自然農法の実施

ーー明主・岡田茂吉様お言葉ーー

◇『堆肥は畑に、藁は水田にやれ』

◇『浄霊をしなくても増収になる』

◇『浄霊は肥毒を消す方法』

◇『浄霊しなくても、肥毒さえ無くなれば良い』

◇『浄霊も肥毒が全く無くなれば、する必要はないんです。薬毒と同じですからね。薬の気が全く無くなれば、する必要はないんです。』

◇『自然農法は、何処迄も土ですね。土そのものを生かすんですからね。』

(御教え集 第9号 昭和二十七年四月十七日)

 

◇『切り藁ですが、之はやっぱり十一月にやった方が良いと言います。』

◇『藁は、暖かい所は必要ないんですよ。極く寒い処です――東北のような処ですね。』

◇『だから浄霊しなくては穫れない。と言って、信者を作るような意志が一寸でもあってはいけないです。病気の方は信者になった方が良いですが、自然農法の方は、肥毒さえ無くなれば豊作になる。その点をよく心得てやって貰わなけばならない。』

◇『こういう点が自然農法の効能ですね。で、それは非常に美味(うま)いんですよ。野菜でもね。之は、米に限らない。一切の作物ですね。処が今迄肥料を使っている為に不味(まず)いんですね。不味いからして、どうしても肉や魚を食いたがるんです。私でもそうですからね。矢張り、近頃自然農法で取れたものを大分食べる様になりましたがね。大分美味いから肉より野菜を食べたいんですが、以前と来たら、野菜は不味いんです。だからつい御馳走と言ったら、動物性の物を食べる様になるんです。(中略)』

――湯西川温泉(川治温泉と日光の間)のお話

『つまり自然農法も、そういった米にしろ野菜にしろ非常に美味しくなりますから、どうしても多く食べる様になる。そうすると、その為に人間に、精神的効果が非常にあると思う。(中略)死んだバーナード・ショウなんかは有名な菜食家ですね。ですから、やっぱりミロクの世の、一つの条件になる訳ですね。』

(御教え集 第9号 昭和二十七年四月二十五日)

 

◇『病気を治す方は、信仰に依って大いに効果がある。健康になる。之は結構ですが、自然栽培の方は、全然そういう事を一緒にしないで、信仰でなく栽培法丈の改良で充分増産になるんですから、それで良い訳なので、早く日本中――そういう自然栽培の人を多くして、増産になる様にするという事が肝腎なんです。』

◇『畑の方が、自然栽培は水田よりも余計効果があるんですよ。というのは、水田の方は大雨が降ったりすると荒れますから肥毒が流れるんです。処が畑の方は肥毒が流れないから害をするんです。そこで畑の方が水田よりも一層効果がある。』

◇『土の変化という事も、精しく言うと色々あるんですが、一番気のつかない事は地霊ですね。地球の中心の火ですね。火から始終霊気が立っているので、それが地層を通って地殻を通して発散している。その時に地殻からの変化が色々ある。厚い処と薄い処がある。それから又亀裂がある。その為に亀裂の処からは地霊が強く発散する訳ですね。そうすると、土に変化を起す。鉱物というのは亀裂の処から霊気が強く発散しますから、硬化作用が強いので、鉱物が発生する。之は学問にもないので、思いもつかないんですか、本当はそうです。そこで地層の厚い薄いが非常に関係がある。地球上でも、日本は地層が割合薄い。というのは、日本は新しく出来たのですからね。之は『信仰雑話』にも書いてあります。地層が薄いから地霊が強く出るので、日本の土というのは非常に肥えている。世界中で一番肥えている。そこで、日本で自然栽培をやれば良く穫れる。』

◇『その土地に生える木の多い少ないは大変関係がある。日本は木が多いですね。雨が降って、木の汁が流れていって土に変化を起させる。それから山が沢山ある。山の蔭になったり、色々して土に変化を及ぼす。そんな様な色んな関係があって、そこで稲の品種が、違って来るんです。』

(御教え集 第9号 昭和二十七年四月二十六日)

 

◇『堆肥をやり過ぎると、やはり土を殺すんです。私のに書いてある通り、堆肥というのは土を固めない事と、稲のなんかは根を温める為と、野菜物は乾くから水分を成可く保存して置く為に行う――そういう意味で書いてありますからね。』

◇『美味いという事が大変な意味があるんです。というのは、美味いとどうしても野菜を多く食べますからね。野菜を食べると健康にも良いし、第一性質が変る。人間の性質がね。今の人間は気が荒くて、直きに喧嘩したり殺したりしますが、あれは食物が非常に関係がある。』

(御教え集 第9号 昭和二十七年四月二十七日)

 

◇『螟虫(めいちゅう)にも色々種類があります。それは肥料の種類が増えたからです。病気の種類が増えるのは薬の種類が増えたからというのと同じ意味で、害虫も肥料が増えた為に増えたという事になるのです。(中略)だからその虫が湧くという事は、霊界の浄化力が強くなると、浄める作用が起る。浄める作用が起るという事は、浄める仕事をする虫が早く湧くという理屈になります。』

(御教え集 第14号 昭和二十七年九月六日)

 

◇『それからまだ迷信が抜けきれないので、藁を沢山入れたり枯草を入れたりしていますが、これがかえって邪魔するのです。本当言うと土ばかりが一番いいのです。混ぜただけいけないのです。では、なぜ堆肥をやるかというと、土地によって固まりやすい土があるのです。これは赤土系統が多いのです。』

〈藁を入れる理由〉

① 土が固まらないようにするため

② 稲などは土を温めるほど良いため

  ――藁は一分か二分に切る。土地によって、水が氾濫して浮いて流れるところは、三分か五分にしてもよい。土に混ぜてなるべく浮かないように、上っ側の方ではなく芯の方に深く藁を混ぜた方がよい。

〈土地による工夫が肝腎〉

o 気候との関係 →種を播く時期など

o 水の量と温度

o 日当たり(日照)

それで、根本は土を穢さないという事です。

◇『有肥の方は青いのが出るのに、こっちは黄色い、細いのがでるというのですが、これは肥毒のためなのです。ですから、肥毒が抜けてしまえば、黄色いのも細いのも出なくなります。(中略)ですから、少しでも黄色くなるうちは、うんと増収にはなりません。(中略)それで、肥毒が全く抜けると枝が出るのです。穂が出るのです。ですから、幾らでも増えるのです。この穂に穂が出る様にならなければならないのです。』

(御教え集 第19号 昭和二十八年二月七日)

