万五十言形仮名文造根尊」が主として作成に当たり、「天日楮殻木紙主尊」「天日岩竹円鶴毛産尊」「天豊建明風柖彦尊」「天日砥墨取主尊」の諸皇子が、紙・筆・墨を作った。 これらの言語・文字・紙・筆・墨は当時、万国の五色人に教伝されたが、それ以後の代々の天皇は、皇子その他を外国に派遣して教伝した。
しばしば皇子・皇女等を派遣して、言語文字を五色人等に教伝した行跡は、世界的大地変があっておおむね人文が滅亡後(第122章参照)。これによって、世界棟梁の国として、天皇がいかに全人類文化の発展について心を傾けられたかを理解すべき。
万国への教官派遣が皇統91代天皇で最後となったのは、その後、幾何もなくして勃発した地震のため、日本島の文化が全く滅びて、海外に手を延ばせなくなった結果。また、外国方面では、皇統第94代「神足別豊天皇」の御代に紅海とアラビヤ砂漠が発生した地震以後、大きな地変が起こっていないのに加え、その文化が次第に発達し、棟梁国から指導教授を仰がなくてもよい状態にまで進展したことによる。
(備考 エヂプトで、神武紀元1240年頃(皇統92代「春建日媛天皇」の御代)、デルタ在住のフエキヤ人・エジプト文字から、アルファベット、22の字母を作って使用し始めたと伝えられるのは、次章で述べる、アヂチモジより出したもの。日の本より伝わったものに過ぎない。)
古文書から、教伝記録の主要なものを掲げる――
○皇統第3代「天日豊本黄人皇天皇」
主として、「万五十一連形仮名主命」「万国言語教命」「万国文造教命」「天八意言文主命」「天日言語明命」等が任に当る。
○皇統第4代「天御中主天皇」
数文字を改正して、品形の形仮名文字を定め、筆紙墨の製法を万国に教伝。主として、「天日麻紙主尊」「天日生産凝烟取尊」「天日ロハタキ紙造尊」「天中焚手油王神」「天日諾楮主尊」「天日岩阪四折尊」「天日沫諾蓮紙造尊」「天豊筆柄造工尊」「越日木曽葛主尊」「天中筆毛結鹿工尊」「言語差別文知尊」「天日豊本アヒル文尊」「天合マチ形文造尊」「万国言語学知尊」「万言像形仮名文造尊」「天地コレタリ文造尊」「甘美言配女主尊」「天豊言明文尊」等が任に当る。
○皇統第5代「天八下王天皇」
4尊「天日言語教明尊」「八意語学明尊」「天豊言語学知尊」「天豊形仮名主尊」を万国言学長官に任じて、外国に教伝。4尊を「文珠の神」として祭る。
○皇統第7代「天相合美天皇」
2尊「天日語学教主尊」「天地万法伝知主尊」が、教伝に当る。
○皇統第11代「神皇産霊天皇」
「天日万五十音文知尊」「神五十一言文造命」「神皇万言知命」「天日形伎文知尊」諸尊命を教伝に派遣。
○皇統第14代「国常立天皇」
「天豊形仮名知尊」「天日万言悟尊」「天日五十一言知尊」「天日語言知尊」「天豊悟知尊」「天日阿日文知尊」 を万国に派遣。
○皇統第15代「豊雲野根天皇」
墨・筆・紙を造り、万国に言語文字と共に之を教える。主として、「豊雲生津墨尊」「豊雲沫渚楮尊」「豊雲紙スキ船姫尊」「天之上代文知尊」「豊雲形仮名尊」「豊雲阿文知尊」等が任に当る。
○皇統第18代「大斗能地王天皇」
「五十一五言文知尊」「五十一五連知美尊」「五十一五猛彦尊」「国城文字知主尊」「万国言文知尊」を外国に派遣。
○皇統第22代「天疎日向津比売天皇」
地球全部がほとんど壌滅したため、さらに諸法を万国へ教伝。
○皇統第28代「真皇真輝彦天皇」
「思兼蚕之田布栄彦命」「五十一言文彦命」「言代足太田彦命」「言代弟太田彦命」「万言代万国言明命」「水押墨紙主命」を外国に派遣。
○皇統第47代「天押開神魂彦天皇」
「天紙造彦尊」「天竹筆造知尊」「天黒須美彦命」に命じて、筆墨紙を造らせ、教伝。
○皇統第50代「富秋足中置天皇」
皇子・皇女32尊を万国に遣わして、形仮名文字、アヒル文字を五色人に教える。
○皇統第67代 「鶴舞媛天皇」
「皇子 豊彦幸尊」「天文万国言知命」外、64名の諸尊に万国巡回を命じ、万国民主に神代文字・アヒル文字・草文字・象形仮名文字・像スケ文字・紙造り墨造り竹筆作り、天空浮船・大海原浮船・政法等を教える。
○皇統第89代 「豊日豊足彦天皇」
皇子「万国巡知彦尊」(亦の名、桃太郎)を長官として、皇子30名、皇女43名を万国に派遣し、各種器物製法・紙・墨・筆・ヒラガナ文字等を教える。
○皇統第91代 「豊柏木幸手男天皇」
皇子「天津八意五十一文知尊」「万国言語知尊」外、皇子21尊、皇女32尊を文字教官に任じて、万国に派遣。(神武即位前1500年代)
【古代文字と片仮名】
当時、日の本で使っていた文字は十数種。「皇祖皇太神宮」にあるのは――「アヒルモジ」「イムベモジ」「アメコシネモジ」「アコシモジ」「アメコモジ」「ツクシモジ」「イヨモジ」「クサキネモジ」「アイノモジ」「コレタリモジ」「タネコモジ」「モリッネモジ」「モサシモジ」「ツシマモジ」「アヂチモジ(ヘブライ文字の元)」「アメコシカズモジ」「ヒフミモジ」「ボン字の源」。
当時、最も一般に用いられたのは、最古時代の象形文字とアヒル文字との合体文字で、神武天皇以前約3000年間にわたって使用された。
(五十音順に配列。※「片仮名に似た70字)

