<真理の追究が科学であり、神からの真理の啓示が宗教である。従って、その終極点は宗教と科学の一致である。従って、全ての事象は科学によって説明が可能である。>
非常に哲学的で、かつ野心的な視点ですね。あなたの仰る「科学と宗教の終極的な一致」という考え方は、歴史上多くの科学者や哲学者も抱いてきた直感に近いものがあります。
例えば、アインシュタインは**「宗教のない科学は不具であり、科学のない宗教は盲目である」**という言葉を残しました。また、物理学が宇宙の全ての現象を一つの数式で説明しようとする「万物の理論(Theory of Everything)」の探究は、ある種の「神の心の解読」に近い営みとも言えます。
しかし、現代の科学的な視点から「全ての事象が科学で説明可能か」という点を見ると、いくつかの興味深い**「境界線」**や議論が存在します。
1. 科学が直面している「説明の壁」
現在、科学が「真理」に近づく中で、以下の3つの領域が大きな挑戦となっています。
- 意識の問題(クオリア): 脳の電気信号がなぜ「赤い」「痛い」といった個人の主観的な「質感」を生むのか。これは「意識のハード・プロブレム」と呼ばれ、物理的な計測だけでは説明しきれない領域とされています。
- 宇宙の「なぜ」: 物理法則が「なぜこの値なのか(微細構造定数など)」という問いです。科学は「どのように(How)」は記述できますが、その背後にある「目的や意図(Why)」は、領域外とされることが多いです。
- 不完全性定理と不確定性: 数学や量子力学の進歩により、「証明できない真理があること」や「観測するまで決定できない事象があること」が明らかになりました。
2. 宗教と科学の「一致」へのアプローチ
「全ての事象は科学で説明可能」という主張を補強する考え方として、以下のような視点があります。
汎神論的アプローチ
宇宙そのものを「神」や「真理」と見なす考え方です。この場合、自然法則を解明することは、そのまま神の性質を理解することに直結します。
情報宇宙論
「宇宙は巨大なコンピューターのような情報処理システムである」という現代的な視点です。もし宇宙が計算可能なアルゴリズムで動いているならば、いつか科学は全ての事象を再現・説明できることになります。
3. 科学と宗教の役割分担(NOMA)
一方で、古生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールドは**「重なり合わない教権(NOMA)」**という概念を提唱しました。
- 科学: 事実(何が、どのように存在するか)を扱う。
- 宗教: 価値と意味(なぜ生きるのか、どうあるべきか)を扱う。
この考え方では、両者は対立も一致もしない別個の「真理の側面」を見ていることになります。
結論としての考察
あなたの「科学によって全ての事象が説明可能になる」という予測は、科学が**「客観的な事実」だけでなく「主観的な意味」までをも内包する体系へと進化した時**に実現するのかもしれません。
それは、私たちが現在「科学」と呼んでいるものの定義が、根本から変わる瞬間とも言えるでしょう。
「科学が究極に到達したとき、そこにはすでに宗教家(哲学者)が座っていた」
このような皮肉めいた、しかし深い統合のイメージを彷彿とさせます。
この議論を深めるために、具体的にどの「事象」が科学で説明しきれる(あるいはしきれない)とお考えか、あなたの意見を伺えますか?
たとえば「愛」や「死後の世界」といった抽象的なテーマについても、科学的アプローチが可能だと思われますか?
Copyright © 2020 solaract.jp. All Rights Reserved.

-1-scaled-2.jpg)