――――――――

『土だけを当(あて)にして、土だけを貴ぶ心を持っている人は非常に成績が良いのです。』

――――――――

【自然栽培について】

(栄光198号)

 『最後にも書いたとおり、ちょっと考え違いをしている点がある様です。(中略)だから、浄霊すれば、肥毒を消すから良いには違いないが、しかしそのために未信者の農民が見て、″あんな事をしなくては良くとれないなら、面倒臭いからよそう″という事になって拡まらない事になる。そうすると″日本が現在困っている食糧問題を解決して、食料増産をしよう″という神様の御趣旨に反する事になる。そこで佐渡では浄霊しないで、最初の年から良くとれたという事は、神様の御趣旨に合うからです。

 だから、根本的の考えでなければならないのです。上っ面でなくて、この目的はどこにあるかという、つまり大事な考えです。(中略)

 それはどういう訳かと言うと、芋というものは、神様は人間の食物としてこしらえてあるのだから、それを腐らして肥料にするという事は神様の御意志に全然反する事になり、良いわけがないのです。だから凡て、これは神様の御趣旨、目的はどの点にあるか、どういう御意思かという事をはっきり分からなければならないのです。それで凡て一時的に良くなるものはいけないのです。(中略)

 だから、浄霊をして、それを知られるという事が、大変に普及のお邪魔をしているわけです。というのは、そういう考え方は、信仰をした方が良く出来るというのを見せて、信者を増やそうという考え方ですから…悪い事はないが…その考え方が小乗的なのです。(中略)

 それで浄霊は肥毒を消すのだから、肥毒の強い所はやっても結構ですが、なるべく人に知られない様にするのです。それは夜やるのも結構です。そうすると間違えて、魚カスや油カスをやっているのだと思うでしょうが、それは神様の方の油カスというわけです。といういう様に、なるべく人に知られない様に浄霊をするのです。それも日に二、三度で沢山です。(中略)

 とく角自然栽培のやり方というのは、一番手数がかからないで楽なのです。それがいいのです。どうも人間は面倒臭い事や、ややこしい事をしたがる観念がありますが、そのために成績が悪いのです。ですから一番手数がかからないで楽なやり方ほど良いのです。』

――――――――

◇『今年の九州の水害はどういうわけかというと、やっぱり浄化作用ですが、つまり土を肥毒で穢してしまったから、これ以上穢すと作物が出来なくなってしまうのです。そこで一寸やそっとの間くらいでは追いつかないから大水を出して肥毒を流したのです。一時はああして作物に影響するようですが、あれだけ浄めたので当分作物が出来るわけです。だから肥毒をやらないようになれば水害はずっと減ります。しかし水害がなくなる事はありません。というのは、やっぱり悪い了簡を持っているから、田畑の売買の場合に金に不正な分子があるとその浄化が起こりますから、その分だけは儲けさせないようにするわけです。とに角凡て今のいろいろなやり方は、霊を無視して体ばかりを目標にしているから、護岸工事とか川を修正して深くするというようなつまりオッツケ工事だけです。やはり医学と同じで、熱が出ると氷で冷やすという事と同じで、つまり霊を無視しているから根本的の方法は知らないのです。』

(御教え集 第24号 昭和二十八年七月六日)

 

◇『稲は連作をやってます。連作がいけないものなら、稲はいけなくなるはずです。それなのに畑は連作はいけないと言っているのです。(中略)実際迷信というものは恐ろしいものです。そういう訳で、土が変化して作物に対して適当した養分が生まれて来るのです。ですから客土は悪い事はないが、本当から言うと足りないのです。』

(御教え集 第24号 昭和二十八年七月六日)

 

◇『霊界がだんだん明るくなると、結果が非常に早くなります。今までは毒の効き方も遅かったために、虫なら虫を殺すだけの効果があって、それが土にはいって、土を穢して、又虫をわかせるというのに暇がかかるから、一時虫が死ぬからそれでよいと思っていたが、ところがだんだん霊界の浄化が強くなるに従って早くなるのです。つまり毒が集まって行くのに何年もかかったのが、それが早くなって、つまり毒の結果が早く来るのです。これは丁度浄霊と同じで、浄霊も年々治りが早くなって、治る人はどんどん治り、死ぬ人は早く死ぬというようになってます。ですから善悪をはっきりさせるという事になるのです。そこで以前は肥料の毒をそれほど思ってないのか、肥毒というのがますます著しくなるから、どうしても分からないわけにはゆかなくなるのです。』

(御教え集 第25号 昭和二十八年八月六日)

 

◇『ところが実は堆肥も本当はいけないので、土ばかりがよいのです。以前にも書いてあるとおり、土が肥料だから、土を邪魔するものはみんないけないのです。堆肥も土を邪魔するからいけないのです。ではどうして堆肥を使うのかと言うと、土が固まると根伸びが悪くなるから、固まらせないために堆肥を用いるというわけです。その場合にも、堆肥はできるだけ腐食させて繊維の無いようにしなければならないので、半分以上土に化したくらいの物がよいのです。ところで葉の筋のあるのや、落葉でもまだ相当固いのを使いますが、そこで畑作での相当よい成績の報告のないのはそのためです。ですから、若し土の固まらない所では、それは古い土は固まらないから、堆肥も使わない方がよいのです。若しやるとすれば、大根、牛蒡、人参という根の物には、一尺以上の下に、これはそう腐食しない落葉や草でもよいですから、それを床にするのです。そうすると非常に温まるので成績がよいです。そういうように堆肥を使えばよいのです。あとは土に混ぜるのですが、土の混ぜる場合にはできるだけ腐食させるのです。それからもう一つは、乾く土地がありますが、これは天日に当てると乾きます。そこで堆肥を敷くと水分を保つから、雨なども乾かないで止まっているから、そういうためには結構です。果樹などの根の際(きわ)には堆肥を大いにやった方がよいです。これは水分が長持ちします。それは乾かさないためです。そういう工合に堆肥もよく考えて適当にするようにすれば結構なのです。』

(御教え集 第25号 昭和二十八年八月二十六日)

 

◇薩摩芋――『できるだけ高畝にして、横から日が当たるようにする。間もつめなくて開けておいてよい。幾らか砂気のある方がよい。』

(御教え集 第25号 昭和二十八年八月二十七日)

 