「神武天皇」即位50年の記念祭に当たり、天皇自身が、現在吾人の使用する片仮名を作成。その基本となったものが、この合体文字。(後世、片仮名を弘法大師が作ったとの説は偽り。)また、「日の本には古来個有の文字なし」という在来学者間の意見は、くどくど反論する必要もない、とるに足りない説。
アヒル文字・象形仮名文字・アヒル草文字の代表的なものは(その他、各種の文字は省略)


(註 「父/母 アイウエオ」を筆頭に、五十音を示す絵文字。その下に[日九神の丸形]と題して、〝東西南北〟の方位図と〝アイウエオ〟の円図)
アヒル文字のアヒルとは「朝・昼・夜」の意味で、皇祖「天日豊本葦牙気天皇」が「日球神の丸形」によって、まず母音先づ母音┳ ┻ ┃┫ ┣を作り、父音
と組み合わせて作った。


象形文字には二種あり。その一は、アヒル文字と同じく、皇祖「天日豊本葦牙気天皇」が作って定めた。このうち、タの字の中の粒の数七・四・三・一の四種類があり。
は、葬祭の場合に用いる。また
ツの字の粒は必ず二十五粒と定められる。
ヒの周囲の光条は、、十六条。
[アヒル草文字] (註 〝ヒ〟から〝ケ〟までの、絵文字と片仮名 47字)
……皇祖天皇の時、「天日万言文造主命」の作成によって、これより変形したものが、二、三ある。
◆皇統第92代[葺不合第67代]春建日媛不合67代天日嗣天皇
春建日媛不合六十七代天日嗣天皇
在位217年、皇太子「天津日高日子宗像彦尊」に譲位。後4年で、神幽る(御齢381歳)。大隅桑原三像に葬る。
◆皇統第93代[葺不合第68代]天津日高日子宗像彦不合68代天日嗣天皇
天津日高日子宗像彦不合六十八代天日嗣天皇
万国御巡幸――支唐天津―→越中伏木水門に還幸。神幽りまして呉羽山のミカドに葬り奉る。在位238年、皇太子「神足別豊尊」に譲位。後4年で神幽る(御齢397年)。
◆皇統第94代[葺不合第69代]神足別豊不合69代天日嗣天皇……身魂:大地将軍
神足別豊不合六十九代天日嗣天皇 [御身魂 大地将軍]
葺不合皇朝文化がその頂点に達していた「神足別豊不合69代天日嗣天皇」の御世、即位33年5月、日本島に大地震あり。続いて、全世界の大地変が相次いで2回勃発し、アラビア沙漠と紅海が出現する。日本島では越根国の北方(日本海)が大陥没し、山河草木がほとんど滅亡。今日の富山湾はこの時に出現した。
地変後の即位52年、万国御巡幸――アヂチ支那唐国―→ヨロッロハ国オロネツ水門―→同58年、越後岩船に還幸。在位428年、皇太子「神心伝物部建尊」に譲位。後2年で、神幽る(御齢503歳)。御室山嶺西の岩屋に葬る。
【モーゼの来朝】
即位200年3月6日、ヨモツ国アラビア、アカバ、シナイ山より、五色人政治法王「モオゼロミユラス」来朝。五色人祖棟梁「皇祖皇太神宮」に参拝し、モオゼの表十戒・裏十戒・真十戒・縞瑪璃・魂形石五箇を天皇に献上。「モオゼ」は「大室姫命」(葺不合63代天皇の皇子「天津高彦尊」の女)を娶り、滞在12年(神武即位前694年)で、シナイ山へ帰還。「大室媛命」は後に「羅馬姫命」と改名。「モオゼ」は羅馬建国の緒に就いた後、その子「ロミュラス」「ニューマボンヒリウス」等を残し、「大室姫命」を伴って再び来朝(天皇即位421年7月25日)。同年11月25日、「モオゼ」は能登国宝立山で身罷る。