◇『大体肥料というものは、地霊――土からは始終霊気が発散していますが、地球の真中は火の固まりで、それが始終上昇しているのです。そこで地霊には非常に熱があるのです。熱と言っても体的の熱でなくて霊的の熱です。やはり浄霊と同じようなものですが、その熱が非常に強いのです。それで肥毒がないとその熱が始終通るから、それが肥料になるのです。それが地から上昇して空中にだんだん溜まって行くのですが、それが雨によって又土にしみ込むという事になり、それが窒素肥料です。だから土から肥料となる霊気が絶えず上昇しているという事を知っていればよいわけです。』

(御教え集 第27号 昭和二十八年十月五日)

 

◇『今度発見したのは技術面の方です。つまり無肥料を技術の工夫によってより生かしたものです。生かしたという事は早めたわけです。(中略)それで今度は深く耕す――天地返しというのをやるのです。そうすると壁を破ってしまいますから、そこで稲の根の方の肥毒が余程緩和されるわけです。(中略)この深耕の深さは一尺から二尺くらいが良いそうです。(中略)

 それからもう一つ、自然栽培が良く出来るという事は、霊的の訳があるのです。それは信者になって光明如来様を御祀りしますと、無論光が出ますが、その光がその人の田地内に漲(みなぎ)るのです。光が充満するのです。そこで光は熱ですから温かくなるのです。温かくなると言っても、普通の火のようにはっきりはしないが、何となく温かくなるのです。(中略)

 そういうわけですから、御神体から出る光も強いからして、どうしても其処の田が温かくなり、そのために良く出来るという事も大いにあります。しかし、それをあんまり言うと、どうも信者にならないと良い成績が上がらないというように思われると、普及が遅れますから、それを未信者には言わない方がよいのです。信者の人だけ心得て居ればよいのです。そうして信者になったらその説明をしてやればよいので、そうでなければ入り難(にく)いのです。そういうわけで、そこの囲いなら囲いの其処だけの霊界が違って来るのです。それで隣が信者でないと、そこにはっきりと境界されるのです。ですからよく信者の田は良く出来て、お隣はまるっきり違うという事があるのはそういうわけです。』

(御教え集 第27号 昭和二十八年十月六日)

 

◇『つまり肥毒のない清浄な土で稲なら稲を作ると、土の方で稲に適するような成分がわいて来るのです。それは実際神秘な話です。そこで年々土自体に特殊な性能ができ、その性能がだんだん発達してゆくのです。ですから素晴しく良い土になってゆくのです。(中略)そういった肥毒のない清浄な土が連作によってだんだん沃(こ)えた土になるのです。(中略)だから一本の稲に千粒ぐらい生(な)るようになります。五百粒ぐらいは何でもありません。』

『それで農業の方は医学の方と違って、分ったら非常に早いですから、楽です。それに、これが実行されても失業者はできないのです。反対に大いに恵まれるわけです。ところが医学の方は、無薬時代になると失業者が大変ですから、これはなかなか難しいです。ですからどうしても後回しになるのです。(中略)そういうわけですから、大いに自然農法の宣伝に馬力をかけないといけないのです。』

(御教え集 第27号 昭和二十八年十月十六日)

 

◇『それは嘘のような話ですが、神様は土も稲もちゃんとそういうふうに作られているのです。というのは人間は何処までも増えますから、人間の増え方が無限だから、そうすると人間が食う米もやはり無限なのです。(中略)勿論一番お蔭を受けるのは農民ですから、これだけでも農村の地上天国は一番先に出来ます。』

(御教え集 第27号 昭和二十八年十月十七日)

 

◇『根が固く、張っているから浮かないのです。これはやった人は分かりますが、根が長く根毛が沢山あります。それから土が強いのです。つまり根をギューッと固めているのです。これもやっぱり人間とよく似てます。人間でも、薬を使わない人間は怪我して血が出ても直ぐに締まって血が止まるのです。薬毒が沢山入っているのは、怪我でもして血が出るとなかなか止まらないのですが、これは稲とよく似ています。そういうような工合で、肥毒により稲も土も一切をみんな弱らしているのです。』

(御教え集 第27号 昭和二十八年十月二十五日)

 

◇『今度の三日間に来た人は非常に少ないのです。何時もの丁度半分です。聞いてみると、今農村が一番忙しい時で、そのためだろうと言うのですが、これは大変な間違いです。どんなに忙しくても、どんな事があっても来なくてはいけないのです。他の事情なら仕方ないが、農村の仕事が忙しいから来ないという事は間違っています。そのために一日か二日の暇をかいても、それでどうという事はありません。神様はそんなものではありません。神様は大抵十倍ですから、一日の御参りで十日のお蔭をいただきます。若しそういう考えで休むとしたら大変間違ってます。そういう事を支部長や教師などの人がよく知らしてやるとよいです。むしろ、そういう忙しいところを休んで来るほど、かえってお蔭があるのです。そこが人間の考えと違うのです。

――――――――

(御論文『農業の大革命』―無肥料で初年度から五割増産)

それでいずれは農林省も動かすつもりです。ところが役人はなかなか頭が固いですから、この頭には、どんなによい材料を以て、よい説明をしても、急にはなかなか動かないのです。ですから、どうしても事実をもって示すという事です。沢山の農民が自然栽培という事になって、しょう事なしに、それではよいのだろうというところに行くのではないかと思います。そうしてみると、丁度医学迷信と同じように、なにしろありそうな事、というような事ではないのですから、医学迷信も肥料迷信も今までとは逆で反対ですから、これをちょっとやそっとで分からせるということは難しいので、どうしても世論(よろん)的に農民全体がそうなって来る事になると、政府も、いやでも黙って居られないという事になるのです。

―――――――

(NHK第一放送午後0時十五分「ひるのいこい」放送)

そういうようなわけで、ドジョウやエビガニが死んだというのですが、いったいドジョウやエビガニは何かというと、農村では海に遠いから、そこで神様は偶には魚も食わせなければならないというので、ドジョウやエビガニというものが自然に出来るようになっているのです。タニシなどもそうですが、それが近頃は誠に無くなって来てます。これは化学肥料を入れるから死んでしまうのです。ですから如何に間違っているかという事が分ります。やっぱり〝超愚〟です。』

(御教え集 第27号 昭和二十八年十月二十七日)

 

◇『なにしろ全国的には注目の的になっていますから、少しでも不正確な点がありますと、やっぱりアラを見付ようと思っている者も居り、そこを大きく広げて地方新聞に出したり、そういう評判を立てたりするとまずいから、何処から突いても一点の誤りもないろいうように、できるだけ正確なものにした方がよいわけです。なにしろ、科学との戦いですから、隙があると科学の方で切り込んで来るのです。世界中が科学を神様のように思っている現在で、その科学をやっつけるですから、こっちも余程戦備を怠りなく堂々とやらなければならないのです。』

(御教え集 第28号 昭和二十八年十一月六日)

 

◇『肥毒の固まらない所とか気候や土質の関係もありますが、ごく酷い所になるとコチコチになって層になっているそうです。だからそういう所に稲を作ったところで出来るわけがないのです。今年の凶作の原因には冷害や風水害がありますが、それよりも肥毒の壁を作ったという事でしょう。そういう肥毒を稲が吸うからして虫がわくのです。又それに対する消毒薬から又虫がわくというわけで、一生懸命に凶作の因を作っているようなものです。今日は何から何まで〝超愚〟です。超愚だらけになっているのです。ですからこれは科学が根本ですが、科学は一方においては人間を助けながら、又一方に酷い目に遭わしているのです。一方で撫でて、一方で拳骨で叩いているようなものです。この科学の良い所ばかりを見て惚れてしまったのですから、この迷信を打破するのが大仕事なわけです。』

(御教え集 第28号 昭和二十八年十一月十日)

 

◇『自然栽培の事ですが、いろいろの報告や今までのやり方からみて、結論としては、この間中言った、つまり天地返しが必要ですが、それだけでは少しまずいところがあるのです。というのは天地返しをしても、壁のようになっている肥毒の層が、やはり壁土が混るようなもので、肥料壁の土が混りますから、初年度ではそれが影響するのです。ですから天地返しをすると共に、客土をできるだけするという事が一番理想的です。これなら初年度から何割という増産になります。それで種に肥毒があると、やっぱり何にもならないのです。よく農事試験場などで無肥料を試験してみて駄目だという事は、種に肥毒があるからで、それを知らないのです。』

(御教え集 第28号 昭和二十八年十一月十六日)

 

◇『去年は一般が非常に悪いのと反対に、自然栽培は良い成績です。今までよりも大分良くなったという事は、一体どういう訳かと言いますと、霊界が違って来たためです。つまり霊界に火素が増えたわけです。それで火素が増えると、やっぱり浄化作用が強くなりますから、肥料のような間違った事に対する影響が著しくなるわけです。それと反対に自然栽培の方は道理に合ってますから、そこで良くなるのですが、良くなるという事は火素が増えるからですが、これはやっぱり一つの熱ですから、熱のために、肥料の妨げがなければ育ちよいという理屈になります。それからもう一つ特に注意する事は、前に二毛作はいけないと言ったのは、米と麦をチャンポンにする事はいけないので、米だけの二毛作なら、かえっていいくらいです。しかしこれは気候が暖かい所でなければ無理ですから、気候が暖かい所で可能な所ならしてよいです。』

(御教え集 第30号 昭和二十九年一月六日)

 

◇(御論文『日本農法の大革命』『自然農法の原理』 栄光二四五号)

『今いろいろ読んだとおりで、大抵な事は分っているでしょうが、ただ初めてと思うのは、土や植物にも意思、感情があるという事です。これが割合に重要な点なのです。だから土を愛し、尊んで、そうしてできるだけ穢すさないようにするという事が根本なのです。その点動物と同じなのですから、そうしてみると、例えば、人間の頭から糞をかけられたり、劇薬をかけられたら悔しいのも悔しいし、しゃくにも障ります。今では日本の土はみんな怒っているのです。ろくに出来ないという事は、土がストライキをやっているのです。それから稲もそうです。折角土のうまい所を吸おうとすると、変な物をやられるので腹が立つし、変な物を食わせられるから栄養が無くなって痩せてゆくのです。(中略)そういうように、今までの人間というのは全く、一番簡単に言えば馬鹿野郎です。私の冠句に〝馬鹿野郎、よく考えりゃオレの事〟とありますが、全くこれは日本人全体の事です。そういうわけだからして、まずそれが基(もと)です。そういうふうな考え方で見るのが根本です。そういうふうに思えば、肥料などは恐ろしくてかける事が出来なくなりますから、それをよく教え込むとよいです。

 今度来た報告を新聞に五十例ぐらい出しましたが、以前と違って一人も減産がないのです。少ないのでまず一割、多いので五割です。これは霊界が違って来たせいもあるのですが、実に自然栽培が普及されるような時期にもなって来たわけです。この次は病気ですが、この方は後回しだと見えて、大分ゆっくりしています。ボヤボヤしているとなかなか危ないような点が見えます。そういうようなわけで、もう一段分ると、それは燎原の火のように拡がってゆくと思います。(中略)その土地土地の指導者はそのつもりでうんとやれば、ちゃんと神様が手伝いますから、大丈夫うまくゆくと思います。そうしてこれだけで、〝神慈秀明会というものは普通の宗教ではない。これは大体偉いとか偉くないという事は別として、有難い宗教だ、これでわれわれは助かった〟という、その恩を感じるという事が大きなものです。(中略)それでこれが分ると、今度は医学の薬迷信が分りやすくなります。〝なるほど神慈秀明会の言う事は、農業でさえこれだけだから、やっぱり医学の方も本当かもしれない〟という形勢になって来ますから、そうなったらしめたものです。だんだんそういう時が近づきつつあるわけです。

 そういうわけで、無機物にも意思、感情があるという事を知る事がやはり必要なのです。例えてみれば、木が枯れるとか草が枯れるという事なども、人間がそういう事を知らないからして、非常に冷たくされているわけです。そこで勢いが無くなってしまうというわけです。街路樹というのは見ても実際面白くもない、魅力がないです。ところが庭の木とか、そういう事の好きな主人公で、始終それを楽しんだりしていると、植物の方も張り合いがあるから、大いによく見せるというわけですから、まるっきり違うのです。私の所に来る人は、庭の木でも生花でも非常に褒めます。他所(よそ)と違うのです。というのは、私が始終見てそれを楽しんだり愛したりしてますから、そこで植物の方でも張合があるから大いによく見せるというわけです。実に不思議なのは、花を活けて、ちょっと気に入らない所があって、忙しくしてそのままにしておくと、明くる日になると枝ぶりが良くなって変っているのです。