【頂点に達していた、日本中古文明[葺不合朝文化]の滅亡】
葺不合第69代「神足別豊天皇」の御世、葺不合皇朝の文化はその頂点に達していた。
「皇祖皇太神宮」神主「神竹内真戸利王命」に命じて、白石で、越中赤池白竜の身形大小、各1個を作らせ、神體として「赤池明神」に奉納。「速玉真留尊」外5尊に命じて琵琶を作らせる。現存する白竜神體の彫刻は、芸術品としても優秀な天下の逸品で、当時の文化隆盛の有様をありありと思い浮ばせる。
ところが、日本島に大地変が起こり、越根国の北方(日本海)が大陥没して山河草木が滅び、当時最盛期だった日の本の文化は潰滅する。このため、当時の日本島の住民は、再び太古の状態に帰って穴居生活をすることを余儀なくさせられた。今日随所で発見されて考古学の好対象となっているものは、この当時の穴居の跡。考古学と歴史はこれを根拠として、当時日本島の住民が原始以来文化を有さなかった蒙昧未開の民族と断定しているが、この日本島が世界第一の地震国たる事実を考慮する必要がある。これらの諸学者が今日まで全く無視してきたこの事象は、今日なおそうであり、太古の地球皮殻の変動が激甚だった時代を想像すれば、思いは半ばを過ぎたあたり。
(※ 近年、最新のDNA分析によって、日本人のルーツとされる縄文人のDNAが、周辺アジアの民族とは“ほとんど一致しないという事実が明らかにされた。通説では、中国・朝鮮・東南アジアのいずれかの民族が縄文人の起源と考えられていたが、それらとは全く異なるタイプの民族が、すでに日本に存在していた。)
一例を述べると、古文書に記す所では、富士山は古来前後8回大噴火し、当時冨士大宮(現在の静岡県大宮町)があった地表は、今日45尺(約13.6m)の熔岩の下に埋没したという。将来全国各地を発掘する時があれば、当時の文化の遺跡は随所に発見し得る。ことに越中は御皇城の在った地として、今なお地名で上古の発音がそのままであることを幾多指摘できる。(その中で、漢字を当て嵌めて、後に音読するものがある。また、仏法伝来後、仏語に転化したものもある)これらを詳しく点検すると、上古の地文をそのまま今日の地図の上で読み得ることによっても、日本に上古・中古の文明が存在したことを確証し得る。
【万国大地変】
太古以来、日の本と万国に勃発した大地変の状況は、「皇祖皇太神宮」「地球地形図作りの巻」で記載した。その記述は極めて簡単で、詳細を知る根拠はないが、その間、あるいは大陸の海中に陥没したものもあり、あるいは新たに隆起したものもあり、有史以前の地殻変動の概要を覗い知ることができる。
(1)、「国万造主大神」その他の諸神の地球修理固成の神業が進捗している中で、大変動によって地球は数百度、土の海になった。この遺構として、今日見るように岩石の角は丸くなり、また蛤の殻の化石等が高山峯の岩石の中にあることが、土の海となった印。地形が定まって後、神勅によって作られた地球形図が第1図で、地球最初の地形図。(原図の7/10縮尺)
[第1図]