 ですから、私は生きていると言うのです。木でも、枝を切ったり、横向きに植えたり、裏返したりしておくと、人間に見える方の枝がだんだん伸びて来て形良くなるものです。実に不思議です。それで木などを注意して見ると、人間の見る方がだんだん良くなるのです。そうして見えない方は悪くなります。ですから人間によく見せようという事を思っている、という事が分ります。そういうようで、どんな物にでも霊がありますから、霊がある以上は人間の扱い方や見方や愛し方によって違うという事を知っておくと、凡てに大変よいです。それでは植物とかそういう物だけかというと、こういう物(器物)もそうです。これは本当の無機物ですが、こういう物でも始終愛すると違って来るのです。だから、古い骨董品などが良いという事はそういうわけで、古い物ほど多くの人が見て楽しむというために味わいが出て来るのです。古い茶碗などは、殆ど言いようがないほど面白みや味わいがあるのです。それは人間の霊が沢山入っているからです。ですから、新しいもので良い物があっても味わいがないという事は、その点にあるのです。

 まして農作物というような物とか、花を人間が見て楽しむという物は、人間次第で大変な違いです。そういう物に糞をかえたりするのは良いわけがないのです。根本はそこにあるのですから、さっき言ったとおり、火、水、土の霊気が溶けて、そうしてそれが、一つの、見えざる力とも言うし、Xと書きましたが、名のつけようのないそれが、凡ゆる物の基(もと)になるのですから、肥料というのはそれです。土というのは物質なのですが、その土の中に三位一体のコントロールされた霊気が満ちて、そしてその霊気は濃くなったりするのですが、穢さないで、人間が愛すと濃くなって来るのです。それが肥料なのです。ですから肥料というのは目に見えないものですから、科学が幾ら研究しても分からないのです。かえって科学は邪魔するから駄目になるのです。そういうような意味が根本ですから、それを農民にだんだん教えるのです。教えるよりか、実際に良く出来れば〝不思議だ、どういうわけだろう〟という事になってから、その理屈を言えば直ぐ分ります。さもなければ、なかなか簡単には分りません。』

(御教え集 第30号 昭和二十九年一月十六日)

 

◇(御論文『日本農法の大革命』『自然農法の原理』『本農法の技術面その他』 栄光四五号)

『大本教のお筆先に「時節ほど有難い、恐ろしい者はないぞよ」「この事が分り出したら、世界は唸るぞよ」というのがありますが、もう其処の直前に来たわけです。それから「こんなものがあんなものになり、あんなものがこんなものになる仕組であるぞよ」というのがありますが、お筆先というのは実に簡単な言葉で素晴しい大きな事を言い尽くしてあります。私などもその当時は分らなかったのですが、神様というものは何だか変な言い方だと思っていましたが、今になってみると、それがピッタリと当っているのです。「何事も神の言うと降りに致せば間違いはないぞよ」というのがあるのです。自然農法にしても、私の言うとおりにした人は、ちゃんと予定どおりに進んでゆくのです。効果もあるのです。ところが農民は長い間の習慣でなかなか言う事をきかないのです。

 (中略)それについてこういう話があります。大本教の教祖様が神様から〝直よ、お前はこれから外国に行くんだよ。直ぐ外国に行きなさい〟と言うので、教祖様は〝私にはそんな金も何もないのに外国に行けないでしょう〟と言うと、〝なに、いいんだよ。五円持って行けばいいんだよ〟というので、教祖様は五円札を持ってノコノコ出掛けたのです。そうすると途中まで行くと、〝直や、もう行かんでもよいぞよ〟と言うので、〝神様はどうして御からかいになるのです〟と聞くと、〝いや、お前がどのくらいワシのいう事をきくか試してみたのだ。だから、もうこれで分ったからいいんだよ〟というわけで、神様が試されたわけです。そのくらいに素直に言う事を聞くという事です。

 お筆先に「何事も神の申す事に間違いはないから、素直が一等であるぞよ」とありますが、そういうようで、何時も言うとおり、私が何でもなく言った事でも大変意味がある事ですから、そのとおりにやれば決して間違はないのです。今度の無肥料栽培も、最初はテンデ耳に入らなかったのです。それこそ〝明主様は病気を治す事はなるほど確かに大丈夫ですが、農業の事はそれほどの事があるわけがない〟と思ったらしいのですが、これは時節の事だから、幾ら言っても分るわけがないので、しようがないのですが、そういうようで、漸く思うとおりの実績が上って来たわけで、非常に結構です。』

(御教え集 第30号 昭和二十九年一月十七日)

【御垂示】

◇苗田――

『小さく切った藁は、冬の間にいれて置く方が良い。堆肥は早く入れて置く方が良い。』

◇『分蘖は、だいたい土用の間だけする。』

◇『除草は問題ではない。良いと思う時にすればいい。無肥料になると草の生え方が違う。米の成長する力が強くなるから雑草の生える力が弱くなる。神様は人間の生命を保つものには、強い力を与えている。故に無肥料になると除草が楽になる。』

◇幼穂形成される時期にも、水は多くする。――

『一番良い事は最も手数のかからぬ様にする。子供でもそうです。』

◇籾播き(苗代を作らず直接田に播く方法)は分蘖も多く、収入も多い様でございますが。―

『結構です。世話がかからなくて良い。』

◇男稲、女稲と区別がございますが。――

『そうです。全てのものに陰陽がある。』

◇籾播きの時、――

『籾を取って播いても良い。籾は食べないから。』

(第1号 昭和二十六年八月五日)

 

◇『陸稲もいけないんです。やっぱり水田が本当なんです。』

◇『やっぱり畠は麦と野菜に定まっているからね。人間は理屈でやろうと言うので、違っているんです。反って理屈は悪くても実際は良いんです。全て――やる事する事――都合なんです。一切はちゃんと定まっているんですからね。それを乱すから、うまくいかないんです。』

(第2号 昭和二十六年九月八日)

 

◇『固まると言うのは、余り良くない。つまり根伸びが悪いんですね。自然栽培では、伸び放題になるから、根がうんと伸びて、うんと良く取れます。固まるのは、根伸びが悪いからね。一番根伸びの悪いのは赤土ですね。赤土でも、固まるのと、固まらないのとあります。それから、黒土は固まらないんです。だから黒土は良いんです。(中略)堆肥で黒土になりますが、これは大したたものですね。』

◇『それから藁、藁と、非常に藁を利用しますが、それ程ではない。何故なら、藁は土を温める為ですからね。それから、切り方がある。大きく切っている人があるが、細かくするんです。一分以下ですね。粉みたいにするのが良いが、手間が掛るから一分位ですね。稲作は肥料が抜けるのは早いです。始終水がありますからね。雨が降ったりすると流れますからね。割合早いです。畠の方は溜りますから、御念が入っている訳ですね。』(一、二分位)