(2)、「天御光太陽貴王日大御神天光日神」[天照日大神]は、諸尊「天豊地球形図造根尊」「天日万国地形図書根尊」「万国八意五十一言造根尊」「万国言語伊吹尊」に、地形図(第2図)を作らせた。(原図の3/4縮尺)
(※ 絵地図内の地名「ヒナタ」「ヒニリ」「ヒウケ」「ヒガシ」)

(3)、「天日豊本葺牙気皇王身光大神天皇」即位〇年、「天日万言文造主尊」「天豊地球形図造根尊」「天日万国地形図書根尊」等に命じて地球の地形図を作り、十六方位図の国を定め、名前を付けた地図(第13章参照)を「天紙人尊一神宮」に御神體として奉斎。(原図の3/4縮尺)
[第3図] ……(※ 地図内の国名「ヒガシ」「ヒアケ」「ヒウタ」「ヒウイ」「ヒムカ」「ヒトヅ」「ヒネコ」「ヒイル」「ヒニリ」「ヒサリ」「ヒコシ」「ヒイロ」「ヒナタ」「ヒアシ」「ヒイタ」「ヒタン」)

(4)、「造化気万男天皇」の御代、万国は土の海となる。「天日万言文造主命」「天日豊本葦原大彦命」「底予六都志古女命」「平民八百万陪産命」に命じて、地球地形図を作らせ、「天神人祖一神宮」に神體として納祭。
[第4図](原図の3/4)……(※ 地図内の国名は、「十六紋=日の本」を中心に、「ヒアケ」「ヒガシ」「ヒムア」「ヒトツ」「ヒコネ」「ヒイル」「ヒニリ」「ヒサリ」「ヒイロ」「ヒナタ」「ヒタミ」「ヒイタ」「ヒタツ」

「造化気万男天皇」即位〇年、再び地球地形図を作り、「天神人祖一神宮」神體神宝として奉祭。
[第5図]……(※ 地図内の国名は、「十六紋の日の本(ワ)」を中心に、「オルト」と、絵文字5国)

(5)、「天日豊本黄人皇天皇」即位〇年詔、地球地形図を造り、五色人の住居図を造って万国と名付け、また文国と言った。この第六図を「天神人祖一神宮」へ納祭。
[第6図](原図の4/5)……(※ 地図内の地名は、「十六紋=日の本」を中心に、「アヂチクニ」「ヨモツクニ」)

「天日豊本黄人皇天皇」即位〇年、地球全部に大変動が起り、一面土の海と化して万国万物は全滅。天皇は皇族397名を率いて天空浮舟に乗り、秋津根大台原峯より天日球の国に登って大難を逃れた。
(6)、「天御中主天皇」の御世、万国が2回、土の海となる。この地変によって、太平洋の二陸「ヒ大アケ・ヒガシ」「ヒタツ・ヒイタ」が、一夜にして陥没。(=「ム」国)
即位〇年、「天八下王尊」「天日公運之命」「天豊地球治生王命」に詔して、地球地形図(第7図)を造らせ、「天神人祖一神宮」の神體として奉祭。
[第7図](原図の3/4)……(※ 地図は、真ん中に「十六紋=日の本」があり、その両側に、「オウナハラへオチサガル」(大変土ノ海トナル 国全部落下ル 人全部死ス)

(7)、「天相合美天皇」の御代、天下万国に大変動が起り、土の海と化す。
(8)、「天八十万魂天皇」の御代、天下万国は、土の海となり、ひっくり返った。
(9)、「高皇産霊天皇」「天御中主天皇」の御代より、5度の地球大変動。その後、「天豊諸道辻命」「天日支那唐魂命」「天日支那天竺魂命」「少彦名命」に地球形図(第8図)を定めさせ、「皇祖皇太神宮」「別祖太神宮」神体として納祭。
[第8図](原図の3/4)……(※ 地図は、「十六紋=日の本」が真ん中で、その両側に「海原ハ落沈む」)