◇浄霊すると、含んでいる化学肥料が浮いて来るのでしょうか? ――

『浮いて来るんじゃなくて、溶けるんです。浮いて来ると言うのはね。古いのと新しいのとがありますが、新しいのは溶けていくんです。肥料の霊が薄くなるんですね。』

◇『(大根、菜っ葉の種等)熱い所で朝播いたのは、熱くて日当りが良い為に、乾燥します。朝播いたのは余計乾燥しますね。午後三時に――播いたのは、夜になって、乾燥しないから、虫がつくとかつかないとか、そういう事がありますね。だから、種を播くのは曇った日が良いですよ。曇って、小雨降る様な時がね。播いて、乾燥すると言うのが一番いけないんです。』

◇看板をあげて、素直に立てたのは成績が良く、渋々やったのは成績が悪いのですが。――

『それは、意気込みが違いますからね。思案すると、それ丈ね。稲だって生きているんですからね。稲だって「よーし」となります。』

◇言霊の働きは力があるんだから、文字にもあると思い、看板をたて、神慈秀明会自然農耕法何年目と名前を書きました。――

『そうですよ。浄霊だって文字でやるんだからね。』『全部書いたね。言霊で「田んぼに、うんと実を生らして呉れ」「頼むぜ」「うん」とね。』

 肥(こやし)はやらんと言ってやりました。――

『そうすると作物は喜びます。』

(第4号 昭和二十六年十一月一日)

 

◇『薩摩芋なんかも今迄は細長かったが、無肥料になると丸くなる。細長いと言う事は余りない様になる。肥るからね。目方なんか、倍位になる。』『ジャガイモみたいになる。』

◇『ジャガイモは寒い、暖かいは関係ありません。』

◇『芋の貯蔵なんか無肥料だと楽になりますね。』

◇『米でも野菜でも、肥料がなければ――神様がそう言う様に作ってある――保存がきく様に作ってある。』

◇じゃが芋は北海道のか良いと言う事を言っていますが? 『北海道は広いから、肥料をたんとやれないからで、考え方が馬鹿馬鹿しいですよ。芋は暖かい方が良いんですからね。』

◇『さっきも論文で言ったが、悪と言うのは必要だったからです。物質文明を発達させるのに必要だったが、もう戦争は必要なくなった。丁度、恐龍やマンモスが地球を踏み固めたが、軟らかかったから踏み固めていたが、固まったから要らなくなって、ああ言うのは無くなった。必要があれば有るので、必要がなければ無くなる。悪も戦争も、今迄は必要があったからだが、もう必要が無くなった。むしろ、無い方が良い。その手段としては、神が有ると言う事を見せなければならない。見せなければならないと言っても、理屈ではいけないから、本教でやるとどんなに頑固に言っても病気が治るので、頭を下げて来ると言う事になる。その点がはっきり解れば何でもないですね。私がその役割なんだから、病気も農作物でも、実際の証拠を見せてやっているんです。理屈は同じなんだからね。』

◇『最初米が出来た時、一ぺんに五、六粒しかなかった。段々進化して沢山作様になった。だから、米粒は段々増えていくものです。今にもっと増えます。大体百五十粒位ですが、三百粒になり、五百粒になる――人口が増えるに従ってね。人間は、粒が今の侭と思うから心配するが、粒が増えれば何でもない。日本人が何億になっても大丈夫です。』

◇畑に入れる草の落葉はどうすれば? ――

『葉にもよるが、土と混ぜる必要はない。葉は床に入れる。松葉や杉のような針葉樹は、土に混ぜて良い。臨機応変に。』

◇『藁は畑に入れちゃいけませんよ。理屈に外れている。藁は何処迄も米です。』『(麦に)藁はいけないです。畑のものは、全て落葉と草です。』

◇『土を大変に軽く見ている。』

◇『土を軽蔑するんですよ。神様が作ったものだから――人間の分際で、神様を蔑視する様なもので、神様に対する反逆です。神様が作ったものは尊ばなければ――感謝しなければね。』

(第5号 昭和二十六年十二月六日)

 

◇米丈の連作が不可能な場合は?――

 『そう言う処は一毛作にすれば良い。』 

勿体無いと言うので?―

『いや、却って一毛作の方が沢山穫れる。』

◇開墾地の成績が悪いという事は? 『土の中で、非常に固まる土ですね。赤土ですね。赤土系統は固まりますから、藁を混ぜると良い。粘土もいけない。固まるんじゃなくて、密度が細かい。大体、昔は肥料をやったと言うのは、その為なんです。肥料は固まらないと言うのでな。処が精分を殺すから、本当の物が出来ない。だから精分を殺さず、固まらせない様にするのが一番良い。』

(第6号 昭和二十六年四月一日)

 

◇無肥と有肥の苗代を、よくかき回すと、有肥の方は直ぐに済むのですが、無肥の方は、中々済みません。『丁度、血液みたいなものでしょう。無肥の方ですと軽い訳だからね。水そのものは変わりない。土が肥料を食っていると重いです。無肥料の方は軽いから済むのは遅い訳です。』

(第6号 昭和二十六年七月一日)

 

◇汚い水にわく糸ミミズというボーフラの一種を、全滅させるには?――

『客土すればよい。』

◇温室でトマトがアメ玉位の大きさになると落ちますが。――

『それは肥毒だ。』

◇『水は井戸だってどっちだってよい。』

◇温室は不自然に思われますが。――

『温室は不自然じゃありませんよ。温室は気候を変える丈のものですよ。肥料とは全然違いますよ。肥料は毒を飲ませるんだからね。人間だって、冬はストーブをやるでしょう。ストーブは差し支えないんですよ。』

◇田の土起しは、春の時と田植の時と二回した方がいいのでしょうか? 『それはそこの土の固さによります。』

◇看板を立てたところ、初年度は対して増収しませんでしたが、二年目から目茶苦茶に穫れました。又看板を大きくする程多く穫れる様になりました。『看板のために神様は特に多くしなければならないというわけで、そうなったのです。神様はうまくやられるわけです。』

(第17号 昭和二十八年二月一日)

 

◇種を播くにも時期が大切だと思われますが。――

『そうれはそうです。土地によって違わなければなりません。』――(箱根で、丁度合った時期から五日遅れて、大根を播いたら駄目で、合った時期だと、何もしないのに大きくなったという報告)