(10)、「神皇産霊天皇」の御代、万国は土の海と化し、ひっくり返る。
(11)、「国之常立天皇」の即位、天万陪猿日主〇年(申年〇年)コノメ春ケサリ円1日、日球の国に登り、地球万国土の海と化す。天皇の国の日の大神の神勅によって、ムツヒ月立1日、地球万国の政主を一人と定め、越根国ニ井ヤの祖来岳に天皇・皇后・皇子・皇族五色人の祖王達と共に天降られる。
(12)、「角樴天皇」即位〇年、ウベコ立2日、天下万国が土の海と化す。五色人全滅。
(13)、「大斗能地王天皇」の御代、万国に大変動が起り、土の海となる。天日天皇は日球の国に登り、地球が定まって後、天降らる。
(14)、「伊邪那岐天皇」即位〇年、カナメ月円6日、万国に大変動が起り、土の海と化す。ひっくり返る。
(15)、「天疎日向津比売天皇」即位の年、ナヨナ月立3日、地球万国に大変動が起り、土の海と化す。地球大変動の結果、天越根中日見日高身神光池上の地が低下したため、「皇祖皇太神宮」の本殿と前殿を新築され、飛騨位山より天降られて、大遷宮祭を挙行。(第42章参照)
「高皇産霊天皇」の御代、地変のために土の海となる事8度。それが定まって後、「思兼命」「児屋命」「太王命」「手力命」「宇受女命」に命じて、地形国図(第9図)を作らせ、「皇祖皇太神宮」「別祖太神宮」の神體に納祭。
[第九図](原図の3/4)……(※ 地図は、「十六紋=日の本を中心に、その両側に「大土海より落沈ム」」

(16)、葺不合4代「玉噛天皇」即位5年ハヤリ月、天地に大変動。土の海となり、万国五色人多く死滅。(神武即位4万3280年)
(17)、葺不合10代、「千足姫天皇」即位402年ウベコ月より、地球万国に大変動。土の海となり、大木・小木に餅が出来る(到底あり得ない)。図の国は無くなり、海底に落ち沈んだ。[嗚呼オトロシヒヱ 地変ぞ]この時、インド洋で大陸が陥没。(神武即位前2万874年―紀元前2万1534年)(第55章参照)その後、「八意兼武命」「表春雲形命」「児屋万国地形命」「太玉唐国明命」「日竹内地球形知命」「中臣若臼命」等が万国地図を作成し、「皇祖皇太神宮」「別祖太神宮」御神體として納祭(第10図)。
[第10図](原図の4/5)……(※ 地図は、「十六紋=日の本」を中心に、「シズム」「落沈ム」)

「千足姫天皇」即位581年、ケサリ月籠7日、地球地形図を改造。大地変が起き、定まった後、国の地形図(第11図)を造って、「皇祖皇太神宮」「別祖太神宮」に神体として奉斎。
[第11図](原図の3/4)……(※ 地図は、「十六紋=日の本」のみ)

(18)、葺不合18代「依細里媛天皇」即位250年ナヨナ月、天越根国に大変動の地震があり、人間は多く死滅。[アミン](神武即位前1万7088年)
(19)、葺不合20代「天津明少名大汝彦天皇」の御代、天変地変があり、万国五色人多く死滅す。[アマ]。(神武即位前1万6100年の頃)
(20)、葺不合57代「天津照雄之男天皇」即位21年ウバコ月、天地大変動があり、五色人多く滅す。[ナンムナク、アアミン](神武即位前4596年)
(21)、葺不合69代神足別豊天皇即位33年サナヘ月、日本島で大変動あり、土の海になる。多数の人類が死す。[アアオドロシヘ](神武即位前873年)
(22)、葺不合71代、「天照国照日子百日臼杵天皇」即位21年カナメ月、日本島、南無大地で大地震あり、多数の人類が死滅。南無天地人。(神武即位前229年)
以上の日の本古代の記録によって、有史以前、全世界に起こった大地変の一端がわかる。
地変後、日の本歴代の天皇は恒例として、天皇自身が万国を巡幸、あるいは皇子その他を派遣して、その都度、万国地図を作成し、「皇祖皇太神宮」に奉納した。
こうして太古以来、上代25代葺不合朝72代という悠久な年月を経て発達し、それが因となって世界万国文明の源となり、言語・文字あるいは祭祀の法、その他人間生活の万般に関して万国を教え導いてきた日の本の太古の文明「葺不合朝文化」は、希臘神話で伝えるアトランチス大陸の沈没に似て、また南太平洋に存在したと伝わり、今日その付近の島々他各地にその遺跡を見得る某大陸(「ム」の国)とその文化の滅亡(本章・第19章参照)に関する伝説と学説のように、または中央アメリカで今日なお廃墟が遺るインカ帝国の末路に似ている。しかも、これら有史以前の各国各州は、ことごとく日の本に生まれた万国五色人の住んでいた所であり、ほんの少しの間で、全く跡形もなく消滅した。今日と比べ、はなはだ特異かつ華麗盛大を極めたその世界最古の文化の存在は、今日ただ「皇祖皇太神宮」に存する古文書に拠る以外には、何人も夢にさえみない有様となった。
【葺不合文化没落で、国万造主大神〝三千年の仕組〟の画策開始】
太古より万国棟梁国たる権威をもって発達してきた日の本の人文が、一朝にして世の中が激しく移り変わったため、創造神の神意を体して隠退していた国祖「国万造主大神」は、世界統理の根本国としての日の本の文化の恢復建設の必要上、かつて歴代天皇によって、日の本が指導啓発した外国文物の逆輸入を計画する。その間、外国諸神の跳梁はますます激しくなり、また、外国文物の輸入によって個有日本の破壊も当然行われるという附随的事象に対し、適当な防止手段を講じなくてはならないと同時に、最後に到来すべき「天の岩戸開き」に対する事前の準備も整えておかなくてはならない。
ここにおいて国祖「国万造主大神」は、葺不合文化没落を期として、専心、諸般の劃策をたて、時期の到来を待つ。これを「国祖国万造主大神三千年の仕組」と云う。葺不合69代天皇の末期、その第3回大地変の直後で、明治25年に「国常立大神」が再出現された時より、3050年以前に当たる。
◆皇統第95代[葺不合第70代]神心伝物部建不合70代天日嗣天皇
神心伝物部建不合七十代天日嗣天皇
即位202年1月1日、「天疎日向津比売天皇御神霊」が、皇嬪斎女「玉敷媛命」に憑依し、再び統一の代が来る旨の神託あり。(【世界再統】一の神勅」参照)
在位230年、皇太子「天照国照日子百日臼杵尊」に譲位。後11年で、神幽る(御齢319歳)。
【〝天孫高千穂降臨〟の誤り②】
皇統第95代[葺不合第70代]神心伝物部建天皇は、高千穂峯に「皇祖皇太神宮」の分霊を再度鎮祭し、宮の名を「天孫天降りの宮」と名付ける(神武即位前319年)。この「天孫降宮」勧請事実が、日本在来の古記によって誤って伝えられ、天孫高千穂降臨なる虚構の発生となった。
(皇統第24代[上代第24代]天之仁仁杵天皇は、即位30年2月10日、越中国御皇城山から、日向国高千穂峯に遷都。後代、この遷都が日本の古記で誤って伝えられ、「天孫高千穂峰に御降臨」とされた。)
【還暦の始まり】
即位75年9月8日「皇祖皇太神宮」の神主に、神主大申政・神人・大統領の名を授ける。(神主で61年勤続した者に、神人大統領の名を賜わる。これが、61年を還歴とした始め。)
◆皇統第96代[葺不合第71代]天照国照日子百日臼杵不合71代天日嗣天皇
天照国照日子百日臼杵不合七十一代天日嗣天皇
玉依比売皇后宮
「天照国照日子百日臼杵不合71代天日嗣天皇」は、「竹媛尊」「宮建媛尊」「噌野媛尊」を妃、他6名を嬪とし、「田鶴媛尊」[御母宮建媛尊]「彦五瀬尊」[御母竹媛尊、又の名、稲飯田竹媛尊]「狭野尊」[御母皇后]「三毛野入野尊」[御母建媛尊]「串柿野尊」[御母建媛尊]等の、諸皇子・皇女が誕生。
即位21年10月(神武即位前229年)、日本島に再び大変動、大地震あり、人文ほとんど潰滅し尽す。即位43年12月27日詔、万国御巡幸――ヨモツ国トリコ、ドスト水門―→同133年、秋津根大和生駒の宮に還幸。在位216年、皇太子「彦五瀬尊」に譲位、同年神幽る(御齢303歳)。皇后宮と共に「生駒二神」として祀る。
◆皇統第97代[葺不合第72代]彦五瀬不合72代天日嗣天皇
彦五瀬不合七十二代天日嗣天皇
前天皇時代の日本島大変・大地震の後をうけて、日本島復興事業として、第一に「皇祖皇太神宮」の修復再建に着手。当時、越根中国、仙洞大宮は日向高千穂にあった「皇祖皇太神宮」は、一日も早く修復すべきことから、九州高千穂から東に移ることになった。
即位35年9月23日、皇弟「狭野尊」に譲位。同年、神幽る(御齢117歳)。
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