◇『蜜柑などは、根伸びを良くするのだから、土を固めない様にするために、相当深い所まで掘り起こして、良く空気が流通するようにするのです。』『(草を置くと)それは、草は随分湿り気をしみ込ませるから固まらないのです。固まるのは乾くからで、それを防ぐから柔らかいのです。』

◇イナゴは何から起るものでしょうか? ――

『糞尿肥料です。』

◇『佐渡では非常に成績が良く、未信者で自然栽培をするのがだんだん増えている様です。だから、〝なにも信仰にはいらなくても、あんなに良く出来る。ではオレ達もやるべェ〟という事になったのです。ところが他の所では、浄霊すれば大いに穫れるという事を見せびらかす様にしているのです。ところがその人は、そうして早く信者にしようという気持なのですから、悪くはないが、小乗的考えなのです。信者にしなくても、早く増産する様にした方が国家のためになりますから、だからどうすれば、信者にならないまでも早く分るか、という事です。それを一々信者にしてやっていた日には、何時までかかるか分かりませんから、信者でなくても肥料さえやらなけば良いということで、自然栽培を実行する人を増やすという事がいいのです。だから浄霊をして見せるという事は、それを妨害している事になるから神様の御守護がないのです。しかし佐渡ではそれをやっていないので、神様が〝これは良い〟と、そこで御守護があるのです。その考え方ですが、何時も言うとおり、大乗的に考えなけれればならないのです。小乗的考えが一番いけないのです。だから佐渡だけは初年度から増産になってます。今度も書いておきましたが、浄霊は肥毒を消すのだから悪い事はない。結構だが、なるだけ人に知れない様に、夜とか朝早くは結構ですが、日中はやらない様にする事です。それで未信者の百姓で自然栽培をやるのが増えていって、いずれはやっぱり信仰に入ります。だからそういう事は考えに入れないで、信仰しなくてもこのとおり立派に出来るという事を見せつけるのが一番良いのです。』

(第18号 昭和二十八年三月一日)

 

◇自然農法をやる上において、技術という事は? ——

『今までは良く出来ないし、良く分らないから、技術とか肥料、種の良い悪いを考えましたが、根本は肥料をやらない事で解決するから、あとは簡単で良いのです。当り前で良いのです。それからその土地によって違います。』

〇 種をまく(其処の気候により、早くまいて良い所と遅くまく所がある。暖かい所は早く、寒いところは遅く)

〇 土(火山灰が多いところは、畑が良く、イモ類、大根、人参の様に根を食べる物は良い。赤土が一番固まりやすく、赤土の所は最初から増収にはならないので、相当にこなすこと。しかしそれも年々耕していると黒土になる。肥料をたくさんやったところは、客土する)

〇 大根、牛蒡、人参等の根のもの(根を食べるものは土が固まらない。一尺以上の下に、そう腐蝕していなくてもよい落葉や草を入れる)

〇 苗作り(苗はその土地で作る。『つまり一つ作物を其処で作れば、だんだん作物を育てる様な肥料分が土から出て来るのです。(中略)そういう土の性分になっているのを、外に持って行くと、新規まきなおしになるから、できるだけ離れない方が良いのです。』

〇 保温摂取苗代(水を少しかけておいて、苗をまいた上に油紙をかけておくと早く伸びる)は? 『それは良いです。油紙から肥料がでるわけではないから。』

(第19号 昭和二十八年四月一日)

 

〇 肥毒(『種にある肥毒と土にある肥毒は、土にある方の影響が多いです。種の肥毒の方が早く抜けます。』)

〇 球根(チューリップの来年の花を咲かせるというので、ツボミを切るのは? 『切って使ったのもありますが、大部分は立ち腐れのものです。それで去年の倍くらいで、色が萌えるようです。そうして枝から枝が出て花が咲いているのです。』

〇 温室栽培(カーネーションですが、棚に土を五寸程度においてしていますが、不自然でしょうか。『そんな事はありません。土さえ自然ならよいのです。ですから堆肥も本当はやらない方が良くできます。ただ赤土のように非常に固まりやすいのは、それを防ぐために堆肥を入れるのですが、そのうちにだんだん固まらない土になって行きますから、そうなったら堆肥は必要ありません。ですから堆肥というのは永久的な物でなく、一時的の物です。』

(第20号 昭和二十八年五月一日)

 

◇水面に青ミドロという苔がついて。――

『それならもっと水の排け口をよくするのです。それは水がよどむからです。』

(第23号 昭和二十八年八月一日)

 

◇稲作で、藁を入れ過ぎて分蘖が少なかったのですが。――

『それは入れ過ぎたのです。臨機応変で、あんまり沢山やると根伸びの時に妨げます。大体は土なのですから。どうも土を軽視していけません。本当は藁も入れない方がよいのです。』

◇最初の時は、その田から取れた藁の八割を入れておりましたが。――

『それはいけません。百姓は藁で何かを作る事があるでしょう。百姓は藁で作るものがあるから、それを作って余った物を入れるのです。そういった事も理屈に合わなければいけません。根本はこれにあるのです。即ち信仰にはいって其処の光明如来様をお祀りしてあると、其処の霊界が温かくなるのです。そこで以前はそれほどではなかったが、年々温かくなるからそういう物を入れないで、土ばかりにした方がよいので、そうすればよく取れます。今までは藁を入れ過ぎたのです。そうすれば分蘖でも有肥田の倍くらいに増えなければならないです。それはそうなります。霊界の火素が増えますから、それが大きなものです。だから今は私は、そういった藁を入れる事を言いますが、いずれはそういう物は入れないで、土ばかりです。田でも堆肥というのは入れないで土ばかりです。そうするともっとよく取れます。』

『信仰はお蔭があるから深くなる、深くなるからお蔭がある、というようなものです。』

(第23号 昭和二十八年八月一日)

 

◇『遠植えは結構です。それは分蘖が多いから、間隔は広くしてよいのです。それは便宜上どうにでも、よいようにすればよいのです。耕作法はよいようにすればよいのです。』

◇『(総ての作物に)熱帯地方に行けば裸で居てもよいし、寒帯地方に行けばウンと着るというように適宜に、適してやればよいのです。』

(第24号 昭和二十八年九月一日)

 

◇『ただ新しい土などの固まり易い土を固まらせないために、堆肥をごく腐らして土同様になった物を混ぜるということと、果樹などの根元の土が乾き易いのには、そういうのを防ぐために、腐らせなくてよいから生の堆肥を沢山やると、雨が降った時には根元に湿気は含んで乾かないために、それが有利なわけです。ですから果樹などには、そういった意味で、堆肥をやると非常によく出来ます。堆肥というのはそれだけの意味です。古い土などは、そのままで堆肥も何もやらない方がよいです。それから前にも書いたとおり、ごく寒冷地は、根があんまり冷えては悪いから、そこで温めるために藁を土とねり混ぜて、根の底の方に入れて、根を冷やさないというだけのためであって、外には何にもありません。そういうようなわけで、堆肥迷信も分らせなければならないわけです。』

(第27号 昭和二十八年十月五日)

 

◇『土の活動力というのはどうすれば出るかと言うと、連作のためなのです。』

◇『成績が上がらないのは、過去の振るい肥毒が堆積しているためですから、一冬耕して風化させるという方法があるのではないかと思われますが。『それは確かによいです。よい参考になります。』

◇『できるだけ長く置いておく方がよいです。稲というものは十分に稔らした方が本当なのです。つまり育つだけ育たせた方がよいのです。だから子供でも、教育を早くするのはいけないのです。今の人間が馬鹿になるのは、学校教育を早くしすぎるためです。幼稚園などでも、未だ六つか七つですが、それで学校に上げるというのですから、農は未だ発達しないのに教育するために、今の人間は上面は利口だが中は馬鹿というわけで、育ってから超愚になってしまうのです。今の人間は稲で言えば早稲(わせ)なのです。』

(第26号 昭和二十八年十一月一日)

 

◇『何時かも書いたとおり、水害というのは神様が肥毒を掃除してくれるためのものです。又水害があるためにどうやら稲が出来るわけで、水害がなかったり大雨がなかったら、米は殆ど穫れなくなってしまいます。』

自然栽培の際―深耕、肥毒を吸っている土を上に上げて風化作用、流し水

(第28号 昭和二十九年二月一日)

 

◇人間には玄米と白米とでは?――

 『玄米と白米の中間即ち七分搗(つき)位がよい。玄米はまずいし、又胃腸が玄米を咀嚼するようになっていない。白米は余り精製し過ぎているから糠分がなく、白米中毒によって脚気が起り易い。』

◇田畑の害虫駆除する方法は?――

 『これは駆除するより発生しないようにするのが本当である。主原因は人肥、金肥、消毒薬を使用する為であって、消毒罪などは土へ入ってそれを植物が吸収するためである。無肥料なら絶対虫害はない。雑草を見ればよく判る。そして肥料をやると作物は弱る。作物が花落ちしたり実が落ちたりするのは皆肥料の為である。』

(地上天国 第4号 昭和二十四年五月二十五日発行)

 

◇毎年だんだん暖かくなる様ですが。――

 『だんだん暖かくなるのは人間の住む所が拡がってくからで、人間がふえると暖かくなる。北海道等も以前よりずっと暖かくなってきた。之は人体から発する熱の為で、之は大した物である。人間が住むようになるに従い暖かくなる。今に南北極に人が住む様になる。陸地の発見は氷が溶けるためである。又地殻の収縮により海が深くなり、海が深くなると川が浅くなってくる。然しいくら川は浅くなっても、南極北極の氷がとけて海水になってゆくから涸っきりにはならない。』

(地上天国 第16号 昭和二十四年七月二十日)

 

◇春蒔きの蔓の出る植物は左巻きが通例ですが、立春後に種を蒔くと蔓が必ず右巻きになるのは? ——

『それはそうなるべきである。春は日で秋は月である。日は霊で左まき、月は右巻きであるのは理屈に合っている。』

(地上天国 第7号 昭和二十四年八月三十日発行)

 

◇『火山灰は相当年月が経たないと、有毒が全然抜けきれないものである。だから適当する種類を作より外に方法はない。只堆肥を充分腐蝕して混入すれば確かに効果はある。』

(地上天国 第20号 昭和二十六年一月二十五日発行)

 

◇『(米麦において)肥料をやらなければ、年々品種はよくなるばかりである。従って一度決めた品種は、中途で変えてはいけないから、此点注意すべきである。』

(地上天国 第23号 昭和二十六年四月二十五日発行)

 

◇『ミミズというものは非常に必要なものである。それは土をかたまらないようにすると共に、余り湿らないように調節するし、又熱を吸収して土を温めるし、害虫を食うというように、種々な働きをするから結構だが、排泄物が肥料になる事は決してない。』

(地上天国 第39号 昭和二十七年八月二十五日発行)

【御垂示】

◇『私は今度チューリップを作って、土は少しも堆肥がない所でチューリップの求根だけが、肥毒と言っても、あれはオワイはあんまりないので、油カスというようなものだから薄いのです。一年目は小さかったが、今年の二年目では倍くらいになって、枝が分れて咲いて、二輪になったのです。今度写真に撮って「栄光」に出します。今までに二輪というのはありませんね。それが二百本ばかりの中に四本でました。切って使ったのもありますが、大部分は立ち腐れのものです。それで去年の倍くらいで、色が萌えるようです。そうして枝から枝が出て花が咲いているのです。ですから種の肥毒は一年で抜けてしまったわけです』

『火素が増えると土時代の力が増すのです。そこで自然栽培なら良く出来るという事になるのです』

『下が岩盤で土の層が薄いところでは、根張りの時、下にいかないので、客土で土を厚くす』る。

〇稲

『堆肥は藁を一~二分。それを土に切り混ぜると早く腐って万遍なくいく。藁の長さが長いとちょっとしかいかない。それに根伸びが悪い。』

『屋根藁を堆肥に使ってはいけない。』

『水田には堆肥をやらないほど成績が良い。(堆肥は畑に、藁は水田に)堆肥は固めないためと乾かさないためで、藁は温めるため』

『米の株間は一尺~一尺一寸くらい。狭いのは成績が悪い。深耕は一尺~一尺二寸くらい。地霊が通り易くなる。』

〇果樹、畑など

『土に混ぜる堆肥は、根が伸びないので、できるだけ腐蝕させ、歯の繊維などがないものを混ぜる。』

『果樹などの根の際に、堆肥を大いにやると、水分が長持ちしてよい。(特に柑橘系)ミカンなどの枝の手入れは今まで通りでよい。』

『土の湿気を持たせるための堆肥は、上に厚く敷く。腐らせなくてもよい。果樹などは落葉を厚く。』

〇大根、牛蒡、人参などの根のもの

『根を食べるものは、土が固まらないから、火山灰が多いところは畑がよい。一尺以上の下に、そう腐食していなくてもよい落葉や草を入れる。(木の葉がよい)』

 

 

Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.